復讐者という名の予兆
<番外編・セイネリア×シーグル>


「その濁りない青に」と「愛を語るは神官の務め」の間の話。
ウィアと知り合うちょい前あたりのシーグルとセイネリアの話です。





  【1】



 赤い布を頭に巻き、更に赤いマスクで口元をも隠す。
 そこまですれば確かに顔が分からないが、そんな目立つ格好で不意打ちとは馬鹿にしている。そう思ったシーグルは、兜の下に隠された端正な顔を不快そうに顰めた。

 一見同じ人物に見える程、同じ格好をした同じくらいの体形の二人の男。

 一人が斬りかかって来る、が、これが囮だという事はシーグルには分かっている。案の定、剣を受ければ男の影からもう一人が姿を表し、真っ直ぐに脇に向かって剣が伸びてくる。
 シーグルは僅かに体をずらし、腕の装甲の端に当てて切っ先を弾く。鉄板の曲面で弾かれた所為で、相手はほんの僅かにバランスを崩す。それを見て、シーグルは剣を合わせていた男を後ろの男のほうに向けて剣毎押した。男同士が接触してバランスを崩し、彼らの足元がもつれる。

 それでも流石に、一応、プロというだけはあるらしい。

 後ろの男はわざと後ろに倒れ込み、剣を押された方の男は倒れそうになった足を踏ん張って剣を押し返してきた。その間に倒れた男は立ち上がる。立ち上がって、シーグルの視線からまた前の男の影になる位置へ移動する。
 それが彼らのやり方とは思っても、同じ手を使う辺りがプロでも実力の程が知れていると、シーグルは口元を歪めた。

 ――これで、殺すつもりとは馬鹿にしている。

 シーグルは押し合いになっていた剣から力を抜く。勿論そうすれば押していた相手が体勢を崩し、自分の方へ倒れ込んでくる。その男の腹をシーグルは蹴った。
 腹を蹴られれば男は腰を曲げる。
 そうすれば、後ろに隠れて、今、まさに攻撃をするつもりだったもう一人の男の姿が現れる。
 シーグルの剣が正確に、その男の腹を突いた。


 □□ □□ □□ □□ □□ □□


「さすが、基本に忠実だな」

 機嫌の良さそうな声でそういったセイネリアに、カリンは短く相槌を打つ。
 馬に乗った二人の影が、森の高台の上から、シーグルとその襲撃者達の姿を見ていた。

「鎧を着てないように見える連中でも、胸は防具をつけている可能性が高い、おまけに骨に邪魔される。全身甲冑でない連中の場合、仕留めるなら腹を突くのがセオリーだな」

 再び彼女は相槌を打つ。だが、すぐに疑問も浮かんだ。

「彼は、もっと甘い人間かと思っていました。人が斬れないタイプかと」
「そうでもない」

 お気に入りの騎士の青年を見るセイネリアの顔は、いかにも楽しそうだった。
 高台とはいえ離れているここは、向こうからは見つけ難い。とはいえ、馬を走らせればそこまで掛かる距離でもない。何かあれば彼を助ける事も可能な位置で、セイネリアはシーグルが襲われてその襲撃者を撃退するまでの一部始終を見ていた。

 セイネリアが自分のものだと宣言した所為で、シーグルは今、いろいろな勢力に狙われている。
 彼を使えばセイネリアを動かす事が出来ると考える者、もしくはセイネリアに恨みがある者。今のところそういう連中が送った手の者は、悉くシーグルが自分でどうにかしてはいた。

「あいつは他の連中と違って、正式な騎士様の教育を受けてるからな。本来は化け物相手じゃなく、戦場で人間が相手の戦い方だ。つまり、人殺しの方法を子供の頃から習ってきてる訳だ。……お前達のようにな」

 喉を震わせてまで笑うセイネリアの言葉に、納得は出来るものの、どこかまだしっくり来ないものがカリンにはあった。それが表情となって出た彼女の顔をセイネリアが見る。

「そう見えないか?」
「我々とは違うと思います……人を殺す覚悟が」
「まぁそうだな。覚悟というか、あいつの場合殺すには条件が必要だ。暗殺者ではなく兵士だからな」

 言ってセイネリアは、眼下のシーグルにまた目をやる。
 刺された男を庇って、もう一人の男がシーグルから距離を取る。それを見ているシーグルは、構えてはいるものの追いかける気があまりないように見えた。予想通り、男達が逃げればそれを追おうとはせず、気配が消えるまで見送った後に彼は剣を鞘に戻した。

