眞情春雨衣 三編



春眠曉(あかつき)を覺えずと。況(いはん)や初夏の短夜をや。杜宇(ほとゝぎす)の初聲ハ白河夜船の夢にすぎ、老(おひ)を啼(なく)鶯は窓近き葉櫻へ來て、モウ/\おきろのわる世話に、漸々と眠りをさまし、伸欠(のびあくび)して枕掻(かい)やり、また匍匐(はらばひ)ツむづ/\と頭を上て四邊(あたり)を見るに、油煙に煤れし行燈は、吹殻(ふきがら)に埋る煙草盆と左右(ひだりみぎり)に立ならんで富士淺間の思ひをなし、買ぐらひの竹の皮ハ彼方此方に散亂して、安達が原の昔をしのぶ。嗚呼、我ながらぢゝむさしと謐(つぶやき)、まづ一ぷく聞召(きこしめさ)んと手を伸して掻探るに、煙草入は採らずして、ものゝ本を掴んだり。引よして是を看(み)るに、序書(はしがき)せよと頼まれつ、夜邊(よべ)讀さして置たりし春雨衣の三編に、こハ忘れたりわすれしと思ふ折から庵(いほ)の戸を明(あけ)、ハイ一丁で御座(ごぜ)へやす、お約束の序文ハ、ト催促されて、ぬからぬ顔に、夕夜(ゆうべ)拵へて置やしたト、寝惚(ねぼ)けた眼をして筆をとり、在(あり)のまんまを書ちらし、當座の責(せめ)をちやらまかしぬ。

狂訓亭為永誌


真情春雨衣三編巻之上

東都 吾妻雄兎子戯編

第十三回 旅は憂(う)いとハ誰(た)が云そめた 心まかせの草まくら

 箱根山と大江戸のちょうど真ん中、保土ヶ谷の宿で目につく家作りは、縞さん、紺さん、花色さん、あっちこっちの旅人が宿を求める旅籠。陽が斜めになるころより、見世の賑わいに奥の混雑、行き来する人の足音が廊下に轟いている。
 周囲の座敷がようやく静まってきたころ、二階の一間で広げた布団に腹這いになっているのは権太郎。煙草をくゆらせて、なにやら案じ顔である。障子を押し開け、湯上がりの解けかかった帯を押さえながら、お杉が「たいそう長い湯だったろうね」と入ってきて障子を閉めた。濡れた手拭いを違い棚の隅にかけ、鬢に散らばる愛敬毛を櫛で掻き上げながら、権太郎のそばに座る。
 権太郎は煙草を吸いつけ、「一服、召し上がれ」と煙管をさし出した。
 お杉が権太郎を見てにっこり笑う。
杉「なんだかあまりに優しすぎて、気味が悪いようだよ。わちきが風呂へ行っている間に、見世の女をどうかおしじゃないのかえ。憎らしい」
 取った煙管で権太郎を突っついた。
権「つまらねえことをいうぜ。面白くもねえ」
杉「さっき、ご膳のお給仕が来たとき、両方、気がありそうに見えたもの」
権「優しくしたらしたでいじめられ、かまわずにおけば邪険だとつねられる。立つ瀬がありゃァしねえ」
杉「とんだ婆さんに見込まれて、お気の毒さま」
権「湯上がりだからって、薄着をして風邪でもひくといけねえ。おいらァ風呂から出てすぐ布団にもぐりこんだせえか、まだ体から湯気が出らァ」
杉「それじゃァわちきも横になろうかね。少しばかりの道中だけれど、旅だと思うとくたびれるような心持ちだよ」と言って、あたりに散らばっている風呂敷包みや柳行李などを片づけた。「権さん、お前の布団の中へ入ってもいいかえ」
権「とんだことをいう。宿屋じゃ男女一緒に寝るのは禁制だ」
杉「おや、本当かえ」
権「本当も何も嘘だと思うのなら入ってみな」
 夜着の片足を持ちあげた。
杉「人をびっくりさせてばからしい。夫婦で一緒に寝て悪いという国がどこにあるものか」
権「だったらさっさと入んねえな。しかし、夫婦もねえもんだ。鎌倉へ帰ってみねえ。しかつべらしくしてなきゃなんねえ」
 お杉は男の横にもぐりこんで、じっと身を寄せた。
杉「そうお言いだけれど、お染さんがいつの間にか二人の仲を察しておしまいで、夫婦(いっしょ)になれと言わんばかりにお金まで下すってお前を頼み、お春さんを尋ねにお出しなすったのだもの、表向き、ご婚礼をしたのも同然だァね」
権「てめえ勝手に理屈をつけりゃァ何でもありだ。しかし、考えてみれば気が気じゃねえ。玉次郎さんをすぐに尋ね出しますと請け合ったが、かれこれ半年、おめえと二人でここかと思うところを探しても行方はいまだわからず、米沢小路でも鐶兵衛さんほか大勢がおよそ鎌倉中を詮索したそうだが、同じく知れねえので探しあぐんでいるそうだ。だから、お染さんがさぞ苦にやんでいるだろうと思うと気の毒で、たとえ骨が舎利になってもお二人を見つけ出さねば、いまさら木場へ顔向けができねえ。どうか早く玉次郎さんにお目にかかりてえもんだなァ」
杉「だから、あちきは毎日、毎日、観音さまや金比羅さまへ御願をかけて、おいでの場所が知れるように頼んでいる。その御利益ゆえにお前が知っておいでの人から、神奈川で玉次郎さんをお見かけしたという知らせがきたのだと思うよ」
権「どうぞ神奈川あたりで所帯を持っていておくんなさればいいが、不安心きわまりねえ。後で聞いた話だが、お二人が駆け落ちした当初、星月町の玉次郎さんの乳母のところの二階で久しく隠れておありだったそうだ。目と鼻の先だったのに、その時分は遠方ばかり探していたので、出し抜かされてしまったよ」
杉「ぜんたい、お春さんが内端(うちば)すぎて、何にもお話にならないもんだから、こんなことになってしまった。わちきに少しでも玉次郎さんとの訳を匂わせでもなされば、どうかしようもあったのに。もっともわちきもそうじゃないかと鎌をかけてみたのだが、しらを切っておいでだったので、とうとうこんなことになってしまったのだわ」
権「しかし、このような騒ぎがなけりゃァ、おめえと毎晩、抱きついて寝ることはできなかったのだから、こちとらにすりゃァ今度の一件は結ぶの神だと思っているのだが、つまらねえのはお染さんさ。可哀想にせっかくいい亭主を持ったと思ったら、つまらねえ理屈になってしまって、一人で苦労をしている。そのくせ玉次郎さんがお染さんを嫌ったという訳でもねえのだろう」
杉「お染さんにも惚れ切っておありさ。でも、お春さんへの義理で、よんどころなくお捨てにおなりなすったのだわ」
権「そう言やァ、玉次郎さんがいなくなってから、番頭の利兵衛のやっこさんがお染さんを口説いているという評判だ。笑かしゃァがる、こんこんちきじゃねえか」
杉「ほんにあの人は助兵衛。嫌な人だよ」
権「しかし、お前なんぞはされたんじゃねえか」
杉「ばからしい。いたずらにもそのようなことを言っておくれでない。胸が悪くなってくる」
権「胸どころか思い出して気を悪くするのだろう」
杉「憎らしい。自分の浮気性は差し置いていて。そんな性悪じゃァありませんよ」
権「というのは世を忍ぶ仮の姿で、実はぬらぬら出しているくせに」
 権太郎はお杉の股へぐっと手を入れ、玉門の割れ目をひねくり回した。
杉「当たり前さ。一緒に寝ているとお前の男根(これ)が方々へ触るのだもの」と陰茎(へのこ)をぐっと握る。「おや、まだ生なまだね。いくじのない。もっとしっかりなさいな」
権「こう毎日のように精が出ちゃァ、神奈川宿の詮索どころか、その前に腎虚になってしまいそうだ」
杉「あれまァ、そんなに交合(し)てもくれないのに、大げさなこと。それともわちきに隠して可愛い女でも拵えたのかえ」
権「そら、始まった。しまいにゃァどこかの女とか、よそのいい人とか言わなきゃ気がすまねえのだ」
杉「お前さんが悪いんだもの」
権「お杉さんとかけて五節句の煮物と解く。心は焼豆腐(やき)の交じらぬことはない」
杉「憎らしい。自分の性悪は棚に上げて、人のことばっかり悋気(やきもち)やきのように言う。ぜんたい、これがよくないのだ」
 お杉は陰茎を力任せに握り締めた。
権「いてて。そんな邪険なことをすると、こっちもこうだぞ」と紅舌(さね)の先をつまんでひねろうとしたが、吐淫のぬめりで指先が滑り、思うようにできない。「ええい、面倒だ」
 権太郎が指を二本、惜しげもなく突っ込み、薄紅に色づいて脹れ上がった玉門のうちを、ぐりぐりとくじり回したので、お杉は股を広げて尻を少し持ちあげ、子宮(こつぼ)を少し浮かせながら、されるのを楽しんだ。
 煮え湯のような淫水がぬるり、ぬるりとわき出し、穴から溢れて門渡りへと流れ落ちる。その小気味良さに女は思わず腰をもじらせて、力一杯抱きつきながら、男の顔へ顔を擦り付けた。
杉「さあ、よくなってきたから、いじるのはそのへんにして、入れておくれったらよう、早く入れておくれよう」
 女が目を狭めて鼻息をはずませる。権太郎は落ちついてさらにくじりつづけたが、玉茎(へのこ)がピンピンと湯気の立つほどに勃起(おっ)立ち返り、先走りの淫水が涎のように鈴口から洩れ出し、棹へしたたるほどになったので、もはやたまらず乗りかかり、あてがってずぶずぶと根元まで突き入れた。ごぼりごぼりと大腰を遣う。玉中にむき身の舌のようなものがたくさんあり、茎節(へのこ)のまわりにまとわりついて、男根(へのこ)を引っ張ったり、吸い込んだりするので、総身に気持ちよさが染み渡る。
権「ああ、どうして、こうも、こんなによいのだろう。さあ、口を吸おう。コレサ、もっと舌をずっと出しな」
杉「わちきもよくってしかたがないよ。舌が縮んで伸びないよ。ああ、ふうふう、すうすう。アレサ、そこじゃない。もっと奥を。ああ、どうしよう。わちきゃァもう気をやるよ」
権「まあ待ちな。一緒にやるから」
杉「我慢ができないよう。ああ、すうすう、ふうふう」
権「よくなってきた。おいらァ、やるよ」
杉「わちきも、ああ、それ、いくよ、いくよ」
権「おいらもいく、いく。それ、いく、いく」
 ぎっしり根まで押し込んで、子宮の穴へ鈴口を押(お)っぺし、押っぺし、ずき、ずき、ぴょくん、ぴょくんと、かたまった精水(きみず)を激しく奥へはじき入れる。女は再び無我夢中になった。
杉「アレ、またいくよ、いく、いく。どうしたらよいのだろう」
 と男の首にしがみつき、追っかけ、追っかけ、気をやってた。二人は力尽きてぐったり。
杉「大方、玉次郎さんとお春さんもこんなだろうね」
権「そりゃァ知れたことさ」
杉「このごろじゃァ、体に障りゃァしまいかと思うほどよいわ」
権「それに今夜は湯玉門(ゆぼぼ)だから、また格別の味わいだった」
杉「なんだかじれったいほど可愛いよ」
 と首っ玉へぐっと抱きつき、頬へ食いついた。
権「あいてててて」
 遠寺の鐘がぼおおん、ぼおおん。


