- 本場ヨーロッパのアパレルメーカーによる広告がファッショナブルなのは、当たり前といえば、当たり前かも知れない。
- だが、ベネトンの広告は、人種差別、エイズに対しても主張をし、それがしかも効果的であった。時代の空気、人々の問題意識を共有した、と言っても良いであろう。
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- そうした時代の空気を感じ取ることがうまい企業が、ワークス自動車メーカーにチームを売却した。これも、また時代の先読みのなせる技なのだろうか?プライベート・コンストラクターは生き残っていけないということを意味するのだろうか?あるいは、F1が広告戦略から外されたことを、広告媒体として価値を見いだせなくなったということを意味するのだろうか?それとも、ただベネトン・ファミリーがF1に、ただ疲れただけなのか?それとも・・・?
- 僕にはわからない。
- ただ一つ、わかっていることは、このチームが多くのものを、F1と僕たちに残してくれていったことだけだ。
- シューマッハやベルガーをデビューさせたチームであることはもちろんのこと、前身のトールマンからはセナもデビューさせている。(その当時のスポンサーもベネトン!)
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- 何より忘れられないのが、アレッサンドロ・ナニーニを巡るエピソードだ。89年鈴鹿、セナ失格によりナニーニが勝利を得る。これは、ナニーニと津川哲夫にとって初めての勝利だった。そして、これはナニーニにとって唯一の貴重な勝利となる。翌90年、鈴鹿を直前にヘリコプター墜落事故に遭った彼は、片腕を切断するという重傷を負い、F1選手生命を絶たれたからだ。
- セナの奪われた勝利は、与えられるべき人に与えられていた。今、そのことに僕は、満足できる。
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津川哲夫著「F1グランプリボーイズ」より
- 思えば、良い時代だったのかも知れない。そして、常に、良いときは長くは続かないものだ。だからこそ、貴重でかけがえのない思い出と言えるのだろうが・・・・。
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