親愛なる魔物様へ





  【1】




 平凡な家の、平凡な家庭で、平凡に育った平凡な顔立ちの青年は、今後も平凡に自分の人生は続いていくものだと思っていた。

 そう、友達とちょっとした洞窟探検に行ったその日までは。

 右を向いても暗闇、左を向いても暗闇、地面ももちろん真っ暗で、天井を見上げればやたらと遠くにぽっかりと開いた穴から空が見える。
 ファルスは暗闇の中で呆然と座り込んで、その、辛うじて見える空をぼーっと眺める事しか出来なかった。

 とーさん、かーさん、ごめんなさい。どうやら俺はここで死ぬようです。
 どうみてもこれは無理だ、という状況に、ファルスの頭は早くも死んだ後の事で一杯になっていた。

 ――俺が死んだら、明日からかーさんの薬取りに町に行くのって、誰がやってくれるんだろうな。あぁ、ペロとマーナの乳搾りも、俺やんないと運ぶのとーやさんもう腰がきついっていってたしなぁ。

 そんな事を考える程一見落ち着いて見える彼は、実は単に死ぬ事を深く考えたら怖いから思考を逸らしているといえた。
 出口を探してみよう、とか、助けを呼んでみよう、とか、そういうことをしてまだ生き残ろうとする程、彼は自分に自信が無かった。
 こういうピンチを切り抜けられるのは、物語の主人公クラスに何か特別な物を持っている者だけだ、とファルスは思う。
 彼は昔から平凡で、近所の子供達と遊ぶ時も、剣を習う時も、特別上でもなければ下でもない、いわゆる普通というポジジョンで生きてきた。今回も、村の青年団のリーダー格で一番腕の立つリーンに連れられて、この間の地震でできた洞窟をちょっと調べにいこうと声を掛けられた、村の青年Aというのが彼の立場だった。
 中はあまり広くなく、ただ道がいくつかに分かれていたから、皆好き好きに中を探検して遊んでいた、だけなのだが。
 たまたま運悪く、どこか地面が脆くなっていたところを踏んでしまったのか、ファルスは突然空いた地面の穴に落ちて、気付いたのが今の現状という有様だったのだ。
 せめて、落ちてすぐであったなら、異変に気付いた仲間が探してくれていたかもしれない。その時であれば、助けてと叫べば誰かが気付いてくれたかもしれない。
 だが、更に運が悪い事に、落ちた後ファルスは気を失っていたようで、目覚めた後、いくら耳を澄ましてみたところで、誰かの声も、人がいる気配も、何の音も聞く事は出来なかった。

 結論。俺はもう死ぬんだ。

 やっぱこの場合は餓死だよな、餓死って苦しそうだな、その前に水かな、干からびて死ぬのってすげー苦しそう、と、そんな事をぐるぐる考えて膝を抱えて座り込んでいる彼は、だがふと、いい匂いがどこかから流れてきている事に気付いた。

「なんだろ、美味そうだ」

 落ちてからどれくらいたっているかは分からないが、もちろん現状のファルスは腹が減っていた。匂いを嗅げば途端に腹が鳴り出すくらいには。

 ――なんかもー、どうせ死ぬならいいかな。

 人間開き直ると大胆になるもので、全てにおいて諦めかけていたファルスは、匂いを追って歩いてみようと立ち上がった。
 視界は完全な暗闇だから、足元の感覚と、手探りを頼りに、ゆっくり、ゆっくり。ここから更に落ちるのはもう嫌なので、出来るだけ慎重に歩いていく。

 そうして彼は……何かに躓いて倒れた。

「な、なんだこれ」

 躓いて倒れこんだものは、何か大きな箱のようなもので、高さ的にはファルスの腿くらい、横幅は手探りの感触では身長くらいはありそうだった。だがなによりも、どうやら匂いの主はその箱のようで、ファルスが鼻をすんすんならしてじっくりと辺りを嗅ぎ回ってみても、やはりそうだと判断するしかなかった。
 実は誰かがどこかにいて、その人間が何か食べているところではないか……という僅かな希望はそこで絶たれ、内心がっくりとファルスは肩を落としたのだが。

「箱の中身……かな?」

 仕方なしに手探りで、その箱が開けられないかを調べてみる。
 そうすれば箱はどうやら衣装箱のようなもので、中央のカギさえ掛かってなければ簡単に開きそうな物だと分かる。触れた感じだと、鍵はどうやらないらしい。
 一瞬だけ、開けたらとんでもない事が起こりそうな気はしたものの、どうせ死ぬならと思い直し、ファルスは箱を開けてみる事にした。
 箱の上部に手を掛けて、思い切って上にあげる。思ったよりもそれは軽く、ファルスの力でも簡単に上がっていく。
 ギ、と軋む音。
 少しづつ上がっていくその中からは、何か明るい光が溢れてくる。暗闇だけの世界に光が現れる。

「うわ――っ」

 叫んで、思わずファルスは箱を閉じた。
 ドキドキと鼓動が鳴る。ファルスは胸を手で押さえて大きく深呼吸した。
 それから、やはり思い直して、今度はゆっくりと止めることなく箱の蓋を上げ、その中身を覗き込む。

 果たして――箱の中身は、美しい剣だった。

 一瞬戸惑うものの、ファルスはその剣を手に取る。
 それはとても高価そうな剣だった。
 全体的に細かい装飾が施され、鞘には魔法文字が大量に彫られている。あまり大きなものではないが、宝石らしきものもいくつかはめ込まれている。
 何より、この暗闇で光を発しているのはこの剣のようで、魔法資質が普通に低いといわれたファルスではあまり分からないが、どうにも魔法を帯びている物らしかった。

