折れた剣と心の欠片





  【2】



 クストノームは、四方を山に囲まれているだけあって、まともな手段で行こうとすれば、少なからぬ苦労を強いられる場所にある。
 だからこそ、来る必要がある魔法使いや、商人、冒険者以外ではここに来ようとする者はないといえるのだが。

 ここへ住んでいる者は別として、ここと頻繁に行き来する者は、転送の術や、それに順ずる特殊な方法を交通手段として使うのが普通だった。だから、街の門から出入りする者は、これから仕事をこなしにいく冒険者や見回りに出る騎士団員、後は隊商くらいしかおらず、立派な町並みと立派な門からすれば行き来する人々の少なさは首都の賑わいを知っている分やけに寂しく見えた。

 シーグル達一行は、門番に事務局からの依頼書を見せて、街を出て行く手続きをしているところだった。
 形式はちゃんと通ってきている分、依頼書は本物であり、既に街を出る許可はおりている。依頼書の内容は建前上の嘘ではあるが、門番達にしてみれば内容にまで興味があるところではないのだろう。
 メンバーの状態を確認したあと、程なくして彼らは出発する事になった。





 あの後、街についてまず向かったのは、若草の館と呼ばれる、単純に言えば魔法使い見習達の学校だった。ただし、神官達が学校に行くのとは違って、一般的に魔法使いというのは学校に通って成るようなものではなく、才能を見出されて魔法使いの弟子になるのが、ほぼ大多数の魔法使い見習達の形だった。
 だからここは、魔法使いになる為の学校、という訳ではなかった。
 そのまま単純に、魔法使いの知識を身に付ける為の学校とでも言うべきか、魔法そのものを覚えるよりも、彼らがもつ知識を学ぶという目的で作られていた。だからここに通うのは、それらの知識を生かして将来役人や医者になりたい者が殆どで、勿論こんなところへわざわざ通うのだから、生徒は裕福な家の者達に限られていた。
 ただ一応、ここに通って魔法使いになるものがいない訳でもない。
 いわゆる良家の子女が才能を見出されても、おいそれと魔法使いに弟子入りする訳にもいかず、ここで学んで魔法使いになる事が極稀にある。
 とはいえ世間的には、ここへ通うのは貴族や富豪の子供に高度な勉強をさせる為という認識で、ここへ子供を入れる事が一種のステイタスになっている面もあった。

「つまり、金持ちのご子息がどっか行くのに護衛しろって事なのかね」

 館についた途端、初老の騎士ベーガルが言っていた言葉はある意味正しい。ただ、単なる金持ち程度で済む人物ではない、というのが問題ではあるのだが。

 彼らが館の中で手続きを済ますと、すぐに護衛するべき対象の一行と会う事が出来た。恐らくウォールト王子と思われる小柄な青年はフードを深く被り顔を見せようとはせず、ヴィド卿の部下である供の2人がシーグル達に対応し、王子本人と冒険者達を極力接触させないようにしていた。
 一部ではそれに不満の声が上がる事もあったが、その人物が本当に王子本人であるなら仕方のない事ではある。ただし、こちらが護衛するのは王子に見せかけた偽者、つまり、自分達の仕事がただの囮の可能性も考えてはいたが。

 一行はその後、供の者からこれからの旅の予定を告げられ、そのまますぐに街を出る事になった。手続きはすんなりと通り、特に彼らを付けて来る何者かの気配を感じる事もなかった。天気も幸い快晴で、これから山道を行く事を考えれば、全てが全て順調に進んでいると言ってよかった。

「それで、合流地点はそんな遠くないんでしょ?」

 魔法使いのエルマは、出発からまだ然程歩いてないのに、既にだるそうな歩調で歩きながらシーグルにそう言って来た。

「あぁ、この山を降りてすぐだ」
「じゃぁ、サンレイ河のところかしら」
「そこに船が用意してある」
「成る程ね、船で合流って事になる訳ね」
「そうだ」

 だるそうに歩く彼女は、話しながらも歩みを緩めないシーグルに、置いていかれまいとその腕を掴んで来た。

「ねぇ、ちょっとペース早くない? 私は職業柄あまり肉体行使は得意じゃないんだけど」

 武器を持って戦う事のない、女性らしい細い手がシーグルの腕を引く。魔法使いである彼女は、体のあちこちに魔法言語の刺青が入っていたが、シーグルの腕を掴んで来た右手の甲には蝙蝠の刺青があった。
 完全に彼女に腕をとられたものの、シーグルはちらとその手を見ただけでそれを振りほどく事はしなかった。ただし、彼女の顔には全く興味がないように見ようとしなかったので、彼女は不満そうに顔を顰めたが。

