吟遊詩人は記憶を歌う




  【5】


 朝早い騎士団の訓練場は、しんと静まり返っている。
 今日はまた随分早く起きてしまった、と思いながらやってきたシェルサは、思わず我が目を疑った。
 朝の冷たい空気の中、たった一人、静かに動くその人物の姿。
 静かに、とはいっても、その動きは速く激しく、ただ無駄が一切ないからこそ、動作に音が殆ど伴わないだけだ。
 完全に集中している彼は、シェルサの気配にさえ気づいていない。普段なら、一人でいても誰か来るとすぐ分かって顔を向ける彼には珍しい事で、彼もこの時間に人がくるとは思っていなかったのだろうと思われる。それくらいの、まだ誰も起きていない早い時間だった。
 いつも以上に緊張感を纏い、ただ集中して剣を振るシーグルの姿に、シェルサは考える事もなく自然に見入っていた。
 正確に揺れなく伸ばされる剣筋は、あまりにも鋭く、迷いがない。余計な計算をするまでもなくただ体に覚えこませた正確な動きは、どの動作の合間にも隙は見えない。
 なのに、分かる。
 シーグルの動き、仮想敵に合わせて繰り出される刃の煌きはどれも相手へは届かず、常に劣性なのだと。集中するその動きは、けれども苦しそうで、どれもが有効打にならないからこそ、あそこまで必死で、気迫に満ちているのだと。
 息を継ぐ事さえ忘れる程張り詰めた空気の中、耐えられずにシェルサは大きく息を吐き出す。ぷは、という気の抜けた音と同時に、シーグルの動きが止まった。

「シェルサか」

 剣を下して振り向いたシーグルに、反射的にシェルサは頭を下げた。

「す、すいませんっ、邪魔をしてしまって……」

 あれだけの集中を切ってしまった事に狼狽えて、シェルサは頭を上げる事が出来ない。そんな彼に、シーグルの笑った気配が返る。

「いいさ、気にしないでくれ。しかし今日は随分早かったんだな。この時間なら暫く誰も来ないと思っていたんだが」
「あの……今日は早く目が覚めてしまったので」
「そうか、それですぐここにくるとは、本当に熱心なんだな」

 隊長程ではないです、といつもなら答えたろうそんな言葉を飲み込んで、シェルサはまだドキドキと早い鼓動を刻む胸を落ち着かせる為に深呼吸する。そうしてからやっと顔を上げた彼は、敬愛する彼の上官が、視線を遠くにして考え込んでいる姿を見てしまって、また掛ける言葉を失う。
 そういえば、今日の彼は最初から兜をつけていなかった、と。いつもなら真っ先に気になるそんな事さえ今気づくくらい、シェルサは先ほどまでの彼の纏っていた空気に圧倒されていた。
 シーグルは強い。
 シェルサの知る範囲では、剣で彼の上を行く人物をみたことがない。けれどもきっと、彼にはそれでも勝てない相手がいる。彼はその人物に勝つ為に、あそこまで必死に強くなろうとしているのだ。それがわかってしまうくらいには、シェルサも訓練を積んで来ていた。
 普段、あまり強い感情を露わにしない彼が、あれだけの気迫で挑むくらいの相手。そんな者、シェルサには想像もつかない。
 そして、あれだけの強い意志で剣を振るシーグルに、少しでも近づきたいと思う事がそもそも間違いだともシェルサは感じてしまっていた。
 シェルサはこれでも、自分の出来る精一杯の努力をして強くなろうとしてきた。それでも彼に追いつけないのは、才能と努力してきた今までの年月の差だと思っていた。けれど、一番違うのは、努力や才能以前に、強くなろうという意志というか執着の強さではないだろうか。あれだけの強い心で剣を振る事は、シェルサには出来ない。そう考えれば、シーグルがとても遠く感じられて、なんだか泣きたくなってくる。自分が情けなくなってくる。

「どうしたんだ? シェルサ」

 急に顔を顰めて俯いてしまったシェルサに、シーグルが驚いて声を掛けてくる。
 シェルサは涙を出さないように、無理に笑顔を作ろうとして強張らせた顔を上げた。

「何でもありません、大丈夫です」

 泣くのを我慢している分、言葉の呂律が怪しくなる。

「何でもなくはないだろう。どうしたんだ?」
「何でもありまひぇんっ」

 更に声がおかしくなったシェルサに、シーグルが明らかに困惑を返す。
 だから何か彼に言わなくてはならないと思うのに、何か言ったら本気で泣きそうな分、どうしようもできない。
 そんなシェルサの様子に、シーグルは暫くはただ本気で困っているらしく困惑顔をしていたが、それでも軽く表情を和らげると、今度は少し穏やかな声で言ってくる。

「そうだシェルサ、今回の件なんだが、本当に、ありがとう、感謝している」
「へ?」

 頭の切り替えが出来なかったシェルサは、本気で一瞬、『今回の件』の意味が分からなかった。

「皆で懸命に調べてくれたんだろう。なのに、最後に途中で止めさせた所為で、納得できないで終わったんじゃないかと思ったんだ、すまなかった」

 あぁ、と思わず呟いてから、シーグルに謝られてシェルサは焦る。

「いえいえいえっ、あのっ、俺全然気にしてませんからっ。隊長がいいならいいんですっ、はい、その、謝って貰う事なんか全然全くありませんのでっ」

 確かに報告前には、ちゃんと目的の人物を特定するまで調べようと若手3人は言っていて、グスにまず報告してからだと宥められて納得いかずにもやもやしていたという部分はあった。だが、報告後、シーグルの部屋から出た後は、とりあえず皆満足してしまったというのがあるので、未だにシーグルがそこを気にしてくれているとは思わなかった。

