茜色の子守唄
吟遊詩人×騎士。切なく哀しい系/ハッピーエンド……ではない、けど後味は悪くない筈。
※この文中には性的表現が含まれています。読む場合は了解の上でお願いいたします。






 砂利を踏みしめる足音は重く、一定のリズムを刻めない。
 体からぽたぽたと落ちる水滴は、まるで抜け落ちていく体力のようで、体から熱と力を奪っていく。
 重い体、重い足。
 それでも顔だけは前を向いて、とにかく歩く。
 水浸しの体と対照的に、荒い息を吐く喉はカラカラで、口の中が辛い、痰が絡む。
 友よりもずっと軽装だったとはいえ、金属防具が酷く重く、冷たく、体の重さに拍車を掛ける。
 それでも、彼は歩かなくてはならなかった。

 追っ手はもう近い。
 今にも……。

 そこで彼の耳に入ってくる、馬の足音。
 彼は目を見開いて、辺りを見回した。
 けれども、何処にも隠れられそうな場所が見つからない。
 無意識に、足だけは一歩一歩前へ進んではいるものの、もう逃げられない事は彼にも分かっていた。
 それでも、最後まで諦めてはいけない。
 逃げないと、逃げないと、逃げ切らないと。

 でなければ、何の為に、自分は今生きている。

 だが、無常な追っ手の足音は確実に近づいてくる。
 彼は振り向かなかった。
 蹄の音が砂利を蹴散らし、彼の横を過ぎて馬体が行く手を遮る。
 更に後ろから聞こえる別の馬の足音は、少なくとも後二頭分。
 彼は諦めずとも、足を止めるしかなかった。
 前にいる馬上の男が彼を見下ろして嗤う。

 もう、終わりだな。

 言われた言葉に、彼は腕を振り上げて馬に向かって突進する。
 自分でも何を言っているのか分からない叫び声を上げながら、馬を睨む。
 どちらにしろ、後続の奴等が来れば更に不利になるのは分かりきっていた。
 ならば、残された逃げる術は相手の馬を奪うしかない。
 馬はデリケートな生き物だ、狂ったような人間が襲い掛かってくれば怯えて制御が難しくなる。乗り手の腕が未熟ならば、振り落とされてくれるかもしれない。
 しかし、一縷の望みを掛けた彼の掛けは失敗する。
 確かに馬は大きく嘶き、彼から逃げたがるように馬体を振った。
 けれども、乗っている男は上手くそれを宥め、その間にも新しい追っ手が追いついて、更に来た二頭の馬が彼の周りに土埃を立てる。

 あぁ、終わりだ、と彼は思った。
 泣きそうに顔を歪ませながら、土埃に霞む視界の中で、彼は確かに笑った。
 助かりたかった、どうしても。
 助からなければならなかった、友人の為に。
 ……けれども、自分だけ生きていることは、彼にとって重荷でもあったのだ。

 ――すまん、リーバス、俺もお前の元に行く。

 だが。
 彼が目を瞑ったその時、何処からか竪琴の音が聞こえてきた。
 高く、繊細なメロディは、気の所為ではなく確かに聞こえた。
 馬達の鼻息と砂利を踏みしめる音に混じって、優しい音色が耳に流れ込んでくる。
 こんな時であるのに、彼はその音に安らぎを感じた。まるで、音の所為で体から力と緊張が抜けていくようなその感覚に、この音色は天上からの迎えが奏でる天使の演奏なのではないかと彼は思う。
 その音色に誘われるままに、彼は意識を手放そうとした。
 ……の、だが。

「ほら、目を覚まして」

 その声を意識の片隅で聞いた後、頭に響く鈍痛。
 思わず目を開けた彼の前にいたのは、見たこともない赤い髪の青年。

「今のうちに逃げますよ」

 手を引かれたものの状況がつかめず困惑する彼に、青年は強引に引っ張って彼を動かそうとする。
 その、青年のこちらの腕を掴んでいないもう片方の腕に竪琴が抱えられているのを見て、彼は先程の音色がこの青年の所為だと理解する。
 彼は引かれるまま歩きだす。
 赤毛の青年は走れと騒ぎ立てるが、生憎とそこまでの体力は彼に残ってはいなかった。よたよたとそれでも出来る限り急いで歩く彼を、赤毛の青年が何度もしかりつける。

