素見 登楼ってくれ? 駄目だよ、まだこれから廻んなきゃ



「素見千人、客百人……」の例えじゃないけれど、吉原には素見(ひやかし。「すけん」ともいう)という登楼せずに遊女を素見して廻るだけの客もまた多うございました。お金がないから上がらないという者もなかにはおりましたでしょうが、馴染みの遊女がいるにもかかわらず、素見をしようと決め込んでいる輩は、はじめっから上がろうなんて気持ちはこれっぽっちもなく、ただ素見すためだけに吉原に行くわけでして、素見をしなくちゃその日が眠れないなんて中毒のような人も少なくなかった。それほど素見というのはまた(これが目的の者にとっては)楽しいものだったようで、夜見世の始まる日の入りごろになりますと、登楼客に混じって素見客が続々と詰めかけたのでございます。

 見世には籬(まがき)と呼ばれる格子があります。籬には惣籬(そうまがき)、半籬(はんまがき)、惣半籬(そうはんまがき)とがあり、どんな籬をつけているかで見世のランクが分かれていました。惣籬は上から下まで全面格子になっているもので大見世、半籬は全面を4分割すると上2つのうち1つに格子がないもので中見世、惣半籬は下半分だけが格子のもので小見世となっており、その向こうで遊女は客を待ちます。大見世で最高級の「仲之町張り」と呼ばれる「呼び出し」はここには並びませんが、それ以下の者や中見世以下の遊女はここに並んでいわば顔見せしているので、客は物見遊山しながら「さぁて、誰にしようか」などと物色してまわるわけです。

 現代では「写真顔見せ」などと申しまして、「いま入れる子はこの子たちでっせ」とお勤め中の姫たちの写真を見せてくれるお店が多々ありまして、この写真だけを見て廻るのも言ってみれば現代版素見ではございますが、この写真がくせものでして、修正なんて簡単にできてしまうし、ポラロイド写真でもアングルを変えたらけっこうごまかしがきく。よしんば修正せずともご対面の段になって「うぉぉ、さっきの写真は何年前のものなんだぁ」と、思わず叫びたくなることもままあるようでございます。経験ありましょ?

 加えて、現在の吉原には吉原年齢とでも呼ぶべきものがあり、プロフィールを見るとどれもこれもが判で押したように「24歳」となっていて、これまた「本当かよ?」の世界。公称24歳の場合、実年齢はだいたいそれ以上のことが多く、実年齢が24〜25歳だと公称は22歳ぐらいになる。ところが当時の吉原は籬の向こうに実物がいるのですから、これはもう何を隠すにも隠しようがなく、遊女とはいえ奉公しているのですから「年があける」といって、10年勤めあげて27歳になると基本的にはお役御免の晴れて自由の身の上となり、見世に並ばなくてもよくなりました。その後はほんに惚れ抜いた相手と所帯を持ったり、遣り手婆となって見世に残ったり、蹴転や岡場所などでまた客を取り続けるなどしたわけでして、籬のある見世ではとうの立った者を並ばせることはなかったので、年齢のごまかしようもありません。

 余談がすぎました。話を戻しましょう。籬内での並び方には順序があり、座敷持ち、部屋持ち、新造の順に並びます。また、そのなかではさらに一ヶ月の稼ぎ高の高い順に並び、上を張るのを「お職」と呼びました。稼ぎがあるということは人気が高いわけで、人気が高いと指名も多いから客の取れた者は籬からいなくなり、最後には人気のない者だけが売れ残ってしまう。素見は廓内を何回も廻るので誰が売れ残っているのか一目瞭然。そしてこのようなお茶を挽いている者をからかって遊んだのです。ちなみにこの「お茶を挽く」という語は、一説に吉原から出たものだそうで、客の取れない暇な者は文字どおりお茶の葉を臼でひき、茶粉をつくらされたことが語源だと言われています。遊女たちは客の相伴にあずかって夕食をいただくのが普通ですから、お茶を挽いてしまうと夕食抜きのうえに重い石臼を挽かされることになるので、たまったものではありません。

