剣は愛を語れず





  【5】




 恐らく最初から、ずっと彼女は気付いていた。
 魔法使いの空間感知能力を失念していた自分を罵って、シーグルは鍵の外された扉を開けて、彼らの前に姿を現す。
 笑みに歪むエルマの瞳と、驚愕に開かれたヴィド卿の瞳がじっとシーグルを見つめる。

「何故、その部屋に……クラックスめ、間違えおったな」

 苦々しく舌打ちをしながら表情を険しくするヴィド卿に反して、エルマの笑みは変わらない。それどころか、この状況を心底楽しそうにシーグルをただじっと見つめる。

「どう? シーグル、調べたかった事は全て分かったかしら? 私の雇い主はこの男で、もちろんエスカリテ王子を殺せと指示を出したのもこの男、そしてその代金とは別に、私はこの男に用意させた特別報酬を貰っているってところ」
「エルマっ、余計な事をっ」

 ヴィド卿は頭を抱える。
 それでもエルマはヴィド卿自身には全く興味がないようにちらとも見ず、妖艶というよりも魔性の笑みをシーグルに向ける。
 今更逃げ様もないシーグルは、ただじっと相手の視線を受けて彼女を睨み返した。

「何故、人の命を取るんだ」

 エルマがくすくすと笑う。

「ふふ、魔法使いっていうのはね、その魔法を研究する為に、まずは延命の方法を探すものなのよ。人によって方法も結果も違うんだけど、魔法使いは皆、何かしらの術で自分の寿命を延ばす。私の場合、こうして他の命を貰う事で自分の命を永らえているという訳。動物や草からでも生命力の足しにはなるんだけど、やっぱり人間から貰のうが一番効率がいいの」

 全く罪の意識もないように言う内容は、彼女が魔物と同じだという事を示している。
 シーグルはギリと歯を噛み締めて、彼女を尚も睨む。
 だが、自然と腰の剣へと動いていた手は自分が丸腰だという事に気付いて空を掴み、固く握り締める事しか出来なかった。

「魔女め……」

 言われた彼女は、目を開けて、声を上げて笑い出す。
 クリュースでは、普通は女性の魔法使いを魔女とは呼ばない。魔法を使って人々に害を成す魔法使いに対して、魔女と呼ぶのが一般的だった。
 エルマは何がそこまで面白いのか、目から零れた涙を拭きながら笑っている。

「えぇそうね、私のやってる事は、確かに御伽噺の魔女そのものね。だとすれば貴方は魔女退治に来た王子様?」

 だが、彼女は笑いだした時と同じく唐突に笑い声を止める。それから、涙を拭った自分の指をぺろりと赤い舌を出して舐め、シーグルに不気味な視線を向けた。

「それとも……魔女に囚われたお姫様かしら、ねぇ?」

 彼女は言いながら、甘えるようにしなを作って、傍らにいたヴィド卿に寄りかかる。

「さぁて、この坊やをどうしましょうか」

 そこで何か耳打ちをする。
 ヴィド卿は益々厳しい顔をして一度シーグルの顔を見ると、溜め息をついて顎を押さえながら首を軽く振った。

「全く、見られただけならまだ誤魔化し様があったものを。お前が余計な事まで言うから、どうにもならなくなったではないか」

 苦々しいヴィド卿の言葉を、嬉しそうにエルマは聞く。ちらりとシーグルを見た魔女の瞳からは、もしかしたらシーグルをヴィド卿がどうにかせざる得ない状況にわざと追いつめる為、自ら事情を説明したのだとも思えた。

「シーグル君、非常に残念だよ。最近の若者で君程優秀な人材はいない。私としても、ずっと期待していた分、出来ればそんな君を失いたくない。だが、事情を知られたからにはすんなりと君を帰す訳にもいかない、分かるね?」

