折れた剣と心の欠片





  【4】



 今日のポイントは浅いが洞窟になっている場所で、見張りは当然その入り口になる。
 眠る時間になれば、中では王子の供が交代で起きている筈なので、寝ている間に怪しい行動をする者がいないかの見張りは必要ない筈であった。

「自分が最初の見張りにたつのは、その方が都合がいいからか?」

 見張りについてから程なくして、そう掛けられた声にシーグルは正直驚いた。

「食えないそうだからな、あんた。俺も別にそこまで食う事に拘らんが」

 いくら食事時の見張りと言っても、別に食事を抜く前提という訳ではない。どうせ携帯食に香草のスープがつく程度、だから彼ら二人にもちゃんとこの場所で食べられるように本当は用意される事にはなっていた。それを断ったのはシーグルで、ラタも同じく断った。

「別に、貴方まで食事を抜く事はなかった」

 その言葉に、ラタが笑ったのが気配で分かる。
 どうやら、もう一人の男は別として、この男は普通に話をする気があるらしい。エルマに黒の剣傭兵団の者は余分な話をしないと聞いていた分、シーグルは最初は少し途惑ったのだが。

「正直なとこ、どいつが内通者か分からない連中が作ったモノを食べたくなかったからな、これはこれで構わんさ」

 そう言って、彼は持参していたであろうケルンの実を口に入れ、さも不味そうに顔を顰めて咀嚼した。それでシーグルも思い出したように、彼と同じく、茶色の木の実を腰のベルトについた皮袋から取り出し、口の中に放る。
 互いに、固い実を噛む音を口から鳴らし、会話が一度途切れる。
 苦い実をやっとの事で飲み込んだラタが、口の周りを拭いながら洞窟脇の壁に凭れ掛かった。

「正直何時食っても好きにはなれないが、後数日くらいはこれで持つさ」

 ラタから暫く遅れて、シーグルの方も食事が終わり、彼の様子をちらと伺う。

「傭兵団の連中は、仕事中に他の連中と話したりしない、と聞いたが……」

 それを聞いた途端、ラタは気配で笑った。

「その方が面倒がないからな」
「俺には話し掛けるのか?」
「そりゃな、俺もお前さんとは前から話してみたいと思ってたからな」

 ラタもシーグルに視線を向ける。
 その表情は気のいいただの青年のようで、他の連中もいる場所での時とは違って、少なくとも話し掛け難い空気を纏ってはいなかった。

「エルマに何を言ったんだ」

 だが、そう聞いたシーグルの言葉は彼の予想外だったようで、ラタは少し驚いて目を見開くと、苦笑して溜め息をついた。

「女のおしゃべりに付き合うのは面倒だ。聞き流してやってたら、ちゃんと質問に答えろとか怒りだしてな、だから言ってやったのさ。『無駄なおしゃべりは自分の馬鹿さ加減を宣伝してるようなもんだ、女は無駄なおしゃべりしか能がないってバレルぞ、いい加減黙ってろ』って」
「成る程、事情は分かった」

 シーグルがそんな事をわざわざ聞いて来た事が可笑しいのか、ラタは軽く喉を震わせて笑っていた。

「聞いた通り生真面目な奴だな。俺があの女に言われた事に何も反論しなかったのが気になってた、大方そんなとこか?」
「片方の意見だけ聞いて判断はしたくない。一応真相を聞いておきたかっただけだ」
「そうか、別にこの程度はどう思われても構わないからな。だから特に何も言わなかっただけだ。……まぁそれに、正直俺もあの女とまた組むのが避けられるのは歓迎したいとこだったしな」
「そうか」
「言ったろ、この機会にお前さんとも話してみたかったってのもある」

 そう言うとラタはまた視線をシーグルから外して、夜の暗闇の中、月明かりに水面を光らせている川の方を見つめた。

「あの人がそこまで拘るお前さんって人間には、興味があって当然だろ」

 水の流れる川の音に紛れそうになりながらも、少し小さく、そして先程までの口調からは変わった低い声で彼は呟く。

「もう少し言い方変えるとな、あの男をあそこまで変えちまったお前がどんな人間なのか、そしてこれからあの男がどうなるのか、それが知りたい」

 シーグルは唇をきつく結び、静かに目を閉じる。
 やはり、セイネリアは変わってしまったのか、と。それが部下達に危機感として認識されているくらいには表れてしまっているのかとシーグルは思う。

