魔法使い達の円舞曲




  【8】




 チュリアン卿――正式名をレストゥーリア・パダ・チュリアンという――彼にとって、聖夜祭の競技会は、年に一度の晴れ舞台……ではあるのだが、余りにも毎回出場者のレベルが低くて、流石に嫌になってきていた。
 いくら貴族といっても、領地を持たぬ彼がそこまで裕福なはずもなく、賞金や褒賞は欲しいから出場はするのだが、貴族騎士達の不甲斐なさぶりはあまりにも酷すぎた。これなら隊での訓練試合の方が余程やりがいがある、というか、そもそもこんなモノに出る為に砦を留守にするほうがバカバカしいと思うのだが、出ない訳にもいかなくて、相当に嫌になっていたのだ。

 ところが今年は、シルバスピナ家の跡取が出場すると聞いて、彼は楽しみにしてきていた。シルバスピナ家は代々優秀な騎士として国に仕えている、未だに昔ながらの伝統を守り通している家だ。更には、この国の槍騎兵隊の元を作り上げたのはシルバスピナの初代当主で、現在その槍騎兵隊長でもある彼にとってはシルバスピナの名だけでも特別な思いがある。
 入ってくるさまざまな彼の噂を聞いても、次代のシルバスピナ卿のその優秀さには疑いようがない。
 次代シルバスピナとして、そしてやっとまともな実力がありそうな貴族騎士として、彼はシーグルに会い、戦う事を本当に楽しみにしてきていた。だが、いざ首都に来てみれば、出場者名簿を見てその名を見つけられず、期待してきた分の落胆の中で競技会に臨んだのだった。
 幸い、今年はまだ例年よりはマシな試合をいくつか出来たものの、それでも期待が大きかった分の彼の落胆は酷かった。いや、一見イイ試合に見えたのだって、実はチュリアン卿のやる気がかなり落ちていたというのも理由だったのかもしれない。
 今回、優勝者の褒賞としての願いを使ってまで彼がシーグルとの試合を望んだ裏には、そんな経緯があった。
 彼は首都にきて、シーグルのことを多少調べた。調べれば調べる程、実力の方は疑いようがなく、シーグルと勝負をしたい、せめてその実力を見たいとの思いは募るばかりだった。
 だから、競技会にシーグルがきている事を確認し、少なくとも同じ席にいる他の貴族連中とは違う騎士らしいその姿に、チュリアン卿は彼なら受けてくれるはずだと確信し、思い切って言ったのだ。

 とはいえ、このような場合は、本来なら事前に相手に言って了承を取っておくのが当然の事である。今回のように何も言わずこのような指名をした場合、相手にとっては相当に失礼に当たる事も、それ以前に、状況的に断わらせずに半ば強要したともとれる行動な事も十分に承知していた。だからせめて、実際の試合が始まる前に、謝罪と受けてくれた事への礼だけは言わねばならないと、チュリアン卿はどうにかしてシーグルに会おうとしていたのだ。あの場で即試合という事にならないようにしたのだって、出来るだけ互いに気持ち良く、そして万全の体制で試合をしたかったというのがある。
 シーグルがセルゲネット卿の館で準備と打ち合わせをしていると聞いたのは、チュリアン卿も神官達から説明を受けている時の事。その時に知り合いの神官にこっそり部屋を聞いておいた彼は、自分の説明が終ってから、急いでその部屋へと向かったのだった。

 だが、間が悪い、というのはまさにこのことだろう。

「く……あっ、あうっ」

 どこをどう聞いてもそういう意味での悩ましい声に、彼の体は固まる。
 しかも堂々とドアを開けて見て聞いてしまったのではなく、そっと少しだけ開けて覗いている為、これはどういう事だと聞く訳にもいかない。ただ、目の前に見える光景をそのままの意味で受け取るしか出来ない。

