失くした日




  【9】



 今回の件に限ってなら、唯一憎んでもいいのはワーナンではあったのだろう。
 けれど、剣を向けられて、情けなく許しを請うその姿を見た時点で、彼を憎む気はシーグルの中から失せてしまっていた。というか、憎むに値する程の価値のある男ではないと思ってしまった。

 更に言うなら、後にシーグルはワーナンに関して彼の事情も知ることになる。

 ワーナンは若い頃から、その剣の腕と真面目さで、冒険者としても評判の良い人物だった。そしてある仕事がきっかけで貴族に気に入られて騎士になり、騎士団を辞めた後にはその貴族本人に仕える事になった。だが彼は仕事中に些細なミスで怪我をして、その所為で主である貴族本人にも大怪我を負わせてしまい、結果、主の怒りを買って解雇されてしまった。
 それからはすっかりやる気をなくし、怪しい酒場の用心棒もどきをしながら酒に入り浸る生活をしていたという事だ。

 祖父がそんな彼をこの役に選んだのは、もし何か都合の悪い事態になってもどうとでも処分出来る立場の男であったからだろう。シーグルが信頼するだろう程の腕があるのにどうでもいい男、それが祖父には都合が良かったのだと思われた。

 ただシーグルは、事情を知ったからといっても、彼に同情する気にはならなかった。
 どう考えても自業自得としか思えない。怪我が治った後、何故自暴自棄な生活から抜け出そうとしなかったのか。あれだけの腕があったのなら、いくらでもやり直すことは出来た筈だった。かつて騎士団にいたのなら、団に戻るという手だってあった筈――だから結局、自分で自分を諦めただけの男、シーグルの評価はそれ以外にはならなかった。

 そしてシーグルは、その後再び彼に会う事もなかった。







 港街リシェの領主である、シルバスピナの館。その領主本人である現シルバスピナ卿の部屋で、本人を前にしてシーグルは立っていた。
 真っ直ぐ背筋を伸ばして、表情のない顔で、やはり真っ直ぐ祖父の顔を見つめる――今の彼の姿は騎士らしい鎧装備に包まれ、胸鎧の首元には騎士の印であるクリュース騎士団のエンブレムが描かれていた。

「これも、おじい様の予定の内でしょうか」

 皮肉げに口を歪めて聞けば、祖父であるシルバスピナ卿もまた、笑った。

「さぁな。だが、今の状況は好ましくない事態という訳ではない」

 言葉通り、祖父の機嫌は悪くないように思えた。

「私を、壊れた人形としてここに一生閉じ込める気だったのではないのですか?」
「それで壊れるような弱い者だったらな。だがお前は自力で自分の状況を跳ね返した。約束通り二十歳までの自由は、お前がその手で掴み取ったものだ、堂々とその時間を好きに使えばいい」

 この男は、喜んでくれているのだろうか。――シーグルが壊れずにこの場に立っている事を。
 この男は、多少は認めてくれたのだろうか。――シーグルの強さを。少なくとも、騎士として、この家の跡取りとしての役目を果たせると認めてはくれたのだろうか。

「予定はあくまで予定だ、可能性はいくらでも考えていた。予定よりも面白い結果が出たなら文句を言う気はないな」

 予定よりも『面白い』か。
 思わず、シーグルの唇が苦笑に歪む。
 これがせめて、嬉しいとか、好ましいとか、はっきりと肯定してくれる言葉であったなら、もう少し希望が持てるのに。
 相変わらず、祖父の本心はシーグルには分からなかった。

 ワーナンが去って、シーグルがその日祖父に会いに行った時も、祖父は何事もなかったように、いつも通りのその日の報告と明日の予定を聞くだけだった。
 ただ、ワーナンが去った事については、『もう、奴の仕事は終わったからな』と言っただけで、今のように少し機嫌が良さそうではあったが。
 だからシーグルは、祖父は本当は自分を壊すのではなく、こうしてワーナンを逆に追い払う事こそを望んでいたのではないかと思った。いや、そう思いたかった。
 信じていた者に裏切られても、強く跳ね返せるだけの強さを孫が示すのこそが見たかったのだと、もし、そう言ってくれたのなら、シーグルは祖父の全てを許してしまえただろう。祖父からの孫への愛情を、すんなりと信じてしまえただろう。――勿論、シルバスピナ卿はそんな事を言う筈はなく、まるでただの予定通りだというように淡々と、シーグルが騎士となる為の準備と、冒険者となる為、街を出る場合の手続き等を進めてくれた。

 ……ただ、この結果について祖父の機嫌が悪くない事だけは確かで、それがシーグルの救いではあったが。

 祖父は約束通り、騎士になったシーグルに向けて、二十歳までは好きにしろと言ってくれた。思った通り、こちらが果たした約束をこの誇り高い老騎士が破る事はなかった。
 騎士になった祝いとして、新しい装備と馬も用意してくれた。鎧については、シルバスピナ家に伝わる魔法鍛冶製の鎧はもう少し体が出来てからの方がいいという事でそれまでの繋ぎ装備ではあるが、なり立て騎士としては十分過ぎる物だった。

 ――本当は祖父は、自分のこの姿を喜んでくれているのだろうか?
 それは結局分からなかった。そして、それを期待するのを、シーグルは既に止めていた。祖父が何を思っていたとしても、シーグルはもう気にしない事にしていた。
 結局は、結果が全てだ。
 祖父は嘘を付かない。だからこそ、結果を出せばそれ相応の代価はくれる。何かを望むならそれに相応する結果をみせるか、もしくは此方が相応の何かを払えばいいだけだ。血縁の情を望むのではなく、ただの交渉相手だと考えれば、祖父に何も期待をしなくて済むのだから。

 祖父の部屋から出てくると、祖父の一番忠実な騎士が、シーグルに深く頭を下げていた。

「おめでとうございます」
「ありがとう」

 口元に、礼儀程度に僅かな笑みをうかべてそう答えてから、彼からすぐに視線を外してシーグルは歩いていく。
 彼とはこれ以上話す事はなかった。
 それ以上、話す用事など、彼とはなかった。
 おそらく……彼にはそれ以上を望むべきではないから。

 そう考えていれば、彼の言う通り、誰も憎まなくて済むから。



END.

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このシーグルさんが、そのまま本編の0話へと続きます。
多分、一番精神的にすさんでた時期かもしれません(==。



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