何時か会う誰かの為
<番外編・ウィア16歳のお話>


爛れた生活から愛に目覚める(?)までのウィアのお話。
熟練の冒険者風おっさん×ウィア。





  【1】




 どうみても風紀がいいとは言い難い裏路地の一角。
 夜ともなれば、今晩の客を探して女達が立つようなそんな道で、その場に相応しくない、慈悲の神の印をつけた神官見習いの格好をした青年が二人。

「ウィーア、愛してるぜ」
「俺も愛してるぜ、ロゼッタ」

 お決まりの台詞を笑顔でいいあって、軽くキスを交わして手を振って別れる。
 こんな事をする間柄の人間は彼で何人目だったろうと、ふと思い立って指で数えて、片手で間に合わなかった事にウィアは少し顔を顰めた。

 愛してる、なんて我ながら白々しい。

 睦言のお約束みたいなものとはいえ、本気で言っていないこの言葉は余りにも安っぽすぎて唾を吐きかけたくなる。そんな事を考えながらも、ウィアは背伸びを一つして、ついでに欠伸をして、少し眩しそうに太陽を仰ぎ見た。

 ロゼッタは神官とはいえ割りと体を鍛えていたので、その体力に任せ、昨夜はなかなか眠らせてもらえなかった。おかげで今日は確実に朝のおつとめは遅刻で、また兄が煩く小言をいうに違いないことがウィアには容易に想像出来た。

「いいんだあいつなんか。俺がこーんな爛れた生活してるのだって、兄貴って見本があってだからな」

 兄の顔を思い出すと反射的に頭に血が上るウィアは、思わず口に出して文句を言う。しかもそこそこの大きな声で。
 幸い、まだ早い午前中のこの時間、安宿の裏口なんて人の通りはまずないからそれを聞くものは誰もいなかったものの、流石に我ながら声が大きかったかと自覚したウィアは、そそくさとその場を立ち去った。

 人通りのない路地を抜け、大通りに出れば、一気に人の波にあたる。
 首都セニエティは、クリュース国内各地から冒険者として大成しようと夢を見てやってきた者たちが集まり、いつでもこの街の中心を走る大通りには活気がある。
 まぁ実際、他国に比べればこの冒険者というシステムは、庶民にとって夢があるとウィアも思う。
 生まれも育ちもまったくの平民であっても、運と腕があれば成り上がれるチャンスがある。一攫千金で金持ちも、剣の腕で騎士団の幹部も、あるいは冒険者の仕事中の出会いで、普通ならば会えない、深窓の令嬢とのロマンスなんて事もあるかもしれない。そんな夢を見る若者達は、クリュース国内だけではなく他国からもやってきて、おかげでこの国の人口は増えるばかりだった。

 そんな事を考えるウィアもまた、クリュース国内の田舎町から大成してやるぜと息巻いて出てきたわけだが、正直なところ、現在あまり人に自慢出来るような生活をしてはいるとは言えなかった。
 一応はリパの神官見習であるウィアは、一見普通に神官になる為の勉強に神殿通いをする学生をしながらも、聖職者にあるまじき貞節とはかけ離れた事をしているという自覚がある。なにせこの一週間だけで、誰かと寝て朝帰りとなっただけでも3回、相手は3人と尻軽といわれても仕方がない。

 とはいえ、ウィアとしても言い分はある。

 そんな爛れた生活の見本が、この国の国教の主神であるリパを奉る総本山、首都セニエティの神殿にいる大神官の一人、ウィアの兄テレイズなのだからと。

 ウィアの兄は昔から優秀で、ウィアよりもはやく首都に出ていて、ウィアが首都に来た時には既に異例の抜擢で若くして大神官の地位に上り詰めていた。そこだけを見れば大層立派な人物に思えるのだろうが、確かに優秀ではあるものの、彼の素行はおよそ神官にあるまじき者の見本のようだといっても過言ではない。

 頭だけでなくルックスも良く、地位も高いのにまかせ、もてるままに情人は数知れず。しかもその優秀すぎる頭を使って、脅す騙すと汚い手を使いまくって今の地位。これが大神官様として成り立つなら、ウィア程度の不真面目さなんて可愛いものだ、と思うのだ。
 というか、首都にきていざ神官になる勉強をはじめてはみたものの、神様を信じるような敬虔な神官様などというのの方がかなりの希少種である、と、いうのをウィアはこの1年で知った。
 そうなれば、慎ましやかに真面目な生活を送るのなんてばかばかしく、好きにすればいいんじゃないか、と結論づけて今にいたるのが現状のウィアであった。








