長枕褥合戦(ながまくらしとねがっせん)

 天あれば地あり、山あれば海あり、傾城あれば夜鷹あり。地を走る獣、空を飛ぶ禽獣、地の底に住むモグラ、蝶々、トンボにキリギリス、ノミやシラミに至るまで、思い思いの夫婦ごと。ましてや万物の棟梁たる人間のことなれば、万事抜目はなかなかに、五色のほかに仇つぽく、色の浮き世と夕暮れに、誰を待つ乳の山嵐、嵐に散らで心から、我と散りゆく二人連れ、あたら命の恋風に散らすは惜しい抱きついて、引き伸ばしたるこれやこの、まさに命の洗濯草紙、粋な晴れ着と評判の、人に知つたる風来仕立て、花のたもとに脱ぎ替へて、銀鶏ぬしも有頂天、とんだ噂に誘はれて、けっこうめでたき時を得て、そのおかしさを世の人に、告げ参らする論より証拠、まず読みたまへ名作の、情に通じて面白く、五尺のふんどしもいつしかに、ほどけて延と流れる文句、こいつは百匹うっちゃらざあなるまいと、夢中になつて書く者は、色深川扇橋の辺に住める。
 時に万延(1860)申年の皐月、珍芥館の主人寝言なり

上の巻

 物の本に言うように、あんぽんたんの寒ざらしは陰法師の黒焼きのようなものである。「よかのし、よかのし」と歌う昨今の流行歌は朝鮮人の寝言に似ている。ちんぷんかんなことよりは平仮名のほうが心が和らぐものである。とんでもないことが起こっても不思議のない時代のことであった。

 時は正治元年(1199)、鎌倉将軍・右大将の源頼朝卿が死去されたとき、世継ぎの嫡男・頼家卿はまだ小さく、母の政子御前は40歳に満たない若後家であった。その玉門は脂ぎり、美をつくした物好きという評判で、出家はしたもののまだ剃髪せず、鎌倉ならぬ股ぐらの尼将軍という異名もあった。
 その政子御前にお相手願いたいと思う家臣は少なくない。そのような家臣の畠山庄司重忠、梶原平三景時など、そうそうたる大名、小名が鎌倉の星や月の光が差し込む大広間に、男根をいからせながら集まっていた。
 梶原平三が一歩前に進み出た。
「おごる平家は男根ともども西海の泡と消え、先代の将軍・頼朝卿もやりまくって死んだいま、天下の主人となった若後家の政子君に不足しているのは大男根だけである。そこで、守護地頭に命令して諸国の大男根持ちを探し出し、ここに集まってもらった。さっそく通すように」
 
