• 2002

 2002年という年

 2002年という年。この年は、たぶん、どこかでも言われることだろうが、”記録に残るが記憶には……”という年だった。(記録的には素晴らしい年だった。50年代のメルセデス、80年代のマクラーレン・ポルシェ/ホンダに匹敵するチーム戦績、なにより二人目の5回チャンプを生んだ他、連続表彰台記録……などなど、記録のてんこ盛り状態。)
 そして、それは”ライバルの自滅”という”シュー時代”によくありがちなパターンに助力され、その印象が加速されたとも言える。過去のシーズンと比較するなら95年に近い。(そういう意味に於いて、シューはセナやプロストとは異なり、ライバル相手に思う存分戦えたわけではない不遇なドライバーだと思う)

 フェラーリに罪無し

 その為、昨今よく、「シューが独走してつまらない」と言われるが、僕に言わせてもらえれば「誰もシューに対抗しないのでつまらない」となる。
 ……もっとも、この二つは同じ意味で使っているのかも知れないが、ちゃんと言ってくれないと、僕の鳥頭では理解できない。(笑)
 早い話、チャンピオンを獲る必勝体制を敷いたのは、フェラーリだけであったというシーズンだったのではないか?そして実際、シューに対する対抗軸が全く見えないシーズンだった気がする。
 ウィリアムズは未来(BMW)に固執し、マクラーレンは過去(ハッキネン)に固執した。共に若い有望なドライバー(ライコネン、モントーヤ)を抱えているが、プロストやマンセルのようなチャンピオンを狙える即戦力、シューに対抗できるカリスマにまでは育っていなかった。共にエンジンに問題を抱え、タイヤ(ミシュラン)に問題を抱えてもいた。
 だが、それ以上に今のシューマッハに挑もうという気配が全く感じられないことの方がより問題であろう。
 

 未来への停滞期?

 フェラーリを含めてトップチームは有力な若手を抱えることに走った。ライコネン、モントーヤ、アロンソがその好例であり、かつてはバトン、マッサもその候補と思われた。
 シューマッハと戦うことを端から諦め、シューマッハ引退後に誰が有力なカードを手にしているかという、ゲームの序盤でしかなかったのだ。そして、この気分や事情はルノーもジャガーも似たようなものだ。(もちろんタイヤに於けるミシュランもそうだ)今からしばらく、”来るべき未来”へ備えた停滞期に入っているという一つの見方が出来よう。停滞期はどの世界にも起こりうる仕方のないこと、そういう時期なのだと……。
 だがしかし、それは少し悠長な意見なのかも知れない。今のF1は、アロウズが昨年、プロストが一昨年に撤退して、9チーム18台に縮小してしまった。また、世界的な視聴率の低下、F1雑誌の販売不振に悩まされている。こうした現象で表される形が、今後も続くならば、”衰退”と表現せざるを得なくなるだろう。
 ではF1は無くなってしまうのか?否。そんなことは考えられない。モータースポーツの頂点F1が無くなるときは、モータースポーツが無くなるときであろう。
 さりとて、現状に留まること、または衰退はF1に似つかわしい言葉ではない。「F1は無くならない」が、ただそれだけではF1足り得ない。停滞期なんて、F1らしくない。未来へと加速してこそ、モータースポーツの頂点F1なのではないか?有無を言わせないパワーとスピードで時代を乗り切って、未来へと突き進んで欲しいものなのだが……。
 
 

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