シーグルの憂鬱な日常




  【前編】



 シーグルは子供の頃からよく医者やら治療師に掛かっていた事もあって、騎士になり冒険者として仕事をするようになった後でも定期的にかかりつけの医者のに診てもらう事になっていた。それだけシルバスピナの跡取りとしてその身を大事にされていたとも言えるが、ある時を境に、『体を診てもらう』というのに面倒な条件が付くようになってしまった。

「うん、体力的な問題はもう大体大丈夫かな」

 最近、シーグルが『この手』の事情で診て貰う場合は、必ずこのウォルキア・ウッド師を呼ぶ事になっていた。そして『この手』の事情で診てもらった場合、彼からの外出許可が出た段階で、必ず次に言われる言葉があった。

「じゃ、念のために後はトーツィンのところに行っておく事。いいかい、今回は大丈夫だろうなんて思わずに、必ず行くんだよ」

 そう言われれば、シーグルはそれに大人しく、はい、という以外ない。行かねばならない事は重々承知してはいるのだが、やはり行くのには抵抗があって気が重くなるのは仕方なかった。

 トーツィンというのは、首都で治療師をやっているウォルキア・ウッド師の知り合いのアッテラ神官の名前である。アッテラの術は、体自体を操作というか肉体に働きかける術であり、有名なところでは戦闘時の肉体強化などがある。そしてまた、その術の性質上、肉体に直接働きかけて怪我を治療をする事も可能であり、アッテラ神官で冒険者引退後に治療師をしている者は実際のところ多かった。トーツィン神官もそんな人物の一人で、昔は上級冒険者としてかなりの名を馳せた人物であったらしい。
 アッテラの治癒術といえばリパの治癒と違い、治療を受ける側の人間の体が持つ治癒能力を高めて治すというのが特徴である。治癒の力を治す本人の体力で行うからこそ体力がある者程治癒効果も高い訳で、当然それは肉体強化の術にも当てはまる。だから、アッテラ神官というのは皆体を鍛えているのが常識と言えるくらいには戦士並の体付きの連中が多い事でも有名だった。
 更にいえばアッテラの治癒術は、治癒の最中もただ術者が勝手に治してやるというのではなく、患者の方が治療すべき場所に意識を向けて治したい部分に力を導いてやる必要があった。だからこそ、実は外傷ではなく内部的な治療にはアッテラの術の方が向いている時もあって、その為ある治療に関しては、リパの治療や魔法使いの治療よりも、アッテラ神官がほぼ専門で行っているという事情があった。

 その、ある治療というの、だが……。

 はぁ、と大きくため息をついて、シーグルは既に3度目になるアッテラ神官の治療師の家の前で心の準備に胸の聖石に手を当てた。
 そうして家のドアを開けると、無精髭を生やしたガタイのいい親父――トーツィン本人が、半分居眠りをしていたらしい顔を上げてこちらを見た。

「お、なんだまたお前さんか。っとに、美人さんってのは大変だな」

 他に人がいる時でなくて良かったとは思うものの、来た理由をすぐに察されるとかなり恥ずかしい。一応、フード付きマントを被って、パっと見では顔と身分は分からないだろうものの、こういう治療の時に他人と居合わせるとかなり気まずいのは仕方ない。

「んじゃさっさとやっちまうか。ほら、入ってきな」

 トーツィン神官は立ちあがると、ちょいちょいと手招きをして奥の部屋へ入っていく。シーグルがそれに続いて中に入れば、後ろでドアがガタンと大きく鳴る。これでこの部屋には誰も入れなくなったと分かると、シーグルはほっと息をついてフードを上げた。

「さて、治療はいつものでいいのか?」

 言いながら勧めてくれた椅子に座れば、トーツィン神官は顎を擦って、「ふむ、そこまで酷い訳じゃないか」と呟く。彼の意図が分かったシーグルはそこで顔を赤くするが、ここまで来て恥ずかしがってる場合じゃないと、そこで背筋を伸ばして彼の顔を見た。

