剣は愛を語れず





  【15】




 この区画を抜けるまではお送り致します、とカリンが言って、3人は傭兵団が持つ馬車の中で座っていた。
 向かい合った席の中、片方にはウィアとフェゼント、片方にはシーグル。
 互いに何を言えばいいのか分からないのか、フェゼントとシーグルは向かい合っているものの顔も見ず、もちろん言葉を交わす事もなく、馬車の中はただ馬の蹄と馬車の車輪が立てる音が響くだけだった。
 けれども、そんな気まずい空気の中、いつまでもウィアが我慢出来る筈はない。
 兄弟の事は兄弟で解決すべき、と思っていたからこそ黙っていたウィアだったが、こうしてやっと話す機会を得たのに何も進まない彼ら二人を見ている事に、いい加減苛立ちが抑えきれなくなっていた。
 だから、思い切って、自分がきっかけをつくるべきだと思い立つ。
 この際、ここで10年分の兄弟喧嘩が始まってもいいじゃないかと思いながら。

「シーグル、何であそこにいたんだ、お前。……っていうか、またセイネリアの奴に連れてかれたんだろ? 何があったんだ?」

 聞けばシーグルは顔を俯かせたまま答える。

「……俺から、行ったんだ」
「え、何で?」

 あまりにも『まさか』という答えだった所為か、ウィアはシーグルの言ったその意味を本気で最初は理解出来なかった。聞き違いかと思った。
 だがシーグルは、口元に自嘲の笑みを浮かべて言う。

「もう、俺はいらないから、あいつにやってしまおうと思ったんだ」
「おい、何言ってんだお前?」

 ウィアには理解出来なかった。ただ、先程の発言が聞き違いではない事だけは分かって、呆然とシーグルの苦しそうな顔を見つめる事しか出来なかった。

「俺にはもう価値がない。あいつでさえ俺をいらないらしくてな、当然だ、俺は……」

 だが、その言葉はそこで遮られる。
 それ以上シーグルに言葉を言わせなかったのは、ぴしゃりと高く鳴った掌の音だった。
 深い青の瞳が驚きに見開かれる。
 体を伸ばしたウィアの明るい茶色の瞳が、じっとシーグルを睨みつける。
 上がったウィアの掌は、シーグルの頬を叩いていた。

「ふざけんなよ、てめぇ」

 叩かれたまま見開かれたシーグルの深い青の瞳が、ゆっくりとウィアの顔を見ようとする。
 突然の事に、フェゼントもその空色の瞳を大きく見開き、ウィアの顔を驚いて振り返る。
 だが、当のウィアはその先の言葉を続ける事なく、くるりとフェゼントに向き直る。
 ……その後に、一番驚く事になったのはフェゼントだった。

「フェズっ」
「え?」

 何故自分に、と疑問符が飛び交うフェゼントの体をウィアが引っ張って、シーグルの前に押し出した。

「よしフェズいけっ、ここで兄としてビシっと言ってやれっ」
「え? えぇええっ?」

 ウィアの手がシーグルをビシっと指さす。
 フェゼントは完全に頭が混乱していた。

「ちょ、ちょっと待って下さい。ウィアが何か言う事があるんじゃないんですか?」
「何言ってるんだ、ここはどう見ても兄としてフェズがガーンと言う場面だろっ」
「だったら何故、シーグルを貴方が叩いたんですかっ」
「そりゃ、フェズに叩けって言っても手加減してちゃんと叩けないだろ。ここはちゃんとこいつが痛みを感じなきゃだめなんだ、だから、そこだけは俺が代役したんだっ」

 得意げにいうウィアに、フェゼントは抗議する言葉を無くす。
 シーグルはそんな彼らのやりとりを見て、ただ本当に驚いただけのままの顔で呆然とするしかなかった。
 フェゼントはウィアの態度に苦笑をすると、そのままシーグルに向き直り、そして、どうすればいいのか分からずに困っている彼の顔を見て微笑んだ。

「シーグル」

 そして、彼に手を伸ばす。
 今まで、彼に触れる事さえ、その資格がないと怖くて伸ばせなかった手が、すんなりと今のフェゼントには伸ばす事が出来た。
 フェゼントの腕は、そのままシーグルを抱き締める。
 鎧姿の彼を抱き締めてもその感触は分からなかったものの、自分よりも随分と背の高くなった弟の体を実感して、フェゼントは安堵の息を付きながら彼に言う。

「良かった、貴方が無事で」

 予想通り、シーグルは動かない。
 でも、彼はここにいる。自分の話を聞いている。
 ならばフェゼントには言わなくてはならない事がある。
 もしそれで、拒絶されたり、非難される事があっても今は怖くなかった。それならそれで、何を言われても受け入れる覚悟がフェゼントには出来ていた。