「ウィア、今朝もお祈りはさぼりかー。いっくらフィラメッツ大神官の弟でも、そろそろ大目玉くらうぞー」

 神殿にいけば同期の神官見習学生の一人に声を掛けられて、ウィアは思わず顔を顰める。
 どうやら丁度今朝のお勤めが終わったところで、学生達はこれから授業に入るところのようであった。
 移動中の丁度その時に出くわしてしまったのは、タイミングが悪かったとしかいいようがない。一人が声を掛ければ次々と気付いた知り合いがウィアに声を掛けてきて、すっかり悪目立ちしているウィアは、こっそり授業に紛れ込むという当初の予定を変更しなくてはならなくなった。

「ウィア・フィラメッツ」

 厳しい口調で名を呼ばれて、ウィアは恐る恐る振り向いた。
 見れば予想通り、見習学生達の監督官であるアルステラ神官が腕を組んで見下ろしていて、ウィアは引き攣った愛想笑いを浮かべるしかない。
 ぴくぴくとこめかみを震わせるアルステラ神官は、そのウィアを思い切り睨んだ後、怒りを抑える為の間を数秒取ってから、諦めるように大きく溜め息を吐いた。

「君が朝の礼拝を欠席したのは、今月に入ってから9回になる。いくら成績が良くても、そもそも我々が神の僕である事を忘れるようでは勉強の意味も無くなるというもの。これ以上欠席するようだと、他の者達への手前、不本意ながら君に罰を与えなくてはならなくなると覚えておきなさい」

 本当は怒鳴って頭ごなしに叱りつけたいだろうに、アルステラ神官は顔を引き攣らせながらもそう言うとすぐに歩き去っていく。
 他人事ながら、彼の心の内の忍耐の戦いを考えれば同情したくなるとウィアは思った。それこそ、本人にしてみれば、ウィアがそんな風に思っている事を知れば余計に怒りに震えるところだろうが。

 ウィアの素行の悪さは学生教育役の神官達の間でも有名であるが、正面から堂々とウィアを叱りつけられるような者はいない。
 理由は簡単で、大神官であるウィアの兄の不評を買いたくないからだ。
 いろいろ裏で性質の良くない手を使ってのし上がった兄は、純粋にその地位にだけでなく、神殿内の者達からある意味恐れられている。だから他の学生と違って、ウィアが多少ハメを外したところで酷い罰を受ける事はない。
 しかも、授業の方をサボったとしても、試験前には兄に徹底的に頭に叩き込まれる為、成績だけならウィアはいい方である。その所為もあって余計に文句のいい様がなくなった教育係達からは、絶対憎まれているとウィアは自分でも思っている。

 ――まぁでも、今回は流石に本気で怒ってるみたいだな。罰を与えるって言ってたしなぁ、いい加減キレたんだろうな、あのオッサンも。

 のんびりと、やはり焦りも罪悪感も欠片も感じず他人事のようにウィアは思う。しかも、どんな罰を与えてくるかの方がちょっと楽しみになる辺り、怒る教育官達も報われないというものだった。
 ただ、こういう状態を分かっていて、ウィアがそれを利用してやって悦に入っているといるのかといえばそうではない。結局、その度に兄に頼っているという自分を自覚してしまって、我ながら苛立ってはいるのだ。

「ウィーアー、昨日の相手はロゼッタかぁ、ほんっとにお前面食いだなぁ」

 声と同時に頭の上から手が降ってきて、ウィアは思い切り口をへの字に曲げた。
 肩程までに伸びた茶色の髪の毛をくしゃくしゃとかき混ぜられて、ウィアは恨みがましくゆっくりと上を向いた。

「セドリット、それは止めろっていっただろ」

 頭一つ上からの視線が、ウィアの顔を見てにやりと笑う。

「いいじゃん、かわいーウィアは思わずこうしたくなるんだからさぁ」
「うるせぇ、可愛いっていうな」

 つんと唇を尖らせてウィアがいえば、セドリットは名残惜しそうにしながらもその手を離す。ただし、顔はにやにやと笑みを浮かべたままで、今度は少ししゃがんでウィアの耳元に唇を寄せ囁いた。

「今夜は俺とどうだよ。ロゼッタよりも顔いい自信あんだけどな、俺」

 ウィアの足が、セドリットの脛を蹴る。
 声にならない悲鳴をあげて、足を抑えて蹲ったセドリットに、今度はウィアが上から言葉を掛けた。

「いったろ、俺背ェ高いヤツは嫌いなんだよ。それにお前しつこそーだし。人の事無料でヤレるだけの相手と思ってるお前となんか寝るかよ」

 言い捨てながら、もう一つオマケに抑えてる脛を蹴って、ウィアは授業のある教室に足早に向かった。

 背が高く顔もハンサムといえる兄と違って、ウィアは平均男子の身長を下回り、顔は童顔女顔と、一言で済ませば可愛い。それでウィア本人が気に入りさえすれば、声を掛けてきた相手と一夜限りの――時には少し続く事もあるが――、一時的な快楽の相手をしてくれるのだから、こうして金はないけどヤリたい盛りの学生連中はよく声を掛けてくる。

