記憶の遁走曲




  【10】



 冬の晴れ空は、空気が澄んでいる分、ひたすら冷たく、日差しの割には温かくはならない。それでも歩いていれば息が上がって、次第に寒そうに肩を竦める者は見えなくなる。
 次の日は、朝から予備隊は首都周辺の見回りに行く事になり、珍しくシーグルも朝から隊の方に参加出来ていた。冬場はそこまで遠出もしない為、移動は基本徒歩となる。とはいえ、近場だとしても普段ならばシーグルだけは馬に乗るのだが、今日はシーグル本人の希望で共に歩いているという事情があった。
 そんな訳で、隊列を組んで彼らは森の中を歩いている訳だが、ここ数日は雪が降っていないといっても、街中と違い放置されている森の中ではそこそこに雪は残っているし、ずっと日陰になる場所にはまだ積もってもいる。幸いな事に、雪かきをしながら進まなくてはならないような事態にはならなかったので、一応は順調に進めてはいたが。

「やっぱり隊長は馬乗ってくれば良かったと思いますがね、なんというか、貴方まで歩かせてると落ち着かないです」
「そうなのか。俺としては訓練にもなるし、こうして一緒に歩いている方がいいんだが。……本当はいつも一人だけ馬に乗っているのが居心地が悪かったんだ」

 隣を歩くグスの言葉にシーグルがそう答えれば、前を歩いていたリキレ・サネ・ローンが振り返ってくる。

「さぁっすが若いですなぁ。俺ぁもうこんな長距離歩くとなりゃ、足腰が悲鳴を上げてですね、明日は訓練場の片隅で日向ぼっこをさせて貰おうと思ってるとこですよ」
「そこまでじじぃなら大人しく引退してろ」

 通称ローンじぃさん、の愚痴にぼそりと呟いたのは、彼の隣を歩くバグデンだった。
 まだ若い(?)ボレスのつっこみには全力で反撃するローンじぃさんだが、ローンの次に年長のバグデンにはあまり文句を言ったりしないらしい。バグデンは普段は無口といってもいいのだが、言う時はなかなかに辛辣な事を言う。いつでも顔を顰めているバグデンは、前期で言えばランを少し気難しくしたような感じだとシーグルは思う。

 現状、隊は二列になって歩いている訳だが、基本は前に若手組で、後ろが年長組となっていた。シーグルは隊の一番後ろをグスと並んで歩いていて、だからポジション的にも、近くにいる年長組が話しかけてくる事になる。

「最初からサボる気は感心できないが、無理をしろとまでいう気はない。もし、本気で動くのに支障が出るような状況だったら教えてくれ。対処できるだけは対処するようにする、人間より規則が大事ではないからな」

 シーグルがそう返した事で、ぽかんとあっけに取られたのは、言われたローンじぃさん本人だった。だが彼はすぐににんまりと笑うと、隣にいるバグデンを肘でつついた。

「ったく、年長者思いのいい隊長さんじゃねぇかよ」
「リキレ、孫にやさしくされて喜ぶ爺さんみたいだぞ」
「俺ぁまだ孫はいねーぞぉ」
「計算だと、お前は隊長くらいの孫がいても、まぁ、おかしくはない」

 後は愚痴愚痴とローンじぃさんの独り言が続くのだが、何せ前を向かれてしまったため、シーグルにはよく聞き取れなかった。

 森を抜けて、平原地帯に入ったところで、隊は一度休憩を取る事になる。
 この時期の見回りは歩きで一日で行って帰ってこれる場所であるから、そこまで遠出になることはない。ただ、かわりにほぼ一日中歩き通しになる為、足場の悪さも考えればなかなか過酷ではあった。

「ったく、後期はやる気ねぇ連中の集まりだとは聞いてたが、中々にきついとこはきついもんだ」

 休憩に入った途端、どっかりと倒木の上に座り込んだグスには、隊唯一の女性騎士のラナが文句を言ってくる。

「訓練がお仕事の前期と違って、人手が足りないから見回りの仕事は多いの。だから、普段訓練をサボってるような連中だと、逆に後期の仕事の方がきついんじゃないかしら」

 そこに、何故か機嫌の良さそうな、サッシャンが割り込むように話に入ってくる。

「いやぁ、だから僕もですね、任期が終わって家に帰る度に体力がついたなぁと父に褒められる訳です」
「そ、そうか……」

 グスが顔を引き攣らせる理由は、シーグルも分かるとは思う。
 何せ、この程度で体力がついたと褒められるというのは、騎士としてはどうなのかと疑問が湧いても仕方ないところだからだ。見たところ、サッシャンもここにくるまでで相当疲れているように見えた一人である。それを踏まえれば、どうやって騎士試験に合格できたのかの方が疑問だと言えた。

