RAMPO 
 
侍編集マン
99/05/13

何をとち狂ったか気がつけば僕は「KYOTO映画塾」にいました。

大学時代に味わった8ミリ自主製作映画がよっぽど忘れられなかったのか、はたまた単に社会から逃避したかっただけなのか、今となっては定かではありません。結果オーライです。
「KYOTO映画塾」は撮影所内に学び舎があるというのが売り文句で、現に授業をしている隣でいろんな撮影が行われてましたし、授業の一環として塾生が現場につけることにもなってました。そして、僕が就けることになった作品がこの『RAMPO』だったのです。
-----------------------------------------
編集を担当さるるは谷口登司夫さん。僕のおっ師匠さんです。
と、僕は思ってます。
歴戦の勇士として数々の作品を手がけた侍編集マンです。
森一生さん、勅使河原宏さん、勝新太郎さん、三隅研次さん・・・はぁぁぁ、ぱくぱくぱく。そうそうたる剣客と渡り合ってます。

編集助手チーフとして谷口さんと阿吽のコンビ、境さんが就いていたんですが、東京から陣中見舞いに来ていた宮島さんが急遽、編集助手セカンドとして抜擢されました。とんだ観光土産です。まあ、心もとない僕のお目付け役として境さんがあてがったのでしょう。ネガ編集には藤原さんです。藤原さんはとても穏やかな顔立ちをしており、思わず「わーい、おじちゃーん」と飛びこんでいきたくなるような風貌なんですが、作業でもたついてると穏やかな表情のまま「同じことは二度言わんぞ」と一刀両断にされます。真の侍集団です。
-----------------------------------------
谷口さんはいつもお昼過ぎにゆらぁりとやって来て、6時頃には撮影所側の大映道りにある「つたや」で皆と夕食を済ませ、そのまま帰っていきました。

こう書くと「随分といいご身分だねぇ」と思われるかもしれませんが、本当にいいご身分なのです。ちがいます。その短時間が密度の高い研ぎ澄まされた時間なのです。
僕と宮島さんは朝10時頃に、少し遅れて境さんが編集室に顔を出し谷口さんが来るまで準備を整えます。
そして1時頃、奴はやって来ます。只ならぬ雰囲気です。
編集開始とともにフィルムをコロコロと転がしながら、スパッ、スパッと斬っていきます。あまりの太刀筋に斬ったことすら分からない僕は、ただただポカァンと口を開けてつっ立ってました。当然、お説教です。
「ふんっ、どうせ適当なとこで斬ってるんだろうよ」とヤラれキャラさながらに思って繋がったフィルムを見ると、これがまたどうしてどうして。「むぅ」と唸らずにはおれん繋ぎになってるから身も蓋もありません。かっちょいぃー!
侍は休日出勤はしません。鋭気を養う休息も必要なのです。
作業も順調に進んでいたので、僕も休みをいただきました。宮島さんは僕を気に入ってくれたのか、休の日には「案内せい」とばかりによく河原町に連れてってくれました。
境さんは、嵐山に猿を見に行ってたそうですが定かではありません。謎の多い人です。なんかってえと「嵐山、嵐山」と言ってました。
-----------------------------------------
朝、目が覚めるとTVに『笑っていいとも』が映っていました。

やってしまいました。
遅刻です。
チワワのように小刻みに震えつつ入室すると、一同おかんむりです。交わされる言葉もなく、針のむしろのまま作業を終えてようやく境さんが言葉を発します。地獄に仏と聞いていると「坊主頭の刑」とにべもない御発言。どうゆうわけかバリカンを持っていた宮島さんが僕の頭を丸めます。さめざめとした面持ちで「つたや」へ行くと、「あら、男前だねぇ。226みたいだよ」と女将の言葉。太秦の夕闇が僕を優しく包みます。
-----------------------------------------
クランク・アップを迎えて監督の黛さんも編集に加わります。
黛さんも匠の技にいたく感心されたのか、はたまた初監督ということで恐縮されてたのか、これといった変更もなく編集は進んでいきました。
しかし、このまま終われる程、この世界は甘くはなかったのです。
江戸から、奥山和由大名が従者を従えてやって来ました。
黛さんをはじめ、編集部にいやぁな空気が漂います。
大名は「やりなおし」の一言を残し江戸に帰っていきました。
ヒヨッコにダメ出しされた谷口さんは、たいそうご立腹です。しかし、御上には逆らえません。やむなく編集直しをしました。作品中の、『お勢登場』を発禁にされた乱歩が偲ばれます。

大名の御検閲はその後も幾度か行われ、その度に編集直しをする日が続きました。今では、プロデューサーのリテイクが入ることは至極当然のことなんですが、谷口さんの存在があまりに大きかったので当時の僕にとっては、そのことが理不尽に思えてなりません。

何度目かの直しを経てようやく大名の同意が得られ、作品は無事完成にこぎつけました。料亭での打ち上げが侍達の心を癒します。ほろ酔いかげんの谷口さんに、主演女優の羽田美智子さんがお酌します。羽田さん、何を血迷ったか、
「私のダメなところがあったら切ってくださいね」
と言い放ちました。これを受けて谷口さん。
「そんなこと言ったら全部なくなるわ」とバッサリ。
かっちょいぃー!
-----------------------------------------
こうして、僕の現場実習は幕を閉じました。あの時の数々の貴重な体験は今でも忘れられません。
残念ながら黛さんの『RAMPO』は結局、奥山さんに公開を待たずにリメイクされるという前代未聞の展開を受け、作りなおされた奥山版『RAMPO』と併映されるという顛末を迎えました。そのことは、僕が編集とは違う別の道を求めて上京した時に知りました。
あてもなく模索の1年を過ごした後、結局もとの鞘に収まるんですが、そのきっかけを作ってくれたのが他ならぬ宮島さんだったのです。
襟を正して心を新たに編集の道に取り組もうとした僕のもとに、境さんがやって来てバリカンを置いて帰っていきました。


TOP