 土埃を抜けて、ふと彼が振り向くと、不思議な事に、追っ手達は固まったように動かず追ってこようとはしなかった。










 森の夜は闇が濃い。
 木に覆われた辺りは月の光さえ届かない暗闇だった。
 そんな中、そこだけが嘘のように明るい焚き木を囲んで、彼は座っていた。
 濡れきった服は干しているから彼は今裸で、半乾きのマントを頭から被って火に当たっている。
 パチパチと爆ぜる火の音を耳の奥で聞いて、揺れる炎を眺めて、体がじんわりと温まってくる。体に生気が戻ってくる感覚を感じて、炎を映す彼の瞳からは涙が零れた。

 ――結局、まだ、生き残ってしまっている。

 呆然とただ炎を見つめる彼は、だから近づいてくる気配に声を掛けられるまでは気付かなかった。

「これを飲んで、体があったまりますよ」

 声を掛けてきた赤毛の青年が、カップを手に持ちながらにこりと笑う。
 彼は礼を言ってそれを受け取ると、湯気を立てていかにも熱そうなその中身を、冷ましながらも静かに啜った。

「……甘いな」

 呟いた彼に。

「飴湯ですよ。甘いのは嫌いですか?」
「いや、美味いよ。体に染みるようだ」

 事実、暖かな流れは喉を伝って胃へと収まり、その過程で体の奥をじんわりと暖めて行く。その感触に彼は体をぶるりと震わせると、カップの熱で手を暖めながらまた少しだけ中身を口に入れた。

「まったく、こんな時期にびしょ濡れで歩いていれば体が冷え切って当然です。なんでまたあんな濡れて逃げてたんですか」
「……まぁ、追われて……川に落ちたんだ」

 言いづらそうに彼が言えば、赤毛の青年はどうやら彼があまり事情を話したくないのを察したらしく、困ったように肩を竦めて、彼から少し離れた位置に座った。
 あの時はこの青年をよく観察する程の余裕はなかったものの、今見れば彼の格好は軽装の冒険者にはありがちな、服の上からなめした皮のベストだけの防具に長けの短いマントという姿で、武器らしきものは腰の短剣だけだった。それで手に楽器を持っているならば、彼が何者かは大方予想がついた。

「あんたは旅の楽師か?」

 赤毛の青年は形のいい眉を少し顰める。
 目立つ赤毛ばかりに目が行っていたが、青年の顔はなかなかに整っている。ただし、美人というよりは少し愛嬌のある顔で、どちらかといえば可愛いという印象だった。恐らく理由は、髪の次に印象的な黒い瞳が少し垂れ気味である所為だと彼は思う。
 見ているうちに、その黒い瞳が細められて、青年の顔が笑みを浮かべた。

「どうせなら吟遊詩人といってくれませんか。私の名前はユーノ、ユーノ・クレア。仕事柄、何にでも興味を持つのは性分ですけどね、話したくない事は聞こうとしませんからご安心を。後、私をじろじろ見るのは構いませんが、ちゃんと人間ですのでそちらも安心してください。……まぁ、この髪の所為で、気味悪がられるのは慣れてますけどね」

 言いながら、少しだけ寂しそうにユーノは自分の髪の毛を指で梳く。
 確かに、ただの赤毛というには余りにも真っ赤な髪の色は少し特殊かもしれない。ただ、それを気味悪いとは彼は思わなかった。鮮やかな赤はまるで夕日のように焚き木の火を映して赤く輝いて見える。
 だから、彼は素直にそれを口に出した。

「綺麗だ」
「え?」
「その赤い髪、気味悪くなんかない、とても綺麗だと俺は思う」

 驚いたように黒い目を大きく見開いて。
 ユーノの顔が、髪の色を映したかのように赤く染まる。
 それから、彼は本当に嬉しそうに無邪気に笑うと、大仰に芝居じみたお辞儀をして、傍に置いてあった竪琴を手に取った。

「ありがとうございます。では、お礼とお近づきついでに何か弾きましょうか。あぁその前に、その……名前を聞いてもいいですか?」
「俺の名はエレンシアだ。エレンシア・クローク、一応これでも騎士だ。弾いてもらえるならぜひ聞いて見たいところなんだが、その、追っ手の連中がその音で気付いたりはしないだろうか」

