その濁りない青に





  【1】



 それはまだ早朝、といえる時間。
 小さな食堂の外の席、しかもわざわざ隅にあるテーブルで、彼は目立たないように座っていた。

 これだけ早い時間、起きているのは商店関係者か仕入れ業者が殆どで、昼間ならあれだけ街に溢れ返っている冒険者の姿は少ない。なにせ冒険者なんて事をやっている人間は、大抵不規則な生活をしている者ばかりで、彼らは遅くまで起きて遊びまわる分、昼になってやっと起きてくるような者ばかりだ。一応、仕事があれば朝早く発つのが普通だが、それならそもそも首都にいる筈はない。
 だから逆に、こんな時間に街で見かける冒険者なんて、大抵は徹夜をしてそのまま朝を迎えた連中の確立が高い。
 ……セイネリアも、多分に漏れずその連中の一人な訳だが。

 『彼』は恐らく違うだろう。

 冒険者がまだ少ないこの時間、見た目で騎士と分かる大柄な黒い甲冑姿の男が小さな食堂に入っていく。高い背に鍛えられたがっしりとした体つき、堂々と歩くその足取りと威圧感は、彼が只者ではない事を物語っている。少しだけ長い黒髪を後ろで一つに纏め、琥珀色の瞳を持つ彼は、精悍な顔立ちのなかなかの美男子でもある……のだが、その金茶に光る瞳の色と鋭さの所為か、大抵の人間には『怖い』という印象を与えるのが常であった。

 そんな彼が朝ののんびりとした食堂の中に入ってきた訳だから、他の客、つまり商店街の店主やら職人やらの真っ当な職業の面々は、気まずそうな顔をして雑談中の声を思わず潜めた。尤も、その程度で済んだのは、歩いている彼の表情が僅かに機嫌のよさそうな笑みを浮かべていた所為だ。
 騎士の男は大股で、真っ直ぐに外の席の隅を目指す。彼の目は最初からその席に座っている人物しか見てはいなかった。

「よぉ、早いな、シーグル」

 店に入った時からこちらに気付いていたであろう、その人物――彼もまた見た目からして騎士らしい――は、セイネリアが近づくにつれてその形のいい眉を顰める。

「お前は徹夜か」

 溜め息までついてあきれる彼に笑みを返して、セイネリアはテーブルを挟んで彼の向かいの席に座った。

「まぁな、ヴィーの奴が面倒な仕事を持ってきてな、おかげでさっき帰ってきたばかりだ。お前はいつもこんな早いのか」
「早い時間の方が動き易い」

 あっさりとそう返したシーグルに、セイネリアは少し胡散臭げに眉を寄せる。

 ――成る程、街で会う事がなかったのはこの所為か。

 だが、ふと思い出した事に、更に眉間の皺が増える。

「……そういやお前、起きたらまず鍛錬とかいってなかったか」
「もう軽く体は動かしてきている」

 つまり、もっと早く、ヘタをすると夜が明けると同時くらいに彼は起きてるのかもしれない。あまりに冒険者らしくない彼に呆れて、セイネリアは苦笑交じりに彼にいう。

「相変わらず真面目だな」
「お前を基準にしたら、真面目の範囲は相当広いだろう」
「確かにそれは否定しないが」
「夜型の生活は、時間の使い方として効率が悪い」

 どうにも彼の頭には、怠ける、という言葉はないらしい。
 そのいつでも引き締まった表情も、こんな生活をしているなら成る程とセイネリアは思う。

「まったく、面白いよお前は」

 呟いた言葉は聞こえた筈だが、シーグルは特に何もいわず、セイネリアの顔も見ずに手元のカップを口に運ぶ。
 セイネリアはテーブルに肘をついた手に顎を乗せて、そのシーグルの顔を楽しげに見つめていた。たまに、不機嫌そうな顔でちらりと睨まれるが、そんな事を気にするセイネリアではない。

 銀色の髪、少し釣り上がったきつい濃い青の目、女顔ではないが整った顔立ちのシーグルは、貴族の出身というだけあって顔にもその動作にも品がある。その顔を観察しているだけでも、セイネリアは楽しくて仕方がない。

「俺の顔を見ているのがそんなに楽しいのか」
「おー、そりゃしーちゃん美人だからね」

 茶化してそう言えば、ますます嫌そうにシーグルは顔を顰める。その反応もまた楽しい。
 そんなやりとりの後、シーグルはセイネリアの姿を暫く見つめて、少しだけ思うところがあったのだろう、僅かに目を伏せた。