第十四回 早くお前に似た児を生んで 川といふ字に寢て見たい

 多良福屋を出奔した玉次郎とお春は、しばらく星月町の乳母の家に潜んでいたが、米沢小路から大勢出て厳しく詮索しているのみならず、権太郎とお杉までが鎌倉中を尋ね巡っていることを聞き、ここでつかまっては恥の上塗り、ひとまず星月町を立ち退いてどこかで暮らそうと、乳母にも告げずに鎌倉をひそかに出て、わずかな知己(しるべ)を頼みに東海道は神奈川宿に至り、安い家を借りて暮らしていた。
 月日は過ぎ、やがて十月(とつき)を迎え、お春は安産のうちに玉のような男の子を生んだ。玉次郎の喜びはひとしおで、玉松と名づけ、枕直しも済んだので、お春も立ち働いていた。
 蝶よ、花よと慈しんでいるうちに、月日の経つのは早いもので、玉松は人の顔を見ると笑いかけるほどになった。お春は玉松を膝にのせ、風車を見せながら、乳を飲ませていた。へっついの前でなにかごそごそとやっていた玉次郎がこちらにやってきた。
玉「坊はお乳か。さあ、ひとつ笑ってみせな。おお、いい子だぞ。あわわはどうやった」と子の手をにぎにぎしながら、「なるほど。目つきから口元のところがおっかあによく似ている。この塩梅じゃァ大きくなったら、定めし浮気なとこまで似るだろう。困ったもんだ」
春「アレサ、憎らしい。いつわたくしが浮気をしました。お前さんこそ本当の性悪というのでございます」
玉「ひどく言うぜ、可哀想に。なあ、おとっつァんは堅いのう」
春「いいえ、おとっつァんより、おっかさんのほうが堅いねえ。それ、ご覧なさい。わたくしのほうが本当だから、坊が合点、合点をしています」
玉「当たり前さ。膝でひょこひょことやっているのだもの」
春「そんなことはしません。坊が一人でうなずいているのでございます」
玉「そりゃァそうと、おめえの手はひどく荒れたの。ひびがきれたのか」
春「はい。こんなでございますから、風がしみると痛くっていけません」
玉「そうだろうのう、可哀想に」
 少しふさいで溜め息をついた。
春「なに、ちっとも可哀想なことはありません。当たり前でございますもの」
玉「うちにいれば重いものといったら、琴か三味線ぐれえしか持ったことのねえ者が、朝夕のおまんま炊き、味噌こしをさげて買い物に行くのも、おいらという悪魔がついているからのこと」
 と言うのをお春は打ち消した。
春「アレまァ、もったいない。あなたこそせっかく千代も八千代も末長く、お染さんと二人でお暮らしなさろうというところで、わたくしという鬼に見込まれて、お生まれなすった土地にも住むことができないような日陰の御身となったばかりか、わたくしが何も存じませんので、おまんまを炊いたり、おかずを煮たりしていただき、ようやく少し覚えてまいりましたら、坊が生まれましたのでまた何もかもできなくなりまして……。お手水をくんだり、お米を炊いたりなさるのを見るたんびに、お痛ましくって胸がいっぱいになります。それを思うとわたくしのひび、あかぎれはちっぽけなこと、どのような身になりましても、少しも厭いは致しません」
玉「なんの、なんの。おいらは米沢小路にいると、権助の代わりに水を汲んだり、小僧の名代で豆腐屋へ行くこともあるから、台所のことをするのは持ち前で、けっこう楽しみなぐらいだが、おめえはいままでがいままでだから、実に可哀想でならねえのだ」
春「いんえ。それは誠に手前がつたなく、うちにいて我儘いっぱいして、何も致しませんより、この上どんな切ない思いを致しても、いまのほうがいくらか嬉しゅうございますわ。だけれど、米沢小路のおうちのことやお染さんのことを考え出すと、どうしたらよかろうと誠に嫌ァな心持ちになってきます」
玉「米沢小路なんぞは構うものか。お染だって、おいらがいなけりゃァいないなりに、いい婿がくるかもしれねえから、これも案じることはねえけれど、おめえのおとっつァんには申し分けがねえ。たった一人の娘を連れ出し、さぞ苦労していなさるだろうと思うと、誠に冷や汗が出てくるようだ」
春「そうおっしゃるけれど、お染さんはいったんお前さんとああなった上は、誰がどんなに勧めたって、ほかに良人(ていし)なんぞを持つような気だてではありません。それはもう、朝に晩に泣いているのが眼に見えておりますから、誠にしょうがないのでございます。あれがもっと上っ調子で、でたらめな気質なら、こんなに案じは致しません」
 玉次郎はお春の手間、お染のことをくさしたものの、心の中では、朝夕に思い出してはさぞ不実な者と思っているに違いないと考えていた。あえかな生まれの身なので、やみわずらっていはしまいか、あれほど貞実に優しく世話してくれたのに、鬼々(おにおに)しくつれなく捨てて出てしまったのは、よくよく逃れることのできぬ義理とはいえ、みんな、わが身の悪性のために年端もゆかぬ乙女子(おとめご)に恥を与えたうえに、いくたの苦労もさせている。そう思うと、胸の内はつらくなり、しばらくこうべをたれて、言葉も出なかった。
 玉松がお春に何かを訴えているようだった。
春「ほんに小便(しい)が出る時分。どれ、やってあげましょう」と、おさな子を抱きかかえて立ち上がり、入り口の戸を開けた。「そら、小狗(わんわん)がいた。わんわん、坊は小便(しい)だよ」
 お春が子を抱えて戸口に立っていたとき、編笠を深く被った男女二人の蝶々売りがやってきた。管についた蝶々を回しながら、声を張り上げる。
「蝶々とまれや、菜の葉へとまれ、菜の葉嫌なら葦の先へとまれ。それ、とまった。さあ、評判の蝶々じゃ。買いしゃんせ、買いしゃんせ。蝶々買う子はよいお子じゃ」
 お春とその子を見て、蝶々売りはうなずいて何か囁き合い、またひらひらとひらめかせ、「蝶々とまれや、菜の葉へとまれ、菜の葉嫌なら葦の先へとまれ」と言いながら通り過ぎた。
春「よく、小便(しい)をしたっけのう。さあ、ここは寒いからおとっつァんのお側へ参りましょう」
 と障子を引き閉め、奥へ入った。
玉「おとなしく小便をしたかの」
春「蝶々売りが参ったので、泣きませんでした」
玉「おいらもそろそろ蝶々でも売りに出ざァなるめえ。木場を駆け出したとき、ちっとばかり懐にあった蓄えも、きょうまでの居食いだけでなく、他人の世話になりゃァ余計に遣わにゃならず、着物から諸道具まで買ったうえに坊主が生まれ、取り上げ婆さんへの祝儀やお医者さまへの薬礼やらで、すでに一文なし。それだから気が気じゃねえけれど、紙屑を買うにも相場を知らず、天秤棒を担げば肩が痛いし、何をしてよいことやら、実に途方に暮れている」
 お春も胸がふさがった。
春「お前さんにそんな苦労をかけるのも、みんなわちきが悪いから。わちきさへいなければ、お前さんのため、この子のためとは思っても、やはり未練が……」
 と言いかけてうつ向き、涙をほろりとこぼした。
玉「また陰気なことを言い出す。おめえに気を揉ませる種をいつ蒔いた。さあ、さっぱり流そう。あんまりくよくよして、お乳がでなくなるとたいへんだ。のう、坊や、そうじゃねえか。おっかあはまだふさいでいるのか。コレサ、どうしたものだ。おい、おい」
 と膝を揺すったので、お春はようやく顔を上げた。
春「考えると悲しくなっていけませんもの」
玉「おめえだっておいらだって、いよいよ困りゃァ、ちっとやそっとの工面はできるだろうから、干物になりゃァしめえさ」
春「そうではございますけれど」
玉「もう、そんなことはいいとして、おいらにもちっと乳を飲ませてみな」
 とお春の襟へ顔を入れ、乳を引き出して飲もうとするので、お春は体を横に向けた。
春「冗談をおよしなさいよう」
玉「しかし、乳汁(こいつ)が減ったら、坊はとんだとばっちりだのう」
春「そうですとも」
玉「じゃァ、こっちのほうにしよう」
 と内股へ手を差し込んだ。
春「アレサ、坊が」
玉「坊は下へ転がしておきな」
春「それでも昼日中」
玉「昼日中でもくる人がねえから安心だ」
 と無理無体に玉門へ指を差し込み、いじくりまわした。
玉「子供(ねんねえ)を産んでから、なかの臓物が多くなったようだの」
春「そんなこと、存じません」
玉「さあ、どうかしねえな」
春「それでも」
玉「まだそんなことを言っているのか。おいらァ、もう、こんなになった」
 玉次郎は勃起(おえ)立った玉茎(へのこ)をぬっと突き出し、お春を無理矢理押し転ばした。、お春は稚児を抱えたまま、体を斜めにして肩ひじをつく。玉次郎はその股へ横から割り込んで、ちょうどよい位置に玉茎(いちもつ)をあてがい、根元までずぶずぶと突き入れた。