 ユーノはまた、笑う。

「大丈夫ですよ、この森に夜踏み込んでくる馬鹿はいません。ここは亡者の住む森ですからね、入ってきたら命を落としても文句は言えません」

 ユーノの笑顔は鮮やかで、だからこそ言う言葉とあわせてエレンシアの背をぞっと震わせるような不気味さがあった。
 真っ赤な髪の毛と相まって、確かに一瞬だけだが、彼の姿が魔物に重なって見えた。

「何故……俺達は大丈夫なんだ」
「それはまぁ、私はちょっとした契約をしてましてね、ここの亡者さん達は私の言う事を聞いてくれるのですよ」

 いいながら、ユーノが音を試すように竪琴を鳴らす。
 柔らかい音色が空気を震わせて、その音の美しさに、エレンシアは更に尋ねようとして開きかけた口を閉じた。

 どうせユーノがいなければエレンシアは助からなかった。この青年が例え魔物や亡者の仲間であったとしても、奴等に捕まって始末されるよりは数段マシだろう。そう思って、彼は大人しく体の上に被っている布を引き寄せると、竪琴の音に耳を傾けた。

「では、お聞き下さい。この曲に歌はまだありませんから、竪琴の音だけ」

 楽器を持つ者特有の、繊細な指が今度はメロディを纏って竪琴を弾く。
 弦を震わせ、空気を擽るように、柔らかな音色が辺りに響く。
 それは美しい音だった。
 けれども、聞いていると何故か苦しさを感じる曲だった。
 苦しくて痛くて、思わず胸に手を当てると、エレンシアの目の前には、何時の間にかここにいる筈のない人物が立っていた。

「リーバス」

 エレンシアよりも僅かにがっしりとした体つきの、簡易ではあるがきちんとした甲冑を着込んだ男。見忘れる筈がない親友の名をエレンシアは呼んだ。
 途端に、ここが何処で、自分が何をしていたか、その事が彼の頭から綺麗に消えた。
 エレンシアの瞳からはぼろぼろと涙が溢れる。

「すまない、リーバス、すまない……」

 呟けば、それに応えるように虚ろな目で立つリーバスが口を開く。

『エレンシア、助けてくれ』

 言葉を発すると同時に、その瞳は血の涙を流す。
 更にはその腕、その足、その肩、甲冑の切れ間から赤い血が噴出して、見つめるエレンシアの視界を赤く染める。

 ――あぁ、これは亡者となったリーバスだ。

 死者の瞳は恨みがましくセレンシアを見つめ、縋るように手を伸ばしてくる。
 エレンシアも手を伸ばす。
 彼を助けなくてはならない。
 けれども、いくら伸ばしてもその手は親友に触れる事は叶わず、目の前のリーバスはただ血を流しながらエレンシアに助けを求めるだけだった。
 エレンシアは叫ぶ。
 親友の名を呼んで、藻掻くように宙に手を伸ばして吼える。
 けれども、その手は何も掴めない。
 涙でぼやける視界の中、リーバスの姿の輪郭さえもがあやふやになる。
 その時。
 苦しさと哀しみに、ただ叫ぶ事しか出来ない彼を、そっと背中から抱き締める体温があった。

「よく見て、それは貴方の大切な人なんかじゃない。ただの幻。貴方自身の哀しみと後悔が作り出した幻です」

 エレンシアは力なく、伸ばした腕を地面へと下ろす。
 目の前にいたリーバスの姿は無くなっていた。
 竪琴の音もない。
 呆然と、だが涙だけは止まらぬまま、彼は揺れる焚き木の炎を見つめる。

「本当に、彼は貴方に助けを求めていた? 本当に、彼は貴方を恨んでいた? よく考えて、貴方は本当はちゃんと分かっている筈ですよ」

 柔らかな体温が背中から離れて、そして頬に触れる。
 それに促されるままに顔を上げれば、目の前には赤い髪に黒い瞳の優しい笑顔が待っていた。

「貴方の感情を少し私に下さい。貴方を苦しめる感情を、私が貰います」

 黒い瞳が近づいてくる。
 その中にある自分の顔を見つめて、エレンシアは力なく嗤う。
 唇に、暖かい体温を感じ瞳を閉じる。
 彼は拒まなかった。
 触れてくる体温に体を預け、頭に浮かんだ情景にただ涙を流す事しか出来なかった。

