魂膽色遊懐男

魂膽色遊懐男  巻一

目録  色三味線作者

仙女ハ假寝の雲を枕(せんぢよはうたゝねのくもをまくら)
 凡夫のむかしは酒屋の娘
 樽の底打あけて身の上咄
 恋の元手にあふさかやま
 さねかづらは女の道ひき

奥様ハ機嫌のよい栄花枕(おくさまはきげんのよいゑいくわまくら)
 むつごとハ命をむしりざかな
 ね酒ハ床の手がゝり心底ハくも
 らぬ月夜にかまぬかれた
 おとこ

大盡に紋日を括り枕(だいじんにもんびをくゝりまくら)
 嶋原の曙の横雲は引きたり
 三味線ばち利生ある女郎
 客によりての客あしらい

姉の異見耳痛堅木枕(あねのいけんみゝいたひかたぎまくら)
 浮気手代色つれて通しかご
 算用ハ尻からぬけ参り
 をもわくハかくべつの
 床ちがひ


仙女はうたた寝の雲を枕

 盛んなるかな恋の世の中。いにしえに替って歌を詠み、玉章(たまずさ。手紙)に大和調(やまとしらべ)を書きつづけ、心を尽して足を運んで思いを伝え、二重だった帯が三重回るほど思いにやつれても恋の叶わないことがある。そのとき煩悩の犬となり、六道四生の間を生き代わり死に代わりして、鬼にでもなったように思いを知らせようとするのは、時代遅れの脅しというものだ。今時の女にそんなことでなびく者はいない。それはとっと昔の小野小町時代の話。そのとき「百夜通え」と命じた女も女だが、信じて遠い深草からべんべんだらりと九十九夜通う男もおめでたい。今の世は音曲に『一声二節』とあるように、『一金一男』でなければならない。金があるか、男ぶりがよいか、いずれにせよ、このふたつのいずれかが備わっていなければ、当世の恋は叶うはずがない。

 都に近い山科というところに、前生でまったく恋の種を蒔かない男がいた。身代は貧しく、器量も悪いので、女から優しい言葉をかけられたことがなく、犬のやりくりや猫のいがみ合うのを見ては目を楽しませ、二十三歳になる今にまで恋という字を知ってはいても、相手になる女のいない一人暮らし。夜は宵のうちからさっさと布団に入り、若輩ながら右の手を借りて独悦する月日を送っていた。
 母親は塩の長次ではないが、馬を飲む夢を見てこの男を孕んだ。そのためか男の一物は人並み外れたすさまじい大きさで、豆を食って精力をつけなくても、朝から晩まで拍子のない腹つづみを打ちつづけている。そこで近所の者たちは一物が馬並みだというので、荷馬にちなんで男を『こんだの豆右衛門』と呼んでいた。
 初春の雪の間を分けて咲く梅花の香りは女の袖の移り心。豆右衛門は意味もなくときめいて陽気になり、春は東から訪れるからと何ら恋のあてがないにも関わらず東山を目指し、見目好い女がいると近づいては声をかける。薮入りで奉公先から暇をもらっている最中らしい。
「そなたはいま、どこにいらっしゃるのか」
 だが、相手にされないのは言うまでもない。
「うっとうしい。知り合いでもないのに、どこにいるのか場所を聞いて、どうするつもりか」
 と、女が無愛想に言い放せば、『色多い京の都だというのに、あんなに堅い女がいるとは』と顔をしかめる勘違いぶり。また目病み地蔵の門の内側に隠れて、西から連れがやってきたとすぐさま飛び出し、袖を引っ張ってみたりもした。
「お久しい。今はどこにお勤めか。最近、すっかり見なかったが」
 するとこの女はにっこり笑う。
「今回のお勤め先はおかみさまが嫉妬深く、思う存分男を拾うことができませぬ。久しぶりに会いましたのも何かのお縁でござりましょう。どこかしっぽりできるところをご存じなら、連れていって下され」
 と今度は女のほうが物欲しげな口ぶり。だが、出来過ぎの話に美人局かもしれず、最後はどうなることやらと考えると怖くもあり、適当なことを言ってどうにか振り切った。
 とにかく自分の目にとまるような女は、ほかの男だってほうっておきはしないだろう。はや十一月ごろから正月の遊ぶ約束をとりつけておくのだから、暇な見目好い女奉公人などいるはずがなく、祇園から清水まで歩いてみたが、話ができたのは煮瓜屋の女房ぐらいで、結局、銭がないのだから埒も明かないと、豆右衛門は自分の住む山科へ戻った。
 しかし、あきらめたわけではなかった。元手がかからずに女の手に触れることができるものはないだろうかと思案し、〈真葛(さねかずら)を取って京の歴々の女中たちに売ればよかろう〉と思いついて、豆右衛門は逢坂山に分け入った。
 ここらあちらと真葛を探し回っていると、ふと三味線に合わせて投節(なげぶし)を歌う美しい声が聞こえてきた。声のするほうを目指して松や杉がうっそうと生い茂る森を捜し回っていると、陽射しも差し込まない小暗い洞の中にいる、木の葉の衣をまとった二十歳ばかりの女がいた。歌が魂に応える。
 よく見ると顔つきが妖艶だ。
〈これは人間ではない。天つ乙女のおちぶれたなりの果てか、または蝉丸の落とし子か。そうであれば瞽女(ごぜ)のはずだが……〉
 不審が募って近づいて子細を訊ねると、美女は話しはじめた。
「我は大津・松本の里にある酒屋の娘。両親が慎重に婿選びをするので、二十一歳になるまで男の肌を知らず、夜は父母の間に入って寝ていた。心中では納得していたが、男と話すことさえ強く咎められる始末。このつらさ、情けなさは言葉に尽しがたく、あるとき逢坂山の山奥に恋を祈ると成就するという山神さまがあると聞き、秘かに家を抜け出してここまで登ってきたところ、いたずらな仙人に出会ってこの洞穴に引きずり込まれ、無理無体なことをされてから、からだは軽くなり、好物もいつとはなしに目の前に現れて飢えることなく、寒さを感じることもなくなった。すっかり古里へ帰ることを忘れてしまい、つつじが咲くのを見ては春の訪れを知り、栗のいがが落ちるのを見ては秋を知って三十年、神通力を会得してこの洞穴にいながら古里の様子を訪ねると、酒屋は残っていたが両親はすでになく、手代が跡を継いでいた。我は凡夫だったその昔、恋が自由にならないことをつらく思った。だから今、誰であれ色の道に心を寄せる者があれば、どんな恋であろうと我が神通力で叶えてあげようと、常日ごろから思ってきたが、ここまでやってきて頼む人はいまだない。そなた、恋は嫌か」
 豆右衛門は女のいる洞窟の前にひざまずいた。
「まったく思いがけず不思議な御身に出会い、奇妙なことを承りました。わたしは元来色深く、恋の道に心を寄せておりますが、ご覧のように生まれつき男ぶりが悪く、しかも貧乏なので思うことも叶わず、血気盛んではありますが、うかうかと面白くもない独り寝の毎日を過ごしております。ただ残念なのはわたしの一物。人よりすぐれたよい道具でありながら持ち手が悪いため、世に出る機会がございません。願わくば心のままに恋を叶える秘伝があれば、わたしにお授け下さい」
 豆右衛門は涙を流して懇望した。すると、仙女は不愍に思ったらしく、懐中から白銀の香箱を取り出し、なかから外郎(ういろう。痰の薬)ほどの小さな金の丸薬を一粒、豆右衛門に与えた。
「これを飲んで試してみよ」
 豆右衛門は丸薬をありがたく押し頂いて飲んだ。すると、たちまち雪霜が消えるようにからだがみじみじとして、芥子人形のように小さくなってしまったので、大いに肝を潰した。
「これは情けない。こんな蚤ほどのからだになってしまっては、色も恋もどうにもなりません。お慈悲ですから元の人間の姿に戻して下さい」
 仙女は豆右衛門を見下ろした。
「汝は前生で恋の種を蒔かなかったため、身生を変えねば色道の楽しみは叶わぬ。ゆえにそのような小さな人の姿にした。すぐに今宵からでも色里はもちろん、町屋の歴々の奥方と心ゆくまで楽しむがよい。たとえ遊女であろうが、人の女房、小娘、後家、妾(てかけ)、汝が楽しみたいと思う女と懇ろにしている男の懐(ふところ)に飛び込めば、男の魂は抜け、汝、仮にその男と入れ替わって相手の女を自由にすることができる。またとない楽しみではないか。人から咎められることもなく、どんな奥さまであろうと殿さまに入れ替わって、さまざまの戯れができる。これほどの栄花がほかにはあるまい」
 仙女が示したことで、嘆き悲しんでいた豆右衛門は限りなく喜び、さっそくお暇を告げて立ち去ろうとした。
「待ちなさい。床の秘伝を授けよう」と、仙女が一巻の書物を投げ出した。「では入れ替わった男の腎水の続くかぎり水遊びをして楽しむがよい」
 そう言うや否や仙女は風に乗って消えてしまった。
 不思議なことがあるものだと豆右衛門は思いながら、蚤が飛ぶように山を下り、大津海道の米積み車の俵の陰についと飛び乗り、都を目指して上っていった。


