エピローグ:いつか、必ず





  【2・失ったもの】



 大通りから西区に入る道。
 その前で、一度大きく深呼吸をしてから、シーグルは思い切って馬を進める。
 この道を真っ直ぐいけば、大規模な傭兵団のある特別区に入る。治安はよくないというのは周知の通りだが、一番性質のよくない連中が集まっていた一角海獣傭兵団が無くなってからは、そこまで危険という程でもなくなっていた。
 それでも、自分の身くらいは守れる自信がなければ、この辺りを歩く事は到底勧められる事ではないが。

 ――結局、シーグルの体は本調子と言えるところまで戻すのに、屋敷に帰ってから5日間も掛かってしまった。
 早く来なければと思っていたのに、治療師に止められてなかなか外出許可さえ貰えなかった。行く場所が場所であるからせめて普通に動ける状態になるまでは、と言われて、ここに来るのに5日も間が開いてしまった。

 傭兵団の前に来て馬から降りたシーグルは、だが、平日の午前中だというのに、そこに人の気配を感じる事が出来なかった。
 門は堅く閉ざされ、外から見える場所に人影は見えない。
 無論、中から声がする事もなく、まるで廃墟のように静まり返っていた。

 けれども、そうして呆然と門を眺めていると、中から一人の人影がこちらに向かってくるのが見えた。
 それを見てほっとしたシーグルは、急いでその人物に声を掛けた。

「俺はシーグルだ。セイネリア・クロッセスに会わせて貰いたい」

 けれども人影は止まる事も返事をする事もなく、ただ近づいて顔が見えるくらいの位置までくると、少しだけ困ったように首を傾げた。

「残念ながら、もうここにはマスターはいないんだ」

 シーグルは門の鉄の仕切りを掴みながら、驚いて目を見開いた。

「……どういう事だ?」

 男は苦笑しながら、鼻の頭を指で掻くマネをする。

「ちょっとばかり派手な仕事をしすぎたからな、これ以上お偉いさんに目ぇ付けられると面倒なんでね、ここを引き払って拠点を移す事にしたのさ」

 権力者に目を付けられるような派手な仕事、といえばヴィド卿の件に違いない。表向きはヴィド卿が自殺をしたと、それだけがあの後シーグルの耳に入ってきた話であるが、それはセイネリアが何かをした所為だとシーグルは確信していた。
 門の中の男は、呆然とするシーグルの様子に肩を竦めると、鍵を外して門を開いた。

「俺がここにいるのは、あんたに話があったからさ。それでも、明日までにあんたが来なければ俺も諦めるつもりだった。あんたが今自分からここに来たって事は、話した方がいいって事なんだろうな」

 そう言って男はシーグルについてくるように手招きをして、建物の中へと歩いていく。シーグルはそれに付いていった。

「まず、一つ言っとくとな。ヴィド卿の件だけど、あれはあんたの為だけにした事じゃない。だから、全部自分の所為だって思い込むのはやめとけ」

 男は話しながら、ゆっくりと建物の中を歩いていく。
 青い髪と青い瞳の男。その髪の色はクリュースには珍しく、恐らく別の国から来たのだと思われる。
 背中に見えるアッテラの刺青とその鍛えられた体を見れば、彼がアッテラ神官だというところまではすぐに分かった。

「あんたは知ってると思うけど、傭兵団の一部の連中は、マスターと個別契約をして主従関係をを結んでる。俺もその一人でな、俺があの人に望んだ願いは、弟の敵討ちだった訳さ」
「それが、ヴィド卿だと?」

 シーグルが聞き返せば、男は喉を震わせて笑う。

「まぁ、そういうこった。復讐なんてバカバカしいよな、その為だけに自分の一生を決めるのなんて、きっとハタから見たらおかしいだろよ。……でもな、それでも俺は許せなかったんだ」

 建物の中には、他に誰の気配もない。
 ならばこの男は何処に向かっているのだろうとシーグルは思う。

「騎士になりたいっていって真面目に冒険者してた弟は、とある貴族の護衛に雇われた。だがそこに密通者がいてな、当の貴族共々護衛についてた奴は皆殺しさ。お察しの通り、その密通者を使って暗殺部隊を寄越したのがヴィド卿って訳だ。しかも事件は表向きには暗殺じゃなく、護衛連中の一部が金目当てに裏切って主を襲ったって処理された。それが信じられなくて俺は事実を突き止めた訳だが……それが分かったとしても俺の力じゃどうしようもなかった、だからあいつに頼んだ」

 明るい印象だった男が声を落として語る内容は、貴族間の権力抗争ではよくある話ではあった。
 だが、だからといって当事者のやるせない怒りはシーグルにも想像出来る。そして、自分が同じ立場だったのなら、彼と同じ道を辿るかもしれないとも。
 暫く黙って歩いた男は、唐突にちらとだけシーグルを振り返ると、今度は笑顔を浮かべて言う。

