逸著聞集 巻之上

逸著聞集序
 
五月雨そぼ降る夕べ、門、叩く音あり。水鶏(くひな)にやとしばし躊躇ふほどに、打ち咳(しはぶ)く声なんしければ、「誰(た)そ」と問へば、難波の古川ぬしなり。とみに率(ゐ)て入りて物語らひするに、「爰にいと珍しき文をなん得侍る。これ見よ」とて投げ出だすを見れば、葦火焚く屋の煤に染(そ)みて旧(ふ)りに旧りたり。つら/\読むに、下れる世の人の筆にはあらず。蝕める所も少なくなからねど、こゝはかゝらん、かしこはさらんと思ふ/\、夜はすがらに(夜通しずっと)物語もせで、たゞこれなん見る。やつがれ、男山盛(さか)ゆく時は、唐土(もろこし)の文をのみ好み侍りしに、やゝ六十路(むそじ)ばかりのころより、この国の古き文ども、朝夕(あしたゆうべ)に見侍れば、またなくあはれになん思(おぼ)へ侍りて、物語文の類ひは残る隈なく見侍りしを、かゝるものは聞きも及び侍らざりし。あまりに喜ぼしくて、端つ方に書いつけ侍りぬ。

皐月望(もち)の夜(五月十五日)
津の国(大阪府) 久太郎よし文

 
 
 
余、サキニ京師ニ遊学シ、スデニ二秋、一旦忽然トシテ蓴艫ノ感ヲ発シ、江州ヲ歴テ故郷ニ帰ラント欲シ、愛智郡ノ処士坂辺氏ノ家ニ信宿ス、余ガ断金ノ友ナリ。相トモニ琵琶湖畔ヲ逍遥シテ、古農家杜山氏ノ亭ヲ過ル。世々家富ミ、書モマタ多ク儲ク。温古ノ同癖、黄昏ニ向クヲ知ラズ、杯盤狼藉タリ。主人、一冊子ヲ採リ、余ニ示シテ曰ク、「コレ奇世ノ書ナリ、櫃中ニ蔵スルコト百八十年」ト。コレヲ閲(けみ)スルニ、体裁筆法閑雅、著聞今昔ニ伯仲ス、往々二書中ノ事蹟ヲ載ス。疑フラクハ是レ二集ノ逸文カ。且ツ冊中ニ一箋ヲ挟ム、同人ノ筆ナリ。筆記ノ脱簡解クベカラズ。傍ラニ紀号ヲ誌スルヲ見レバ、貞和四年(1349)ナリ。因ツテ主人ニ請ヒテ之ヲ転写ス。滞留期アリ、況ンヤ拙筆倉卒ノ業、恐ラク誤謬アランカ。元本二章、紙爛レ墨消ニテ読ムベカラズ。終ニ闕ニ委ス焉、遺恨ト謂フベキナリ。今年、宍戸氏ノ需メニ依リテ、再ビ写シテ之ヲ贈ル。アア余不敏、アニ敢ヘテ之ガ序ヲナサンヤ。タヾ其ノ来由ヲ誌シ、其ノ首(はじめ)ニ書スト云フコト爾(しか)リ。
時ニ寛文五年(1666)旃蒙(せんもう)大荒落孟夏下浣 無適軒窓下ニ於テ書ス

遠州浜松逸民 川股有方誌

 
 
 
逸著聞集 巻之上
 
 
〔1〕
 
 内舎人(うちとねり)鬼武はいみじき痴(をこ=たわけ)の者なり。久しく宮仕へもしてンげれば、女方も許され、そこら歩きけり。
 いつの比(ころ)にかありけん、二条院の御方違へのことあるとき、馬道(めだう=宮中の板敷きの通路)のあたり這ひ歩きけるに、時は水無月十日あまりの比なれば、昼は草木もよれかへれるほどの暑さなるに、日もやう/\陰ろひて夕べ涼しきほどなれば、涼みとるべき気色なるに、女房の笑音(ゑおと)なひ多数(あまた)して、そよ/\打ち連れて渡殿(わたどの=廊下)を過ぎて釣殿のかたへゆくさまなれば、鬼武、掻ひそみてかいまめば(掻き潜んで垣間見れば)、女房たちは戸の方を見やりて、一人が言ふやう、「あはれ、よき夕べかな。蛍などぞ飛び交ふべき」と言へば、次なるは、「秋すでに近きなるべし」と口ずさみけり。
 鬼武思ひけるは、「此奴(くやつ)、あなにく(憎々しい)振る舞ひかな。目に物見せてくれんず」とつぶやきて、切り掛け(板塀)だつ物の少し崩れたる穴より、いらなく(いかめしく)大きなる物をゆくりともなく(やにわに)つと差し出してけり。
 この男(をのこ)は、摩羅にとりてはいみじき高名の者なりければ、さぞいかめしくありつらんに、先なる女房、掻ひ側みて(かひそばみて=顔を背けて)傍ら目に見て驚きもせぬ気色にて、
「あなや、あれ見給へ。『いつも初音の』(=鶯のさえずりのように、いつ見てもいいものね)」とほのかに言へば、次の女房はいと嗄れたる声して、「『千夜を一夜に』(=心ゆくまで堪能してみたい)」と呻けば、尻に立てるは、扇、さしかざして、だみたる声にて、「『桂のごとき』(月にあるという桂の木のように手出しができない)」とつぶやきてぞ過ぎけるとなん。
 昔人はとり%\に、かくいちはやき雅をなんしける。
 
 
〔2〕
 
 (伊勢神宮の)外宮権の禰宜(ねぎ)度会(わたらひ)の神主盛広(もりひろ)、三河の国なる女を迎へて妻にしたりけるに、かの女が使ひける者の中に筑紫の女ありけり。それをこの盛広、心にかけて、「ひまもがな(よい機会があれば)」と思ひけれど、便り悪しくて、空しく過ごしけり。ある時、思ひかねて、妻に向かひて言ひけるは、
「申すにつけてはその憚(はゞか)りあれども、うらなく(包み隠さず)申さば、よも心おき給はじ(気にかけないだろう)とて申しいづるぞ。その筑紫の女、我に会はせ給へ。堪へがたくゆかしきこと侍り」
 と言へば、妻、答ふるやう、
「あながちに見目形のよきにてもなし。振る舞ひ、事柄の優れたるにもあらず。何ごとのゆかしくて、かくはのたまふぞ」
 と言へば、盛広、
「いまだ知り給はぬか。つび(通鼻=陰門)は筑紫のつびとて第一の物と言ふなり。さればゆかしくてかく申すぞ」
 と言ひけるを聞きて妻、
「世に易きことなり。されどのたまふ如くならば不定のこと(思いがけないこと)なり。摩羅は伊勢摩羅とて、最上の名を得たれども、御身の物は人知れず小さく弱くて、あるに甲斐なき物なり。筑紫の女の物もさぞあらん。このこと思ひとまるべし」
 と言ひたりければ、盛広、口を閉じて言ふことなかりけり。
 
 
〔3〕
 
 ある宮腹(皇女の娘)の女房、みそか法師(密通相手の坊主)を持ちて、夜な/\局へ入れけり。ある夜、法師、尿(しと)のしたかりければ、「いづくにか穴ある」と女房に尋ねければ、「その棹(=服をかけるさお)の下にこそ穴は侍れ。探りてし給へ」と教へければ、この法師、這ひ寄りて探るに、穴に探り合ひにけり。
 すでにせんとしけるほどに、折節悪しく屁のひられんとしければ、尿を念(ねう)じて躊躇ひ居たり。尿を息づまば一定(必ず)もろともに出ぬべくて控へたるをば知らずして、女房、「穴を探り得ぬ」と心得て、這ひ寄りて、「いづくにぞ」と探るほどに、あやまたず法師の脇へ挿し入れてけり。この僧、こそばゆさに堪へぬものなりけるにや、脅えて身を震ふほどに、屁も尿も一度に出にけり。穴にとり当てたる摩羅もはづれて、尿、散々にはせ散らされにけり。
 隣の中の隔ての遣り戸に穴のありけるより、尿、通りて、遣り戸のそばに寝たりける女房の顔にかゝりければ、さりとは知らで、「雨の降りて漏るぞ」と心得て、騒ぎ惑ひける。をかしきけることかな。
 
 
〔4〕
 
 覚叡(かくえい)法師とて痴(をこ)の好き者ありけり。修験(すげん)の聞えありければ、家富み、豊かなりけるまゝに、いつとなく心もゆるみて、常によき童、若き女のみ近く馴れ睦みて、朝夕のものにしければ、いつしか修験も衰へければ、宝もともにむなしくなりて落魄の身となりにけり。
 早く参り仕(つかふまつ)りし法親王おはしましけるを思ひ出して、がり(法親王のもとへ)ゆきて、日頃の怠りども詫び言して、やうやくそこにぞ落居ける。さるにこの宮は、常に斎居精進(いもゐさうじ)のみおぼして、おのが好める女童子(めのわらは)などのなかりしほどに、常に寂々(さう%\)しくてのみぞ有るべける。
 月日の経(ふ)るまゝにいと耐へ難くおぼえければ、いかさまにはかり出てか心晴るかさんと思ひわたるほどに、そのころ、中宮の御方の女房の物の怪にて、険(さが)しく狂ひのゝしることありけるを、この宮の御方へ、修法(ずほふ)のことなど頼み参らせらるゝことありて、この女房は里へ下がり居(ゐ)しが、昨夜(よべ)なん忍びて、こなたへ詣で来にけり。これをこの法師、聞きつけて、「これぞよきことなり、吾(あ)が仏、如渡得船(によどとくせん=渡りに船と申すはこのこと)、済度してくれんずものぞ」と、鼻のあたりを蠢かしてぞ、日の暮るゝを待ち渡りける。
 今日しもさる修法の功力(くりき)にやよりけん、物の怪も濁み、ほとぼりもさめ、心地のおこたりける(平癒して心地が落ち着いた)と見えければ、付き添ふ人も日頃の疲れに打ち弛(たゆ)みて、屏風几帳の後ろに打ち伏して、火、ほのかに掲げて、そのもとにて文、打ち見て居たる〔以下闕文〕。
 