奥さまは機嫌のよい栄花枕

 ここは都の真ん中。立ち売りや大名の御用を聞いて回る歴々の町人、棟高く美麗を尽した家々など、どれも全盛を誇っている。
 金銀があるのに任せて駕籠に乗り、西嶋(さいとう。島原遊廓)に通う大尽がいる。その御威光はあまねく廓中に響き渡っていても、いつしか上臈との仲が絶える。すると上臈は本物の恋に身をやつし、明け暮れ月や蛍を見ては空しく思い、梢が紅葉になる季節の移り変わりも忘れている。抱えられている宿とは気まずいが、炬燵布団の下をこがすほど、昼は房つき枕にもたれ、夜通し枕と戯れている。この上臈は十六の春の花、御前とかの名高い御方の落とし子という。
 美しさや花の色を写し絵に表した小町も、歌道を習ったのは、家がその道に精通していたからだろう。ふだんから扱いなれた玉琴を弾き、時勢粧(いまようすがた)を詠めば庶民が真似して唇を動かす、投節、加賀節などは格別にして、音曲さえ上品で面白いから、まして情けの道は偽りなく深い。
 多くの女中は髪を調え、表使い(おもてづかい)の女腰元、茶の通いをする女童子までうっとりする景色は、当世流行りの生っ粋の箱入り娘だったのか。外で奉公したことのある女とは思われず、さながら唐国の西湖(せいこ)の美景に雨が潤う有り様であるが、その女は人の花。主人は自分のものとして夜の楽しみ、錦の褥(しとね)の上に二つ枕を並べ、釣夜着(つりよぎ)の下から、奥さまのお肌を雪のようだと表現するのもくだくだしく、着飾った京細工ということもない。ただ美しすぎて気味が悪いほどである。
 この家の旦那殿は西嶋の上臈を悲しませることがあったかもしれない。だが、奥さまの美しさを見れば、西嶋通いをやめたくもなるというものだ。酒機嫌の旦那殿は横になって腰元たちに煙草を吸いつけさせた。
「腰元どもよ。近日中に初狂言を見に行こうと思うが、どの芝居がよかろうぞ。今から決めておけ」
 腰元たちが騒々しくなり、「小佐川がようござりましょう」「わたしくは女形の宇源太が見たい」「幸左衛門の苦みばしったところと、幸十郎のかけあいの芸が見とうござります」などと好き勝手なことを言う。奥さまが口を開いた。
「喜世三郎は顔見せのとき、眉のつくりが妙だったのですが、誰かに教えてもらったのか、今年は眉を京風につくりなおして見直しました」
 さらに小腰元の小三(こざん)に至っては、心にあることそのままに「奥さまは万太夫がお望みですか。わたしくはいっそ三軒ともすべて見とうござります」という始末。旦那殿は御機嫌だった。
「では明日はまず万太夫にしよう。笹屋形にそう伝えよ。夕飯は下屋敷で食べよう。我らも奥さまも相伴するぞ。吉都(よしいち)、岡都(おかいち)、按摩の休古(きゅうこ)、幇間(たいこ)の素悦(そえつ)は昼に新門前へ行け。明朝、人を遣わそう。大事な奥さまだからひいきの喜世三をお見せしよう。それとも嫌か」
 奥さまがにこっと笑う。「これは結構なお言葉。どのようにお返事をしてよいものやら」顔ばせが美しかった。
 豆右衛門がそれらの様子をじっと見ていた。宵のうちから煙草盆の火入れの陰に隠れていたのである。
〈こんなに美しい奥さまを持って金銀を自由にしての遊び、これこそ世界の大果報人、いまが極楽の世であろう。その上にどんな願いがあるというのか〉
 腰元たちがそれぞれの部屋に引き下がると、旦那殿が寝た顔の奥さまに「これこれ」と声をかけ、夜着の下に手を入れて揺すり起こした。初段が始まりそうだ。豆右衛門は『これはうまいところ。これがおいらの初手だ』と主人の懐へ蚤のように飛び込んだ。すると不思議なことに、旦那は自分の魂が去ったらしくうつつとなり、豆右衛門は旦那のからだを自分のもののように自由に操れることができた。奇妙なことだが仙女の言葉に間違いはなく、〈ありがたや、ありがたや〉と豆右衛門は東のほうを伏し拝み、さっそく奥さまの夜着の中へ駆け込もうと思ったが、〈これほど美貌の奥さま。ちとこちらの意のままにしてみよう〉と思い直した。
「これ、奥。酒気で寝つけない。こちらへきて少しさすっておくれ」
「それは毎日の御酒でございますから、いずれおからだに障りましょう。これから酒(ささ)を召し上がらないとおっしゃるのであれば、さすってさしあげましょう」
 優しい声で夫をいたわるのがかたじけない。
「八幡(はちまん)。明日からは必ず禁酒でござる。約束したうえは雫でも飲もうものなら、身がどろどろに溶けてしまいもしよう。きっと飲まぬ」
 どのような請文を誓っても豆右衛門にとっては他人事。気遣いしなくてよいのが有難かった。
「いつもの酒機嫌と違って、たいへんお快い御返事でございます。どのようにお心が和らぎましたか」
 奥さまはこの言葉を合図にひとつ夜着に入ってきた。
 豆右衛門は夢見心地にうれしくなり、まずお肌を撫でてみた。柔らかくすべすべとして、肉付きは太くなく、白くあぶらづいている。胸元から臍のあたりまで撫で下ろし、さて肝心のところへ手をやってみると、むっくりとふくらみが盛り上がっている。薄々とした毛はらっこのような手ざわりで、玉門は潤い湿って少しさねが高い。言葉に表しがたい気味のよさだった。
 本手に取っておやしすませた一物を押し当て、かりぎわまで進め入れると、潤いが満ち満ち、奥さまは艶顔に皺を寄せ、目を細め、鼻息を荒らげた。
 両足を豆右衛門の尻もとへ回して、持ち上げ持ち上げするのは、奥を突けという意味らしい。世の夫婦のなかには睦まじさが高じて、「深く突いて」だの「根まで入れて」だのと、遠慮なく言葉に表して好みごとを言う内儀もいるだろうに、この奥さまはそれをだらしないこととして慎んでいるようだ。この心入れに豆右衛門は無性にいとおしくなり、いきり立った一物を惜しげもなく根までぐっと入れた。
 奥さまは「はあ、あっ」と可愛らしく洩らすだけで、舌を出してしきりに鼻を鳴らし、何かに襲われたような苦しげな声を吐く。下では精汁がわき出し、ずぼずぼ、びちゃびちゃと鳴り出した。その心地好さは何にも例えようがなく、上手を尽して激しく攻めたてると、奥さまは思わず声をあげ、「のう、のう。どうも、どうも」とすすり上げ、すすり上げして、泣きむずがった。
 かくして互いに気がいき、一物をそっと抜くと舌打ちをするような音がした。何から何まで気味がよかった。
 奥さまは延べ紙を取ってぬめりを拭い取ってから、枕元の湯次(ゆつぎ)を持って茶碗に湯をつぎ、旦那と思い込んでいる豆右衛門に茶碗をさし出した。
「あがりませ」
 豆右衛門が半分飲んで差し出すと、奥さまは受け取ってすぐに残りを飲み干した。
「お煙草をあがりますか」
〈これほどの上臈は一期の思い出。いまひとついたそう〉
 と豆右衛門は奥さまの顔を見ながら思った。「煙草よりそなたの口を」
 豆右衛門が顔を近づけると紅のような舌を出して快く吸わせる。甘露のようなうまさである。すぐに覆い被さった。
「ああ、何という珍しいこと。これは驚き」
「今から酒の代わりにこれをいたす。その約束としてもう一番」
 と言うやまた上に乗りかかり、二時(ふたとき)ばかりかけて二番続けて取り、もはやこれまでと奥さまは元の寝床へ戻っていった。思う存分よい目にあった豆右衛門は、旦那の懐から這い出して、また煙草盆の陰に隠れて休んだ。
 旦那は魂が戻ったらしく、大あくびとともに両腕を差し出して伸びをした。
「さてもどこやらつまらない散歩をしたような夢を見た。奥、もう寝やったか」
「何をおっしゃいますか。しょうもない」
 奥さまはきっぱりと向こう枕に顔を背けて寝返りを打った。
「むむ。まだ寝やらぬか。おれの目が開くまで寝ずにいるとは。その下心、合点じゃ。さあ始めよう」
「ええ。とんでもない。今夜は何ごとが起こったか。のう、のう。もう嫌やの」
 奥さまは身を縮めた。
「これは迷惑。今宵に限って指も触らぬのに、さてはそなた、今まで眠っていて気味のよい妄想でも見ていたのか。そんな夢を見て潤いだっているのなら、なおよいことじゃ」
 旦那は夜着を引きあけて奥さまの近くへ寄ろうとした。
「さりとは気味が悪い。たった今、いつにもなく二つも三つもされたというのに、これはまあどうしたことでござんすか」
 奥さまが肝を潰したのも無理はなかった。旦那は不審が晴れなかった。
「いかにおれの物覚えが悪いからとて、今、したばかりのことを忘れるものか。そういえば、どうやら気味が悪い。さあ、さあ、悪ふざけを言わずと、こちらへおじゃるか、そちらへ行こうか」
「こなたさまは今夜はただならない様子。一度済んで湯を飲んだらまた始められて、わたしはいつよりもよくやりましたが、あんまり度が過ぎたようで頭痛がします。もはや今夜はお許しを」
 旦那は鼻息を荒くした。
「おれがいつしたというのだ。そんなことを言うのなら芝居もなりませぬ」
 かくして万太夫は二軒分の桟敷を損する羽目になった。


大尽に紋日をくくり枕

 親の援助を受けた暮らしは極楽とも言えよう。しかし、心の駒が駆け出しはじめるときに、色里通いの首尾が自由にならないことを、むすこなら誰もが嘆いている。されど、厳しいなかを抜けてしばらく遊べたときは、千歳を待ち侘びたような感慨深いものがある。厳しい親が隠居して自分が身代を継げば、何ごともすべてが自由になり、行きたいときに色里へ行き、泊まりたいときに泊まれるのだが、親の目を忍んで遊んだときより、格別面白味がなくなったような気がする。ということは、世の人はつねに楽をしていては、どんな楽でも楽とは思われず、暇がなくて世話を焼いているあいだ、僅かに暇ができたとき心を養えば、確かに楽が楽と思われて楽しみも一倍深くなる。親という世話焼きの手代の目を盗んで忍び出ることこそ一興というものだ。そのため自由をつくり、四枚肩のおろせ駕籠に乗って茶を一服飲むあいだに、韋駄天・仁兵衛のように西嶋へ駆け込み、八人口をゆっくりと入っていく。
 今宵も四条あたりの若子(わこ)さまで、親父が寝てから自分も寝る顔をして部屋をすぐに抜け出し、駕籠に乗ろうとしている者がいた。それを見た豆右衛門は、これ幸いとばかりに駕籠に飛び乗り、足を汚すこともなくついて行く。丹波口あたりで夜半の鐘を聞き、そうこうしている間に八ツ門が開き、宵から夢を見ていた客どもが朱雀(しゅしゃか)の細道を名残惜しそうに帰っていく。
「今きたばかりのおいらはたわけの限りを尽した大尽を見ることよ」
 などと吟じながら豆右衛門は若子さまから離れて柏屋方へ乗り込んだ。客がいるらしく、太夫の三五(さんご)が奥座敷から出てきた。
「さてさて、お出でを待ちかねました」
 すでに相当の夜更けである。太夫を見るなり、そう客が言うのも当然だった。
 軽いお吸い物が出てきたのを合図に、小居眠りをしていた末社(まっしゃ。太鼓持ち)どもが起き出して、客の機嫌を取りはじめた。八ツ時分からよくやく酒盛りが始まり、向こうの座敷から聞こえてくる投節を、こちらの酒の肴にして飲んではわあわあと大騒ぎ。大尽客の声を聞きつけて、出口の茶屋までも霜夜だというのに起き出して裸で駆けてきて、「旦那さま。ようこそおいでなされました」と挨拶する。
 見世や茶屋の者が喜ばせるたびに客は祝儀をはずみ、横雲の引く時分になってもまださまざまの夜食を頼んでいる。とかくは金がすべての世の中だ。算用なしに使い捨てるこの遊興の面白さに限りはなく、目前の安養界とはまさにこのことであろう。
 大尽は二ツ重ね布団の上に三五を抱えて楽寝をしながら、いつまでも互いに積もり話をしていて、軍(いくさ)が始まる気配がない。豆右衛門は面白くなく、ふと隣の床の様子を聞いてみると、そろそろ取りはじめるようだった。
〈まず隣の始末をつけて、その後でこの太夫の三五とやらをせしめてやろう〉
 豆右衛門が襖のすき間より隣の床へ忍び入ってみると、こちらは打って変わって女郎が積極的で、大尽の下帯に手をかけ、結び目を解きかけているところだった。
「憎い男。思わせぶりをしないで抱いて寝て下さんせ。空いびきは嫌じゃ。ももをつめるほどに、これ、目をあかんせ。今宵は何ごともせぬ気か。日ごろからの馴染みだから、粗相はお許しを」
 この歴々の太夫は何か無心の下心があるらしく、失礼を侘びて寝た顔をした客の一物を美しい手で握り締めた。
「むごいぞや。よっぽど人を切ながらせる。とんと死ねということか。こなさんのためなら命は惜しまぬ。しかしながらお頼み申します。抱いて寝るのが嫌ならば、せめて背中を向けて寝させて下さい。大事の太夫をもみくちゃに遊ばすのか。ここを少し開けさんせ」
 太夫は夜着を引きまくった。白無垢がばっと打ち広がり、緋綸子の内衣(ゆぐ)がしどけなくあらわになる。たきしめた香がはなはだ可愛らしかった。
 傍らで見ていた豆右衛門は思った。
〈これはむごい大尽め。それならおいらが替わってあのはずんだ太夫に思い出をさせ、ともに喜ぼうではないか〉
 豆右衛門が大尽の懐に入る。たちまち魂が失せて自分が大尽と入れ替わった。
「それほどまでに言うなら一番してやろう」
 太夫の上に乗りかかり、鬼かげの腹を立てたような一物を潤いだった玉門に押し当て、ぬっと入れようとしたとき、太夫は両足をすぼめて入らないようにした。
「これはどうしたことじゃ」
 遮られて一物はいよいよいきり立ち、鉄(くろがね)の楯をも貫くほどに弾みきっているのに、入させないとはどうしたことか。
「そんな首尾はお嫌いじゃと言わんしたものを」
 太夫が新たな口舌を仕掛けてきた。
「そんな真顔になったことを聞いている場ではない。まずはこの燃え立った一物を一度鎮めて、それから口舌ごとを承ろう。途中でやめてしまっては必ず淋病を患うものじゃ。平に平に頼む」
 豆右衛門は太夫の腹の上に乗りながら手を合わせた。
「それなら来たる正月はして下さんすか。それを約束して下さんしたら、すべて快うしとうござんすから、こう申します」
 と太夫は半分入れかけさせてから正月紋日の口固めをした。
〈さてはこの大尽め。先ほどから女郎がもがいていたのに、空寝入りして取り合わないのも道理〉と豆右衛門は心玉をうなずかせたが、約束を取り交わしても魂の戻った大尽が始末をつければいいことだ。大尽が何を被ろうが知ったことではなかった。
「正月紋日の約束の二つや三つはするつもりでいたのに、鵜の咽喉を締めるような仕掛け。これは罪というものじゃ。まず早うやらしてたもれ。鈴口が痛む」
 豆右衛門は涙を流した。
「そう言わんしても、わたしだけでは遠慮のない馴染みの仲で、つい忘れてしまいさんす。幸い、勝手に遣り手のかめがいます。この家の亭主ともどもここへ呼んで、こなさまや、直々にあの衆に言って聞かせて、わたしを落ち着かせて下さんせ」
 太夫は男を上に乗せながら、正月の紋日をくくる手管の仕掛け。豆右衛門は自分の金ではないので、さっさと約束することにした。
「こんなところでよければ早く呼びやれ」
「では」と三五は外に聞えるように大声を出した。「伝弥(でんや)ァ。この家の主(あるじ)さんとかめとに『ちょっとござれ』と呼んでこいや」
 言いつけられた禿の伝弥はさっそく勝手へと走り、二人を連れてきた。主が遠慮して屏風の外から声をかけた。
「床のなかからとは慌ただしい。何ごとでござります」
「亭主もかめも耳の垢を取って確かに承りなされ。太夫の正月、拙者が請け取り申す。入用金は明日持参したそう。まず落ち着くために手つけとしてこれを渡しておく」
 と偉そうに屏風の内から話して、そばにあった大尽の紙入れを開けてみると、香包みのなかに小判四枚と一分金六枚があった。
「四両は手つけとして、一分金六枚は貴殿とかめにはずもう」
 豆右衛門が屏風の外へ金を投げ出す。亭主は多いに目出度がった。
「これはこれは見事な遊ばされよう。恐らく霜月朔日に正月が決まった女郎衆は、嶋原広しと申せど、この太夫さまのほかにありますまい。かめよ、このような大尽さまは、そなたがこの里で七十〜八十年、遣り手をしていても、ついぞ話に聞いたことはあるまい。ああ、あなたのようなお気のさばけた粋(すい)さまは、この里が始まって初めてでござります。太夫さまもお仕合せ。実なく思し召したら罰が当たりましょう。随分とお気に入るまま、いかようにもお好み次第におもてなしあそばしませ」
 亭主と遣り手は有難く金をいただいて勝手へ戻っていった。
「さあ、正月は済んだ。これから餅をつく一段じゃ」
 豆右衛門は先ほどからおえきった一物をぬっと押し込み、腰骨の続くかぎり突き立てる。太夫は上手を尽して随分ともてなした。
「蒸し返しはいたしませぬ。明日の昼までともお心次第にあそばせ」
 豆右衛門は一物が続くほど闘い、これから隣の三五へと気持ちを切り替え、大尽の懐をそろりと出て隣の床へ行くと、祭りはすでに終わってしまい、二人ともくたびれたようで、前後も知らずに鼾の真最中。〈眠っているのをするのは死人も同前。面白くない〉と思って元の床へ戻ってみると、大尽は魂が立ち返って目を開けた。
「これ、太夫。いつの間にひとつ夜着に入っているか。こりゃわるくさい。揉み紙が大分あるが、誰ぞここへやってきて秘かに太夫と寝たか」と大尽はあたりを見回した。紙入れが開いているのを見つけ、香包みを開けてみた。「ここに金子五両二分入れておいたが、なくなっている。太夫、誰もここへこなんだか。合点がゆかぬ」
「何をばからしい。こなさま、たった今、主や遣り手のかめなどを呼んで、『正月をしてやる金じゃ』と渡しておいて、悪ふざけな空とぼけ。いい加減なことを言わんせ」
 太夫がせせら笑った。
「これは何とも飲み込めぬ。伝弥、伝弥ァ。亭主と遣り手を呼んでこい」
 客が険しく呼び立てたので、亭主が再び急いでやってきた。
「また我々をお呼出しなされたのは、正月をするついでに、太夫さまの氏神様のお火燵までされるというような、見事な義でござりましょう」
 亭主と遣り手が言葉を揃えて言った。客は真顔になった。
「これは肝が潰れる。口が腐ろうと正月の約束はいたさぬ」
 この大尽は女郎がいちゃついてくるのを承知で宵から寝たふりをし、正月が近いので罠にかからない用心にと下帯をきつく締めていた。その下帯の結び目がいつの間にか解けているとは、大きな計算違いだった。それに、入用金の五両二分をも知らずにばらまいてしまうとは、何とも正体なく深酔いしたものだと、大尽は自分が上戸なのを恨み、この後、さっぱりと酒を断ってしまった。日ごろから大酒のみで正体を失くすので、豆右衛門がばらまいたとは露思わず、きっと酔っぱらった上で無分別をしでかしたのだろうと思ったのだった。