 己の肉体を鍛え武器を振るう騎士という職にとって、その鍛えられた体は最大の武器である。セイネリアは、それに相応しい筋力を備えた立派な体躯を持ち、その姿だけでも相手を威圧できるだけの風貌をしている。
 対するシーグルは、同じ騎士といっても、その体はセイネリアよりもずっと細身だ。軽い体重と体力のなさを動きでカバーするタイプのシーグルは、自分の弱点を痛い程分かっている分、セイネリアに時折羨望の視線を向ける事があった。……それが分かっていて、セイネリアは気付いていない振りをするのだが。

「で、また朝メシはそれだけか」

 シーグルの目の前にあるのは湯気を立てたカップだけだった。

「うるさい」

 カップをじっと見つめて、シーグルが悔しそうに呟く。

「そんなんじゃ、いつまでたっても体力がつかないぞ」
「分かっている」

 あまり感情を出さない彼だが、流石に彼のコンプレックスを突付けばその反応は感情的になる。その様が楽しくて、セイネリアはこうしてわざと彼の嫌がるような話題を振る事が多い。だからシーグルは、セイネリアの顔を見ると何時でもまず嫌そうにする。

「まぁ、仕方ないか。食えないんじゃぁな」
「……うるさい」

 シーグルの最大のコンプレックスである細い体と体力のなさは、子供の頃から胃が弱かったというのが原因だと、前に本人からセイネリアは聞いている。おかげでどうしても食事の量が取れず、十分な体力が作れなかったという事らしい。

「でもなぁ、お前ならそういう事情でも、無理矢理食いそうにも見えるがな」

 彼の負けん気の強さを知っている分、セイネリアはそう思う。

「子供の頃は……どうにかしたくて無理やり食べたりもした」

 じっとカップの中身を不機嫌な顔で見つめるシーグルは、どうやら不貞腐れているらしい。ちなみに、彼の朝食の定番であるカップの中身はホットミルクで、肉が付かないならせめて骨格だけでも頑丈にしたい、という涙ぐましい努力の一端が見える。というか、この外見で、いつもホットミルクを飲んでいるという子供のようなところがまた、セイネリアを楽しませているという事をシーグルは知らない。

「それで?」

 セイネリアが聞けば、ぐっとシーグルは口元を一度引き結んでから呟いた。

「吐いた」

 セイネリアが肩を竦める。

「吐いて、余計に食べられなくなった。だから仕方なく、体力はある程度諦めた」

 この職業、体力と力に頼れないなら、経験を積んでそれを補えるだけの技術を磨くしかない。だからシーグルが冒険者としてある程度の地位を確立しても、細かい仕事を受けて、できるだけ実践経験を積もうとしているのは、いつでも見ている通りだ。

「仕方ない。そんなしーちゃんの為に、いい仕事を回してあげよう」
「……というかお前、それをいいに来たんだろう」

 胡散臭げに睨んで来るシーグルに、セイネリアはにっと笑ってやる。

「今日は仕事が入っていたんだが、昨晩が徹夜になったからな。断るか明日にするかと思ったんだが、先方は急ぎがいいらしい。そういう事でな、お前がいってくれると助かるんだが。なぁに、軽い仕事だ、俺にとっては」

 最後の嫌味にピクリと反応したシーグルだったが、諦めたように溜め息を吐くと、分かった、とだけ返した。
 彼の反応がいつも通りすぎて、セイネリアは楽しげに目を細めてその表情を観察する。

「そういうと思って、仕事譲渡の手続きは既にしてある。あとはお前が事務局にいって、承認すれば詳細は分かる」

 流石にシーグルは眉を寄せて、セイネリアを睨み付けた。

「勝手すぎる。俺が今日、別に仕事があったらどうする気だったんだ」

 もちろんセイネリアはそうでない事を確認していたが、それを言う訳にはいかない。そもそも譲渡手続きでさえ、実はダミーであるのだから。

「これから手続きに行くといったら、お前が仕事を受け取れるのは昼になるぞ。その方が都合が悪いだろう」
「それは……そうだが」

 言い淀んで、それでも不満そうに顰める顔も、セイネリアにとっては観察する価値がある。……本当に、セイネリアにとって、彼は見ているだけで飽きない存在だった。
 セイネリアは彼といると、その顔をこうしてよく見つめていた。
 シーグルはそれを嫌がってはいるが、最近では文句までいってくる事はそうそうない。セイネリアの事をそういうものだ、と認識してそれを許してしまっているのだ。

