或る朝の話
クリスマス企画。騎士成り立てシーグルのちょっとしたエピソード。





  【1】



 その日は、冬に入りかけたとても寒い日だった。

 シーグルは西地区の中でも下区にあるヴィンサンロア神殿に、届け物をする為に歩いていた。
 いくら騎士と言ってもまだ成って間もない、それ以上に若すぎるシーグルでは、冒険者として受けられる仕事はそれ程多くないのは仕方ない。貴族の肩書きの所為で信用だけは高い分、仕事がないという事はないが、腕を見込まれるような難度の高い仕事はまずこなかった。
 となれば基本はまず、届けもののような仕事ばかりになるのは当然の事になる。
 それでも普通ならば、戦闘能力においてまだ信用がないシーグルには、危険が伴う場所への仕事はくる事がない筈であった。

 だからこの仕事は、ちょっとした嫌がらせだったのだ。

 治安はいいといわれているクリュースの首都セニエティではあるが、これだけの規模の街であれば、街の反映ぶりを表す表向きの顔の他に、対を成すように表に出れないような連中がたむろする裏街というのが必ず出来るものだ。
 今、シーグルが向かっているのは西地区内の下区と呼ばれる、いわゆるこの街の裏街に当たる場所だった。

 セニエティは北に山を背負った城を起点に、南へ扇型に広がるように街がある為、大まかに言って、西地区、中央区、東地区と分けてそれぞれの地区を呼ぶ事が通例となっている。
 更に、それらの中でも北よりを上区、南よりを下区と呼ぶのだが、その呼び方の通り、どこの地区でも城に近い上区の方が住んでいる人間の生活レベルが高い。
 貴族の館や高位神官、金のある商人などが多く住む東地区、一番の賑わいを見せ、商店やら露店、公共施設等が多い中央区、そして市民の居住区である西地区。
 その西地区の中、西門から中央広場に続いている大通りを境にして分けられる上区は通常の一般市民達の場所ではあるが、下区、とくに南へいけば行く程、生活レベルの低い者達の区域がいわゆる裏街のような扱いとなっていた。

 つまるところ、シーグルのような駆け出し扱いのひよっこに、危険な西地区内の下区への仕事などくる筈がないのだ、本来ならば。
 しかも、この国において貴族は貴族の為だけに特別な法がある程に護られている。貴族の中でも特に血筋的に地位の高い、旧貴族の跡取りであるシーグルを危険にあわせたとなれば、仕事を斡旋した紹介所の責任問題にもなる。
 だから本当ならば、シーグルに対して、そちらの意味でも危険な西地区の下区への仕事など来ない筈だったのだ。

 だが、その仕事を受ける時、紹介所で、シーグルはちょっとした諍いを起こしていた。




「シルバスピナのぼっちゃん、その……お分かりいただけますかな、いくら騎士と言われても貴族の方の場合は……そのですね、それが能力の保証とはならない訳でして……せめてそれを裏付ける評価が伴っていないと、高レベルの仕事を紹介する訳にはいかないのですよ」

 元々この国の貴族は本来が全員騎士である事が前提となっている。その為、貴族が騎士になるには、その能力よりも装備一式と部下を雇える財力の方が重用視される程、騎士になる為の能力的な条件は緩い。
 だから、紹介所の事務局員が言った言葉も当然といえば当然の言葉ではあるのだ。

 だが。

「俺は騎士試験において貴族の特権を使っていない。なれるだけの条件を満たした上でテストに受かっている」
「そうは言われましても……」

 せめてこれでシーグルの体格が、見た目だけでも屈強そうな立派な体つきであったのなら、まだ事務局員も納得してくれたのかもしれない。
 ところがシーグルは、背は15にしてそこそこあるとはいうものの、装備を着込んだ上でさえ見ただけでもすぐ分かる程に細く、世辞にも強そうに見える外見ではなかった。