「セイネリアは、変わった、のか……」

 だからそう呟けば。

「変わったな。それがいいのか悪いのか、正直俺には分からん」

 ラタは真剣な表情から静かにその緑色の目を伏せて、胡座をかいた膝の上に手を下ろす。

「大抵のモンは、危機感を持ちながらもあの人なら大丈夫だろうとは思っているってとこかな。だが、あの人の変化を快く思ってない奴の方が多いのは確かだ。……俺も不安はある、だけどな、俺は変わったあの人に期待してるモンもあるのさ」
「期待?」

 意外そうに見返したシーグルを、ラタはにやりと口元を歪めて見つめ返した。

「なぁ、あれだけの力を持っているのに、何故あの人はあの程度で収まっているのか、おかしいと思った事はないか?」

 シーグルはそれに返す言葉を持たなかった。
 今のセイネリアを以って『あの程度』という表現をする彼が何を言いたいのかが理解出来なかった。

「普通はさ、あれだけの力がありゃ、いけるとこまで上を目指してやろうって気が湧いて来るもんだろ。そりゃ、誰かの部下として満足してるとか、自分の上限を思い知るような挫折でもしてるなら分かるが、俺が見てて、あの人は何相手にしててもいつでも余力があるくらい強い、まだまだ上に手が届く。なのに、強い部下を手に入れて、力を蓄えて、そこまでしかあの人はしない。その力を持って何か大きな事を成そうとはしない」

 そこまで聞けばシーグルも彼の言いたい事が分かる。
 だが、セイネリアが今の地位以上を目指すなら、この国を出て行くか、この国を根本から覆すか、どちらにしろ反逆者になれと言っているに他ならない。まさか何処かの貴族の家名を買って士官しろという程度の意味ではないだろう。
 だからシーグルは表情を厳しくしてラタを見る。
 少なくとも、こんな誰かが聞いている可能性もある雑談で簡単に言っていい話ではない。
 シーグルの顔から、それを読み取ったのか、ラタは苦笑しながら肩を上げて、表情だけなら冗談を言っているような態度を見せる。

「まぁ、何を成すかの具体的な話は置いといてさ、自分は強いと思ったら、上に行ってやる、力の限界を見てみたいって思うもんだろ、男ってのは。けどあの男は、力を欲しはしてもその力で何かを掴もうとはしない。……まぁ、単純な言葉一つでいえば野心がない。……それは、何故だと思う?」

 苦々しく聞き返すラタの顔は怒っているようにも見えた。
 『願い』はあっても『野心』がないシーグルには、ラタが怒りまで覚える理由がよく分からなかった。
 一度歯を噛み締めて、ラタは吐き捨てるように言う。

「心が空っぽだったからだよ。どれだけ力を手に入れても、あの男の心は空虚過ぎて、野心に繋がる程の感情が生まれない。だからこそ、持て余した力を他人に使ってやるなんて考える。強い感情に動く他人の姿を見てやろうなんて思う。あの人が出来るだけ相手を殺さず敵ばっか作ってるのだってそうさ、憎しみと殺意って強い感情をぶつけられるのを楽しんでる。自分に感情がない分、感情を剥き出しにする他人を見たがるんだ、あの人は」

 言いながらラタの瞳は再び川面へと移って行く。
 シーグルはじっと、未だどこか憤りを感じているように見える彼のその横顔を見ていた。彼の緑色の瞳が水面の月明かりをうけて、ちらちらと光を揺らす。金髪の髪に緑の瞳、シーグルのように正規の騎士としの所作を所々感じさせるこの男は、貴族でないのが不思議な程だ。
 いや、本当は貴族なのかもしれない、とシーグルは思っている。セイネリアの元にいるのは、何かしらの事情を持つ者が多い。彼もまた、何か事情があって、自分の身分を捨てている可能性もある、と。

「あの人は強い。畏怖すると同時に、男として羨むくらいにな。だから、強いあの人に仕える事に不満はなくても、ずっともどかしくは感じていた。あれだけ強い男が野心を持てばどれ程の事が出来るのだろうと。これだけの男に仕える事が出来たのなら、その力にあった大きい事をする為に働きたいと」

