ムジュラの仮面
 任天堂 GAME
前作での壮大な冒険ドラマを終えたリンクは、道中、スタルキッドという仮面を被った子鬼に襲われ、愛馬エポナをさらわれてしまう。
子鬼の被る仮面の名はムジュラ。
太古の民族が呪いの儀式に使ったとされる禁断の仮面だ。
仮面の能力で力を得たスタルキッドは、イタズラを加速させ、ついには月を町に落下させてしまう暴挙にでるのだった・・・

前作『時のオカリナ』から1年半という、フロムソフトウェアが作ったのか?と思わせるほど、任天堂らしからぬ異例の制作期間で世に出た『ムジュラの仮面』
ハタで見るぶんには前作とあまり変わらず、短い制作期間もあいまって、前作から流用した別シナリオだろうと僕はタカをくくっていたんだけど、これがとんでもない大傑作だった。
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何に対してシビレタか?と問われれば、その世界観という一語につきる。

『ムジュラ』は、正式名称『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』というだけあって、ゼルダの伝説がこれまでに築きあげてきたダンジョン攻略や謎解きの要素を多分に含むGAMEだが、本分は別にあると言っていい。

『ムジュラ』は3日間の物語だ。

冒険の中心となる町クロックタウンでは、3日後の収穫祭にむけて祭りの準備が進められている。
しかし、その上空には、見るも恐ろしい月が、まるで『ムーミン谷の彗星』のように、刻一刻とクロックタウンに向けて迫ってきているのだ。
昇って沈む太陽によって刻一刻と彩られてゆく3Dの世界はあいかわらずスバラシイが、今回は、異形なる月が、昼夜を問わず上空からニラミをきかせている。

時の経過とともに確実に迫りくる月の圧迫は、いやがおうにもこちらの終末観をあおる。
そして、街の住人の心境も、月の接近により変化していく。
月におびえ街を逃げ出す者、残る者、月が落ちようと収穫祭は断固行うといきまく者、日々を変わらず過ごす者、様々だ。
いないのは、月を止めようとする者ぐらいのものだ。
「お願いです、あの月を止めてください」と乞う者すらいない。
みんな運命に身を任せている。
あがらおうとしているのは僕ひとりきりなのだ。
あがらいはすれど、防ぐ手立ては無し。
指をくわえて月の落下を見守るより他に術はない、悲しい現実が待っている。

いや、ある。事態を先送りにする方法がひとつだけある。
それは、時を「最初の朝」に戻すということ。
それこそが、このGAMEに許された唯一のセーブ方法なのだ。
ただし、一部のアイテムを除くすべてのものも「最初の朝」、つまりリセットされてしまうという、両刃の剣。
自分が東奔西走してきたことも、人々の想い出さえもがリセットされてしまう。
そしてプレーヤーは、3日後に月の落下が約束された、あの何も変わっていない最初の朝をふたたび迎える。
町の住人は同じ3日間を歩みだす・・・・・

月の落下する現実を目の当たりにしたくないがための、その場しのぎで現実逃避なセーブ方法。
おそろすぃ・・・ はてしなく続く終末の3日間がこれほどまでに恐ろしいとは。
たとえるならキラー・クィーン第三の能力、バイツァ・ダスト。
どんなにあがこうとも、来るべき結末は変えることはできないのか?
運命をこの手で変えることは、たんなる奢りでしかないのか?
僕は、何度となくそんな絶望感にさいなまされた。
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しかし、そういう詮無い3日間を幾度となく過ごしていくうち、ひとつの光明が見えてくる。
それは「記憶」だ。
セーブにより3日前にリセットされるとはいえ、プレイヤーの記憶は蓄積されていく。
幾度となく終末を迎えた僕には、住人が3日間でどういう行動をとるのか、何日目のどこで誰が何をしているのか手にとるようにわかる。
「記憶」が未来を打開する武器となる。
そこで、僕は住人に干渉する。
話を聞いてやるとか、ことづてを頼まれるとか、ささやかな干渉だ。
干渉された住人は、それまでとは少し違う行動をとる。
少しづつ、しかし、確実に運命の歯車は変わり始める。
干渉の連続が、やがては月の落下を防ぐ手立てとなる。
これまでいろんなひとたちと「最期の夜」を迎えた。
もう最期の夜を繰り返させない。
うおおお! これぞまさしくバイツァ・ダスト!
ここは杜王町なのか?

この記憶を活かしたシステムは、経験値という数値がレベルアップを示すRPGとも、アクションの熟練度がそのままレベルアップにつながるマリオ的なものとも異なる、まったく別のアプローチと言っていいのではないか。
前作のキャラクター流用でこれほどまでに別種のアプローチを成し遂げた開発スタッフには、ひたすら頭がさがる。
しかも、ダンジョンや謎解きは少しもおろそかにしていない。
「ゼルダ」の名に恥じぬ作り込みなのだ。
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僕は『ムジュラ』の、まっとうでない、どこか壊れた住人たちが好きだ。

時間厳守のポストマンは、本当は逃げ出したい気持ちを自分宛の手紙にしたためる。
緑色の全身タイツをまとった35歳のチンクルは、妖精の生まれ変わりと信じて疑わない。
警護を続けるガイコツ兵士は、死してなお隊長の命令を遵守している。
ミイラ研究家の娘パメラは、ミイラとりがミイラになってしまったパパを愛しつづけている。
牧場の娘ロマニーは、宇宙人に牛をさらわれないように深夜ひとりで見張っている。
その姉で、牧場をきりもりしているクリミナは、幼馴染のカーフェイを慕っている。
クリミナの慕うカーフェイは、呪いによって子供の姿に変えられてしまう。
カーフェイの婚約者アンジェは、フィアンセの帰りを信じて待っているが料理がど下手。
そして、ただ友達が欲しかっただけのイタズラ子鬼、スタルキッドは・・・・・

このGAMEは、3日間をどのように過ごし、どこで最期の夜を迎えるのかは、プレイヤーの自由だ。
選択したそれぞれの運命が、それぞれの最期を迎える。
僕は、最期の夜に、カーフェイの婚約を寂しく見守るクリミアの牧場から、カーフェイとアンジュがおち合う約束をした月の落ち行くクロックタウンに向かって、愛馬エポナを駆って走らせるリンクの姿が、たまらなく好きだ。
リセットされるセーブを覚悟で(もしくはゲームクリア)そういう個人的嗜好に走ったシチェーション作りに3日間を費やすのも、この作品のひとつの醍醐味と言えよう。

特異な世界に息づく特異なキャラクターたち。
『ムジュラの仮面』はまさに任天堂が、優等生の仮面の下にムジュラの仮面をはめて作り上げたような特異なソフトだ。
「僕にもロックは歌えるんだぜ」とばかりにポールが作った、『ヘルタースケルター』のような作品だ。

僕は、ゲームキューブのデビューによって、64が余命を宣告された頃にこのGAMEと出会った。
余命いくばくもない64の運命と、月の落ち行くクロック・タウンの運命が、どうにもシンクロさせてやまない『ムジュラの仮面』
はたしてリンクにこの運命を変える術は残っているのか?
こんな傑作を、このまま眠りにつかせてしまうのはあまりにも惜しい。
お面屋の残した言葉が、いつまでも僕のこころに木霊する。

「出会いがあれば必ず別れはあるもの。
 ですが、その別れは永遠ではないはず・・・
 別れが永遠になるか一時になるか・・・・・
 それはアナタしだい」
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ソフト開発秘話『ほぼ日刊イトイ新聞』
02/10/03
 
 


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