南無南無 「いや、景時の言うことはもっともではあるが、政子君の淫乱ぶりは病気なのだから、まずここは病気を治すのが先ではあるまいか」
 釘を差したのは庄司重忠だった。
 しかし、梶原は聞く耳を持とうとせず、「早くせよ」と催促した。「病気にせよ、スケベ心にせよ、今将軍である政子君の命令なのだから、待たせるのはかえってまずい」
 これに応えて番場忠太が指示すると、へのこ自慢が鼻高々に我こそはと大広間に入ってきた。全員揃ったのを見届けて御簾を上げると、政子御前がうやうやしくも股間をまくりあげ、玉門をひくつかせて現れた。まことに晴れがましい姿である。
 最初に御前に進み出たのは、越前介平川勝という人物。前皮をめくりあげたふりまらは、ひときわ袋角(ふくろづの)が目立っている。それを見て番場忠太が6寸2分と記入した。次に進み出たのは筋が太く、かっと開いたマツケタ。太井三郎頭高(かりだか)と名乗る。その次は住前髪珍宝太郎と名乗ったが男根はわずかに中指二本程度。それからどうしたものか白髪の親爺が進み出たが、そのイチモツは首がくくれた頭鉢で頭が抜群に優れて光っている。
 そのほか、思うようにならないムシロ破りと知られたイチモツ、鼻に覚えのある大山詣りの天狗男根、くわえては引くネズミ男根、入ってこねる金てこ男根。昨日使った男根を今朝見れば百歳の親爺の顔のようだが、これに似ているすりこ木男根、ごたごたが絶えないマナコ男根、天下無双の坊主男根、筆者の師匠・志道軒が持っているのは木男根竹男根石の男根、指でやせてしまったせんずり男根、外で謝る早気男根、尻をうかがうへん男根。さらに湯屋で幅がきく名主の男根、長屋でいばる家主の男根、砥粉のついた砥屋の男根、五色に染まった紺屋の男根、死脈をとる医者の男根、焼香くさい坊主の男根、四角に力む新吾郎男根、女郎が嫌がる座頭の男根など、士農工商打ち揃い、我こそはと思う男根の数々。男根、男根、男根と並んで御用はまだかと待っている。
 梶原平三はせせら笑った。
「日本広しといえど、大男根はないものよ。どれもこれも6寸2分、3分で、7寸を超えるものがひとつもない。その程度の小男根で将軍のボボをいいただこうとは言語道断の不らちな男どもめ。この景時の自慢のへのこを見せてやろう」
 梶原が裾を引きまくると、ヤマタノオロチのきねのように赤みばしって筋が太く、1尺あまりの光ったものが現れた。
「自慢だったこちらの男根より梶原様はすごい。これはたまらない」
 どうだと言わんばかりに見せつけるので、一堂はそうつぶやき、集まった男根は恐れ入って萎縮し、退散してしまった。
「さあ、見よ、皆方々。吟味の上、わが男根が随一であれば、俺は政子御前と枕を交し、60余州の総追捕使だ。おのころ島というこの日本をいまよりへのころ島と改め、鎌倉2代将軍はこの景時に決まったぞ」
 悦に入った梶原が御座の政子めがけて蹴け上がろうとした。
「頼家卿をさしおいて将軍職とは狂気の沙汰。お下がりください」
 庄司重忠が押しとどめたが、梶原は聞こうとしなかった。
「何を。頼家もヘチマもあるものか。論よりは男根が証拠。これから政子君を抱いて寝るうらやましさに妬いているのだろう」
「それはそのほうの心根。重忠は妬いてはござらん。しかし、それはともあれ将軍職とは」
「おお、とめるならとめてみろ」
「本当に抱いて寝るのか」
「決まってらあ」
 と左右に分かれて互いに譲らない忠義と我慢。一座の者が拳を握って見守っていたところに、門のほうから大声が聞こえてきた。「しばらく、しばらく」と叫んでいる。
「このような取込み中のところを歌舞伎の『しばらく』声でとめるのは何奴だ」
 2人が揃って口から出た言葉の向こうからやってきたのは、法衣をまとった大男であった。僧には違いないが髪をまるめていない。そして、何の遠慮もなく中央に突き進み、前をはだけて突きつけたのは、1尺8寸の胴返し。いかめしい面をした黒塗りに、青スジばったイチモツは、赤銅で作った半鐘に蛇が巻きついたようである。
 これはすごいと人々が見ていると、男はゆっくり男根の頭を撫でまわした。
「それがしは下野(栃木)に住む弓削道鏡の子孫、弓削道久という者である。先祖代々譲り受けてきたこの大男根ではあるが、僧のため、いまは夫婦のまぐわいをすることもない。しかし、時の将軍の命令により諸国の大男根を探していると聞き、こうしてやってきたら、梶原公の大男根に皆、負けたという話。さあ、比べてみようではないか。男死んで男根6寸とは人並みのこと。わが男根はその3人分、3×6が1尺8寸、太さも1尺8寸、その力は米俵をカリ首に引っ掛けてぶらつかせ、1寸板を貫くほどだ。処女でも天狗の尻でも蛇のボボでも破ってきた。どうだ、どうだ」
 わがモノに数倍もあるものを振り回されて、梶原は言葉を失い、「ええい、いまいましい」と、しかめつらするばかり。見ると梶原の男根は腎虚もちのそれみたいに、すっかりぐんにゃりと萎縮している。ざまあみろである。
「さて、本日の男根比べは道久が一番であることは誰も異論がないだろう」
 重忠はこれ以上比べるものがないと悟ると、景時を尻目に「では退出しよう」と大広間から出ていってしまった。
 いまに伝わる男根の順位が「一黒二赤」というのは、このときより始まったそうだ。