「……まぁさすがに……真相の裏付けやらで調べたりするのに時間がかかっちまった訳だがな。それでも計画を進めてたとこに……あんたの件が起こった。根回しはしてあったからオオゴトにはならずに済んだが、ちょっとばかり強引にやるために派手に動いたのは不味くてな。まぁ、もともとこの件が終ったらここを出てくかってのは、最初からマスターとも話してた事だったんだ。だから、この件は確かにあんたの為ではあるけど、元々は俺の復讐の為の計画だったって事を、あんたには言っといた方がいいかと思ってな」

 そうして、長い廊下を歩いていた男は、とある部屋の前で足を止める。
 その部屋には扉がなかった、だから部屋の中はすぐに分かった。
 ……そして、その部屋の前には、シーグルの知っている少女が待っていた。名をソフィアと言っていた少女は、シーグルを見ると僅かに笑みを浮かべて頭を下げた。

「転送部屋?」

 部屋の床にある魔法陣を見れば、そこがこの傭兵団の転送部屋だというのは分かる。
 そして、クーア神官のこの少女が待っているという事の意味も大体は予想する。
 だが、柱の向こうからもう一人の人影が現れて、それにはシーグルよりも、ここまでシーグルを連れてきたアッテラ神官の男の方が驚いた。

「――って、来てたのかよ」

 黒の剣傭兵団の中でも黒のイメージが特に濃い、セイネリアの片腕である黒髪の女がソフィアの後ろに立っていた。彼女がいるのが彼の想定外であるという事は、その反応ですぐに分かる。
 シーグルもよく知る彼女は、目が合うと軽く礼をして一歩前に歩みでる。

「シーグル様、この男が何を言ったのかは分かりませんが、私は貴方がボスの元に来るのを止める為にここに来ました」
「おいっ、どういう事だよっ」

 彼女の言葉にくってかかるように、青い髪の男が彼女の方に向かって歩いていく。
 だが彼女は、男を一度きつく睨みつけてその動きを止めると、またシーグルに目を合わせて言葉を続ける。

「貴方は、どれだけの覚悟でボスが貴方から離れたか分かりますか? だからこそその反動で、今貴方に会えば、ボスは貴方を離す事が出来なくなるでしょう。あの方のものになる気がないのでしたら、貴方はボスに会うべきではありません。今の貴方には、あの方のものになる覚悟も、あの方を拒絶出来るだけの自信もあるとは思えません」

 丁寧な言葉の中にシーグルを非難する意志を宿して、カリンはシーグルに対して今までで一番冷たい口調で言葉を綴る。
 シーグルは彼女のその言葉に大きく目を見開いた。

「貴方はボスに会って何を言う気でしたか? あの方の意図に気づいて、あの方に申し訳ないと、それだけで来たのではないのですか?」

 そういわれれば、シーグルには返す言葉がない。
 唇を引き結んで瞳を伏せたシーグルに、彼女も軽く目を伏せて見せた。

「ボスに申し訳ないと、そう思っている今の貴方はボスを拒絶出来ない。今貴方を手に入れてはいけないと分かっているボス本人でさえ、貴方に会えば感情を制御仕切れない。互いの為に、今は会うべきではありません」

 シーグルは口を開く事さえ出来なかった。
 彼女の言う事はまさにその通りで反論する余地がない。今のシーグルでは、彼に全てを任せる事も出来ないまま、かといって彼を拒絶する理由さえ思いつかず、中途半端に彼を受け入れてしまうだろう自覚があった。

「なら……俺にどうしろと……」

 呟けば、カリンは伏せていた瞳をまっすぐシーグルに向ける。その揺るぐ事がないまなざしを、シーグルは目を細めて羨むように見つめた。

「強くなって下さい。あの方が貴方にした事を無駄にしない為にも、貴方自身の為にも。あの方の目をまっすぐに見て、はっきりと貴方の言葉で貴方の出した結論を伝えられるくらいに。……あの方に貴方が今返せる事はそれだけです。貴方が貴方らしく強くあること、ボスはそれだけの為に自分の感情を殺したのですから」

 そう告げて、カリンはシーグルに背を向ける。
 長くしなやかな黒髪を揺らして、誰よりも強い男の一番の理解者である女性は、主の元へ帰る為に転送陣の中へと向かう。

「おいっ……ったく、ずっと待ってた俺より、いいとこ全部持っていっちまうなよっ」

 アッテラ神官の男が不機嫌そうに頭を掻きながら、彼女を追うように彼も魔法陣の中へ向かっていく。
 だが、彼は唐突にその足をぴたりと止めると、何も言えずただ見ているだけのシーグルを振り返った。

