魔法使い達の古い事情
<成長編・1>





  【1】





 首都からは遠い辺境の地、周辺の村人達から『賢者の森』と呼ばれる場所は彼らにとって、人が立ち入ってはいけない禁忌の場所だった。
 けれども人々は、そこが何故『賢者の森』と呼ばれているかを知らない。


「師匠、朝です、起きてください」

 言ってメイヤは一見布の塊に見えるソレに手を伸ばし、その隅を掴んで引っ張る。
 そうすれば、長い黒髪をぐちゃぐちゃに体に絡ませて丸まっている青年の姿が現れる。

「さっみーーーーだろ、毛布返せっ」

 ぐちゃぐちゃの髪の毛の隙間から、緑色の瞳がじろりと睨んでくる。
 それに全く怯むこともせず、メイヤは満面の笑顔を浮かべた。

「おはようございます、師匠」

 それから彼の両腕を掴んで持ち上げ、無理矢理に起きあがらせる。思い切り機嫌悪く睨んでくる緑色の宝石のような瞳を気にする事なく、ぐちゃぐちゃに絡まった彼の黒い髪を軽く解しながら梳いて整えてやって、最後にまとめてから紐で結ぶ。

「おっまえ、本当に最近ますますいい性格になってきたな」
「それはもう、師匠とのつきあいも4年になりますから」

 睨んでくる瞳を少し下に見て、メイヤは彼に満面の笑みを浮かべてやる。
 最初はいつでも見上げていたこの人を、見下ろすようになったのはいつからだったろうか。たとえそれが単なる身長が伸びたせいで、立場はまったく追いついてなくても、メイヤは嬉しくてたまらなかった。

「朝食の準備はできてますよ。さっさと食べてください、今日はクノームさん来るんですから」

 言えばティーダは、『あー……』と面倒そうに頭をかいて、顔を顰めながら立ち上がる。
 けれど立ち上がってすぐ、彼は盛大にくしゃみをすると、ぶるりと体を震わせて両腕を掴んだ。

「何なら暖めてさしあげましょうか?」

 言えばティーダがゆっくりと振り向く。表情はいかにも『何いってんだこいつ』という、それはそれは冷たい瞳そのままで。
 とはいえ、そんな彼の反応も予想済みのメイヤは全く気にしない。笑顔を少しも曇らせる事なく、手に持っていた彼のマントをばさりと肩に掛けてやる。

「冗談です。暖炉の部屋までいけば暖かいですから、早く歩いてください」

 そうすればティーダは文句の一つも出せず、僅かに頬を赤くするのだからメイヤは嬉しくなるばかりだ。その顔のまま少し視線をずらして小さな声で、わかったよ、と呟かれると、その仕草に思わず抱きしめて押し倒してしまいそうで困る。
 自分はこんなに節操がなかったろうかと思うと同時に、それでも抑える事が出来てしまう自分の理性にちょっと寂しくも思ってしまうメイヤであった。
 何度も過ごした同じ朝の風景。その日は、短い秋の終わりの少し肌寒い日の、変わらないいつも通りの朝だった。







 襲ってくるのは風。
 けれど、その時にはもう、メイヤの姿は最初に相手が見ていた場所にはいない。

「くっそ、このガキが」

 金髪に豪奢な仮面をつけた、いかにも偉そうな姿の魔法使いは舌打ちする。
 魔法というのは、狙って、集中して、呪文を唱えて、発動して、と何段階も実際に効果が出るまで手間が掛かる。もちろんそれも、杖にちゃんと呪文と前準備が入っている事前提でだ。
 どんなに杖に入れたその術用のキーワードが短くても、それぞれの段階を踏む為に数テンポ分の動作と時間が必要になる。
 だから、頭で考えるより先に体の感覚で動いている、接近戦の専門職の動きが追える訳がない。

