その濁りない青に





  【4】



 目が覚めたら、知らない場所だった。
 そんな事が自分に起こり得るとは、シーグルは今の今まで想像したこともなかった。
 あまりの事に呆けていれば、次にくるのは頭痛。

「――――ッ」

 ぐらん、と頭が揺れるような感覚があって、思わず顔を顰める。
 それでも、まずは状況を確認しなくてはならない。

 上げれば更に痛む頭を抑えながら上体を起こして……そして、少し離れた別のベッドの上に人の気配を感じ、ぎくりとした。
 そっとベッドから起き上がり、その眠っているだろう人影に近づく。

「……セイネリアか」

 そこでやっと、シーグルは緊張を解いた。
 同時に、昨夜の事を朧気ながらも思い出して、この状況も大体の予想がついた。
 多分、自分は酔い潰れたのだ。
 こういう状況になったのは初めてだったものの、そう考えれば全て納得がいく。あの時出されていた飲み物が酒だったとそれだけの事だ。見ただけでセイネリアとは違う飲み物が置かれていたから、まさかシーグルは自分にも酒が出されていたとは思わなかった。

 納得すれば、シーグルにも現在の状況をきちんと把握する余裕が出てくる。
 流石に寝かされていただけあって、鎧や、綿の入った鎧下は脱がされているが、中の服の方が脱がされた形跡はない。胸元は多少緩められているが、これは多分寝やすいようにだろうと思われた。自ら熱がって緩めた可能性もある。体にも特に違和感はなく、だから多分、何もされてはいないとシーグルは判断する。

 確認して、考えて、出た結論にシーグルは安堵の溜め息を吐いた。
 セイネリアにはそういう趣味はない。

 それが確認できれば、次にシーグルが考えるのは、果たしてセイネリアを起こすべきかどうか。
 頭痛はするものの、だからといって彼が起きるまでまた寝るか、という怠惰な考えはシーグルにはない。かといって、恐らくかなり世話を掛けただろうセイネリアに、黙って部屋を出て行くのは流石に悪い。では起こすかと思っても、遅くまで起きていたならそれも悪いのではないかとも思う。
 暫く考えて、悩んで。それでもやはり起こして一言くらいは言っておこうと思い立って、シーグルは寝ているセイネリアの肩に手を置いた。

「セイネリア、すまない、少し起きて貰ってもいいか?」

 トントンと、始めは軽く。それから少し迷って肩を掴んで揺さぶってみる。

「ンー……」

 ごろりと、寝返りをうちながらセイネリアが唸る。
 あまり寝てないのだろうかと、シーグルが一瞬手を引きかける。

 その手が、掴まれた。

 完全に寝ている相手だと思って警戒してなかったシーグルは、掴まれた手を引かれてあっさりと体勢を崩した。何が起こったのかを理解する前に、視界が反転して、気がつけばセイネリアのベッドの上で天井を眺めていた。

「え?」

 驚いたのは一瞬。
 何が起こったのかと、悠長に考えていられたのも一瞬。
 次の瞬間には、上から大きな体が圧し掛かってきて、シーグルは思わず体を竦ませた。

「な……に、セイネリア?」

 ぞっと肌が総気立ち、恐怖心が頭をもたげる。

 細い体、整った顔立ち。
 モラルや常識がいい加減な冒険者達の間では、男であってもそんなシーグルは『そういう目』で見られる事が多々あった。
 だから、話し掛けてくる相手には警戒し、何度か叩きのめしてやった事もある。ある程度名が上がって、最近はそういう連中はあまり声を掛けてこなくなったものの、シーグルは初対面の相手にはまず必要以上に警戒して接するのが常だった。

「い、やだ……やだっ、やめろっ」

 完全にベッドの上に縫い付けられ、セイネリアに体ごと乗り上げられたら、シーグルには逃げる手段がない。

 そんな目で見られる事が多かったのもあって、今まで未遂は何度かあった。
 その度にどうにか逃げられたのは、運も良かったのだろうとはシーグルも思っている。
 けれども今、もし、セイネリアが既に正気で、それで尚シーグルを抱く気なのだとしたら。彼には勝てない、逃げられない。考えたくはないが、シーグルは自らそう判断するしかなかった。
 セイネリアが上半身を脱いで寝ていた所為で、シーグルの目の前には彼の厚い筋肉が直に圧し掛かってくる。彼の素肌がすぐ傍にあることで、他人の匂いが、肌の温度に温まった空気と共にこれから起こり得る事を生々しく想像させる。

