うおあうっ、びっくりしたァ。何でェ、おめえは。いきなしこちとらの前に現れや がって、びっくりさせんじゃねえよ。ナニ、「いたたた」だァ。「転んでしたたかに 腰を打った。動けねえ」だと。人の目の前に飛び降りて驚かしたんだから罰が当たっ たんだよ。だが、動けねえんじゃしゃあねえなあ。おいらにつかまってよ、ちっと立 てるか。こんな往来のど真ん中じゃ人の通る邪魔になるからよ、端に寄ろうじゃあね えか。ちゃんとつかまったか。じゃあ起こすからな、ちったあ辛抱しな。いいか。せ えの、よっと。おう、ちゃんと歩けるじゃねえか。骨は折れてねえようだから心配す るこたァねえ。痛みさえ引けば大丈夫だろうよ。ああ、この辺でいいだろ。少しこの 木蔭で休んでいな。近所で水をもらってきてやっからよ。  小僧さん、すまなかったな。水を持ってきてもらっちゃってよ。これ、駄賃だから 取っときな。なに、いいってことよ。それよか早く帰んねえと、叱られるんじゃねえ か。ありがとよ。こっちは大丈夫だからよ、そんなに何度も振り返るなって。店に帰 ってもまだ暖簾の間から見てるよ。よっぽどおめえさんのことが気になってしょうが ねえんだな。心配してんじゃねえよ。その容姿(なり)があまりに妙ちくりんだから、 もの珍しがって見てんのさ。腰は大丈夫か。「もう一人で歩ける」か。そんなら安心 だ。しかしよ、その容姿ゃどうにかなんねえのかなあ。今は真夏だぜ。着てるなァど てらじゃねえか。そりゃ真冬のもんだぜ。ナニ、「今の流行(はや)りだァ」。馬鹿 言っちゃいけねえよ、こんなに暑(あっつ)くて干上がりそうだってえのに、着込ん でるなんざあ、唐変木ぐらいなもんさ。いや、喧嘩売ってるわけじゃねえが、とにか くその格好は奇異だ。さっきから道行く人たちァ、みんな、おめえさんのことを見て 何やら囁きあってんじゃねえか。きょうは芝居がやってっから、ふだんより余計人通 りが多くていけねえや。一緒にいるこちとらのほうがめっぽう恥ずかしい。  それにしても人を驚かせるたァ、わりい冗談だ。家の屋根から飛び下りるのはかま わねえが、人の目の前に飛び降りるこたァねえやね。おめえさんが怪我するのは勝手 だが、巻き添えくってみな。こっちはやられ損じゃねえか。「親父橋を渡っていたら ここに落ちた」って。変なこと言うない。親父橋ったァ、その先を左に折れて2町ほ ど行ったところにある橋じゃねえか。そこからおめえ、どうやってここまで飛んでこ れるんだァ、エッ。何を狐につままれたような顔してんだ。この暑さで、頭、やられ ちまったのか。もう少し水飲んで頭冷やしたほうがいいんじゃねえか。  考え違(かんげえちげ)えをしてるんじゃねえのかい。よく思い出してみな。はあ。 「吉原へ行こうとしてた」ってかい。吉原ったァ、日本堤じゃねえか。「この近くに あるはずだ」って、ここは住吉町だぜ。その先が新和泉町。日本堤は歩っても一時 (いっとき)はかかろうってほど遠くじゃあねえか。どうやら吉原くんだりしようと して勇んでのぼせて、おまけにこの暑さであたっちまったらしいな。この天水桶の水 を頭からかぶせてやろうか。おや、ぼうふらが涌いてらあ。まあいいや、どうせこい つァぼんくらだ、気がつくめえよ。  おい、おい。逃げるなって。「暑気中りなんかしてねえ。いたってまともだ」って たってなあ。どれ。「いたたたたァ。鼻がもげる」って、そりゃそうだろ。思いっ切 りおめえの鼻をねじり上げたからなァ。そうかい、痛かったかい。ふうん、見たとこ ろどうやら本当に正気らしいな。まてよ。