※「以下闕文」 『古今著聞集』などの逸文らしく見せるため、編著者がわざとしたものと思われる。
 
 
〔5〕
 
 ある生蔵人(なまくらうど=新米蔵人)の妻にいと物妬みする女ありけり。男、あぢきなきことに思ひて、いかがしてこの女に離れなんと思ひけれど、さすがまだ宿世(すぐせ=宿縁)つきねば、ながらへて過ぐしければ、あることなきことにつけて、苛まれて年を送りけり。
 男、案じ巡らして、亀をひとつ求めて、首を引き出して三、四寸ほどに切りてけり。紙に包みて懐に入れ隠して持ち、妻とまたことを過ちいさかひて、互いにさま%\に言ひて、男、言ふやうは、「詮ずるところ、かやうの口舌の絶えぬもこれ故にこそ」とて、刀を抜きて、おのが摩羅を切るよしをして、懐に持ちたる亀の頭を投げ出したりけり。血みどろなる物、三、四寸ばかりなれば、その物に違はざりけり。妻、浅ましげになりて、「大方の道理をこそ申しつれ。これほどに苦々しく思ひとり給ふことかは」と呆れて居りたりけり。さて今は心やすくて、かの切れ(=亀の頭)を引きそばめて立ち退きにけり。その後はしばしこの疵の跡、やむよしして、打ち臥してのみ過ごしにけり。
 さて、月ごろ経て、女、つれ%\なりけるに、端縫(はぬ)ひといふものをして、うづくまりて居たりけるを見れば、股のほどに黒き布を引きまとひたりけり。男、怪しと思ひて「それなる黒き物は何ぞ」と問へば、女は「たゞ」と言ひて、とかく答ふることなし。あながちに(しきりに)問ひければ、さのみ隠しはつべきことならねば、「故人(こひと)のためよ」と答へたりけり。その心を得ずして、「故人とは何ぞ」と問へば、「さは切り捨て給ひし故人のために、いかでかはここに素服(そぷく=喪服)着せざらんとて、服着せたるぞかし」と言ひけり。珍しかりける素服なり。面影(=様子)推し量られて、をかしうこそ侍れ。
 
 
〔6〕
 
 しきりにたけ高き女と、ことにたけ低(ひき)かりける男と寝たりけるに、女の股のほどに男の顔、あたりて侍りけり。男、寝覚めて、おのが口の女の前のほどにあたりたりけるを顔ぞと思ひて、「浅ましの御口の香の臭さや」と言へりければ、女もまた寝ぼけて、男の口ぞとは思ひよらで、外の人の言ふぞと心得て、「なんぞの隣のさかしらぞ(お隣さんはお節介な)」と答へたりける。をかしかりけることなり。
 
 
〔7〕
 
 近ごろ、天王寺よりある中間法師、京へ上りける道にて、山伏一人、また鋳師(いもじ)する男(鋳物職人)一人、行きつれて(ゆきずりになって)上りけるに、各々三人歩み連れて行くに、今津の辺りにて日、暮れてければ、三人、ひとつ宿に泊まりにけり。家主は遊女にてぞ侍りける。各々打ち休みて寝ぬれば、あるじも塗籠(ぬりごめ)に入って寝にけり。
 人、静まるほどに、この山伏、起き出で、髪をもとどり(髻=たばねて結わえること)に取りけり。鋳師男は只よく寝入りぬ。法師は空寝入りして、この山伏が振る舞ひ、見居たるほどに、髻に取り果てゝ(髻を結い終わって)、寝入りたる鋳師が烏帽子を取りて著(き)てけり。
 さて、遊女が寝たる塗籠のもとに至りて、やをら叩きければ、すなはち(遊女は)開けて「誰ぞ」と問へば、「我は宿り人(うど)にて侍り。これの御釜を見れば片釜ばかりにて脇釜なし(=かまどに二つあるはずの釜が片方しかない)。定めてほしく思はせ給はん。かく候者は鋳師にて候ぞ。参らせんはいかに(差し上げようと思うが、いかがかな)」と言ひければ、君(遊女)、いとよきことと思ひて、すなはち内へ入れて寝にけり。
 さて、ことどもよくしてその著たりつる烏帽子をば、君が枕元にとどめ置きて、あからさまなるやうにて(急なことのように)出にけり。その後、元のごとくに髪、乱して、型のごとく行ない(=修行)するよしして、残りの輩に言ふやう、「連れ立ち奉るべくさぶらへども、急ぎたる用あれば、先立ちて上り侍るぞ」と言へば、「いかに出立のこと、したゝめてこそは(朝食ぐらい食べたらどうだ)」など、止めけれども、聞かで出ぬ。その後、この鋳師、烏帽子を求めけれども、なかりければ、覚束なきこと限りなし。
 さるほどに夜、明けにければ、君、起きて鋳師に言ふやう、「約束の釜はいづくにあるぞ。早くたべ」と責むれば、大方、知らぬことなれば堅く抗ふ。そのとき、君、「空とぼけなし給ひそ。烏帽子(ゑばうし)はこゝにあれば、誰にぬりつけんとて、かくほどに人、出(いだ)し抜かんとするぞ。すみやかに約束のまゝ給はるべし」と責めければ、鋳師、呆れ騒ぎて、「いかにも/\、さること侍らず。いかにかゝる無実をば、実に/\との給ふぞ」と答へ居たれども、あへて用ひず(聞き入れず)、「なにとわぜうめ(=お主は)言ふぞ。年は寄りたれども、重宝(ちうぼう)は六寸ばかりにして、若き者よりはしたゝかにしつるは」と言ふに、鋳師、聞きもあへず、「あな冥加(ありがたや)、天道神仏はおはしましけるぞ。これ見給へ、六寸の物はかゝるやうな物か」とて、わづかなる小摩羅の、しかも衣かつぎ(皮かむり)したるを掻き出したりければ、君、言ふことなかりけり。隣の者までも聞きて、「この山伏、してけり」と、どよみ笑ひけり。さてなん、鋳師が難は逃れて上りにけるとなん。
 
 
〔8〕
 
 あるところによき声を揃えて念仏を申させけるに、聴聞の女房の中に、ある念仏者を心掛けたるありけり。いかでがな、物、言ひ交さんと思ひつれど、人目繁くて叶わざりければ、とかく躊躇ひて、行道(ぎやうだう=法会のときに仏辺を読経し巡り歩くこと)のとき、少し足をつゝきて、その気色を見せて、なにとなく立ち上がりて、後戸(うしろど)のかたにて、「ちと物、申さん」と言ひかけたり。返辞言はゞ、人、聞き咎むべかりけるほどに、念仏の音曲にまぎらして、南無阿弥陀仏の南無を「さもあみだぶつ」と申したりける。いかにをかしかりけん。
 
 
〔9〕
 
 この頃、一生不犯(ふぼん=淫戒を犯さない)の尼ありけり。いまだ齢(よはひ)盛りにて、見目、ことに清げなり。世の様(暮らしぶり)も侘しからずぞ侍りける。物詣で(寺詣で)しけるとき、ある僧、この尼を見て、堪へがたく艶に覚えけれどもいかゞはせん、思ひのあまりに家を見せ置きて(尼の家を確認して)帰りにけり。その後、思ひ忘るゝこともなく、ひしと心にかゝりて日数を送りけり。
 いかにもさて、やむべき心地もせねば、人知れぬ思ひをしるべにて、かの尼のがり(もとを)尋ね行きぬ。この僧、見目ことがら世の尼に似たりければ、尼の真似をして使はれて、隙(ひま)を窺(うかゞ)はんと思ひて行きたりけり。かしこにて「物申さん」と案内しければ(取り次ぎを頼むと)、やがてあるじの尼出て、「誰(たれ)にか」と問へば、この僧、胸打ち騒ぎて、いよ/\堪へがたく覚ゆるを念じて(こらえて)、
「別(べち)のことにはさぶらはず。世に上の空なる(分別が足りない)やうにさぶらへども、宮仕へ仕(つかうまつ)らんとて参りてさぶらふなり。年ごろ頼みて侍りし男におくれて(頼りにしていた男に先立たれ)、頼む方なき独人(ひとりうど)にて候。男、空しくなりし日より、(尼へと)様を変へてさぶらへば、常の宮仕へなども叶ふまじくさぶらへば、かやうの御遁世の御あたりには、おのづから召し使はるゝこともやさぶらはんとて参りて候」
 と言ひければ、実にも上の空には覚ゆれども、さしあたりて人も欲しかりければ、その心の底をば知らねども、物うち言ひたるさまなども優しげなれば、左右なく(気にせず)受け取りてけり。この僧、まづしおほせる(=やったぜ)心地して、末も頼もしうこそ思ひければ、宮仕へに甲斐/\しくまめにして、しかもまた女とも思えず、健(すく)よかなる方もありて、ことにおきて大切なりければ、一筋に家の内のこと言ひつけて、また無大事の者にてぞ侍りける。かくて今年も過ぎぬ。今はこれほどの大事の者と思はれぬれば、たゞ世渡りにも不足なければ、心のうちの本意(ほい)をばとかく思ひ慰みて過(すぐ)しける。次の年の冬のころよりは、「夜は寒からん、今は我が衣の下にも寝よ」など言へば、嬉しきこと限りなし。さるにつけてもいよ/\心の動くこと静めがたけれど、猶とかく心にからかひて(葛藤して)その年も暮れぬ。
 この尼、正月(むつき)七日の間は、別けて持仏堂にさぶらひて、斎非時(ときひじ=食事)の折りばかりぞ出んずるとて、その間の事ども、この今参りの尼によく言ひ置きて、朔日より仏の御前に行ひてさぶらひけり。七日が間、勤めよくして、八日は例のごとくにてありける。日ごろなりし精進(さうじ)なるうへ、様%\の勤めに身もくたびれけるにや、その夜はだらりとして寝たりけり。
 この僧、思ふやう、数ふれば今年は三とせになりぬ。何ごとを旨としてかくては侍るぞ。いかにもあらばあれ、只今とりつきて本意を遂げんと思ひて、よく寝入りたる尼の股を広げてはさまりぬ。かねてよりしかたくみまうけたることなれば、おびたゞしきものを苦もなく根本まで突き入れけり。
 (尼は)大きに脅え惑ひて、何といふこともなくて、引き外して持仏堂の方へと走り行きぬ。この僧、あはれ、さ思ひつることよ。今はよきことあらじ、いかゞせんずると胸騒ぎて、隅もとに屈(かゞ)まり居て聞けば、この尼、持仏堂にて鉦(かね)をあまたたび、ちやう/\と物騒がしげに打ちて、何とやらん、物申しおとして帰りき。この僧、いかなる耳聞かんずらんと、いよ/\、咎(とが)逃れつべうも覚え侍らぬに、この尼、思はずに気色、悪(あ)しからで、「いづくにぞ」と尋ぬる声するに、嬉しく覚えて「ここにさぶらふ」と答へければ、やがて股を広げて、覆(おほ)はりかゝりてければ、かへす%\思ひの外に覚えて、押し伏せて年ごろの本意、思ひのまゝに責め伏せてけり。
 さても何とて一番には引き抜きて、持仏堂へは入り給へるぞと問ひければ、そのことなり、これほど心地よきことを、いかゞは我ばかりあるべき。上聞(=申し上げ)仏に参らせんととて、鉦、打ち鳴らしに参りたりつるぞと答へける。その後は打ち解けて暇もなくしられければ、をんなをとこ(=夫婦)になりてぞ侍る。
 