春雨衣三編上 


真情春雨衣三編之中

東都 吾妻雄兎子戯編

第十五回 惚れた手前(てめへ)たちや不便(ふびん)だけれど さうは体がつゞかない

 神奈川宿はさすが繁昌している宿場である。おぼろ月夜の宵の口、往来が賑わしい。あそこは宿屋か女郎屋であろうか、広い見世先で若い女が打ちまどい、男を待つ間に願いごとを辻占いに占ってもらっている。鼠泣きして喜んでいる者がいれば、苦労するよと嘆いている者もいる。
 遠くから聞こえてくる三味線の音に、一人の女が耳をそばだてた。
×「あの三味線は例のじゃァないか」
○「ほんにそうかもしえないよ」
▲「今夜はぜひ顔を見てやろうじゃないか」
△「なにさ、見ないでも、このごろときどき子供(ねんねえ)を抱いて表を通る、あのいい男に違いないよ」
▲「そうお言いだけれど、声のいい人は、たいがい嫌な顔の男だ」
×「わちきなんざァあの声にしみじみと迷って、どんなぶ男でもいいと思っているところだもの。それがときどき通るいい人なら、命でもなんでもやってしまいたいよ」
□「ずるいことをお言いでない。あの人はわちきが先に見つけたんだ。はばかりながら、お気の毒さま、ほかへはやらないよ」
○「もうおよしよ。四、五日前の晩にあの人が初めて見世へきて、『若菜猪之助』を唄いはじめたから、わちきが『淡島』をやっておくれとおあしを渡したとき、手先を握ったら、向こうもぐっと握り返したんだもの、情人(いろ)はわちきと決まっているのさ。嘘だとお思いなら、遠いけれど、出雲大社へ行って玉帳をひっくり返してごらん。二人の名前がちゃァんと記してあるのだよ」
▲「厚かましい。たいがいにしなよ。あの人はお前のようなじゃじゃ馬のすれっからしは大嫌い。わちきのようなおとなしいお姫さま風が好きだとさ」
○「静かにおしよ。もう隣まできたァね」
△「ほんに憎いほど粋な声だよ」
×「お終いになったようだ。こっちへ来るよ。アレサ、ずるい。お前、そんなに前へ出ると、わちきは見えないよ」
□「いたたた。引っ張っちゃァ嫌だと言うのに」
 女たちが急に衣紋を整えたり、着物の前を合わせはじめているところへ、人目を避けたいのであろうか、顔を浅葱色の手拭いで包んだその男は、明かりが届かない見世のほの暗い角にたたずんだ。
♪「お前のそうした癇癪は、いつもの癖とは言いながら、あんまり邪険な心意気、いまさら言うも古けれど、四ツ谷で初めて会うたとき、好いたらしいと思うたが、因果な縁の糸車」
 一人の女が立ち寄り、「いい人さん、おあしを上げよう」と言いかけてきた。男が何心なく手を差し出すと、女はその手をぐっとつかんで引っ張ったので、思わずよろけて明るいところまで出てしまった。
 近くにいた別の女が「さあ、ご覧」と被っていた男の手拭いをさっと剥ぎ取る。現れたのは玉次郎だった。驚いて逃げようとする後ろへ二、三人が立ちふさがり、玉次郎の袖を取った。
「アレサ、唄っていっておくれよう」
「ほんに半さんの言うとおり、ときどき子供(ねんねえ)を抱いておいでの人さんだよ」
「おや、そうだァ。どうしよう」
「アレサ、わちきがあの人にちっと話があるのだから」
「お前よりこっちのほうが先だよ」
 などと女たちが悪戯半分、恋半分に駆け寄って玉次郎の手を取り、引っ張り合いをしてきた。玉次郎は振り払って逃げようとするが、なかなか逃がしてくれない。これはどうしたことかと玉次郎が呆然としているところへ、近ごろ町を売り歩いている男女の蝶々売りの女のほうが割って入ってきた。
「ええい。お前がたも滅相な。わたしの大事な情人(おっこち)をとらえて、じゃらじゃらするとは嫌らしい。そばへも寄ってくださんすな。お前もお前だ。このようなところをなぜうろつきなさる。さっさとうちへ帰りなんし」
 と玉次郎の背中を突き飛ばした。玉次郎は何がなにやら訳はわからなかったが、解放されたのをこれ幸いに、あとは蝶々売りに任せて、三味線を抱えて足早にその場を離れた。しかし、手拭いを取られてしまったので、顔を隠すものがなく、折りから空はあいにく晴れ渡って照る月が昼より明るいほどのため、しかたなくある家の軒下に身を寄せた。水たまりに自分の姿が映っていた。
「なるほど、しょぼい形(なり)だなァ。旅の恥はかき捨てとばかり、知る人がねえ気楽さに洒落てよかろうと思いついて三味線を一丁工面し、止めるお春を騙しすかして強く出て、新内節をやってみたところが大いにうけ、あちらこちらで呼ばれるのをこれ幸いと、毎晩、出てみたが、わからねえのが東講の常宿にここ三、四日きている客だ。寝言に等しい新内に一朱金を一枚ずつ出してくれるのは、大ぶろしきなのか、金があるのか。それに今夜の蝶々売り、人違いだったのか、あるいは酒に酔っての当座の洒落か、これもさっぱりわからねえ。妙な人たちもあればあるものだ。あそこは何屋だったっけ。それにしてもうっかりしていたが、どいつもこいつも縛連な奴らだ。なんぼふだんから旅人を捕まえているからって、腕をつかんだり、袂を持ったりして引きずり回すのはまだしも、とうとう手拭いを取られて面(つら)を隠すことができねえから、肝心の商売が上がったりだ。大勢して何をしやがるつもりだったのだ。ばかばかしい」
 玉次郎はどっこいせっと水たまりを飛び越した。

 木場の多良福屋に残されたお染は、出奔した玉次郎とお春の行方がいまだに知れず、権太郎とお杉も帰ってこないので、毎日、鬱々としていたが、金右衛門へはまめまめしく、孝行を尽していた。
 ある夜のことであった。お染は一人うら淋しく夜着を被って臥していたが、玉次郎やお春のことを思い出してなかなか寝つけないでいると、折りから、次の間で人のささやく声が聞こえてきた。誰だろうかと訝りながら、耳をそばだてた。
女「アレサ、ここじゃ悪いよ」
男「どこだってかまうものか。もっとこっちへ寄んな」
女「それでもこの向こうはお染さまの居間だもの」
男「そりゃァこっちも承知の上だが、静かにすりゃァ聞こえる気づかいはねえ。それにいま時分までお目覚めなものか」
女「大した度胸だねえ」
男「どうせこんなことをするのだもの、真面目じゃできねえ」
女「ほんの浮気のつもりで当座の花じゃ御免だよ」
男「そりゃァこっちの台詞だ」
女「おや、わちきをそんなに不実者だと思っておいでか。憎らしい」
男「あいたたたた」
女「アレサ、大きな声をお出しでないといったら」
男「だってひどくつねるんだもの」
女「堪忍しなねえ」
男「おいらは料簡できようが、こっちがたいそう立腹だ」
 男はどうやら勃起(おっ)立てた玉茎(まら)をぬっと突き出して、つかませたらしい。
女「おや、おや。小憎らしいように筋張っているよ」
男「そのはずさ。思いつづけた念がやっと叶おうというところだもの。お前のだってまさか空っ風が吹いているわけでもあるめえ。それみねえ。こんなにぬらぬらさせているくせいに」
 今度は内股へ手を入れて、玉門(ぼぼ)をくじっているようだった。
女「指が汚くなるから、お止しよ」
男「初な真似はよしな。大古玉門(おおひねぼぼ)のくせに」
女「可哀想なことを言うね」
男「それだって初めてという塩梅(あんべえ)じゃねえもの」
女「どうしてか、誠にのぼせて咽喉が乾くわ」
男「それじゃァちっと舌を出しな」
女「わちきに吸わせておくれ」
 やがて、ちゅうちゅう、ぴゅうぴゅうと、しばらく口を吸い合う音が聞こえてきた。
男「さあ、もっと股を広げねえ」
女「こういうようにかえ。何だか変な形(なり)だねえ」
男「おかしくっても、そうしなくっちゃ入らねえから、仕方がねえ。下から尻を持ち上げるようにしてみな。そら、根まですっかり入ったろう。ああ、いい味わいのぼぼだ。茎節(かり)のところを咥えて、うちへ吸い込むようだ。巾着というのか、蛸というのか、それ、こつぼが、ああ、こつぼが、ああ、こつ、どうも、こつ」
女「わちきもよくなって、ああ、どうしよう。先が奥へ当たるたんびに、気が遠くなってくるよ。もう、それ、命も何にもいらないよ。これで死ねれば本望だ。アレサ、じらさないで思い切り腰を遣っておくれ。抜いちゃ嫌だよ。アレサ、気をやるよ。我慢できないよ。アレサ、我慢が。ああ、それ、フン、フン」
 二人によがり立てられて、尼法師ともいうべきお染も春心をかき立てられ、われ知らずに内ももがぬらめいてきた。
 見世の男と腰元の忍び会いであることはわかっていた。お染は湯具でそっと自分を拭い、二人の正体を探ろうと襖に耳を押し当てた。