「クノーム、どうした、また外したぞ」
「うるさいっ」

 わかってて野次るあの人もどうなんだ、とメイヤは思いながら、ほんの少しだけ相手の魔法使いである兄弟子に同情する。
 とはいえ、見えている状況程、メイヤが有利という訳でもないのだ。
 元々が剣士のメイヤと、いくら魔力が強くても魔法使いのクノームでは、そもそも一対一でこの距離から戦う事自体が本来ならあり得ない。魔法使いというのは、基本接近されたら終わりというのは常識だ。だから距離があるうちにしとめるか、あるいはしとめられる準備を済ませておくか、どちらにしろ、向こうの間合いに入る前が勝負である。
 とはいえ、そのくらいメイヤが有利な条件でもないと、勝負にならないくらいの魔力での実力差がある、というのもある。更に言えば、クノームは仮面で抑えていて本来の魔力の半分も使えない状況だ。
 つまり、とんでもなくハンデをつけてもらっているのだ。

「メイヤっ、お前も逃げてばっかじゃだめだろよ」

 師匠の野次に、わかっているんですけどね、と呟いて、メイヤは走る。
 足止めができてない剣士に、魔法使いが魔法を当てたいなら足止めするしかない。だからクノームは、こちらの足止めをするためにいろいろ術を駆使している。
 一方メイヤは、動いていれば基本まともに魔法を受ける事はないのだが、こちらはこちらで攻撃を当てる事が難しい。
 クノームもこちらの特性を良く分かっているから、既に近寄った後の罠が彼の周囲には仕込まれている。メイヤには距離があっても当てられるような広範囲の術はないし、そもそも、見えてから対処が出来るような距離で出した魔法など、あの規格外魔力の持ち主に当たる筈がない。
 これはあくまで魔法使いとしての戦いだから、メイヤは魔法を当てないとならないのだ。
 考えている内に、体のすぐ横の地面から土が飛び散る。
 クノームの方は、有り余る魔力にモノを言わせ、当てずっぽうに攻撃を仕掛けて足場を悪くし、こちらの足を鈍らせる作戦に出たらしい。

――まったく、見た目は思慮深そうに見えるのに、雑なんだよなぁ、あの人は。

 さすがティーダに育てられただけある、と納得しながらも、さてどう出るかと思ったメイヤは、また近くにあがった土煙に軽く咳込んだ。

「おいガキ、逃げてばっかじゃ逃げ場がなくなるぞ」

 言いながらひたすら衝撃波の雨を降らせるクノームに、さすがに見ているだけのティーダも顔を顰める。

「おいクノーム、お前なぁ、家の前ぼこぼこにすんなよ……」
「いいだろっ、どうせそのガキがちゃんと直すさっ」

 えぇまぁ直しますけどね、と思いながらもメイヤはある意図を持って逃げ回る。逃げる距離が短くなっていけば、クノームは追いこんだと思ったのか、更に派手に短い間隔で魔法を降らせる。
 本当に魔力量だけは化け物だよな、なんて思いながらも、メイヤの策はそこで完成した。

 メイヤが細かく逃げ回っていた場所は、土の乾いた場所だった。しかもわざと地面をよく蹴りながら走った上に、クノームが派手に魔法を落としたのだから、立ち上る土煙が景色を遮り、そのあたりにいる筈のメイヤの姿を見えなくする。
 更に。

「うわ、げっ、ごふっ」

 それがクノームから見た風上だったのだから、土煙はそのまま彼を襲う。
 それでも、クノームも伊達に、メイヤ相手に何度も手合わせしている訳ではない。咳込みながらも、土煙の中から来るだろうと杖を向けて術をとばす。
 だが、その魔法が土煙に届くより先に、土煙がクノームの前で自ら二つに分かれた。
 どっちだ、とクノームが迷った一瞬が、そのまま彼の隙になる。
 バッと音を立てて、クノームのローブが翻る。
 メイヤの出した風の魔法が、クノームの視界から土煙を払っていた。

