束の間の遊戯




  【6】




 宴が終わった深夜、この屋敷における一番いい客室である広いベッドの傍に、こっそりと忍び寄る人影があった。
 どこから入ってきたのか、人影はドアを開ける事なくこの寝室に直接現れていた。そうしてベッドの前までくると、上掛けにそっと手を伸ばし、ゆっくりとそれを隅から持ち上げる。
 けれど、上掛けがめくられて眠っている筈の存在が姿を現すより早く、下卑たにやけ顔で身を乗り出した男の目の前には刃物の冷たい光が突きつけられた。

「さて、言い訳の言葉はあるか?」

 しかも男に剣を向けた相手は、ここで眠っている筈の麗しい高貴な血の青年貴族ではなく、首都で恐れられる黒い騎士であった。

「わ、私は、ただその、シーグル様がご無事か様子を見に……」

 この館の領主であるアルダレッタ卿は、冷や汗を拭いながら後ろへと後ずさった。セイネリアは剣を腰に納めると、ベッドから起き上がってそのうえに胡坐をかいた。

「その為に抜け道を使って部屋に入って、しかも声も掛けずに上掛けを剥ぐのはないな」
「そ、それは、起こしてしまっては申し訳ないと思い……」

 そこまで聞いたセイネリアも、これ以上聞くのは馬鹿馬鹿しくなって声を上げて笑ってやる。

「無理がありすぎるだろ。ならあいつの酒に一服盛っていた件はどう言い訳するんだ? ドラゴン討伐にいく道中でも、こちらにつけた部下にはあいつが寝ているところに暗示玉を置くように言っていたんだろ? どちらもちゃんと証拠として俺の手にあるわけだが?」

 そうすれば流石にアルダレッタ卿も顔を醜く歪めて黙る。
 セイネリアは笑みを口元だけに抑えて、暗い部屋の中でも光るその金茶色の瞳でじっと相手を睨み付けた。

「地方領主が、旧貴族の跡取に薬を盛って手を出そうとしたなんてバレたら大変な事になるな。……まぁただ安心しろ、どれもまだシーグルには教えていない。この部屋に俺がいたのも、俺のベッドが狭いから変われと言っただけだ」
「……何が、望みだ」

――見苦しい悪あがきをしない程度は利口か。

 こういう時、すくいようのない馬鹿貴族の場合の反応というのは決まっている。『お前さえ殺せば証拠はなくなる』といってこちらを殺そうとするのだ。そうこないでこちらと交渉をする事に本気で切り替えたというなら、少なくとも判断力はマトモにあるという事だろう。

「そうだな、別に俺も意味もなく貴族を没落させて楽しむ趣味がある訳でもない。金にも困っていないしな」
「なら何が望みだっ」

 ぶるぶると震えながら、それでもこちらを見返してアルダレッタ卿は叫ぶ。まぁこれなら使えなくもないか、とセイネリアはこの男に関しての認識を少し改めた。

「ふん、別に今のところこれといった望みはない。強いていえばあいつに手を出すなというくらいか」

 そう言えば、この館の主である男は、困惑を浮かべて気の抜けた声を出した。

「なんだと……それだけ、なのか?」
「あぁそうだな、『今のところは』な」
「……つまり、今後何かあるかもしれない、という事か」

 一旦気が抜けていた顔を顰めてこちらを見返してきた男に、セイネリアは笑みを浮かべたまま胡坐をかいていた足の片方を上げて、立膝の上に腕を置いた。

「そう、つまり『今回の件を黙ってやる分の恩はその内返せ』という事だ。貴様はそこまで馬鹿ではなさそうだからな、貴様が破滅するような無茶はいわないと約束してやる。せいぜい情報の提供とか、こちらのやる事を見ないふりをしておけとかその程度だ、安心しろ」
「私を脅すのか」
「そう思いたいならそう取ってくれて構わんが、借りを作った程度に思っておいた方が精神衛生上いいんじゃないか? さっきも言った通り、お前が利口なままならそこまでお前に損はさせない。それに、お前がこちらの言う事を聞いてくれる内は、味方扱いである程度はこちらからも協力もしてやる、悪い話じゃないだろ?」

 まともな交渉が出来る程度に使える男なら、なにも追い込んで潰す必要はない。むしろ駒として取り込んでおけば、後々役に立つ。この程度の緩い協力者を各地につくっておくことは、セイネリアの稼業的にもプラスであり、いくらいても困らない。チャンスがあれば利用できる駒は作っておく。だからこそ今、セイネリアとその傭兵団は、これだけの好き勝手をやっていられるのだ。

