悪巧みは神官の嗜み





  【5】




「フェズー、ありがとー」

 ほっとした途端、真っ先にウィアはフェゼントに向かって抱きついていった。
 それをよろけながらも受け止めるフェゼント。
 だが、彼はまだ事態がよく飲み込めていなかった。

 今朝出かける前に、用事が終わったら一緒に薬草取りにいこう、とウィアに言われて、フェゼントは待ち合わせのこの場所にやってきた。
 そうすればシーグルが何者かと戦っていて、しかもウィアは危険を伴う持続呪文中などと尋常ではない状態で、とにかく彼は急いで彼らを助けに入った。
 最初は夢中だったので細かい状況が分からなかったものの、傍にいれば、シーグルの様子がおかしい事はすぐに分かる。
 あまりフェゼントはシーグルが戦う姿を直で見た事はないが、彼はやけに疲れていて、明らかに動きが鈍い。苦戦しているのはその所為かと思ったフェゼントだったが、彼のそんな姿が余りにも意外で、内心フェゼントは動揺していた。
 いつだって、自分よりも強くて、真っ直ぐ何事にも立ち向かうシーグル。
 再会したあの日から、彼が弱味を見せるところをフェゼントは見たことがなかった。

 フェゼントは、抱きついているウィアの背を撫ぜながら、そっと伺うようにシーグルの姿を見る。
 敵が消えて安堵したのか、崩れるように地面に跪き、未だ荒い息を吐いて項垂れるシーグル。いくら敵が消えても、こんなあからさまに気を抜いた姿を晒す彼は、フェゼントからすれば意外すぎた。……それだけ、今の彼には余裕がないという事なのだろう。
 だから、思わずフェゼントは聞いた。

「どこか、具合が悪いのですか?」

 言われてシーグルが顔を上げる。
 深い青の瞳が真っ直ぐに向けられる。いつもきつい印象を与えるその瞳さえ、疲れの所為か、僅かに力がない。それでも、彼の瞳を直視する事は耐えられなくて、反射的にフェゼントは視線を逸らした。

「少し、疲れが……残っている、だけだ」

 相当に息が上がっているのか、声は途切れがちで、いつもの淡々とした彼のイメージとは合わない。顔色もあまりよくなかった、明らかに彼の体調は悪いのだと分かる。

「そうですね、貴方が本調子だったら、私が助ける必要はありませんから」

 そんな言い方はよくないと分かっていても、フェゼントは出た言葉を止める事は出来なかった。ただ、言われた時に、また彼が傷ついた顔をしているだろう事が予想出来て、フェゼントは後悔しながらも怖くてその顔を見れないでいた。
 暫く、息を整えているのか、シーグルの荒い呼吸音だけが聞こえる。
 少しだけそれが穏やかになってきてから、彼はぽつりと呟いた。

「……助かった、感謝している」

 フェゼントは目を閉じた。
 何故だか、泣いてしまいそうだと思った。








 ウィアは、頭を掻いた。
 フェゼントは逃げている。
 恐らくは、シーグルに対して後ろめたい何かがあるから。
 シーグルはフェゼントを見ているのに、フェゼントはシーグルから目を逸らす。
 だからフェゼントが、彼を見ないと始まらない。

「本当に、これだと時を待つしかないんかなぁ」
 
 出来ればウィアは、いろいろと大変そうなシーグルの問題の中でも、一番、彼が精神的にきつそうなこの問題を、早くどうにかしてやりたかった。
 フェゼントが目を逸らした時、哀しそうに目を細めたシーグルの顔は、まるで親に見捨てられた子供のようだった。すぐにその顔からは表情自体が消えたけれど、シーグルはフェゼントを兄と呼びたいのだ、それは確信だった。

「それで、ウィア。クーアのどの術だって?」

 考え込んでいた頭を後ろからぺこんと殴られて、ウィアはそれに噛み付くような勢いで振り返った。
 本を片手に立っているテレイズが、ウィアを見下ろして、軽く咳払いをしてみせる。
 クーア神官の術について聞いてきたウィアの為に、テレイズは書斎から資料を持ってきてくれたのだ。
 ウィアは、不機嫌なテレイズに愛想笑いをしながらも、恐る恐る聞いてみる。

「相手の動きを予想するって奴、だと思う。仲間に掛けて、そいつが戦うって使い方だとどんな感じなのかな、とか」

 テレイズが眉を寄せる。

「戦う、というと、その戦う相手は魔法使いなのか? それとも剣士? 弓?」
「……騎士」

 テレイズが、眉を寄せて、ウィアをじろりと見た。

「あまり実用的とは思えないな。魔法や弓が相手なら、攻撃がくるまでの準備動作中や届くまでの距離で、予想すれば避ける事も出来る。だが接近戦の場合は別だ、頭で攻撃がくる場所を理解してから避けているようでは、体が追いつかない可能性が高い。まぁ、術を受ける側が元々相手より力量が上な場合は使えるだろうが、それなら元からそんな術に頼る必要がないし、それでも相手の力量がある程度以上高ければ、やっぱり追いつかない。騎士になっている者ならそこまで弱いとは思えないしな」
「……うん、まぁそうだよなぁ」

 だからウィアは、そんな戦い方が出来るという話を聞いた事がない。
 考え込んだウィアを見て、テレイズは眉を顰める。

「だが、そういう戦い方をする者がいない訳じゃない。勿論、その戦い方に特化するように、相当の訓練と積み重ねが必要だ。体の反応速度を上げる為に極力軽装で、武器も軽い物を選び、その為落ちる武器の殺傷能力をカバーする為、刃に毒を塗ったりする」
「毒ぅ?」

