ラヂオの時間 
 
映画の時間
99/05/13

舞台はどうも苦手です。
コンサートなんて、数年前JITTERIN’JINNに行ったきりです。

そう、僕という男はとかく「ライブ」というものに、あらわし場としての魅力を感じ得ない作りになっているのです。あ、でもサーカスは好きです。
どうも「生の空気」とか「一体感」を感じる前に「窮屈」が先に立ってしょうがありません。あらわすならスクリーンなり、紙面なり、CDなりでワンクッションおいて欲しいクチなのです。

そう思っていました。あの男に会うまでは・・・・・  
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『ラヂオの時間』は阿部さんから助手の仕事を依頼されました。
「がってんだ」と例によって軽く返事をしたところ、なにやら神妙な面持ち。
「Avidでやるんだ」
「ん?何スか、そりゃ。編集室の名前スか?あんまりに遠くへ通うのはゴメンですよ」
「A・v・i・d・だ・よ、A・v・i・d!」と、リズムに合わせて切符の先っちょでつつかれます。
「ノンリニア編集機だ、馬鹿者!」
ノンリ・・・?よけい分かりません。
ない知恵絞って考えながら東宝へ向かうと、ダビングスタジオでなにやら人だかり。そこには一台のパソコンがありました。みんな、コーラ瓶を前にしたブッシュマンのように興味津々です。

パソコンといえば!!

昔、親に買ってもらったPC―8801MKUを思い出します。
あの頃はまだ言語もBASICやらマシン語で、ギー!ガー!というカセットテープを使ったり、雑誌のおまけプログラムを一生懸命打ち込んだりしてGAMEに興じていました。ところが、半年も経たないうちに8801MKUSRとかいうのが出てしまい、そのとたん発売されるGAMEも全てSR用に移ってゆき、哀れ8801MKUはプレステ2の発表を受けたドリームキャストのようにあれよあれよという間に社会から滅殺された苦い記憶があります。

「SR二文字の為に俺は・・・くっ!」と涙をこらえつつ、マウスを手に取りいじってみるとGAMEらしきものがどこにも見当たりません。
「なぁんだ、つまんないの」とマウスを放り投げると、
「A・v・i・d・だ・よ、Avid!こ・れ・が!」とリズムに合わせて骨法のおみまいです。
「これを使ってやるのだ、馬鹿者!」
えええええ!こ、こんなパソコンで編集をー!?
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正直とまどいました。
PC88の頃からパソコンはとんとご無沙汰で、しかも、画面に出ているのはすべからく英語です。おまけにこのAvid、まだほとんど映画編集機として日本で使われておらず、情報といえば阿部さんが苦心して掻き集めてきた資料っきりです。
しかし、作品はすでにクランク・インしており、もう後にはひけません。
「よし、最低限必要なことだけ覚えてなんとかこの場を切りぬけよう」
上野聡一、いつになくしゃかりきになってAvid習得に励みます。
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励んだところでどうとなるもんでもありませんでした。全く以ってトンチンカンです。
着信専用の携帯電話がここぞとばかりに活躍します。
Avidを斡旋した報映産業を筆頭に編集の遠山さん、小島さん、大橋さん、そして、多大なるお力添えを頂いた浅井さん。この場を借りて厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。今の僕があるのは皆さんのおかげです。ありがたい、ありがたい。
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そして、ついに最初のラッシュがあがってきました。ラッシュといっても今回はAvidに素材を取り込む為、ベーカムにテレシネされたものです。悪戦苦闘、何回もの失敗を繰り返しながらの取り込み作業です。
「まったく、なんでこんなしち面倒くさいことしなきゃぁなんないの?素直にフィルムで作業してたら、もうとっくの昔に終わってんのにさ!あぁ、お腹減ったなぁ」
いつになくプンスカ調です。
「だいたいさぁ、君、Avidだかなんだか知んないけどさ、新人助手がまずやるべきことは部屋掃除からってのが基本だよ。それがなんだい。でーんとかまえちゃってさ!4年もやってる僕の割が合わないじゃぁないか!割が・・・ぷぷぷっ!

ひとっこひとりいない深夜の編集室に笑いがこだまします。
取り込み中の素材がそうさせるのです。
詰め将棋のように計算された笑いです。あまりの面白さに「スリッパに画鋲でも入れといてやろうかしら」と、この素材を編集できる阿部さんに理由もなく嫉妬するありさまです。
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三谷さんの人間観察眼は図抜けていました。いや、観察したものをあらわす術が図抜けていたと言った方が正しいでしょうか。作品を御覧になれば十分わかっていただけると思います。
その観察眼はサービス精神から来るのか、編集作業中も休まることを知りません。いつも物腰柔らかく低い姿勢から的を得た、傷つきと笑いとのスレスレのとこを突いて「たとえ」をふりまきます。喉を潤すは「十六茶」です。
僕はといえば「こんな楽しい時間を過ごせてお金を貰うなんて」とグルメ番組のレポーター気分です。助手失格ですな、こりゃ。
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ちょいとフォローを入れときましょう。
楽しいと言ったのは、何も笑わせてもらったということに限ったものじゃぁありません。なあなあの学芸会ムードというわけでもありません。ドラマを追求する、あらわし手のプロと一緒に仕事が出来たということからくるものです。笑わせてもらったのは、三谷さんの庭がたまたま「笑い」であっただけのこと。
現に、三谷さんは笑いをふりまきながらも、妥協を許さぬ姿勢を貫いていました。
特に、役者さんに対しての要求はかなりのもので、クランク・イン数週間前より通し稽古を重ねるほどでした。編集においてもその姿勢は変わりません。
Avidでの編集がまとまりを得、それをそのままそっくりフィルムに変換して、改めて映写室でチェックした時のことです。開口一番、
「直しをしたいのですが・・・」ときました。
「ふむ、やはりAvidのブラウン管とスクリーンでは印象が随分と違いますからね」と阿部さん。
「で、いかほど?」
「70箇所ほど・・・」

死の間際まで自分が手がけた作品を全て作りなおしたいと言い放ったキューブリック程ではないにしろ、相当なもんです。寝耳に水のスタッフは緊急会議です。
「やれやれ、とんだ一波瀾だぞ」と編集室で覚悟を決めて待っていると、
「2、3箇所に落ち着きました」とひょっこり現れました。
あの会議で何が語られたのか、未だに謎のままです。
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後日、三谷さんが脚本を務めた舞台『笑の大学』を見に行きました。
冒頭に述べた舞台嫌いはどこへやら、人一倍おおはしゃぎです。

目下、三谷さんは『温水夫婦』、『マトショーリカ』の脚本、演出に奮闘している最中です。さぞかし妥協を許さぬ、練り上げられた作品を披露していることでしょう。
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現在、日本映画において最も欠落しているものの一つが脚本です。
自転車操業的な作品づくりが災いしてのことなのでしょうが、練られた形跡の無いものがあからさまに作られています。それを渡されたスタッフはたまりません。いい迷惑です。
そんな現状に身をやつしているからなのか、三谷さんの才能が欲しくてたまりません。
「ほ、欲しい・・・・・」
長島監督のようです。
しかし、ここはグッとこらえたいところ。自分とこの家計がひっ迫しているからといって隣近所に金の無心を要求するのはお門違い。自分とこの立て直しは自分の力で!
「いよぉし、僕もいつかこの作品がかすむ程の娯楽を手がけるぞぉ!」
発奮してやまない今日この頃なのです。


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