 上半身に上着だけ纏った姿の青年が机に手を付き、その曝された下肢には別の男が顔を近付けて何かをしている。

「ん……やめっ」

 その体勢で震える声がそう言えば、彼らが何をしているかなんて一つしか思い浮かばない。気付いてすぐに顔を離そうとしたチュリアン卿は、だが、甘い声を上げるその青年の姿を見て、そのまま魅入ってしまった。
 声を上げる銀髪の青年はまだ若く、体は細く、白い。ただ、細いとはいってもきちんと鍛えている体は、無駄な肉が一切ないだけだというのが分かる。その青年の顔は目を殆ど瞑っていても分かる程整っていて、快感と羞恥に震えるその表情はこちらの下肢に響きそうな程の艶があった。
 ごく、と喉を鳴らした彼は、見てはいけないと思いつつも、その場を離れる事が出来なくなっていた。
 そもそも言っておくと、別に彼は最初から覗く気でこんな事をしているのではなく、シルバスピナの次期当主のいる筈の部屋としては外に警備もなにもいないから、本当にこの部屋でいいのか不安になってまずこっそり覗いた……という理由があった。
 とはいえ今の彼は、何の為にその部屋を覗いていたというのかさえ頭から飛んで、ただ見える光景から目が離せなくなっていた。

「あ、く……もういいっ、いいからっ、いい加減にしろっ」

 叫ぶような、けれどもか細い声でそう青年が言えば、下肢にいる男の肘が持ち上がって、ぴちゃりという水音さえ聞こえてくる。

「あぅ……ん……」
「おーや、感じちゃってますかねぇ」
「貴様……わざと、だろ」
「ついでに前の方も触って差し上げましょうか? 何でしたら、イクまでお手伝いしてもよろしいですよぉ?」
「いいっ、必要ないっ」

 それでも男の手の動きは止まらない。
 銀髪の青年は、声を押さえようとしているのか口に手を当てる。それでも厭らしい水音と共に、時折熱い吐息がくぐもって聞こえて、それが酷く扇情的に耳に残った。
 白い青年の体にうっすらと赤みが差し、益々その体に目がひきつけられる。だがよく見てみれば、体のあちこちには情事を示す跡が見えて、どれだけ激しい行為の後だったんだろうなんて事まで考えてしまうから、彼は急いで想像しようとする自分の頭を思わず振った。
 そのせいだろうか。

「おんやぁ、どちらさまでしょうか、ねぇ?」

 そう言って青年を嬲っていたらしい男が立ち上がって、ドアの方を見てくるに至って、彼は迷う。逃げるべきか、出て行くべきか。

「申し訳ない、部屋を確認するために覗いてみただけなんだ。今見たことは決して他言しないと誓う事は勿論、そちらが気が済むならなんでもするっ」

 それでもここで逃げるのは流石に無礼すぎると開き直った彼は、正直に姿を現した。

「チュリアン卿?」
「本当に、申し訳ないっ」

 頭を下げれば掛けられた声に、恐る恐る彼は顔を上げる。
 銀髪の青年は急いでマントを体に掛けて肌を隠し、それを手で押さえながら、深い青色の瞳を目一杯開いてこちらを見ていた。
 そこで彼はやっと気がつく。
 青年が今羽織っているマントの色に見覚えがあることを。更にそのそばに置かれた家の紋章が入った鎧を見れば、それは疑いようがなく確定となる。
 そして、思い出す。噂に聞いていたシルバスピナの跡取は、銀髪にかなり濃い色の青い瞳を持つ美しい青年である、という事を。

「その、貴方がシーグル・アゼル・リア・シルバスピナ、殿、だろうか」

 青年は困ったように溜め息をついて、そうです、と答えた。
 チュリアン卿はそれで思考が混乱してきて、何も言えずに固まった。
 考えれば、ここにいるはずの人物は、シーグル・シルバスピナであって当然なのだが、どうにも想像と本人が違いすぎて、彼の頭の中は少なからぬ混乱を起こしていた。
 ……確かに、噂では美しい青年だとは彼もよく聞いていた。とはいえ、彼が興味があったのはシーグル・シルバスピナがどれだけ騎士としての実力があるかであって、容姿についてはそこまで気にしておらず、能力から想像出来る人物像を頭に描いていた。だからまさか、こんなに細くて、こんなに色気というか艶というかそういう意味で綺麗な人物だとは夢にも思っていなかった。
 互いに次に言う事が思い浮かばず、気まずい沈黙が流れる中、パン、と小気味いい音を鳴らしたのは、先程までこの銀髪の青年を嬲っていたかと思われた男の手だった。