 京の都に恥ない鎌倉の賑わいは、永遠を祝うような鶴ヶ丘八幡宮、貴賎老若だれしもが参詣に足を運んでいるその中に、品格が優れ、ひときわ目立つ容姿は、庄司重忠の一人娘・初花姫であった。まだ誰の手もついていないのだろう。茶屋で休憩を取っている。
「お姫様。今日のご参詣は八幡様より恋人様が目的。じれったいのも無理はございません。いまは部屋住みの身ですが、頼家様は天下のお世継ぎ。これが堺町であったなら、いまをときめく歌舞伎役者の市川門之介を見るようで、うらやましいかぎりです。私も惚れぬいていますが、どんなに祈っても言い寄ろうとしても聞いてくれはしません。なぜなら、すでにお姫様とぬっくりこってりの仲。憎らしいこと。いかにお仕えしている方であろうと、私の恋を打ち消されたのは、腹が立つやら悲しいやら面目ないやら。ボボの真ん中から炎が出ます」
 下女のおなるはそう言って尻をよじった。
「そなたの顔で誰あろう、よりによって頼家様に惚れたなどということはありますまい。本当にそなたの容貌なら、背はすらりと横に高く、肝心の鼻筋はほっぺたのほうにとおっている男であろう」
 と、別の腰元が言う。笑い声がいっせいにどっと起こった。
 そのとき、おりしも忍び姿の頼家卿が向こうからやってきた。雲間に隠れた月のような顔で笠を深々とかぶっている。お供を連れずにただ一人でやってきた恋の細道である。
「噂をすれば何とやら。そうら、いらっしゃいました」
 腰元衆が騒ぎ立てて茶屋の椅子に招くので、頼家卿は恥ずかしそうにしている。
「昨日の手紙を見てすぐにも飛んできたかったが、人目の壁に阻まれて遅くなったのを許してほしい」
「待つは久しきものにぞありける、と歌にも詠まれています。御前は私のほかにも眺める花があります。日陰の花は咲くのが遅ければ、それを見にいらっしゃるのも遅くなりましょう」
 姫が抱きつきたい胸のうちを抑えて恨みをいうと、腰元連中はもどかしがって、
「お話は後でゆっくりするということにして、鬼の来ぬ間の洗濯。お二人の恋に天の浮き橋茶屋のひと間を締め切りましょう。屏風の閨の壁を誰も外から覗いてはいけませんよ。私たちはこれから二人のご相伴に、指人形でも使うことにしましょう」
 と皆、木蔭に行ってしまった。
 陽は西に傾き、参詣の人通りはすでにとだえていた。その薄暗いころを見はからって梶原平三景時がやってきた。後ろに番場忠太が控え、家来が絵馬を持っている。先では石田次郎為久が一行を待っていた。梶原の悪事の相談相手である。
「これはこれは梶原殿。暮れ時に宮参りですか」
「かねてより示し合わせていた景時が天下をとるという望み。貴殿をはじめとして大名、小名の大方を味方につけ、頼家というガキがいては野望はかなうますまいとの入れ知恵で、頼家を馬鹿者にしたてあげて蟄居させ、これはしてやったりと思っていたら、今度は隠居同然の政子が女だてらに将軍職についた。これは困ったものだと思案していたのだが、知恵は出てくるものだ。この景時の大男根で尼将軍をひいひいいわせ、天下をせしめてやろうと工夫し、いま漢方医の間でもっぱら用いられている『あきやほうふり丸』というボボが広くなる妙薬を調合し、長寿の薬と偽って政子御前に飲ませていたところ、案の定、薬の効き目が出てきて大男根選びの上意が下った。そして、日本中の男根比べの末にそれがしの男根が一番と決まったのだが、そこに弓削道久なる鉢坊主が現れ、その大男根にわが大望はまたかなわぬところとなってしまった。こうなっては神仏に祈るのみとこの鶴ヶ丘八幡宮にやってきたのだ。この絵馬を見られよ。これは唐絵では当代の名人といわれる葛本一渓に描かせた大男根だ。道久の大男根に勝つため、これを奉納して祈願するところだ」
 為久はせせら笑った。
「これは景時殿には似合わない、女の尻を追いかけるような遠回しの計画ですな。神仏に祈願するより、道久の大男根が政子御前を貫いて御前が病気になったことにすれば、道久は本逆男根のそしりは免れません。そしてきやつを引っとらえ男根を切ってしまえば、貴公の男根の天下となりましょうぞ」
 と、聞いて景時はいきりだした。