姉の意見は耳痛い堅木枕

 世の中には金銀をたくさん所有して、したいことをして遊ぶ人はあろうが、自分以上の楽しみを持つ者は、日本はもとより唐土・天竺(とうど・てんじく)にもあるまい。他人の内儀としても亭主が腹を立てることはなく、自分の意のまま自由に遊び、気味がよくて自分の腎水を減らすことはない。人を使っての楽しみは、ひとえに仙女のおかげである。
 豆右衛門は今宵はあの家にしようか、この家に入ろうかと心が定まらない。少し栄耀が起きて選り好みをするようになり、どの家にも入ろうとしなくなってきたのである。そうこうするうちに夜半の鐘が鳴った。すでに寝静まる時分であり、どの家も門の戸を閉めて入れそうなところがなくなった。
〈ああ、大尽が通らないだろうか。そうすればその者の家へ行くのに〉と思ってみても、なぜか今宵に限って人通りが少なく、稀に手代らしい男が酒機嫌で通り過ぎるだけであった。〈しょうがない。こいつに取り付いていくか〉と豆右衛門はその手代らしい男の羽織の裾にぶらさがった。
 男は室町通りを上がり、しばらく行った西側の大きな家の戸を静かに叩いた。
「久三、久三」
 聞き耳を立ててもわからないような小声だった。さてはこの男、夜遊びに出た帰りで、主人の手前を恐がって忍んでいるようだ。しばらくして久三らしい男が小便に起きたような顔をして戸を開けた。言葉を交すことなく互いにただうなずき、久三が溝に小便をしている音にまぎれて、手代は自分の寝床へ入っていった。喉が渇いていたようだが、そこは我慢して木綿の夜着をひっかぶり、口の中でぶつぶつとつぶやいている。
「まず、るいと俺と花車(かしゃ。遣り手)の三人は、嫌でも通し駕籠にしなけりゃなるまい。小童女(こめろ)のかやは、飛び乗りか三宝荒神(さんぼうこうじん。三人乗れる鞍つきの馬)にでも乗せよう。男一人に、料理人の吉兵衛も参りたいと今夜ぬかしていたから、後からやってこよう。すると通し駕籠三挺で八日の道中。まず五両を見積もっておけば怖いことはない。太夫は連れていかないので、雑用や土産物の費用も含めて、七両あれば十分じゃが、用心に三両加えて、ほかにも必要な場合があろうから、まあ、十五両で大丈夫じゃろう。店の繻子や綸子の反物を二十本ほど売って、『川原町方面の屋敷のお侍の用じゃ』とかこじつけて、傍輩どもに飲み込ませれば、ざっと済む」
 そんなことを言って手代は寝入った。
〈この男、何もしらない親請人に厄介をかける奴め〉
 豆右衛門はそろりとそこを抜け出し、台所から飛び上がって奥を目指し、少し開いていた襖の間をそっと通って大座敷に入った。
 大座敷は以前にだいぶ手をかけて普請をしたようで、ところどころに切り組みがあり、手の込んだ竹揃えの濡れ縁のほか、唐木を集めた欄間窓には細部にまで金銀がちりばめられていた。隣は八畳敷きで仏壇の間らしく、四枚の襖それぞれに名のある絵師のものと思われる色彩絵があり、金銀砂子が光り輝く阿弥陀の梵字が刻字されている。丸い額がかけられていて、北には竹縁の閼伽棚(あかだな)があった。羨ましい裕福な住まいである。
 唐更紗の暖簾を上げて長四畳の間を過ぎると、一段高い小座敷があった。有り明けの陽がほんのりと明るい。この屋敷の旦那殿の寝所のようだった。豆右衛門が腰障子を少し破ってなかへ入ってみると、夫婦は枕を並べて鼾も高らかに白川夜船の最中だった。すでに取り終わってくたびれ果てたらしい。
 まず内儀の顔を覗き込んでみた。とても美しく、この器量で三十歳ほどに見えるのだから、たぶん三五〜三六歳ぐらいだろうか。むちっと肥えていて、いまが食べごろとといったところだ。旦那は三一〜三二歳で強そうなからだをしている。
 さては、この女房の美しさに恋慕して二つも四つも年上をもらったか、あるいは入り聟になったか。いずれにせよ豆右衛門は情を催し、夢見最中の内儀の目を覚まさせ、一泣かせ鳴かせてやろうと亭主の懐に入った。魂が入れ替わる。豆右衛門はむっくり起き上がって下帯を解き捨てた。事情がどうあろうと、そこは夫婦の心安さである。豆右衛門は内儀の夜着に入って上に乗り、おやした一物を玉門にあてがった。
「さあ、夢を覚ましておもてなしをしなさい」
 この言葉に内儀が目を覚ました。ぎょっとした顔をしてすぐに豆右衛門を突き飛ばし、からだを起こした。
「これ、気違い。ここを自分の家だと思っているのか。夜が更ける前にお帰りとあれほど言ったのに、面白くもないかるたを取って夜を更かして帰りそびれ、もっとも旦那殿も大津祭りに行かれて留守なので、泊まってなりともいきやと言って、きょうだいの心安さから何の遠慮もなく一緒に寝ているのに、姉を捕まえてこの粗忽者が。こりゃ畜生の行儀か。こちは畜生になるのは嫌じゃわいの。たとえ寝ていたとて、一つ夜着に入って姉を丸裸にするとは見損なった。家の者が聞かぬうちに、早う台所へ行って寝や。外聞が悪い」
 姉と名のる女は畳を叩いて心底腹を立てた。
〈さては南無三。姉だそうな。これは粗相千万。からだは弟でも肝心の魂が他人だから仕掛けてしまったが、だからさせてくれなどとぬかしても合点はしまい。ここは弟の後々のためじゃ。寝ぼけたふりをしよう〉
 豆右衛門は、前後もわからないといった振りで意味のないたわごとをつぶやき、こそこそと元の夜着に戻って寝るふりをして、さっさと弟の懐を抜け出して立ち去った。
〈今夜は巡り合わせの悪い夜じゃ〉
 などと不首尾を口惜しがりながら表へ出て、口直しによいところがあればいいがと思いながら室町を下っていく。二十三夜の月が明るい夜である。ふと東側の路地の植え込みの、表のほうへ突き出た松の枝に女帯がくくりつけてあるのが目に入った。溝石の近くまで垂れ下がっている。盗人が置き忘れていった盗品ではなさそうだ。
〈枝に垂れている染め帯は色恋の道引きに違いない。これは面白そうだ〉
 豆右衛門が傍らの陰に潜んで様子を見ていると、しばらくして松の木を伝う音がして、十八〜十九歳ぐらいの腰元らしい女が、その帯を使って苦もなく表へ降り立った。上下を見回して人気がないのを確認すると、町の水留め桶の水を手ですくって一口飲んで吐息をつき、つま先立ちでずいぶん音を立てないように、その家の表をからくり人形が歩くようにそろそろ行きすぎ、すぐ一目散に走りはじめた。豆右衛門はその背中に飛びついた。
 女の落ち着く先をうかがっていると、女は松原を東へ行って河原を過ぎる。月水(がっすい)下しの薬売り屋のあたりに、一節切の笛をたいへん細々と吹き鳴らしている二十五〜二十六歳ぐらいの男がいた。これが合図らしく、かの女は走り寄った。
「さぞ待ちかねたでしょう。今宵は二十三夜の月待ちがあり、座敷では浄瑠璃、台所では双六、かるた。魚屋の八兵衛が役者になって芝居をやって、芝居を知らないお乳母どのがわけもわからずにあれこれと所望するので、これがたいへんおかしくて、騒ぎが終わって夜食を済ませると、ようやく鼠が塩を引くように一人ひとり暇乞いを始め、台所で行なわれていた、おいまどのとすぎとの替わり狂言もいつしか鼾になりましたので、これは好都合と、お酒の燗をつけながら路地の松の木を伝うてようやくきました。今ごろはお酒が煮詰まっているはず。肴の戸棚もそのままにしてきたので、隣の白猫が思うまま食べていることでしょう」
 などと取り混ぜて話した。
 男はそんなことは一言も耳に入ってないようで、立ったまま女に抱きつき、まずその口をなめた。
「さあ、夜が明けぬうちに、することはしてしまおう」
 二人は互いに手を引きあいながら、六波羅蜜寺の門前を通って安井新地にたどりつき、白壁造りの棟高い下屋敷の軒下の小暗いところに身をかがめた。
 豆右衛門は〈ここぞよいところ〉とばかりに、男の懐へ飛び移って例のように魂を取り替えた。
「さあ、この陰で一番始めよう」
 豆右衛門が帯の結び目に手をかけると、女は強く振り放した。
「執心深い。今さら何ごとか。夜が明けて人が見れば、思い立ったことが無になります。とにかく一時も早く最期を急がねばならぬが、まだそんな心があるのなら、誠の覚悟とは見えませぬ。わたしを騙して先に殺し、そなたは逃げる思案か。今にも死ぬかと思えば、なかなかそんなことに心が赴くものではない。どうでもこれは合点がゆきませぬ。まず先にそなたを殺し、わたしは心静かに自害して後から追いつき申しましょう」
 おもむろに女が懐中から剃刀を取り出し、胸元につきつけてきた。豆右衛門は驚いた。
「南無阿弥陀仏。かけがえのない魂を入れているのに、これは迷惑。お許しあれ」
 豆右衛門は女を突き除けてやってきた道を引き返し、六波羅のほうへ一目散に逃げ出した。
「やい、心中盗人。生き畜生」
 女が怒った声を発しながら豆右衛門の後を追いかけてくる。
 あまりの切なさに豆右衛門は閻魔堂の縁の下に駆け込み、身を縮めて隠れ、息を潜めていると、女はそうとは知らずに、西を目指して走りすぎて行った。
〈これで安心だ〉
 豆右衛門は女が戻ってこないのを確認して、ほっと息をついて縁の下からそろそろと這い出した。恐ろしさのあまり魂を戻すのをすっかり忘れ、松原の板橋を渡りかかろうとしたとき、後ろから「これ」という女の声がして手をかけられた。
〈はあ。悲しや〉
 わなわなと震えがきた。とうとう捕まった。
「けったいなお人じゃ。ちと遊ばっしゃらぬか」
 女がしなだれかかってくる。見ると惣嫁(そうか。江戸の夜鷹)だった。
〈あったら肝を潰した。今日は散々。せめても今夜の得に〉
 豆右衛門は惣嫁を傍らへ連れていく。惣嫁は馬の沓を一足取り出した。
「これを膝頭に当てて」
 馬の沓を膝に当てれば、地面で膝がすりむけない。さてもそれぞれに床道具があるのが面白い。豆右衛門はそれを膝に当て、冷たい玉門を何の変哲もなくしおえた。
〈この身になって今宵ほど不幸せな日はなかったなあ〉
 豆右衛門が懐を抜け出すと、男の生まれつきの魂が戻ってきた。男はそのまま心中する気でいる。
「さあ、夜が明ける前に」
 男は腰の脇差しを引き抜いたが、惣嫁はその手をしっかり捉えた。
「そんな悪洒落は六尺衆や中間衆がようすること。この河原を家にしてこの商売をする者がそんな脅しを食うことはござらぬ。たかが二十の銭を喧嘩腰でうやむやにするのは開(へき)盗人というもの。二十の銭が一文欠けてもならぬ。さあ、出しやれ」
 惣嫁が男にむしゃぶりついた。そうこうするうちに夜がほのぼのと明けはじめ、小便取りと出くわして、ようやくことは収まった。変なもので心中するはずだったが、男はこけて幸いというべきだろう。命あっての物種なのだから。