 浮世絵などに描かれている素見の格好はだいたい次のとおりです。くるぶしの上ぐらいまでが出る丈の短い、襟の黒い着物を着て、三尺帯を締め、日和下駄をはく。また、決まって手拭いを一本持っていて、これで頬かむりするか、肩からかける。歩くと着物の合わせの間から膝やふとももがちらちらし、腕は袖のなかに入れたり、あるいは肩を出しているのですから、これはどう見てもこれは喧嘩っ早いお兄いさん風情。だから、袖口を縫ってない広袖のすぐに腕を出せるような着物を着た者も少なくありません。

 素見のなかに「地廻り」と呼ばれる者がおります。これは吉原周辺に住んでいる者のことで、やることも格好も素見と変わらず、素見がごろつきなら、地廻りはならず者でありますが、なかには遊郭に雇われて喧嘩の取り締まりにあたる者もいました。

 素見、地廻りが出てくる川柳を見てみると……、
   素見が七分買うやつが三分なり
   地廻りはどれも手のない姿なり
   刺青のあるのが素見にまぎれこみ
   地廻りが笑いんすよとゆすぶられ
   今月はかいきんなどと土手でいい
   日和下駄三度廻って煙草にし
   地廻りは細見よりたしかなり
   秋葉から左へ三尺帯がもて
   地廻りは河岸へたにしの石つぶて
 など多々あります。

 吉原を歩く10人中7人は素見でどれもが懐手をして頬かむりのお決まり姿。なかには馴染みの相手がいて、その顔や名前を腕に彫っているにもかかわらず、「きょうは素見すんだい」などと決め込む者もいて、登楼するような素振りを見せながら結局登楼せず、「売れ残ってんのお前だけじゃねえか」と遊女をからかって笑っている。ときには一ヶ月休みなしの素見三昧で、2度も3度もなかをぐるぐると廻るのですから、どの遊女がもてているかお茶を挽いているかなどの情報は、ガイドブックの『吉原細見』よりたしかです。しかし、素見というのはそれが楽しいからやっている者もあれば、登楼するだけのお金がないけど吉原が好きという者もいるわけで、そういう者があがるのはやっぱり安い見世。だから仲之町の突き当たり、水戸尻のところにある秋葉権現の左側の河岸に並ぶちょんの間に入ったりする。ときにはここや西河岸、羅生門河岸で蹴飛ばされ、入りたくもないのに力づくで上がらされたり、袖が引きちぎられるほどに引っ張られたりするときの対抗として、あるいは向こうが醜女なのか、「これでも食らいやがれ」とばかりにタニシを石つぶての代わりに投げたりする。このように素見はやりたい放題なので、やっぱりごろつきと言われてもしかたないでしょう。

 素見をして廻るときは、人それぞれ思い思いのルートがあったようでございます。現在でもあるようでございますね。入る入らないに関わらず、系列のあそことこことそこの店は必ず覗いてみるというお方が。このような方はだいたいルートが決まっているのではないでしょか。洒落本『白河夜舟』にも当時の素見ルートのひとつが出てきます。場面はこれから素見に行こうと箕輪方面から日本堤を吉原に向かっているところ。「きふう」が連れのぼんぼん息子に「素見の通を教えておこう」と説明します。
「まず第一に、五丁町を素見して歩くのに野暮なやつは、廻りようが悪いから同じ町を二度も三度も通る。だから、そんなことはならねえように考えた。つまりだ、しょっぱなにぐっと伏見町を見て、それから江戸町二丁目を下から上へ見てすぐに江戸一町目へ入りやれ。よいか。それからけつまずかねえように西河岸をすっ切って、京町を素見し、羅生門河岸を通って角町をうちどめにする。そしたら仲之町へ出て犬のくそのない端を通って帰るってぇ寸法さ」

 落語に『二階ぞめき』という噺があります。これは素見が好きで毎夜の帰りが遅い商家の若旦那に、家の者が困り果てて家の二階に吉原の町並みをつくってしまい、そこで若旦那が一人素見を始めるというものです。素見がどんなものかをよく伝えていると思われるので、その一部をここに載せておきます。