「セイネリア・クロッセスに逆らうな、逆らえば死ぬより恐ろしい目に合う、か……」

 皮肉そうにつぶやいた男に向かって、セイネリアは口元の笑みを深くして男の目を見る。

「――どうする? 俺を敵に回すか、味方にするか、選択はそちらにさせてやるぞ」

 暗闇の中、獲物を追い詰める金茶色の瞳に、荒地の領主が屈するまではそう時間がかかる事はなかった。







 次の日、仕事の完了報告書にサインを貰い、やはり早朝に領主の館を立った二人は、行きと同じ荒れ地で馬を歩かせていた。ただ今日はほぼ風がないこともあって進みが良く、行きよりも早くここを抜けられそうではあった。

「やれやれ、やっと休憩か」

 大きな岩の下の影に入って、今日2回目の休憩を取る。ここは行きにも休憩に使った場所で、岩の周囲には多少の草と水場があった。
 ふとセイネリアがシーグルの方を見れば、彼は兜を脱いで地面に座っていて、ぼうっと水を飲む馬を眺めていた。その傍にセイネリアが座れば、彼がこちらを向いてきて、その澄み切った深い青の瞳が自分の顔を映す。

「もしかしたら、帰りは早くつけるかもな」

 言えば、少し嬉しそうにシーグルは答えた。

「そうだな」

 だがそうして二人して馬に視線を向ければ、少し躊躇している気配をさせてから、彼が恐る恐る聞いてきた。

「なぁセイネリア。その、後学の為に聞いておきたんだが……ドラゴンだが、もし、あそこで仕留められずに逃げられたら、どうしたんだ?」

 セイネリアが殊更ゆっくり彼の方に顔を向ければ、こんな時にも真っ直ぐ姿勢を正して聞いてくる彼を見て笑いそうになる。

「あぁ……言ったろ、奴らはぎりぎり飛べるバランスを保ってる生き物だと。だからな、そのバランスをちょっとでも崩すと飛行能力がガタ落ちするんだ。例えば、あの時上に張ったロープが外れたとしても、落ちて体に絡まれば奴らにとってはかなりヤバイ。ましてや、繋いだロープが外れても槍が喉に刺さったままだったり、羽に矢が刺さっていたり、尻尾が切り落とされてたりすれば、飛ぶためのバランスが崩れて少なくとも当分はマトモに飛べなくなる。飛べなければ獲物が取れずに弱るしかない。飛ぶ事を前提として進化した分、地上ではただのノロマでしかないからな。そうすれば逃がしたとしても次は楽勝で倒せる、放っておいても勝手に死ぬかもしれないくらいだ。それくらい奴らは生物として無理があるのさ」

 シーグルはセイネリアが話している間、あの濁りのない青い瞳を真っ直ぐ向けて真剣に聞いていた。そうして話が終われば、若者らしく少し頬を紅潮させて興奮した様子で言ってくる。

「そうか、なるほど……そこまで考えていたのか。やはり、さすがだな。……なのに俺は、役に立たなかったなどと勝手に落ち込んで……本当に自分が恥ずかしい、まだまだ未熟すぎるな、俺は」

 自嘲に沈みながらも、その澄み切った瞳に憧れを映して、疑いなくセイネリアを見つめてくるその様に笑みが湧く。彼の心を映すように、どこまでも透明で真っ直ぐな綺麗すぎるその瞳に、返してやる自分の笑みがどれだけ黒く淀んでいるかなど彼には分からないだろう。

「今回はとても勉強になった。ありがとう」

 礼など言われると、大声を上げて笑いたくなる。その瞳が絶望に淀み、その唇がやがて呪詛の言葉を吐くだろう事を想像すれば、今の彼のその奇跡のように澄み切った美しさのあまりの儚さが愛しくさえ思える。
 だからまだ、いずれ壊れるこの宝石の今だけの光を眺めるのもいいだろう。

 そう、どうせ一時の事、いつまでも彼のこの輝きが失われないなどという事はないのだから。きっと、自分が手を伸ばして握り締めれば、その輝きは永遠に失われるのだろうから。
 ……所詮、人の心などというのはその程度だと、セイネリアは笑っていない琥珀の瞳で口元だけで微笑んだ。



  END.

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 そんな訳でこれでこのお話は終わりです。こんな関係を続けながら本編プロローグの1話に進む訳です。


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