 
〔10〕
 
 南都(=奈良)にまた一生不犯の尼ありけり。つひに悪し様なる名立たることもなくてやみにけり。臨終いかゞあらん、世にありがたきためにし人%\言ひけるほどに、病を受けて大事になりければ、善知識のために小僧一人請(さう)じて念仏を勧めければ、念仏をば申さで、「摩羅の来るぞや/\」と言ひて終はりにけり。一期の間、由々しく思ひとりては侍れども、心の中にはこのことを心にかけたりければこそ、かく終はりの言葉にも言ひけめ。何ごともたゞ心の引くかたが善悪の報いを定むるなり。よく/\用意あるべきことにこそ。
 
 
〔11〕
 
 称徳天皇、道鏡が陰(まら)のなほ足らず思ほさせければ、薯蕷(やまのいも=自然薯)をもて男根(まら)の型をつくりて用ゐさせ給ひしほどに、やがて折りこみければ、陰戸、はれふさがりて大事におよばせ給ひけり。百済国の薬師(くすし)の娘にて小手尼(こてあま)といふありけり。その手の嬰児のごとなりければ、その名は負ひにけるなり。それが伺ひ参らせて、「帝の御病は癒し奉るべし」とて、手に油を塗りて取り出さんとするほどに、右中辨百川(=藤原百川)、「これは霊狐なり」と言ひて、劔を抜きて尼の肩を切りつけてけり。依て療治参らすことなくてぞ、帝はかみあがらせ(=崩御)給ひけるとなん。
 
 
〔12〕
 
 花山院即位(しよくゐ)し給ひける日、馬の内侍けん帳の命婦(めうぶ)として進み参りしに、帝、高御座(たかみくら)のうちへ引き入れさせ給ひて、たちまちに遘合(みとのまぐはひ)なさしめ給ひけるとなん申し伝へける。
 
 
〔13〕
 
 保延五年(1140)四月廿五日、斎王(いつきのみこ=伊勢神宮、賀茂神社に奉仕した未婚の内親王が神社の)本院にいらしめ給ふ。後の次第司(後ろで行列を定めた役)左馬介藤原敦頼と肥前権守俊保と同じ車に乗りてまかりいづるほどに、一条大宮の間にて馬部十人ばかり寄り来て、左馬介をやにはに車より引き落とす。俊保も同じく引きはりぬ。馬部ら打ち囲みて、車を引き返して中御門西洞院(にしのとゐ)に向かひて引き留めて、ことの子細を右兵衛督家成卿のもとに訴ふ。ときに兵衛は酒宴のほどなりけり。馬部らが訴(うた)へに言へらく、
「去年(こぞ)、手振(てふり)の装束を整えぬによりて(=従者の装束を用意しなかったので)、日ごろ左馬介を尋ぬるに、とかく迯(に)げ隠れて参り会はず。今日、たま/\捕へさぶらふ。誠の装束を剥ぎ取らんずるなり」
 と声々に言へりけり。督の曰く、
「取るも取らずも理(ことはり)にこそあるらめ」
 と言ひすべらかしければ、馬部ども、やがてまた敦頼を引き落として、冠(かうぶり)、下沓(したうづ=足袋)よりせんとて、ひとつも残らず剥ぎ取り、牛車も同じく取りて、つれなし追ひ放ちてけり。敦頼、摩羅を抱へて小屋に走り入りにけり。このことによりて、裸の左馬介とは名づられけり。
 
 
〔14〕
 
 周防国(すはうのくに=山口)に曾根といふところを領(し)りて下りける人、色々しき人(=好き者)にて、良き悪しきを嫌はず、女といへば心を動かしけり。法師とて童べを入れて使はせけるに(=男児を茶坊主として使ったが)、この領所(=領主)言ひけるは、
「おのれが姉にて侍るなる女は、世にさはやかにて(噂では清らかで)見目もよきよし聞くに、忍びやかに呼びて我に枕(ま)からせよ(=抱かせろ)」
 と言ひければ、小童は、
「易きほどにてさぶらふ。たゞし母にてさぶらふ者こそ、姉よりもよくさぶらへ。母を枕かせ給へかし」
 と言ひたりける。不思議なる言ひ様なるべし。
 
 
〔15〕
 
 袴垂(はかまだれ)といへる者は強盗の大将軍にて、公にもしあまされたる(=朝廷も苦慮した)者なりけり。いつのころにか、朱雀なるところに、故常陸宮(ひたち)の住み給ひし古御所ありけり。宮、亡くなり給ひし後は、はか%\しくもなかりければ、築泥(ついぢ)は倒(たふ)れて夜ごとの関守もなく、むぐら(=雑草)ぞ高く茂りて、これのみ門さしてけり。
 されども、昔、いみじく心を入れて作りひろげ給ひしところなれば、寝殿、母屋、渡殿、対(たい)の屋、釣殿なんどはさながら建てれど、荒れに/\て月より外に射し入るものなかりけるを、この袴垂、いつのころにか窺ひよりて、何ぞがなそとく得んと思ひはかりて、忍び入りにけり。
 寝殿の妻戸より這ひ入りて、こゝかしこ尋ね漁れども、ふつに物なし。やゝ深く入りもてゆきて、とある塗籠のあるによりて見れば、こゝにぞ人はあると見えて、燈(ともしび)、かすかに掲げて、そこら物ども取り散らしてありけり。
 人こそ寝ぬるならんと思ひて、戸、開け、屏風、押しやり、古几帳の帷子(かたびら=几帳の布)掲げてやをら入りて見るに、衣、引き被き(ひきかづき=ひっかぶり)臥せる女あり。七月(ふみづき)十日あまりのことなれば、昼の暑さに屈(く)してやありけん、寝穢(いぎたな)くてさらに知らぬさまなり。
 燈の光に透かして見れば、衣は着たりけれども、頭(つぶり)の方にのみ打ち著(き)て、手足はあらはに差し伸ばへて、いと白き股を押し広げたれば、隠れのかたもそこらは見えてけり。さ見るまゝに、にはかに心の騒がるゝにつけて、物のむく/\掻き上がりければ、添へ、これを今夜の所得(そとく)にはせんずる物をと見なして、むくつけく股、広げて挟まりぬ。
 いらなく(=荒々しく)起りたる物をひた/\と突き入りぬれば、女は何とも思ひもわかで、首のほどにしとゞしがみつきて、足を空ざまにして(=高く掲げて)息巻きて身もだへけるが、ふと目を見上げて顔、打ち見て、あらざりければ(=亭主ではなかったので)、
「あなや、くは(=これは)いかなる人のかくたい%\しき(=理不尽な)ことはせしぞ」
 と震ふ%\問ひけるに、袴垂はさるしたゝか者なりければ、臆せる気色もなく、腰刀の手柄(たがみ)取り、(手を)縛りて、
「其(し=てめえ)や、声な立てそ。もし声立つるとならば、太刀も摩羅もともに抜かんずるものを」
 と答へけるとなん。かゝる曲者をこそは強盗と言へるにや。
 
 
〔16〕
 
 内裡にて物合はせのありけるに、詩作の人の障ることありて欠けたりけるほどに(=欠員が生じたので)、その人を催されけり(=補充を当てた)。文章博士(もんじようはかせ)紀の某とかやもそのうちなりけり。常に貧しくてのみ打ち込められてありければ、さる晴れに着るべき衣(きぬ)、冠(かぶり)などもなかりけるを、常に言ひ語らふ宮腹の女房ありけるがり行きて、
「かう/\のことなんありて参登(まゐのぼ)らんとするに、とみのこと(=急なこと)とて、さる設け(まうけ=用意)もなければ、さしあたりてはいかゞはせん。よきにはからひ給はれかし」
 とひたぶるに言ひ侘びければ、女、いと賢(さか)しき者にて、そこら借りてうじ、装束、悪(わろ)からず取り具して出たゝするほどに、襪(したうづ)を忘れにけり。
「されど、今はとまれかくまれいかにせん、まづこれにても用ひ給ひかし」とて、おのれが古襪を取り出して履かするに、すべて足の大きくて入るべくもあらず。とかう持て扱ふを、女は心いられ(=イライラ)のする儘に、いと腹立ちて言ふやう、「あな見にくの御足の大きさよ。さもあれかしと思ふところは人に優れて小(ち)さく甲斐なさに、こと足らはでのみ過ごすものを、益(やく)なきところの人に優り給へる。あら憎の大平足かな」
 と、さも憎げにのり恥しめければ、させる大学博士も答へん言の葉なくて、赤足にてぞ走り出にけるとなん。
 