 ウィアが相手を選ぶ基準は、単純に自分の好みかどうか。男女はあまり気にしない。好みの相手と、その時だけ気持ち良くなれればいいのであって、よっぽど気に入らない限りは恋人同士、みたいな関係にまでなりたいとは思わない。

 ただ一応ウィアとしては、そういう相手は男よりは女性の方が嬉しい、のだが、残念な事に声を掛けて誘ってくるのは、前述通り欲求不満の男連中が圧倒的に多かった。
 別に女役をやるのは嫌ではないが、相手が男の場合、自分勝手に自分が気持ち良くなれればいいやというセックスをするものが多いのが嫌なのだ。そういうのがやりたいなら、金出してプロに相手してもらえと思うもので、声を掛けてきてもウィアは二度と相手にしない。こっちも気持ち良くなりたいから寝てやっているのに、こちら側を気にしないのはルール違反だとウィアは思っている。

 ただまぁ、逆にこちらを気持ち良くさせてくれても、本気でウィアに惚れて来て、べたべたと恋人になりたがるような男もお断りである。ウィアはこれでも将来は可愛いお嫁さんを貰って幸せな家庭を作る計画なのだ、男と恋愛をする気はない。

 そんなドライな関係を求めるウィアだが、結構そういう関係が心地よいと思う人間も多く、現在納得してウィアといわゆるセックスフレンドとなっている者はそれなりにいたりする。
 昨日の相手のロゼッタもその一人だ。
 彼は顔が良くて愛想が良くて慣れていて上手いが、本来モテるので、誰かと別れたフリーの時だけウィアに声を掛けてくる程度の付き合いだ。ただ彼を相手にするのは、今度から次が休日の日にしようと、ウィアは欠伸をかみ殺しながら思った。

「ロゼッタのヤツ、前の彼女が奥手でヤらせてくれなかったとかで相当溜まってやがったからな」

 おかげでこっちはくたくただ、と小声で呟いて、眠気覚ましに背伸びをする。慣れているだけあって、ロゼッタはちゃんとウィアに負担が掛からないようには気を付けてくれたものの、やはり下肢のだるさは仕方ない。実はあまり椅子に座りたくはないのだが、礼拝はともかく、授業だけは受けないといつまでたっても神官になれない。

 はやくこんな窮屈な学生生活を終わらせて、冒険者として仕事に出たい。
 そして兄から独立するのだ。

 本来勉強は大嫌いなウィアであるが、その目標があるからこそ、こうして勉強だけは必死にやっているのだった。








 その、三日後。
 ウィアはアルステラ神官から呼び出しを受けて、資料室に来ていた。
 実は今朝もウィアは遅刻の礼拝サボリをしてしまって、予告通り、罰を言いつけられるのを覚悟の上だった。
 ウィアがやってくると、アルステラ神官は資料室奥にある作業机のところへ連れて行き、そこで椅子に座る事を勧める。そしてウィアが椅子に座ると、その目の前に、見ただけでげんなりしそうな量の資料を一束置いた。

「さてウィア・フィラメッツ、君には予め、これ以上の礼拝の欠席をすれば罰を与えねばならないと言っておいた筈だ。だから今、どうしてここに呼ばれたのかは分かっているね?」
「はい、分かっています、アルステラ神官様」

 殊勝にも項垂れて大人しくそう答えたウィアには、アルステラ神官も多少は溜飲が下がったのか、気難しい彼の顔にも僅かに顔に笑みが湧いたように見えた。ウィアとしては、さてどんな罰を考えてきたのだろうかとちょっと楽しみにしているのだが、それは顔に出しはしない。

「時に君は神官になった後も、神殿に入らずに準神官として冒険者になる予定だとか。そういう者は神官というのが本来なんの為の仕事かを忘れる者も多いのだが、君はそうではないだろうね?」
「はい」

 こういう時には、大人しく相手の言う事を聞いておくほうが被害が少ない、というのが分かるくらいにはウィアは要領が良かった。アルステラ神官の方も、少なくとも怒っている様子はなく、ウィアは大人しく頭を下げたままでいた。

「それなら宜しい。神への祈りは日々忘れないように。では、君への罰なのだが……まぁ、罰というのは元から私もしたくはない。祈りは強制されるべきものではないからね。だから君には、少しばかり私の仕事を手伝ってもらおうと思う。冒険者になろうという君にぴったりな仕事だ、その仕事をこなす事で、冒険者というものがどういうものかも体感出来る、実に有意義な経験が出来るだろう」

 そういって、アルステラ神官は笑顔でウィアの目の前に置かれた資料を広げた。

 ――そしてウィアは、アルステラ神官が機嫌がいいのが、ウィアの殊勝な態度の所為ではなく、小憎らしい小僧にやっかいな仕事を押し付けられる所為だという事を理解した。





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