「若旦那、二階が吉原のようにできあがりましたよ。素見してらっしゃい」
 と丁稚の定吉。
「それじゃあ戸棚に着物があるから出してくんねえ」
「着替えなくたっていいじゃありませんか」
「おめえ、冗談言っちゃいけねえ。それを着なくちゃ素見はできねえんだよ」
 定吉が出した着物を若旦那は着ます。
「身幅が狭いですねえ」
「うん。七五三・五分回しってえんだ。こいつでこうして懐手で歩く。素見すときにゃ内股が見えなくっちゃいけねえんだよ」
「その袂、ないんですね」
「こいつは広袖ってえんだ。あそこを歩いてて素見どうしがぶつかりゃあ喧嘩がはじまらあ。女が格子につかまって見てるから、謝るやつぁいねえよ。だから、ばあんと突き当たった途端に殴るんだ。そのときに袂があると拳固がつかえて、殴ろうと思っても余計向こうに殴られちゃうだろ。だからいつも懐手にして拳を握りしめてんだよ」
 そして若旦那は手拭いを広げ、
「こいつで頬っかむりする。これは亀覗きってえやつだ」
 頬かむりした若旦那の姿はどう見ても泥棒のようです。
「でも、若旦那、二階なんだからそんなことしなくていいじゃないですか」
「うるさいねえ。こっちは向こうへ行って素見してるつもりになんなきゃいけないんだ。だから格好もそのようにしなきゃいけないんだよ」
 と言うと若旦那は二階へ上がっていきました。

「へえ。よくできてるね。奇麗だねえ。茶屋の行灯に灯りも入ってやがる。妓夫台もあるじゃねえか。お、女が見世を張ってるねえ。どうれ素見してやろうじゃねえか」
 そうは言っても二階につくった吉原だから人っ子一人いやしません。
「寂しいねえ。でも、吉原でもこんな晩がねえとも限らねえんだな。物日なんかにでくわすと客はどんどん登楼しちゃうからな。素見もくたびれちゃって帰ってしまう大引けすぎって時分だな。按摩の笛が遠くから聞こえてくるっていう……そういう晩だな」
 と決めて素見を始めます。
「どうだい、忙しいかい? 暇です? 何言ってやんだい、暇なことねえじゃねえか。あん? 売れ残ってんのお前だけじゃねえか。登楼(あ)がってくれって? 駄目だよ、これから素見すんだもの。うん、また来るよ。帰りに登楼がるよ」
 若旦那は懐手に再び歩き始めました。
「こんばんは、兄さん。さあ、一服おあがんなさいな」
「そうかい? すまねえなあ」
 遊女に格子越しに呼びとめられた若旦那は、さし出された煙管をくわえます。
「すまなくなんかないよお。あたしはお前さんが好きだからね、今夜、登楼っていってもらえない? ゆうべもおとといもお茶挽いちゃってきまりが悪いんだよ。だから兄さん、助けると思って」
「俺は駄目なんだよ。まだ廻るんだよ」
「え、素見すだけ? 登楼んないで行っちゃうの? ふん、どこへ行ったって寝るとこなんざありゃしないよ。本当は登楼れないんだろ」
「なにを。登楼れねえとはなんだ。気に入らねえから登楼らねえんだ」
「どこが気に入らないんだい。登楼りたくても銭がないんだろ」
「銭なしとはなんでえ。あるかないかわかるかいっ」
「ふん、見りゃあわかるよ。『登楼ってよ』って女に言われたら男としちゃあねえ、登楼るもんだよ。それができないのは銭なしに決まってるよ。それで煙草のんで逃げちまうとは、この泥棒っ」
「客をつかまえて泥棒とはなんだぁ、こん畜生」
「ふざけたこと言いやんな。客ってのは登楼るから客だ。野宿でもしやがれ」
 売れ残った遊女と一人二役の若旦那が、頭にきて遊女に手を振り上げたところへ、三役めの男が割って入ってきます。
「おう、おう、おう。よせやい。女相手に喧嘩なんかすんない」
「喧嘩ってったって、癪にさわるからだぁ」
「女相手にぐずぐず言うな。そんなに喧嘩がしてえのか、おめえ。そんなにしたきゃ、俺が相手になってやろうじゃねえか」
「相手になる? 喧嘩を売るってえのかい。おう、買おうじゃねえか」
「あ、痛っ、こん畜生、殴りやがったな。俺を誰だと思ってやがんだ」
「何を生意気なことを」
 若旦那は自分の胸ぐらをつかんでねじ上げ、また顔を殴りました。
「こん畜生、こっちゃあ命はいらねえってんだ。さあ、殺せ、殺しやがれ、ん畜生」


 このようによくもあしくも素見は、廓内の盛りたてと嫌われ役に一役買っていたのでございます。


遊郭吉原 扉に戻る

裏長屋に 戻る