「ほほほほ。できた、できた。よい知恵だ。さっそく詳しい相談しよう。幸いここに茶屋がある」
 つかつかと茶屋に立ち寄ってみると、中では初めての二人が汗を流し、肝心なことの真最中。痛い、痛いという声はいつしか鼻息となり、ふう、ふうのよがり声になっている。外の3人が耳をそばだてて聞くと「いきます、いきます、もうちょっと上、次は下」という声。たまらずに前をまくりあげ、大人げなくカキはじめれば、多くの家来も一緒になって夢見心地の千ずり、万ずり。そして一度に飛び出た淫水が屏風をばったりと押し倒せば、中の頼家卿ははっとなり、初花姫はびっくり仰天。景時は二人をめざとく見つけた。
「やや。これは頼家の早男根使いめ。秩父の娘と不義の最中とは胸糞悪い。それ家来ども、不義の罪人だ、討ち取れ」
 その命令に、大勢が一度に男根を振って頼家を捕らえようとしたとき、本田次郎近経が韋駄天のように駆け寄ってきた。そして、群がる大勢を取っては投げ、男根の胸打ち隆々発止、守るように二人の前に立ったのだから心地よい。
 梶原はいらだった。
「ええい、呼びもしないところに近経め、頼家の肩を持つとはおのれも逃がしはせぬ」
 梶原が打ちかかると、近経はかんらからと高笑い。
「先生。何を寝ぼけている。そこはヘソだ。おのれらの知恵はヘソより浅いわ。今日の参詣はどこか胡散臭いと後を追ってきたら案の定、悪巧みの数々は木の陰ですべて聞いた。さあ、自慢の大男根を切り取って男根無坊主にしてくれよう」
 近経が二人に切りかかると、梶原と為久の主従はともども「これはかなわぬ」と退散するが、韋駄天の近経は足が速いからどこまでも追いかけていく。
 後に残った頼家卿と姫は深追いは無用と不安気な様子。番場忠太はその背後にまわり込むと、「してやったり」と飛びかかったが、頼家卿はさっと身を翻してよける。番場は勢いあまって石につまずき、池にころころばたんところげ落ちてしまった。ばっと水しぶきが上がった。
 砂を蹴って近経が寄ってきた。
「若君様、この場に長居はケガのもと。姫君と一緒に逃げなさい。悪人どもも館の首尾もこの近経が請け負いました。さあ、早く、早く」
 頼家卿は本懐をとげていない心残りはあったものの、この場はやむをえないと近経の勧めにしたがって逃げていく。
 太刀の歪みを直した近経は、どこからでもかかってこいと目を配った。
「足手まといはなくなった。これで思う存分戦えるぞ」
 むらむらと多くの敵が集まってきたそのとき、池から番場忠太が丸裸ではい上がってきた。
「者ども、今日は何という悪い日だ。ひょんなことで小石につまずき池へずってんところげ落ち、身体はこのとおりの濡れ鼠。自慢の男根は縮みあがり、まるで麩でつくった地蔵のようだ。これではケンカはもちろん、夜這いもできない体たらくだ。後を頼む」
 と歯の根もあわない震え声でいうや、番場忠太が逃げていこうとするのを近経は「どっこい、逃がすものか」と飛びかかって押し倒し、縮みきった男根を引っ張りあげて、すっぱりと切り落とす。
「ああ、悲しや、男根は惜しや。主人に奉公をするのも戦をするのも、このような用事をいいつけられるのも、すべては男根ゆえなのに、その甲斐もなく切られてしまい、女房に何と言い訳をしたらよいのだろう。もはやなすびを取ることもあるまい」
 泣き声の番場はうらめしそうに股間を覗きながら、涙ながらに逃げていく。
 だが、近経の前にはまだ懲りない大勢がいて、近経に切ってかかろうとしていた。その男根を近経は片っ端から切っては投げ、切っては投げの大活劇。
 近経が切り落とした男根を縄にぶらさげ、乾しマツケタにしていたころ、館に戻った謀反の佞臣男根・梶原一味は、追手を迎え撃つ準備をしていた。その扮装の男根骨は、普段の玉子酒に精のつくゴボウとウナギの威勢を借り、兜を頭にいただき、胴を鎧で固めている。馬がいななき、くつわの音は、りんりんりんと響いている。敵は藁人形だ、なまこの群れだ。強精剤の地黄丸に、西は九州の肥後ずいき、北は松前のオットセイの精力剤を飲み、千里のヒゲ、万里のボボを追いかけ、追い詰め、追い回し、男根の鋼の続くだけ、締めつけ、殺そうと待ち構えていた。

