1979年(昭54)9月10日、神奈川県真鶴町うまれ。神奈川県立小田原高校出身。 187センチ88キロ。右投げ右打ち。 野球にまったく関心のなかった小学校1年生の頃、父親に連れられて横浜スタジアムでプロ野球を観戦した。 阪神のバースのバックスクリーンへのホームランが座っていたすぐ隣へ突き刺さった。 「あの瞬間、横浜スタジアムで自分もプレーしてみたいと強く思いましたね」。 小6からソフトボールを始め、真鶴中で野球部に所属。 同時に俊足を買われて陸上部で活躍。100メートル11秒48で県8位に入った。 中学二年生の時、オーストラリアにホームステイし、シドニー五輪に向けて盛り上がる雰囲気に触れ、野球への興味が一層増した。 中学校の部活で始めた野球で、すぐに大型外野手として神奈川県内では有名な存在となったが、英語塾を経営する父広道さんの勧めにより、県内有数の進学校である小田原高校に進学した。 高校の練習は長くて三時間、冬は一時間程度。 「打撃練習なんて二週間に一回しかなかった」。 小麦色に焼けた肌に彫りの深い顔立ちは、ダイエーの井口を彷彿とさせる。 100メートル11秒48の俊足で広い守備範囲を持ち、打撃も背筋力は230kg以上をマークし、高校通算29本塁打を数える。 また、パワーだけでなく打率5割近いハイアベレージをマークしていた。 高校卒業後は、井口の母校でもある青学大に進学する予定だったが、紆余曲折あって広島にドラフト6位で指名される。 趣味はピアノと英会話。ピアノは小学校1年から6年まで習っていて、リズム感は抜群。クラシックからポップスまで弾きこなす本格派。 「野球にも役立つと思うし、気持ちもリラックスできる。 ピアノも合宿所に持ち込みたかったけれど、余裕ができてからです」。 「チームで一番守備が下手なんですよ。よくしごかれてます」。 目標は、三拍子そろった外野手。 2000年オフに広島を解雇され、ドミニカカープアカデミー等を通じてメジャー挑戦。 オーストラリアでもプレー。 2005年、ウェルネス魚沼で日本球界復帰。チームは2005年限りで解散。 2006年にセガサミーへ移籍。都市対抗出場を目指す。 |