「リーバスは、同じ日に受けた騎士試験で同時に受かって、同時に騎士団に入った。それからずっと……俺達は一緒だった」

 エレンシアの頭には、楽しかった日々が浮かんでいた。
 腕力で勝てない彼にどうにか剣では勝ちたくて、こっそり隠れて鍛錬していたところを見られて、結局、そのまま勝負になった日。初めて彼を打ち負かして、酒を奢らせた日。
 互いに騎士団を辞めて冒険者になってからは、ずっと一緒に組んで仕事をしてきた。
 何時でも、自分の背中を預けていたのは彼だった。
 何時でも、自分の目の前で笑っていたのは彼だった。

 けれど、その彼は、おそらく、もう、生きてはいない。

「あっ……」

 赤い舌が濡れた音をさせてエレンシアの胸を舐め、その感触に思わず声を上げる。
 体は熱を持ったように熱く、ひどくだるくて腕一つ上げるのも億劫だった。
 けれどもその熱は決して気分の悪いものではない。
 暖かい湯の中に体が浸かっているような、そんな優しくも心地よい感覚が体を包んでいる。その中で時折、熱を煽るような快感が体の一部から湧いてくる。
 その、犯人であろう赤い髪の青年が、笑って自らの衣服を脱いでいくのが見えた。エレンシアにはこれから何が起こるかはおぼろげながらに分かっていた。けれども、拒否する気にはならなかった。
 視界の中に映る白い体が、ゆっくりと彼の上に下りてくる。暖かな他人の体温が体にまとわりついてくる。
 見つめてくる黒い瞳が優しそうに細められて、そして赤い舌が再びエレンシアの体の上を這っていく。
 パチパチと火が爆ぜる音。
 遠くで吼える獣の声。
 それらに混じって、すぐ近く、自分の体から濡れた音が鳴る。
 ぴちゃ、ぴちゃ、とわざと音を鳴らして、ユーノの舌は淫らにエレンシアの肌を舐める。耳たぶを舐め、喉を舐め、そこから伝ってのど元をくすぐるように舐め、そうして唾液の跡をつけながら胸の赤い尖りを口に含む。

「う、あ……」

 先程は一瞬だけしか口に含まなかったそれを、今度は執拗に舌で転がすように舐め、エレンシアの体に切ない疼きのような快感を生み出していく。
 それだけでなく、もう片方の尖りは掌で押しつぶすように撫ぜ、同時に起こる快感にエレンシアは高い声で喘ぐ。思わず腰が浮いてしまうのは無意識の事で、それに気付いたユーノが胸から顔を離して笑った。

「彼は、どうして、死んだのですか?」

 言葉と同時に、エレンシアの頭の中には再び別の風景が浮かぶ。
 今度は懐かしく楽しいあの日々の一つではなく、つい、一昨日の事だった。

「商隊の護衛の仕事を受けたんだが……、その仕事を受けた連中の中、に、盗賊団と通じていた奴等がいたん、だ……」

 ユーノの手は的確にエレンシアの体の熱を煽る。
 ぴくぴくと揺れる腹筋を撫ぜ、臍の回りを舌で舐め、耐えれずに背を跳ね上げれば、その背に手を回して背筋から腰のラインを撫でる。
 だんだんと下へと下りていく彼の顔が、とうとうエレンシアの股間へと近づく。既に反応しているだろう自分の熱を思って、彼は恥ずかしさに頬を染めた。

「それで、どうしたんですか?」

 彼の声が暖かい吐息となって、エレンシアの雄に掛かる。
 そんな事だけに酷く感じてしまって、エレンシアは小さく喘ぐと僅かに開いていた足を閉じようとした。

「だめです、もっと開いて……」

 本当に一番敏感な場所のすぐ傍で言われて、生暖かい息の感触にエレンシアはびくりと肌を震わせる。
 それから、内腿に掛けられた手に促されるまま足を開けば、その間に彼の体が入り込んで閉じないように固定された。
 そして彼は、既に熱を持って膨れているエレンシアの欲望を口に含む。

「うあっ……やめっ」

 今までで一番直接的な快感を与えられて、エレンシアは肩を跳ね上げて首を左右に振る。それでもユーノは止める事なく、口の中のものに舌と唇で刺激を与えてくる。
 エレンシアは広げられた足を震わせながら、やがて目を閉じてその感覚に溺れていった。