 けれども、もし、とセイネリアは考える。

 もしも、セイネリアがシーグルに向ける視線の意味を本人が知ったのなら、彼はどうするだろうと。
 その時の事を考えただけで、ぞくぞくと背筋を駆け上がるものがある。口元に昏い笑みが沸く。
 ただ、まだ、セイネリアは事を起こす気はない。
 まだ、こうして今は彼を観察しているだけでいい。

 まだ、彼を壊すのは勿体ない。

「さて、それじゃ俺も朝メシを食うとするか」

 背伸びをしながらメニューを開けば、シーグルが不思議そうにセイネリアの顔を見る。

「待て、お前はこれから寝るんじゃないのか?」

 青い目を見開いて、本当に理解できないのか意外そうにしている彼は、やけに幼い表情をしていた。
 この、普段は無口できつい印象の彼の、時折みせる子供のような表情や反応のギャップもまた、セイネリアは気に入っている。普段があまりにも立派な騎士様らしくしている彼は、まだ歳は二十歳にもなっていない筈だった。歳不相応の落ち着いた雰囲気を持っている所為で忘れてしまうが、本当はもっと子供っぽくて当たり前の歳だ。

「腹減ったままじゃ寝れないだろ」
「食べてすぐ寝ると胃がもたれる」

 同時にいった二人のセリフに、セイネリアは肩を震わせて笑った。
 気まずそうに視線を逸らしたシーグルをちらりと見て、セイネリアは店員の少女に手を振った。

「朝定食と、ゆで芋皿と、白身魚のバターソテーを頼む」

 はーいと、少女から返事が返るのを確認して視線をシーグルに戻せば、彼は口を押さえて下を向いていた。

「どうした、シーグル?」

 セイネリアはもちろん聞かなくても彼の事など分かっていたが、それでも聞くのが楽しいのだ。シーグルは少し青い顔をして、口を押さえたままセイネリアを本当に嫌そうな目で見ていた。

「……朝から、しかも寝る前に食べる量じゃない。聞いているだけでこっちの気持ちが悪くなる。頼むから、俺の前で食べるのだけは止めてくれ」

 彼の反応にセイネリアは声を上げて笑う。
 だが、心の中では『そりゃぁ、これからすぐ寝るわけじゃないからな』と付け加える。寝る前に彼をこれだけ見ていたら、少々熱が篭ってしまって、一人で大人しく寝る気分ではなくなってしまった。幸い、普段から特定の人物がいない分、そういう相手に事欠く事はないセイネリアには別段困る事でもない。時間が時間だけに、誰に声を掛けるかは少し悩むところだったが。

「くそ……」

 シーグルのそんな反応を楽しんでいるセイネリアを見て、悔しそうに呟く彼の声が聞こえた。

 ――あぁ、本当に。
   本当になんて楽しい反応をするのか。

 初めて見た時は、あれだけの状況でも意地を張り通す、彼の屈しない瞳にぞくりとした。次に彼に会うまでは三年が過ぎていた。その間に、相当冒険者としては仕事をこなしていたらしく、若い割には評価に星が入る程の上級冒険者になっていた。
 再度出会ったのはちょっとした北の蛮族との小競り合いに、気まぐれでセイネリアも参加した時の事だった。
 普通の冒険者ならば、セイネリアの傭兵団の紋章を見れば、それだけで近づこうとはしない。だが彼は、分かっていて尚、トラブルを起こした団の者に注意をしてきて、決闘沙汰にまでなったのだ。セイネリアはシーグルを見て、すぐにかつて見た彼と分かり、団の者とシーグルの決闘を見届け人として公正にジャッジした。結果的には、団の者が負けてシーグルが勝ち、セイネリアは部下の非礼を謝った。それをきっかけとして、何か面白い仕事を見つけてはシーグルを誘い、すっかり冒険者を半引退して裏家業に専念していた筈のセイネリアは、このところ冒険者らしくよく出かけていた。

「随分と、あんたにしちゃのんびりやってるじゃねぇか」

 言われた声に、装備を整えている最中だったセイネリアが振り返る。
 時刻はそろそろ夕暮れ時、朝、シーグルと別れてからは半日以上は過ぎていた。

「三年越しの相手だからな、過程もじっくり楽しむさ」

 ベッドの上から不機嫌にいってくる声にそう返せば、盛大な溜め息が吐かれる。

「……まったく、あんたにだけは気に入られたくはねーな」
「俺はお前を気に入ってるが?」
「ソッチの意味のでの本当の『お気に入り』にはなくたくねーっていってんだよ」