 今ここでシーグルを殺したとしても、この男は何も困らない。いくら旧貴族の跡取だとしても、この男程の権力があれば、どんな理由でも好きに後からでっち上げられる。
 シーグルは追いつめられていた。
 ここを生きて逃げ延びる事が出来るならばどうにかやりようがあるかもしれないが、まず、力ずくでここを逃げる事はどう考えても不可能だ。かといって先程のようにここに助けがくる事は更にない。いくらフユと呼ばれたあの男が優秀であっても、この屋敷の中にまでついてきている筈はないだろう。

「私も殺しますか?」

 ヴィド卿をじっと見つめてそう言えば、彼は大仰に肩を竦めて首を振ってみせる。

「そうするのが確かに一番簡単なのだがね、君をそれで失くすのでは余りにも惜しい」

 この男にとって、シーグルなど殺そうと思えば簡単だ。だがそれをしないのは、まだそれ以外の方法があるという事でもある。

「私は君を、君の将来をかっている。君はとても優秀な騎士となり、さぞ国の為に役だってくれるだろう」

 国の為ではなく自分の為ではないのか、と思わず言いたくなりながらも、シーグルも男が何を言いたいかを大体は理解していた。

「君は頭がいい、私が何を言いたいか分かるね?」

 いかにも心苦しい、というような芝居がかった表情をして、ヴィド卿は額に指を当てて悩んでいる素振りを見せる。

「……つまり、ここで見聞きした事を他言せず、貴方の下に付けば命を取らない、という事でしょうか?」

 シーグルがそう返せば、ヴィド卿が顔をあげる、いかにも嬉しそうに。

「そう、やはり君は優秀だ。条件は簡単だろう? 若い君の将来と天秤に掛ければ迷う事もない筈だ」

 だが、いくつもの政敵達を蹴落としてきた男は、持ち上げるだけでなく釘を刺しておく事も忘れてはいない。
 笑顔を一瞬だけその顔から消すと、安堵した振りをしながら、威圧を瞳に乗せて一言付け足す。

「本当に良かったよ、もし、君がその条件を飲めないというのなら、私は君を殺すしかなくなる。しかも君程の立場の者を殺すとなれば、嘘の事件をでっちあげる必要も出てくるしね。……たとえば、君が私の屋敷で盗みを働いたとか、私に襲いかかったとかね。君を殺した理由をそうやって正当化しなくてはならなくなるだろ?」

 シーグルは掌を震える程固く握り締める。
 つまり、ここで相手の条件を拒絶すれば、ただ殺すだけではなく、シルバスピナ家の名を地に落とすと言っているのだ。
 ならばシーグルには選択肢はない。

「分かりました、貴方のおっしゃるままに」
「うむ、頭の良い選択だ」

 満面の笑みを浮かべた男は、だが、それだけで終わらない。彼は窓際まで歩いて行くと、そこに置いてあった美術品の一つに手を掛ける。
 それはどうやら美術品に見せかけた何かの仕掛だったらしく、それから程なくして、部屋の扉が四方から開き、武装した兵士達が姿を表した。

「これは……どういう事でしょうか?」

 抵抗をする気もなく、ただ周りの兵士達を見回して言えば、ヴィド卿の代わりに、ずっとにやにやと嫌な笑みを浮かべたままのエルマが答える。

「ふふ、口約束だけで済むと思ったの? ずいぶんと甘いわねぇ」

 何が起こるのか予想出来ない不安が胸に湧き上がる。
 条件を飲むならば殺さないという事になっているのなら、なぜここに兵士を呼ぶ必要があるのか。
 見ればヴィド卿は、部屋の中の鏡台横の椅子に座っていた。

「そういう事だ、シーグル君。口頭だけの約束で安心しているようなら、私はとっくに命を落としているよ。宮廷から遠ざかっていたシルバスピナ家では教えてくれなかったろうけどね、この世界はそういうところさ」

 言ってヴィド卿は左手をあげると、その手をシーグルに向けて振りおろす。それに合わせて、兵士達がシーグルに武器を向ける。

「服を脱ぎたまえ」

 シーグルは、唐突すぎるその言葉に何を言われたのか分からなくて、目を見開いて周りの兵士達を見回した。
 その兵士達が自分に向ける瞳と、口元の笑みを見て、おぼろげながら何が起こるのかを察しながらも、それを認める事を頭は拒絶した。

