神官が運ぶは優しき願い





  【2】




 夜の帳の中、屋敷の窓からは僅かに光が漏れている。
 その中でも、明かりの漏れない窓の一つ、その横に寄りかかる、闇と同化したような黒衣の男が一人。

「まぁ、特に報告する程の事じゃないね」

 窓の外で欠伸さえしながら、暇そうにフユはそう呟いた。
 だが別に、見た目通り、本気でだらけている訳では無い事は、彼を知るものならすぐに分かる。彼の注意は屋敷の中ではなく外、外部からの侵入者や異変の方に向けられて、常にその研ぎ澄まされた感覚を張り巡らせていた。

 フユの仕事は、シーグルに何かあった場合の報告と、彼に害を成そうとする何者かが現れた場合の護衛も兼ねている。
 元々シーグルには通常から報告役がついてはいて、フユよりも下っ端の情報収集役の誰かが割り当てられるのが普通であった。だが今回、その所為で彼に危害が及ぶところまで対処出来なかった事もあって、報告役だけでなく、戦闘能力もあるフユにお鉢が回ってきたのだ。

 つまりそれは、シーグルという騎士の青年が、守る必要がある程の重要人物だという事を示している。

 今回、この役目をフユに命じたのは、情報屋組織のトップであるカリンで、セイネリアの命ではない。彼女の判断でフユを選んだのであって、セイネリアが直接にシーグルを守れる人物を指定した訳ではない。
 だが見方を変えれば、それは、カリンが見ていて分かる程にセイネリアがシーグルに気を掛けているという事にもなる。主の為に、シーグルを守るべき人物であるとカリンが判断したという事なのだ。

 シーグルを取り返しにいった時の事は、その時セイネリアについていった者からフユの耳にも入っていた。明らかに、今までは絶対的な力を持つ主として非の打ち所がなかったセイネリアの、その様子がおかしい事は聞いてはいた。
 その事に、一部不安を覚えている者達がいる事も、フユは知っている。

 この組織は、全てがセイネリアを中心に出来上がっていて、彼なくしては成り立たない。特に、彼と別に契約をしている者にとっては、彼は強いままでいてもらわなくては困るのだ。かく言うフユ本人も契約をしている者の一人であるから、勿論セイネリアに何かあっては困る。
 だが、フユはこの状況に、他の者達と同じ意味の不安はもっていなかった。
 フユには、セイネリアの様子がおかしい理由も、何故シーグルを守らなくてはならないかという事も分かっていた。

 呆れる程単純な一言、セイネリアにとって、シーグルは大切な存在なのだ。

 理由などもなく、ただそれだけ。
 普通なら誰でもすぐに分かるだろうそれは、セイネリアという人物の今までを知っているからこそ、皆、思いつかない。まさか、と思う。
 けれどフユには分かる。
 多分、カリンも分かっている。

 今まで、誰も必要としなかった者が、大切な者を見つけたなら。

 フユには分かる。何故なら、それは自分にも起こった事だから。
 カリンも分かっているからこそ、フユにこの仕事を命じた。
 シーグルという存在が、いまや、この組織にとってどれだけの重要人物であるかという事も、彼を守るという事がどれだけの意味を持つかという事も。
 分かるからこそ、フユは、一見気の抜いた様子に見せかけても、全身の感覚を研ぎ澄ませて辺りを伺っている。

 家の中の住人達に関しては、問題はない。
 家主の神官の様子からすれば、順調にシーグルが回復出来るだろうと予想出来る。
 だから、フユの今回の仕事は、実質、彼を守る事がメインなのだ。

 まだ、誰も分からない。
 でもフユは分かっている。
 もし、シーグルが死にでもしたら、この組織も、セイネリアも、全てが崩壊する事を。







 ランプの中に青い火が灯って、覗き込んでいたウィアの顔を明るく照らす。
 魔法で合成した粉を燃やす炎は、熱くない代わりに本物の炎に比べて明るい。しかも、スプーン一匙程の粉で、丸まる一晩中は燃えている事が出来る。
 そのランプを手でぶらぶらと揺らして持ちながら、ウィアはシーグルの部屋の前に来ていた。

