神官と喧嘩と魔法と酒






  【4】



 神殿から大神官のテレイズに割り当てられたこの屋敷は、それなりに立派ではあるものの多少古い。木製の階段は乱暴に歩けばギシギシと音がして、それがまた広いエントランスの高い天井には良く響く。
 昼ならばまだ然程気にはならないそれは、夜であればやけに煩く感じる上に、所々にランプが灯っているだけの薄暗い中ではかなり不気味だった。
 ウィアは、我ながら自分の下りるその音がかなり煩いと顔を顰めて、勢いよく階段を駆け下りるその足の勢いを緩めた。
 だが、ゆっくり歩いても木が軋む音が不快な事に変わりはなく、諦めて最初の勢いのままに一気に階段を下りた。
 高い音がいつにも増して不快なのは、どうやらまだ頭に酒が残っている所為だろうか。
 そんな事を考えながら頭を軽く叩いてみて、自分の酔いを確かめてみる。

「んー、まだ少し顔が熱いかな」

 とはいえ、頭はハッキリしている。
 これならば、フェゼントと話をする分には問題ないだろうとウィアは判断した。
 一階に下りて小部屋が並ぶ廊下に入り、ウィアはフェゼントの部屋を目指す。
 だが、いざフェゼントの部屋を目指して廊下を歩き出したところで、丁度部屋から出てきた彼と鉢合わせた。

「あれ、フェズ?」

 フェゼントは、そっと人差し指を唇の前に立てて、ウィアに静かにして欲しい事を示す。ウィアは思わず手で自分の口を覆うと、エントランスの方を指差した。
 とりあえず、まずはここから離れよう、と。
 ウィアが歩き出せば、フェゼントがついて来る。二人は廊下を抜けると、やっと一息をついて、互いに顔を見合わせた。

「すいませんウィア、中でラークが寝ていたもので」
「そっか、それなら仕方ないよな」

 すまなそうにするフェゼントに、自然、顔が笑ってしまうウィア。
 邪魔者がいない事を確認出来て、ウィアは勝利を確信する。

「あいつも結構飲んでたからなぁ、フェズの弟とは思えないくらい」
「そんなに飲んだんですか、……困ったものです」

 フェゼントは頭が痛いというように、眉を寄せて眉間に指をあてた。
 だが、ふいに気付いたように顔を上げると、にこにこと自分を見ている、顔だけなら子供のような神官の恋人の顔をじっと見る。

「そう言えば、ウィアはもう酔いが覚めたのですか?」

 ウィアは得意げに胸を張った。

「うん、俺はまぁこう見えても結構酒は強いからな。お子様とは違ってもう全然大丈夫」

 それにはフェゼントが苦笑を返す。
 お子様、というのは勿論ウィアとしてはラークを指して言った言葉なのだが、酒に関してはフェゼントはその弟以下だ。勿論、ウィアには悪気などこれっぽっちもなく、頭はただ邪魔者がいなくなってやっと恋人と二人っきりになれたという事で一杯だったのだが。

「それで、フェズはどうして部屋から出て来てたんだ?」

 聞けばフェゼントは、苦笑をさらに口の中ですりつぶしたように顰めて、恥ずかしそうに下を向く。

「その……ラークを介抱していたら……匂いでちょっとくらくらと……ですから、水を飲んでこようかと」

 その時のウィアは、あぁやっぱりフェズってば滅茶苦茶可愛い、と感動すらしていたのだが、それを口に出してはいけない事くらいは分かっていたので、全部満面の笑顔を浮かべる事で誤魔化した。

「なるなる、あーなら俺も水飲みにいこうかな。まだ少し頬が火照ってるし」

 ウィアにつられるようにフェゼントも笑う。
 それが無性に嬉しくて、ウィアはフェゼントに抱きついた。
 ただし、フェゼントはかなり省略していたものの鎧姿で、抱きついた感触はお世辞にもいいものではなかったのだが。
 
「ラークの奴、すごいな」

 こんな状態のフェゼントに抱きついて擦り寄っていたのだから。
 敵(?)ながら天晴れと感心しつつ、単に酔っ払ってる所為だけかもと思ったウィアは、そこで対抗意識を燃やしたりはせずに、大人しく恋人に要望込みで言ったのだった。