「まぁそこまでいうのでしたら、ではこの仕事はどうでしょう?」




 ――そうして、紹介されたのがこの仕事だった。
 内容はありがちな、荷物を受け取りに行って、目的の場所まで届けるだけの仕事だった。ベテラン冒険者達が、駆け出し連中の事を小馬鹿にしてよくいう『おつかい』といわれる類の仕事となる。
 ただし、たかが『おつかい』であっても、場所が場所ならば仕事のレベルは跳ね上がる。

 実際のところ、シーグルは今まで西の下区へは足を踏み入れた事がなかった。
 いくら訓練を重ね、この細い体で戦えるだけの力を手に入れる為に並大抵でない努力をした自信はあっても、本当の実践経験は少ないという自覚はある。自分が所詮、世間知らずの貴族の子供だという事は十分に自覚していた。
 
「ヴィンサンロア神殿は、もっと下か」

 早朝の凍えた空気の中、吐き出した息はすぐに白い煙となる。
 地図を確認しながら辺りに注意して、シーグルは家と家の間の狭い路地の坂道を下っていく。
 北が上、南が下と呼ばれる理由の一つに、セニエティの街全体が、北東方面から南西方面に下るようにゆるやかな坂になっている事もあげられる。だから、南西方面へ行けば行く程道も下っている事になり、途中いくつか坂を降りて行く事になる。
 初めて行く裏街の風景は、当然シーグルには見慣れないものばかりだった。
 午前中の早い時間だからか、どの道も人通りは多くなく、人とすれ違う事は稀だった。明らかに酒場のように見える店の前に人がたむろっている姿は時折見かけるが、いかにも人相が悪い性質の良くなさそうな連中や、今のシーグルのようにフードをすっぽりと被って顔を隠している者が多い。

 いくら腕に自信があるとは言っても、余計なトラブルはないに越した事はないという事くらいシーグルも重々承知していた。治安が悪い、というのが分かっている場所に、装備だけは立派ないかにも子供の冒険者が歩いていれば、確実に問題のありそうな連中に目をつけられる事くらいは想像に難くない。幸いな事に、背がまぁまぁあるおかげで、体から顔からマントとフードにすっかり隠してしまえば、見てすぐ子供だと思われる事もないだろう。この寒さにおいては、防寒の役割も果たして一石二鳥だった。
 その思惑は、とりあえず今のところはどうにか成功しているように思えた。
 別段シーグルのように姿を隠している者は珍しくないここでは、そこまで人目を引く事もなく、視界に入った人物が興味を示してくる事はなかった。ましてやこの時期、寒さしのぎにマントで体を隠している者は多い。
 シーグル自身も、あまりきょろきょろとあちこちを見ていると不審に思われると思い、周りの人間には興味のない振りをするよう努めていた。
 それでも、道に不慣れな様子は隠しようがなく、更にはその小柄な姿は、子供と思われなくても嘗められるのは仕方がないかと、後で思う事になるのだが。

「さぁって、迷子みたいだけど、何処行きたいのかな? 案内してあげようか?」

 言いながら、シーグルの前に立ち塞がる男達。
 更には、退路を断つように一人がすかさずシーグルの後ろに回る。
 あわせて人数は3人。ただし、見たところそこまで腕がありそうではない。
 シーグルは努めて低い声で答えた。

「ヴィンサンロア神殿の場所を知りたいのだが」

 男達の顔に笑みが浮かぶ。
 やはり声の調子でまだ相当に若い、という事は見透かされてしまったらしい。

「いいぜ、連れてってやるよ」

 にやけた顔のまま、正面に立つ男が顎でついて来いと指示する。

「いや、それには及ばない。教えてくれるだけで構わない」
「いーから、大人しく案内されとけよ」

 後ろの男が、言いながらシーグルの肩に手を置こうとする。だがそれは、一歩動いたシーグルの所為で空を掴む事になった。
 当然、バランスを崩した男はよろけ、それを見ていた最初に声を掛けてきた男の顔つきが変わる。

