セナ裁判
§はじめに§
この裁判は、論争の焦点となる点が多すぎるため、ごく簡単なあらましと、裁判に対する僕の個人的な見解を書き留めるにとどめることにした。裁判の詳細については、F1倶楽部16号において非常にレベルの高い優れた特集が既にあるので、それを参照して戴きたい。
*裁判に至るまで
1994年5月3日、ボローニャ検察局が捜査責任者として、バッサリーニ検事を任命。
同年5月13日、モナコGP記者会見にてM.モズレーFIA会長により「セナの死因は、フロント・サスペンションが脳に突き刺さったため」と発表される。
同年10月31日、法律で規定された予備捜査期間が満了するが、捜査の延長が申請され、認可される。
1995年2月24日、予備捜査終了
1996年6月、バッサリーニ検事は、予備審裁判所(GIP)に鑑定調査最終報告書を提出。
同年11月25日、予備審裁判所(GIP)のデイ・マルコ判事は、裁判の必要性を決断。6人(後述)が起訴される。同時にシムテック関係者は不起訴処分とされることも発表。
1997年2月20日初公判
*裁判の概要
判決までの裁判期間:10カ月
公判回数:32回
裁判費用:約13億円
論告求刑期日:1997年11月7日
鑑定書類:総計4000ページ
被告:パトリック・ヘッド
(ウイリアムズ・テクニカル・デレクター)
エイドリアン・ニューウイ
(同チーフ・デザイナー)
フランク・ウイリアムズ(同代表)
ローランド・ブリューインセレード
(FIAレースデレクター兼安全委員)
フェデリコ・ベンデネッリ
(イモラ・サーキット運営会社SAGIS会長)
ジョルジョ・ボッジ
(イモラ・サーキット・デレクター)
論告:「セナの事故は、ステアリング破損がコースアウトを引き起こしたものである。ステアリング破損は、金属疲労によるものであり、それを招いた原因はステアリング改造である。改造の責任は、パトリック・ヘッド、エイドリアン・ニューウイが負うべきである。」
求刑:パトリック・ヘッド、エイドリアン・ニューウイ両被告に懲役1年
判決期日:1997年12月16日
判決主文:「イタリア国民を代表し、イモラを管轄するボローニャの裁判長は、フェデリコ・ベンデネッリらの被告に対して以下の判決を申し渡す。
フランク・ウイリアムズ、パトリック・ヘッド、エイドリアン・ニューウイは、事件を起こしていないものとして無罪。
フェデリコ・ベンデネッリ、ジョルジョ・ボッジ、ローランド・ブリューインセレードは、被告らの行為は無関係として、同様に無罪。
判決理由の寄託期間は90日間とする。」
*裁判についての個人的な見解
セナの事故直後、イタリア政府が、ブラジル政府に、事故原因を明らかにすると声明する。その立場が、司法によるものであった。
被告として考えられるのは次の三つ
1.イタリアのサーキット
2.FIAレース運営管理
3.セナの所属したイギリスのチーム
まず、この時点で、イタリア検察が裁き、1の被告以外の責任が重くなった時、その公正さが疑われる可能性がある。(だいいち、サーキットこそイタリアにあったが、サンマリノGPの主催国はサンマリノ共和国である。)
証言以外の、事故の証拠には、ハードウエアとソフトウエアがある。
ハードウエアたるマシンは、すぐに検察当局に差し押さえられた。
しかし、ソフトウエアであるテレメトリーは、事故直後にFIAの許可を得た上で、チームの手に渡っていた。
FIAの判断は、別にミスではない。事故原因を究明するには、マシンを製作したチーム自身の手が必要だからだ。
そして、すぐにそのチームが刑事責任を問われる被告となった。
事故から2週間も過ぎてから、検察は、テレメトリーデータを手に入れる。インターポールの要請を受けたフランス警察がルノー本社に出向いて押収したのだ。それは、テレメトリーの現物ではなく、データがセーブされたHDであった。(テメレトリーボックスはコネクターが破損しており、直接情報を取り出せなかったため)
その後検察当局は、事故原因、すなわち、セナがコントロールを失った理由を、ステアリングシャフトの破損にあると決定付けた。そして、ステアリングシャフトの破損の原因は、チームによる改修の不備にあるとした。改修を要請したのは他でもないセナ自身である。(空力を追及したウイリアムズのマシンのコクピットは狭く、ドライビング・ポジションに支障をきたしていた)
もちろん、チーム側は、これに反論する。チーフ・デザイナーのパトリック・ヘッドは、
「裁判当初、私が一つ気になっていたことがある。それは事故当時の走行記録システムにはステアリングが機能していたと記されているのに、その後の調査員の報告書では、セナがコースを外れたのは恐らくステアリングが操作不能になっていたからだと結論付けていることだ。」
と、語っている。
彼の言っていることは真実かもしれない。(科学的に疑うべき要因はステアリングの他にもある)しかし、2週間にわたって、テレメトリーの提出を遅らせ続け、強制的に押収されるという事態の後では、説得力を失う。
この事柄を取り上げただけでも、もともと、この裁判が不毛な論争に終始する構造にあることがわかる。
F.パナリッテイ記者は、 F1倶楽部16号においてこう述べている。
「疑問点は、ありすぎるほどある。検察側も被告側も、どちらの立論も極めて大雑把であり、入手した数少ない経験的データと、それに基づいて組み立てられた理論とを結びつける基準についてはあまり注意が払われていないように思われる。」と。
罪を問う形を取る結果、司法的な争いとなり、事故原因の真実が明かされる機会を永遠に失ってしまったのかもしれない。
もっと、極端に言えば、法の下で平等であるべき検察当局が、セナの事故死の前日に、同じサーキットで事故死したローランド・ラッツエンバーガーについて、同じ重さをもって取り上げないこと自体が、既におかしい。
ラッツエンバーガーの事故死の直後に、警察が介入し、サーキットを封鎖、事故検証を行っていれば、今日の司法のサーキットへの介入も納得がいったはずだ。
また、セナの事故の直前に、スタート地点で起こった事故でJ.J.レートのマシンのタイヤが外れ、観客席に飛び込み、観客が重軽傷を負うという事故も発生している。にもかかわらず、レースは続行された。
裁かれるべきは、本来は、この二つの件での運営・安全管理の方だったのではないのか?そして、それこそが、むしろ、司法の担うべき役割だったのではないか?
誰もが思っていることかもしれないが、やはり、この裁判は馬鹿げている。私たちを詭弁で煙に巻き、真実を迷いの森に隠すことしか、その果たす役割が無い。
それでも、あえて言えば、幸いなことが一つだけある。それは、セナの遺族が賠償請求を放棄し、この不毛な裁判に加わらなかったことだ。