さらに過去の日記より


 「たから書房」には従来、いわゆる日記ページは無かったのですが、トップページにて一言日記みたいなものを書いています。ただし、これはその時限りで、次の更新の際には消されてしまう場合がほとんどです。内容は書いた本人のところにも残りません。(たまにソースを見るとコメントにして残してある場合が有りますが笑)
 そこでその消えていく日記の中から、ちょっと残しておこうかというようなものをピックアップして隠し部屋に転載してあったのですが、雑記コーナーを作ったのを気に移動してきました。


目次
  1. 「ポケモン騒動2」 (1997/12/21)
  2. 「ポケモン騒動1」 (1997/12/18)
  3. 【時効】 (1997/7/31)
  4. 「言い換えて考えてみる」 (1997/7/13)
  5. 「悪法も法なり」 (1997/7/4)

 
「ポケモン騒動2」

(1997/12/21)
 そういえば、記者会見やら突撃取材やらのストロボの光の嵐のせいで、取材受けてる人が気持ち悪くなったり意識失ったりしたら、カメラマンやらマスコミやらは責任取ってくれるのでしょうか。光の刺激について取材してる当の側がやっぱり無自覚なんだよね(笑)。
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「ポケモン騒動1」

(1997/12/18)
 さて、次回のたから書房更新は、ちゃんと(ってのもおかしいが)イラスト公開でやる予定でした。しかし、例のポケモンアニメ事件に対する世間の反応があんまりにもアレなので、うちには珍しく雑文のためだけに更新しました。
 だってなぁ、スポーツ新聞の「ポケモン襲撃」みたいなのは確信犯のハズしたギャグとして見過ごせますが、TVや大新聞は大マジを装ってるだけにたち悪いですね。中には書いてる(言ってる)本人は本気で書いてるんだろうなぁというのもあるのが悲しい。
 代表的なのが12/17のニュースステーションに出ていた朝日新聞の人のコメントですか。「ポケモンが悪いのではない。ピカチュウが悪いのでもない」と理解ありげなことを言いながら、続く言葉があたかも「アニメの持つ問題だ」と言いたげなもの。光がピカピカなんてのはアニメに限らず映像表現の、いや映像に限らず「演出」にまつわるもの全てで使われがちなものでしょ。コンサートのステージなどでのストロボ表現、ちょっと古いがディスコの照明、街の看板だって電球の強い光が一瞬チカッ。何も、特別なものでも何でもない。
 結局、アニメや漫画、ゲームなんて子供に害のある俗悪な物、という先入観に自分が縛られていることにすら自覚がないのよね。
 同じく朝日新聞絡みでは12/18朝刊の天声人語。技術に疎いボケジジイを装いながら(ま、本当にそうなんだろうが)、悪意たっぷりな文章を書くところはさすがである。(ついでながら社会面ではテレ東が翌日のアニメで流したテロップということでウテナの一コマが出たというのは快挙かもしれない笑)

 今回の件はあくまでもたまたま使われた演出手法の一つに副作用があったというだけのことで、ポケモンがどうとかアニメがどうとかいうもんでもない。それも、そもそも見ていた子供が過度に番組に集中していたことを原因の一つにあげる論調もあるが、そもそもそうさせることが作品を創る者の最大の目的の一つではなかろうか。見ている者がそんなに集中するほどの面白い作品を作ることが責められて良いものだろうか(といっても当の回はシナリオ的にも作画的にもあまり良い回とは思えなかったけど笑)。
 また、マスコミばかりでなく、パソ通やインタネのボードなどの一般人(とは言い切れないか?笑 ま、マスコミの対語としての一般人ってことで)までも同調してアニメの制作やテレ東を非難するような意見言う(そしてその後の対応を支持する)人がいます。ちゃんと自分で考えていってるならいーんだけどさ。
 あー、テレビ放映見合わせだけでなく、レンタルビデオの貸し出しまで自粛だと?(今ニュースステーション見てて) これが過剰反応じゃなくて何だってのよ。

 腹立たしいから、試しにこんな物を作ってみました。これを見て万一、気持ちが悪くなったり意識を失ったり命に別状があったりしても私は知りません。
これ
 そういえば、アレを指して「サブリミナル」って言葉を使ってる人がいるようだけど、それって言葉の適用方法が違ってないか?
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【時効】

(1997/7/31)
 何とかの事件の犯人が、時効の20日前に捕まったとかいうのがニュースになってますな。
 で、フト思ったのは、あっちの事件で少年法では処罰が軽過ぎるとか言ってる人たちは時効という制度がある事はどう思ってるんだろうということ。
 少年法の方は軽かろうがちゃんと処分が下せるのに対して、時効ってのは殺人事件であろうが犯人が一定期間逃げ続けさえすれば何も罪に問えなくなっちゃうんですよ。こっちの方がよっぽどたちが悪いとは思わないんでしょうかね。不思議不思議(笑)。
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「言い換えて考えてみる」

(1997/7/13)
 さて、例の連中の言い分をこう置き換えてみる。
 主張をするのは良い。問題は判断を下して良いのは誰か、である。で、↓の文章に続く・・・
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「悪法も法なり」

(1997/7/4)
 例の神戸小学生殺人事件の容疑者の中学生の写真をFOCUS誌(と週刊新潮で目隠し付き)が掲載した件ですが、「読者の判断に委ねる」などとほざいているマスコミがあるようですが「馬鹿か、お前は」少年法で明確に禁止されている行為なんだから読者の判断もくそもあるか。また「少年法の枠に納まるかどうか」は法(司法)が決めることであって「テメェが勝手に判断して良い事じゃねぇよ」
 容疑者の中学生は現時点ではまだ容疑者であり犯人ではありませんので、ちょっと誤解を招きそうな表現になるのに注意しつつ・・・
 「あんな残虐な殺人をした犯人に少年法を適用する必要は無い。死刑にしてしまえ」とか言ってる人たち。
 そんなに法を無視してでも懲罰を下すべきだと思うのなら、法の裁きなんかに期待せずに自分で犯人を殺しに行ってきなさい。あんな犯人に対しては法を曲げても良いと思ってるんでしょ? きっとあなたの行為は正義の行いとして世間から賞賛されるでしょうよ。ホホホ・・・
 所詮あんたらは、口先だけで正義感ぶったヤジ馬に過ぎないんじゃないのか(あぁ、疑問形なのがちょっと弱気ね笑)。
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(c)TAKARASHI YUTAKA. 1999