「人の親切は素直に聞くもんだぜぇ、可愛くないガキはここじゃすぐ痛い目にあっちまうしな」

 シーグルは口元に笑みを浮かべる。
 素直について行ったほうが、確実に痛い目に合うだろうに、と心の中で言いながら。

「失礼した、気分を害したなら教えてくれなくていい。自力で探す」

 言えば正面の男は、眉を釣り上げ、他の二人に目で指示を出す。
 だが。

「このガキがっ、大人しくついて来いって言ってんだろっ」

 後ろから掴み掛かってきた男を、シーグルは再び避ける。
 今度はすかさず前にいたもう一人も掴み掛かってきて、それを軽くしゃがんで躱す。
 体勢を立て直した、最初に掴みかかった男がまた腕を伸ばしてくる、それも躱す。別方向からきた手を避けて、更に飛んでくる拳を避ける。
 男達の攻撃を、殆ど1、2歩動くかしゃがむだけで避けていくシーグルは、この状態からどうやって逃げるのが一番やっかい事が少ないかを考えていた。

「やめろっ」

 おそらく3人の中ではリーダー格なのだろう、一人立ったままだった正面の男がそう言えば、他の二人の動きがぴたりと止まる。

「引いとけ、てめぇらじゃ相手にならねぇよ」

 リーダーの男は剣を抜く。
 ゆっくりと、見せびらかすように構える姿はそれなりに様にはなっていて、一応、自信ありげなその態度に合う程度の実力はあるようだった。
 シーグルは溜め息をつく。

「あまり、軽々しく抜きたくないんだが」

 剣を抜いた男が僅かに片目を細めた。

「ふん、そう言わずに遠慮なく抜いていいんだぜ」

 フードの下で、シーグルは眉を寄せる。
 抜きたくない、というのは実は二重の意味もあった。
 一つは、こんな連中にわざわざ剣で相手をしたくないというのもあるが、もう一つ、場所的な問題で抜きたくないというのもある。
 シーグルの通常武器は両手で使う長剣である。それを抜いて立ち回るには、この場所は狭すぎた。一方、抜いた男の剣はいわゆる両手と片手の両用で使えるタイプの剣で、単純に言えば刀身の短い両手剣である。戦場ならさほどメリットのある剣ではないが、この手の狭い場所での戦闘には都合がいい。
 長剣を抜いても十分に振り回せるだけの場所がない分、補助武器の短剣を抜くしかないのだが、さすがにただでさえ腕力には自信がない分、短剣で両手武器を受けるのは厳しい。

「ほら、命が惜しかったら抜いてみなっ」

 男が剣を突進しながら突き出してくる。
 それを避けるのは出来はしたが、更に避けようとする道を塞ぐように、男の仲間が体で壁を作る。
 しかも、もう一人の仲間の男もまた体で逃げる場所を塞ぎ、シーグルのマントに手をのばしてその布を掴んだ。
 だが、マントを引っ張られたシーグルは逆にその男に引き寄せられるまま、自ら勢いをつけて体当たりをし、男をひっくり返した。

「この馬鹿がっ」

 倒れた男は、打ち所が悪かったらしくすぐに起きあがれない。
 だからシーグルはその男を飛び越して、彼らから距離を取る。それから、剣を構える。
 その剣は、体当たりした拍子に男の腰から奪った剣だった。
 男達がそれを見て舌打ちをする。倒れていないもう一人の男も剣を抜き、すぐに斬りかかってくる。
 とはいえ、リーダーの男の腕に比べれば、剣を使えるという範疇にさえ入っていない程度の腕だ。シーグルは一度剣を合わせて弾いた後、足をひっかけてその男も地面に転がした。
 その隙を狙ったのか、リーダー格の男が、仲間が倒れた瞬間に剣を伸ばしてくる。
 それをシーグルは体を引いて避けたが、こちらに反撃の暇を与えまいと、男は次々に剣を繰り出してくる。
 シーグルは避けながらも後退し、構えるだけの隙を伺う。そんな中、シーグルが壁を背にした途端、男が顔に笑みを浮かべて少し大きく剣を振りかぶった。だがシーグルは、それに合わせて身を屈め、剣の根本で男の胴、丁度幅広のベルトあたりを叩いた。
 苦悶の表情を浮かべて男の動きがそこで止まる。それからがくりと膝を曲げて地面に蹲る。
 男達の3人ともが地面で藻掻いているのを確認すると、シーグルは手に持っていた剣を石畳の地面の、その石と石の間に向けて突き刺した。

