彼が、”その時、何を見ていたか?”について、
残されているインタビューはない。
また、何を思っていたのかについても同様だ。
 きっと、それは”女の子のことを考えているに違いない”
という記者達の思い込みのせいもあるだろう(本当か?@爆)。
 
 何より、何を見て、何を考えているのか、
訪ねるのが無粋なほど、そのポーズは様になっていた。
好漢ベルガーが、そこにいて自然、と思わせるものだった。
 
 何を見て、何を思っていたのか?
問いかけるインタビューはなかったが、
「なぜ、いつも、そこにそうしているのか?」
と尋ねたインタビューはあった。
(センスの良いインタビュアーだと思う)
彼は、それにこう答えたのだ。
「一番、リラックスできる姿勢だからだよ」
 
 他人にどう見えたかは、わからない。
本人がどうだったのか知るすべはないし、知りたいとも思わない。
 ただ、僕には、そんなポーズを取る彼からは、
故郷オーストリアの丘に腰掛けて、自分の町を、見下ろし、
物思いに耽る少年ベルガーが連想されてしまう。
そんな時間をとても多く過ごした少年時代だったのではないかと?
そう、思えてしまうのだ。
 
 彼は、F1のグリッド上にいても、
レースに取り憑かれるのでなく、そのままの彼でいた気がする。
サーキットの喧噪を、ピットウォールという丘に座り、
見上げていた、眺めていたのだと思う。
 
 そんな連想をさせてしまうほど、
往時のベルガーはロマンティックで人間的なF1ドライバーだったのだ。
 
 今のベルガーは、どうだろう?
最強エンジンBMWを率いる彼には、そんな場所があるのだろうか?
メーカーワークスの戦場となった今のF1に於いて……。
 気にかかるところです。
鈴鹿へ行って来たみなさん、ベルガーはどこにいたのでしょう?
彼は、変わりない彼でいたのでしょうか……?
 

 

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