中の巻

 恋の源は、尿と糞の穴の2つと悟ってはいるものの、やはり迷うのが恋の道である。頼家卿と初花姫はまだ毛も生えず、新開も割っていない仲である。それを梶原の男根の勢いにより、遠近の行方もわからない萎え男根と、姿も振袖も変わり、裸足のまま当てどもなくさまよい歩いていた。心のうちはしっかりしようにもできなかった。
 春の野のチョウは羽と羽を合わせ、菜の葉の布団に寝、花の夜着を着る。菜虫は葉のつゆを吸い、睦言につきない来世の契を交しているのであろうか。もし夢なら覚めないうちにと二人は手を取り合って、ぎゅっと握れば握りかえし、手が伸びていく。スミレやタンポポ、レンゲソウは野辺の布団である。頼家卿が「その気はないかい」と抱きしめてくじれば、姫は耐えかねて「いっそうここで」と打ち解ける。かげろうのように映る雪の股間は、溶けることはない。夫と妻のことを人の教えのようにすませ、服を着る前に拭き取る。髪の乱れが恥ずかしい。
 ことがすんで手に手を取り合い、逃げようとする行く手を、笠を深々とかぶった2人の読売りがさえぎった。
「さあ、さあ、新しい流行り歌だよ。紙代、板行代、上下大紙続き代は6文、吉原の5町は言うまでもなく、千住、品川、根津、音羽の色の町で、いまが盛りと歌われているその歌は、よかのし節だ。『向こうの窓から男根が3本出た、出た。でたのし、でたのし。なんぼ出たといってもまぐわいさえしなければよか』『女房のボボからガキが3匹出た。でたのし、でたのし。なんぼ出たといっても広くならなければよか』」
 聞くのも恥ずかしい歌だった。2人が笠を傾けて通り過ぎようとするのを読売りは「もし、もし」ととどめ、編み笠をとって素顔をさらす。本田次郎近経と半沢六郎成清であった。
「主人・重忠のうちうちの命によりお二人をお迎えに参りました。早くお帰り下さい。早く、早く」
 しかし、いまさらどんな面を下げて帰れるものであろうか。頼家卿と初花姫は顔をふせて近経と成清を振り切ろうとするそこをやっとのことで押しとどめ、用意してきた乗り物に乗せることに成功した。

 梶原の策略で先日より政子君はご病気と言いふらし、重忠をはじめ忠義をつくそうとする家臣を遠ざけ、さらに道久を罪に落とし、天下をいただこうとする下心は無法にも実に恐ろしいことである。
 君のご病気を気遣いして畠山庄司重忠が城に向かっていると、梶原平三がやってきた。
「これは秩父殿。毎日のご登城ご苦労なこと。しかし、君のご病気が重いのでそれがしをはじめとして皆、ご拝顔できないのだ。貴殿も早く帰られよ」
 庄司重忠はその言葉の端々を聞き流していた。
「そのご病気のことで急な相談があるというので登城するのである。というのも、君の病気は道久をご寵愛し、腎虚になってしまったのが原因だとのこと。当代の名医・まらん庵の医案によれば、男女100人ずつの淫水と、オットセイの猛りに卵の油10缶、ウナギの皮3枚、ゴボウ1本を入れて練り合わせ、17日間服用すればどんな腎虚も治るという。もっとも至極の医案であるから評議のため登城するのである。異論はありますまい」
 梶原は眉にシワを寄せた。
「はて、それは妙な薬である。ほかの薬種は調達できても男女100人の淫水をどのようにして集めるのだろうか。大店、小店の遊女屋に申し付けても、女はむざむざ気をやることはないから、薬にするのはむずかしいだろう。町人どもを集めて入札するがよかろう。さあ、役人よ、参れ」
 重忠は梶原を引き止めた。
「いや、いや。町人どもを集めて入札しても、一同うなずき合うだけであったり、あるいは手ガキという手もあれば、本当か嘘かそのところがはっきりしない。町人ならば調達できるというが、第一、政子君のお薬である。下々の淫水では病気が交じっているかもしれないので使えたものではなかろう。この上は奥女中とご家中の若者を選び、御殿で交われば、あっというまに淫水が集まろう」
 まことに明白な理由のため、横暴な梶原は返す言葉がなく、「それもそうだ」と言うだけであった。