「君の命は助けよう。ここから解放もしよう。だがそれは、君が約束を守らざる得なくなるような脅迫材料を作ってからだ。……これが分かるかね?」

 ヴィド卿の手にあったのは、小さな石だった。ただしそれは、冒険者サービスでも親書として声を閉じこめる事が可能な魔法の石だ。
 かつて、セイネリアを脅迫しようとして、シーグルを襲った連中が用意していたのと同じ……そこまで考えれば、シーグルは愕然とする。

「さっきは邪魔が入っちゃったけど、今度は思う存分貴方の素敵な姿を楽しめるわね」

 ゆっくりと、エルマは笑みを浮かべたままシーグルに向かって歩いてくる。腰に手をあて、嫌がらせな程優雅にその腰を左右に揺らしながら。そうして目の前までくると、妖艶とも言える笑みを浮かべて、シーグルの顎に手をのばす。
 それを思わず手で払い落とすと、その瞬間だけ目を丸くしたエルマは、くすりと笑ってヴィド卿を振り返った。

「シーグル君、命令だ。彼女からのキスを大人しく受けなさい。逆らえば……分かっているね?」

 再びシーグルに向き直った彼女は、その赤い唇を怪しくつり上げて短い呪文を唱えると、シーグルの頭を両手で押さえ、自分へと引き寄せる。
 シーグルにはそれを拒絶する事は出来なかった。
 魔女の赤い唇が、シーグルの唇に合わさる。
 途端、流れ込んでくる熱い流れ、おそらく魔力に、シーグルは反射的に顔を引きそうになった。
 けれども、彼女はそれを許さない。
 どこにそんな力があるのだと思う程の力が、シーグルの頭を押さえたまま離さない。
 彼女は、シーグルの口腔内に舌を入れ、水音さえさせて淫らに吸い付いてくる。唇を合わせ直し、時折シーグルの唇を嘗め、思うままシーグルの口腔内を犯してくる。
 やっとの事で離された時には、ごっそりと体力を持って行かれたように体に力が入らず、シーグルはがくりと床に膝を落としていた。

「あんまりにも美味しそうだから、ついでに貴方の生気を少し貰っちゃった。でも、安心して、本当にちょっとだけだから。……美味しすぎて、吸い過ぎちゃいそうだったけど」

 彼女の声が妙に遠い。
 それなのに、自分の息継ぎの音がやけにうるさい。
 とくとくと、波打つ心臓の音までもがはっきりと耳まで届く。

 体が、熱い。

 思考が完全に止まる。
 ここがどこで、今自分は何をしていたのか、それさえも考える事を頭は拒絶する。

「今ね、貴方の中にある暗示を流し込んだの。だから、とてもイイ気分でしょ?」

 息が苦しい、体が熱い。
 冗談ではない、これのどこがいい気分なのだと言い返したくなる反面、体の奥から沸き上がる熱が更に何かたまらない気分にさせる。

「シーグル君、もう一度言うよ。服を脱ぎたまえ」

 その声が誰のものだったか考える前に、体は声に従っていた。何の疑問も、何の抵抗も感じる事もなく、シーグルは自ら服を脱いで行く。
 周りにいた兵士達は、ヴィド卿の指示で武器を下ろす。
 そして、その手が再びシーグルを指して上げられると、兵士達はゆっくりと、彼を包囲しているその輪を縮めて行くように、もどかしげに身を揺らしながら服を脱いで行く銀髪の青年へと向かって行く。

 やれ、と。

 それが、終わりの始まりだった。



---------------------------------------------

次はエロです。えぇもう、どんなエロかは流れでお分かりかと思いますが、相当アレなシーンになる予定です。
何気にシーグルさん今のとこ一度に2人くらいがいいとこだったので、ここでいかにもな感じのそういう場面を書こうかなと。



Back   Next


Menu   Top