あれから半年…

 決断から半年が過ぎた。
今、高木虎之介は、Fポンを走り、6戦5勝と独走をしている。
いや、その内容は、結果以上のものを示してきた。
13位まで転落しながら、最終ラップで逆転優勝をもぎ取った開幕戦を
はじめとして、窮地を跳ね返す強さを示し、
そして、何より、挑戦的なラップを刻む予選の速さでだ。
まるで目に見えない何かと戦っているかのようだ。
この程度では、まだ足りない、
まだまだ、走れるはずだと‥‥。
 彼の見据えているものは、間違いなく”F1ドライバーの走り”だ。
つまり、シューマッハやハッキネンがFポンを走っていたらどうであったろう?‥‥と、思わせるような、挑戦的な走り。
それは息を飲む迫力のある走りだが、とても切なくなる‥‥。
 
 真のライバルはここにいない。
心は、”本当の戦い”を求めている。
”本当の戦い”で、やるべきことを、
やっていたはずのことをすべてやり尽くす。
その頑固な意思表示が感じとれる。
 国内レース圧勝の慢心はそこにはない。
勝つだけでは満足できない、満たされない心が、
そこにあるように見える。
 
 ここにはいないものと戦う姿‥‥、
それは心熱く燃えさせ、クールに物事を沈思させるが、
後にはどうしようも無く切ないものが残る。
ベストの結果を得て尚、切ないものが残る。
それは、たぶん、紛れも無い、”F1への片想い”。

 

 再び夢となって…

 F1ドライバー。それは、夢であり、あこがれの存在であった。
それを現実のものに引き寄せたのが、中嶋悟。
 その13年に及ぶ歴史の幕を引いたのも、中嶋悟とその弟子。
F1は、再び”夢”となった。
 
 何故、”夢”になったか?
F1に乗れなくなったが、”F1を諦めた”わけではないからだ。
夢”だった”のではなく、”まだ”夢なのだ。
F1に乗る、F1に戻る、F1で活躍する”夢”なのだ。
 
 理由はどうあれ、彼がF1を降りることで、
”夢”を求める強烈な心と、絶望感とが、わき起こった。
バブルな時代に翻弄されていて、忘れていたものでもある。
F1は、高い金を出して買う海外ブランド品ではなく、
”見果てぬ夢”だったのだということを。
中嶋悟のF1挑戦に見たものを、思い出した。
僕は今一度、”F1ドライバーの価値”を再認識する思いだった。

 

 夢を見たくなる話

 もともと、虎之介と中嶋悟の周辺には、”夢”があった。
94年、中古マシンを利用して若手を抜擢しようという中嶋氏の提案で、
3台のF3000マシンが用意され、F3の上位3人が指名された。
 ところがそのうちの一人が、F3に専念したいと、固辞したため、
ランク4位の虎之介にお鉢が回ってきたのだ。
”たら、れば”は、スポーツの世界で良く語られることだが、
この時の偶然、運命の悪戯が無ければ、夢は始まらなかった。

 2000'菅生にて 写真提供 / koyuki

 F3000初優勝にも独特なエピソードがある。
初P.P.を取った高木に、「優勝したらNSXをやる」と、
中嶋悟がはっぱを掛けた。(冗談か本気か‥‥?)
 そして、本当に虎之介は優勝してしまうのだ。
それは、中嶋悟”監督”にとっても初優勝であったのだが、
二人とも、終盤はNSXの話しかしていなかったという。(本当か?)
ほほえましく、かつ真剣でスケールの大きい話だ。
夢のある、という表現が、やっぱり相応しい。
 
 中嶋悟は、虎之介を得て、再び、F1進出を志す。
しかも、テストドライバーから始めるという、
着実なドライバー本位の理想的F1ドライバー養成計画に見えた。
ティレルは、あまり強くはなかったが、その分プレッシャーは無く、
何より、中嶋悟を支持してくれる親日的なチームだった。
「中嶋が連れてきた(惚れ込んだ)ドライバーだから」
虎之介をサポートする、と言うスタッフの発言を目にしたものだ。
それは、とても微笑ましく、心強いものだった。
 
 だが、それが、突然暗転する。
BATにより、ティレルが買収されてしまい、計画が頓挫するのだ。

 

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