魂膽色遊懐男  巻二

目録

嫁入はわさくさひ新枕(よめいりはわさくさひにゐまくら)
 当世女ハ衣裳でばかす昼狐
 こん/\の盃あいのしては
 しれぬ俤聟ハ腹立たり浮名

内儀をまげる臂枕(ないぎをまげるひじまくら)
 長命丸ハ水もらさぬ中のよい
 きゝ薬目のまへの無常は
 夜食の妨千夜を一夜のしやう
 じんがため

妾ハ船に楫枕(てかけはふねにかじまくら)
 道頓堀の見せ物両頭の蛇
 尻頭のはたらく若衆今に
 ふり袖きて子共心ちや屋の
 くハしやハ火の車のもゆる思ひ

野郎に咎を塗枕(やらうにとがをぬりまくら)
 内證ハしらぬが佛太夫さまの
 御来迎涙もろき出家客
 舞臺衣裳ハ床前の約束
 ふられぬまへおき


嫁入りはわざくさい新枕

 昔は姿が派手めくこともなく、男を見かけたら驚いて恥ずかしそうに振る舞い、道を歩きながらも見ている人がいれば被っている笠を傾けたものである。うぶで何でも子どもっぽいのを娘子風だとして賞美したけれど、近年の娘や嫁御は気が多くなって、替り狂言の芝居の噂や上手なつくりものの仕掛けを本物と思い、遊女や歌舞伎者の風俗の真似をする。男がする袖口の広い着物を着て帯を胸高に締め、胸元を少し開き加減にして腰を据えて歩く、八文字の足づかいの道中で大尽らしい若い男のそばをわざと通り、裾がひらめくようにして緋縮緬の内衣(ゆぐ)を見せかけ、往来の男を有頂天にさせている。
 都のなかほどで手広く商売する大名貸しがいた。その娘は今年十五歳の春の花を飾り、髪は針金を入れた跳元結が目立つ流行の釣島田。墨絵の野馬が描かれた白綸子は、紅の布がちらちら見える隠し裏で、十三替わりの寄せ縞帯を吉弥結びにして端を垂らし、お端折りに法性寺染めの抱え帯を使い、紅の二枚重ねの湯文字が見えないように気をつけて着飾る姿が一際目立っている。詣で客で賑わう愛宕神社近くで、母親が鼻を高くしてこの娘を自慢するのは、まったく不用心といってよかった。
 この娘はさるところとすでに言い入れが済んで近く嫁入りするのだが、聟になる男は前生でよくよく恋の種を蒔いていたから、このように幸せな目に遭うのだろう。美人が千両の持参金を持ってくるなど、この国ではおよそあり得ない話であり、唐人へ投げ銀(なげがね。博奕的な投資)をするようなものだが、そこは商いの手回し。万が一の将来に備えてのことである。
 きょうはその祝言の日。三三九度の盃も済んで早、お部屋へ入り、花嫁は長枕、釣夜着の下に臥している。その世話役にきた介添え女中が前後の間に控え、今宵の祭りごとが気がかりの乳母も次の間でふすまや障子に耳を当て、「首尾よく一義を済ませて下さい」と諸神に祈りを捧げていた。
 聟にとってきょうの初夜は一生に一度の楽しみというもの。聟は下帯を解きかけて新枕に添い臥し、自慢らしい鬢先を少しいじって、今宵が千代の始まりとふざけて近寄ると、花嫁は恥ずかしそうに寝間着の袖を顔に当てて身を震わせていた。
 このように恐がる懐子(ふところご)は大切にしたいものだと、聟は用意しておいたふのり紙を引き裂いて唾でよく練り、くすぐったさそうにしている花嫁の内またを広げて伏せた銀の盃のような玉門へ塗りたくり、しばらくさねがしらなどをいじった。
 その様子を見ていたのが豆右衛門。宵のころから手道具の陰に隠れて、猫が鼠を狙うようにずっと機会を待っていたのである。そして聟が取りかけようと準備を始めたとき、〈こんな結構な初物を取らずにおくべきか〉と、すばやくその背中に駆け上がって魂を聟と入れ替えた。
 そしてまず、先ほど聟がしたように、ふのり紙をねちゃねちゃと噛みしだいて粘り気が出てきたのをとろりと塗りつけ、恥ずかしさで広げられないでいる花嫁の股を押し開き、かり際までそっと押し進めた。花嫁はひどく痛いと見えて、せせり上がるのをそろそろっとあしらい、どうにかこうにか半分まで押し入れてみたが、花嫁はとかく切ながるので無理強いはせず、その夜はさっと済ませて立ち退いた。
 台所のほうから朝餉の準備を始める音が聞こえてくる。豆右衛門は〈今晩にまたゆっくりやってやろう〉と、思って聟のからだを抜け、鏡台の陰に隠れた。
 魂が戻った聟は夢から覚めたようにほっと息をつき、「では、初枕の道を開けよう」と花嫁の夜着のなかへぐずぐずっと入る。花嫁が「もはやお許しを」といった。だが、聟は花嫁が恥ずかしさのあまり今夜は許してほしいという意味なのだろうと理解してやめようとはしなかった。
「いつもはしなくても、今宵はしないと大社の神さまがお叱りになって、あらばちという罰が当たる。痛くないようそろそろとしてあげるから」と無理に取ろうとしたところに乳母と腰元がせき払いして襖を開けた。
「陽が高くなりました。お部屋見がお出でになる時分です。お髪(ぐし)を揃えてお起きになって下さい」
「これはいつの間に夜が明けたぞ」
 聟ははっとして残念がったが、すぐに夜着から這い出した。乳母が嫁御に近づてくる。
「朝まで一緒にお休みなされてお仲がようて」
 このことはすぐに花嫁の親里へも伝えられて二親も大喜びしたという。
 かくしてその日も暮れて夜になった。聟は夕べしなかったことを一代の損のように思い、部屋に入るや否やふんどしを解き捨て、嫁御の上に乗りかかって早くも入れようとしたそのときであった。
〈今夜もおのれにさせるべきものか。目薬ではないが、昨夜の入れ残しの始末をつけなければおかぬ〉
 豆右衛門は鏡台の陰から飛び出して聟の首筋に取り付き、魂を入れ替えてからだを自由にした。
「夕べは痛かったか。今夜はそれほどではないぞ」
 豆右衛門は一物にとろりとつばを塗り回して、そろりそろりと入れかける。すこしきしむようだったが、夕べあらごなしが済んでいたので、さほど苦しそうな様子もなく根まで押し入った。「これはうれしいこと」
 静かにそろそろと腰を遣ってまず一番取り終えると、「もう一番」と今度は嫁御の夜着を引き開けてその尻元にひざまずき、玉門を引き寄せてむっくりと盛り上がっている上のほうをそろそろと撫でてみた。色白で柔らかくすべすべとして、何ともいいようのない肌である。
 指につばをつけてくじってみると、嫁御は心地好いらしく額に皺を寄せ、鼻息をいつもより荒らげてきた。よがらせながら、また本手に取ってもてなしていると、嫁御は少しずつ尻をもたげ、白く清らかな細い腕を豆右衛門の後ろに回して、力をこめて抱きついてくる。ありがたいことだった。
 いよいよ気が乗って、嫁御がからだを動かせばそれに合わせてと、機に臨み変に応じて静かに出し入れしていると、その顔は桜色に照り輝きはじめ、誰が教えたわけでもないのに足で自然に豆右衛門の腰をはさみつけ、目を細めてむずがっているようなしぐさをする。総じて今時の娘は二親がしているのを見て、たぶん気持ちよいのだろうと察し、初手の口開けが済んだ後は、昔の堅苦しい時世の二十歳ぐらいの女のように、早く気をやることを覚えるのだろう。
 豆右衛門は思うがままに嫁をなぶると、「もはやこの家に心残りはない」と聟のからだから抜け出し、暇乞いもせずにさっさと出ていった。
 魂が戻った聟は、「また今夜もうっかり寝てしまった。しかし、幸いなことにまだ夜明け前。夕べといい今夜といい酒機嫌で寝てしまい、そなたの手前、実に恥ずかしい。こうなったからには、いまから可愛がってあげよう」
 と嫁の夜着の中に入り、大将軍のような顔をして悠然と腹の上にうち乗り、玉門へつばをとろりと塗り回し、「痛くないようにしてあげよう」と入れかける。嫁はまったくの懐子なので、「嫁入りすれば毎夜毎夜、こればかりしているのだろう。『眠くなっても辛抱せよ』と母さまの仰せもあり、ここは我慢」とじっとしていた。
 聟は嫁が大いにきしんで痛がるだろうと思い、我が一物にもつばを塗りたくり、大事にそっと押し込むと、何の苦もなくぬっと入り、しかも嫁は中眼になって息差し荒く、尻を持ち上げたり、両手で締めつけたりと、今夜が初めてとはいえない振る舞いに、聟は大いに肝を潰した。
「さてはこの嫁はすでに経験済み。さだめて親元の家の手代か、外に二親も知らない忍び男がいて、その後釜に我を据えたのじゃ。何とも無念千万。初物だからこそ賞翫のしようがあるというのに、仕手も知れぬ何者かが食い荒らした下げ膳を喰わせようなどとは言語道断」と、もってのほかに腹を立て、夜中だというのに乳母をたたき起こした。
「夕べは酒機嫌で横になると今朝まで寝てしまって、祭りもできなかったが、今夜取りかけてみれば、この女はなかなかの曲者。懐子にあらずして、何者かと相当懇ろにしていたのであろう。さあ、あり体に様子を吐け。それ次第ではそのままここに置いといてもよいが、悪く隠しだてをして不詰まりな言い訳をしようものなら、夜明けまで待つほどお人好しの男ではない」
 男が尋常ではなく憤慨している様子に乳母は吃驚仰天した。
「まったく、まったくそのようなことがあろうはずはござりませぬ。わたくしは昼夜お側を離れず、男であればおぬしのご兄弟でも気をつけまして、お側へは寄りつかせませんでした。自堕落なことは微塵もござりませぬ。さように不審がられても、夕べの床入りでわかりそうなもの。そして今夜も宵からお始めあそばしたではござりませぬか。それを出し抜けに気づいたふうにおっしゃるとは少しも合点がゆかぬ」
「八幡さまに誓って夕べも今夜も指すら触れてない。そしてたったいま入ってみて驚いた。いやいやきっとすでに食い手があろう」
 この剣幕に嫁も走り寄ってきて、夕べの様子や宵からの次第の段々をいうので、聟はますます腹を立て、血相を変えて当たり散らす。隣の間で聞いていた聟の乳母も、これは知らんぷりしてはいられぬと起き出してきた。
「嫁御さまもお乳母さまもお気になされますな。これ、このお子。なぜに無理をおっしゃる。『お仲がよいかお気に入ったか様子を伺え』とお袋さまの仰せで、夕べも今夜も隣の部屋で息をひそめて聞いていましたが、お可哀想にどこの国に初めてのお子なのに、夕べ二つ、今夜も早二つなされて、三番めも取りかかったうえに、そんな無理をおっしゃる。辛抱強いお子なればこそ、初めてなのに二番の三番のとお相手になられたのに、何ともむごいなされようじゃ。そのようにおっしゃるのは、さだめて三番、四番と数をあげたいのに切ながるゆえ、そのように難癖つけて何番も自由になされようというご本心でござりましょう。これは一生添い遂げる奥さま、その場しのぎの方ではござりませぬぞ。ちとおたしなみなされませ」
 聟の乳母はことのほかに戒めた。
「乳母。それは何という言い分じゃ。おれは夕べから指すら触れていないというのに。これは、これは」
 そんな口論で夜は明けた。