 
〔17〕
 
 ある生殿上人の家に今参りのはした者ありけり(=ある新米殿上人の家に新参の下女がいた)。それが面つきのえもいはず可笑しげにて、唐(もろこし)の絵にかける無塩女(=中国にいた醜女)とやらんにぞおぼえける。鼻は押し平めたる如く、面のまち(=中央)は高くいらだちて、額髪はけうとく(=すさまじく)禿げ上がり、広らかに差し出し、また頤(おとがひ)もさながら出張りぬれば、その形のさながら太刀の鍔に似たりとて、渾名(あざな)『たちつば』とぞ呼びける。
 さるに、その家に来通ひける男に、日吉(ひえ)のなにがしといふ者あり。猿楽ふ(さるがふ=道化する)ことのみ常に言ひのらめれば、人にもけうとく(=鬱陶しく)思はれけり。色好みの癖ありて、女とだにいへば目なきものにて、写し絵にだにいたづらに心を動かしけるが、このほど人々の「たちつば/\」と言へることを片耳に聞き誤ちて「かきつばた」と打ち聞きて、その名にや愛でけん、見もせぬ恋にあこがれて、いかでかものの隙(ひま)に垣間見てましと、そこら窺ひ歩(あり)きけるを、そこの男(をのこ)ども聞き出して、「いざや、日吉あざむかばや」とたばかりて、ことに実法(じほふ=ばか正直)の男に言はせけるは、
「この殿に今参りの女房の侍るが、いみじき上(かみ)が上の品にてあなる。三河国のなにがしの徳者(とくさ)の娘なるが、都の手振り見せんとて、こゝに参らせたれば、やがて『かきつばた』とは召しけるなり(=呼ばせた)。殿なんどのとかく拵へ給へど(こしらへたまへど=お誘いするが)、ひたやごもりに閉ぢめふせぎてぞあなる(=部屋に閉じこもって誘いに応じようとしない)」
 など言ひそゝのかしければ、しきりにゆかしがりて、
「いかでがな言ひわたらん。あが仏、それ導き給へ。よき引き出し物参らせん」
 など拵へける(=とりなした)。
 さて、程経て言ひ促しけれど、さる折りもなくて過ごしけるに、ひと日、試楽のありける夜、人多く集ひて、夜ひとひ(=夜通し)酒飲み遊びしときありけり。今宵ぞよきひまあらんずるものをとて、その仲立ちの男を切(せち)に責めさいなみければ、今はと思ひて、いなやむやうにもてなしながら、導きて局へ入れけり。
 日吉、いとになく悦びて、やがて這ひわたりて、思ふさまにぞ語らひける。すでに鶏の声もかしましく明けなんとするほどに、帰りなんとするを、この女、さる片端者なりければ、かゝるよき目にあひしことの一生がほどになければ、何かは放つべき、股のほどにしかと掻い挟みて、差し付け/\強(し)ひごとしければ、さしがにはやれる摩羅も今は力尽きて、干しかぶらのごとく萎え/\となりければ、とかくすかしなだむる間に、いつしかはしたなく(すっかり)日の射し出て、隔子(かうし)のすきよりきら/\と刺し入りたるに、女の顔を見れば、かの蓬生(よもぎふ)の宿にて普賢菩薩(ふげんぼさち)の乗物の鼻見出す給ひしにもこと超えて、三平二満(さんぺいじまん)の醜女なりけり。
 呆れ惑ひて走り出しけるが、なほも猿楽うことはやまずやありけん、うち拍子を取りて、
   吾妹子(わぎもこ)にや、一夜肌触れ、あひそ(=あァそれそれ〜歌の合いの手)、
   誤りしより、取りも取らず、取り取らず、しかりとてや、わがよの君は、あひそ、
   五つより六つ取り、七つ八つ取り、九(こゝ)の夜十(とを)取り、十ば取りけん
 と、うち返し早口に唄ひながら、足に任せて迯(に)げ帰りけるとなん。
 
 
〔18〕
 
 西の京に、はやく孀婦(やもめ)にて住む女ありけり。そこに給仕する青侍(=若侍)のありけるが、いつよりかはたゞにしもあらざりけれど(=いつしかただならぬ間柄となっていたが)、人目の慎ましさに、いと忍びたることなりける(隠しつづけた)。常に湯浴ぶるときなんぞ、この男のみ垢引きには参りけるを、内外(うちと)の人もおろ/\知りてけり(何となく察していた)。さるに、今参り(=新参)の小賢しき男(をのこ)ありけるが、このことの羨ましく、かつは憎く思ひければ、ひたすらに見あらはしてん(=見破ってくれよう)とぞ心にかけて窺(うかゞ)ひ歩(あり)きける。
 あるとき、例のごと、浴室(ゆどの)へ入りけるを、「今日こそ見おほせんずるものを(=見極めてやろう)」と思ひまうけて、壁なる穴より垣間見てぞ居たりける。あるじの女はさることありとはつゆ知らで、衣(きぬ)、引き解き、そこらあるかぎりかきあらはして洗ひなんどするに、かの青侍、入り来て、垢、引きながら、背、うち撫で、手、取り合ひて、とかく睦れ戯るゝこと、すべて言ふべくもあらず。
 これを見る男(=今参りの男)、やゝ久しく窺ひ居たるに、はじめのほどはおのれ憎しとのみ思ひしが、次第に見るまゝに、胸、うち騒ぎのせらるゝを押し沈めてあから目(=わき目)もせで守らひをるに、かくする/\、はて/\は、男、帯解き、衣、うち脱ぎてけり。いかにするなんと思ふほどに、褌(たふさぎ)も解き捨てゝ、いらなく起りし物をつと差し出すを、女、手を伸べてこれを引きまさぐること、やゝ久し。今はいかにも見はてんずるものをと、念じ返し/\ぞ(=押し沈めて)なほ見るに、女、あふ(=仰向け)にうちまろびて、股を引き広げて「こゝへ」と言へば、やがて寄り来てさしはさまりぬ。かくすることゞも、はじめよりすべてそとも(=少しも)慌たゞしきことなく、いとのどかにうち身じろぎて(=ゆっくりと動かして)、そろ/\と刺し入る。
 抜き出し、突き入るに、上ざま下ざま左に取り右へ回し、浅く深く浮き沈みて真ん中のほど突き巡らせば、女は足をあまつ空まで差し上げ、細首をば血あゆばかりに引き締めて、声放ちて、今はかうこそはといふほどこそあれ、これ、見居たる男は気早き者なれば、心いられ(=興奮)のせしを念じ返し/\て、かゝる振る舞ひ見しまゝに、今は目くるめき、魂(たま)ぎりて、「あ」と言ふて仰向け(あふのけ)に打ち倒るゝとて、後ろざまの戸にしたゝかに打ち当てぬれば、その戸の外れまろぶとて、そこらありとあるてふ調度どもに響き合ひて鳴りどよみければ、内外(うちと)の人、慌てふためきて、「こははたゝ雷(はたゝかみ=霹靂神〜激しい雷)の落ちにしや」と出合ひぬれば、あるじの女もこれに驚きて、衣、かひさま(=裏返し)にうち着て立ち出でんとするに、男(=青侍)は気失ひて(けうしなひて=仰天して)、濡れたるものそのまゝ引きそばめて走り出しながら、なほさることありと人に見せじとや思ひけん、をこがましき声して(=すっとんきょうな声で)、「地震(なゐ)のふりさぶらふぞや、あなかしこ、過ちし給ふな」と言ひ/\、馳せ巡りけるとなん。毛を吹きて疵(きず)を求めし類ひなるべし。
 
 
〔19〕
 
 ある曹子(曹司=女官の部屋)に宮仕へする男ありけり。痘瘡(もがさ)といふものを重く病みける故に、目鼻もあらぬところに付きかへて、顔の皮(きぬ)も氷雨のあたりし白壁のごとくなりける上に、また背さへ低太(ひきふと)なりければ、女といふほどの人、明きたる目にて見ることさへなかりけり(=まともに見ようとすらしなかった)。ましてや身さへ賤しかりければ、もとより言ひよる方もなく、つれ%\にのみ過ごしけり。
 常に女の曹子にのみし歩きければ、いたづらにのみ心を動かして、ときとしてはせん方なく、皮つるみ(=せんずり)をしてぞせめて心を晴らしける。それも常になりてければ、こと足らはぬやうに覚えけるが、きと(=ちょっと)思ひめぐらして、今日はそこの御許、明日はこゝの女房、こたみはかしこの樋洗(ひすまし=厠番の下女)をなど、させんと思ひときには(=せんずりしようと思うときには)その人のことを念じてこそは振る舞ひける。
 あるとき、局の朝清めしたりけるに、そこら立ち舞ふ女のうち、股(もゝ)の白きがふと見られけるまゝに、俄に心の起り立ちて、あらがはんにも得耐へぬほどなりければ、厠に走り入りて、こと企てゝけり。そこに端た者に岩柳といふがありけるを思ひあてゝ、千(ち)ずり百(もゝ)掻き、擦り上げ、掻き下ししけるまゝに、次第に心よく覚えければ、「岩柳/\」と声、放ちていひけるを、折りしもこの女、水、汲まんとてそこの筒井のもとにありけるが、これを聞きて、「誰(た)ぞ、おのれを呼ぶは」と思ひて、そこら見巡らすにすべて人なし。さるにまた呼ぶほどに、立ち回りて見れば、そこなる厠のうちなりけり。
「あないぶかし。おのれ呼び給ふは何の料ぞ」とて、戸、はたと引き開けたりければ、男、顔を見上げて、慌て惑ひて、とみに言ふべきことの出でこねば手惑ひをして、「さん候。松菌茸(まつたけ)の羹(あつもの)や欲しくおぼす。調じ参らせん。おのれが身にたふべきほどのこと(=できそうなこと)さぶらはゞ、何も承(うけたうば)りさぶらはん」とぞ答へける。かゝる荒涼の恪勤者(かくごんざ=つつしみ勤める人〜つまらない馬鹿真面目な奴)やあるべき。
 