「はいそうです。今回はそこまで酷くない……とは思います」

 そこでトーツィンは、シシシと下品な笑い声を上げてから、にっこりとシーグルに笑い掛けてくる。

 まぁ、早い話、シーグルはここにセイネリアに犯された後処理の治療に来たのであった。
 男が男とそういう行為を行う……事は本来そうすべきではない器官を使う為、どうしても体にとってはよくない影響が出る。ここクリュースでは、国の法律上というか冒険者の性癖上男同士でコトに至ることは珍しい事ではないし、だからそういう治療に需要があるのも当然の事だった。特に、同意があって丁寧に慣らした上ならまだしも、無理矢理の行為はその後のダメージが大きい。だからシーグルが初めてセイネリアに犯された後、体を診てくれたウォルキア・ウッド師は、体力が回復した後にこのトーツィン神官に掛かるよう紹介してくれたのだった。

「相手は前の奴と一緒なのか?」
「……はい」

 どうしてもそれには声が小さくなるシーグルに、トーツィンは苦笑する。

「恋人……って訳じゃないよな?」
「当然です」
「んじゃまた無理矢理なのか?」
「……はい」
「お前さん、相当熱烈に愛されてるんだな」
「相手がしつこいだけです」
「でもなぁ……」

 何か言い掛けて、顎を擦って、トーツィンはそこで話を止めた。

「まぁいい、さっさと治療しちまうか。んじゃ手ェ出して、その部分に意識を向けてくれ」
「はい」

 シーグルが右手を前に出すと、それを両手で掴んだトーツィン神官は小声で何かを呟き始めた。

 この系の治療にアッテラ神官が選ばれるのには、患者の方が治療箇所を意識で導ける分、治療側がその患部を直接見たり触ったりしなくていいというのがある。リパ神官の治癒術では、その部分に直接触れるか、もしくは触れない代わりに痛み等を多少和らげる程度の術しか掛けられない。そして魔法使いの医者の場合は、大抵まずそこに薬を塗ろうという事になる。
 元々アッテラの術は傷や炎症を治すというだけでなく、もっと内部から根本的に治せるというのもある上、上記の理由もあって、この手の治療はアッテラ神官に頼るのが冒険者間での常識だった。その為、元冒険者で治療師をしているアッテラ神官でも、この系の治療に慣れている、もしくは専門にしている者は、首都周辺では実は結構な数がいる。とはいえ、内容が内容であるから秘密を守ってくれる人物でなくてはならない訳で、特にシーグルのように地位がある人間にとってはそれは絶対条件だった。だから信用出来るウォルキア・ウッド師の紹介という事で、シーグルは現在、セイネリアに犯される度にここに足を運ぶ事になっていたのだ。

 とはいえ、アッテラの治療にも少しだけ問題はあったりする。

 そこに力が注がれていくと、じんわりとその部分が熱を持ち出す。じくじくとそこが熱くなって、妙にそこの感覚が鋭敏になる。そうして妙に疼きだして、その部分の肉が自分でもびくびくと動いているのが分かれば、違う熱が下半身から全身へと広がっていく。

 ――早い話が、治療中にその部分がまるでコトの最中のように『感じて』しまうのだ。

「――ッ」

 だからシーグルは治療中、患部に意識を集中しながらも、出来るだけ別の事を考えようと頭で無駄な抵抗をしたりする。唇はずっとめいっぱい力を入れて閉じたまま、歯も噛みしめて、油断すると漏れそうな声をどうにか抑える。今回は気を失うまでされた訳ではないから被害もそこまで酷くない筈で、だから治療も長くは掛からない筈だった。

「よし、終わったぞ」

 その言葉で、やっとシーグルは全身から力を抜く。
 思わず、ふぅと声が漏れてしまって、直後にシーグルは手で自分の口を抑えた。
 そこで、目があった神官がにかっと笑う。

「いやぁ、今日は声抑えきったなと思ってなぁ。あ、前の方がヤバイことなってたら、そっちの部屋なら誰もいないからゆっくり……」
「必要ありません」
「無理はよくねぇぞ、若いんだから当然の事だしなぁ」
「大丈夫ですっ」
「そっかぁ? まぁそんならいいがよ、んじゃごくろーさん」