 短めの青い髪を不機嫌そうに掻きながら、この傭兵団の副長である男が起き上がった。小柄だががっしりとした体格の彼はアッテラ神殿の準神官であるが、今の彼は全裸であるから、見た目で彼の職業は分かりはしない。ただ、普通の神官のように術による補佐役でなく、自ら戦う事こそを教義とするアッテラ神官は、彼のように神官というよりも戦士といった風貌をしているものが多い。

 結局、時間が早朝ということもあって、同じ仕事で徹夜であり、しかも一番無茶がきく相手を選んでセイネリアは熱を収めた。それから寝たので、そこまで惰眠を貪ったわけではないが、かなり時間は経ってしまっていた。

「まぁ、自覚はしているさ。俺に気に入られたヤツは相当運が悪い」
「……自覚あるなら少しはどうにかしろよ。後始末からあんたの性欲発散相手までさせられる俺の身にもなってくれ」
「悪いな、エル」

 営業スマイルと分かりきった笑顔を浮かべたセイネリアに、エルはがっくりと肩を落とす。

「ったく、いつでも俺なら無茶がきくと思うなよ。……ッテテ、こりゃ今夜は大人しくしてっかぁ、腰が怠すぎる」

 一度は起き上がってみたものの、体の状態を確認して全てにやる気がなくなったエルは、文句をいいながらまたベッドに横になった。

「今日は何もないし、いくら寝てても構わんぞ」
「……そのつもりで、加減しなかったろ」

 恨みがましくベッドから睨む相手に、セイネリアは水を入れたコップをサイドテーブルに置いてやる。

「手加減はしたぞ?」
「……あれでか?」

 ぞっとした表情で、エルが聞き返す。

「流石にお前を潰すと困る。……もしお前がシーグル本人だったら、あんなモノじゃ済まなかったろうな」

 こういうときに浮かべるセイネリアの昏い笑顔は、そこそこ長い付き合いのエルでさえ背筋が冷える。……本当に、シーグルとかいう相手に同情したくなる程に。

「また壊す気か?」
「それで壊れるなら仕方ない」

 相当の執着をしている相手だろうに、セイネリアはあっさりとそう答えた。
 エルは頭を抱えた。

「あのなぁ、あんたが前にちょっと可愛がってたガキは、半分おかしくなって実質冒険者引退だ。その前のお気に入りだったヤツは失踪……ってかあれヘタすっとどこかで始末されてるぞ。その前はえーと……」
「あいつは騎士だったな、自害した」

 話の内容より、エルの剣幕を楽しんでいるような笑みを浮かべて、セイネリアがそう続ける。

「覚えてるなら少し自重してくれ。あくまであんたのプライベートって事で始末つけちゃいるが、ウチの評判にも関わるんだ。ウチは今のとこ一応真っ当な傭兵団って事になってるんだぞ」
「表向きはな」
「……そりゃまぁそうだけどさぁ」

 何度目か分からない溜め息を吐いて、エルはこれ以上セイネリアにいっても無駄な事を理解した。……いつもの事だが。
 それでも今回は、最後に言っておくだけはしないとならない事があった。

「いいか、少しだけ俺も調べたんだが、シーグルってヤツな、今回の『お気に入り』は少し面倒なんだ。そこまで地位が高いって訳じゃないが、やっかいな事に血筋に煩い旧貴族の跡取り様だ。壊しちまったら今までみたく強引に有耶無耶にする訳にはいかねぇぞ」

 だが、エルの話を聞いたセイネリアは、まるで”それが何故困るんだ”とでも言いそうに興味のない顔をしている。
 エルは余計に頭が痛くなってきた。考える事は、元々エルの性分ではないのだ。

 ここの設立者であるセイネリアは、その戦闘における実力だけでなく、頭も相当に回る。だから早い話、この傭兵団はほぼセイネリアが一人の判断で動かしているようなもので、副長であるエルは基本的には言われた事をやっていればいいというポジションだ。元々、どうにも相手に怖がられるセイネリアのクッションとして抜擢された訳なので、エルの仕事は対外交渉がメインだ。
 ……まぁその所為で、自分が矢面に立たされる、という面もある訳で。出来れば厄介事の後処理は簡便して欲しいというのがエルの本音だ。

「別に壊れても構わん。壊れたならそのまま手元に置いて眺めていてもいいと思うくらいには、あいつの事を気に入っているしな」

 また一つ溜め息を吐いて。
 エルは、セイネリアにこれだけ気に入られてしまった相手に、本当に深く同情した。






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