「川沿いでキャンプを張っている、ところに、盗賊団が襲って……きた。雇われた者達に、死にたくない……なら、こちらに協力しろと。俺達は、でも、そんな事は出来ないと、そうしたら、さっきまで仲間だった奴等が皆、俺達を殺しに……き……た」

 暖かい粘膜が敏感な性器にまとわりつく。
 全体を粘膜で覆って、先端を舌で押され、繊細な動きの指先が茂みの中の袋をやんわりと揉みしだく。
 ちゅぷっという水音をわざと立てて口から出されれば、体は本人の意思に逆らうように刺激をねだって腰を突き出してしまう。
 それを笑われた気配がしたものの、エレンシアはもう熱を求める体を止める事が出来ないでいた。

 けれども、只管熱を追う体とはすれ違うように、エレンシアの頭の中には、一番思い出したくない辛い場面が浮かびあがる。

「極僅かの、逆らった連中は皆、ころされて、俺達だけが残った。俺達……も、川まで追い込まれて、もう、逃げられなかったけどっ……あ、だめだ、やぁっ、止め……」

 体をぶるりと震わせて、エレンシアのものは解放を向かえる。
 感覚を極めた後のけだるさが、全身をゆっくりと包んでいく。
 エレンシアは、木々の間から僅かに見える空の星を見つめて、涙を流した。
 彼の頭の中には今、最後のリーバスの姿が浮かんでいた。

 川にまで追い込まれ、もう逃げられないと悟った時、リーバスはエレンシアに川に飛び込んで逃げろと言った。勿論それはリーバスも共にだとエレンシアは思ったが、彼は既に負傷して、おまけに重い甲冑を着けていた。この状態では自分は泳げないから、お前だけが逃げろと彼は言ったのだ。

『出来るだけ俺はあの裏切り者どもを道連れにしてやるから、お前だけは逃げ延びてくれ、俺の為だと思うなら、何が何でも生き延びてくれ』

 そう言って、笑った顔が最後に見た彼の顔だった。
 そんな事を出来る筈がないと言ったエレンシアは、直後に川へ突き飛ばされ、その流れに飲み込まれた。
 この時程、彼に力で勝てない自分を呪った事はなかった。
 冬が近い川の水は冷たく、深く淀んだ流れは泳ぐ事さえ困難だった。
 それでも、気付いた時にはどこかの岸にたどり着けたのは、奇跡とさえ言えた。彼の為に、これで死ぬ訳にはいかないという執念と、あるいは最後の彼の願いが起こした奇跡だったのか。
 エレンシアは、もう動けないと悲鳴を上げる体を叱咤してとにかく歩いた。
 冒険者事務局のある町までいければ、契約違反をした彼らを訴えられる。町まで行ければ、親友との最後の約束を果たす事が出来る。

「リーバスは、俺に生きてくれと言っていたんだ……自分の為だと思うなら、生き延びてくれと……」

 赤い髪の青年が、涙を流すエレンシアの顔をのぞき込む。
 近づいてくるその顔を見て、エレンシアは目を閉じた。
 与えられた口付けは、優しく、暖かで、エレンシアは思わずその彼に縋りつくように抱きついた。
 口付けは深くなり、舌を触れ合わせて、相手の粘膜を舐める。口の中に溢れる唾液を嚥下して、喉がこくりと音を鳴らした。

「ね、貴方は分かっていたでしょう? 彼は貴方を責めてなどいないって。でも貴方は彼を助けられなかった自分を許せなかった。自分だけ助かった事が苦しかった。だから、自分で自分を責めるしかなかったんですね」

 優しい夜の瞳が炎を映してゆらゆらと赤い光を放つ。
 赤い髪がふわりと視界を覆って、エレンシアは涙を流しながらも唇に笑みを浮かべた。
 ユーノはそれに応えるように彼も笑みを浮かべると、エレンシアに再び口付けて、すがり付いてくる腕を優しく引き剥がし、視界から姿を消す。

「う、あ……」

 直後に、また熱い粘膜に自分のものが包まれる感触。
 けれども、今度はそれだけではない。
 後ろに回った彼の指が、尻を割って窪みの中へと押し込まれてくる。
 何かのぬめりをつけてあるのか、濡れた感触と共に、あの、竪琴を弾いていた繊細な指が体の中にするりと入ってくる。

