起こりえなかった物語の歌




  【1】



 温暖な気候の南の街、アッシセグにも冬はやってくる。勿論、首都の冬にくらべれば冬の入り程度の寒さにしかならないが、この街の特徴である青い空は少しだけ灰色の雲を纏う日が多くなり、透き通ったエメラルドブルーの海も墨を僅かに落とした重い色になる。
 普段の明るすぎる風景よりは今の方がマシだなと思いながら、淀んだ空にこそ合う黒一色に包まれた男は、眺めていた街の風景から目を離して馬を歩かせた。
 のどかすぎるこの街に、合わないと思いつつも根城を決めたのは、きっかけは知り合いに声を掛けられたからというのがあるが、いろいろと条件がよかったというのが大きい。このアッシセグの街は、首都からは遠いがクーア神殿があり、金が出せるなら遠くへの移動は案外容易ではある。元々が金持ちどもの別荘地というだけあり、クーアだけではなく他の神殿も多い為、何をするにしてもじつはかなり便利に出来ている。何よりここは元ファサン領で、王の命令が下れば即兵士が駆けつけるという訳にいかないのが都合がよかった。
 ただし、ここへ来てから、このあまりにものどかで明るい街の雰囲気には、場違い感が酷くて我ながら失笑してしまう程だったが。
 首都にいた頃はあまり朝早く出かけたりと言うことのなかったセイネリアは、ここへ来てからはよく、こうして朝一番で海岸沿いの道に遠乗りにくるようになった。
 この道はこの周辺の主要道であるから、昼間ならそれなりに人が通る。ただし、夜が明けてまだ間もない今はまず人が通る事もなく、静けさと冷たい朝の空気を何も考えずに満喫する事が出来る。

 だがその日は、薄い朝靄の掛かる道を、向こう側から歩いてくる人影が見えた。
 街を歩いていても、こうして人の少ない場所ででも、セイネリアを見てしまった他人の反応は大抵において2つに分けられる。目を逸らしてみないふりをするか、怯えて道を開けるかだ。勿論例外はあるが、元々他人に怖がられる容姿の上に、少しばかり名が通ってしまった今では、まず『関わらないようにしよう』と思われるのが普通であった。
 ところがその人物は、セイネリアの姿を見ると足を止め、道の真ん中で被っていた幅広の帽子をとると、優雅にお辞儀をしてみせた。
 まるで、行く手を遮るようにそのままの体勢でこちらを待つ人物のおかげで、セイネリアは馬の足を止める事になる。

「おはようございます。黒を纏いし黒き剣の主、最強の騎士様」

 芝居がかったそのいいようも当然といえるように、その人物の服装を見れば彼が吟遊詩人の類だとはすぐに分かる。とはいえ、服装自体はいかにもらしいのだが、派手な色合いが好きなその系の連中にはあまりない黒を基調としたその服は、彼が楽器らしきものを持っていなければ何者かと考えるところだったろう。

「俺に何か用か」

 声を掛ければ、黒衣の詩人はにっこりと目を閉じる程に細めて笑いながら答える。

「おや、わかりましたか?」
「用がなければ、俺の足を止めさせないだろ」
「それは確かに」

 芝居がかった物言いはこの手の連中のお約束ではあるので、特に気にするものでもない。ただ、吟遊詩人のくせに腰に細剣なぞを差している点と、この自分の足を止めようと考えた男の思惑には興味が湧いた。

「さすが、最強の剣を持つもの。すべてお見通しでしょうか?」

 剣の話を振るならば、なるほどただ者ではない訳だなと、セイネリアは片方の口端を僅かにつり上げる。

「見通すも何も、あいにくあの剣はそうそう持って歩かん。お前は剣を見に来たのか?」

 男はそれに、驚いたように、やはり大仰な動作で首を振ってみせた。

「いえいえ、剣よりも興味があるのは貴方自身です」

 さらりとそう言った後、詩人はまた目が見えなくなる程の笑顔を顔に張り付かせると、今度はゆっくりと頭を下げる。その動作は少しだけフユに似ていて、似たタイプかとセイネリアに思わせた。