「シーグル、すみません、私は酷い言葉で貴方を傷つけました。私が悪いのだと分かっていたのに、ずっと、ずっと、余りにも自分が言った言葉の罪が怖くて、貴方に謝る事が出来なかった。だから、ごめんなさい」
「フェゼン……ト?」

 ぎこちなく、シーグルが兄の名を呼ぶ。
 抱き締め返そうとしたのか、彼の腕が一度動きかけて……そしてまた落ちた。

「……フェゼントが、謝る事なんか……ない」

 困惑するその声は、まだ不安と後ろめたさに満ちている。
 けれどもどこか子供じみた響きもあって、フェゼントは更に強く彼を抱き締めた。

「大好きです、シーグル。貴方はずっと、私の大切な弟です」

 フェゼントは笑う。例え、瞳の隅に涙を浮かべていても、それはフェゼントが自分に出来る最高の笑顔だった。
 それでもまだ、喜びよりも不安と困惑に動けないシーグルを感じて、フェゼントは大きく息を吸い込むと、彼を強く抱き締めてはっきりと伝えた。

「それに、ありがとう。貴方はいつでも私達の為にたくさんの事をしてくれました。貴方のお陰で、私は騎士になれました、私達は住む場所を無くさずに済みました、……幼い私達は父と母と一緒に居られる事が出来ました。全部、貴方のおかげです、ありがとうシーグル、感謝してもしきれません」

 固まったように動かなかったシーグルの腕が動く。
 抱きついてくるフェゼントの体を抱き締め返すように、おそるおそる、その手がフェゼントの体を覆う。その深い青の瞳から、すいと涙が一筋落ちるのと一緒に。

「……フェゼン、ト……兄さん、て呼んで……いい?」

 嗚咽に止まりながら、ぎこちない声が弱く尋ねる。

「はい、シーグル、貴方が許してくれるなら」

 フェゼントも涙を流して、被さってくる弟の肩に顔を埋めた。

「兄さん……」

 噛み締めるように紡がれる小さな呟きは、けれども嗚咽に紛れて声にならなくなる。
 フェゼントも声を詰まらせながら、それでも、まだ彼には言う事があった。

「シーグル、今まで、ずっと貴方にばかり辛い思いをさせてきました。けれど、これからは一人で抱え込まないで、私達にも打ち明けてください。苦しい事も、辛い事も、兄弟で分け合って乗り越えて行きましょう」

 シーグルはもう言葉を話せない、噛み締めた唇から出るのはただの嗚咽で、目を真っ赤に腫らして泣くその顔は酷く幼く見えた。
 見ているウィアも、思わず貰い泣きするくらいに。
 泣く二人の兄弟の姿は、とても優しく、暖かい光景だった。

「シーグル。自分の事をいらないなんて言わないで下さい。価値がないなんて言わないで下さい。貴方は私の大切な弟です、貴方に何かあったら、私が、泣きます」

 シーグルは泣いて……泣いたまま、唇に笑みを浮かべた。

「うん、兄さん……」


 ウィアは涙を拭きながらも、笑顔で二人を見つめる。
 けれど、ふと、ウィアは思いついた事に、顔から笑みを消した。
 窓の外をみれば、もう傭兵団の建物はとっくに見えなくなっていた。
 夕暮れに染まる道沿いの建物達を見ながら、ウィアは思う。

 セイネリアはシーグルを愛していた。
 それは、簡単に諦められるようなものではなく、本当に本物の愛だったとウィアは思っている。
 なのに何故、彼はこんなすんなりシーグルを返してくれたのだろう。
 シーグルの方から彼の元へ行ったのなら、彼はそのまま愛するこの銀髪の綺麗な騎士を手に入れてしまってもよかったのだ。
 なのに、あっさりと手放した。
 愛している筈なのに、あれだけ欲しがっていた筈なのに。
 ウィアには彼の意図が予想出来なかった、その心情が理解出来なかった。

 更にいうなら、ウィア達が傭兵団へ行く道中は拍子抜けするくらいにあっさりとなんのトラブルも起きなかった。
 ヴィセントの脅しが嘘だったとはウィアは思わない。
 となれば、セイネリアが自分達が無事に傭兵団までこれるようにしていたと考えた方が自然だろう。逆にそうであると考えれば、迎えにこいと言った言葉の疑問点が解消される。
 もしかして、セイネリアはフェゼントを試したのだろうか。
 その思いは、だが確信出来る程自信がある答えではない。

 ウィアは、セイネリアに一度会って話をしたいと思った。



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この話の大本である兄弟不和の解決。もう、物語的には古典的お約束ともいうべきな兄弟和解シーンです。
でも、この二人の和解シーンより、前回のセイネリアとの別れシーンのが印象深い人が多かったのではないかとzzz


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