 男に抱かれる、女みたいに。素肌をまさぐられ、足を開かされ……。
 考えるだけでも体が震える。恐怖で思考がパニックを起こしかける。

「やめろ……目を覚ましてくれ、セイネリア」

 シーグルに残されたただ一つの希望は、これがただセイネリアが寝惚けているだけか、ふざけているだけの事で、気が付けば止めてくれるという可能性だった。酔い潰れて寝ているシーグルに何もしなかった彼なら、その可能性の方が高い――そうであって欲しかった。

「ン……」

 目の前を覆う筋肉の塊のような体を見たくなくて目を閉じれば、シーグルの唇に暖かいものが押し当てられる。それがセイネリアの唇だと気付くと同時に、口の中に彼の舌が入ってきて、シーグルの口を無理矢理開かせてくる。

「ンンッ……ンッ」

 言葉も出せず、ただ口内を絡め取られるがままにされて、シーグルの瞳から涙が零れた。首を振って逃げようとしても、顔を押さえられて完全に合わせられた唇同士はズレることはあっても外れる事はない。ズレる度に口の端から唾液が溢れて、耳元まで冷たい感触を残して流れていく。執拗に絡んでくる相手の舌のぬめる感触、仄かに香るアルコールの匂いと味、口から漏れる水音が生々しい。最初は逃れようと暴れていたシーグルだったが、息苦しさの所為か、体に力が入らなくなってくる。
 どれくらい、そうして唇を合わせていたのか、シーグルには分からない。
 ただ、体感だけでなら、気が遠くなるような長い間だったように思う。
 ようやく離された唇と、離れていくセイネリアの顔をみて、シーグルは祈るように呟いた。

「セイネリア……目を覚ましてくれ」

 彼がそんな事を自分にするなんて、無い事であって欲しかった。
 シーグルにとって、セイネリアはそんな事をしない人物でいて欲しかった。

「……あぁ、お前か」

 だから、頭上から言われたその声に、シーグルは救われた。
 すぐにセイネリアの体が自分の上からいなくなって、押さえつけられていた体が自由になる。

「ふざけるなっ、寝惚けるにも程があるっ」

 怒りながらシーグルがベッドから逃げるように起き上がれば、セイネリアは顎の辺りをさすりながら、なんでもないことのような顔をしてシーグルを見ている。

「悪かったな、大抵寝てる時に声を掛けてくるのはその時の相手だからな、間違ったらしい」

 シーグルは涙を浮かべた顔を見せないように後ろを向いて、唾液に濡れた唇を腕で何度も拭った。

「お前が普段誰と寝ようと勝手だが、男相手に間違えるな」
「別に、相手は女だけとは限らん」

 それには、シーグルが恐々とセイネリアを振り返る。

「お前……男も、抱くのか」
「気分によってはな。別に冒険者の間じゃ珍しい事もないだろう。お前は、経験がないのか?」

 そこで、シーグルは言葉に詰まる。

 ――大丈夫だ、セイネリアは俺を抱こうとした訳じゃない。

 心の中で呟いて、いつも通りの平静を装う。

「当たり前だ、俺にそんな趣味はない」

 セイネリアが、揶揄うように聞いてくる。

「だがお前なら、誘ってくる奴はいたんじゃないか?上でも下でも」

 途端、今までの経験を思い出して、シーグルはぞっと腕に鳥肌を立たせた。

「わざわざ男を抱く気になるか。逆は考えたくも無い。……しつこい馬鹿はいたがな……だが、俺が大人しくそんな奴らにどうにかされると思うのか」

 そこでセイネリアは、僅かに口元に笑みを作った。

「そうか……」

 まだセイネリアは少し寝惚けている、そう思ったシーグルは、話をする前に、先に身支度を整える事にした。
 何故か、装備に守られていない今の格好が酷く不安になったというのもある。気持ちの問題だとは分かっていても、鎧のない今の姿が無性に心細かった。
 装備を身に着けていくシーグルを、セイネリアはベッドの上から見つめていた。その口元が、未だに笑みを浮かべたままなのには、だからシーグルは気が付かなかった。

「それならいい――シーグル。お前を俺だけのものにできる」

 身に着ける為、鎧の金属音を鳴らしているシーグルには、セイネリアのその呟きは聞こえる事はなかった。
 セイネリアは、彼の唾液と自分の唾液で濡れた唇を舌を出して嘗める。

 ―――我慢してやったんだ、これくらいはいいだろう?

 それが甘く感じるのは、気の所為ではないだろうと思いながら。





Back   Next


Menu   Top