おそらく生まれて始めて、「死」というものに恐怖している。 祖父の死に際しても、他のどの「死」に際しても感じ得なかった恐怖。 「自分」の「内側」で起こった「死」。 あってはならないはずのこと。 それが起こり得るということ。 「大切なもの」が、本当の意味で、なくなってしまうということ。 怖い。 恐怖という感情ではなく、怖いという感覚。 自分がなくなるのはいい。 自分の命を絶つのも怖くはないし、選択の一つとして受け入れられる。 それは「終わり」だし、その意味で「完成」でもある。 それはいい。 だが。 「大切なもの」によって構成される「自分」。 その「内側」は不可侵のはず。 そのはずだった。 しかし、「自分と一緒に変わっていくべきもの」がその歩みを止める、ということ。 それがどういう意味を持つのか、初めて知った。 「自分」に、絶対に埋めようの無い穴が空く感覚。 綺麗事でも、修辞でもなく、純粋に「怖い」。 断言できる。 私は、「たいせつなもの」が一つ一つ失われていくことに、耐えられない。 だから、どうしようもなく、怖い。 しばらくは、このことから脱け出せないだろう。 感じ、考えなくてはならないこと。 妥協でもいい。 答えを。 戻る