そういやァ、このへんに昔、吉原があった って聞いたことがあるな。この住吉町と新和泉町、住吉町の東の難波町、その北側つ まり新和泉町の東の高砂町の4つの町んところへちょうどまたがってたって話だ。で も、そりゃァ、いまから140年も前のこった。「吉原がこの近くだ」なんて勘違えも 甚だしいやね。嘘じゃねえって。「信じられねえ」ったって、こんなこと嘘ついたっ て、何の得にもならねえよ。じゃあ、おめえさんの知ってる吉原ってなァ、どうやっ て行くんだい。「親父橋を渡ってまっすぐ行けばすぐ吉原に突き当たるので、その突 き当たったところを左、つまり北のほうへ少し行って」って言ってもよ、おめえさん はいま、その突き当たったところにいるんじゃねえか。なんだァ、得心いかねえって 顔しやがって。  しゃァねえなあ。ちょっとついてきな。いや、そっちへ行くんじゃなくて反対の南 のほう、後ろを向いて、するとすぐに四つ角があるだろ。そこを右へ曲がってまっす ぐ行く。ナニ、すぐ着くよ。な、あっという間に堀に突き当たって、右と左にしか行 かれねえ。左のほうの道は少し右に曲がって、その先に橋が見えるだろ。思案橋だよ。 右はすぐ先にまた橋がある。あれが親父橋さ。さらにその向こうに旗やのぼりが何本 も立ってるだろ。葺屋町の中村座だよ。ああ、歌舞伎のな。そして、ここからはよく 見えねえが、中村座の前、こっちからだと右ィ行く道があって、そこが市村座のある 堺町だ。で、おめえさんがいるここは、どうでもいいが甚左エ門町だナ。謂れなんか 何もねえよ。だからどうでもいいって言ったじゃねえか。右の橋のたもとに髪結(か みい)がいるから、そこへ行って、嘘か誠か聞いてみるがいい。さあ、ついてきな。  ちゃんと聞いたろ。なッ、おいらが言ったとおりじゃねえか。ここが親父橋だって。 おめえさん、この橋を渡ろうとしてたんだって言ってたな。「それはそうだが、何か 橋の形が違う」ってたって、そんなにいきなし橋が普請できるわきゃねえだろが。な あ、髪結のおやじさん、この橋やァ、きのう、きょうに建て替えられたものかい。首 を横に振って「違う」っていってるよ。おいらもそんな話は聞いたことがねえ。それ にしてもおめえさん、着てるのも変だが、頭も毛がもじゃもじゃしてて、総髪という にゃァ大分(でえぶ)変だ。どうせだから、おいらみたいにすっきりしたらどうだい。 おやじさん、商売の邪魔して悪かったから、こいつの髪を本多に結っちゃァくれまい か。「これが今風」とか言ってんじゃねえって。これから吉原へ行こうっていうのが そんなに野暮ったきゃ、相手にしてくれる花魁なんざ一人もいやしねえよ。はァ、 「花魁って何だ」ってか。勘弁してくんな。花魁ってなァ、吉原の女郎のことだろう が。本当に知らねえのか。  結ってもらいながら話をしようじゃねえか。吉原へ行こうっていうのに花魁のこと も知らねえなら、じゃあ、おめえさんは何を知ってんだい。「女郎は太夫、格子女郎、 端女郎に分かれてるはずだ」って言われてもなあ、そんなもなァねえよ。強いて言や ァ、花魁ってなァ昔は散茶女郎とか呼ばれてたらしいけどよ、いまァ、散茶なんて誰 も言いやしねえ。やっぱり花魁は花魁だ。響きが何となくいいだろ。でもよ、そうい う呼び方が始まったのはつい最近、何でも明和(1764〜72)のころらしいよ。だいた い30年ぐらい前のことだな。新造や禿(かむろ)が姉女郎のことを「おいらが太夫さ ん」とか呼んでたのが訛って花魁になったとか聞いたが、本当のところはよくわから ねえ。おい、おい、よしてくんねえ。