 
〔20〕
 
 今は昔、中納言師時(もろとき)といふ人おはしけり。その御許に、ことのほかに色黒き墨染の衣〈ころも〉の短きに、不動袈裟といふ袈裟かけて、木蓮子の念珠の大きなるくり下げたる聖法師入り来てたてり。
 中納言、「あれは何する僧ぞ」と尋ねらるゝに、ことのほかに声を哀れげになして、
「仮の世にはかなくさぶらふを忍びがたくて、無始よりこの方、生死に流転するは、詮ずるところ煩悩にひかへられて、今にかくて浮世を出やらぬにこそ。これを無益(むやく)なりと思ひ取りて、煩悩を切り捨てゝ、ひとへにこのたび、生死の境を出でなんと思ひとりたる聖人に候」
 と言ふ。中納言、「さて、煩悩を切り捨つるとはいかに」と問へば、「くはこれをご覧ぜよ」と言ひて、衣の前、掻き開けて見すれば、誠にまめやかのはなくて髭ばかりあり。こは不思議なことかなと見給ふほどに、下(しも)に下がりたる袋のことのほかに覚えて、「人やある」と呼び給へば、侍、二、三人、出できたり。中納言、「その法師、引き張れ」との給へば、聖人、眼伸し(まのし=瞠目)をして、阿弥陀仏申して、「とく/\、いかにもし給へ」と言ひて、あはれげなる顔気色をして、足をうち広げて、をろねぶりたるを(=目を閉じたのを)、中納言、「足を広げよ」とび給へば、二、三人(=侍)、寄りて引き広げつ。 さて、小侍の十二、三ばかりなるがあるを召し出(いで)て、「あの法師の股の上を、手を広げて上げ下ろしさすれ」との給へば、そのまゝにふくらかなる手して上げ下ろしさする。
 とばかりあるほどに、この聖、眼伸しをして、「今はさておはせ(=もうそのへんで)」と言ひけるを、中納言、「よげになりにたり。只さすれ。それ/\」とありければ、聖、「様悪(さまあし)く候。今はさて」と言ふを、あやにくにさすりふせけるほどに、毛の中より松茸の大きやかなる物の、ふら/\といで来て、腹にすは/\と打ちつけたり。
 中納言をはじめて、そこら集ひたる者ども、諸声(もろごゑ)に笑ふ。聖も手を打ちて、伏し転(まろ)び笑ひけり。はやうまめやかなる物を、下の袋へひねり入りて、続飯(そくひ=糊)にて毛を取り付けて、さりげなく人を謀りて、物を乞んとしたりけるなり。狂惑の法師にてありける。
 
 
〔21〕
 
 京極の源大納言雅俊といふ人おはしけり。仏事をせられけるに、仏前にて僧に鐘を打たせて一生不犯なるを選びて講を行はれけるに、ある僧の礼盤にのぼりて、少し顔気色、違ひたるやうになりて、撞木を取りて振り回して、打ちもやらでしばしばかりありければ、大納言、「いかに」と思はれけるほどに、(僧は)やゝ久しく物も言はでありければ、人ども覚束なく思ひけるほどに、この僧、わなゝきたる声にて、「皮つるみはいかゞさぶらふべき」と言ひたるに、諸人、頤(おとがひ)をはなちて笑ひたるに、一人の侍ありて、「皮つるみはいくつばかりにてさぶらひしぞ」と問ひたるに、この僧、首をひねりて、「きと昨夜(よべ)もしてさぶらひき」と言ふに、大方、どよみあへり。そのまぎれに(僧は)はやう逃げにけるとぞ。
 
 
〔22〕
 
 いづれの年にかありけん、五月雨降り続き、世の中いとしめやかなるころ、友がき集まり、酒飲み、賭け物などして日を送りけるに、ひと日台盤所に侍ども多く集ひて、何か珍しきこと聞きいづるまゝに語りちらしてのゝしり、ひゝろぎうち語らふ(=ぺちゃくちゃ喋る)ほどに、後々は狼藉なることにてありける(=大騒ぎになった)。とりわき可笑しかりしは、秦郡臣(はたのあきのぶ)が言ふやう、
「いと珍しきことこそ侍れ。浮きたることならねば、必ずいなび隠し給ふなよ。そこにませる兵衛尉殿こそは、いみじきもの持ち給へるよ。かゝる折りこそありがたけれ。常々見参らせたくこそありしかど、さるつてもなくて空しく過ぐせしことの本意なさよ(=摩羅を見る機会がなく、いたずらに過ごして残念無念)。今日ぞ取り出し給ひて、人々にも吾が仏、拝ませ給へ」
 と切(せち)に言へば、さのみ悪(わろ)びれたる気色もなくて、
「かほどまで切にのたまはんこといなび申さんも浅ましかるべし。なめげとなおぼせそ(=無礼だとは思わんで下さい)」
 とて、引きまくりて、つと差し出しつ。聞くはものかは、近優(ちかまさ)りのせられて(=間近にあるのだから)、いかめしなんど言ふばかりなし。怒(いか)れる様は冑をも貫きつべし。肉、ふくらかにして、すゞ(=鈴口〜カリ)太く、頭(つぶり)のなりは削りなせるが如くなれば、誠に女にて見たらましかばいかゞはあらんと、人々、愛で覆りあへる(=驚嘆しあう)中に、大番(=宮廷の警護役)にのぼりたりけるさかしら男(=でしゃばり野郎)のありけるが、人、押し分けて差し出て、つく%\打ち守りて言ひ出でけるは、
「あっぱれ、いみじき御珍宝かな。かゝる相好(さうがう=形)の具し揃ひたるものこそ、京都にも田舎にもありがたうこそはさぶらはんずれ。されども、申すべいには、玉のひゞれ(=玉のきず)とやらんにて、ひとつの難のさぶらふよ。御色のだみ白けてさぶらふこそは、いとほしきことにてはあるべいことかな」
 と、痛々しく言ひだしければ、右兵衛尉、袖掻き合はせて会釈(ゑさく)して、
「されば候。そこののたまひし如く、色の思ふまゝにあらましかば、上様の御物にこそあらうべき。いかでかやつがれが物とは領(れう)しさぶらはん」
 と呻き出しければ、一座、どよみ覆りて、そのころの言ひ草にてぞありけるとなん。
 
 
〔23〕
 
 いづれのころにや、色好みの盲者(めしひ)ありけり。その名、忘れぬ。友なる人、入り来て言へらく、
「宿願のことありて、今日なんとみに竹生島(ちくぶしま=琵琶湖北部の島)の弁財天(べざいてん)に詣でんと思ひ立ち侍る。いざ給へ。ともにこそはまからめ」
 と誘(いざな)へば、
「それ、よきことに侍り。おのれ、多くの神に仏に敬(いやま)ひ申す中にも、わきてこの御神なん女躰にてわたらせ給ふと承れば、ことに頭(かうべ)を傾(かたぶ)け参らせでやはあるべき」
 とて、物の具、取りしたゝめて、とく旅立てけり。
 さて、参りて、幣(ぬさ)奉りなんどして、下向にはそこら逍遥をもせばやとて、海津(かいづ=琵琶湖北岸)のわたりなる宿につきて、遊び(=遊女)など招きて、酒飲み、もの取り食ひて遊びものし、酔ひ進みければ、心/\に打ち臥いてけり。
 この盲者の男(をのこ)は、常必ず日ごとに陀羅尼詠むべき宿願のありけるを思ひ出して、やをら起き出て、出居(でゐ=応接間)の傍らなるところへ行きて、陀羅尼、高々と詠み高じたるほどに、後ろの方にそよらと物の音なひしけるが、何かは知らず誦しながら片耳に聞けば、人、ふたりして私言(さゝやく)声なりけり。男の声して、
「この盲法師は、陀羅尼詠み入りたれば、何かは知らん。人並みに目あらばこそあらめ(=気づくものか、目が見えるのならともかく)」
 と言へば、女、引き入れ声(=かすかな声)して、「さもあらじ。知りてん。あな恐ろし」と言ふなるべし。
 さても隠せしが、物の音、ひし/\として、息、荒らかに、猪の物漁るさまも聞きなすほどに、物に襲はれ魂消る(たまぎる=びっくりする)さまにて、「あなや」といふ声の突き通りて聞えければ、今はえあらで、数珠(ずゝ)かなぐり、ふて声放ち、息巻きて、
「あら、口惜し/\。阿伽陀(あかだ=万病に効く霊薬)のみ参らする神や仏はいまさぬか。わいてこの妙音天(=弁財天)は女躰にておはしますからに、御身を摘みてもさることの御慮(おもひはかり)りはあるべきものを、かくまで遠き境(さかひ)まで、からき苦しみして歩みを運び、祈(ね)ぎ参らするも、かう浮きこと見じ、聞かじとてこそすれ、死なばさてあらんずれ、なまじひに生きめぐらひて、かくえらき目、見せ給ふこそは、命めされんよりは、はるかに劣れり。よし、今は神も仏もなき世なりけり」
 と身を震はし、わなゝき出しけるほどに、男も女も身の毛よだちて、こそ/\と逃げ失せけるとなん。可笑しく恐ろしかりけるこの祈念者(きねんざ)にてはありける。
 