「えー、とりあえず誤解だけはなきよう言っておきますねぇ。私はシーグル様の文官でございましてぇ、今のこれはシーグル様に薬を塗っていたところであって、決してここでいかがわしい事をしていた訳ではありません」
「そ、そう、でした、か……」

 どうにもぎこちない返事を返すチュリンアン卿に、こほんと一つ咳払いをして、文官の青年は軽く頭を押さえながら更につけたす。

「えぇ、実はですねぇ、シーグル様はこの容姿ですからぁ、その〜下衆な連中に狙われやすくてですねぇ。昨夜それで襲われましてぇ、こうして治療をしているという訳なんですよぉ」
「キールっ」

 さすがのシーグルも目を剥いて怒鳴る。シーグルとしてはまさかここで正直に事実通り話すなんて思いもしなかった事なので、焦るのは仕方ない。

「なるほど……」

 チュリアン卿は、キールと呼ばれた男の言葉を即信じて、そして深く納得した。確かにこの容姿ならば、よからぬ事を考える手合いに狙われるのは分かる、と彼は思う。

「ですからぁ、本日はシーグル様は体調が悪くてですねぇ、なのにこんな事態になってしまって、それでもどうにかしようとこうしていろいろやっている訳なんですよねぇ……」
「それはっ……本当に、本ッ当に申し訳ないッ」

 深く頭を下げたチュリアン卿に、シーグルも困って、言い過ぎたキールを睨む。が、本人はにこりとシーグルに笑顔を返してきたりするのだから、シーグルは本気で頭が痛くなっていた。

「……知らなかったのですから、そこは仕方ない。……ですがせめて、事前に一言言っては貰いたかった」
「申し訳ない、本当に……」

 チュリアン卿としてはひたすら謝る以外に思いつく事はない。実は、事前に言わなかった事にはどうしても断わられたくなかったという思惑も確かにあったため、全面的にこちらが悪いとしか言い様がなかった。それにそもそも、彼は体調が万全なシーグルと戦いたかったのだ、こんな事態だと知っていれば絶対にあんな願いを言ったりしなかった。
 シーグルが溜め息をつく。

「この話はここまでで、頭を上げてください。初顔合わせがこういう状況になったのは残念ですが、貴方の事は尊敬しています、お会いできて光栄です、チュリアン卿。今日の試合は素晴らしかった、優勝、おめでとうございます」
「ありがとうございますっ」

 出された手をチュリアン卿はがっしりと掴み、やはり深く頭を下げて言う。
 シーグルは苦笑するしかなかった。

「本当に頭を上げてください。体調を崩しているのは私の落ち度ですし、全て貴方が悪いという訳ではありません」
「いえ、全て私の非礼が招いた事。こちらが全面的に悪い。貴方の気が済むのなら、いくらでも殴ってください、そうでなければ何なりと言って下さい。私に出来ることでしたら可能な限りいたしますのでっ」

 なかなか頭を上げようとしないチュリアン卿に、シーグルも苦笑を通り越して本気で困っていた。だからシーグルは考えて、そして今度は笑みを浮かべて言って見たのだ。

「それでは、今度、体調が万全の時に改めてちゃんと手合わせをお願いします。出来ればその時は、槍と剣と両方で」

 言われたチュリアン卿は、大きく目を見開いて、それから興奮した顔で持ったままだったシーグルの手を両手で掴み、ぶんぶんと激しく上下に振り出した。

「まさにっ、まさにそれこそ私からお願いしようとしていた事ですっ。ぜひ次こそは、貴方の本当の実力を見せてくださいっ。神速といわれる貴方の剣の冴えも、是非、その時こそは見せてくださいっ」

