賢者の森
<プロローグ・メイヤの章>





  【5】




 ティーダがクノームと共に部屋へ入って行ったのは、まだ昼前の午前中の事だった。
 昼になった時に、昼食の準備をするために一度メイヤも中に入ったのだが、クノームもティーダも食事はいらないと言ったので、自分の為だけにわざわざ作る気にもならず、結局メイヤの昼食はパンに残りもののスープだけで終わりとなった。
 師と仮面の魔法使いはその後もずっと篭もりっきりで、仕方なくメイヤは午後はいつもの日課通りに過ごす事にした。

 ティーダのキスの効果、というか、彼の言うところの”一押し”の効果は絶大だった。

 今まで、少しも成果がみれた事がなかった午後の修行は、あの苦労はなんだったのだろうと思う程簡単に、思うとおりの結果が出た。落ちてくる葉に意識を集中して教えられた呪文を唱えれば、落ちる葉の軌道は思う通りに変える事が出来るようになった。たき火の煙だって、思う方向に動かす事が出来た。
 それらはあれだけ望んでいた成果で、確かに出来た瞬間は嬉しくて心が踊るものの、その成果を一番に伝えたいと思う人の事を考えれば、すぐにその嬉しさも萎んでしまうのだ。
 それどころか、彼らが二人でずっと家に篭もって何をしているのだろうと考え出したりなどすれば、気分が沈むというよりも、なんだか胸が痛い。
 それでもメイヤは出来るだけ二人の事を考えないようにして、修行は続けた。現状のメイヤなら、成果は出て当然、と師は思っている筈。だから、ちゃんと成果を報告出来なければ真面目にやっていなかったのかと言われても仕方ない。根が生真面目な分、そう思われる事はメイヤには耐えられなかった。
 けれど、やはり、ふと手を止めて小休止をした折りには、頭の中に彼らの事が浮かんでしまうのは止められなかった。

 ティーダがクノームと共に家から出てきたのは、もう日が傾きかけた、夕方の時刻にさしかかったあたりだった。







「これは?」

 少し疲れた様子のティーダは、家を出た途端メイヤを呼ぶと、驚く程早くやってきた弟子に少し驚いて、けれどもすぐに笑ってメイヤの手にある品物をおいた。

「つけてみろ、お前用に調整したシロモンだ」

 それは指輪だった。ただし、前にティーダがメイヤの適正を調べるために渡した腕輪とは違って、装飾の少ない、目立たない作りのもので、こうして渡すからにはあの腕輪のような魔法アイテムだろうとは思うが、手に持っていてもあの時のような魔力の放出は感じなかった。
 考えながらも言われた通りそれを指にはめてみても、前の時の、つけただけで体に熱が回るような感覚はまったくない。まさかただの指輪だとは思えず、メイヤは指にはめたそれを角度を変えつつ、何か変わった点はないかと考えながら眺めた。
 それをみたティーダが笑う。

「その様子じゃ大丈夫みたいだな、いいかメイヤ、これから魔法使う時はな、最終的にその指輪をつけた指に意識を集める感覚で使え。そうすりゃその指輪がうまく出口になって、お前の力を引き出してくれる」
「そうなんですか?」
「うん、いうなりゃ、そいつはお前の強固な抑制力に穴あけて魔力の放出方向をそこに固定してくれるモンな訳だ。んじゃま、早速だ、お前に実用魔法をいくつか教えてやる。今まで何度か魔法使わせて見て思ったんだが、お前の利点は精神集中の早さだからな、出来るだけ発動が早い事が生かせるタイプの初歩魔法を3つ、完璧にマスターさせる方向性でいこうと考えてる。いいか、初歩って言ってもなぁ……」

「ちょっと待て」

 楽しそうに話すティーダの後ろから、今家から出てきたばかりのクノームがいかにも不機嫌といった声で彼の話を止める。

「もうすぐ夜になる。あんたは飯食わなくても気にしないだろうが、こっちは昼抜いた所為で腹減ってるんだ。夕飯はそこの坊主がソレの礼にご馳走を作ってくれるって話だったろ……まぁ、ご馳走って部分には期待してないが、食えるものが食えるならいい。俺は腹が減ったんだ」