「あぁっ、何、を」

 喘いで。
 ぐっと奥を探ってくる指が、体の奥を押すように撫でる。

「な、に……」

 未知の感覚に、不安を覚えて顔を上げようとすれば、途端に前を銜えていたユーノの口が激しく上下に動いてエレンシアの雄を扱いてくる。
 それに喉を晒してまた喘ぎ、腰を跳ね上げれば、彼の指が増やされてまた奥を撫でる。
 じんわりとした疼きのような快感が、そこを撫でられるうちにじんじんと痺れるように下肢に広がり、エレンシアを堪らない気分にさせる。
 最早、口を開いたまま閉じる事も出来ず、口から涎さえ流してその感覚を追う。
 だが、今度は最後まで彼は解放させてはくれない。
 もう少しで迎えられそうな予感がした途端、彼の指は体の中を去っていく。熱い粘膜から、解放を求めて震える欲望が引き出される。

「あ、なぜ……?」

 意識せずそんな事を口走ってしまったエレンシアに、ユーノが微笑んだ。

「貴方を下さい。代わりに、貴方の苦しみを貰ってあげますから」

 それから、もっと刺激が欲しくてひくひくと強請る後孔に、熱い塊が押し付けられる。それが中へと進入してきたときには、エレンシアの口からは歓喜の声が上がった。
 指では届かなかったずっと奥へ、大きな質量が入り込んでくる。
 あの繊細な指とはまるで違う荒々しい熱が、体の中をぴっちりと埋める。
 薄く開いた視界の中には、やはり赤い髪の青年の笑顔があって、エレンシアはその彼に向かって手を伸ばした。
 与えられる口付け、近づいてくれる体。
 その体にまた抱きつけば、今度は離される事なく、彼は律動を開始する。

「う、あ、あぁ、あう……」

 揺れる動きに合わせて、体の奥が強く擦られる。
 解放する直前まで昂ぶらされていた感覚は、簡単に熱を再燃させる。
 今度こそ最後まで刺激が欲しくて、強請るように自ら腰を揺らしているのにエレンシアは気付かない。
 体の奥に、液体を押し込まれるような卑猥な水音が響く。
 解放される直前まで勃ちあがった自分の性器が、ユーノの体に触れて擦られ、喜びに蜜を流しているのさえ自覚する。

「あ、あ、あ、あ、う、あああああぁっ」

 声の限りに叫んで、彼にすがり付いて。
 体の中に熱い流れを感じて、それを飲み干すようにびくびくと蠢いた自分の中を感じてしまって、エレンシアは全ての快感に溺れたまま自分の欲を吐き出した。

 ユーノが抱き締め返してくれる。
 ぴったりと重なる肌を感じて、エレンシアは幸福感にも似た満ち足りた気分のまま意識を手放した。

 ――あぁ、そうだ。

 炎の揺らめきのような赤い闇に飲み込まれる前、彼は初めて自覚する。

 ――俺は、リーバスが好きだったんだ。本当は、こうして彼の体温を感じたかったくらいに。









 新月の暗闇の中、松明を掲げた男達が森の入り口でひそひそと声を交し合う。

「この森に入っていったと思うか?」
「分からんな、入っていったとしたら無事ではすまないと思うが」
「思うが、じゃだめだ。奴を確実に殺さなければ俺達は破滅だ。俺は元々盗賊の仲間じゃねぇ、あいつが事務局に駆け込むような事があったら、冒険者の資格を一生取り上げられて牢屋行きだ」
「黙れよ、文句いってる暇があれば、さっさと奴を探すんだ」

 だが、殺気立つ彼らの間、場違いな竪琴の音色が、美しい旋律を纏って耳に届く。
 男達は、一瞬、その音に驚いて口を閉ざす。
 優しい音色は、流れるような柔らかな音楽を奏で、少しづつ彼らの傍へと近づいてきていた。
 男達の一人が、ごくりと喉を鳴らす。