「やはり、甘いですね」
「リパ教徒だしな」
「慈悲の神……そんな教えを守っていたら兵士にはなれないのでは?」

 セイネリアがカリンの顔を見た事で、彼女は自分の口調が明らかに不機嫌そうだった事を自覚した。主に対して口答えをするつもりはないが、そう取られても仕方ない態度だったと顔を青ざめさせる。
 その様子をみたセイネリアが口元を歪める。

「お前達のように、と言われたのが気に入らないか。……いいぞ、今日は気分がいいからな、言いたい事があるなら言ってみろ。リパ教の教えに関してはちゃんと都合良いようになっててな、『自分が生きる為なら殺していい』という教えがある所為で、いくらでも解釈のしようがある」

 最近、シーグルのことを話している時のセイネリアは前以上に楽しそうだった。
 それにさえも、彼女はどうにも妙な違和感を感じていたのだが。

「……つまり、殺そうとしてきた相手は殺してもいい訳ですか」
「そんなところだ。鏡みたいなモンでな、殺そうとしてきた相手、特に相手がプロなら殺すつもりで戦う。だが、戦う気がないもの、戦う力がないものには剣を引く」
「……建前を忠実に守っている辺りは、甘いです」
「それも確かだ。何せあいつは人間相手の実践経験が少ない。余裕がある場合は、相手を殺さないように加減してるのは確かだな。現に今のも、致命傷に見えて僅かに外したな。大方、すぐ治療しなければ死ぬぞという脅しのつもりだろう」

 笑みというより苦笑を浮かべながら話すセイネリアは、それでも楽しそうに見えた。
 カリンは肩の力を抜くように、息を大きく吐き出した。

「確かに、今回の相手は殺す気でしたね、だからあそこまでやった、でも結局は見逃しましたが」
「殺してもいい、くらい言われていたようだな。何処の手の者かは後で調べさせておこう。まぁ、あいつにしてはよくやったさ。あそこで逃げるという事は、向こうも無理なら手を引くつもりがあったんだろ、脅しとしては十分だ」

 眼下のシーグルは馬を呼んで乗るところだった。
 それを見たセイネリアは、自分の馬の鼻先を元来た道の方へと向けている。気が済んだという事だろう。彼が今日、わざわざここまで見に来たのはただの気まぐれだった。
 シーグルが狙われていても、助けろ、とまでは彼は部下達に命じていない。ただ、報告役はつけているから、彼を放置する気ではないのは分かる。

 どうにも、今回のお気に入りの扱いは、カリンにとって疑問ばかりが残る。彼に関しての主の行動は、何処からしくない違和感のようなものを彼女は感じて仕方なかった。
 セイネリアの馬が歩き出す。
 カリンは、遠ざかっていくシーグルをちらと見ながらも、そのセイネリアに続いて自分の馬を歩かせる。後は報告役が彼を見ている筈だった。

「あのままでいいのですか?」

 前を行くセイネリアにカリンが尋ねれば、彼は即答で返してくる。

「構わん」

 きっぱりと言い放った主の返事に、だが、カリンはやはりどこか引っ掛かるモノを覚えていた。
 とはいえ、セイネリアの口調や態度からは、特に違和感のようなものを感じる訳でもない。

「自分の身くらい守れないようなら、そのまま自由にさせる価値がないからな」

 つまり、彼が敵の手に落ちるようならば、セイネリアはあの青年に興味が無くなるという事だろうか。
 初めてそこでカリンは得心する。そして僅かに安堵する。

「自分の身を守らせる為に、わざわざあんな事を人前で宣言したのですか……」

 カリンがずっと引っ掛かっているのはその事だった。
 彼を自分のものだと回りに知らせれば、彼がセイネリアを狙う者たちの標的になることくらい、この男が分かっていない筈はない。常に彼を自分の保護下に置いておける状態であるならまだしも、現状ではただ彼を危険に晒しているだけである。
 だからセイネリアが何故そんな事をしたのかが、カリンには分からなかった。
 それが、彼を戦わせる事自体を楽しむ為、というのならば理解が出来た。
 だが。