内儀をまげる臂枕

 好色人の重宝薬である長命丸は佐々木氏の調合によるもので、四ツ目結いの紋所の包み紙が目印だ。唐人から伝授されたというその秘法は、能書きにあるとおり、不思議なことに男の淫精を保たしめ、何十人もの女を相手にしても、この薬をつければまったく洩らすことがなく、床のなぐさみものとしてこれ以上の薬はない。
 男が淫水を洩らしたければ水を一口飲めばよい。するとたちまちいくこと、書き付けに嘘はなく、もっぱら世の好き者が買い求めている。薬種屋も用意がよく、毎日、たくさん売っている。
 さる呉服屋の旦那はまたとない好き者で、この薬のことを聞くに及んで一粒買い求め、能書きのように一物に塗り、随分と強蔵(つよぞう)のご内儀と宵から一戦を始めると、内儀はいくつという数を知らず無性に喜び、泣きむずがる。淫水は床がひたるばかりに流れ、一物は烈火のごとくにほこえきりながら、一滴も洩らさないのが不思議だった。
「もう一番取ったら水を飲んで気をやるべし」と枕近くの茶碗に水を入れ、内儀が「もう許して下さんせ」というのを合図に、腰骨の続くほど突き立てて水を飲もうとしたところに、けたたましく表の戸を叩く音が聞こえてきた。
「長くお患いの伯父御さまが本復なく、たったいまご臨終あそばしました。お急ぎ下さい」
 と申し捨てて使いは帰っていった。
「これはうかうか取ってはいられぬ」
 旦那が惜しい最中のところを引き抜き、すぐさま着物を着て三条の伯父の家に駆けつけるとすでに一門の皆々は集まっていた。
「これは五郎左。遅い。間もなくご臨終のご様子じゃ。今生の暇乞いをしなさい」
 誰かが声をかけた。
「それは残念至極。昼にお見舞申した時分は、まだまだ今晩であろうなぞとは思われなんだ。せめてお顔を見舞ってお暇乞いを申しましょう」
 伯父の妻子が病人を取り囲んで嘆いていた。人間一度は逃れられぬところ、側近くに寄ると病人が目を開けた。
「五郎左。今生の名残りじゃ。甥はそのほう一人だけ。せがれのこと、万事頼む。暇乞いの盃を」
 病人は正気だったが、声がたいへん弱々しい。五郎左は近くの盃に水を入れて病人に差し上げた。そして口へと手招きしたが、病人は飲む気があっても、からだがいうことをきかなず、「うう、五郎左、五郎左」ともがくだけだった。
 日ごろこの家に出入りしている道心者が取り次いだ。
「五郎左さま。お暇乞いの盃でござります」
 道心者が盃を差し出すので、押し頂いて一口飲んだ。すると、病人を前にしてすっかり忘れていた、かの薬の奇特が突然現れて、宵から溜め込んでいた精汁が堤防の切れたように、一度にどっと溢れ出てきた。その気味のよさは何とも言いようがなく、思わず鼻息を荒らげ、冷水を浴びたようにからだがぶるぶる震える。それと知らない近くの者たちが五郎左に取り付いた。
「これは未練の至り。血を分けられたご子息さえ察知され、あきらめてそれほどお嘆きもないというのに、お袋や娘子たちを元気づけようともせずに取り乱すとは腑甲斐ない」
 最期を悲しんで目でも回しているのかと思って取り付き、諌めようとするのは甚だ迷惑だったが、よりによって臨終の場で気をやるなど前代未聞の珍事である。だが、からだを震わしている姿は、心なく笑っているというより憂いに沈んでいるように見えるはずなのが幸いだった。
 随分悲しんでいることを伝えて、立ち上がろうとして気がついた。一物からの吐逆がふんどしの内側にたまっていて、立つと一度にこぼれてしまいそうだったのだ。
 あたりを見回すと幸い、今年二歳になるこの家の孫を乳母が抱きかかえ、涙ながら「爺さまにお暇乞いをあそばせ」と話しているのを「千載一遇の機会」と五郎左衛門は、その孫を抱き取った。
「爺さまのお顔をよう見ておいて、成人した後まで忘れやるな」と抱えて立ち上がる。「はあ。こりゃ、乳母。この子が乳をあまして着物から畳に滴り落ちる。しかも乳母は菜っぱを食べさせたらしく乳が青臭い」
 孫がまだ言葉を喋らないのをいいことに、五郎左衛門は幼い子のせいにしてその場を取り繕い、台所に向かった。
「坊を抱いたら乳をこぼして着物を濡らした。着替えてまいろう」
 内儀は困ったふうだった。
「これは大事なお着物なのに気の毒千万。こちらで洗いましょう。まずこれを召されませ」
 五郎左衛門は内儀が取り出した小袖に着替えると、また戻って一門の衆と仔細らしい顔つきで葬礼の内談を始めた。
 豆右衛門は宵から五郎左衛門の袂のうちに隠れていた。
〈これはたわいもないところに取り付いて、思わぬ憂いに合ってしまった。きやつに入れ替わって好き者の内儀と一番取らねば〉
 豆右衛門は懐に入って五郎左衛門と入れ替わり、用事に立つふりをして五郎左方へ戻ってすぐ閨に入った。
「これはどうしたこと」
 と内儀が問いただすのを無視してすぐに打ち転(こ)かした。
「真最中だったのに伯父が死んだという知らせがあったから」
 豆右衛門は内儀の服を引きまくってやりはじめた。
「畏れ多い。叔父さまがお果てなされたのだから、せめて今宵はお待ちなさい」
「いや。今夜だからこそ精進固めをせねば」
 豆右衛門は乗りかかって思う存分取ると、からだを抜け出して片隅にこそこそ隠れた。魂が戻った五郎左はまだ伯父貴の館で葬礼の談合をしているつもりでいる。
「穴には七条より阿弥陀の念が入る」
 などと神妙な面持ちでいうので内儀が驚き、「穴のたとえにわたしのものを」と手をあてがった。まったく世にいう煩悩即菩提とは裏腹なことである。


妾は船に楫枕

 他のことには不精でも色事にはまめな豆右衛門は、京の女中をしつくしたので、これから気分を変えて難波津へ行こうと都をあとにし、車道、鳥羽縄手を過ぎて、ほどなく伏見の京橋に着いた。昼の下り船があればいいがと見回すと、きのうの夕べに船は大方出払ってしまったらしくほとんど残っていない。旅人がいないので旅籠屋は畳を叩き、茶筅売りは衣を片敷いてうたた寝の最中。蕎麦切り船や牛蒡焼きの船も絶えて、床髪結さえ近所に住む若い者の髪を抜いているぐらいで、日中の暇をもてあましている。
 しばらく佇んでいると、漕ぎ出そうとしている新三十石船があったので、豆右衛門はこれ幸いと飛び乗って、渋紙包みの荷と挟み箱に間に身を押し込めた。どうやら上下姿が借り切った船らしい。
 船は豊後橋へと向かっていく。楊枝が嶋を過ぎると淀の小橋が見え渡り、男山が近づいてきたが、影清き石清水の澄み濁りもかまわぬ乗り人は、波間に声をせわしく、謡いや助六、道行、小唄などで十里の間の気晴らしをしている。摂津・河内両国南北の川岸、柳に烏も面白い。婆さま五十人ほどが荷船に乗っているのは、本願寺へ六条参りをする一向だろうか。大方他愛もない色話でもしているのだろう。
 そうこうするうちに淀に船は着いた。船頭は橋のたもとに船を着けて、それぞれの届け物を水揚げすると、すぐ舫(もや)いを解いて船を押し出そうした。そのとき、問屋の手代らしい男が声をかけてきた。
「申し訳ござりませぬが、一人乗せてたもれ」
 船頭が船の乗り手のほうを見て「酒代に一人乗せて下されませ」と願うと、船中の者たちは居ずまいを変えて大あぐらをかいたり、横になったりする。
「見たように狭くて居所はない。窮屈なのが嫌でみんな余計に銭を出して借り切っているのだ。乗せてくれといわれても、どうしてどうして無理なことじゃ」
 みんなが言葉を揃えていうのを問屋の手代らしき男は聞き、
「ごもっとも千万ながらたった一人のこと、しかも女のことなれば、火床の隅なりともお貸しやって下さいませ」
 と断りを述べる。女と聞いて船中がどよめき、打って変わって、「女中なら苦しくはない。幸いここが開いている」といったり、船のなかほどでは「女でも年寄りだったらただはおかぬぞ」などとわめいている。
 乗ってきたのは黄八丈の大島紬を着て、花色の繻子帯を胸高に締め、綿帽子で頭を包んだ女。そろそろと歩く何とも形容しがたい姿に、乗り手はどよめき、あぐらの足をかがめては場所を作り、「これこれ。ここが広うござる。ここへ、ここへ」などと声々にいうのがおかしい。
 手代めいた男は船頭によくよく頼んで、女が船に乗るのを見届けると帰っていった。
「どなたさまも無理な御無心をしました。お許しください」
 女は優しそうな声で侘びを申し、若い男のそばに座った。そして懐中から煙管筒を取り出してたばこをのみ、大勢の男どもを相手に話をしているうちに船は八軒屋に着いた。皆々が船を降りる。女は駕籠に乗って太左衛門橋へと向かった。
 豆右衛門は、〈何としてでもこの女についていき、せしめてくれん〉と駕籠の後ろに飛び移って女の尻元にかがんだ。
 太左衛門橋に近づいたとき、女が駕籠の者に声をかけた。
「この辺にこんたんの角内という素人回しの駕籠の衆が住んでいるはず。それを訊ねてそこへ着けて下さい」
 駕籠の者が聞いてまわると西側の裏屋にあるというので駕籠をすぐそちらに回し、「さあ、ここでございます」と下ろした。女が「大儀でござった」と礼を述べて駕籠代を払い、裏へ回ってみると、すでに待ちかね顔の角内夫婦がいた。
「きのうのはずだったので一日待っていました。まず夕食を」
 家にあがるや否やすぐに膳が出てきた。
「太夫さまもお待ちかねで、まだかまだかと何度も使いを寄越されました。お供して参りましょう」
 と亭主はいい、食事が済むと女を伴って畳屋町の路地口へと向かう。そして行燈を掲げている野郎の家に入って下女を呼んだ。
「京からお吟さまがお下りなされました。太夫さまに伝えて下さりませ」
 下女が座敷に入っていくと、すぐに惣鹿子の火打ち肩当てをして風流な紙子を着た野郎がのっしりと出てきた。
「角内、精が出ました。お吟、こちへ上がりや」と男は両人を奥へ通し、下女に盃を持ってくるよういいつけた。
「さて、お吟。あらましの様子は角内から聞いたであろう。俺の気に入りさえすれば末は奥さまの身。別に台所の賄いや味噌、塩の世話を焼く必要はなく、縫い物ができなくても、無筆で文字が書けなくても、人を使えばよいのだからちっとも屈託はない。ただ夜の伽(とぎ)さえ我が好みのごとくにしてくれたなら、ほかの勤めは何もいらない。芝居見物や船遊山、物参りなど、昼間はそなたの思うままにしやれ。さて約束のとおりまず金子百両を手つけに渡す」
 野郎が五十両の包みを二つお吟の前に差し置いた。お吟は「かたじけのうございます」と礼を述べると、五十両の包みのうちから十両を抜き取って角内に渡した。角内は受け取ると祝いの盃を酌み交わして、嬉しそうに帰っていった。残ったお吟と亭主の若衆はしばらく酒を酌み交わしていた。
「さて、陽も暮れた。俺の寝間へきてみや」
 六畳敷きの一間を離れてお吟が連れていかれたのは隣の奇麗な小座敷。奥の違い棚には『女喜丹』と書かれた袋や、なづめ、せせりなどという小さな指形とか、何に使うのかふのりを溶いた猪口が並べて置いてあり、炉の上には難波焼きの土瓶が据えられている。枕草紙がうずたかく積まれ、延べ紙も十束ばかり置いてあった。明かり障子を開けると割り蓋のついた手水桶と小用所もある。すべてに思い通りの造作である。さらに紫縮緬の大小布団に枕が二つ並べられてあるのは、これまで寝床を上げたことがなく、きざしたら昼夜いつでもすぐこの座敷へ駆け込む算段と見える。お吟は布団の上に直った。
「我が一物のことは角内から聞いているであろう。一見するとすさまじく大きなものではあるけれど、その柔らかさは麩のようであり、細くしようと太くしようと思いのままなのは骨なしのごとし。入ってからの気味のよさは、何とも言いようのない上物じゃ。まず握ってみるがよい」
 男がふんどしを外して見せかける。長さは呉服尺で一尺二、三寸、細くくびれたところに丸い節が四つあり、大いに筋骨張っていて、切っ先がかっと開いているのは、まさに弓削道鏡づくりというべきもの。根元に傷はなく紫だって光り渡る、人間のそれとは思われないような代物である。
 お吟は白く細い手でかりぎわをようやく握った。
「まことにお聞きしていたより見事なものでございます。しかし、惜しいかな、お道具が長すぎて、女によっては嫌がる者もおりましょう。この長さが太くなっていま少し短ければ天下に二つとない名作物でありましょうに、残念なこと」
「これでも細いのか」
「具合のよいお道具とは申されませぬ」
 お吟はさほど驚いた様子もみせなかった。
「ではそなたの玉門はどれほど広いのか。加減を見てやろう」
 亭主がお吟の着物を押しまくって手をあてがうと、そこは一物を見たためか、早くも潤いだっていて、白泡を吹いた馬の口のようにぬらついている。さねの下を撫でて玉門へ指を差し入れてみると、ぬらつきで思わず手首までずぼっと入ってしまった。
「これほど甚だしく広い玉門とは。まずは一番」
 亭主は帯を解いて本手がかりに上に乗り、潤いだった玉門へぬっと差し込み、左右にこすりつけ突き回した。お吟が目顔をしかめて鼻息を荒くする。淫水が滝のように流れ落ちた。
 豆右衛門は時分はよしと、野郎の背中に飛び乗るより早くただちに魂を入れ替えて、わさわさと突きかかれば、お吟は「深く、深く」とねだって尻を持ち上げ、豆右衛門の背中を絞めてくる。
「ああ、じれったい」
「そうか。心得た」
 豆右衛門は根元まで一思いにぐっと突き入れた。
「息が弾みます。これはいい、いい」
 お吟は声をすすり上げ、思いのかぎり鳴きはじめた。着物の裏や布団の上までもがとろろ汁をしたたらせたようにぬらぬらとぬらついている。戦いが終わったのは半時ばかりも経ってからだった。
「さあ、次は手を変えて珍しい曲取りをして楽しもう」
 軍(いくさ)をやめて互いに離れた両軍は、しばらく息を調えてから次の一曲を始めた。