 自分の役割を果たす事に一杯一杯で生きて来たシーグルにとっては、ラタの話で共感出来る部分は然程多くない。
 けれども、確かに、セイネリアならば。
 あの男程の力があれば。
 シーグルが欲した、自分の運命を跳ね除ける程度の力ではなく、もっと大きなものを目指せる力が彼にはある。
 言われれば、確かに、セイネリアならば、それくらいを望んでも誰も笑わない。彼が口にしたなら、それは夢物語ではなくなる。

「だからな、あの男が変わった事で、俺は期待しているんだ。空虚な男が感情を持ったら、何の望みも待たなかった男が渇望を覚えたら、何か、大きな事が起こる、そんな気がする」

 シーグルは彼の言葉に何も返せない。返すべき言葉が分からない。
 ラタはそれを気にした風もなく話していたから、恐らく彼も別段言っている事に一々返事が欲しい訳でもないのかと思っていた。
 だが、唐突にラタは背伸びをすると、顔に笑みさえ浮かべて、シーグルに向き直り尋ねた。

「なぁ、あんたは、あの人の持つ黒の剣について、どれくらい知ってる?」

 彼の傭兵団の名前にもなっている剣の事は、シーグルは噂程度にしか知らない。何度かセイネリアと仕事をした事があっても、それらしき剣を使うどころか持っていた事さえなかった。砦の援軍で参加した時に、彼が魔法の武具を使うところは見た事があるが、それは黒の剣ではなかったと思われる。

 だが。

 ……ただ一度だけ、見た事があるとすれば、つい数週間前、一角海獣傭兵団に来た時だろう。
 それは終った後にも関わらず、空気だけで鳥肌が立った。倒れる男達の中、憔悴した様子のセイネリアの腰にあったのは、黒い鞘と黒い柄の真っ黒な剣だったとシーグルは記憶を辿って思う。
 あれが黒の剣ならば、セイネリアという男が恐れられる意味が理解出来る。
 あの惨状は人間が作り出すものではなかった。
 あれがセイネリア一人の手であったのなら、あの男を倒す為に、一体どれだけの戦力があればいいのか予想が出来ない。

「一角獣傭兵団の……時に彼が使ったのが黒の剣、ならば……」
「あぁそうだな、あの時は使ったって聞いてる。じゃぁ、話は早いな、あれは化け物だったろ? あの人に勝てる人間なんていないんじゃないかって思ったろ」

 シーグルは返事を返せない。
 黙って俯くシーグルの頭に浮かぶのは、人ならざる者の仕業としか思えないあの惨状だった。回りにあったろう木々は根を残して姿を消し、地面は焼け焦げて抉れ、倒れていた人間の姿は二十は軽く超していた。実際死んでいた者は少なかったとは言え、心を潰されて廃人同然となった者達の姿を見れば、『アレは戦ってはいけない者』だという事は直感で分かる。
 それでもあの後、どうやらセイネリアは脅しに剣を振って見せた程度しかしておらず、大半は逃げた後だとカリンが言っているのをシーグルは聞いた。

「ここ一年くらい、あの人はずっとあの剣を使う事は止めてた。理由はなんだと思う? 前に聞いたらつまらんからだって言ってたかな。前線で暴れるような仕事に出なくなったのものその頃からだ。一時期はその手の仕事ばっかで、いかにも傭兵団って名前に相応しかったんだけどな」

 笑顔さえ浮かべて言っていたラタは、だが急に顔から表情を消す。
 それから、ゆっくりと長く息を吐き出して、落ち着いた声で言葉を続けた。

「かつて、戦場は、あの男でも高揚する何かがあったんだろうよ。ところが、強過ぎるが故に面白くなくなった。黒の剣を使わなくなったのはその所為だろうな。実際、あれに頼らなくても、あの人はいつも余裕があり過ぎるくらいだ。……だが、今回あの剣を再び使ったのは、それだけ何があってもあんたを助けたかったからだ。あんたの為なら、あの男が『遊び』を無くして結果の為だけに最大の力を使うって事なのさ」