「さて、そろそろシーグルも起きてるかな?」

 言いながらも、実は彼が寝ている事を期待して、そっと部屋のドアを開ける。
 寝ているのか、部屋の中は暗く、彼が起きている気配はしない。
 ウィアは、音をさせないようにこっそりと、入れる分だけ開けた隙間に体を入れて、静かに部屋の中へ進入する。幸い、絨毯が敷かれた室内では足音は殆ど吸収されてしまうから、静かに歩いてシーグルが寝ているだろう場所に近づいていく。
 音がしない室内のベッドの上にランプを当て、いつでも凛としている彼の寝顔を期待すれば……ベッドの上に座り込んで、幾分か眩しそうに顔を顰めている彼と目があった。

「あー、おきてたか、シーグル」

 言えば彼は溜め息をついて、手に持っていた短剣から手を離す。

「ウィアか。入るなら堂々と入ってきてくれないか」

 まさか、寝顔を見れたらと思ってこっそり来たともいえず、ウィアは笑って誤魔化すしかなかった。
 シーグルは、短剣をベッド上に隠して寝間着を直すと、体の様子を伺うように腕を伸ばしたり振ったりを繰り返していた。服を着ていないというのにも少しだけ期待していたウィアにとって残念ではあったが、寝間着の大きく開いた胸元からは彼の素肌が見えて、これはこれで得をした気分になる。
 但し、その着ている服が、どうやらテレイズの物を貸したものらしい、というのは幾分微妙な気持ちであったが。

 ――あのエロ兄貴、わざと胸元開いたの貸したんじゃないよな。

 そういう部分ばかりが気になるのも、ウィアがウィアたる所以であるが、その所為でまた本来の用事を忘れそうになって、ウィアははたと思い直す。

「あー、起きたなら何か食べれるか? いやシーグルがそうそう食えないって事はわかってるけどさ、直す為の薬だとでも思って多少でも食べたほうがいいと思うんだ」
「そう、だな」

 一瞬だけ考え込む素振りをしたシーグルが、ゆっくりとベッドを降りる。

「おいっ、あんま動くなって」

 部屋のランプ台にランプを置きにいっていたウィアは、急いでランプを固定するとシーグルの元に走りよった。台に増幅された炎の所為で明るくなった室内で、シーグルが向かっている先が、彼の装備を一纏めに置いている場所という事が分かる。
 彼は、その傍に膝を付くと、何かを探しているようだった。

「まだ体力が戻ってないだろ。足元だって少しふらついてるんじゃないか。言ってくれれば俺がやるからさ、シーグルはまだベッドで寝てたほうがいい」

 言ったところで、シーグルはウィアを振り返りさえしない。
 何を探してるのか分からないが、荷物を掘り起こしてぐちゃぐちゃにせず、ちゃんと整理して置いているあたり、彼の育ちの良さが分かる。

「部屋の中を動くくらいは問題ない。怪我の方は、テレイズ殿のお陰で大分楽になっている」

 強引に彼をベッドに引きずる訳にもいかず、ウィアはシーグルの傍に立っている事しか出来なかった。
 ここに置いてある彼の装備は、馬車で彼を運んできた者達が一緒に置いていったままで、誰も何があるかを確認してはいなかった。ただ、見てすぐに鎧や剣、服一式は分かったから、彼の装備を置いていったのだとウィア達は思っていた。
 シーグルは、鎧の傍に置かれた皮袋を開くと、その中から小瓶のようなものを取り出している。ウィアはその様子を心配そうに眺めていたが、彼の手が銀細工のような美しい短剣を手に取ったのを見て、少しだけ身を乗り出した。

「うわ、それ魔法篭ってるんだろ。すごいな、武器の魔装具ってのは初めて見た」

 冒険者の憧れの一つではある魔力の篭った武具は、勿論下っ端冒険者のウィアが手に入れる機会などある筈がない。ただし防具関係に関しては、簡単なまじないや護符を貼り付けた程度のものは、高価だが割合よく売られてはいる。シーグルの鎧程きっちりと作られたものは市場に出回る事はないが、それでも金を出せば作れる者がいる事は知られていた。

 だが、武器に魔力を込める場合は、少し勝手が違ってくる。

 武器を使う時、人はその武器に意識を集中する。へたに武器に魔力を込めると、使用者の意識を受けて魔力が暴走したり、込めた魔法の意図とは違った現象が起こったりするのだ。更に、武器は相手を傷つける、血に濡れる。血は魔法に影響を与え、込めた魔力を変質させる。
 そんな理由がある為、武具に魔力を込めるのは難しい。作られてもすぐに壊れて使い物にならなくなるだけで、ちゃんとしたものが出来上がったという話は聞かない。けれども現存している物はいくつか知られていて、どうやってそれが作られたかは誰も知らない。

