※当文書はメールからの転載です。

 でまぁ、今更ながらDC版のKanonやったですよ。
 一応フルボイスモードで。
 これが不思議なモンで、まぁ名雪に関しては以前と同じく全然心が動かないんですが。
(つうかはっきり言ってこの娘の場合、ワタクシに対しては明らかに声がマイナス方向に
作用しております、残念ながら。上手い下手以前に名雪というキャラのつかみ方が
決定的に俺視点と違う、と言うか何というか。後半はこいつだけ声消し)。
 あゆあゆはまぁあまり変わらない印象。
 この二人については要するに、こうどっぷり恋愛シナリオってヤツに対して浸っていい
ものやら、最初のプレイ時にスタンスを掴みかねた部分があって。
 つまり「相沢祐一」的な白人形(たいていのゲェムは自分の名前でやる人なのです、
ワタクシは)でこの世界に入っていたのにも関わらず、こう恋愛シナリオってヤツは白人
形的な白人形を強制する性質があるというか、もう説明を放棄してるも同然ですが、まぁ
そういうつかみ方なワケです、この辺は俺が元々恋愛シミュレーション畑のヒトなのも影
響あるのかもってなモンですが。
 そんな感じで恋愛恋愛アナタガスキヨーみたいな話が、俺内部では「ドラマ」として処理
されない部分がありまして。
 そんなワケで入れ込み辛い部分があるんですが、じゃあオマエはどうして栞シナリオで
大泣きするのよ、ってな突っ込みが当然あって{俺評議会(意思決定機関、ただし最高決
定機関は俺ゴッド)で}、それについてはアレの泣き所は美坂姉妹のつながりの哀しさと
その生き様(言い方悪いけど死に様、でもある)に集約されるワケで、恋愛要素は俺内部
で勝手に希釈されているのですな。
 自分はあの美しい物語の傍観者であって、その手段としての恋愛、というか。
 だからほら、それが証拠に泣きピークは終盤の百花屋〜悲しい…夢だった、ッてくだり
であって、ED部分では別に泣いてないっしょって知らねぇよ、ンなこた。ですな。
 ま、他にも記号化がはっきりしてる(お約束で塗り固められてる)部分が「物語」として
の消化を良くしてるとか、いろいろ理屈はつけられるでしょうが。
 真琴シナリオについてはそのあたり明らかで、要するにアレは恋愛ではなく「大切な誰
か」という概念であって(麻枝脚本ってそういう部分あると思いません?)、そうであれ
ば俺は俺内部で整合性がつけられるわけデス。
 何処までも身勝手な解釈ですな。

 で、問題は舞で。
 これが何故か泣けない。
 声が悪いのか、つーとそうでもないと思われる。
 じゃあもう愛(あ、恋愛ってコトじゃなくてですな)が枯れてしまったのか、というと
そうではなくて、11日の夜の学校で再会したときに、コレがもうとんでもない充足感
があったわけで、「川澄舞」というひとりの少女は、全然色あせることなく、とても愛しい。
「キャラクター」としての感情移入度はむしろ以前より上だったりするわけで、とすると
シナリオに対して何か含むところでもあるのかとゆー結論に達しまして。
 これまぁ内省しますに、もう通しのプレイはこれで4回めだったりするわけで、とすると
十数回見た日常とかすっかり道筋のわかったシナリオなワケで。
 で、俺的な舞シナリオの泣きポイントというヤツは、あの麻枝脚本の特徴であるところ
の怒涛の終盤も終盤、もう牛丼買いに走った後からの、あの辺りからの舞の弱さ…では
実はなくて、例のハラキリ後の主人公の空想というよりは妄想、もうアレがダメで、心
理的防衛線は総崩れ。
 楽しかった思い出だけを見て生きていこう、そうできるだけのものはもうこの二人から
もらっているから…みたいなあのくだりはほら、書いててもう泣けてきた。
 もともと三人での共同生活、みたいなものは原体験に近い部分があって、というか個人
的な夢や理想郷風景を持ち出して解釈も何もあったモンじゃありませんが、コレはあく
まで俺内部の泣きプロセスの構造とゆーことで。
 あの主人公の、ほんとうに幸せな、虚ろな風景、白、あそこでかかってくる「残光」は
もはや反則の領域。日本語喋れよ俺。
 うん、アレは今回もガツンと来ました、しっかり。
 その後の回想で少し落ち着くのもいつも通り。
 ただ、何故か泣けなったのがその更に後、第2泣きポイント(勝手に命名)である「ま
い」との会話の辺りですな。
 あの部分の俺的泣き構造は、明らかに「こんなはずじゃなかった未来を取り返しに行く」
カタルシスに依存していて、ってそれじゃひどくわかり辛いですか。
 掛け違ったボタンを直していく過程というか、すべてが上手くかみ合っていくというか、
すべての欠片が一点に集約していく感じというか、「彼氏彼女の事情」でいうところの、
「さあ、しあわせになりにいこうか」という、まさにコレです。
 むう、津田正美、天才かッ…ってそれはいいとして。
 とにかくその感覚がワタクシにはカタルシスとして作用するわけで、しかるに4回目の
プレイではもう知り尽くしている会話、というより「しあわせになる結果」を知り尽く
してしまっているわけです。
 先の見えたドライヴ感がカタルシスになるか、っつーとコレは難しい。
 要するに俺にとって「舞シナリオ」はいわゆる「磨耗する」物語で。
 勿体無い、というか悲しい。
 時とともに変化する読後感、というのも味わってみたいものなのですケドね。

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