 ウィアが大声を出して、テレイズは目を細める。

「……いや、うん、怪我はしてなかったよな。でも、すっげーきつそうだったっけ、いやでもあれは毒の所為じゃないよな……」

 青い顔をして呟くウィアは、懸命にあの後のシーグルの様子を思い出していた。あまりにも心配で、今目の前にテレイズがいる事が頭から抜ける程。
 その様子にテレイズは思い切り顔を顰めると、ウィアの頭を上から押さえつけて、自分の顔の方に無理矢理向けさせた。嫌でも兄に正面から睨まれて、ウィアは恐怖に固まるしかない。

「そういう戦い方をする者にあったんだな。まさか襲われたのか? 何かあったら俺に報告する約束だったな、ウィア?」

 相当に怒っている兄に睨まれて、ウィアは目を泳がせる。
 だが、誤魔化そうといろいろ考えてみたものの、やはりいい案は思い浮かばず、唸った後に観念した。

「その、うん、まぁ、襲われたっていや襲われた」

 テレイズの顔が更に険しくなる。

「シーグル・アゼル・リア・シルバスピナと会って、彼が襲われたのか?」

 まさかそこまで兄が分かっていると思わなかったウィアは、更に誤魔化す先を遮断されて困るしかなかった。
 鼻の先を掻いたり、愛想笑いをしたりして、どうにか話の持って行きどころを考えるが、どうにも追い込まれたこの状況は逃げ道が見つからなかった。
 一方、ウィアの反応だけでそれが肯定だと分かったテレイズは、今度は見せつけるように大きく溜め息を吐いて、押さえつけていたウィアの頭から手を離した。

「だから、彼に関わるなと……それに、何かあったらすぐ俺にいう約束だったろ。なぜまず先にそこを言わない」

 目元を押さえて考えるテレイズに、ウィアは抗議する。

「でも今回の件は、セイネリアってやつとは関係ないだろ。たまたま絡まれただけかもしれないしさ、ほら、シーグル金持ちそうだし」
「……関係なら大ありだ、馬鹿者」

 テレイズは考えるように閉じていた目を開くと、再びウィアを睨む。

「いいか、セイネリアってのは、それだけ恐れられてるってだけあって、相当な人間に恨まれてる。それで、そのセイネリアの情人といわれてるあの騎士に何もない訳がないだろう。……特に、セイネリア自身はそうそう付け入る隙なんかない人間だ、恨みがあっても手の出しようがなかった連中は多い。そんな奴からみたら、彼の存在は、恨みを晴らす絶好のチャンスにしか見えないだろうな」

 ウィアの顔は益々青くなる。
 シーグルの立場というのは、どれだけ問題があるのかと。

「勿論、彼は貴族だから、騎士とはいえ貴族法で守られている。ただの冒険者と違ってヘタな奴が手を出せば、罰則は死刑もある。だが、逆をいえば、それを分かっていて手を出すような、相当に不味い連中が彼を狙っている」

 ウィアは喉を、ごくり、と鳴らした。
 事態はウィアが思っている以上に深刻すぎて、だが、どうする事も出来ない。フェゼントとの問題なんかよりも、ある意味遥かに不味い状況だと思うのに、考えてもウィアの出来る事なんて何も思いつかない。

「でも、だったらさ、そのセイネリアだって、黙ってシーグルに危険が及ぶような事にさせないんじゃないか?」

 ウィアの見たところ、セイネリアのシーグルに対する執着は本物だ。そんな状況にシーグルがいるなら、あの男が何も手をうっていないとは思えない。

「まぁな、何も手を打ってない訳ではないだろうな。……だがそれこそが問題でもある」
「何で?」
「セイネリアが彼を守ろうとしている、という事は、彼に何かあったらセイネリアが困るって事を公言しているも同じだ。敵が多い人物にとっては、自分の弱みを知らせているのも一緒だろ」

 考えても悪い事しか思いつかなくて、ウィアはもう口を開く事も出来ない。
 青い顔で黙ってしまったウィアを見て、テレイズは今度は優しい声で言い聞かせるように言ってくる。

「ウィア、お前が考えている以上に彼の状況は危険だ。会うなといった俺の気持ちがわかるだろう? 今回お前達を襲った連中は、多分、裏では結構名の通った誘拐を専門として請け負っている奴等だ。それなりに腕の立つ相手を誘拐するのが専門で、毒を使って弱らせ、転送で連れて行くって手を使う奴等だ。……恐らく、セイネリアを脅す為に、彼の誘拐を企てたんだろうね」

 テレイズが本当に心配しているという、その気持ちも、事態の深刻さも、ウィアには理解出来た。それでもウィアは、彼を放っておくことが出来ないと思った。

「でも、約束したんだ。出来ることがあったらいってくれって」

 テレイズは何度目か分からない溜め息を吐く。
 それでも、ウィアの頭を撫ぜながら言葉を続ける。

「ウィア、セイネリアに恨みのある連中には絶好の獲物だと思われても、彼は相当に腕が立つ、だから今までどうにかなっていた。けどね、お前が彼の傍にいたら、お前が彼にとって足手纏いになることもある。分かるだろ? だから、彼の為にも会わない方がいいと思うんだ」

 兄の声は優しかった。
 そして、その言葉をウィアは否定出来なかった。



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次はフェゼントの回想、先輩騎士×フェゼントのHシーン。




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