 
〔24〕
 
 年ごとに筑紫の方へ下る商人ありけり。いつのころにかありけん、風待ちするとて、神崎(かんざき=尼崎の北東)に泊まりけるほどに、知れる遊び(=遊女)のありけるを呼びて迎へてけり。「日和悪(あし)く、余波(なごろ=波)なほ高し」なんど言ひつゝ、いいとつれ%\に日を送りける。頃は水無月の末つ方にて、暑さ、いと耐へ難かりければ、二人、寄り臥して物語なんどしけるに、この遊び、きはめて寝穢かりければ、いつのほどにか、うち応(いら)ふこともせで、すや/\と寝入りぬ。
 さて、日も陰ろひ夕べになれども、さらに起きも上がらで、手足、なへ/\とうち伸べて臥いたり。男、あまりのことに興ざめて、「こは『片岡山に臥する旅人かな』」とつぶやきて、呼び起こし、引き動かせども、高いびき、ごほ/\としてふつに動かず。果てには憎くなりて、そこにありける干梅といふもの、ひとつ取りて、やをらつびの中へ押し入れつ。なほも覚えぬさまなりければ、つれなさ(=知らん顔)つくりて居けるほどに、思ふさまにや寝(い)ねたりけん、伸びうちして起き上がりぬ。
 先のことや悟りけん、かの干梅を摘まみ取りいでゝ恨みけるは、
「よくも/\怨めしき恥、見せ給へるこの梅かな。いかなる敵(かたき)としてか、それ、かたふせんとて(=敵討ちをしようと)、かくは計らひ給へる」
 と言ふを、男は、
「ゆめ知らぬことなり。何ごとありてか、さは恨み聞え給へる。その干梅は何の料ぞ。いかなることたがせし、それ、受け賜(たう)ばらん」
 と空とぼけて言へば、いよ/\憤(むつが)り腹立ちて、声、震はし、涙、ほろ/\とこぼして、
「この梅は誰かはせん」
「あなかま(=ああ、うるさい)、さ抗(あらが)ひ給ふな」
 と言ひのぼれるを、家のあるじの男、聞きつけ、出て来て、
「こは何の挑みし給ふ。男、女の中の抗ひは、狗(えぬ)まろだに得食(は)まぬ(=犬も喰わない)と申すものを、何かやめ給ひてんかし。酒(みき)きこしめせ」
 と盃、取りいづれば、女、なほもやまで、
「返す%\この梅こそ恥見せ給へるものを」
 とて、繰り返し/\同じこと恨み言ふに、あるじの男、
「それは何でふの梅にてさぶらふぞ。そも/\ことの起り、聞かせ給へ。おのれ、ことわり侍らん(=私が判断しましょう)」
 と言へど、女、さすがにしか%\なんども得言ひやらで、たゞ、
「そこのからき恥、見せ給ひしはこの干梅にてぞある」
 と手に捧げて憤るを、あるじの男は物の意(こゝろ)得ざれば(=理由がわからないので)、
「あな、むづかしの御口舌(くぜち)や。所詮(そせん)、この梅こそ。こと起せし罪人なるべし。それ賜(たう)ばりてん」と、つと寄りて奪(ば)ひ取り、つとうち含みて、わり/\と噛み砕きて、酒杯(さかづき)つと乾して、「今は心安くておはしませよ。失せずは恐き御敵(かたき)たるべきを、おのれ、平夷(むけ=平定)参らせしぞかし。その勲功(いさをし)には物多く賜るべし。御酒(みき)きこしめし、和睦(にこ/\)しき御交じらひこそあるべけれ」
 と、なでうことなきを(=何でもないことを)誇りかにうち振る舞ひければ、はじめの怨めしさも可笑しさもこと冷めて、あざみ笑ひて、酒杯は取りけるとなん。三人の心のうち、とり%\に、いかに可笑しかりけん。
 
 
〔25〕
 
 今は昔、伊勢の国に布瑠河の常滑(ふるかはのとこなめ)といふ受領ありけり。財宝(たから)いと多く蓄へて、富栄へけるまゝに、盗人どもは常に心かけて窺(うかゞ)ひけり。あるとき、そこなる樋洗(ひすまし)の女、襪(したうづ)失ひてければ、局に入りてそこら訊ね求むるに、燈の消えてければ、すべて得知れざりけり。壺屋(=物置)の方まで手まさぐりにあさるに、ふと、物にとり当たれり。よくさぐりて見れば、襪うがちたる足なり。つきて探り上りて見れば、毛のむく/\と生えて、鬼とおぼゆるいかき足なり。打ち驚きて、
「くは訊ねる襪には魑魅(すだま)の入れるは。あな恐ろし。燭、持て来(こ)」
 と叫びければ、しや、変化(へんぐゑ)の物こそあれ、と手々(てんで)に松(=松明)ともし、ひしめきけるに、はやいづちか失(う)せてんげり。後にこのことを訊ねれば、人目なきほどに壺屋の中へ盗人の入り居たりけるを、まさぐり当てられて、ひきかなぐりて迯(に)げ失せしなり。されば、そこら盗み置きけるものも、この騒ぎに皆、打ち忘れて崩(く)えほゝふらかしおきけり(=ほっぽらかしていった)。
 このことのいと可笑しかりけるを、京の便りに、
「しか%\のことなん侍りし。未練の盗人にて、空手(むなで)して罷(まか)り出にけるものを」
 とて、奥に、
    住吉の岸ならなくに白波の
        引き残しける忘れ草かな
 と言ひやりければ、山蔭の大納言の返しには、懐かしさのことなど書きて、果てのほどに、
「受け給はる(=承るに)、蔵を装ふは(=蔵を作ると)盗人招くとやらん。さる方にては参りこんものを、局町(=遊里)に寄る白波こどは、さる宝のほしきにはあらざるべし。宿も定めぬ海人(あま)の子らが、貝つ物いさりするとての仕業にやあらん。さる貝こそは千尋(ちひろ)の浜に拾ひものして、都のつと(=土産)にはさせ給へかし」
 とて、海の色したる薄様(=紙)にかくなん、
    伊勢の海や寄る白波の潮間(しほかひ)に
        拾ひし貝の名こそゆかしき
 となんありける。互いにやさしく(=優美に)こそは聞ゆれ。
 
 
〔26〕
 
 山崎宝寺の某の坊のもとへ、京の旦越(だんをち=檀越〜檀家)の方より物やるとて、童子(わらは)して持ておこせたり。その返辞(かへしごと)するほど(=返辞を書くあいだ)、「そこに居よ」とて、文、書きながら片目に見やれば、十三、四ばかりのほどにて、まだ繊弱(きびは=幼く、か弱い)なるが、褄外れ(つまはづれ=身のこなし)いと清げなれば、「あはれ、よきものかな。これ、布施物には賜らんものを(=童子をお布施にいただいちゃおうか)」と思ひて、返し文、果てて(=書き終えて)、「こちにこれ、わたいてん」と寄り来るを引き捕へ、押し臥せて、物をも言はで、ひた/\と突き入るゝに、思はずのことなれば、とかく否むべきひまもあらで、念じて思ふまゝにさせぬ。
 さて、抜き出だすをば待たで、つと走り行きて、金椀(かなまり)にありける水をつと打ち飲みて言ふやう、「もし、この水の漏るほどならば、わ御坊、やはか、のどかにてはおきまいらすまじきものを(=坊主め、いかにただじゃすまないぞ)」と言ひける。童の意(こゝろ)には、さ思ひけんも、いと可笑しくこそ。
 
 
〔27〕
 
 東国(あづま)のことなり。三月のほど桜盛りなる頃に、花御堂(はなみだう)といふ神祭(かんまつり)することあり。これは花もて伊弉冉(いざなみ)の尊(みこと)を祭りますなるべし。このときは人多く集まりつどひて、七日がほど夜日よもいはず、笛、鼓、打ちはやして舞ひ遊ぶに、その限の間はあるまじき戯(ざ)れなめげなることあるをも、たゞし咎むることはあるまじきおきてとかや。
 さるに、そのあたりの郷(がう)によき娘持たる徳者(とくさ)のありけるが、その女(むすめ)にとかくいふ人ありけりども、父、母、思ひ上がりてうけひかざりければ(=承諾しないので)憎きことに思ひて、いかでかなどうせん(=どうにかしてくれよう)と計る者多かりければ、ある夕暮れに浅黄の水干に引入烏帽子着たる男来たりて、「ぬしに物申さん」と言ひ入りければ、出居なるところへ引き入れて、あるじ、対面(たいめ)しければ、男が言ふやう、
「守(かう=国府の長官)の殿の子息の君の仰せごとさぶらふを、言ひ知らせ参らすべきとて、かくは参りてさぶらふ。こゝにかしづき給ふ正身(さうじみ=当人〜娘のこと)のこと、きこし召して、明日の夜なん入りおはさんとするなり。その心し給へかし。ご消息さぶらふ」
 とて、高檀紙に書きたる文、取り出でつ。あるじ、こは怪しからぬことかな(=とんでもないことだ)とは思へど、いかゞはせんとて、やがて御返辞(かへりごと)促し書かせて、使ひには引き出し物してけり。
 さて、そこら設(しつら)ひてとかくするほどに、暮れ過ぐる頃にや、「婿の君、おはしぬ」と言ふ。従者(ずさ)いと多くてきらめきたり。賓客舎(まろどや)に請じ迎へて、あるじはせめぐりて、酒、肴、取り出で、強ひ飲ます。酔ひ進むほどに、婿の君は閨に入りぬ。従者どもは過ぎて無礼(なめ)げに押し振る舞ひて、女どもを引き捕へてくえほゝふらかし(=投げ飛ばし)、あるは掻き抱きて寝るもあり。否み防ぐを無理ごとし、あるは掻きおひて出いぬるもあり(=投げられて外に飛び出る者もいる)。物打ち壊し、調度踏みにじり、障子屏風にはえもいはぬもの書き散らしなんど、言はん方なき無礼講なり。
 これを制する者をばやがて打ち叩き苛みれば、果てはいさかひ起してどよみければ、あるじ、立ち出で、「こは狼藉の振る舞ひかな。婿の耳にも聞こしめさんものを」とて、をじ/\して言へど、耳にも聞き入れず、なほいさかひ罵れば、制しかねて、「いで、訴(うた)へ申さん」とて閨の元に寄り来て、「婿の君に見参(げさん)申さん」と言ひければ、出で来てえせ笑ひして(=せせら笑いして)言ふやう、
「痴(をこ)の物言ひする翁かな(=馬鹿げたことを言う爺さんだ)。おのれは督(かみ=守)にも仏にもあらず。花御堂する者どもなり。ぬしの常に人をば人とも思はでおとしめ給ふが腹立たしさに、そが(=その)報いせんとて参りしなり。服は借り物なり。また、かくわずらはし参らせんことは、重ねてこそその畏り(かしこまり=お礼)は申さめ。それ%\物取りてよ(=みんな、準備しな)」
 とて、鼓、どん拍子(どんびやうし=シンバル状の打楽器)、打ちはらゝかし、笛、吹きがてらし、婿の男も従者どもゝ、拍子取り歌ひ、連れ舞ひ奏でゝ出でにけり。目もあやなり(=立派だった)。
 