第十六回 花も紅葉もちつての後に 松のみさほがよくしれる

 お染が息を殺して聞いていたとき、廊下の障子がそろり、そろりと開きはじめた。はっとしてお染は身を潜め、夜着を被って寝たふりをして、様子を伺った。忍び込んできた男は、抜き足、差し足で近寄って行燈の火を消し、お染のそばへ近寄って、このあたりというところへ手を当てて、そっと揺すった。
「お染さま、利兵衛でございます。あの、もし」
 小さな声である。何度か揺すられて、お染はようやく目覚めたふりをした。
染「おや、明かりが消えている」
利「お目覚めでございますか」
染「そういう声は利兵衛どん、お前はどうしてここにおいでだ」
利「どうしてきたとは、お嬢さま、それではお情けがござりませぬ。石部金吉金兜(いしべきんきちかなかぶと)、堅いの、根っこだのと評判で、さいかち虫の時分よりご奉公一筋、いまや番頭になるまでに辛抱してきたのも、実はそなたに惚れ込んで、心の願いを叶えたいゆえ。茶断ちなどして気を揉んでいるうちに、玉次郎さまというお婿さまができて、がっくりと腰が抜け、御願をかけた神仏をお恨み申しているとき、玉次郎さまはお屋敷へご奉公においでなすったお春さまと乳繰り合い、あなたのような美しい方をお捨てになすったそのうれしさ。わたくしはぞくぞくして、おうるさいとは存じながら、煩悩は断ち切れず、お恥ずかながら打ち明けると、あなたはおぼこ娘のようにぴっしゃりとはねつけなすったのは、成駒屋に似ているだの、播磨屋に生き写しだのと言われることもあるわたくしでございますから、好ましい殿御だとお思いでありながら、世にも内端なお心のため、うれしいと御返事をなされず、つくつく法師と鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍のように御身をお焦がし。お察し申せば申すほど、独り寝がおいとしくて、お寝間のお伽に参りました」
 夜着の端をめくって利兵衛がそろりと入ってきたので、お染は身をよじった。
染「利兵衛どん、お前は気でも違ったか。いつぞやからしての嫌らしい振る舞いは、ほんの冗談と思っていたが、いま、ここへおいでだからには、わたしをつかまえて、慰みものにしようとてか。なんぼ家出はなすっても、玉次郎はわたしの良人(おっと)、その身なのに年行かぬものと思ってばかにおしだと、おとっつァんに告げます。さあ、さっさと出ておいき。出ておいきでないと大声を出します」
 お染はこれから辱めを受けようとしているのにも関わらず、毅然として微動だにしなかった。
利「慰みものとはもったいない。心底から惚れたわたし。お嬢さま、たびたびとは申しません。たった一度でよろしいから、人間一人を助けると思し召して、添い臥しをお願い申し上げます」
 と言いつつ、夜着を引きまくり、もぐりこんで抱きついてきた。お染は「あれえ」と声を上げて突き飛ばした。
染「見世でも人の上に立つお前のことゆえ、恥をかかせるのは気の毒と、控えめにしているのをよいことにしつこい。さっさと出ておいき。いかないとみんなを呼びます」
利「どうあっても言うことをお聞きなすってはくださいませぬか。ぜひがない。この上は」
 利兵衛はお染の手を取り、力づくで引き寄せた。お染が悔しさ、腹立たしさに我を忘れ、「あれ、誰か」と声をあげたとき、傍らの唐紙が開いた。手にぼんぼりを携えた金右衛門がしずしずと入ってきた。
金「あっぱれ、あっぱれ。思った以上のお染の心底。いまどきの娘とは思われぬ。それでこそ多良福屋の跡継ぎ娘。これでさっぱり疑心は晴れた。権太郎さん、利兵衛の声色、ご苦労だったの。利兵衛と見分けがつかなかった」
 権太郎が笑いはじめた。
「いやもう、お嬢さんが本気になすって、言い訳をなさるおかしさときたら、いくたびか吹き出しそうになりましたのを、やっと堪えておりました。しかし、わたしぐれえ、利兵衛さんの声色が上手なのはおりますめえ。そりゃァそうと。お嬢さま、まだご挨拶を申しませなんだ」
 権太郎は後ろへ下がって手を突いた。
「しばらくお目にかかりませんでした。わたくしは先ほど神奈川宿から着きまして、すぐあなたにお目にかかり、お話を申し上げようとしましたら、図らずも見世の口で大旦那さまにお目にかかり、お春さまと玉次郎さまがおいでの場所がわかりましたことを申し上げましたところ、大旦那さまもお喜びで、『早速、お染にも話してくれ。だが、近ごろ人の噂を聞くと、お染と利兵衛との間で訳ができたようだ。それが本当なら困った』とのご懸念。お嬢さまに限ってそんなことは夢にもないと存じてはいましたが、大旦那さまのお疑いを晴らすため、『それなら今夜、ご様子を確かめてみましょう』とわたくしは奥の座敷に隠れて夜のなるのを待ち、一芝居を打ったのでございます。情合(いろ)を使ったのはわたしのおもいつき、自作を混ぜてもっともらしくこれを読んだのでございます」
 と懐より草双紙を取り出し、自分の前へ置いた。
「これもお嬢さまのお気を悪くさせ、その上で口説こうとのこちらの猿知恵。だが、お染さま、悪く思っちゃァいけませんよ。これもあなたの御身に降り注いだ濡れ衣を晴らさんがため。決していまの不しつけ、お気にかけずにくださいまし」
 お染はやっと安堵したようでにっこりし、権太郎の長い艱難辛苦をねぎらった。
染「そんならお二人は神奈川の宿でお達者でおいでで」
権「しっかりお見届け申しました。もっともわたくしとお杉さんは蝶々売りに身を変えて、編笠を被っておりましたから、玉次郎さまもお春さまもこちらにお気づきではありません。そして陰ながらお二人の番をするため、お杉さんを残してわたくしはかねての約束のとおり、取るものも取り敢えず、お知らせ申しに上がりました。大旦那さま、そしてお嬢さま、お春さまと玉次郎さまをおうちへお迎え申そうという趣向は、わたしの思い付きだったので」と言いかけて、あたりを見回した。「誰か、そこらにいるようでございますね」
金「誰もいるこっちゃねえ」
染「ほんになんだか音がするよ」
権「大方降り出してきたのでございましょう」

