Over
Mr.Children
Mr.Childrenが好きだ。シングルカットされた唄なんかは特に好きだ。自分の弱さ、脆さを前面に押し出し、切なさたっぷりの面持ちで歌い上げる桜井さんの詩には、世の中を現実的にとらえ、多少冷ややかではあるが芯の強い優しさがこめられている。そう思う。

そして、彼らとの出会いの曲が『Over』だった。失恋に対し、未練たらしく後悔しまくった挙句に産み落とされる前向きな姿勢が、シンプルながらも、とてもよく男心を捉えてたように思った。

ちょいとさかのぼって『抱きしめたい』なんかも聴いてみたが、こちらは甘ったるくて、いささか信仰心をそがれた感があったが、彼らの歩んできた軌跡のひとつとしては興味深かった。

この『Over』と『抱きしめたい』というあまりにかけ離れた恋愛歌の違いが、自分の中にある恋愛観の移り変わりに似ており、余計に僕を魅きつけた。「ああ、この人達は成長してるのだなぁ。自分を見ているようだ」そう思った。

『es』という彼らの映画が創られた。その一環として、一夜限りの彼らのオールナイトニッポンが放送された。たくさんのお弁当を荷台にのせ、藤沢の工場へ車を走らせるアルバイトをしていた僕は、旅のお供として、その放送を聞いていた。

「世の中は、僕の予想以上につらく厳しいもので、とてもじゃないが蝶よ花よといったラブソングは、今は唄えない(このまんまを喋ったわけじゃないよ。僕の記憶の中でこうなってるだけ)」というようなことを桜井さんが言っていた。

『ありふれたLove Story〜男女問題はいつも面倒だ〜』に至っては、その現実的視点がピークに達する。あたかも「男と女が出会って別れる」なんてのはひとつのイベントでしかない、といった口ぶりに当時の僕はいたく共感を覚えた。そして愕然とした。現在進行形の恋愛に対して、ここまで事務的に捉えることはムツカシイが、「終わった」ものに関して言えば、この唄ひとつで全てをあらわせることに愕然とした。「これっぽっちのものに心身を奉げていたのか。いや、これっぽっちのものだからこそ心身を奉げるんじゃあないか。わかっちゃあいるけど繰り返すもんさ」そう思った。
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そして、しばらく後に彼らは活動を休止した。置き土産として『BOLERO』なるアルバムを残していったが、その内容はベストアルバムに限りなく近いもので、期待はずれだった。「あぁ、だからこそ休止するんだな」そう思った。

2年後、彼らは活動を再開する。アルバム『ディスカバリー』からは、それまでとはまた違った一面を覗かせている。まるで「愛、自由、希望、夢、足下をごらんよきっと転がってるさ」と自らが唄った詩を実践してみせたかのような、何かを掴んだ、何かに気づいた者の唄が多く収録されている。「あぁ、ちょいと置いてけぼりをくらった感があるが、僕もそおゆうものに気づける日がくるといいな」そう思った。
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パンドラの壷というものがある。正確には、全能の神ゼウスが、プロメテウスをこらしめるために彼のもとに送ったパンドラという名の女性に持たせた壷、となるのだが、この壷にはありとあらゆる「悪」が詰められていた。そんなことは露知らず、パンドラは好奇心により壷を開けてしまう。「やべぇ」と思って壷を閉めるが時すでに遅し。ただ一つのものを残して、いっさいがっさいの「悪」が世界中に散らばってしまった。

この時、かろうじて壷に残ったただ一つのものが「希望」なんだそうだ。でも、本当に「希望」なんだろうか。開けて確認したいが、開けるとそれさえも散ってしまう。もしかしたら、そんなものはもう残ってないのかもしれないし、別のものかもしれない。でも、まだ残っているかもしれない・・・・・

「希望」とはそおゆうアヤフヤでハカナイもんだと僕は受け取っている。
Mr.Childrenの唄には、こういったささやかな「希望」が、でんと構えた現実の上にトッピングのようにふりかけられている。
99/06/13
 
 


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