「家にいるとずっと部屋に篭っているから、騎士になれと父に言われた訳ですが……それはよかったと僕は思っています」

 それでも、晴れやかに本人がそういっているのだから、へたに突っ込みをするべきではないのだろう。そう思って黙っていたシーグルだったが、サッシャンがくるりと満面の笑顔でこちらを向いてきた時には、内心何がくるのかと驚いた。

「特に、貴方の部下になれた事は私にとって最大の幸運です。貴方の姿をこれだけ傍で見れるだけで、部屋の中に篭っていた自分が愚かに思える事でしょう」

 芝居掛かったストレート過ぎる台詞に、正直なところ思い切り引いてしまったシーグルだったが、引いた原因に思い当たって、シーグルの顔は苦笑にと切り替わる。
 つまるところ、パーティ等で、唐突に『貴方の為に詩を作りました』とかいって、勝手に朗読を始める吟遊詩人とよく似ているのだ。

『サッシャンは絵を描くのが趣味だそうです』

 と、傍で耳打ちをしてくれたグスの言葉で、更に大いに納得する。芸術家気取りの者というのは、こういう言い方が好きなのだろう、と。
 だが。

「はい、私は絵を描くのが趣味なのです。なのでぜひ、今度隊長殿のその麗しい姿を描かせて頂きたく――」
「いや、それは断らせてくれ」

 拒否の言葉はほぼ反射的に出ていた。
 サッシャンは、やはり芝居掛かった、必要以上に悲しそうな顔をして、胸に手を当てて言い返してくる。

「なぜですか、貴方のその姿を後世に残しておくこそが、絵を描く者の義務と思いますのに……!」
「申し訳ないが、俺も忙しい。その手の申し出は誰であっても断る事に決めているんだ」

 はっきり言って、そんなものをいちいち受けていたら自分を鍛える暇がない、というのが理由で、シーグルはその手の話は全てそう言って断る事にしていた。特に絵というなら、立場上義務として描かれなくてはならない時もあるのだ。断われる時まで受ける気はないし、半端に受けるくらいなら全部断わる方が公正というものだ。

「しかし、貴方の姿はぜひ残すべきかと……」

 尚も引き下がろうとするサッシャンにシーグルが口を開きかければ、また別方向からの声が入って、一同の視線はそちらに集まる。

「まぁ、所詮絵は絵だ。そのまま本物の姿を残せる訳じゃない。残せないからこそ、今その時の価値がより高いって事になる訳でしょう」

 項垂れるサッシャンの肩を叩いて顔を出したのはアウドで、彼の姿を見た途端、シーグルの体に緊張が走る。

「なんだ、お前さんが自分から人の会話の中に入ってくるとは珍しいじゃねーか」

 そう言ってグスはきさくに彼に笑い掛けるが、シーグルは顔が強張っていくのを隠し切れなかった。それとなく、彼から視線を外して不自然に見えないように気を付けるのが、今シーグルに出来る限界だった。

「なに、賑やかなのが苦手なのは確かだが、隊長殿とはぜひお近づきになりたいと思っていましたから」

 やはり彼の声には警戒するような悪意は感じられない。だがそれは、罪を知らないからこその子供の無邪気さと故とは当然ながら全く違い、好意的に考えれば、彼がこの間言った言葉通り、その手の事に関しては完全に割り切っているからなのだろう。

「へぇ、人嫌いよりも、目の保養の方が優先度は上なのか」

 そう、冗談交じりにいったグスだが、それに返したアウドの言葉で、笑顔が凍り付く事になる。

「それはな。ただ、出来るなら、目で楽しむだけでなく、俺はベッドで隊長殿の全てを楽しみたいと思っていますけどね」

 言い方だけならさらりと言ったそれは、その場全員の笑顔を消し去るには十分すぎる効果があった。
 シーグルもまさか人前でそんな事を言ってくるとは思わなくて、逸らしていた目を彼に向けて、その表情を凝視してしまった。