「貴方はおそらく、この国を作りかえる。勇者か悪魔か、後にどう称されるかはわかりませんが、後世に歌として貴方の名は語り継がれる事になるでしょう」

 顔を下に向けたまま、表情を見せずにいう言葉はなにげに不穏で、セイネリアは軽く喉を鳴らして笑った。

「それは、どうだかな」

 それに詩人は顔をあげる。予想通りまったく笑っていない瞳に口元だけ笑みを浮かべて。

「いいえ、ご謙遜ならさず、それはもう確定されるべき未来と思われます。ですから私は詩人として、そんな貴方のお傍においてほしいのです」
「つまり、うちの入団希望者か」

 セイネリアが皮肉げに口元を歪めたまま男を睨めば、外見以上にそれなりの荒事をくぐり抜けてきたらしい男は、怯む事も怯えるもなく、見た目だけなら顔に満面の笑みを浮かべてみせた。

「はい、そうです」

 だが、その笑みは笑っていない瞳を隠す為のものだ。

「生憎、吟遊詩人なんぞにうちでの仕事はないと思うが」
「そうですねぇ……これでも戦えというのなら、それなりには剣も使えますが、主に情報を集める事なら私にはいろいろ特技がございます。実は私、詩人というだけでなくケーサラーの神官でもありまして、そちらでそこそこお役に立てる自信はありますが」

 ケーサラーは記録と記憶の神だ。確かに信徒は吟遊詩人が多いという事はセイネリアも知っている。彼らが使う術で有名なのは馬鹿みたいな記憶力くらいで、神官レベルだとどんな事が出来るか、セイネリアでさえ詳しくはわからない。

「つまり、何が出来る?」

 だからそれを尋ねれば、詩人は唇に手を当てて、少しだけ考えてみせた。

「そうですねぇ……昨日の貴方はこの道を通らなかった。けれど、一昨日は通って、向こうに見える林から、馬をおいて下へ降りる道を下り、海岸まで出ていった……」

 セイネリアの眉が僅かに揺れる。

「どうやって『見た』?」

 詩人はまた満面の笑みをセイネリアに向けた。

「さすがに察しが良いですね、はい、見たんですよ。ここらにある木達の記憶を」

 それが本当に嬉しそうだったので、セイネリアは胡散臭げに男を見下ろす。

「それがケーサラーの術か。魔法使いにも似た系統のがあったな」
「そうですね、あっちだと記憶を映像に出来る人もいますけど、ケーサラーの術は術師本人が見えるだけです。けれども、だからこそ、別の角度の能力もあるのですけれど」

 魔法使いの系統の中でも、記憶師と呼ばれる連中は、その場にあるモノの記憶を投影する事が出来る。ただし、その時の風景を丸のまま映像として作り出すような高度な術が使えるのは極一部で、大抵はその時に媒体となったそのモノ自体がどうであったかを再生するのが精一杯だ。とはいえ、そのモノが鏡や水面などであれば、その時映った物を再生出来る事になるので、使い方によっては役に立つ。その程度の術師なら傭兵団にもいるため、セイネリアもそれなりに詳しいと言えた。

「ケーサラーの術だと、物に記憶を投影させるのではなく、術者が物から読みとる感じか」
「えぇそうです、そこまでお分かりなら説明はいりませんね」

 詩人は驚きながらも、嬉しそうに笑顔でまたお辞儀をする。
 それから顔を上げ、いかにも作り物じみた笑みを浮かべている吟遊詩人は、今度は両手を広げて、まるで歌を歌うように流暢にセイネリアに告げる。

「さて、そういう事ですから、私が見たと言うものは、あくまで私の頭の中に見えただけのもので、それが真実かどうかは証明出来ません。ですので、これからする話が真実か、もしくは真実になりえた事かにつきましては、聴いた貴方自身がお決めください」

 背から見えていた、少し小型のリュートらしき楽器を手にとり、もう一度帽子を取って優雅に頭を下げた詩人は、その帽子を今度は深く被リ直すと、静かな朝の空気にさえとけ込む透明な声で歌いだした。

――ある穏やかな田舎村に、3人の兄弟と優しい両親の幸せな家族がいました。
 ところがある日、たった一人、父親似だった2番目の子供は、村へやってきた騎士の馬車に連れ去られてしまいました。