「だったらフェズ、鎧脱いで着替えてこいよ。家の中でまでそれじゃ疲れるだろ。そしたらついでに手足も洗えるし」
「えぇ確かに、そうですね」

 ウィアの下心を疑ってもいない善良な騎士の青年は、ウィアと待ち合わせの約束をして、一度部屋に帰ったのだった。










「それでさー、ラークの奴が更に魔法使ったのはいいんだけど、今度はなんか木が枯れだしてさー」
「あぁ、やりすぎたんですね。あの子はすぐに調子にのるから……」
「そんでまぁ、木が折れてさー俺達も地面にまっさかさまで……」

 待ち合わせは、厨房の外にある井戸の前。
 二人で互いにランプを持って、暗闇の中にぼんやりとした青白い明かりを並べて、その光の所為で青白い互いの顔を見て話す。

「でも、本当にウィアとラークが仲良くなれてよかった。あの子は最初、ずっと貴方を敵視して……嫌な思いをさせてしまいましたね、すいません」

 ラークに振り回されて一杯一杯に見えたフェゼントは、その実ちゃんとウィアの事も見てはいたのだ。それには嬉しくなって、ウィアはフェゼントに抱きついた。今度はちゃんと暖かい弾力を伝える腕の中の感触に、ウィアは更に嬉しくなって頬を摺り寄せた。
 フェゼントの手がウィアの頭を優しく撫でる。

「ラークは、本来は明るくて社交的な性格だったんですが……母がおかしくなってからはすっかり他人を拒絶するようになってしまって。多分、私の為だと思います。一人で何でもやろうとして挫折しては嘆いている私を、あの子は早く大きくなって助けるからと何度も言ってくれました」

 フェゼントの手の感触にうっとりと目を閉じながら、ウィアは思い出す。
 酒を飲みながら、ラークとはたくさん話をした。
 特に、彼が物心ついた頃、父親が死んだ後の話を聞いた。
 おかしくなった母親を、一生懸命世話し、弟の面倒を見て、更には騎士になる為の鍛錬もする。そうしていつも疲れきっていたフェゼントを、アカの他人のように拒絶し、いる筈のない手放した息子の名前だけを愛しそうに呼ぶ母親。
 フェゼントから聞いた話以上に、母親のフェゼントに対する態度は酷かったらしい。
 ラークの事はたまに思い出したように抱き締めてくれる彼女は、おかしくなってからはフェゼントの事は自分の息子だとは一切思い出さず、それどころかそんな名前の息子がいた事を完全に頭から消していて、他人なのに自分に構うなと、何かされる度に文句ばかりを言っていたという。

『見てられなかったよ。にーさんは母さんの体を心配して寝ててくれってベッドに戻そうとしてるのに、母さんは柱にしがみついて、助けてシーグル、貴方と私を引き離そうとしてる奴がいるの、って叫ぶんだ』

 だからラークは、母親の事が嫌いになったと言った。
 大好きな兄がいつも悲しい顔をしているのは、母親の所為だと、小さなラークは彼女を憎みさえしていたという。途中から、彼女がラークの事さえ分からなくなった原因は、ラーク自身が母親を拒絶してよりつかなかった所為かもしれないと。

 それもあって、彼は、シーグルの事も嫌いだと言った。
 シーグルとフェゼントが十年ぶりに再会したその時、ラークもその場にいて、フェゼントが立派な騎士姿の弟に拒絶の言葉を吐いたのを彼も見ていた。
 フェゼントの言葉は、ラークの言葉でもあった。
 特に彼はシーグルがまだ家にいた当時幼すぎて、兄弟として過ごした記憶もない。
 何度も母親は、フェゼントにシーグルを連れてこいと無茶を言っていた。それが出来ないフェゼントを責め、ヒステリーを起こす場面をラークはいつも見ていた。
 だから、今更。
 母親が死んで、今更やってきた何不自由もしていない様子の貴族の青年など、兄弟だと思える筈がない、と。

 彼の言い分はウィアだってよく分かる。
 けれど、それはシーグルが悪いんじゃない。そしてシーグルもまた、家族と離れていた所為でどれだけ辛い思いをしてきたか、ウィアもその欠片程度は知っている。