 からかわれているだけなのか馬鹿にされているのか分からないが、信用出来る人物である事は確かだし、治療内容が内容だけあって今更別の治療師を探す気にもなれない。だからそれ以上文句をいう事もなく、ただじとりと神官を睨んでシーグルは椅子から立ち上がった。

「ありがとうございました」

 それから、いつも通りの治療費を渡すと、その場で軽く礼をしてすぐにその場を去る。とりあえず、ここを出てすぐ、これから行く先は南の森の人気のないところまで。シーグルは一日寝てしまった分だけ落ちた筋力をすぐとりもどさなくてはならなかった。体を鍛えて強くなるため、シーグルは少しも時間を無駄にしている暇はないのだ。
 次こそはセイネリアに負けるものかと自分を奮い立たせ、シーグルは馬を走らせた。




 と、一方、そんな勢いでシーグルが去った後のトーツィンの診療所では。
 静かになった部屋の中で大きく欠伸をして、おっさんになってもいい体を維持したアッテラ神官は、目を半分閉じかけながらも、誰もいない筈の部屋の中に声を掛けた。

「おーい、もうシルバスピナの若様は行っちゃったから入ってきていいぞ。てか、アンタはついていくんじゃないのか?」

 言われて、部屋の中に音もなく入ってきた青年に、現役引退からかなり経ってしまった親父神官は感心した声を上げた。

「おぉ、さすが精鋭揃いの黒の剣傭兵団ってヤツだな。んじゃやっぱ次代シルバスピナ卿にセイネリア・クロッセスが付き纏ってる噂は本当かぁ」

 全身黒尽くめで黒いマントに腕毎上半身を隠した男は、まずはトーツィンを値踏みするようにじっと見つめてくる。灰色の髪に、同じ色の瞳をすっと細めて、確かにそこにいる筈なのに目を瞑るといるのかどうか疑わしいほど、男の気配は抑えられていた。

「別に俺はあの坊やについてろなんて命令は受けちゃいませんよ。ただあんたに一言いっておこうかと思った程度っスね」

 顔は口元を半分布で隠しているため見づらいが、声はかなり若い。

「あれは、ウチのボスの獲物です」

 若いとはいっても、その纏う空気と一見軽い口調に込めた凄みは、相当のヤバイ場数を踏んできた人間でなければ出せないものだった。
 トーツィンは頭をぼりぼりと掻く。

「つまりあれか、あんたんトコのボスが『俺のモノに手を出すな』って?」
「いやウチのボスがわざわざそんな事言いやしませんけど、まぁ内容的にはそういうことッスね、間違ってもヘンな気は起こさないようにお願い出来ますかね」
「あったり前だ、患者に手ェ出すかよ」
「そうっスか」

 それで男は口元を隠していた布を下げ、にこりと笑う。

「それなら良かった。あんたと坊やはこれからも長いつきあいになりそですからね、一応言っとこうかと思いまして」

 それでトーツィンも嫌味のように歯を見せて、にっこりと笑い返してやる。

「まぁ好みだし、状況によっちゃ手ェ出したくなるが、あのセイネリア・クロッセスの本気の相手にゃ手を出せねぇよ」

 そうすれば、灰色の髪の男はその笑みをわずかに不機嫌そうに歪めた。
 トーツィンは口元の笑みを深くする。

「ともかく、俺は忠告に来ただけっスからね。あんたは優秀な治療師ですし、あの坊やには必要な人間でしょうから」

 そう言うと、入ってきた時と同じくやはり音をたてずに、灰色の髪の男はその場を去る。あのドアは音鳴らさずに開けるのは無理だと思うんだがなぁ、などという事に感心しつつ、トーツィンは欠伸しながら背伸びをした。パキパキと固まっていた筋肉が音を鳴らす。自分もすっかりなまったかと思ったりしながらも、口元には何故か笑みが沸いていた。

「……だってなぁ、最初はそらいかにも無理矢理って状態だったがよ、その後からはかなり気ィ使ってすげぇ丁寧にやられてっだろ。ま、坊やは何も気付いちゃいないようだがな」



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軽めの日常裏話的な感じです。
前編のこの話はセイネリアに初めてヤられちゃってから暫くしてくらいの話、0〜2話の間のお話ですね。



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