「あぁ……最後にさ、あんたに聞いてみたい事があったんだ」

 ただのついで程度のように、彼の口調は明るく軽い。
 ただしその後に続けられた言葉は、冗談めいた口調の中に真剣に探るような響きがあった。

「俺は団でもあの人とはつきあいが長い方でさ、だからちょっと他の連中より知ってる事がある。あの人さ、黒の剣を手に入れる前と後じゃ相当変わったんだ。
 そりゃ、その前から馬鹿みたいに強くて、勝手で、頭の回る人だったけど……なんていうかな、剣を手に入れてから随分と無気力っていうか、妙にジジィ臭くなって何もしなくなっちまってな。いや、最初は剣を試すのにいろいろやってたんだけどな、その内剣を仕舞い込んで全く使わなくなっただけじゃなく、表に出るのもやめちまった。あんたは知らないだろうけど、前のあの人は、よく派手に暴れてたし、興味が湧くと結構いろいろ首突っ込んで遊んでたんだ。剣を手に入れてからは、あんたの事くらいだったよ、あの人があそこまで楽しそうに興味持ってたのってのはさ」
「何故……」

 思わず聞き返したシーグルの言葉を聞き取って、相手は大仰に肩を竦めてみせる。

「何故ってのはこっちの台詞でな、それが俺も不思議だったんだ。普通はさ、逆だろ。馬鹿みたいな力を手に入れたらさ、人間ってのはその力を使って何か大きな事をやってやろうって野心ぎらぎらになっちまうもんだよな」

 そういえばラタという男も、セイネリアが持つ力の割に野心がないと言っていたと、シーグルは思い出した。

「まぁ俺の予想としては、気が抜けちまったのかなと。剣を手に入れる前のあの人は、そりゃー強くなる事に拘っててさ、ぞっとするような無茶も平気でやるような人だった。だから力を手に入れたら強さを求める必要がなくなって、目標を見失ったのかなとね」

 神官の男の予想は確かに間違っていないようには思えた。
 だがシーグルには、それだけであの強い男が自分の道を見失うとは思えなかった。

「黒の剣、というのはなんなんだ……」

 確かにシーグルは、あの剣の強さの欠片程度の力は見てはいた。
 それだけでも、あの剣の力が尋常ではない予想は出来た。
 けれども、力だけではなく、あの男を変える程の決定的な何かが剣にあったのではないだろうか。

「そこは正確には俺も分からねぇな。まぁ、聞いた話じゃ魔剣ってのは、別に剣を使わなくても、主になった時からいろいろ剣に影響されるらしいがね。……そういや、剣を手に入れる前からあの人はトンでもなく強かったけど、そん時は頭の良さで相手を追い込むのと馬鹿力で圧倒するってのがあの人の強さだった。あとは常識外に度胸いいとことな。……だけど、剣を手に入れた後は……なんだろうな、戦ってても隙ってか危うさが全然ないんだよな。全部読んでるっていうか、戦ってると掌の上で踊ってるような感覚でな、あんまりにもバカバカしくなって皆手合わせをしようって気をなくした」

 シーグルは魔剣について、そこまで詳しい話は知らない。
 ただ、使わなければ済むというだけのものではないのならば、例えば、剣によって強制的に戦う為の身体能力さえ強化されてしまっているという事もあり得るのではないだろうか。セイネリアが余りにも強すぎる、という事は、何度も彼と勝負をしたシーグルも勿論思わなかったことではない。

「ボスは……いない存在だったそうです」

 ぽつりと、呟くような声に、シーグルは反射的にカリンに目を向ける。
 だが彼女は背を向けたままこちらを見る事はなく、彼女が今どんな表情をしているのかは分からなかった。
 だが、淡々と感情のない、けれども何処か沈んだ声がはっきりと続けられた。

「親からもいない人間として扱われ、だからこそ、自分の力で強さを手に入れて、自分の価値を作る事に拘ったそうです。あの方が最強と言われるようになったのは剣を手に入れる前です。剣などなくても、あの方自身の力で、最強と言われるだけの力を掴みとっているのです。本当はあんなものあの方には必要なかったのです」

 あぁ――ならば。
 シーグルは唐突に理解する。

 セイネリアが強くなる為に、どれだけの努力と、どれだけの無茶をしたのかはシーグルには分からない。けれども、彼が努力したならしただけ、血と汗を流したならその分だけ、手に入ってしまった強すぎる力は、まるで彼の積み重ねてきた労力を無に帰すように感じたのではないだろうか。自分が掴みとって得た力ではなく、手に入ってしまった剣によって与えられただけの『最強』の力は、まるで自分の今までの労力全てを無意味なものにしたと感じたのではないだろうか。

