F1中継で良く頻繁に映る女性、と言えば、ピンと来る人も多いだろう、
イリヤ・ハッキネン。
 
 夫ハッキネンのコースアウトにも厳しい顔をしたまま、動揺を見せない。99年イタリアGPで、思いもよらない自らのミステイクでコースアウトし、モンツァ公園の森に隠れ、涙にくれていた姿を空撮されても、微動だにしない。その姿は新妻に相応しからぬ、落ち着きぶりで、夫ミカよりも気丈とさえ思われた。(ハッキネンは恐妻家?という陰口のようなジョークも叩かれる)
 
 では、この、つい最近まで母国フィンランドでブティックを経営していたご夫人が、F1マスコミに初めて登場した時のことを覚えているだろうか?(あるいは、ご存じだろうか?)それが、下の写真だ。(英AutoSprts誌掲載のもの)
 

 
 左の地味なメガネをかけた女性がイリヤさん。右のひ弱なほどにやせ細ったやさ男は、彼女の前恋人などではない。(もちろん、J.J.レートでもない(笑))このか弱そうにやせ細った男こそ彼女の将来の夫、ミカ・ハッキネンその人だ。
 
 95年最終戦オーストラリア初日で、重大な事故に遭った。予選初日ということもあり、覚えていない人も多いだろう。実際、事故に遭い、意識不明の重態となった、ハッキネン本人にも記憶がないのかもしれない。
 だが、私たちF1ファン、そして、何よりハッキネンの幼馴染みであり、フィアンセであったイリヤさんにとって、この大クラッシュは忘れることの出来ない、重大な事故だったのだ。(脳死を危ぶまれた・・・舌をかんだハッキネンは出血がおびただしく、呼吸困難の危険性があり、コースサイドで、咽への気管切開を行う緊急手術が行われた)
 
 生命の危機に瀕したハッキネンは、F1へ復帰しようと必死に立ち上がろうとしたが、その姿は痛々しかった。翌96年開幕戦に、不屈の闘志で復帰してみせたが、そこにかつてのハッキネンの姿はなく、若き同僚D.クルザードに遅れを取ることもしばしばだった。
 後に彼自身が語るところによると、開幕戦は全く体力不足、体調が元に戻ったのは、シーズンが終わる頃のことだったそうだ。
 この間のハッキネンを支え続けたのが、イリヤさんその人だった。
 
 99年モナコでの初勝利で、歓喜して抱き合い、人目をはばかることなくキスをかわした二人には、深い絆が結ばれていたのだ。
 
 クラッシュにあうかもしれない、いつゲームで死ぬかもしれない。ドライバーとボクサーの恋人、夫人が抱えるプレッシャーは並大抵ではない。なにしろ、自分には何も出来ないのだ。これほど歯がゆく、辛いことはない。
 
 ハッキネンが、雨などのリスクの多い場面ではあえて攻めないこと、また、決勝でも余裕があれば、ぎりぎりの走りを求めないことを僕は理解し、支持したいと思っている。それは、こうした辛い経験を彼が経ているからでもある。また、イリヤさんを疎ましいとも思わないのも、同じ理由からだ。
 
 今シーズン序盤、ハッキネンに引退の噂が出たとき、そして、それがイリヤさんの妊娠を理由としたものであると知ったとき、それもいいかな、と思ったものである。若くしての引退、それもいいじゃないか、一つの生き方なのだ。僕は、予選でのハッキネンの勇気ある走りを何より楽しみにしている一人であるので、当然、残念でもある。でも、人間として、彼の考え方は理解できるものだ。
 昔、誰かが言った。F1ドライバーにとっての至福は、F1ドライバーとして、五体満足で引退することであると・・・・。
 
 イタリアGPにイリヤさんの姿はなかった。今まで、身重の身で、よくベルギーの山中まで出てきていたものだと思う。この二人のカップルに幸せな老後が訪れるよう、祈っている。美しく静かなフィンランドの森に佇む仲睦まじい二人の姿を夢見ている。
 
 
 
追記
 
 周知の通り、イリヤさんは、身重の体を抱えたまま、来日しました。もしかしたら、全戦を帯同(皆勤賞?)したことになるのでしょうか?
 イタリアGPにも帯同していたとの情報もあるようで、訂正して、お詫びさせていただきます。
 
 妊婦が極東までの長時間フライトに搭乗していいのかな〜などと疑問は多々ありますが、人の家のことだから(笑)
 やっぱり、イリヤさんは強い女性(苦笑)なのか、それとも、二人の絆がそれだけ深いのか・・・?(男性としては後者であることを望む・・・?)
 
 予定日は、いつだったのでしょう?クリスマスの頃なのでしょうか?(それとも、もっと早かったかなぁ?)
 F1サウンドをまどろみの中で聞いて、生まれる子供・・・祝福してあげたいですね、F1ファンとしては。

 
 
 

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