野郎に咎を塗り枕

 うつ伏せになったお吟に乗りかかって取っているとき、下女がやってきた。
「もし、太夫さま。嶋の中の茶屋から『遅い』と申して、せつせつと呼びに参りました。ご用意をなされませ。『前々からの約束ですから心変わりはなりませぬ』と茶屋の若い者も困っています」
 豆右衛門は思った。よもやこんな男を若衆として呼ぶことはあるまい、さだめて暇な金持ち後家がこの一物のことを耳にして呼んだのだろう。そこで「心得た」と答えたはよかったが、いつもの様子がわからないので下女を呼んだ。
「今夜は身動きするのがむずかしいので、いつも行くように被り物や衣裳も見計らってよいものを着せてくれ。顔も頼む」
 下女はいわれたとおり顔に白粉を塗り、額際を恰好よく帽子をかぶせ、五つ所替わりの紋がついた紅裏の茶縮緬の大振袖を出してきて着せた。まだかと台所で駕籠が待っていた。
「お吟、行ってくるぞ」
 豆右衛門はそういい残して駕籠に乗った。
 道頓堀の茶屋に駕籠が着くと、亭主がさっそく出てきた。
「太夫さま、ご勿体をつけるのもほどほどがようございます。いかに日が短いとはいえ、芝居過ぎのお約束が夜にお出でとは、あまりにひどい遅れよう。早くお座敷へ」
 亭主は「太夫さま、お出で」と奥へ声をかけ、先に立って豆右衛門を案内した。
 待っていたのは大和の出家衆らしい大尽だった。燭台のわきで寂しそうにしていたが、「太夫さま」という声が聞こえると、水を打った草木のようになって、姿を見せた豆右衛門を「太夫、ここへ」とそばに引き寄せた。
「わたしであることは前からわかっているのに、これほどに遅くお出でとは、わたしより深く懇ろなお方があるゆえか、遅くなったのでござろう。我が身は木っ端の削り屑よりも軽いのであるから、全盛のそなたに会えるだけで思いがけないこと。我が身がうらめしい」
 大尽は豆右衛門の手を取ってじっと握り締め、思いをかけるような目をして恨みごとを述べた。その顔を見ると、まだ十八、九の若僧である。野郎衆の勤めの習いだからと、四十五、六歳であろう若衆づくりの太夫と入れ替わった豆右衛門は、振袖をくわえて恥ずかしそうに振る舞ってみた。〈この巨大な道鏡づくりを見れば、どんな法師でも恋ずさむのか〉と考えるとおかしい。
 適当にあしらっていると、花車がやってきて挨拶をし、ほめそやして客をもてなしはじめた。酒が始まり、座はいよいよ興に入っていった。
 心を寄せる大尽が多いので客が絶えないのだろう。この道頓堀に肩を並べる家はありそうにないほどの繁昌ぶりだ。亭主はちょっと顔を見せただけですぐ奥へ引き下がってしまったから、きっと嚊だけで持っているような家なのだろう。
 そもそもこの花車は笠屋町で椋の葉と呼ばれていた女の成れの果て。少し年若そうな女房であり、いかにもうまそうな顔だちは光り渡り、蛤貝や椋の葉で磨いたような艶があるので椋の葉という名がついた。だが、曲者らしく酒を強いる一方で、ふざけ半分に若衆の手を握っている。
〈さてはこの女、借りたからだのこの若衆とうまいことをしているな〉
 豆右衛門が合点して、盃にかこつけて思惑気にじゃれてみると、花車は大尽法師に聞こえるように、
「太夫さま、きょうのお約束は前々からわかっていたのに、法師さまがお愛しく思ってらっしゃる十分の一もお前さまが思ってござれば、芝居が終わってからというお約束なら、楽屋からすぐに駆けつけてよさそうなもの。他の茶屋あれば飛んででもお出でになるはずなのに、迎えをやらなければいらっしゃらないとは解せぬ太夫さまじゃ」
 と、それとなく恨みを述べた。
「これは花車、よういうてくれた。俺だということは十日ほど前から知れていたこと。それなのに夜半になってやってくるとは弁解が立たぬぞ」
 という法師は二人の内情を知らないのだから、これは本心からの恨みである。まったく仏のような法師だ。花車がそれをきっかけにまた続けた。
「いいえ。お前さまは手抜かりがないけれど、茶屋がお気に入らぬからじゃ。おとといの晩も『ここの亭主どのは伊勢講へ行かれて夜が明けなければ戻らぬから、ちとゆっくりしてお客さまをもてなして下され』といったのに、いつの間にやらどこかへ逃げてしまい、わたしは気を揉んでつらかったぞえ。ここが嫌ならはっきり嫌といって、無駄な物思いはさせぬがよいわ」
 法師は田舎出の素人客だから花車や太夫の魂胆や手管に気がつかない。
「いや、いや。花車。こういえば太夫を贔屓するように思えようが、そうではない。わたしはかねて伏見屋の一客で久しく馴染みであったが、この太夫に出会ってからは伏見屋が気詰まりになって、何もかも面白くはござらぬ。とにかくここがよい、第一に内儀の気がよいと、だんだんに勧められて最近、こちらへ宿替えしたのじゃ。だから、こちらのことはもちろん、太夫のことも悪くは思わぬ」
 花車と若衆が自分たちだけのことを話しているとは知らぬが仏、見ぬが花であろう。待ち遠しかったとみえて、若衆が座についてまだ間もないというのに、料理人が夜食を持ってやってきた。
「太夫さま、ちとお上がりなさいませ」
 豆右衛門は何の遠慮もせずに箸をおっとり持って食べはじめ、膳の回りの菜までもすっかり平らげ、汁のお代わりもしてさらにひたすら食べつくした。この姿を見て法師は喜んだ。
「相手がわたしだからこそ打ち解けて、このように快く食べて下さる」
 法師が涎を垂らしているのがおかしかった。
 膳が下げられ、屏風が引き回された。
「お休みなされませ」
 法師が招かれたので豆右衛門もやむなく入り、何はともあれ尻を突きつける。ここでいつもだと若衆は法師に身を任せてくるのに、そんな体も見せないので、さては振る気かと不安になった法師は、唾をつけた一物に手をかけ、若衆の着物越しに尻の割れ目にあてがいながら、
「太夫、顔見世が間近だが、舞台衣装のこしらえはあるか。そなたが抱えている者どもに初舞台を踏ます予定はないか。取るに足らないであろうが、そのときはお役に立ちましょう」
 と若衆がうれしがることばかり述べて恋をしかけてくる。豆右衛門には迷惑なことだった。それに衆道はもとより不案内ともてあまして、〈もはやこれまで〉と野郎の尻から抜け出して、屏風の陰に隠れた。
 魂が戻った野郎は、宵にお吟と取り組んだ最中のことばかり覚えていて、勤めにきたことはゆめゆめ知らずにむっくりと起き上がった。屏風のうちは暗く、何もよく見えないので法師をお吟と心得て、巨大な一物をおやし立てて若僧を押し伏せ、着物を引きまくって取りかかった。法師が吃驚仰天したのは無理もなかった。
「これは太夫、どうしたことじゃいの。さても見事な一物よ。あまりといえば存外のやり方。誰か明かりを持ってこい」
 法師に急に呼ばれて驚いた亭主は、花車ともども手燭や行灯を持って座敷へと走ってきて、屏風を押しのけた。若衆がひざ頭のような大一物を斜に構えて中腰になっている。法師が興醒めしていた。
「この図を見てたもれ」
 ようやく若衆は気がつき、ここはどこだと見回した。そして事態を把握し、「南無三、こりゃいかん」とふんどしを振り捨てて逃げていった。


魂膽色遊懐男  巻三

目録

女房に鼻の下の長枕(にようばうにはなのしたのながまくら)
 野郎の楽屋帰りハ姿の花見
 よいめにあふて金とる役者は
 うまいせんさくうなぎは密夫の
 餌餉

女郎を茶糟中込枕(ぢよらうをちやかすなかこみまくら)
 らうじんの水揚あたらしいハ新町
 太夫もなづんだ顔付誠ハをびに
 ほれましたしゆもくづえ
 ついての床入

若後家見せ掛珠数の房付枕(わかごけみせかけじゆずのふさつきまくら)
 半四郎芝居ハぬれのはじまり
 三番つゞきハ床の達者思ひハ
 はるゝ月に村雲姥が目代

大名戻り小判で頬を張枕(だいみやうもどりこばんでつらをはりまくら)
 子ゆへの間と金のひかりに
 まよハるゝ母親恋の闇に
 ふミかぶる浮気男


女房に鼻の下の長枕

 難波をまだ見たことのない人から「大坂を一度見てみたい、どの名所を目指せばよいか」と訊ねられたら、まず道頓堀、次に天王寺だという。仏法最初の大伽藍がある天王寺を見てまわったら、逗留中、再び拝みに行くのは稀である。だが、誰が催促するでもなく宿屋の朝飯を早々と済まし、土産物を買うのを明日に延ばしても、毎日、かわらず日参するところは道頓堀のほかにない。新町もあるけれど、多くは道頓堀で浮気の下稽古をし、それから西へ飛んでいく心。十人が十人とも同じ恋の手習いの手合いだ。
 いろは茶屋(道頓堀の芝居茶屋)で腰をかけて、芝居が終わって出てくる何千人もの男女には目もくれず、しばらく芸子の楽屋帰りを眺めて楽しむ。お姫役を務めて御簾のうちから打ち掛け姿で出て、庶民がろくに近づくことすらできない装いをしている若衆連を、朝晩の芝居に金銀を使わなくてもたくさん見ることができるのは、いかにも三ヶ津に生まれた得というものだろう。
 木綿の広袖を着て豆腐箱を下げた新部子の髪結いぶりにいちはやく注目し、人の嫁子や内儀らしい人が千日参りの最中に立ち騒ぐ。だが、思い通りにならないからこそ無駄に気をもむのである。
 恋の中橋に立って東へゆっくり歩いている女房がいた。白無垢の上に黒羽二重の紋なしに黒い帯を締め、紙の鼻緒の草履を履いている姿から、質素な人の内儀とはっきりわかるが、その美しいこと、二十七〜八歳で、三つほどの娘を乳母に抱かせ、下女を伴って長町のほうへ向かっている。
〈これはうまそうな女。これを食わずにゃおかれまい〉
 豆右衛門はその女の白無垢と上着の間に飛び込んで左の袂のなかに隠れた。一行は野道へ出て勝鬘院のほうに向かったが、勝鬘院の愛染堂へは行かず、近所の旅籠屋に入った。
「おかさま、またきました」
 呼ばれた女将はまな板にかかりっきりになっていて、蛸の足を切っていたが、声を聞いて包丁と箸を置いて出てきた。
「ようこそおいでなされました。まず奥へお通りなされませ」
 女将は内儀を座敷へ通して襖を締めると、乳母と下女を勝手へ案内した。
「いとさま。これをあげましょう」と女将は乳母が抱いている娘に小さな人形と砂糖菓子を差し出した。「お二人はいとさまを連れて天王寺へ参られよ。お家さまには何か差し上げましょう。皆の衆は戻ってから食べなさい」
 女将が差配すると乳母も下女も心得た顔をして、「それならお家さまを預けます」と内儀をおいて旅籠屋を出ていった。
 女将はちろりと盃を持って女のいる座敷へ入り、「伝七さまが先ほどからお待ちでござります。久しぶりですからお家さま、ごゆっくりとお盃をなされませ」とちろりと盃を置き、また勝手へ戻っていった。
 伝七というのは旅芝居の立役者の色男、一物も立派で年の暮れに後家が精のつくものを食べたがるほどの上物持ち。内儀はこれに執心で、人目を忍んでこの春から密会していたのである。
 訪れた目的は決まっているのだから、ふたりは挨拶も酒ごともせず、内儀はすぐに帯を解いて木枕を引き寄せ、仰向けになった。伝七は一物をおやしすませ、二時ばかり上手を尽すと、内儀は思い出をたっぷりつくったと見えて、終わると手水で手を洗うこともなく、ただ盃ばかり繰った。
「また十七日に観音参りをしますので、早ういらして待っていて下さんせ」
 内儀が袖から袖へ何やら入れて座敷を出て勝手にいく。女将が茶を入れて差し出した。
「お供の衆もおっつけ戻られましょう。もうそっとお遊びなされませ」
 そこへ乳母と下女が天王寺から帰ってきて、まだ早かったかというそぶりをする。どうやらこちらも合点しているらしかった。
 このような不義者とも知らず、内儀の亭主は不憫がって金子を渡して万事に心を許し、舅への五節句の付け届けも自分の実の親のように務めている。めでたい男である。
〈しかし、よもや賢い男ではあるまい。この女に取り付いて夫の様子を見てやろう〉
 豆右衛門が女の袂に隠れていると、女は平野町の紙やろうそく、銭などを商う家に入った。亭主が庭で火鉢に火をおこし、大鰻を焼いている。
「思うたより早かった。そなたに食べさせようと思って鰻を買ったのだが、脂が多いからきっと精がつくじゃろう」
 と外のことは知らぬが仏。帰った内儀を見て機嫌がよい、まったく女房孝行な男である。
 女房は居間に入って普段着に着替え、台所のかけ硯に寄りかかって若い者を呼んだ。商いの差配をしはじめると、高給取りでやり手の手代も顔負けの指示ぶりである。なるほどこれでは亭主は何もいえまいと豆右衛門は思い直し、〈要は堪忍することだ〉と袖のなかで納得した。
 さて、日が暮れて夜になった。夫婦は並んで夕食を食べ、仲睦まじく互いに大口をたたいたり、受け答えをしあいながら、寝酒を気持ちよく飲んで寝間に入った。だが、それからは何の話をするでもなく、男は女房のほうに顔を向けることもなく南向きに寝る。一方、内儀は北向きに寝て、まったく一義をする気配がない。
〈こうなれば男に入れ替わり、きょうの隠し男へのもてなしと同じか、みてやろう〉
 豆右衛門は亭主の懐に入って魂を替えてから、言葉をかけることなく女房の夜着に入った。女房がにっこりした。
「きざしましたか。きょうは久しぶりに思い出をいたしました。女の身でも勘弁ならないと思うのですから、こなたさまのこと、思いやられるのもお道理でございます。きょうもきょうとて伝七は、自分のものがなんぼ大きいと自慢したけれど、こなたさまの以前のものと比べたら及びもしません。惜しいものを失いまして残り多いことでございます」
 背中を撫でてくるので、これは不思議な挨拶だといぶかしがりながら乗りかかると、内儀は股ぐらへ手をやった。
「張形をかけずにどうしようというのですか。あそこの小袖箪笥の五番目の小引き出しにございます。それをかけてからして下さんせ。まこと、これほど仲がよいというのに、一物が根からそっくり落ちるとは、ふたりの間の因果でございましょう。世に疥癬を患ったり、鼻が欠けたり、口が曲がったり、手足の骨が出て不自由になる者はありますが、根から一物が腐れ落ちたなどとは、聞いたためしがございません」
 内儀は涙を流した。
〈さてはこの男、湿気(梅毒)でへのこを失って女とも男ともいえない者になり、女房の心を察してきょうのような自堕落を許していたのか。面白くもない〉
 豆右衛門はそろりと男のからだから抜け出し、名に聞く新町を目指して飛び出した。