 玉次郎の実家である米沢小路でも、玉次郎とお春が家出したその日より、八方手分けてして行方を捜していた。とくに叔父の鐶兵衛は玉次郎を大切にしていたので、どうしても見つけ出そうと自らあちらこちらと駆け巡り、ついに江戸を目指して東海道を下っていく途中、神奈川宿で偶然、権太郎とお杉に出会い、玉次郎とお春の居場所がわかったことを聞いたが、二人は思うところがあったので、お知らせするまで宿屋でお待ち下さいと告げて、権太郎だけが鎌倉へ戻ってきたのである。
 一方、こちらは鐶兵衛が泊まっている宿。そこへお杉がやってきた。
杉「毎日、毎日、このようにおいで遊ばして、さぞ、ご退屈でございましょうが、今夜あたり、権さんが鎌倉から戻る時分でございます」
鐶「そうだのう、木場へ向かってからきょうで四日目になる」
杉「あちらにもいろいろとご相談があるので、手間取っているようにみえます」
鐶「なるほど、おめえがたのいうとおり、玉次郎が毎晩、門附(かどづけ)にくるから、少しでもたんとやりてえと思うが、相場があるからそうもできねえ。少し唄わせては一朱ずつやることにした」
杉「ほんにそう申せば、玉次郎さまは女惚れがするので困り切ります。夕べ、わたくしがいつものとおり、編笠を被り、荷物をもって門附においでなすった後を、先になり、後になりしてついていきましたら、何屋でございましたか、飯盛や引き込み女が大勢して玉次郎さまを取り囲み、輪姦(まわ)しそうな勢いでしたら、ようやく割って入って、お逃がし申しました」
鐶「何から何までとんだご厄介だ。その代わり鎌倉へ戻ったら、おいらが仲人になって権公と一緒にしてあげよう。楽しみにしているがいい」
杉「あれ、嫌な。そんなことをおっしゃると、権さんが胸を悪くいたします」
鐶「うまく言うぜ。胸どころか気を悪くするのだろう」

春雨衣三編中 


真情春雨衣三編巻之下

東都 吾妻雄兎子戯編

第十七回 年ハとつても一ト口飲ば 兎(と)にかく水性(うハき)がやみ兼る

 今夜こそ遅くなっても権太郎は戻ってくるはずだと言い残してお杉が帰った後、鐶兵衛はさらに一人手酌で飲みつづけていた。さて、さて、お杉はなかなかの愛敬者よ、器量もよく、心意気も可愛いし、内股にぽっちゃりと脂が乗った年増盛りの女。権太め、うまくせしめやがった、おれにも半口のせやがれと、微酔い気分で春心半分になるのは、まだ五十路にならないからであろう。そのとき十四、五ほどのこの家の下女(おんな)が廊下を通り過ぎた。
鐶「おい、おい。姉(ね)え。ちょっとここへきてくんな」
女「はい。何かご用でございますか」
鐶「そうさ。少し頼みてえことがあるのから、入って、障子をぴっしゃり閉めて。よし、よし。そこにある包みを持ってきて下っし」
女「これでございますか」
鐶「ご苦労、ご苦労」と包みの中の財布から一朱金を一枚取り出した。「これをおめえにやるから、少しの間、お酒の酌をしてくんねえ」
女「なァに、いただかなくてもよろしゅうございます」
鐶「さあ、ひとつ、ついでもらおうか。やれ、可愛らしい手だぞ。おめえの年を当ててみようか」
女「はい。お当てなすってごらんなさい」
鐶「では、ちちんぷいぷい。ええっと、十四だろう」
女「いいえ」
鐶「十五か」
女「はい」
鐶「おめえよりちと大きいのがいるだろう。あの子はいくつだ」
女「十七でございます」
鐶「それじゃァ、さぞ交合(いろ)をするのだろうなァ」
女「おほほほ。そんなことは存じません」
鐶「嘘をつくぜ。おめえも可愛い男を拵えているくせに」
女「まァ、嫌な」
鐶「夕べ、廊下の隅の暗いところで、こそこそと怪しい話をしていたじゃねえか」
女「あれはお鞠さんと、夜、新内を唄って参る人の噂をしていたのでございます」
鐶「それじゃァ、まだ一度も男と交合(し)たことはねえのか」
女「そんなことは存じません」
鐶「存じないとはどうも怪しい。こんな可愛い娘をいままでうっちゃっておくものか。それともうっちゃっておかれたのか、手の筋を見ればすぐにわかる。どれ、改めてやろう」
 と手を持って引き寄せた。女が「もう嫌でございます」と言うのも構わずに手を開く。
鐶「なるほどまだのようだ。しかし、ここだけじゃァ本当のところは分からねえ。もう一つ、見るところがあるけれど、そこはただじゃ見せるのが嫌だろうから、見料を出そう」
 鐶兵衛はさらに財布から一朱を取り出し、開いた手のひらに載せて無理に握らせ、小さな体をじっと抱き締めてから、内股へ手を差し込んだ。
女「アレ、もう嫌でございます」
 下女は差しうつ向き、身を縮めて鐶兵衛の勝手にはさせなかったが、さりとて大きな声を立てず、逃げ出そうともしない。しめしめと鐶兵衛は心のうちで喜びながら、女の頬へ頬を擦り付け、しっかり結んだ可愛い口へ、無理に舌をこじ入れた。女は小娘だったが、男というものがどんなものか知りたいと思いはじめたころなのだろう、ちっとずつ口を吸ってくるような気配もある。男は舌を引っ込めた。
鐶「さあ、お前のも吸わせねえ」
 さあ、さあと揺すられて、女がこわごわ出した舌を男はすっぱすっぱと吸いながら、女の股へ入れかけた手先を今度はぐっと突っ込み、額口をくじりかける。女はなおいじらせまいと身を揉んだところを抱き締めてなで回した。薄毛が四、五本生えはじめた、すべすべした空割で、紅舌(さね)がぽちっと出ている。
鐶「ほんにこりゃァまだのようだ。どれ、もうちっと下のほうを改めてやろう」
女「アレ、もう悪いことを。ああ、嫌でございますよう」
鐶「まあ、楽にしていな」
 男は割れ目へ指を臨ませ、まず中指の先だけでそろり、そろりとくじりかけた。女が顔を火のように真っ赤にして鼻を詰まらせ、奥へ指を入れられるたびに入させまいと腰をもじるその拍子に、清水のような淫水が陰門(かくしどころ)よりぬらぬらと溢れ出て、こね回している指を伝わって、手のひらのくぼみにたまる。
 その小気味良さに鐶兵衛はたまらず、女をその場に押し転がし、恥ずかしがっているのを無理に割り入れ、褌を外してすでにピンピンと勃起(おえ)立ち誇り切る大熱男根をぬっと出し、手のひらの女の精水(きみず)を茎節(かりくび)から根元まで塗り回し、か細い体を抱き締めながらそろそろと腰を遣う。女が初手だっため、きしんでなかなか入ろうとする気配がなかったが、突かれてしだいしだいに広がる玉門(ぼぼ)より出る淫水と、玉茎(へのこ)の先走りの水とが混じり合って、思わず亀頭(あたま)がぬるりと入った。
 女は額に八の字の皺を寄せ、すう、すうと鳴らしていた鼻息を一息、はっと吸い込んだ。言葉には出さないが痛いのかもしれない。男はさずが老巧である。それと察して腰を遣うのをやめ、頬ずりをしたり、口を吸うなど、いろいろにもてなしている。そのうちに、開中は火のように火照り、いっそう水が溢れ出て男根(へのこ)にまとわりついてくる。もうよい時分と、少しずつ抜き差ししながら押し込んで根まですっぽりとはめ、本手にとってそくそくと腰を遣った。新開(あらばち)の穴はたいへん狭く、肉がしっくりと男根に吸いつき、出し入れするたびごとに、胴中をしめつけてくる。男はたまらず、はあ、はあと突き立てながら顔をしかめた。
鐶「どうだ。もう痛くはあるめえ。おいらはよくって仕方がねえ。ああ、どうも、どうも、気が遠くなるようだ。それ、こうしているうちにおめえもだんだんよくなってきただろう」
 男が、ああ、あああともだえながら、ずいこ、ずいこと腰を遣うと、女もすっかりよくなったのだろう、男の背中に回した手に少しずつ力を入れ、はてはすっかり抱き締めて、尻をあっちこっちへとにじる。鐶兵衛はたまらず、ずぼり、ずぼりと大腰に突き立て、突き立て、「それ、いく」と玉茎(へのこ)をありったけ押し込み、どきん、どきん、つつ、つつと十分に気をやった。
 一息ついたとき、隣座敷から都々逸が聞こえてきた。
都々逸「無理に押さえてひんねじ曲げて、水をあげたか鉢の梅」