「私はいいとしても、依頼主の方々がついてこれないと思うわよ?」

 明らかに怒って言う彼女の言葉には、だがしかし、歩く列の一番後ろから声が掛かる。

「それはないな、エルマ。すっとろいのはお前さんだけだ」
「えー」

 一番後ろにいるのは初老といえる年齢に差し掛かった、けれども未だ動きに力強さがある騎士のベーガルだった。騎士である彼は、年齢的な事はあっても、この程度の山道で音を上げるような事はありえない。
 更に言えば、見た目は商人のような服装をしているが、動作からしてこの手の山歩きに慣れている雰囲気の、少なくとも一人は騎士と思われる王子の供の二人が辛い事はもっとあり得ない。唯一彼女より歩けなさそうなのは王子本人だが、彼だけは山岳地帯用の馬とも言える跳ね馬に乗っているので、歩くのが辛いという事はないだろう。

 メンバーを見回してそれを理解した彼女は、諦めたように今度はちゃんと歩き出した。どうやら、歩けなくはないがもう少し楽をしたかっただけらしいとシーグルは思う。

「はいはい、私が歩けばいいんでしょ。まったく、貴方も貴方よね、そんな重くて暑そうな格好でよくそうきびきび歩けるものだわ。ねーえ、暑いんじゃない? 兜くらい外せばいいじゃない、ハンサムさん」

 そう言ってしなを作って腕に胸を押し付けられるに至って、初めてシーグルは彼女の手から腕を取り戻すように振り払った。

「鎧は見た目程重くない。この日差しの中では却って兜をつけていた方が目が楽だ」

 兜の中はハレーション対策で黒く塗られている。日差しが強いのならば、兜越しに見ていた方が楽だというのは嘘ではなかった。
 だが、腕を振り解いた事もあって、エルマはそれをただ自分をあしらう為の言葉だと思ったようで、彼女は怒った様子で歩調を緩め、シーグルの後ろへと下がって行った。

『男の相手をしているだけあって、女には興味ないのかしら』

 下がる直前に呟いて言った彼女の言葉は、見た目上は無視をする。
 評価に星が入っている上級冒険者であれば、ほぼ大抵は、シーグルとセイネリアの関係に関する噂を知っている。それでも本当に実力がある者であれば、仕事は仕事と割り切っているのもあって、噂話を元にどうこう言って来る事はまずない。
 とはいえ、やはり気にするものもいる。だからシーグルはこのところ、ずっと一人で受けられる仕事しかしていなかった。

 今のところ、ベーガルもエルマも、シーグルと仕事をする事になって特に不満を言ってはいないようだった。エルマの今の言葉は、シーグルの態度に対するあてつけなだけであって、彼女自身は仕事は仕事と割り切っているタイプではある。二人共、能力的にも信用的にも、恐らく問題はないとは思われた。

 ただ、問題はこの後だった。

 この後合流する3人はの事は、今のところシーグルはまったく情報を貰っていない。
 供の二人に聞いては見たのだが、彼らも知らないと言っていた。
 仕事の内容的に能力は多少目を潰れるとしても、信用の出来る者である事だけは祈らずにはいられない。それ以上に、既に今回の事が敵対勢力にばれていて、そちらの手の者が仲間の振りをして待っている事だってあり得る。
 だからシーグルとしては、ひとまず今は、合流の時が一番警戒をすべき時だと思っていた。

 ――それだけ気を張っていたからこそ、シーグルはその後、合流した連中の顔を見て驚く事になったのだが。










 報告書に目を通しているセイネリアを見つめて、カリンが、呟くような静かな声で尋ねる。

「顔色があまり良くありません」

 セイネリアはその声に反応する事なく、声だけを返した。

「少し夢見が悪いだけだ」

 それだけで、カリンは全て察したのか溜め息をつく。そしてそれ以上言葉を続ける事を止めた。
 そんなカリンの様子を気配で悟って、セイネリアは自嘲を唇に乗せ、ちらと今日は装備を着けず素手のままの自分の掌に視線を向ける。

