『SEVEN』のタイトル
 カイル・クーパー タイトル・バック
『SEVEN』そのものに対しての思い入れはあまり無い。劇場で眠ってしまったほどだ。しかし、オープニング・タイトルにはシビレた。シビレた人は他にも大勢いたようで、あまたのカイル・クーパーもどきが映画・TV・CMなんかでお目にかかれる。まるで、GAME界におけるポリゴンの黎明期ですな。

これまでも、「『幻魔大戦』におけるオーラの視覚化」「『AKIRA』における都市破壊の視覚化」などなど、多くの引用を産み出すキッカケとなった発明はあったが、今のパクリっぷりはちょっと節操がないよねぇ。

ところで、その『SEVEN』の呪縛に一番囚われているのがカイル・クーパー自身じゃないかと僕は思うんじゃが・・・

彼が手がけた作品をいくつか観たけど、どれもが『SEVEN』を彷彿とさせるもので、どれもが本編から一人歩きしてたような気がする。一つの作品として完成されすぎてるというか・・・まぁ、オープニングはオープニングとして楽しめば済むんだろうけどね。

本編の導入部として機能していて、かつ、印象的なオープニングといえばティム・バートン作品に多く観られる。あと、クローネンバーグ作品もシンプルだけど味のあるオープニングが多いかな。んっ、あれっ?じゃあ、ここのお題目は「ティム・バートン作品のタイトル」とするのが正しいのでは・・・・・それもそうじゃね。どうしよう・・・うん、まぁ、あれよ。そうは言っても、タイトルというものに新境地を見い出したということだけでも称賛に値するということよ、ね。
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改めてここで言う必要もないんだけど、今、あらゆるメディアが一つの到達点に来ていて、どれもに頭打ちムードが漂っている。

オリジナルの模索と、それをあきらめた開き直り。まぁ、無理してオリジナルを確立する必要もないが、あらわし手たるもの、どうしても「あっ!」と言わせたくなるんよね。受け手の方も、常に「面白いもの」を渇望しているようだし。で、そんなとこにちょっとでも目立つものが出てきたら、みんなワッと群がるんよね。飽きてまたすぐ次を求め出すんじゃけど。それでも「あっ!」と言わせたい。そんな閉塞感を都合良く打破してくれるんが「道具」・・・・・

サイレントからトーキー、トーキーからカラー、そしてCGへ・・・・・

今現在、あらわし手の前には様々な「道具」と先人達が培ってきた「手段」が揃っとる。あとは「使い方」次第というわけよ、ね。テーブルの上にたくさんの料理が並ぶのは、彩りも良く話も弾むけど、どれもちょっとづつ食べて残すといった結果だけは避けんとな。
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99/06/19
 
 


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