「という訳で隊長、どうですか、今夜?」

 あくまで笑顔を崩さないアウドの追い打ちの一言で、一度止まっていた面々の時が一気に動き出す。というか、彼がその台詞を言い切るとほぼ同時に、高い乾いた音が澄んだ冬の青空に響いた。

「貴方、隊長をそんな目で見ていたの? 最ッ低の男ねッ」

 声の主はラナで、響いた音は、彼女の手がアウドの頬を叩いた音であった。

「隊長、この男は絶対に隊長の近くに来させてはいけません。隊長の半径5メートル以内には近づけないようにすべきです」
「全くです、このような下品で低俗な男はこの隊の恥です」

 ラナと一緒に顔を真っ赤にして怒っているのはサッシャンで、彼らは二人して両側からアウドの腕を掴むと、シーグルから引き離すように、足の悪い彼らより年長の騎士を連れて行ってしまった。
 シーグルはそれに何も言わなかった。呆れたふりをする事も出来なかった。
 見ている中、ずるずると引きずられていくアウドといえば、冗談交じりの抗議をラナやサッシャンにしているだけで、本気で抵抗をする事もなく大人しく歩いている。彼が本気なら、あの二人くらいは簡単に振り払えるだろうに、茶番のようなやりとりをシーグルに見せつけている。

「ったく、あいつもテスタと似たタイプかよ」

 隣でそう言いながら頭を抱えるグスを見て、シーグルはぎこちなくも苦笑してみせた。

「テスタ程……ふざけるのが得意なタイプとは思えないが」
「そうですねぇ、人と関わるのは苦手っていってたんで、タイプは結構違いますかね」

 シーグルにはアウドという男が分からない。
 シーグルがずっと感じていた嫌な視線の原因は彼であると確信はしているが、それでもシーグルは、未だに彼から悪意と敵意を感じた事はなかった。それが最初はあそこまで怖気がしたのは、おそらく、微かに覚えがあったからなのだろうとシーグルは思っている。はっきりと顔を覚えていなくても、ヴィド卿の屋敷での事を思い起こさせる何かを彼に感じていた、シーグルはそう結論づけていた。

 彼は、自分を犯した。
 ヴィド卿での屋敷の時も、そしてつい先日も。どちらも望まぬ行為だった事は間違いない。だから、本来なら憎んでもいい男な筈だった。

「でもまぁ、悪い奴じゃないと思いますよ。足が悪いって点を入れても、後期組の中じゃ一番頼りになる男だと思います」

 グスの顔から見ても、それが本心から言っているのは間違いない。その意見を、騙されている、と抗議する気はシーグルにはなかった。

「そういえば、足の怪我のせいで、一度騎士団を辞めていたんだったな」
「辞めた、というよりも辞めさせられたような感じだったらしいですがね」

 シーグルは驚きと共に、思わずグスの顔を見返した。

「5年前に……馬が暴走して、足引っ掛けたまま引きずられて、筋を痛めちまったそうでね。でもまぁ、そっからも相当鍛えてどうにかしようとしたらしいんですが、回りは認めちゃくれなかったそうです。守備隊の方にいたって事で、歩く歩調が合わせられないせいで上官からも厄介者扱いされて、仲間からもさっさと辞めろって随分嫌がらせされたようで。それで、在籍するなら予備隊の後期組にいけって言われて、その時は辞めたようなんですけどね。……ま、そのヘンの事情聞けば、奴が人嫌いってのは分かるなと」

 シーグルは考える。けれども勿論、彼が何を考えて、今ここにきて、どんな意図で付きまとってくるのか、その理由を彼本人でないシーグルが分かりはしない。
 今の話を聞かなければ良かった、と正直思わないでもない。
 聞かなければ、彼をとりあえず遠ざけさえすれば、それで一応の安心はできただろうとシーグルは思う。けれども聞いてしまったからには、彼が何を考えてここにいるのか、聞かないで拒絶する事は出来なかった。

――あいつがいたら、俺のこの考えを馬鹿な事だと怒るのだろうか。

 こういう時、ふいにあの男の事を考えてしまうのだから、自分で自分が分からなくなる。けれど今は、思う通りに行動するべきだとシーグルは判断するしかなかった。




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アウドさんの事情をちょい匂わせる感じで。後は隊の連中のとの楽しい(?)様子でした。
次回はまたちょい例の金持ちぼっちゃんカップル(?)のお話。
いや本当に、今回もBLらしい色っぽい流れの話じゃなくてすいません。


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