 名医の処方による薬であるので、これでご病気が治せると御殿内は大喜び。騒々しいなかで淫水とりの用意が始まった。
 御殿のあらゆる燭台に火をともし、選ばれた100人の若侍と100人の女中は、大切なお薬なので全員が精進の沐浴をし、男は熨斗目に麻上下の礼服、女は打掛け下帯の正装で、礼儀三百威儀三千の礼をつくし、広い大書院で2列に並んで待っている。
 期は満ちた。畠山重忠と用人・石倉金鉄右衛門は白木の三方に巻き物をひとつ載せ、しずしずと前に進み出てきた。
「君のお薬を調合する大役を申し付けられた。最近にない大儀なことではあるが、何をするのも君への忠義である。さっそく寝どころで交合せよ。しかし、大切なお薬なのでみだりに気をやるのではない。天地陰陽の数に応じて腰の使い方、持ち上げ方をこの1巻に記しておいた。早く広げろやい」
 というので、皆は謹んで拝見し、承知したのであった。
 金鉄右衛門は三方にくじを載せ、ひとつひとつ引かせて相手を決めていった。太鼓を合図に茶坊主が布団をいっせいに並べ、引いたくじで相手合わせをしていくと、似合いの年頃もあれば、50歳過ぎのお局さまに抱かれて閨に入っていく15〜16歳の若侍の姿もある。振袖の娘が御馬乗役の大間羅右衛門に当たったのは気の毒というほかはなかった。
ほっほっ  百組の思い思いの床入りである。ことに一生の長局は男を見るのも珍しく、まだ入れていないというのにじくじくと玉門がはずみ、長屋住まいの飢男根にぽっぽと火がついている。そこにお上のご用であると声をかけ、押しあてれば、初めて味わうご馳走だと夢中になって持ち上げ、天下晴れての転びあいである。茶臼、横取りが入り乱れて互いに秘伝のわざをつくし合う。陽に入れば陰に開き、上がれば突き、突けば上がり、小口に食らいつく鼻息の音がおびただしい。御殿が突如として震動し、百、千の雷が一度に落ちたように天地に響くそのさまは、神武天皇以来の褥合戦であることは間違いない。
 重忠と堅物の石倉は、男根を立て、溢れる涎をぐっと飲み込み、心はむしゃくしゃ、目はくらくらしていたが、さすがに役目が役目なのでぐっと歯をくいしばっいる。それは12〜13歳の小娘の処女を我慢する心地であった。
 もういいころだろうと再び太鼓が打たれると、名残惜しい者も引き分けられ、頭を下げて待っているところに、典薬頭・丹波俊久が銀の器を茶坊主に持たせ、金のさじで片っ端から淫水をとっていく。その銀の器が重忠に差し出されると、
「お薬の出来は申し分ないであろう。さっそく帰って調合しよう。皆の者、大儀であった。この褒美はおって知らせよう」
 そして器を石倉に持たせると、すぐに帰ってしまった。
 後に残った全員はやりくたびれて呆然としている。そこに、荒れに荒れた梶原平三が石田為久を伴なって現れ、前後左右をにらみ回した。
「おお、重忠のあんぽんたんめ。君の病気を本当のことだと勘違いし、薬を用意したのは滑稽だぞ。これはすべて、道久めを罪に落とし、天下を奪う計略だったのだ。さて、お前たちはこの景時に味方するか、さもなくばたったいま抜いたばかりの濡れ男根をひとつひとつちょん切られて、天下のさらし者になりたいか、さあ、どっちをとるか」
 と攻めたてるので、皆々は口を揃えて「お味方に加わりましょう」というのであった。
 そう聞くや景時はさらに図にのった。
「かくなる上は、心がかりなのは重忠ただひとりだ。さあ、為久。一時も早く道久の館に行き、君の意にかこつけた自慢の大男根を切り取って戻ってくるぞ。そうしたら俺は将軍、お前は大老。もはや天下のボボも尻も望みしだいだ」
 勇んだ景時は、板の間をどんどんと踏み鳴らし、男根の先から稲妻を光らせ、雲を起こして去っていった。