「それもある。だが、本来の目的は、あいつが俺の元に自ら来ざる得なくする為だな」
「どういう事です?」

 嫌な予感がして、カリンは即座に聞き返す。
 セイネリアの琥珀の瞳が、昏い、けれども本当に嬉しそうな笑みに細められている。滅多に見る事のない主のその表情に、カリンは胸の内の重い感覚が更に増すのを感じた。

「あいつに関しては、壊して手に入れるのでは勿体ない。壊さなくても俺の元に来るようにする。あいつが、自分で自分の身を守れないと自覚すれば、俺の元に来るしかなくなるだろう?」

 カリンはそこで口を閉ざす。
 これ以上の質問は、主に対する口答えになると彼女は判断したからだった。

「悔し涙を流しながら抱かれるあいつがいいんだ。言い成りになるあいつではつまらん。自分の力に歯がみして、嫌々俺に従うくらいが丁度いい」

 セイネリアは、まるで恍惚とするように口元までをも歪ませる。
 カリンの心は晴れなかった。
 彼女の不安は、そこまでして彼を手に入れようとするセイネリアの執着だった。今まで彼は、そこまでの執着を他人に見せた事などない。主はそれに自ら気付いているのか、それが不安だった。








 首都セニエティの街中でも、人の多い通りから一本裏道に入った狭い通り。
 表通りが近いから治安が悪くもなく、けれども表の賑わいに比べて落ち着いた趣(おもむき)のある通り沿いには、こじんまりとした個人商店が点在している。
 夕方になれば、酒の入った連中で騒がしくなる酒場の多いこの地区も、日が落ちるには少し早いこの時間ならまだ静かものだった。シーグルは、並ぶ店の中の一つに入ると、カウンターの女主人に一声掛けて金を置き、外の席の目立たない角席に座り込んだ。
 程なくして、女主人がシーグルの席にトレイを持ってくる。
 トレイの上には、スープと少量のパン、それに水。
 だが、木製のコップの中身に違和感を覚えたシーグルが、顔を上げて女主人の顔を見る。

「ただの水でいいんだが」

 基本が仏頂面の女主人は、そのシーグルの顔を見て僅かに笑みを浮かべた。

「安心おし、飲めないのは分かってるから。それは酒じゃなくてただぶどうを絞っただけの汁を薄めたものさ。疲れてる時は少し甘いものをとるといいよ。私のサービスさ」
「……ありがとう」

 大人しく礼を言ったシーグルに、女主人は笑みを深くしてカウンターに戻っていく。
 常連という程ではないが、こんな半端な時間に何度か来ていれば顔を覚えられる。騒がしさを避ける為、シーグルはいつも普通の者より早い時間に夕飯を摂るのが常だった。
 どちらにしろ、空腹を感じて食べたいから食べる訳でもない。ただ、一日に一回くらいは食事らしいものを胃に入れないと余計食べられなくなる、その為に自分に課している義務のようなものだった。

 シーグルはスプーンを手に取ろうとして止め、木のコップを手に持って中身を一口だけ口にする。口の中に広がる甘味と酸味に、ほんの僅かに口元が緩む。
 懐かしい、味だった。
 子供の頃、母親が、果実酒を造っている村人から熟しすぎたぶどうを貰ってきて、それを絞って飲ませてくれたことがある。それよりは幾分か酸っぱいものの、それでも懐かしい味だった。

 コップを置いて軽く溜め息を漏らし、シーグルは今度こそスープを飲む事にする。気を使ってくれているのか、幾分か具が多い気もする。普段ならありがた迷惑とも言えるサービスではあるのだが、今日は食べられそうな気がした。
 そうして、シーグルがスープをゆっくりと飲みだしてから暫く後。
 店に他の人間が入ってきたと思ったシーグルは、その人物が自分の方に向けて歩いてくるのが分かると僅かに体を緊張させた。

