昨年もっとも粋だったドライバー

 昨年のGPで、僕が最も気になっていたドライバーは誰か?
それは、”フェラーリのNO.2”
 ”フェラーリのNO.2”こそ、もっとも面白い立場だったし、粋だったし、格好良かったと思う。
 

 それはアーヴァインではなく、フェラーリのNO.2?

 じゃあ、それは、アーヴァインが格好良かったという意味かというと、それは違う。”フェラーリのNO.2”が、僕にとって格好良かったのだ。
 この違い、わかってもらえるだろうか・・・?
 
 暫定NO.1に昇格したアーヴァインは自分を見失っていて、めちゃめちゃ格好悪かった。
 これに対して、代役NO.2のサロは、(結婚式直後ということもあったが)光り輝いており、”史上最強のNO.2”となった終盤戦のシューマッハは、レースはおろか、チャンピオン争いの鍵を握った存在であった。
 
 では、アーヴァインが格好悪かったかというと、これまた、違う。
・・・そう、NO.2に撤していたアーヴァインはめちゃめちゃ格好良かった。(とりわけ、97年の鈴鹿での名アシストぶりは、見事でさえあった)NO.2の職責を十分以上に全うしたものだから、放言も夜遊びも、許せた。華でさえあった。
(特にエースドライバーが、いかにもゲルマン系のまじめ人間で、
 およそフェラーリに似つかわしくないイメージであるせいもあったが・・・)
 

 今年のアーヴァイン、今年のフェラーリNO.2

 それでは、今年のアーヴァイン、今年のフェラーリNO.2は、どうか?
(この稿執筆時点(5月中旬)は、例年なら序盤戦なのだが、
 今年は、既に、7戦めに突入しており、もう、”中盤戦”なのだ。
 シーズンを振り返っても良い時期でもある。(苦笑))
 

 アーヴァインは、昨年の成績に全く及びもしない。
けれども、プレイボーイの彼にとって、全然問題無い気がするし(笑)、
走っていて、おもろいコメントしてくれさえすればいい?(爆)
 

 フェラーリのNO.2となったバリチェロは、
開幕当初こそシューマッハを凌ぐかと思わせる速さを見せており、
ブラジルではヒーローでもあった。
 だが、その後、第6戦ヨーロッパGPの予選で見られた走りは、
”らしく”なかった。ブレーキングで突っ込みすぎ、リズムの崩れた走り、
それは、たぶん、”シューマッハ症候群”の恐れあり・・・。
(シューマッハの深いブレーキングを知り、見せつけられ、
 その結果、ブレーキ・ノイローゼ(?)気味となり、
 走りのリズムを失い、自分の良い点さえ出せなくなってくる。
 この罠に、ブランドル、J.J.、フェルスタッペン、ハーバートら、
 かつてのチームメイトたちが、はまっていった。)
ちょっと、心配になってきた。(苦笑)
 素晴らしい素質と速さを持っているだけに、早く、この”病”から脱して欲しいものだ。せっかく、フェラーリのNO.2になったのだから!
(この原稿執筆後、雨のカナダGPで、シューに継ぐ2位に入った!良かった!・・・)
 

 過去、最も粋だったフェラーリNO.2ドライバー

 それでは、歴史を振り返って、
もっとも、粋だったフェラーリのNO.2は、誰なのか?
それは、”あの人”だろう。
Mr.フェラーリこと、”ジル・ヴィルヌーブ”!
 
 彼は、1977年、イギリスGPにてマクラーレンでデビュー。スポット参戦で終わったもののフェラーリに抜擢され、NO.3カーを与えられ、日本GPを含む終盤2戦に参戦している。(既にチャンピオンを決めフェラーリと不和であったラウダが、参戦拒否したために日本GPでは実質上のNO.2扱い)
 その後、彼は常にフェラーリに忠誠を誓うNO.2ドライバーであり続けジョディ・シェクターのドライバー・チャンピオン獲得をサポートする。これは、今のところ(2000年6月現在)最後のフェラーリ・ドライバーのチャンピオンでもある。
 ジル・ヴィルヌーブは、最も記憶に残るフェラーリ・ドライバーであると共に、優れたNO.2ドライバーであった。
 だが、やっとエースドライバーの地位を得た途端、NO.2ドライバー(ピローニ)の造反を受ける。(イモラでのことだ)そして、ピローニタイムを破ろうとして、予選中に事故を起こしこの世を去る。(ゾルダーでのことだ)
 その後、カナダGPの行なわれるサーキットは、彼の名を冠され、P.P.のグリッドには、”Salut、Gill!”と刻まれる。最初にその位置に着いたのは、誰あろう、ピローニだった。予選の記者会見で、P.P.獲得の喜びを表すことは無く、彼は泣き崩れる。
 一方、フェラーリも、(現行のカーナンバー制度になるまでの)長い間、彼が付けていたカーNO.27を守り通すことになる。これこそが、最もフェラーリに愛されたドライバーとしての証しに他ならない。
 その後、ジル・ヴィルヌーブは、長い間、伝説のドライバーとして尊敬され続けた。それは、その激しいドライビング・スタイルだけではなく、フェアな戦いぶり、NO.2の役目を全うし、フェラーリに忠誠を通した、その誠実な人柄あってこそのものだと思う。
 

 NO.2という生き方

 優れたNO.2というのを、僕らはこのように知っている。そして、素晴らしいレースを、僕らは待っている。スポーツは、記録が全てではないのだ。尊敬を集める人の記憶は、永遠に人々に語り継がれるのだ。
 そして、それは、そのスポーツを代表する存在となることがある。ジル・ヴィルヌーブを”ミスターF1”と呼んでも異論はなかろう。(同じように呼べるのは、かのアイルトン・セナその人ぐらいではなかろうか?)
 彼を知ると、NO.2でも、いいじゃないか!と、思うのである。そういう生き方もあるし、かっこいいじゃない!って・・・。そして、今のF1にどこか物足りなさを感じるのは、彼やセナのような存在がいないからのような気がするのだ。
 人として、ごく当たり前のことが出来る人。語るに値する人。そして、もちろん、闘争心と速さを備えている。記録より、記憶に残るドライバーの登場と活躍、それを何よりも、僕は望んでいる。
 
 

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