下の巻

 使えば虎になり、使わなければ鼠になる。
 扇ヶ谷にある弓削道久の下館は庭に池をこしらえ、水路が流れている。立派なその館は男根の威力であろうか。腰元たちが集まり、ひそひそと話をしていた。
「どう思います。皆さん。ここの旦那様の道久様は天下の甘草まらで、政子様のお気に入りなのに、出世の間もなく謹慎させられ、糾弾されようとしています。これはどうしたことなのでしょう。合点がいきません」
「そのことなのですが、近ごろの噂ではお気に入りがすぎて、政子様は腎虚になられたそうで、そのご病気が重いのは旦那様の罪だというのです。いまの災禍は股間から起きていると噂しあっています。とんでもないことです」
 この話を聞いていた小由(こよし)という腰元、何を考えたのか、
「同じ女に生まれたのなら、腎虚するような目にあってみたいものです。こちらは1年に1回のお休みの日にいただいた発句が小間物屋のいたずらとは知らずに抱きしめてしました。あれこれと思いをめぐらしたのが恥ずかしい」
 と、ぼやいている。このように屋敷勤めの女の楽しみは少しのことでも男の話である。
 すると何やら表が騒々しくなってきた。上使がやってきたと誰かが伝えてきた。
 その知らせを聞いて道久の家来の佐伯新吾が出てみれば、上使として館にやってきた役人は石田次郎為久だった。男根の桶を携えている後ろに続いて、本田近経が真新しい刀をひっさげて入ってくる。為久はあたりをきっとにらみ渡した。
「わりゃ、道久の家来だな。上使としてやってきたのは私の考えではない。先だっての男根選びのとき、ここの主・道久は匹夫の分際で梶原殿の男根を乗り越え、当代随一という結果をいいことに恐れ多くも政子君の御ボボを南無南無と棒突きに突き散らし、ご病気を重くさせた。これはすべて道久の男根のゆえであり、本逆男根の罪は免れない。しかるに道久の首の代わりに男根を切り落とし、由比ヶ浜でオウチの木にさらせよ、との命令である。為久は上使の役であり、男根を切るのはこれなる近経である。さあ、道久に会わせよ。案内せよ」
 新吾は畳に額をすりつけた。
「いずれこのようなことがありましょうと主人は覚悟を決めておりますが、上使の方の前では無礼となります。太刀取りの近経殿、こちらへご案内します。そこでお切り下さい」
「むむ。そうまでいうのであればそれもよかろう。だが、身代わり男根などという古い手を使って後悔するな」
 為久がにらみ散らした。
「されば、それがしがその部屋にて男根を切りましょう」
 近経は佐伯新吾に案内をさせ、男根桶を携えて部屋に入っていった。
 残された為久が気をもんで奥の様子をうかがっていると、ばさっと男根を切る音が聞こえ、すぐさま本田次郎は男根桶を携えて戻ってきた。
 為久がばっと近寄り男根桶のふたをあけると、これはどうしたことか。2尺ほどの大男根と見えたのは水牛の角でつくった張り形。根元にひもがしばりつけられている。石田為久はその張り形をつかむと投げつけた。
「近経の大たわけ者めが。これは作り物ではないか。さてはおのれ、道久に頼まれ、この為久を愚弄する気だな。これから本物の道久の大男根を切り落としてやるぞ」
 と駆け入ろうとしたとき、部屋のうちより声が聞こえてきた。
「騒がしいぞ、為久。道久がじかに会おうではないか」
 障子を開くと座を固めた道久がいた。驚いたことに腹に短剣が突き刺さり、腹に巻いたさらしが血に赤く染まっている。覚悟の自害であったのだろうが、思いがけないことに為久も近経も顔を見合わせ、呆然とするばかりである。
 為久はにっこりと笑った。
「この道久の天下に知られた大男根の正体を改めて見られよ」
 そして前を開ければ、不思議なことに小便の通路ばかりが見える。男根なしだったのである。そのさまは女のようであり、石田為久は2度びっくりした。
「むむ。さては噂と反対に、道久は生まれながらの不具であったか。しかし、合点がいかぬ。男根なしでありながら、なぜ大男根と名乗り、男根比べに出たのか」
「それにはわけがある。この道久は先祖代々下野・弓削村の生まれであるが、わが先祖の弓削道鏡は大淫で孝謙天皇の寵愛を受け、もったいなくも匹夫の身でありながら法王の位を授かり、傍若無人のわがまま、高慢の限りをつくした。盛りの花は必ず散り、満月は必ず欠けるのが理である。その大罰が子孫に報い、それから数十代、わが家系の長男はすべて男根なしなのだ。私もまた生まれながらにそうであった。であるから7歳のときに出家してからの私は、春は吉野の桜を見、秋は嵯峨野の虫の声を聞き、更級越路の月を愛でる、浮き世の塵を捨てた道心堅固の者であった。
 そんなあるとき重忠公が私をひそかに招いてこのようにおっしゃったのだ。『政子君の淫乱はすべて梶原の謀略である。オランダより伝来の、やれしたがある、という薬を酒に浸して服用すれば、玉門が広がり、大淫を好むようになるそうだ。唐土の湯太甲、あるいは則天皇后などはいずれもこの薬を服用した結果なのだという。この病を治すためには、生まれながらの男根なしの生き肝を飲ませるとよい。そうすれば、たちまち平癒すると太平御覧に記されている。その方、政子君のために肝をくれないか』と。