「あそこでもういいといったのは、実は、その人物に心当たりがあったからだったんだ。だから、もう分かったのでいいという意味だった」
「そうなんですか」
「あぁ、だから皆が調べてくれたのは無駄ではなかったと、それだけ伝えておこうと思った。流石にわざわざ呼び出してまでいう事でもないし、皆の前で言う事でもないから、お前から他の2人にも話しておいてくれないか」

 それに、はいっ、と感激込みで気合を入れて答えたシェルサは、直後にふと思いつく。

「……もしかして、今朝こんな時間からここにいるのって、俺にそれを言う為だったんでしょうか?」

 シーグルは少しだけ照れくさそうに口元を歪ませた。

「あぁ、朝一はいつも自分だと、この間お前が言っていたからな。だから今朝は起きてすぐこっちに来たんだ」

 あぁ、やっぱり早起きが得というのは本当だったんだ、とまたひとしきり感動した後、シェルサは深く礼をする。

「用件はこれだけだ。俺こそ折角早く起きたお前の邪魔をする訳にはいかないから、後は気にせず始めてくれ。それとも、まず少し俺と剣を合わせてみるか?」

 いつもならそこで即答で返事を返すところだが、今日のシェルサはそこで言葉を詰まらせる。
 シェルサを相手にする場合、シーグルは適度に手を抜いて、反撃出来るだけの隙を作ってみてはこちらにアドバイスをしてくれる。それは、こちらにとってはとても有益ではあるものの、シーグルにとっては全く訓練の意味のない事ではないだろうか、とシェルサは思う。あれだけ必死に強くなろうとしている人の邪魔をしているだけなんじゃないかと、そう思えば、お願いします、といつものようにシェルサは返事が出来なくなっていた。

「どうしたんだ?」

 だから、不思議そうに聞き返してきたシーグルに、シェルサは顔を俯かせる事しかできない。

「俺、が、相手だと……隊長は全く訓練になりませんから……その、俺は……」

 シーグルは少し困ったように眉を顰める。それから、軽く苦笑する。

「そんな事もない。他人の動きを見るというのは、結構勉強になるんだ。頭の中の想定だけと違って実際の他人の動きは想定外があり得る、それで自分の悪い部分が分かったり、思わぬ発見があったりする。だから、こちらにも無駄になったりはしない」
「でも、俺じゃ弱すぎて……」

 そういわれてさえ、シェルサは自分に自信が持てなかった。
 シェルサはシーグルの為になりたかった。強くなろうとしているシーグルの邪魔はしたくないのだ。彼よりもずっと劣っている自分の為に、彼の時間を取らせる事はさせたくなかった。

「弱い強いだけじゃないんだが……。なぁシェルサ、どんなに一人の人物が経験を重ねたとしても、世の中の人間全員の経験を丸々全部経験する事は不可能だ。つまり、他人には必ず自分が知らない経験があって、そこから生まれる考えがある。だから他人は、絶対に自分では思いつかないような事をする可能性がある、そういう意味で、他人と剣を合わせる事はそれだけで意味があると俺は思ってる」

 はぁ、と気のない返事をしながらも、シェルサは改めてこの自分より年下な筈の青年に、感心というか感動してしまう。

「なんというか、すごいですね、隊長は。なんでも全部自分の為に出来るというか……あぁいやそうじゃなくって、意味を持たせられるというか……だからこそ、何でも手を抜かずにやれるんでしょうか」

 言えばシーグルは少し寂しそうに、顔に自嘲の色を浮かべる。

「そうだな……。そうでも思わないと、ここまでやってこれなかったから」

 その言葉の意味はシェルサには分からない。貴族の跡取りとしていつでも決められた道を強制で歩かされ、それでもそれに意味を見出して意志を萎えさせなかったシーグルの気持ちは、ただ騎士に憧れて頑張ってきたシェルサには分からなかった。
 それでも、シーグルの言葉で少しだけやる気が戻ってきたシェルサは、やっと表情に笑顔を取り戻す。

「なら俺、自分の頭で考えて、訓練して、少しでも強くなれるよう頑張ります。それで少しでも隊長の為になれるようにしますっ」

 頼む、と今度はただ微笑んだシーグルの笑顔の美しさに、シェルサは感動して背筋を伸ばして礼をした……だが。

「きっといつか、隊長が勝ちたい人に勝てるように、俺、少しでも役に立てるよう頑張りますっ」

 そう、言った言葉は、口を滑らせたという類のもので。
 途端に、シーグルの表情が険しく顰められたのを見て、シェルサも自分の失態を知った。

「どれだけ俺が強くなったとしても、勝てない相手だとしても、か?」

 それが何を言われているのか、どう返せばいいのかもわからなくて、シェルサは思わず固まる。
 シーグルは軽く目を伏せて自嘲気味に笑ってから、ゆっくりと目を開いて、視線を遠くに投げ、どこか分からないところを凝視するように睨んだ。

「それでも、俺は勝たなくてはならないんだ。俺があいつに返せるのはそれだけだから」

 呟いた言葉は小さすぎて、シェルサには正確に聞き取る事は出来なかった。
 シーグルはすぐに背を向けて距離を取ってしまったから、シェルサも何を言ったのか聞き返せなかった。
 ただ、剣を合わせたシーグルの気迫がいつもと違う事だけは分かって、すぐにシェルサの頭からは先ほどの呟きへの疑問など吹き飛んでしまった。だから、結局後になってそれを思い出す事もなく、シーグルの呟きはシーグル本人だけの心に留められただけだった。



END.

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シーグルとシェルサのやりとりだけだから短い……と思ったら普通に1話分になりました
今回は隊の中では割とシェルサ君が活躍(?)した、という話にしてみました。


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