 それでやっと時間の感覚に気が向いたのか、今更夕方だという事に気づいたような顔をしたティーダは、少し悩んだ後、メイヤに向かって苦笑いをした。

「うん、そういう訳だメイヤ。魔法教えるのは後回しにして、あいつに何か飯作ってやってくれ」

 メイヤはそんな師の様子に少し笑う。

「分かりました、でも、彼にだけ作るんじゃなく、貴方もちゃんと食べてくださいね」

 言われるとティーダは一瞬だけ目を丸くして、そして少しすねたように唇をとがらせた。

「俺は別に食わなくてもいいんだし、こっちは気にしなくてもいいと言ってるだろ……」
「だめです。貴方の生活改善健康化は弟子として決めた事ですから」
「何勝手に決めてるんだ、……ったく、やっぱお前は可愛くねーな」
「俺の歳の男じゃ、可愛いって言われて喜ぶ者はいませんよ」
「ばっか、年上には可愛いって思われてた方がいろいろお得なんだぞ。少し世渡りの勉強しといた方がいいぞお前」
「そういうのは時と場所と相手による、です」
「……お前が俺の事どー思ってるかは分かった」

 放っておけば、いつまでも師弟漫才のような会話を続けそうな彼らの話を止めたのは、不機嫌が頂点に達していた金髪の魔法使いの声だった。

「いい加減にしろ、俺は腹が減ってると言っただろ!」

 古来から、人間、腹が減ると怒りっぽくなる、と言われるのは本当なんだと、この時メイヤが思ったとか思わなかったとか。ともかく、それからすぐにメイヤは夕飯の準備に取りかかる事にした。

 いつの間にか、胸に痛みをもたらしていたもやもやした気分が、自分の中から消えている事にメイヤは気付かなかったが。





「ふむ、坊主お前、少し見直したぞ」

 仮面の魔法使いは、テーブルに用意された食事を見て、まず最初にそう言った。
 恐らく、彼本人は全く期待してはいなかったのだろうが、彼の言うところのティーダが『メイヤがご馳走を用意する』と言ったという話を聞いたからには、出来るだけのご馳走を作るつもりでメイヤはがんばったのだ。師匠が言ったのなら、それに恥をかかせないのは弟子の努めだ。そういう部分に関しては、メイヤは真面目すぎる程に真面目だった。

「こんな森の中だけで取れる材料で、これだけのモン作るのは大したもんだ」

 その賞賛は嫌みでもなんでもないようで、クノームはすぐに大皿に盛られた料理に手をのばすと、がつがつと、あまり品の良くない様子で食べ始めた。
 料理を褒められてうれしい反面、そんな彼の姿には、実はメイヤは少し呆れてはいたのだが。
 師匠であるティーダが、品も行儀もない状態で食べているのはいつもの事だからいいとして、どう見ても服装だけなら宮廷周辺にいるらしいクノームまでそういう食べ方なのはどうなのかとメイヤは思う。
 だから思わず、嫌みのつもりではなくとも、メイヤは溜め息を付きたくなった。

「いい大人が二人してその食べ方はどうなんですか……」

 酒を飲みながら指についた肉の脂をなめていたティーダも、手に持った芋を口の中に放り込んでいたクノームも、その言葉にぴたりと手が止まった。

「本当にお前は可愛くないな。飯は美味く食えれば食い方なんかどうでもいいんだっていつも言ってるだろ」

 少しすねた様子でそう言ってきたティーダに苦笑をしたメイヤは、その言葉に繋げるように言ったクノームの言葉に少なからず驚いた。

「……っていう奴に、俺は育てられたからな。俺の品が悪いだなんだって文句は、そこの育ての親に好きなだけ言うといい」
「育ての親って……まさか?」

 子供の頃と変わらぬ姿のままのティーダ。それが示す意味を分かっていたとは言っても、クノームの言葉にメイヤは驚いた。

「俺はこいつに育てられたんでね。ここに最初に来たのは、前にお前に会った時くらいだった。お前と違ってまともな教育を受ける前にここに来たからな、それで品よく成長なんか出来る訳はない」
「それは確かに……」
「まてメイヤ、お前それで納得するのか?」

 と、酷い言われようにティーダは抗議したが、それは綺麗にメイヤに無視された。
 メイヤにとっては、ティーダの抗議よりも、この仮面の魔法使いとティーダの関係についての方が重要事だったので、そちらまで気が回らなかったというのもあったのだが。

「そういう事だからな。ある意味俺はお前の兄弟子でもある訳だ。せいぜい敬っておけよ、坊主。実際俺はそれなりに敬って貰わないとならない程度には地位も高い」
「いえ、そこは別です」

 あっさりとそう即答したメイヤに、ティーダは腹を抱えて笑いだし、クノームは不機嫌そうに食べる手を止めた。

「ティーダ、笑うな、お前の所為でもあるんだぞ」

 言いながら食事を再開したクノームは、下降した機嫌の所為かさらに行儀悪く手に持った肉を噛みきった。
 それに笑って、最初の印象よりもこの仮面の魔法使いは付き合い易い人物かと思ったメイヤは、もう一つ彼に関して確信している事もあった。