女郎を茶かす中込み枕

 思い通りにならないのが浮世だけれど、金さえあれば思いのままになることもある。勤めゆえ嫌な男の前へ親しげな顔つきで出るのは金の威光だからだが、身なりがみすぼらしくても色里に通じているのならまだしも、そんな身でも待っている客がいると、花七、椀箱などという末社(幇間)が長堀の材木大尽のお髭の塵を払うようなもてなしをしている。新町も昔と違ってぱっとした大尽を見かけなくなり、歴々の太夫たちは医者が脈をみるように心を尽して客の機嫌をとっている。
 近年、紋日を務められる大尽が減っている。昔より金がなくなっているのが理由かと思えばそうではなく、実際に出回っている金銀は多くなっている。以前、こすい男がいて金を使わずにいいことをするのが粋だと言い出し、無性に使うのは時代遅れの無粋な大尽だと笑い出してこのかた、見世の亭主や女郎にとって都合悪いことが始まったのである。
「それは料簡の狭い詮索。いまもあのように」と指差すほうを見れば、紺の揃いを着た六人の陸尺が新しい駕籠乗り物を担いで静かにやってくる。駕籠の両端には分別者にみえる手代が二人と役者が三人、それに野都という名の座頭がつきそっいる。駕籠はそろそろと揚屋へ入っていった。
 さては気を病む大尽が養生しにやってきたのかとみていると、揚屋の夫婦はもちろん、下女、下男までもが迎えに出てきた。駕籠は台所に上がり両側のたれを持ち上げると、なかには八十歳あまりの老人。末社どもに支えられながら半時ほどかけて、ようやく駕籠から出てきた。腰が二重にかがんでいるうえに萎え中風のため、わじわじと震えながら奥座敷へ向かっていく。その姿を見て、あれがきょう、水揚げをする大尽かと、目ざとく口やかましい粋どもがひどく肝を潰している。
 姉女郎が初野という新造を伴い、また見世中の女郎が揃って儀式に加わっての酒盛り。新造は色直しで小袖を召しかえ、さらにさまざまの興を催す。亭主がめでたいづくしの追従を述べはじめた。
「さて、旦那と初野さまは、万々年もお心変わりなくお会いあそばし、末は身請けの松竹梅のお祝い、そしてお子宝がご成人ののちは、ご無事でまたわたくしどものお客さまになられますように」
 八十の老人に対する欲深い祝い言葉に、一同は笑いそうになるのを飲み込んだ。
 はや御寝道具を取り繕い、床を取ろうというとき、女郎のうちの三人が老人に取り付いた。
「我々を捨ててよくも水揚げをなさること。この恨みはほかに持っていきようがありません。かりそめにも会いました縁は忘れられませず、かたさまのことばかり思ってこれから暮らします。長く会いましょうとは申しませぬ。いま一度、夢のような枕物語をいたしたく存じます。なりませぬか」
 三人の女郎は真顔で恨みを述べた。見ていた姉女郎がむっとしている。
「皆の衆のことは聞こえぬ。もとはわたくしの大事なお方さまなれど、初野の水揚げをなされたいとのお望みに、ご随意にと許しましてこうなりました。初枕の邪魔をしようとは、そりゃなりますまい」
 老人が気の毒そうな顔をしていた。
「これこれ、女房たち。やかましくしますな。それほど我に会いたいのなら、水揚げの前に一人ずつして参らせましょう。一緒に床へお出で」
「これはかたじけないお情け。それならわたしたちが堪能するほど、いくつもいくつもお願いします」
 三人は老人の手を引いて床へ入っていった。
 豆右衛門は今朝から老人の連れの手代に取り付いていて、水揚げがしたいと心がけて待っていた。だが、いかに商売だからといって、半分あの世へ行きかけている老人に対して、男を珍しそうに女郎が三人、互いに顔を赤らめて口論するのは何か様子があるに違いないと、手代の懐から這い出して襖の抜けた引手の穴から忍び入って床の様子を見て納得した。かの老人は女郎を寝転がしたところに、蒔絵を施した手文庫から金や銀の張形をいくつも取り出し、一本ずつ玉門へ入れてそろりそろりと出し入れしている。そして女郎が喜悦の姿を表すと、張形を入れたまま女郎にくれてしまったのだ。
 老人は自分の身ではとても埒が明かないことを知っていて、心を慰めるため、毎日、どの女郎と会ってもこのように張形をやり捨てに与えていたのである。どんな美男といえどもなかなかできることではない。先ほど女郎が「かたさまのこと、忘れませぬ」といっていたのは、この張形さまのことだったのだろう。恋も情けもとどのつまりは欲である。しかも女郎から「もう一番」とせがまれると、一番するたびに一本ずつ与えるので、数をこなすほど金儲けになるというわけだ。
 そのなかの八嶋という女郎が寝ながら話しかけた。
「これはこれはとてものこと。白銀より黄金の形にして下さんせ」
「そのほう、天職(天神。太夫の下)でありながら、太夫と同じ金の張形を望むとは分が過ぎる。この張形にもそれぞれ位があり、太夫には金の張形、天神には銀、囲いには銅(あかがね)、局には鉛の張形と、その位に応じて使うのであるから、望んでも叶うものではない」
 老人が事情を説明した。
 なるほど、これはよい趣向である。だいいち、年寄りの男だからといって振られる気遣いはなく、女郎のほうから床入りをせがみ、心底から鳴いてみせてさまざまにもてなす。しかも数をこなすほど喜ぶのだから、これほどの機知はない。金さえあれば七十余歳だろうと、軍(いくさ)をするとなると女から思いを寄せられる。並み居る太夫たちがこれを聞くにおよんで、老人と会いたがるのも道理である。
 豆右衛門は堪えきれなくなって老人の懐に入って魂を入れ替えると、こちらは血気盛りの魂である、女の四、五人ぐらいなんのその、脈の上がった一物をほこえきらせ、三人の女郎のうち見目好く、先ほどからいちばん楽しんでいる者を引っ捕らえた。
「それほどこのおやじがよいのなら、腰骨が続くだけ取ってやろう」
 と豆右衛門は張形を頼まず自分の真剣でもって、火花を散らして戦いはじめた。
「これは許して下さんせ。まことのものはいつものことなので飽きています。ただ、その閻浮檀金(えんぶだんごん。金)の御用のもので、ありがたいめにあわせてたもれ」
 いつもとあてが違うので女郎が拒むのを、知らんぷりして続けざま、五つ、六つと取りつづける。
「もはや欲得は関係ない。ああ、胸がいっぱいで苦しい、もう許して」
 随分と好き者のその女郎に、この世とあの世の境を見せると、豆右衛門は老人のからだを抜け出し、北浜辺の棟高い家を目指して去っていった。