 さて、こちらは鎌倉を出奔したときに持っていた黄金(こがね)を使い果たし、思いついて門付に出はじめた玉次郎である。門付は初めこそ間が悪く、出された銭を取ることができなかったが、一晩、二晩と出歩くうちに要領を覚え、声は麗しく、三味線を上手に弾くことから、ついには「今宵はくるのが遅い」と待ち侘びる贔屓もできてきた。そうなると出歩くことが面白くなり、きょうもまた暮れたら出かけようと思いながら、玉次郎は三味線の傷んだ糸を掛け替えていた。
玉「なんぼ繁華でも田舎は田舎。ろくに習ったこともねえ新内を語って歩いていると、節がいいとか文句が粋だなどと言って聞きてが増えてきた。妙なものだ」
春「あなたは習ったことがないとおっしゃるけれど、若太夫や浪太夫のときと変わりがありませんよ」
玉「おめえまでがそんなことを言って持ち上げるよ」
春「本当でございます」
玉「しかし、おいらも三味線を弾いて人の門に立つとは思わなんだ。水の流れと人の行く末は、過ぎてみねえうちやァ分からねえもんだなァ」
玉「それもわたくしという悪魔が憑いていますゆえ」
玉「悪いことを言い出した。もう、愚痴は言いっこなしだ。それにしてもこう言うと浮気なようだが、三味線を弾いていると、仇な新造や小粋な年増が『いいよ、浮気にするよ。ちょっと手拭いを取って顔を見せておくんな』と言うのがちらちら耳に入ると、まんざら悪い気がしねえ。なァ坊や。おお、笑った。いい子だぞ」
春「ほうぼうの娘や女郎がお前さんを贔屓にして大騒ぎをすると、ちっとはお気が晴れる」
玉「随分慰みになるぜ。おめえも一晩出てみねえか。おいらが坊を負ぶって後からついていくよ。なかなか面白いぜ」
春「そんなことをするものなら、あなたを贔屓にしている女中から、どんな目に合わされることやら」
玉「ときに坊は」
春「寝んねしました」
玉「それじゃァ布団に寝かしてしまいねえ」
 お春は「はい」と返事をして、玉松を小座布団に寝かしつけた。そして「何だか暗くなりました。明かりでもつけましょう」と立ちかかったところを玉次郎は、「行燈は少し待ちな」と言いながらお春の手を取ってぐっと引き寄せ、そのまま膝の上へ抱え上げた。