「勝負ありってとこだな」

 彼らの師がそういえば、それを無条件に受け入れなければならないのが弟子としての立場、だが。

「おー、クノーム。これでお前8敗な。いっやー、天才魔法使い様がひよっこ魔法使いにこんだけ負けてるなんざ、ギルドの方にゃ恥ずかしくて言えねぇよなぁ」

 などと、傷口に塩を塗るがごとくに、その師匠当人が煽るのだから平和には済まない。

「悪かったな、どうせどれもこれも俺が油断して負けたんだよ」
「っとにお前はなぁ、魔力出すのに苦労がない分、使い方が雑すぎんだよ」
「それはな、育ての親がこれ以上ないくらい、雑でいい加減な性分だったせいだろうな」
「って、俺のせいにすんじゃねーや、このクソガキ」

 全部が師匠のせいとはいいませんが、絶対師匠のせいではあるでしょうね、と心で呟いて、思わずメイヤは頷く。
 ティーダは、たまに顔を出すクノームが、今日は少し時間があると言えば、こうしてメイヤと魔法勝負をさせたがった。
 メイヤ自身は、本物の魔法使いの戦いというのが見れてとても参考になるが、クノームは正直やりたくないだろうと思っている。なにせ、実力差がある分ハンデが酷くて、しかも魔法勝負というにはこちらは色物過ぎる……と面倒くさい上に、手を抜きすぎると恥をかくという状況だ。
 ティーダが言ったのでなければ、嫌だね、の一言で終わってしまう話だろう。
 一応彼の名誉の為に言っておくと、メイヤが8回も彼に勝ててはいると言っても、その倍以上の24回はメイヤが負けているのだ。あれだけのハンデがあるとはいっても、本人が持つ魔力差は比べる方がおかしいレベルなので、彼が勝つのが当然の結果ではある。
 ……まぁ、本来なら、一回だけでもメイヤが勝てれば奇跡という状況なのだが。

「おい、メイヤ」

 さて、昼食前の運動に、と言われて始めた勝負だから、勝負がついた途端、これから昼食と元気良くさっさと家に入ってしまったティーダは置いておいて、家の前の惨状を確認していたメイヤは、声を掛けられて少し驚いた。

「クノームさん?」

 てっきり彼は、師匠と言い合いをしながら一緒に家に入っているとメイヤは思っていた。だから、彼がまだ外にいたのが意外で、ついでにここへくるとティーダにべったりな彼が、わざわざティーダ抜きで話しかけてくるなんて事も珍しすぎて、メイヤは思わず首を傾げた。
 派手な金髪に金細工の仮面、おまけにいかにも地位があるという刺繍入りの豪華なローブと、どこからどうみても目立つ容姿の魔法使いは、振り向いたメイヤをしばらくは何も言わずじっと見つめていた。
 その仮面のせいで表情が分かりにくい彼だが、これだけの付き合いになれば、今はあまり機嫌が良くないというのは分かる。勝負に負けた後だから当然だが。

「ったく……」

 じっと見つめていた仮面の魔法使いが、動いたかと思ったら唐突に舌打ちをした。
 正直何事かと身構えていたメイヤは、さてどう絡まれるのかと更に身構えた。……のだが。

「ほんとに、ついこの間までただのガキだったくせに、魔法みたいにでかくなったよな、お前……」

 そんな、久しぶりにあった父の知人が言っていたような台詞を同じような口振りでいわれたから、なんだかメイヤは毒気を抜かれた。
 てっきり嫌味の一つでも言っていくのかと思った魔法使いは、ため息までついて、メイヤの肩をぽんと叩く。

「お前の魔力じゃ魔法使いにまではなれないかもしれないが、いざ実践となったら、そこらの魔法使いには嫌な相手だろうよ」

 嫌味どころか、逆に認めるような事を言われて、メイヤは完全に思考停止した。いつもの彼を知っているから、言われた事が信じられなかった。
 クノームはそのままメイヤの横を通り過ぎると、ひらひらと手を振って家の中へと去っていく。
 メイヤは呆然とその背中を見送る事しかできなかった。



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ちょっと間が開いてからの久しぶりの新エピソードスタートです。
予告通り、前回から4年後、メイヤさんはすっかり大きくなってます。
このエピソードから、本編というか全体ストーリーが動く感じ……になる予定。




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