 
〔28〕
 
 文の蔵人実高(さねたか)が家に、人、多く集ひて酒飲み、遊びけるに、酔ひのまぎれに勢(まら=摩羅)にて紙障子突き破ることしてけり。あるじ実高が次(ついで)にあたりて、すでに事に臨みける折りしも、祖父(おほぢ)の入道、すべきことありて、こゝに歩み来にけるを見て、外なる人々はこそ/\と迯(に)げ隠れてけるを、さありとは夢(いめ)にも知らで、紙障子をふつと突き破りてつと差し出して、「いかに出にたりや」ち言ひけり。入道、きと(=はっと)見て、なまにぶしの声(=だみ声)して、「あわれ、出は出たれども、物に狂う痴(をこ)の殿ばらかな」とつぶやきけるを、その声(=爺さんの声だ)と聞きなしければ、さばかり怒れる物のふら/\となりけるを、かい振って迯げたるとなん。後ろでに(=後ろ姿の)いかに可笑しかりけん。
 
 
〔29〕
 
 花園大将は痴(をこ)の御癖にて男色(いろ)を好ませ給ひけるが、大童子をことにおぼしめけり。御牛飼ひ童に阿字丸(あじまろ)といへるありけり。さしてもなき物なりけるが、いかでか御心に叶ひにけん、いかでがなめしてん(=どうにかして物にしたい)とおぼしけれども、さる御身にて牛飼ひ童、召さるべうもあらざりければ、いかで/\と思ほせども、むなしく過ぐさせひけり。
 いつのころにか、踏哥(たうか=踏歌〜歌いながらのタップダンス)のまゐりける夜、ふけてまかんでさせ給ひけるが、この童の参りたりければ、今宵こそいかにしても本意(ほい)果たいてんと思ひ巡らさせ給ひて、陽明門のほどにて、「御車とゞめよ、おぼすべきことあり」とて、随身雅亮(まさすけ)、召してのたまひけるは、
「こゝより忍びて五条わたりにまからんと思ほすなり。先なんど追ひてはいとこと%\しい(先払いなんぞしては大げさだ)。こゝもとより皆帰るべし。さて、汝はとくそこにまかりて、かくなんと消息せよ(=こうなったことを伝えよ)」
 と言ひ教へ給ひて、さてかの阿字丸召して、「こち来(こ)」とて、廻立殿の傍らの人なき方にて、とかく言はさせず引き伏せてまかせ給ひにけり(=やっちゃった)。
 そこなる外衛(とのゑ)守(も)る衛士どもの中に、人の音なひするを「盗人なんどの窺ひ寄れるにや」と思ひ怪しみて、調度かきおひ、弓に箭(せん=矢)取り持ち、松明ともして連れて出できしほどに、ことゝく終(しま)ひ給ひて、さりげなきさまして、「御車とくやれ」とのたまひて、飛ぶがごとく五条わたりへおはしけるとなん。
 かほど物騒の間(ま)にも、心とく本意遂げさせ給ひけること、何につけてもかしこかりける御心かな、と言ひ合へるとなん。
 
 
〔30〕
 
 ある山寺の法師、世に落ちぶれて、ある女を語らひて(懇ろになって)相住みしけるほどに、この僧、病に臥して月日を経にけるに、この妻、懇ろに看病なんどし、よろづ細やかに看扱ひければ、かしこくて相語らひける。弟子なんどの(=弟子などは)、これほどに志あることは有難かるべし(=滅多にない)、心安くも臨終してんず、と思ひけるほどに、病日数重りて、すでに心弱く覚えければ、もとより道心ありて念仏の精進なんどしける者にて、最後と覚えければ端座合掌して、西方に向きて高声(こうじやう)念仏しけるを、この妻、「我を捨てゝいづくへおはするぞ、あら悲しや」とて、首に抱きつきて(法師を)引き伏せけり。「あな口惜しや、心安く臨終させよ」とて起き上がりて念仏すれば、また引き伏せ/\しけり。
 声を挙げて念仏しけるが、果てには妻、この僧を仰け(のけ=仰向け)に引き伏せて、おのれ上にうち跨がり、股を引き開けて摩羅を探り出し、おのが手して強ひて差し込み、上よりもとかく動かしければ、死に臨める僧もさすがに心動きけるを名残りにてつひに息絶へにけり。これ、またく(=まったく)魔障のいたすところなり。まことしく菩提心もあり、往生の志にあらんにつけては、必ず魔障あるべしと見たり。
 
 
〔31〕
 
 越前の国の山里にさだといへる者ありけり。もとは都の方にて奉公給仕をもせし者なりけるが、博奕(ばくやう)をのみ好みければ、それにつけて悪(わろ)き者、徒党せしことなんどありて、禁獄などせられしが、赦(しや)にあひて不思議に許されてければ、都の佇まいも所狭(ところせば)くてこゝにくるほどに、ある宮ばらに物言ひける女房を誘ひ出して、率(ゐ)てきて、年ごろ、こゝにはあるなりけり。
 今もなほそこら近き博奕(ばくち)どもと交はり結び、遠き境までも日を経てし歩(あり)きけるが、加賀の国へ行きけるほどの間に、その女、物洗はひするとて門に立ちたりけるに、邂逅(たまさか)に昔、京にて物言ひし男と会ひてけり。この男は陸奥(みちのく)の方へ商物(あきもの)せんとて、交易(きゃうやく)の物なんどいと多く馬にも負ふせ、従者(ずさ)なんどいと多く下れるが、この山を越ゆれば近き道あるとて、こゝにはかゝりしなり。
 この女、こゝにあることをいぶかりて、
「いかでかゝる人気もなきところにはあるぞ」
 と言へば、
「さることに侍り。人に惑はされてこゝには侍るなり。人(=博打打ちの男)は遠きところへ行きたれば、とみに帰りくべきにもあらず。今宵はこゝに留まり給ひねかし」
 と言へば、よきことゝ思ひて、ともに行きて留まりぬ。さて、女が言へらく、
「こゝは常に人里遠きところなれば、まゐらす(=もてなす)べき物もしか%\侍らず。いかゞはせん」
 と言ふを、
「さることをゆめ侘しとな思ひ給ひそ」
 とて、従者に持たせる片田鮒の(笹の葉で巻いた)新巻なんど取り出して、包み焼きに調ぜさせ、酒、取り出だして酌み交はし、久しき途絶えのほどのことなんど言ひ、互ひに酔ひ過ぎければ、掻き抱きて寝にけり(=同衾した)。
 朝(あした)に起きて「今日もなほ留まり給へ」と言ひけるを、「さ留まりたくは思ひ侍れど、急ぎ下る道なれば力なし。帰りにはいつのころか必ずまたこそ参らめ」など言ひ契りて、とかくこしらへて立ち出でぬ。
 さて、その日の暮るゝほどに、思はずもぬしの男、立ち帰りぬ。胸打ち騒げど押し沈めて、「ようこそ帰り給ひし。待ち侘びし」なんど言ひゐたり。その夜、例のごと、互(かたみ)に手枕(たまくら)まきて、こと企て、口かいねぶりなんどせしが、にはかに気色変へて、つと立ちて、女が髪、しとゞ手に絡巻(からま)いて、
「こやつ、おのれがなき暇、窺ひて、密事(みそかごと)してけり。口の魚(いを)臭きことこそは心得ね。このあたり、すべて魚といふものなきところなり。また女の里までは容易(たはやす)く行き交ふべき路かは。これは常に京の男の文、通はすなるがあると告げつる人のありしが、さもあるまじと思ひしおこたりに(=それはあるまいと思っていた不注意の間に)、賢う謀られてけり。その男、今日必ずこゝに尋ね来て、さが悪戯事(いたづらごと)せしなるべし。あな憎(にく)、いかにせば心行かんずらん(=どうしたら気が晴れようか)。さるにても、その文こそあるべけれ。それ出せ」
 と、さいなみければ、女、言ふべき言の葉もなかりけれど、(女は)さるほどの悪戯する恐ろしき心の者なりければ、
「こは思ひも寄らぬことのたまふものかな。このほど、京の方より僅(はつ)かなる便りつけて文、起し侍るが、干し魚(ほしいを)のありしをてうぶく(=調理し服する)せしかば、それにてこそあらめ。文もたまさかに同胞(はらから)なんどの問ひ起するのみこそはあれ、いかでさる仇なる(あだなる=恨みになる)二重(ふたへ)心は使ふものか」
 と禍々(まが/\)しく言ひなしければ、「さ言ふともその文ども見しかば、顕証(けしやう=はっきりする)なるべし」とて、文、探し出しけるが、おのれは物得書かず読まざりけるまゝに、前妻(もとづま)の子息(しそこ)ありけるが、近きわたりの山寺の稚児にてありけるを呼び寄せて、継母の前にてその文、読ませければ、女、色を失ひて、気も心に添はぬさまなりけるを、この継子(まゝこ)の童形(ちご)、心ある(=機転が利く)者にて、たゞ世の常の文のやうにやはらげて、あまたの文を読みてければ、「さては、さやありけん」と許してけり。
 後にこの継母、あまりの嬉しく覚えて、いたいけたる物(=小さく可愛い物〜おもちゃの類)取り具して、稚児がもとへやるとて、かく言ひける、
    信濃なる木曽路にかゝる丸木橋(まろきはし)
        ふみ(踏み、文)見しときは危うかりしか
 稚児の返し、
    信濃なるそのはら(原、腹)にしも宿らねど
        みな箒木(はゝきゞ)と思ふばかりぞ
 となん言ひ起しける。これは「一切善男子皆我父(いつさいぜんなんしかいがふ)、一切善女人皆我母(いつさいぜんによにんかいがも)」といへる経の意(こゝろ)に適ひて、賢き心なりけり。
 