第十八回 目出度(めでた)/\の若まつさまハ 枝もさかえて葉もしげる

春「おや、珍しい」
玉「このごろ毎晩、遅く帰(けえ)って、ちっとも出かけねえからさ」
春「坊ができてから誠に不精になりました」
玉「そのくせ玉門(れこしき)は一人産んだので、ぐっとうま味が出てきた」
 と内股へ手を差し込むと、お春は少し股を広げて腹をへこませ、子宮(こつぼ)を突き出すようにした。玉次郎が二本の指で茘枝肉から両縁のひらひらした臓物をひねくり回すうちに、奥より温かい淫水がぬるり、ぬるりとわき出してくる。お春は男の首筋にしっかりと抱きついた。
春「いじってばかりいないで、入れておくんなさいね」
玉「入れるから、この足をこっちのほうへやって、おいらの上へ跨がんな」
 玉次郎はお春を居茶臼にして、玉茎(いちもつ)を一気にぐっと突っ込み、下からそろり、そろりと持ち上げかける。そのとき尻のところで何か堅いものがあたった。引き出してみると、管についた蝶々だった。
玉「煙管かと思ったら、坊のおもちゃか」
春「それはさっきお隣のおばさんが、坊を遊ばしておくれのとき、蝶々売りの女がきて、誠に可愛いよいお子だと言って下さったのでございます」
玉「銭をやればよかったのに。気の毒な。やや、つぶれてしまった」
春「明日、参ったら礼をしましょうよ」
玉「そりゃァそうと、何だかいい心持ちになってきた。さあ、おめえも腰を遣いねえ」
春「それでも女が」
玉「何の、構うものか」と言いながら反り身になって前を覗いた。「こりゃァまァ、すっぽりはまった」
春「ほんにどうしてこんなに入るのでしょう」
玉「どうしてだか知らないが、だんだん鈴口がむずむずしてきた」
春「わたくしもでございます」
玉「それなら早く気をやって、商売に出かけよう」
 玉次郎が下からずぼずぼと回し腰に、子宮を目がけて突き上げるのに合わせて、お春は男にしっかり抱きつき、頬と頬を擦り付けて、はあ、はあ、ふう、ふうと腰をもじらせて男根(へのこ)をこじる。茎節(かり)の出っ張りが玉中の左右の肉にこすられて、烈火のように火照るので、女も男も総身のよさが臍下に凝り固まり、歯を喰い締めて身を震わせ、「それ、いく、いく」と双方、顔をしかめて気をやった。子宮の奥と鈴口の穴より飛び出した吐淫がぶつかり合い、玉門(ぼぼ)いっぱいにみなぎってさらによくなり、二人とも「ああ、ああ」と言うよりほかに言葉がなく、しばらく抱き締めあっていた。
玉「すばらしくよかったぜ」
春「わたくしも夢中になってしまいました」と袂より紙を取り出す。「気味の悪い。どうしてこんなに出たのだろう。あれ、あなた。着物につくといけません。人は老少不定と申しますから、いつ何時も知れない命。ひょっとしたらこれが交合(し)おさめになるかもしれませんから、もっとよくお拭かせ下さい」
玉「なんだ。縁起でもねえ。そんなことは言わねえものだ。おいらのはすっぱり奇麗になった」と立ち上がって帯を締め直した。「やれやれ。大いに骨を折った。この勢いで出かけよう」
春「いま明かりをつけます」
 と行燈を出して火をつける。玉次郎が三味線を手に取った。
玉「そんならちょっと出かけてくるぜ」
春「あんまり遅くならないうちにお帰りを」
玉「承知だよ。案じなさんな」
 下駄をつっかけて出て行くのをお春は門口まで見送った。
春「もし」
玉「なんだな」
春「どうぞ夜露をうけないように」
 玉次郎は返事をして、三味線を抱えて出ていった。
 お春はその後ろ姿を見送って、しばし呆然としていたが、やがて涙をほろりとこぼし、溜め息をつきながら板戸をぴしゃりと閉め切って玉松の近くにやってきた。行燈の火影に照らし出される玉松の顔をつくづくうち守り、またさめざめと泣きはじめ、しばらくしてようやく落ちる涙を払った。
春「おとっつァんのお帰りまで、おとなしくお目めを覚まさずに寝ていやよ。おっかあさんは、可愛い坊やといとおしいおとっつァんにお別れし、冥土とやらいう遠い国へ行かねばならぬ。それというのも身のいたずら、道ならぬ恋の忍び寝が積もり積もってお前ができ、袖に隠すも三月、四月、包むにあまる腹帯も氏神さまの御罰かと思うとたいへん罪深く、そのとき死のうと覚悟をしたけれど、せっかく宿ってきたお前をこの世の風に当たらせもせず、闇から闇へやるのは不憫。せめてお前を産み落としてからと、未練な心に義理深いお染さんを出し抜いていくたびか嘆かせたうえ、お前のおじいさんであるお年をめされたお父さんを捨てて家出した大罪人は、恩を仇で返す不幸者。お染さんへの書き置きにも、しばらく身を隠し、お腹の稚児(やや)を産み落としたら、その日にも玉次郎さんをお返ししますと書いたが、生まれたお前が愛おしく、かねて覚悟はしながらも、どうも未練でよく死なれず、きょうになってしまった。わずかのお金はみな遣い、生活のたしになればとおとっつァんの三味線弾いての門付も、わたしがいるからこそ。わたしさえいなければ、良人(おっと)のため、お前のため、お染さんへの義理も立つ。明日にも木場へ帰ったら、お染さんを本当の親と思って大事にし、おっかさんに代わって祖父(おとっ)つァんの御機嫌を損ねるな。大きくなったら手習い、学問に精を出し、母の非業の死を手本にして必ず不義はするなよ。さっきあげたあの乳がこの世の名残りになったねえ」
 お春は堰を切ったように溢れ出る涙を噛み締めて泣き伏した。
