魂という事
 

一般に『魂』というと、死んだ生物から遊離する精神とか心そのもののことと思われているが、
そう言うのを専門にする宗教関係の人の話からしてあまりに漠然としているので、
ちょっと自分的に整理して考えてみたい。
まあ、心とか精神というソフトウェアが、現実に肉体というハードウェアを離れて存在できるものかどうかは
とりあえずおいておくとして、魂ってのはそれ(精神とか心そのもの…これらの定義もまだ曖昧だけど…)
だけを指すではないのじゃないかと思う。

どういう事かというと、

生前の記憶を全て失ってしまい、性格も豹変してしまった魂というのがあったとする。
これは果たしてまだ、その元となった人間の魂であると言えるかどうかを、考えてほしい。
ほとんどの方は、それでもまだ、それを元になった人間の魂であると考えるだろう。
理由を挙げるとすればそれは、その魂が外見的に元の人間の形をしているとか、
魂自体を形成している何らかの素材が生前の人間に直接由来していると考えられるから、であろう。
つまり、その魂が既に失ってしまった元の人間の心・精神・記憶だけには、その根拠を必ずしも全ては求めていない、と言える。
とすれば

心や精神に限らず、人や動物が死後、生者達に残した何か由来のある事象・情報や故人を表現する全てを
『魂』と考えても良いのではないか。

この考え方を肯定するとすれば『魂』というのは必ずしも一般に安易にイメージされる
おどろおどろしい死霊とかお化けの形を取って暗闇にたたずむ必要はなくなってくる。
なにせ、恨みにまみれた生の心なんか必要じゃないのだ。
そんなぼやけたものでなく、もっとはっきりと故人の情報を伝えるものが多くあるはずだからだ。
たとえば写真やビデオカメラに残された映像。テープやMDに録音された音声、
その人が生活していた様を残す部屋、日記などの手記など……。
これらは総じてその人の魂といえるのではないか。魂の全部ではないが、その一部であると。

そして、実はもっと生々しいものをお望みなら、格好のものが一つある。
あなたの記憶だ。
あなたの記憶の中で、故人は自由に笑い、怒り、悲しみ、喜び、食べ、眠り、遊び、
あまつさえあなたに語りかけたりすらする。
先に挙げた写真や手記などの一面的な情報に比べて、遙かに総合的で膨大な情報を有した、
タマシイの最有力候補だ。
よく言われる「○○はみんなの心の中に生き続けている」というのは、
あれは今まで考えていたよりもかなり現実的な考え方であったように思うのだがどうだろう。
彼らはあなたの心に巣くって(笑)生き続けているのだ。

ところで、唐突だが、あなたの脳に貯えられた情報が、全てあなた自身であると言えるだろうか?
確かに脳の細胞とかはあなた自身と言ってさしつかえないだろうが、
そこに貯えられた情報までがあなたなのだろうか?
あなたのもの、と言うのはさしつかえないと思うが、あなた自身である、とまで言えるだろうか?
正確な線引きのきわめて難しい問題だと思うのだが…。
そうすると、あなたの記憶の中に他人が住んでいるというのは比喩でなくなっていく。
こう聞くと、わりとコワイかも知れないが、なに、世界全人類が全員やっていることだし、
気にしなければ全く問題ないだろう。
たぶん。
 

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