「斬れない剣で助かったな。武器の手入れもしない馬鹿な仲間に感謝しとけばいい」








 建物と建物が密集しているこの辺りでは、道は細く、見える範囲の空が狭い所為か、昼間でもあまり明るい印象は受けない。その所為か、日陰の中、道の隅には昨夜少しだけちらついた雪が僅かに残っているのが見える。
 こんな場所は早く出て行くに限る、とシーグルは遠く感じる空を眺めながら思った。

 途中トラブルはあったものの、その後、無事シーグルはヴィンサンロア神殿を見つけて荷物を届ける事が出来た。
 受け取った神官は見たところ人が良さそうで、シーグルに神殿の中を見ていかないかと言ってくれたが、それは辞退してすぐ帰る事にした。
 ヴィンサンロア神殿は罪人の神だ。だからこそ、罪人が多くいるだろうこんなところに神殿がある。
 もちろん罪人の神といっても罪を犯す事を推奨する神ではなく、罪を犯し、それを悔い改める者を助ける神である。罪を犯したものさえ愛し、彼らに救いを与えるこの神は、見方を変えればリパよりも慈悲深い神とも言われていた。
 その所為か、荷物を受け取った神官はとても穏やかな口調で、聞いているだけで心が落ち着くような声をしていた。ただその所作や口調とは反するように、見た目は髭だらけで少し強面の、腕っぷしに自信がありそうな大男ではあったが。
 おそらく、あの見た目の所為でこんなところでもやっていけるのかもしれない。もしくは昔は本当に暴れ回るような人物で、今は罪を悔い改めて神官になっているのかもしれない。
 ヴィンサンロア神官は、その教えの通り、元罪人が多い事でも知られている。ヴィンサンロア神官になる事で、罪人の罪がある程度許される場合もある為、その可能性は高いと言えた。……勿論、もし本当ににあの神官が元罪人だと言っても、彼を蔑む気などはシーグルにはなかったが。こんな場所に、神官としてわざわざいるだけでも、彼の勇気と信心深さに賞賛を送りたい気分だった。

 いくら雑多な人種を受け入れているこの街でも、やはりみすぼらしい姿の者や西の下区の住人と言えば、それだけで白い目で見られる事は多い。だから西地区でもこの辺りの者は殆ど表通りに出て行く事はないという。
 貧しいなら神にでも縋りたいだろうと思うこの辺りの者にとって、けれども大抵の神殿は上区の方にある。その彼らにとっては、このヴィンサンロア神殿は心情面でかなりの救いになっているのではないかとシーグルは思った。
 慈悲の神と呼ばれ、全ての生き物を愛する主神リパの大神殿は、この街でもずっと北東の、裕福な者達が多い地区に建っている。その教え通りならば貧しい者達にも救いを与えるべきなのだが、大神殿のある地区にここの者達が行くのは辛く、また大抵の神官達はこんな危険な場所へはやってこない。
 金持ちどもの神――一部では皮肉ってそう呼ばれているのも仕方ない、とシーグルは思う。リパの教えと信徒である事に誇りを持っているシーグルとしては、そう考えれば悲しくなるのだが。
 もっとも、今までここに来た事もない自分が、そんな事を言える立場ではないのだろう。やはり、まだ自分は貴族騎士として学ばねばならない事が多い、とシーグルは改めて思った。
 シーグルの家、シルバスピナ家の領地であるリシェにも、ここ程広くはないが、裏街と呼ばれる場所はある。今度その辺りに行って見て来ようと、シーグルは心に誓った。




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