 しばらくして顔を上げると、お春はしたためておいた書き置きを取り出し、玉次郎が出ていった表のほうを向いた。
「玉次郎さま。これまでご患難をさせました。わたくしが死んだなら、少しでも早く木場へお帰りになり、お染さんを大事にし、玉松も可愛がって下さいまし。思い出したときは、一遍でよいから念仏を、どうぞお願い申します。委細の訳は残らずここに書いておきました。返す返すもこれまで、足らぬこの身を可愛がり、よう飽きずにいて下さんした。尽きぬ名残りも世の中の義理という字にほだされて、死ねばならぬこの身の上。お別れでございます」
 一つ言っては涙にむせび、二つ言っては打ち沈んでを繰り返し、五ツ(夜八時)を知らせる拍子木の音に驚いてようやく身を起こし、すやすやと寝入っている玉松の顔をつくづく眺めた。
「そんなら坊や。かあさんは遠いお国へ行きます」
 いつしか用意していた剃刀を、逆手に持って咽喉にあてがい、突き立てようとしたそのとき、「待って」という声が響いてきた。
 お春ははっとして剃刀を後ろへ隠そうとしたが、その間もなく女の蝶々売りが駆け込んできて、お春の右手にすがりついた。
「もし、早く」という蝶々売りの声に「承知」と男の蝶々売りが入ってきてお春が持っていた剃刀を有無を言わさず取り上げた。続いて玉次郎がびっくりして飛び込んできた。
「訳は知らないが、お二人はよう止めて下すった。そのほうは気でも違ったか。何故(なにゆえ)の刃物三昧なのだ。虫の知らせか三味線の三の糸がぷっつりと切れて、しきりに胸騒ぎがするので、急いで戻ってきた。信じる神のお告げか……」
 玉次郎が大息をついて怨じると。お春はこうべを左右に振った。
「死なねば義理の叶わぬ身。お慈悲です。どうぞ殺して」
 となおも身を揉む。蝶々売りが「それはなりません」と取りすがったとき、手先がさわって編笠がばったり落ちた。お染の顔が現れた。思いがけない人がいたので、これはどうしたことかとお春は驚き、玉次郎も呆然としていたところへ、今度は男の蝶々売り、「やれ、久しや」と編笠を取ると、これが叔父の鐶兵衛だったので、さらに二人はびっくり。逃げようとした門口より、お杉と権太郎が入ってきた。さらにその後ろには金右衛門に銀兵衛までが控えている。これを見て、玉次郎とお春は立ちすくみ、そのまま平伏して、消え入りたいばかりであった。
 鐶兵衛は金右衛門の手を取って上座に招き、銀兵衛へは会釈をし、玉次郎とお春に向かって、
「これまでのことはさておき、今宵、この家に連ねてきたのは、お杉どのと権太郎どのが蝶々売りにまで身を変えて、この神奈川でそなた二人の隠れ家を探し当てたからである。お杉どのは残り、権太どのは鎌倉の木場にさっそく駆けつけて金右衛門さんにそのことを告げ、お染さんを引き連れて戻ってきたのがきょうの昼。わしも前に訪ねてきて、折りよく杉権(ふたり)に会い、話を聞いて宿屋の二階に泊まって、お染さんのお着きがあるとすぐに連れて出ようとしたところ、『その格好だとそなた二人に先に見つかってはこれまでの苦労が水の泡、この笠を被って蝶々売りに身を変えては』とのお杉どのの忠告。なるほど、それがよかろうと、われもお染さんもこのとおり、蝶々売りとなって顔を隠し、この家の様子をうかがえば、紛(まご)うかたなく二人の隠れ家。そこに寝ている子供(ねんねえ)に蝶々をやったのもお染さん、そのときすぐにとは思ったが、日暮れまでに金右衛門さん、銀兵衛さんがおいでになると聞き、黄昏すぎに待ち合わせ、再びこの家の門辺へきてみると」
 と話しかけたのをお染が受け継いだ。
「うちには一人、お春さんがわちきに対して義理がすまないと、寝ている子供(ねんねえ)へお暇乞い。大方は聞きました。危ないところをこうやってお救い申すのも、権さんとお杉の忠義が厚いゆえ。どうぞ死ぬのなんのという忌まわしいことは、夢にも思って下さるな。信心したる神さまや仏さまのご利益で、ご無事なお顔を見るうれしさ……」
 お染が涙にむせかえった。銀兵衛が膝を進めた。
「玉次郎さんもお春さんも、もともと深い訳があり、余儀ない筋とはいうものの、あんまりでかした訳でもないが、お染さん、権太さん、わたしどもをはじめとして、金右衛門さまへお詫びを申し、お連れ申しますから、なあもし、木場の大旦那さま」
 と言われて金右衛門はほくほくうなずいた。
「蓋もとれない二人の不始末、言うべきことは山々あるが、お染の願い、皆さまのお取り成しも余儀なければ、これまでのことはすべて水の泡と思っている。これ、玉次郎、やはりお染を本家(おもや)の妻、玉松をお染の子として……」
杉「お春さまは洲崎のご別荘にお移りなされ。月、雪、花によく似た玉次郎さま、お染さま、お春さまの御仲模様……」
権「千代に八千代の末かけて、尽きぬ縁(えにし)、ともに白髪、さあ、めでたい、めでたい」
 と祝せられて、玉次郎とお春は何がなんやら夢うつつであったが、そこへ権太郎が用意した酒肴が所狭しと持ち込まれ、この夜は遅くまで飲み明かし、翌日、一同は玉次郎とお春を連れて木場へ戻った。
 その後、お染は本家(おもや)の妻、玉松をわが子とし、お春は洲崎の別荘に移って暮らしていたが、玉次郎は本家にいたり、また洲崎に寝る夜もあり、三人の仲はさながら水と魚のようであった。
 さて、お春とお染の取り持ちで、権太郎とお杉は晴れて夫婦となり、お染、お春、お杉はともに多くの男女をもうけ、家は富み、幾夜の春を迎えたという。めでたし、めでたし。


春雨衣三編下巻 大尾