「よぉ、久しぶり」

 そう言ってシーグルに笑いかけた男は、極自然にテーブルを挟んだ向かいの席に座る。冒険者だというのはその身なりから判断出来るが、シーグルには全く見覚えのない男だった。
 当然胡散臭い目で男を睨んだシーグルに、男は笑顔のまま小声で言う。

『誰だ、っていうのは少し待ってくれ。ちょっとあんたに話があるんだ』

 今まさに、誰だ、と言いかけていたシーグルは、それで口を閉じる。
 男はにこにこと人の良さそうな笑顔を浮かべて、辺りに聞こえるくらいの声で当り障りのない天気の話をしだした。
 そしてその一方で、小声でシーグルと会話する。

『お前さん、付けられてるぞ』
『知ってる』
『そうか、知ってるのか、それじゃ余計なお節介だったかな。気付いたらどうにも気になってなぁ』
『礼は言う、ただ、俺と親しい振りをしていると、そちらにも迷惑が掛かるかもしれない』

 どうやらただの好意だったらしいと分かると、シーグルは男を睨むのを止めて、再びスープを口に運ぶ。その方が自然だと思ったのと、もう話は終わったから去れという意味があったのだが、男は気にせず大きめの声で馬鹿な世間話をしながら小声での会話を続けてくる。

『そら随分と面倒そうだ……あれか、勝手にお前さんに熱を上げてつきまとってるって奴か?』

 さすがのシーグルも、食事の手を止める。

『そういうのもいるが……』
『やっぱりなぁ、お前さんくらいの美人になるとそういう迷惑なのが付くよなぁ』

 男は一人納得出来たというように、何度も頷いた。
 歳の頃はシーグルより3、4歳上くらいか、セイネリアよりは下だろう。シーグルのように完全な甲冑姿ではなく胸当てに部分鎧を着けている程度だが、金がないからというよりもわざと軽くしているだけなのは、その防具類がそこまで安物ではない事で分かる。
 腰に差している武器を見ても短剣がメインのようで、一番長いものでもシーグルの持つ長剣の半分くらいしかなさそうだった。
 それに細身の体と言えば、彼の戦闘スタイルが体の身軽さを生かしたものであろうというのは予想がつく。ヘタをすれば、最近シーグルを襲ってくる奴らとは同業者かもしれない。だからこそ、シーグルの状況が気になったのかもしれないが、言動からはあまりその辺りの連中と同じような感じは受けなかった。

『まぁ、気をつけた方がいいぞ。あんま性質良くなさそうな連中がついてる』
『忠告は有難く受けておく。だが、奴らも人目のあるとこでは手だししてこないから大丈夫だ』
『成る程ねぇ』

 男は背伸びを一つして、席から立ちあがる。
 さて、邪魔して悪かったなと、大声でいいながら、小声でシーグルに話しかける。

『俺の名前はジャム・コッカー。これも何かの縁だ、よけりゃ今度仕事で組んでくれ。つい最近首都に出てきたばかりでな、こっちじゃ組む仲間がいない。お前さん強そうだし、いい仕事が出来そうだからな』
『シーグルだ』

 シーグルが名乗れば、男は笑って手を前に差し出す。
 シーグルも手を前に出せば握られて、握手を交わしながら彼は今度は普通の声で言った。

「じゃぁ、またな」

 それから、椅子の横に置いた荷物を持ち上げると、軽く手を振ってジャムは背を向けた。
 シーグルはその背を幾分か穏やかな表情で見つめる。
 口では、またな、と彼に合わせて返したものの、心の内ではもう会う事もないだろうと思いながら。

 首都に出てきたばかりならば、シーグルとセイネリアの噂を知っていなくて当然だろう。だから気楽に話し掛けてきたのだとは思うが、気分のいい男ではある。もし、セイネリアの件がなければ、男の話した通り組んで仕事をしてもいいと思うくらいには。

 ――あいつの所為で……。

 黒い髪と黒い鎧の、全ての元凶である男を思い出し、シーグルは溜め息をついた。




 だが、シーグルの思惑とは異なり、彼とはそう時を経ずに再会する事になる。





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