 もし、いま鎌倉が騒動になれば、一天四海の民は再び苦しむことになるだろう。この道久の生き肝で政子君がご快気なさるのであれば、君のため天下のため、この上ない冥利である。さっそく承知し、秩父殿の館に逗留していると、梶原が悪巧みを策略しているという。おのれの男根を自慢し、男根比べの上意が下り、諸国より集まった大男根がすべて梶原に負けたら、君を犯そうとする企てである。そこで重忠と心を合わせ、水牛で張り形をこしらえ男根比べに出たのであるが、梶原の悪逆を押しとどめることができたのはわが勲功であろう。それなのに悪知恵は深く、わが男根を切ろうとする本日の上使はついに化けの皮がはがれたというべきである。近経と示し合わせて切って渡した偽男根は、為久にさし上げるぞ。まだ必要というのであれば、好みの大小長短、いくらでもこしらえよう」
 このように道久は敵を欺いたのである。その忠義の言葉は力強かった。今日に伝わる張り形はこのときより始まったものである。
 近経は道久を介抱した。
「腹を切るほどのことはなかったのに。ええい、早まったことをしたものだ」
 道久はすでに息も絶え絶えである。
「愚か、愚か。たとえ偽男根であろうと君を犯した罪を免れることはできない。もうひとつ、ご病気のご平癒のために、恐れながらわが生き肝を政子君に捧げるため、覚悟の上の自害である。さあ、わが心の乱れぬうちに早く肝をえぐりだし、君の御用にお役立て下さい。近経殿。頼む」
 まったく苦しそうな息遣いであった。
 一部始終を聞いていた為久はたいへん腹を立てていた。
「おのれの策略にやられて、梶原殿もこの為久もいっぱい食わされたわ。その上、おのれの肝を政子に食わせ、病気が治ったら目もあてられない。息の根を止めてくれよう」
 為久が太刀を抜いて詰め寄ろうとしたそのとき、どこからともなく白羽の矢が飛んできて為久の肋骨を抜いた。矢は貫通したが、致命傷に至らなかったのは、さすがに向こう見ずの男である。
「何ヤツだ」
 と見ると、弓矢を持った秩父頭・重忠が悠然と現れた。
「おお、道久。さぞや苦しいことだろう。そなたが命を捨てたので、君の容態も無事となり、悪人も今日、滅びようとしている。梶原の謀反のことはかねてより知っていたが、悪のほうに人の心は動くもの。味方が少ないために士卒を集める計略で、腎虚の薬と偽って若者どもを集め、100人の交合を催し、密書をつけて味方にした。天の時は地の理にしかず、地の理は人の和にしかず、和はまた色にしかずであるから、奥女中をだしに若侍を味方につけたのだ。君の御身に気遣いはいらんぞ。軍の血祭りを見よ」
 と言うや、抜く手も見えないほどすばやく為久の首を打ち落とした。
「こりゃ、近経。道久はわが館に伴い、最期の念仏をすませてから肝をとっても遅くはない。君の御用に立った道久の遺体は故郷に送り届け、弓削村の神としてまつり、その氏神として尊敬し、金男根大明神とあがめるがよい」
 との仰せ。そうしてできた下野の古跡はいまも朽ちることがなく、皆々によく知られている。
 そうこうしていると、表のほうからくつわの音が響いてきた。馬上には恐れ多くも頼家卿、御馬添に半沢六郎、そして若手の軍勢が周囲を固めている。さも華やかに武具を固め、梶原に縄をかけ、凱歌とともに秩父殿の前に引き出せば、重忠の喜び、この上なく、
「でかしたぞ、皆の者。この褒美として先だっての女中を妻にめとるがよい」
 と聞いて、一同はへのこをおっ立て、この勢いに悪人退治と一度に集まると、梶原の頭を男根の千本突きにし、喜び勇んで勝利の勝どきを上げるのであった。
 鎌倉2代の男根将軍は、秩父の姫とご祝儀をあげ、千番、万番、バンバンバンといつまでも交合し、さざれ石の巌となりて苔のむすまで尽きない男根、まことにめでたいものであった。

安永(1770年代)正月吉日
志道軒高弟  作者 悟道軒

後序

 孝悌忠信を口に称し、身に行ふ君子ありとも、当世これを号して野暮といい、武を知り国家を守る者を嘲りて新吾左といふ。また、このそしりを免れんと思うたわけは、ぬしと呼び、わつちと唱へ、顔は白きを厭はず、脇差は細きを厭はず、今の浮き世に交じらんもの、この境知らずんばあるべからずと、案じの鋼鉄棟へ廻り、まら坊主が弟子となつて、かくべら坊とはなりけり。しかれども、またかかる中にもおのづから孝悌忠信の意、備はれるは、わが筆力の妙なり。もし目玉の明いたる人ありて、その妙を知るに至れば、こいつ話せる奴なるべし。あるいは知らずして識る者ありとも、われらヘチマの皮とも思はず。

 はつ春  悟道軒書



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