 シーグルは握り締めた自分の手を見つめて呟く。

「何が言いたい?」

 自分でも硬い声だと思いながら、話の重みを噛み締める。
 ラタがそのシーグルにちらと視線を動かし、苦笑を唇に浮かべた。

「さぁ? ただ、あれだけの男が、自分の為に動くってのはどういう気分なのか、それが気になる。あんたは自分が思っている以上の重要人物だ。もう少し行動に自覚を持ってもらいたいものだと思ってな」

 シーグルは目を閉じる。
 見つめて来るラタの視線に耐えられなかった。

「あいつが、勝手にしている事だ」
「その通りだな」
「俺は、あいつに俺の為なんかに動いて欲しくない。あいつにとって俺はただの玩具で、気まぐれで構っているだけの存在だ。そうでなければならない。そうでなければ、あいつはあいつじゃない」

 拳を固く握り締め、目を閉じたまま頑なにそう呟くシーグルを、ラタは驚いたように目を丸くして見つめる。
 どれ程彼にとって意外だったのか、暫くは言葉も返せず呆けたようにシーグルの顔を見つめて、そして、急激に顔を顰めると、ラタはその顔を両手で覆って肩を震わせ出した。

「……成る程な」

 ただひきつるように肩を震わせていたラタは、喉だけで笑い声を上げ、今度はシーグルが彼のその反応を呆然と見返す事になる。
 川の音に消えるような押し殺した笑い声が小さく響いて、そして、ラタはゆっくりと顔を上げる。

「成る程、そういう事か」

 彼が何に納得しているのか分からないシーグルは、不安そうにラタの顔を見つめた。

「あんたも、あいつと同じって事か」
「何が分かると――」

 シーグルが口を開きかけると、ラタは笑い声を収めてシーグルに黙るように指を立てて押し付ける。

「あんたって人間がマスターをどう思ってるかってのは分かったよ。あんたがどうしようもなくガキだって事もな。あの人も報われない……いや、誰も報われない、馬鹿馬鹿しい話さ」

 そう言って彼は、もう話をする気が無い事を示すように目を閉じると、腕を組んで背を岩肌に寄りかからせた。
 シーグルはそれでも、暫くの間は彼がまた何かを言い出すのかと気配を探っていたが、どれだけ待っても川の流れの音以外聞こえてこない事を理解して、意識をラタから離した。
 そうして、今彼に言われた事を考える。
 変わってしまったセイネリアの事を。
 彼が持っている強過ぎる力の事を。
 そして、彼が、本当は自分をどう思っているのかという事を。

「あぁ、そうだ。最後に言っとく事がある」

 すっかりラタから意識を逸らして自分の考えの中に耽っていたシーグルは、その声で顔を上げた。
 ラタを見れば、彼ははっきりとシーグルに視線を向けていた。

「俺達は今回、この仕事に関しては普通にきっちりこなして来るように言われてる。だからどれだけ不利な状況になっても、護衛の仕事は最後までやる、裏切りはしない、何に掛けて誓ってもいい、信用してくれ」

 真剣な表情と彼の声からは、その言葉を疑いようがない。
 更に彼は言いながら剣を抜き、それを胸に掲げて、騎士が剣に掛けて誓いを立てる動作をして見せる。
 だが、目を閉じて小さく誓いの言葉を呟いた後、剣を納めた彼の表情は一変する。
 真剣だった瞳は、明らかに反応を伺うような興味本位ととれる目付きに変わる。

「……だけどな、あんた個人としちゃクリムゾンには気を付けた方がいい。仕事に関しちゃ信用して構わないが、あいつは個人的にあんたを快く思ってない。団の中でも、あの人が変わった事に関して一番納得出来てないのが奴だ。あいつはマスターの完璧な強さに惚れこんでたから、それを崩したあんたが許せないのさ」

 まるで世間話をする程度の軽い口調の彼は、言い終わると唇だけに歪んだ笑みを浮かべる。

「あんたなら、あいつの気持ちが分かるだろ?」

 水面の月明かりを映して暗闇の中光る、その緑色の瞳は決して笑ってなどいなかった。




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今回のでラタの性格が分かったのでは。
しかし結局会話だけで終了しました……BLとしてどうなのよな内容orz


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