明和って知らねえのか。明和9年にゃァ目黒行 人坂の大円寺から火が出て、そりゃァひでえ大火事になったという年だ。それであま りにひでえってんで安永に改元されたんじゃねえか。『年号は安く永しと変われども、 諸色高直(こうじき)いまにめいわく』なんて皮肉られてよ。なあ、そうだったよな、 髪結のおやじさん。ああ、おやじさんもそう思うかい。この人(ひた)ァよ、さっき から変なことばっかし言って、どうも話がかみあわねえんだ。 「今年は何年だ」って馬鹿なことを聞くない。今年は寛政9年(1797)巳年に決まっ てらァ。いまは6月だ。「寛政っていつだ」って、頼むよ、いまの将軍さまは11代め、 江戸に幕府が始まってからは、ちょっと待ってろよ、いま数えてっから。ええと、19 5年ぐらい経ってるな。4〜5年前までァ、老中の松平さまから、やれ豪奢はいけね え、倹約しろなんてお触れがしょっちゅう出て、恋川春町やら山東京伝なんて戯作書 きが捕まって、少しでも贅沢をしようもんなら引っ捕られちまうんじゃねえかって、 みんなびくびくして、震え上がっていたもんだ。松平さまが失脚して、最近だよ、こ うやってのんびりできるようになったのは。ざまあみろってんだ。いや、それはさて おき、そういやァ、先月だったか、猿江にある泉養寺の庭で咲いたハスの花がまるで 牡丹や芍薬のようだって評判で、ここらの者ァ、みんな見に行ったじゃねえか。おや じさん、行ったのかい、ああ、おいらもだ。みんな大騒ぎしてたもんな。あんた、そ れも知らねえのかい。うん、猿江ったァ、新大橋を渡ってまっすぐ行ったところ。本 所のあたりさね。  新大橋を知らねえって言うのかい。大川(隅田川)に架かってる橋のことじゃねえ か。浜町から深川六間堀を渡した長さ108間(196m)の立派な橋だ。ナニ、「大川に 橋は架かってねえ」だって。もうよしねえ。大川にゃァ、両国橋、新大橋、永代橋、 大川橋など、いくつも架かってるじゃねえか。新大橋は元禄6年(1693)、永代橋は その少し後の元禄11年から渡れるようになった。100年ぐらい前だな。両国橋は初め 大橋と呼ばれてて、架かったのは万治2年(1659)、それから新大橋が架かったんで 両国橋って呼ばれるようになったのさ。万治2年ってなァ、140年ぐらい前か。待て よ、140年ってのは前にも聞いた。吉原がここから日本堤に移ったころだったな。も しかしておめえさん、今年ァ何年だと思ってんだい。いま、確かに「明暦2年(1656) 6月」って言ったのかい。そりゃいけねえや。本当にいまから140年も前のことだ。 じゃァなにかい、明暦3年正月に振袖火事って大火事があったという話じゃねえか、 お城(江戸城)の本丸とかまで焼け落ちて、江戸の半分以上が焼けたという目黒行人 坂よりもっとひでえ火事がよ、知らねえのか。本当に聞いたことねえのかい。「明暦 3年は来年だ」って、そりゃァねえよ。おめえさん、いったい何者なんだい。あァ、 やめだ、やめだ。大方、歴史の本の読みすぎに違えねえ。な、そうだろ。それで明暦 2年まではめっぽう詳しいが、以後のことになるとさっぱり知らねえと。おいおい、 首を横に振るなよ。黙って縦に振ってくんな。いいから、早く。余計な詮索をすると こっちまでおかしくなりそうだから、なッ。頼むよ。「私ァ、ちょうど明暦2年まで の歴史の本を読んでまして、深入りしすぎたものだから、ちと思い違えをしてました」 ってようによ。そう、そう。そうやって首を縦に振ってくれりゃァ、こっちも混乱せ ずに済むというもんだ。