「えーと、宝物?」

 剣の光でみれば、箱も衣装箱というより宝箱のようにも見える。
 だが呟いた後によく考えてみて、ファルスは思いついた事に少し青くなった。

「もしかして、魔剣?」

 魔剣とはその名の通り、魔法が込められた剣の事である。
 防具などに魔法を掛けて強化するのは割りとよくあるが、武器に魔法を半永久的に込める事は難しい、らしい。作ろうと思って作れる物ではなく、だから今存在しているのは、誰がいつどうやって作ったものか分からない貴重な物ばかりだと、冒険者になる為の勉強をしているリーンが前に熱く語っていた。
 ファルスは剣を手にとってみる。よくみれば確かに何かただならぬ物を感じて、思わず持つその手が震えてしまうのも仕方ない。
 そっと、柄を握ってみてその感触を確かめる。
 本物の魔剣ならば、剣に選ばれた者しか抜く事は出来ないという。だから、こんな平凡な自分が抜ける筈はない。――と、ファルスが思いながらも思い切って柄を引いてみれば。

 あっさりと剣は抜けた。

 現れた刀身は、ファルスでさえ分かる程に、魔力を放って煌いている。
 だがファルスは、目を大きく見開いたまま叫んだ。

「に、に、偽物だーーー!」
「失礼だな」

 声と同時に、ガツンと、ファルスの頭が叩かれる。
 驚きついでで箱へ倒れこめば、上げていた蓋が閉まって、ファルスの上半身は箱に挟まれる。

「うわー、これは、匂いでおびき寄せて人を食う宝箱だー」

 箱に挟まれたまま藻掻くファルスは、自分は箱に食われるものだと思い込んだ。
 とーさん、かーさん、……以下略。

「ただの箱だよ、食虫植物みたいに言わないでくれないかな」

 同時に箱が勢い良く開く。
 ついでにまるで箱に吐き出されるように、ファルスは箱から投げ出された。
 そしてその目の前には。

「うわー、魔物だーー」

 暗闇の中、薄ぼんやりと光を纏って立つ姿は、一見すれば美しい少年のように見えた。
 だが、耳は尖っていて、更にいえば尻尾まである。この暗闇で光っている体といい、どうみても人間ではない事は確かだった。

「まー、一応合格にしとくけどさー。一々騒ぐなよ、うっとおしい」

 言って魔物は、ファルスの腹を蹴った。
 ファルスは、ぐぅと唸って剣を抱き締めたまま蹲る。

「よーし、久しぶりに出れるんだからさ、さっさと外いこーよ、外」

 言って魔物はファルスの襟元を片手で掴むと、ごうという音を立てて一気に飛び上がった。蹲ったところから今度は持ち上げられ、ファルスの悲鳴だけが段々と小さくなりながら洞窟の中に響いていく。
 そうして、洞窟にはまた静寂が戻った。




「んー、久しぶりのお日様はやっぱ気持ちいいなぁ」

 息と動悸を整えて、のんびりと魔物らしからぬ事をいう魔物をファルスはじろりと見つめる。確かにそこは洞窟の外で、助かったといえば助かったのだが、この魔物が何であるのか、ファルスはまだ何も知らなかったし、知識のない自分の頭で考える気もなかった。

「んーと、その目は僕が何者なんだっていうトコロかな? まぁ、見たとおり僕は人間じゃないよ。お前が持ってるその剣に取り込まれた魔物ってとこかな。その剣が魔剣だって事はわかってるんだろ?」

 ファルスはこくりと頷いた。
 明るいところで見ると、魔物は確かに魔性とも言うべき美しさで、夕日のように赤い髪は腰程まで長く、整った美しい顔の中の赤い瞳は宝石のように美しかった。少年とはいっても、胸がないからそう思っただけで、顔立ちだけみればどちらの性別を言われても納得出来る中性的な姿をしていた。

「取り込まれたっていっても、この剣の力を操り支配しているのは僕。つまりその剣は現状僕自身っていってもいい。で、その剣が抜けたって事は、僕がお前を剣の主に選んだって事なんだよ」
「何故……俺なんだ」

 自慢ではないが、平凡を地でいく事だけが取り得のファルスは、そんなものに選ばれるような何かを持っている自信は全く無い。
 言えば魔物はくすくすと笑って、ファルスの傍に寄ってくる。

「別にさー、僕を連れ歩いてくれればいいだけだから、強い戦士がいいとかそういうのはないんだよね。連れ歩いてくれる分には、僕があんた守ってやるし。まぁ、さすが使えなさ過ぎるのは嫌だけどさー、逆に強いやつだと扱い難いだろ? 僕としてはそうだなー、適度にバカで、気は弱めなのが良かったんだよ」

 つまりこの魔物は、自分の言う事を聞く人間が欲しかっただけだった、という事なのだとファルスは理解する。それなら納得出来てしまうところが、我ながら情けなかったが。
 魔物はファルスの目の前までくると、座り込む彼の前にしゃがみこんで、ついとその顎を指で上げさせた。

「あとは、若くて健康で、あんまり不細工じゃなきゃそれでいい。顔はいいに越した事はないけどさ。まー、ゼータクは言わないよ」

 魔物の赤い目がすぐ間近に迫って、じっとファルスを見つめてくる。
 魔性の瞳は見つめれば魅入られたように体が動かない。その、動けないファルスに、魔物の紅い唇が近づき、彼の唇に合わせられる。


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※次は魔物とファルスのH。




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