「亡者の竪琴だ。この森の傍で聞いた事があるやつがいるって、何度か聞いた事がある」

 その言葉で、他の男達も口々に不安を口に出す。
 だが、恐怖にざわついたその空気を、リーダー格でもある男が一蹴した。

「黙れ、そんなものはただの噂だ。亡者が楽器を鳴らせるかよ。それより、クランクがさっきアイツを見失った時、竪琴の音色が聞こえた気がするっていってたろ。奴の仲間かもしれん、音の出所を探せ」

 言われた男達は、松明で森を照らしながら、各自音が聞こえると思った方向を探す。
 そうして、竪琴の音色がすぐ傍にまで近づいた時、赤い炎の明かりが一斉に向けられた先、森の入り口を守るように立つ大木の前に、竪琴を弾く赤い髪の人物の姿が浮かび上がった。
 一瞬、誰もがまず彼を見つけて息を飲む。
 けれども、その姿が人間の、いかにも冒険者といった出で立ちだった事で、男達は胸を撫で下ろす。

「お前、ずぶ濡れの戦士風の冒険者の男を知っているんじゃないか?」

 一人がそう尋ねれば、赤い髪の人物は指を止める。
 閉じていた闇色の瞳が開かれて、松明の炎を受けて赤く、黄色く、暗闇の中で光って見える。

「人間、だよな」

 思わず誰かがそう呟く程、よく見れば血のように真っ赤な髪の人物は、魔性のような怪しさを纏って見えた。
 そもそも、この暗闇の中、亡者の森で演奏など、正気の人間がする事ではない。

「そう、私は人間ですよ。ただの人間。只者じゃないのはこの竪琴の方でね、魔剣っていうのがあるのは知ってるでしょう、これはそれと同じ作り方をされた楽器なんですよ。これに込められた力の都合上、武器じゃなくて楽器の方が良かったそうです」

 くすくすと無邪気に笑う赤い髪の青年は、人間だと言われてもにわかには信じがたい程、異様な空気を纏っていた。
 その異常さに足がすくんでいた男達は、誰一人として彼に近づこうとはしなかった。

「この竪琴の中にはね、人の感情を魔法に変える事を研究していた魔法使いの魂が込められているんですよ。彼はね、たくさんの感情をこの竪琴に集めて、それを歌にして封じ込める事が出来るようにしたんです、ほら、例えばね……これが今出来たばかりの歌」

 青年のしなやかな指先が、流れるように動いて弦を鳴らす。
 美しい旋律と共に、男にしては少し高い心地よい歌声が、魔琴の音色と溶け合い、一つの曲を作り上げる。

 最初に、悲鳴を上げたのは誰だったのか。

 一人が声を上げれば、続けるように次々に男達の悲鳴が辺りを満たす。
 彼らが見ているのは、赤い髪の青年ではない。彼らに聞こえるのは、美しくも悲しい竪琴の音色でも歌でもなかった。
 今、彼らの目の前にいるのは、かつて彼らが殺した一人の騎士。
 川辺で、逃がした仲間を庇おうとするように、たった一人で狂ったように暴れていた騎士の男。斬られても斬られても止まる事なく、最後には何本かの刃を体に突き刺されてやっと息絶えた男。
 その、男が。
 体中から血を流し、恨むような瞳で男達を睨みつけている。

『タスケテ』

 亡者の話す言葉はそれだけ。
 ただ、それだけを呟きながら、一歩、一歩、騎士の亡者は男達に近づいてくる。

 男達は悲鳴を上げる。ある者は逃げ惑い、ある者は腰を抜かして這いつくばる。
 そしてまだ意志を保っていられる者は、亡者へと斬りかかる。

 けれど。

 斬れば、血が飛び散る。
 返り血は確かに斬った男を濡らす。
 けれども亡者は止まらない。
 血を流しながら、斬った男の腕を掴んで、人間とは思えない力でその腕を握り潰す。
 悲鳴を上げて、男は地面に転がってのた打ち回る。
 亡者はその男を踏みつけて乗り越えると、今度は腰を抜かした男の足を掴んだ。そうしてまた、掴んだ男の足首を握りつぶす。
 既に、正気を保てている人間は存在しなかった。
 更には、何処からか強い風が吹き、一斉に男達の持つ松明の火が消えた。
 そこからは、悲鳴だけが辺りを満たす音の全てだった。
 正気を失い、恐怖に駆られた男達は、触れたもの全てを斬り、走る事しか出来なかった。