「……触ったら、だめ、だよな? いやそのよく見て見たいだけなんだけどさっ」

 ウィアがいえば、シーグルはあっさり持っていた銀の短剣を無言でウィアに差し出した。

「え? いいのか」

 驚いて目を丸くして、受け取った短剣をウィアはじっと見つめる。
 銀色の短剣は、豪華に装飾を施されている訳ではないが、柄の一部と鞘に精巧な細工がしてあって、特に柄に埋め込まれた青い宝石が目を引いた。美術品としてもそれなりに価値がありそうだが、目に見えて感じる魔法の力は、ウィアのような下っ端神官でも計りしれないものを感じさせて身震いする程だった。
 これならきっと刀身には、もっとすごい魔力を感じられるに違いない。そう思って鞘を引こうとしてみるものの、ウィアが引っ張ったくらいではそれはびくともしなかった。力を込めて意地になって引っ張ってみても、抜けそうな気はまったくしない。
 シーグルが、僅かに口元に自嘲気味の笑みを浮かべ、短剣を渡すように手を出した。

「抜けないか。俺も、抜けないんだ」
「えぇ?」

 短剣を持ったシーグルは、抜こうとしてみせて抜けないところを見せ、そしてそれを皮袋にまた仕舞った。

「セイネリアの奴が寄越した。お守り程度に持っていけと。剣に認められたら抜けるようになるそうだ。悔しかったら抜けるようになってみろと言っていたな」

 言いながらシーグルは、用事が終わったのか、皮袋の口を紐で閉めた。
 それから彼は、袋から取り出していた2つの瓶を手に持つと、椅子のところまで歩いて、その瓶を机に置いた。

「悪いがウィア、水を持ってきてくれないか」

 椅子に座りながら彼が言い、ウィアはすぐに水を取りにいこうとした。
 だが。

「なぁ、シーグル。それって何だ?」
「栄養剤、だそうだ」

 それが何であるかも勿論だが、その言い方にウィアは眉を寄せた。

「それも、セイネリアが寄越したのか」
「あぁ」
「それ、飲むのか」
「あぁ」

 あの男の所為で酷い目に会っているだろうに、あっさりと信じて飲むというシーグルが、ウィアにはちょっと信じられなかった。

「ちょっと待てよ。それ、ヘンな薬だったらどうすんだ」

 ウィアがそういっても、シーグルは表情一つ変えずに瓶を見ているだけだった。

「俺を手放しておいてまで、何らかの薬物を飲ませる必要があいつにはない」
「いや、でもさぁ」
「そんなマネをするくらいなら、俺をそのまま拘束しておけばよかっただけだ」

 そこまで言われれば確かにその通りで、ウィアは反論を止めるしかない。
 とはいえ、あの男を何故かすんなり信用するシーグルの気持ちが、ウィアにはやっぱりわからなかった。

「まぁ、いいや、水持ってくるよ。……と、あとついでに、なんか食いモン持ってくる」

 ウィアが言えば、シーグルは眉を寄せる。

「これを飲む。食事はいらない」

 だが、それで引き下がっては、そもそもウィアがここにきた意味がない。

「そういうのだけじゃなく、ちゃんと胃にも物入れろ。食わないでいると、余計食えなくなるんだぞ。弱ってるお前が食えるようにって、フェズが一生懸命作ったんだからな、食わないないなんていったら許さねぇぞ」

 そうすれば、いつでもきつい印象を与える彼の深い青の瞳が大きく開かれて、まるで子供が驚いたようなあどけない表情を作る。

「フェゼントが?」

 思わずウィアは、なんだかそんな彼を見ているの恥ずかしくなって、目を逸らした。

「そうだよ、フェズが、お前の為にって作ったんだ。無理矢理にでも食えっ、いいか、持って来るから絶対食えよっ」

 シーグルの口元が微かに笑みを作る。
 ちらりと横目でそれを確認して、ウィアは益々恥ずかしくなった。

「あぁ、分かった」

 呟いた彼の声が聞こえると同時に、ウィアはそのまま急いで部屋を出た。




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