 あまりのチュリアン卿の興奮ぶりにシーグルは少し困惑して、それから苦笑を返す。

「ただ出来れば、その時はこういう公の席ではない事を望みます」
「何故ですか、その実力を皆に見せないなど勿体ない」
「公な席は……その、無粋な横槍が入る可能性がありますから」

 そこまでいわれて、チュリアン卿もその意味を理解する。今までは、貴族騎士といえば余りに使えない連中ばかりが多かったせいと、そこまでの地位の者がいなかったせいで試合に口を挟まれる事はなかったが、シーグルの存在は貴族院からすれば別格だろう。真剣勝負をしたくても、貴族としては底辺のチュリアン卿ではさせて貰えない可能性も高い。

「今回、何も言われなかったのは、もしかして貴方が何かおっしゃったからですか?」

 だからいくら月の勇者といえ、今回の試合だって、上が何かいってきてもおかしくないと彼は考えた。

「そりゃぁですねぇ、やってきた偉いさんにこういう席は余興だからっていってですねぇ、シーグル様と私で言いくるめましたからね」

 シーグルが言いにくそうに黙っても、嬉々として言ってきた魔法使いらしい文官の青年の言葉には、チュリアン卿も苦笑するしかない。どうやら、シーグルと勝負をしてみたいという思いのせいで、状況やら立場やらを考慮しなさすぎた、と彼も反省する。

「ではまた、別の時に。絶対に、お願いします」

 そうして、もう一度シーグルの手を片手で握って握手を交わすと、彼は今度こそその手を離して一歩引き、姿勢を正してシーグルに深く頭を下げた。

「それと失礼しました。順序がおかしいですが、今回、貴方に断わりなくこんな指名をしてしまった非礼をお許しください。そして、それでも受けて下さった事を感謝致します」

 そこまで言って顔を上げた彼は、今度は少し寂しげに微笑んだ。

「今回、こんな無茶を通してしまったのは、どうしてもシルバスピナである貴方の槍をうけてみたかったからです。本当は本戦で貴方と戦える事を楽しみにしてやってきたのですが……それが叶わなかったもので。毎年毎年、月の勇者と称えられはしても、称えられるに値する試合など出来ませんでした。ですが今年は貴方の噂を聞いて、ぜひ、騎士としての貴方と戦ってみたいと思ったのです。ただ、私の考えは浅はか過ぎました。確かに本戦で当たったとしても満足のいく試合は出来なかった可能性が高い」

 そう言われれば、シーグルも彼の気持ちが分からなくもない。
 シルバスピナであるシーグルの……とわざわざ言うからには、彼は槍騎兵隊とシルバスピナ家の繋がり――家の紋章が槍と拍車である意味が分かるのだろう。
 だが実際のところ、シーグルは槍の扱いに関してはあまり得意ではなかった。
 クリュースの槍騎兵部隊は、戦場において攻撃の要であり、一番名誉ある役目を果たす隊ではあるが、一番危険な役でもあるため、近年は実戦部隊に旧貴族の直系が入る事は許されなくなっていた。当然、シーグルも槍に関しては主に試合に出るためとして訓練した程度のもので、更に体格的にも向いていないため、あまり触る機会がなかった。
 それでも、彼にここまで言われれば、シーグルが返す言葉は他にない。

「今回は万全とはいかないかもしれませんが、それでも私の全力を尽くすことはお約束します。ですので貴方も、全力の姿を私に見せてくださるようお願いします」

 手加減は無用とのその言葉を受けて、チュリアン卿は感極まったように唇を噛みしめて、その場でまた深く礼をした。




---------------------------------------------

後1話。もしくは1話+おまけくらいかと思われます。
二人の試合シーンはちゃんと書いてるBLとしては脱線すぎだと思いますので(汗)、ほぼすっ飛ばす予定です。
まさか期待してる人いないと思いますが、一応。



Back   Next


Menu   Top