 そこまで聴いて、セイネリアの表情からは笑みが消える。
 それが誰の話なのかは、この一節だけで即座に分かる。だからこそ、何も言わずにその場に留まり、彼は歌を聴く事にする。

――攫われた子供が連れて来られたのは、貴族である父親方の祖父の家でした。
 祖父は子供にいいました。今日からお前はこの家の子供だと。けれど必ず両親が助けにくると信じていた子供は、そこの家で何も食べずただじっと親を信じて待っていました。
 やがて、何も食べずに弱ってしまった子供に困った祖父は、子供の両親を呼び寄せました。
 迎えがきたと思った子供は、けれども親の様子から、自分が帰らない方が家族の為なのだという事を悟ってしまいました。父親は、母親と結婚する為に、貴族の家を棄てて駆け落ちをしていたのです。家族を棄てて父がこの家に戻るか、父の代わりに少年が残るか。だから少年はそれに自ら、自分が残ると言ったのです。

 シーグル本人からセイネリアが聞いたのは、あの銀の髪の所為で、跡取として家族から引き離されたというところまでだった。その後調べたところでも、シルバスピナ家内部でどんなやりとりがされたかまでは、この歌程詳しくは分かってはいない。
 歌が本当であるなら、シーグルは、そんな子供の頃から自ら犠牲になる道を選んでいたのかとセイネリアは思う。それと同時に、恐らく、その時から彼は今のままなのだろうとも。
 顔を幅の広い帽子のつばで隠した、黒衣の詩人の歌は尚も続く。朝の清涼な空気を優しく震わせて、少しだけ寂しげなメロディーが、遠い波の音に重なって周囲を支配する。
 セイネリアは目を閉じた。

――祖父の家に残ると決めた少年は、けれどもずっと食べなかったせいか、食事が食べられなくなっていました。少年は跡取として騎士になる事を望まれましたが、食べられない為、細く体力がない体を祖父に見下され、騎士としての期待はしないといわれました。彼が食べない所為で辞めさせられた料理人が数人出て、その所為で他の使用人達からも距離を置かれました。誰もが彼に冷たく、誰も彼の味方となってくれる人はいませんでした。
 それでも、彼には希望がありました。強くなれば、いつか祖父に認められれば、立派な当主となって、家族を呼び寄せる事が出来るのではないかと。
 だから彼は、必死に体を鍛えました。ただ、強くなって認められる為だけに。

 目を閉じた所為で、自身で見ていない筈のその風景が、セイネリアの頭の中には鮮やかに浮かび上がる。子供の彼がどれだけ孤独で、無表情に、ただ淡々と、それでも強い瞳で訓練と勉強だけに打ち込んでいたか、その姿さえも想像出来た。
 シーグルの努力は、全て家族に会う為だった。それはセイネリアも知っていた事だった。幼い頃から、ただひたすら強くなる為だけを目指して剣を振っていた彼のその必死な姿が、セイネリアのよく知る、あの諦めない強い意志を作り上げたのだろう。
 けれど、そうして歌を聴きながら目を閉じていたセイネリアは、ふとそれらがふつりと途切れるに至って目を開いた。
 詩人はまた、馬鹿丁寧なお辞儀をセイネリアに向けていた。

「さて、そろそろここらにも人が通る時間になると思われます。もし続きを聴きたいとおっしゃってくださるならば、ひとまずは今日の宿と食事を振舞って頂きたいのですが。……実のところ、ここへくるまで歩き通しで、ここのところまともなベッドも食事にもありついてないのです」

 セイネリアはそれに呆れつつも笑う。
 浮かべた笑みには、自分に対する自嘲も含まれていたかもしれなかった。

「いいだろう。ウチに入れるかはまだ置いておくとしても、お前の歌に見合う報酬はくれてやる」

 詩人はまた深くお辞儀をする。
 だがセイネリアが馬首を返して歩きだせば、詩人は大急ぎで走って追いかけてきた。




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この話は騎士団編の『吟遊詩人は記憶を歌う』の裏バージョン的な話になっています。
向こうがシーグルサイドの話な事に対してこちらはセイネリアサイドでのお話です。



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