 そうして、竪琴の音が止まった時。
 再び辺りに静寂が訪れる。
 否、正確には静寂ではない、地面に転がる男達の呻き声が僅かに聞こえる。
 それをまるで心地よさげに笑みを浮かべて聞いていた赤毛の青年は、優雅に立ち上がると、最後に軽くお辞儀をしてみせた。

「お聞きくださってありがとうございます。
 ……どうですか? 今のがエレンシアから貰った感情ですよ。これが責めるべき対象は彼自身ではない、貴方達であるべきでしょう? この魔琴はね、貰った感情を増幅して歌として吐き出す事が出来るんです……まぁ、そう言ってももう誰も私の言葉を理解出来ないとは思いますが」

 暗闇の中、仲間同士で殺しあった彼らは、命を落としたか、生きていても心が恐怖で死んでしまったか。どちらにしろ、もうエレンシアを追う事はないだろう。
 ユーノは再び竪琴を鳴らす。
 但し、今度は歌は歌わない。
 竪琴に呼びかけるように、竪琴の声を聞くように、目を閉じて弦を鳴らす。

「うん……そうですね、彼はちょっと好きだったかな。この髪を綺麗だっていってくれた人は久しぶりだったからね。本当に嬉しかったから……彼にはちゃんと助かってもらいたかったんです」

 月明かりに乏しい森の中、幻想のように美しい竪琴の音色が優しく響く。
 森の中に住まう亡者達は、その音を聞いて涙を流した。
 その中に、つい今さっき男達が見ていたのと同じ姿をした、甲冑を着た騎士の亡者も居た。
 彼は、涙を流した後、虚ろな瞳にそれでも笑みを浮かべて、そうして、光となって空へと吸い込まれていった。









 エレンシアが目を覚ますと、既に辺りは明るくなっていた。
 焚き木の火は辛うじてまだ消えてはいなくて、彼は、火の傍に立てかけてあった服に手を伸ばすと、それが乾いてるのを確認してすぐに着た。
 体のあちこちが痛くて怠い。
 川に流された後歩きどうしだったから当然と言えば当然であるが、それにしても腰が妙に重いのには少しだけ疑問が残った。
 けれども、立ち上がればどうにか歩けそうではある。
 なにより、眠れた所為か、体力はかなり回復している。
 これならば、奴等に見つかりさえしなければ、町まで今日中にたどり着けそうだと思えた。
 身支度を整え、火を消して、彼はその場を後にする。
 けれど。
 ふと、クセのように腰に触れた手が短剣の感触を伝えて、彼は不思議に思ってそれを抜いた。
 川に流された時、手に持っていた剣は勿論、腰に差していた短剣も何処かで落としていた筈だった。
 抜いたそれをよく見てみれば、それは使いなれた自分の短剣でない事がわかる。

「俺は、どこでこれを手に入れたんだ?」

 昨夜の事を思い出しても、どうしても分からない。
 どうにか追っ手を撒いてこの森まで逃げてきて、火をつけた後疲れきって眠ってしまったことしか覚えていない。
 とはいえ、この先、短剣とはいえ、丸腰だった自分にとってはあれば心強い。
 誰の物かは分からなくても、ありがたく使わせて貰おうと彼は思った。

 歩き出して、ふと、彼は足を止める。

 何処かで、竪琴の音色が聞こえた気がした。
 けれどもそれは気の所為だったのか、耳を澄ませてもそれ以上は聞こえず、思い直して彼は再び歩きだす。

 彼は急がなくてはならなかった。
 彼を助けてくれた親友の為に、何としても生き延びなくてはならなかった。
 事務局に報告したら、警備隊を連れて事件のあった場所へ戻る事になる。
 恐らく生きてはいないだろう親友の亡骸を、なんとしてもそれで見つけて、彼の墓を作ってやらなくては。
 何故だろうか、昨日までは彼の事を思うと苦しくて仕方なかったのに、今は逆に彼の分も生きなくてはならないという気力が湧いてくる。
 これは体力が回復した所為か、それとも。

 何か、あったのだろうか、この、短剣を何時の間にか持っていたように。


END



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よし、今度こそちゃんと短編書けたよー。多分。
でもなんか分かり難い話だったかもしれないです。申し訳ありません。
コンセプトは『回想しながら事情を話しながらのエロ』。何故そんなものを目指したのだろう私。






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