 シーグルには分かる。

 きっと彼にとって、強くなる事が生きる意味だった。
 なのに彼はいきなりその強さの終着点に飛ばされてしまった。しかもそれは、自分で掴みとったものではなく、剣を手に入れたというだけのもので。
 それで彼は、全てがバカバカしくなったのだ。
 目標を失ったという、アッテラ神官の予想も間違ってはいない。だが、見失って途方に暮れているというよりも、目標を簡単に手に入れたせいで、その目標の価値が彼の中で無くなってしまったと言った方が正しいのだろう。
 自分が掴みとってきた『強さ』が彼の誇りと生きる意味であったなら、剣からあっさり与えられた『強さ』は彼の今までの生を否定されたと言ってもいい。

 どれだけ手をのばされても、愛されても、シーグルが彼の手をとれない理由――自分が今まで積み重ねてきたものを放棄したくなかったというその気持ちと、剣に対するセイネリアの感情は似ているのではないか、と。
 そう、思いついた途端に、シーグルはセイネリアが自分を手放した理由も理解する。

 最後まで、体だけではなく心が欲しいと言った彼は、ただシーグルがシーグルらしくある事に拘った。だからこそ、自分が剣を手に入れて失ったモノが分かっている分、シーグルが彼の庇護下に入って失うモノが分かってしまったのかもしれない。

「なんで――あいつは、そこまで俺を……」

 呆然として呟いた言葉に、青い髪の男は穏やかに笑う。

「やっぱり分かる、みたいだな」

 何故かやけに嬉しそうな顔で笑って満足そうに口元を引き結ぶと、彼はシーグルに何かを投げてよこした。

「これは?」

 男がシーグルに投げてきたのは、親書に使われる声を入れる為の魔法石だった。
 シーグルが手の中のものと男の顔を交互に見ると、アッテラ神官の男は軽くウインクをしながら言ってくる。

「……あんたを帰した後のあの男はさ、一日部屋に籠もって誰とも会おうとしなくてな、いくら飲んでも酔えないくせにモノ食わずに酒飲んでたんだぜ。……それでも、次の日フユが屋敷のあんたの部屋から笑い声がしたって報告したら、表面上はいつも通りのあの男に戻ったんだけどな。……まぁ、なんだ、あの男があれだけ落ち込んでる姿みたらさ、この俺でさえ同情しちまった訳なんだよ。だからあんたが気付いてくれたなら会わせてやりたいって思ったんだけど……会うのはだめでも、せめて声くらい届けてやってくれないか」
「エルっ」

 ずっと背を向けていたカリンが、流石に振り向いて男の顔を睨む。

「わあってるよ、でもあんたは厳し過ぎだろ。あの人があんだけ落ち込んでるんだからさ、これくらいの救いはあっていいだろ? ったく女は割り切りが厳しくていけないや、男はこういうのを支えに頑張れるモンなんだぜ」

 人の良さそうなアッテラ神官の男は、芝居じみた動作で肩を竦めてみせると、今度は真剣な瞳でシーグルの顔を覗き込んでくる。

「今すぐじゃなくてもいい。言葉は何でもいい。感謝でも謝罪でもたった一言でもいいから、あの人にあんたの声を届けてやってくれ」

 そこまで言うと、今度は表情を一変させて、男は自分の頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。

「まーーったく笑っちまうよな、天地がひっくり返っても、俺があの男の事を気の毒だなんて思う日がくるとは思わなかったぜ」

 面白い男だ、と思う反面、この男の中に自分が持ち得ない類の強さを感じて、シーグルの口元が緩やかに笑みを浮かべる。

「あぁ……分かった」

 掌の石を握り締めてシーグルが答えれば、男はくしゃりと嬉しそうな笑顔を浮かべて、今度こそ魔法陣の中へ入っていく。
 それを見送るように視線で辿れば、目があったクーア神官の少女が嬉しそうにお辞儀をした。

「それじゃ、俺達はもう行くな。あぁ、言い忘れるとこだったが、俺の名前はエルラント・リッパーだ。団じゃエルで通ってる。おそらく、あんたとはまた会うだろうよ、そん時はもうちょっとマスターに関する面白い話を聞かせてやるよ。……じゃあな」

 最後に男がそう言って手を上げれば、それが合図だったのか、クーア神官の少女が呪文を唱え出す。
 次の瞬間には彼らのその姿は消えていて、主のいなくなった建物の中には、シーグル一人だけが残された。




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傭兵団の連中とのやりとりシーンでした。
セイネリアが気付いた彼の失ったもの、にシーグルが気付く回です。
次回がラスト、セイネリアのシーンです。


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