 恐らく、彼がティーダを見る目は、自分と同じなのだろう、と。







 食事が終わった後、片づけは後回しでいいと、すぐにメイヤを外へ連れ出したティーダは、彼いわく、秘密の特訓を始めると言い出した。
 ただし、いざ始めてみればその内容は、凡そ特訓と言える程のものではなかったが。

「よし、今言った3つの呪文は覚えたな?」
「はい」
「うん、やっぱお前は面白いな。制御力がきっかりしてるから、初めてのくせにちゃんと使えやがる」
「……はぁ」
「慣れたら次は杖を作ってやらねーとなぁ。まぁ、今回は杖代わりにお前がいつも持ってる剣でも使うといい」
「でも、杖っていうのは呪文を入れとく為のものなのでは?」

 魔法使いの勉強を始めてメイヤが学んだ知識では、杖というのは、予め呪文や魔法陣を入れておいて術を呪文を使わず使えるようにする為のもので、そうなれば呪文の入っていないただの剣など代わりになるものではないと思えた。

「まぁな。でも、今回教えた術はすごく基礎だから、元々魔法陣もいらなければ呪文だって短い。お前自身が術を安定させるだけの能力があるなら、杖の意味は薄いさ。だからまぁ、意識を集中させるのにあったほうが楽な道具程度だな」
「そうですか」

 納得したような今一つ腑府に落ちないような。少し考え込んだメイヤを気にせず、ティーダはくるりと家に振り向くと突然大声を張り上げた。

「おいクノーム。そろそろ腹もこなれたろ、ここらでちっと寝る前の運動だ。さっさと出てこい、起きてるんだろ? この時間で寝ちまう程いい子じゃなかったろお前は」

 師の行動にぎょっとしたメイヤは、だがそれに、怒鳴り声を返しながら姿を現した金髪の魔法使いを見て軽く吹き出した。

「この歳で子供扱いはやめろっ。なにがいい子だ、起きてるに決まってるっ」

 出てきた彼の姿を見て、満足そうにティーダは腕を組んで頷く。

「よし、んじゃクノーム。早速だがメイヤと軽く手合わせしてみろ。もちろん手合わせって言っても魔法でだぞ」

 笑顔で言ったティーダの言葉に。

「はぁ?」

 と彼の弟子二人は間抜け以外の何者でもないような、気の抜けた声をあげた。

「なんだ、弟子同士の手合わせなんて普通だろ」

 ティーダは二人の反応が分からないというように首を傾げる。
 その彼に、弟子二人は揃って抗議の声をあげた。

「まてまてティーダ。俺とこいつとどれだけ魔力と経験の差があると思ってるんだ、勝負になるわけがないっ」
「師匠、流石に無理です。俺今日やっとマトモに魔法が使えるようになったところですよ?」

 特にメイヤはあまりの事に、顔を青くしてまで目の前の師に言い寄った。
 それでもティーダは勝負をしろと言った言葉を撤回する事もなく、にっこりと笑顔を浮かべて言ったのだ。

「んなの十分分かってるよ。でもメイヤ、お前これが剣の勝負だったら逆に勝てる自信あんだろ?」
「それは確かに……おそらく」

 でも先ほどティーダははっきりと言ったではないか、魔法で勝負しろと。
 そうメイヤが思っている事はティーダも十分理解しているらしく、彼はにんまりとさらに満面の笑顔を浮かべると、メイヤに向けてこっそりと耳打ちした。

「いいか、あくまで攻撃手段は魔法に限定っていうだけだ。後は普段お前がやってた通り、剣の手合わせだと思って動けばいい」
「はぁ……」

 それで少しだけメイヤも納得する。
 本来、一対一で戦う場合において、魔法使いと剣士では魔法使いは相当に分が悪い。攻撃にすべて精神集中と呪文の手間が掛かる魔法使いと、一瞬の勝負で動く剣士では剣が届く間合いにきたら勝負にはならない。だから魔法使い側は近づかれるまでが勝負で、その間にしとめるか相手を無力化出来なければ、ほぼ負けが確定する。

 つまり、魔法使い同士の勝負と思っている相手に、魔法使いと剣士の戦いをしろと言っている……のだろうかとメイヤは思う。

「まぁ……やってみます」

 ティーダがやれと言っているのだから、もし何か問題があれば彼がどうにかしてくれるのだろう、とメイヤは思う事にした。

「いいか、メイヤは剣を持ってるが、それを攻撃に使う事は禁止な。あくまで杖代わりだ。で、クノームはもちろん仮面を外すのが禁止だ、分かってるな?」
「当然だ。まさかそんなひよっこ相手に俺がこれを外す筈はない」
「それじゃ、ま、勝敗は俺が決めるからな。俺が止めたら双方ともにそこでやめる事、いいな?」

 そうして、一人楽しそうなティーダとは別に、困惑顔の二人の弟子は向かいあう事になった。





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