「なんていうか、たくさん、すれ違っちまったんだな」

 ウィアの呟きに、フェゼントの手が止まる。
 ウィアが顔を上げれば、フェゼントは今まで撫ぜていた手で自分の顔を押さえているところだった。

「フェーズ、大丈夫だよ。いつかきっと分かり合えるさ。きっかけはきっと小さな事なんだ。ほんの小さなチャンスに、ほんの少しの勇気を出せば溝は埋められる。糸口さえ掴めれば、今までの事がバカバカしいくらい、案外簡単に解決したりするもんさ、だーいじょうぶだってぇ。だってこの間、フェズは実際きっかけを掴みかけたんだから」

 殊更能天気な笑顔でそう言えば、フェゼントが手の中から顔を現して、涙を滲ませた瞳でそれでも笑顔を作る。

「そうですね、ありがとう……ウィア」

 ウィアはフェゼントにぎゅっと強く抱きつく。

「過ぎた事を後悔ばっかしてたって仕方ないんだよ、いいか、悪く考えると悪い方に行くもんだしさ、ここは一つ、絶対いい方に行く、どうにかなるって思うんだ。根拠なんてなくても、絶対どうにかなるって思えば、その気持ちが自分を後押ししてくれるモンだぜ」
「その考え方が、ウィアの主義ですか」
「そそ、だってさー、どうにもならない事をうじうじ考えててもどうにかなるモンでもないし、その間嫌な気分で日々を過ごすのってすごい損した気にならないか? どーせ時間は有限なんだからさ、出来るだけ楽しい日をたくさん過ごした方が人生得ってモンだ」

 得意げに言い切って、未だ涙の跡が残るフェゼントにウィンクをしてやる。
 そんなウィアを見ていたフェゼントは、今度こそ声を上げて心から笑った。
 そして、満面の笑顔を浮かべる小柄な神官の青年を、今度はフェゼントの方が強く抱き締めた。

「大好きです、ウィア。本当に……貴方に会えてよかった」

 ウィアはうっとりと大好きな恋人の体温を感じて、満足そうな笑顔で頬を摺り寄せる。

「フェーズ、惚れ直した?」
「えぇ、改めて」

 言って、今度は二人して声を上げて笑う。
 余りにも笑いすぎて、その所為で涙が出てくる程に。
 お互いの体を引いて、顔を見合わせて笑って、そしてそんな相手の顔を見ているだけで、また笑みが湧いてくる。
 笑みが収まれば、自然、笑顔のまま、二人でそっと顔を近づけて唇を合わせる。
 相手の体温を感じるだけの唇の触れ合いは、どちらともなく開かれた唇から深く合わさって、相手の熱を探る口付けになる。
 やがて、唾液の音が僅かに聞こえだし、唇から透明な液体が溢れ、それが顎から糸のように伸びて落ちる。そうするに至って、やっと二人は唇を離し、互いの瞳にある欲を見つけてその後の行為を確認する。

「部屋へ、行きますか?」

 だがそう呟いたフェゼントは、すぐに今自分の部屋にいる弟の事を思いだして眉を顰めた。

「んー、俺の部屋も、多分もう平気だとは思うけど、さっきまで兄貴がいたからなぁ」

 ウィアも考えながらそう呟いて、だがすぐに考える事を放棄して笑顔を浮かべた。

「まぁ、このままここでいいんじゃない?」

 能天気に言うウィアに、心配そうに焦ったのはフェゼントの方だった。
 彼は顔をぶんぶんと横に振ると、とんでもないというように回りを見回しながら立ち上がった。

「こんなところで、誰が見てるか」
「まぁ、庭ん中だし、外からは見えないから大丈夫だって」
「でも、寒くありませんか?」
「そこはフェズがあっためてくれるんだろ?」
「……地面は……痛いですよ?」
「じゃ、痛くないようにフェズが優しくしてくれればいいよ」

 そこまで言われたフェゼントは断る言葉を持たず、苦笑と溜め息を同時にした後、静かに笑みを浮かべてウィアに了承を伝えるキスを返した。


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次はフェゼント×ウィアの甘々H。


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