 
〔32〕
 
 ある男、日暮れて後、朱雀の大路を通りけるに、えも言はぬ美しき女、一人遭ひたりける。男、寄りて語らふに、もてはなれたる(=遠ざける)気色もなし。いみじく近優りして(=いっそう近寄って)、いかにも見逃すべくも覚えざりければ、さま%\に語らひ契りて交通(まくばひ=まぐわい)をなさんとすれば、女の曰く、
「かほどになりぬれば、打ち解け奉らんことは易けれども、もしさもあらば、必ず死に給ふべきなり」と言ひて聞かず。男、堪へ忍ぶべくも覚えずして、なほあながちに言へば、女、せん方なく覚えて、「かくまで懇ろに仰せらるゝことなれば否みがたし。さらば我が御命にこそ代はりて弔(とぶら)ひ給ふべし」
 と言ひて打ち解けたれば、男、さしものことはあらじとや思ひけん、早く本意を遂げてけり。夜もすがら語らひ慰(なぐさ)ぶに、思はしきこと限りなし(=ますます気に入った)。さて、夜も明け方になりければ、女、起き、別れんとて、男の扇を乞ひて言ふやう、
「我が申しつること、偽りにあらず。御身に代はりぬるなし。そのしるしを見んと思(おぼ)さば、武徳殿(ぶとこでん)のほとりを見給ふべし」
 と言ひて別れぬ。男、朝(あした)に武徳殿のほとりに行きて見れば、一つの扇を面(おもて)に覆ひて死にて臥したり。男、あはれに悲しきこと限りなし。七日ごとに法華経一部、書きて供養して弔ひけり。七々日にあたる夜の夢に、この女、天女に囲繞(ゐねう)せられて語りて曰く、「我、一条の力によりて今、とう利天(=須弥山の頂上)に生まるゝなり」と告げて去りにけるとなん。
 
 
〔33〕
 
 源大納言定房(さだふさ)といひける人のもとに小藤太といふ侍(さぶらひ)ありけり。それが一人娘に、ある者を許嫁(いひなづけ)て聟と定めたり。(娘は)いまだ奉公の身なれども、夜は局に帰りて寝にけり。この聟も夜ごとに通ひけり。あるとき、暁より雨降りて、え帰らで局に忍びて臥したりけり。女は上にのぼりて宮仕へしけり。この聟の君は屏風を立て廻して寝たりけり。
 春雨、いつとなく降りて帰るべきやうもなくありけるに、舅の小藤太、この聟の君、つれ%\におはすらんとて(=退屈しているだろうと)、肴を折敷(をしき)に据ゑて持ち、いま片手には提(ひさげ)に酒を入れて、縁より入らんは人、見つべしと思ひて、奥の方よりさりげなくもて行くに、この聟の君は衣(きぬ)を目の上まで引きかづきて、のけざま(=仰向け)に臥したりけり。この女、とくおりよかし(=女が早く帰ってくりゃあいいのに)とつれ%\に思ひ臥しけるほどに、奥の方より遣り戸をいと静かに開けゝれば、疑ひなくこの女の上よりおり来るぞと思ひて、衣をば顔にかづきながら、かのものを掻き出して、腹を反らしてひこら/\と起しゐけるを、小藤太、見るより脅えて、肴も打ち散らし、酒もさながら打ちこぼして、大髭を反らしてのけざまに倒(たふ)れにけり。頭(かしら)をあらく打ちて、まくれ入りて臥せりけるとかや。いとはやりか(=軽率)なる聟がねかな。
 
 
〔34〕
 
 土佐の判官代道清といふ者ありけり。源氏、狭衣、たて抜きに覚え、歌詠み、連歌を好みて、花のもと、月の前、好き歩き(すきありき=風流を求めて歩き回り)けり。ことに色好みにて、しかるべき宮ばらの女房、知らぬなくたゝずみ歩きけり。東山のある宮ばらの女房に言ひかゝりて、文、しきりにやり、我が身もたび/\行きけれども、いとはしたなくもてなして、「御前に暇(いとま)の塞(ふた)がりて(=暇がなくって)」なんど言ひてうち過ごしけり。
 八月中の十日ほどに行きて尋ぬるに、萩の唐衣(からぎぬ)にや、青みたる物、着たる女の童(めのわらは)の差し寄りて、
「申せと仰せさぶらふは(=言い寄っている女房が伝えよと言うところでは)、かくたび/\もの仰せ候へども、自らとかく申さぬこと(=こちらから返事がないことを)、心得ず思はせ給ふらん(=いぶかしく思っているでしょう)。世の常は暇なく過ぐし、またこのごろは御前に立ち去りがたきことの侍り。御風の気のわづらはしきほどにて、御焼石(=温石)なんどまゐらすとて、暇(ひま)なくさぶらふぞ」
 と言はせければ、道清聞きて、
「まことにかゝる折節、御言葉を返すは心なきやうに侍れども、立ちながら見(まみ)えまゐらせて(=立ちながらでもお会いして)帰りなん」
 と言ひやりければ、童行きて、やゝ久しく帰らねば、いかでかくはあると、車宿の隠れに立ちてわづらひて待つほどに、先の童、出できたり。「いづくにおはします」といふ声に、何となく胸うち騒ぎて、「こゝにある」と言へば、童、少し笑みたる声して、
「申せと候は、かく心の外に暇なきことのみさぶらへば、これもしかるべきことゝは覚えさぶらねども、たび/\になりぬるに申さねば、たゞうちあるやうに(=うっちゃっておいているように)思はせ給はんと、よに侘しく候へば、今夜、立ちながら見(まみ)えまゐらせん」
 と言ふに、胸うち騒ぎ、声震ひて、「いづくに参るべきぞ」と言ふことも舌もじれてわけなし。
「御堂の方へこそ、と仰せられつれ」
 と言へば、日頃のつらさも皆忘れられて、まことに嬉しく覚えて、南の山際の木蔭に添ふて、童の行くに従ひて入れば、遣り水、心細く音なひたり。萩、女郎花の風になびきて、松虫の声、ところ%\聞ゆるを分け入るほどに、何となく心細くてあはれなり。御堂のさまは麗しきとも見えず、西の方に廊下の広庇あり。堂のうちに忍びやかに、「我心自空罪福主」とぞ言ふめる。内に御明かし(=堂の内に灯明を)ともして、格子の上をひとま開けたるより見れば、小さき普賢菩薩(ぼさち)、雲に乗りて柱に添ひ給へり。御前に僧一人脇息に寄り居たり。そが誦しけるよ(=この僧が誦してるんだな)と見て過ぐるほどに、二間(ふたま)、三間ばかりのきて御簾の少し絶え間あり。「それに」と言へば、その脇に立ち忍びたるに、奥よりいたく慎(つゝ)みたる気色もあらで、畳をそよ/\と踏みて人来(く)なり。
 何となく胸騒ぎせらるゝに、「いづらぞ」と言ふ声、華やかにほがらかなり。これを聞くに思はずも、かやうなることは慎みて忍びたる習ひなるを、かくあなるこそいかにぞやと胸つぶれて(=ひっそりとやるものなのに、開けっぴろげなのはどうしたことかと驚いて)、妻戸の脇より「こゝに」と言へば、「こち入り給へ」と言ふ。やをら入りて見れば、翠簾の絶え間より月の光くまなくさし入りたるに、いと慎みたるさまもせず、女房は寄り来て膝をつきてついゐて、
「御前のおほん風邪の気の日ごろよりもこの二、三日はことにむづかしくておはしませば、局へだにも立ち入ることなくさぶらへども、かくたび/\になりたるを、情けなきかたにや思はせ給ふらんと思ひやるも心憂く、立ちながらと思ひて参りつる」
 と言ひ放つるや、袴の腰を解く。こはいかにやと呆れて見るに、袴を押しやりて、そばにゐ寄りて、ことのほかに馴れ顔にて、「すは」とて隠れなく引き開けたり。
 道清、ものもおぼえず、うち任せては男のすゝむ習ひにてあるに(=男の方が能動的なのに)、かやうなればいかにすべしとも覚えず、さりとてはと思ひて装束を抜け出たりけれど(=思い直して装束を脱いだが)、いみじく臆したりけるにや、はか%\振る舞いも得せず、させることもなくてやみぬ(=ふにゃあと意気消チン)。
 女房、「あな、難しや」と言ひて袴を打ち着て、奥の方へ入りて、中の障子引き立てゝ、掛け金打ち掛け、またいふこともなかりけり。
 道清、もしやと待つけれども、夜はたゞさらに更けぬれば、かくてあるべきやうもなく、装束を抱きて逃げ出しにけり。うしろ恥づかはしく、浅ましとも愚かなり。ところの気色にも似ざりつる女房の振る舞いもさることにて、また色好みだつるほどの男の有り様ともおぼえず、いと不覚なりけらし。
 
 
〔35〕
 
 あるやんごとなき人の御許に、なま女房(=若い女官)ありけり。常に入り来る僧に、「仮名暦、書きてたべ」とあつらへければ、「やすきこと」と言ひて書きたりけるが、はじめのほどは麗しく、「神仏によし、物断ちによし、坎日(かんにち=諸事凶で外出を忌む日)、凶会日(くゑにち=万事凶の日)」なんど書きたりけるが、やう/\末ざまになりて、難しく覚えけるにや(=面倒臭くなったのだろう)、あるは「物喰はぬ日」なんど書き、また「腹膨るゝばかりに喰ふ日」なんども書きけり。この女房、興がる暦かなとは思へども、かうこそあらめと思ひて、そのまゝに違へず守りけり。
 またある日取り出して見れば、「筥(=糞)すべからず」と書きたり。いかにとは思へど、さこそあらめと念じて過ごすほどに、長凶会日のやうに「筥すべからず/\」と続けて書きたれば、二日三日までは念じて(=我慢して)ゐけるが、おほかた堪へるべきやうもなかりければ、左右の手して尻抱へて、「いかにせん/\」とよぢりすぢりするほどに、ものもおぼえず色、真青(まさを)になりてあるとかや。はてはいかになりけん、知らず。
 
 
逸著聞集 巻之上 終


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