 セイネリアの腕の中で泣いていた彼の姿を思い出し、そしてその感触をも思い出すように掌をぎゅっと握り締める。今のセイネリアにとって、この手にその感触を思い出させる事だけが心に僅かな明かりをくれた。それに縋らなくてはならない程、今のセイネリアの心には先の見えない闇ばかりが広がっていた。

 あの時。初めて自らセイネリアに縋り付きただ泣く彼は、本当に幼い子供のようだった。――いや、彼は本当に子供なのだ、まだ。
 子供時代を自らの成長で終わらせる前に、状況の所為で無理矢理終らせざる得なかった彼は、精神の根本に子供のままの感情を押し込めて、表面に大人の殻を被せていた。
 だからこそ純粋で、だからこそ強く、そして危うい。
 縋りつく腕を求めているくせに、それを自分に許さない。普段はその理性の殻が自分を制していられている彼は、恐らく初めて、それを壊して子供のままの自分をぶちまけた。

 それが彼に与えた心の変化は、何か決定的なものであった事は確かだった。

 朝になって、彼の感触を名残惜しく思いながらも、彼が起きた時に自分がいない方がいいだろうと先に起きたセイネリアは、その事を深く後悔する事になった。

 一角海獣傭兵団の事後処理の指示を一通り終えた後、彼の様子を見に行った時、彼の浮かべる表情は何処かぎこちなく、酷く違和感を覚えた。
 まずセイネリアに礼を言った彼の顔は、無表情を通り越して無感動とでも呼べばいいのか、あまりにも言葉だけが心とは切り離されたように浮いて聞こえた。

 何かが変わった、というよりも、何かが欠けてしまった。

 そんな印象をセイネリアは抱いた。願わくばそれが一時的な物であれば良いと思いながらも、普段から表情の乏しかった彼は暫くここで療養させている間、セイネリアに対し前のように見ただけで拒絶を示さなくなった代わりに、ただ苦しそうに口元に自嘲の笑みを浮かべるだけになった。
 彼の中の何が変わったのか、あるいは失われたのか、セイネリアには分からなかった。
 だが、確実に彼は変わってしまっていた。

 決定的だったのは、ここを出て行く前日、最後に彼を抱いた時だった。
 仕事があるから帰る、と言った彼に、試すように今回の代価に抱かせろと言ってみれば、彼は自嘲気味に歪んだ笑みを浮かべてすぐに了承を返した。まるで全てを諦めきったように、嫌そうな素振り一つ見せないで、そんな態度を取る事さえ馬鹿らしいというように……。
 彼は抱いても拒絶しなかった。
 合意の上での行為であっても、何時もなら体が自然と拒絶の反応を見せ、心の拒絶に悔し涙を流していた。だがその時の彼は、ただ黙って自分に体を明け渡すように抱かれていただけだった。
 確かに何時も通り声は抑えてはいたが、体はされるがまま、瞳はただセイネリアを見ずに何も無いカラの空間を見つめて、心を閉ざすように抱かれていた。
 深い青の瞳は一度も涙を流さなかった。
 だが、その瞳の奥には底の深い絶望と空虚が根付いてしまっていた。

 ただ一度だけ、彼が去る直前に抱き締めた時、僅かに彼が自嘲ではなく苦しそうに、それでもこちらの顔をしっかりと見つめて笑った事だけが、セイネリアの中に僅かな希望を残して行った。

「我ながら、臆病になったと思うのだがな」

 呟けば、カリンは返事を返す事なく、ただじっとセイネリアの顔を心配そうに見ていた。

「……あいつは、怒ると思うか?」

 怒ればまだ救いがある。いつもの彼なら確実に怒ったろう。
 だが、あるがままを受け入れるのなら、それは彼から何かが失われた印でもある。
 苦笑をしながらセイネリアが言えば、彼女は迷った末に口を開いた。

「怒る、かもしれませんね……けれど、私も、今回の件はこれくらいはやってもいいと思います。それくらい……今のシーグル様は危ういです」

 セイネリアはそれに自嘲の笑みを返す。
 そうしながら、覇気の薄れた琥珀の瞳を閉じ、胸の中にちりちりと燻り続ける鈍い痛みに眉を寄せた。
 そうして、再び彼の感触を思い出すように掌を握り締めると、それを胸に抱く。
 まだ、間に合う。きっと、あの時の温もりと喜びを、再び感じる事が出来る筈だと、それを自分に言い聞かせて。





---------------------------------------------

設定の説明みたいな文章が多くてすいません(TT



Back   Next


Menu   Top