若後家見せかけ数珠の房付き枕

 医者は人の生死に関わる者だから、平生から心がけて医者の本分を極めることが肝要だと、昔の良医は教えたものだが、それと異なっていまのはいはい医者ときたら、振り仮名付きの医書を頼りに脈はみるが、寛骨がどこなのからすら知らない。療治よりだいいちに悪所で使う金銀の斡旋、嫁養子の仲人、奉加事の世話、行き倒れの処置、売り家の仲介、あるいは内密に奉公人の請人になるなどして渡世している者が多い。
 一方、鍼医は医者と違い、気があってもはばかって、心配りにしても、婦人、後家、若比丘尼など、総じて若い女を療治するときは、かりにもふざけた言葉を出さない。近所の目が気になるのなら鍼を立てるだけがいい。少しでも人から不審がられると一生の損になるから、自分でもその教えを合点しているが、美しい女の、雪と見間違えるように白く脂が乗った、やわやわむくむくとした腹をさすっていると、針の先ならぬへのこの先から涙を流すのではないか、よからぬ心が起こるに違いないと思われる。
 だから、老人の鍼医を頼みたくなるが、年寄りの処置は時間がかかり、鍼による痛みもこらえがたいので、みすみす気が多い鍼医だとわかっていても、手先が器用で痛くない鍼を頼む。きのうまで別の商売をしていた者が、きょうからは長羽織を着て頭を丸め、作の蔵安などと名乗って幇間が客の機嫌を取るように、「旦那、つうんと癪が起こりませぬか」と北浜の歴々の家を徘徊し、若旦那に鍼を立てている。
「最近、ある歴々の後家御の方で療治しておりますが、その美しさといったら。あの器量ですから、きっと連合いは腎水を減らして先立ったのでしょう。『気づかえじゃ』と申されますが、からだつきを考えますと、臍の下は丈夫なのに連合いを亡くして、そのことをしてないから精分の抜きどころがなく、上にのぼってつかえたもの。おまえさまのようなお若く、ご器量のよい方と一度お会いになったら、わたしの鍼など必要なくつかえが取れましょうけれど、ままならないのが浮世でございます」
 と鍼医の蔵安がうまそうに話すので、若旦那はごくりと唾を飲み込んだ。
「少し鍼をやめて下さい。聞きたいことがある」といって若旦那はからだを起こした。「そなたの働きでその後家御と会ってみることはできまいか。首尾よくいったら、どんなお礼でもいたしましょう」
 若旦那は心底から頼んだが、蔵安はかぶりをふった。
「これは思いもよらぬこと。総じてわたしどもはそうした所作を厳しく嫌い、女中に対しても笑顔を見せないのが作法です。どのようなことがありましても思いもよりませぬ」
 蔵安が真顔になっていうものだから、若旦那はさらに後家御を奥ゆかしく思った。
「取り持って下さってそなたの療治の障害となり、渡世ができにくくなったら、慮外ながら御内議さまともどもわたしが請け合いますから、先々のことはおかまいなく、どうぞ話をしてみて下され」
 と強引に頼むので蔵安は「しからば申してみましょうか」と、大概に請け合ってその日は帰った。
 その後、四〜五回、なるのならぬのとやりとりがあって、十四〜五日も経ってようやく返事があった。
「明日、半四郎芝居に参られるはず。ひそかにお供をして、わたしは隣桟敷で面白おかしく理由をつくって桟敷の隔てを取り払い、お盃をいたします。そのあとはおまえさまの腕次第でございます」
 それを聞いて若旦那が「近ごろの働き、たいへんありがたい。ではその働き代として」と金子五両を渡そうとすると、蔵安が「これは迷惑千万」と固持したが、無理矢理、懐へねじ込んだ。
「その桟敷は何軒めか。すぐ岩井屋へ使いを出して隣を借りよう。西か東か」
「東の六軒めでございます」
「では五軒めを借りておこう」
 翌日、若旦那は蔵安と連れ立って芝居小屋へ向かい、五軒めの桟敷に上がって隔ての戸のすき間から覗いてみた。
 若後家というのは二十五〜六で、浅黄縮緬の帽子に無紋の着物を着ている。少しふっくらしていて、ちぢれ髪の先を少し切っている。まずうまそうな女である。
 連れている供もみすぼらしくは見えない。お物師、腰元、下女と五十ほどの乳母らしい女。これが恋の邪魔になりそうである。
 さて、狂言は三番続きの序が過ぎて色事の場面。蔵安はいまが幸いとばかりに隣桟敷へ見舞いを申した。
「これは近くにいらっしゃるのに気がつきませんで、無礼をいたしました。幸い、こちらの桟敷にいらっしゃるのは、わたしがふだん懇ろにしております方の若旦那。ただお一人で見物されるのもなんですから、お断わりしてこの戸を外し、下々の衆を一緒に見ましょう」
 と仕切りの戸を外そうとする。殿方の桟敷とひとつにするのを、乳母は飲み込めないという顔つきで眺めていた。
「おふたかたともわたしが懇意にしていただいているお方。人から中傷されるようなことをする蔵安ではござりませぬ」
 といってやり込めると、まんまと仕切りを外し、両方の提げ重箱もひとつにして狂言そっちのけの酒ごと。
「あなたはかのうちうちの」
 蔵安が若旦那を指差して若後家の注意を引いた。若後家は返事もなくただじろっと見てにっこりする。そのうなじはぞっとするばかりである。
「はばかりながら持ち合わせましたが、ひとつ差し上げましょう」
 若旦那は持っていた盃を振るい、露を払って差し出すと、若後家は嬉しそうに盃を押しいただき、ひとつ飲んで若旦那に返杯する。だが、乳母が目に角を立てているので、なかなか後家のそばへ近寄ることができない。若旦那は蔵安を手招きした。
「どうにかあの乳母を遠ざける方法はあるまいか」
「わたしが気がかりなのもあいつひとり。しかし、だいぶ欲深で欲面の張ったやつですから、金を握らせておまえさまの考えを聞かせ、あいつのためになるからといって頼めば、飲み込みそうなものでございます。まず三両ばかり渡されませ。わたしが見事にうなずかせてみせましょう」
 蔵安が手に取るように申すので、若旦那は「とにかくうまく頼む」と紙入れから三両を取り出して手渡した。蔵安は受け取って乳母のそばへ寄り、何やら囁くと、乳母は合点したらしく、「退屈して頭痛がしてきました」といって桟敷を外した。
「さあ、疫病神が片付きました。桟敷が千畳敷になったようでございます」
 蔵安は後家の手を取って若旦那のそばへ引き寄せた。
「先日申しましたとおり、思いの切なることは、きょうの桜山の芸よりも深いのでございます」
 と取りなすと、ふたりは互いに手を取って握り締めた。
「浮気なお心でさえなければ、すきを見て、そのあとはどうなるとも」
 後家が恥ずかしそうにする。
「南無八幡。どうしようか」
 若旦那が蔵安を見た。
「幸い、近くに知った茶屋がございます。そこへ参りましょう。皆の衆はゆっくり芝居を見物なされませ。終わったころ迎えに参りましょう。それ、旦那。この女衆へお心付けを」
 蔵安の取り持ちで女たちに一分ずつ渡した。
「わたしどもの不調法にならぬようにお頼み申します」
 それは心得たまごのふわふわとふわつきながら、若旦那は後家を先に立たせて蔵安が知っているという茶屋へ向かってあがる。そして何はともあれ床を取らせ、まず肌をさすってみると、むっちりと肥えている脂づきが小気味良い。
 下へ手をやってみると、ひどく待ちかねていたとみえて、玉門はしめってぬらつき、露の白玉が滴り落ちる。それは言葉に表しがたかった。
 ぬっと差し込もうとしたとき、蠅のように芝居小屋から男の下帯にぶらさがっていた豆右衛門、入れ替わるのはいま、と例のように男の懐に飛び込んだ。
 魂が入れ替わると、いよいよ一物はいきり出し、ぐっと入れると後家はすすり泣きをもらす。
「のう、のう。これは薬でもつけさんしたものであろう。どうも、どうも」
 後家は腰を持ち上げ、足を伸ばす。しばらくもみ合ってよくやく一番が終わった。
「この男が心を尽してきた手前もあるから、せめて次の一番は男に魂を戻して、思いを晴らせてやろう」
 と豆右衛門は思い、懐を抜け出すとすぐ男の魂が戻ってきた。
「これは、これは。まだ一番も取っていないのに、たいへんな出しよう。それも道理といえば道理。後家になられて何年もしてなかったので、待ちかねてこうなったのであろう。世間から『後家、後家』と言い寄られて、まだしてもいないのに、こんなにも出すのを賞翫することになろうとは、これこそ正真正銘の後家であったのだろう」
 男はいきりすますと乗りかかり、柄(つか)もこぶしも通れ通れと突きまわした。後家は最初のときより快くなり、互いに思うまま気をやった。
 終わってからふたりは別れの盃を交わして、再び会う日を約束しあい、まだ芝居が終わってない桟敷へ戻ると、若旦那はきょうの首尾の返礼として金子を一両渡した。
 何ごとも金をばらまかねば埒が明かない世とは、さて。


大名戻り小判でつらを張り枕

 人が寝静まった夜更け、表の戸をしきりに叩く者がいた。
「伏見町の唐物屋唐右衛門から参りました。蔵安さま、ちょっとお見舞なされて下さいませ。幼い子が目を剥いて卒倒しました。早く、早く」
 ちょうど寝暖まっていたときなので動きたくなく、「夜明けならよかったのに、これは迷惑な話」と思いながらも、商売なのでやむなく寝間着を脱ぎ捨てて、歩きながら木綿の襦袢のうえに黒羽二重に浅黄裏の着物と茶縮緬の長羽織を着て向かった。
 唐物屋では家中が起きていて三つほどの子どもを取り巻き、「湯だ、水だ」と大騒ぎをしていた。蔵安は家に上がって様子を見た。子どもが目を見開いて歯を食い縛っている。
「騒ぎなさるな。これはちっともお気遣いなされるな。鍼をしたら気がつきましょう」
 蔵安が子どもの足に、二、三本鍼を刺すと、たちまち子どもが気づいてわっと泣き出す。全員が喜んでいた。
「蔵安さま。迷惑とは存じましたがこれは、これはお手柄。お上手でございます」
 と夫婦をはじめ、乳母や下男、下女まで、蔵安のことを医者のようにもてはやした。
「夜中ご苦労でした」
 主の唐右衛門が蔵安を居間へ通した。
「きょう、大塚屋から貰うた鴻池の生諸白(酒)の樽の口を切れ。肴は宵の生鰯の酢あえがあるだろう。心安いお方だ。鉢ごとここへ出せ」
 亭主は家の者に命じると盃を取って蔵安へ差し出した。
 これから酒宴になって、世間での流行り病の噂、芝居話から色話へと進み、夜が更けるのも知らずに亭主は夢中になって話をする。蔵安もすっかりくつろいでいた。
「わたし、きょう初めて参ったところで手柄を立てました。京の人らしい五十ばかりのお袋と二十五〜六の娘御と下女一人の三人、さる方の裏座敷を借りておりますが、このお袋、きょうの昼、食あたりでひどい腹痛を起こし、手も足も冷えて危ないところでしたが、懇意の方の指図で拙者を呼びに寄越され、早速参って鍼を二本刺すと即座に本復されました。その娘の喜びようといったら、わたしのことをお袋の命の親でござると喜んで、訊ねもせぬのに身の上話を始められました。その娘はそもそも最近まで、さる御大名のお国妾(くにてかけ)で、あまりお気に入りすぎられ、殿さまはご腎虚あそばされて患い重く、家老衆の計らいで京から参られた女中の業(わざ)ゆえ、このような御重病を受けられたとあって暇を出されたそうで、それから当地に住まいを求め、母も京から呼び寄せ、お国からのお心付けで安楽に過ごされているとの物語。なるほど殿さまがお患いなされるのも無理ないこと。その娘の美しさときたら、それはそれは唐土の楊貴妃も比べ物になりません」
 心を動かすように蔵安が話すので、唐右衛門の一物はいきり出し、早くもその娘をちょろまかしたくなってきた。
「そなたの口利きでその娘をわたしに引きあわせてはくれまいか。神八幡、埒が明いたらきっとお礼をしよう」
「唐右衛門さま、わたしがそんなことの導きをすると思し召しますか。近ごろ粗忽の至り」
 蔵安が少しむっとしていた。
「蔵安老、堅い医者でも仲人をする。大名戻りの娘に口利きして下されたとて、何がそなたの難になるものか。迷惑はかけぬからひとえに頼む」
 としきりに頼むので蔵安はやむを得ないという顔をした。
「それほどに思し召すなら、わたしはそのようなことに口不調法でございますので、その娘御の方の下女をこちらに寄越しましょう。これにお願いなされませ」
「それはありがたい。だが、ここへ下女を呼べば女どもの手前、気の毒でござる。わたし、本町の家に古手屋(古物屋)を借りております。そこの古手屋茶平次という男はわたしの悪所狂いの相談役でござる。ここへ明日、下女をつかわされて下され」
「心得ました。しからばお暇を申しましょう。坊やはお静かにお休みなされるか」
 蔵安が訊ねても、亭主は自分の子どものことだというのに聞く耳を持たず、「坊主のことより下女のこと、お忘れなく」とそっちのけなのがおかしかった。
 明くる日、唐右衛門が本町で下女を待っていると、田舎めいた女がやってきた。
「古手屋の茶平次さまはこちらでございますか。蔵安さまがこなたまで参れとのことでやって参りました。何の御用でございます」
 と聞くより唐右衛門は走り出て小店のほうへ呼び寄せ、娘御への執心の段々を語った。
「どうぞそなたの働きでこの恋が叶うように頼む」
 そして小判をちらつかせると、すぐに効果が表れた。
「なるほど。お取り持ちはいたしますが、気の毒なのはお袋さま。少しもそばを離れようとなされませんで、どうもこれには困ります。しかし、幸いなのは娘御のお兄さま。京の両替屋の手代をしておりますが、この手代衆が金のことで穴をあけたとあって、請人に預けられて難儀の最中。その詫び金が五両ほどあれば済むとかで、このことを娘御に隠して秘かに工面されようとしているのですが、当地には馴染みがいないため調いませぬ。これをおまえさまからお取り替えなされて、お袋さまへ古手屋さまが蔵安さまの口入れで五両貸そうと申されていますので、お借りなされませとこちらへ誘い出して、五両の金子をこちらの古手屋の手代衆なりからお渡しなされませ。少し時間をかけてお渡しされるあいだに、おまえさまはいらっしゃいませ。わたしが取り持って首尾よく会わせましょう」
「これはいっそうの思案。そなたは見た目と違うてたいへんな知恵者じゃ。まず早うお袋さまをこちらへ参らせよ」
 唐右衛門は下女を帰すと、さっそく店の亭主に委細を吹き込み、娘が住む谷町の裏座敷へ向かった。
 着くとすぐ先ほどの下女のなつが走り出てきて、「娘御に申し入れたところ、あまり嫌でもなさそうな様子」というので、唐右衛門は喜んでうちへ入った。
 娘御というのは少し太っていて肉付きがよく、顔も人並みだが、肌の白さは雪のようであり、これなら文句はない。さっそく上がってこれまでの思いの数々を述べて口説きにかかる。そして「ぜひお情けに預かりたい」と無理矢理抱きついた。
「ああ、やめて。かかさまが戻られると首尾が悪い。早う帰って下さんせ」
 娘御が抵抗して立とうとするのを唐右衛門は引き留めた。
「それはつれない。お袋さまは合点して出かけられたので、すぐにお帰りになることはない。こうなりかかっては、何もせずに戻られましょうか。これを見て下され」
 唐右衛門が女の手を取っていきり立った一物を握らせた。するときざしてきたとみえて、女は顔を赤らめた。目が潤い、吐息をつく。嫌がってはいない様子である。
 時分はよしと押し伏せ、入れようとしたところで豆右衛門、いつから取り付いていたのかわからないが、唐右衛門の羽織の下から飛び出して男に乗り移った。
「さあ、思う存分してやろう」
 と豆右衛門が入れながら女の顔を見ると、先日、半四郎芝居で北浜の若旦那と密会した若後家であった。そのときは髪を少し下ろしていたのに、きょうは島田髷に結っていて、いかにも大名戻りという風情だ。
〈さてはこの女、回し者だな。さだめて後家のときのように、また嘘泣きして、『これはよい。何か薬をつけなかったか』と男を喜ばせるようなことをするのだろう〉
 と思い、左右を回し突きし、淫水を保ちながらあしらっていると、目をそばめて案の定悶えはじめた。
「もし。こなさまは意地が悪い。何か薬をつけなんしたろう。これほどよかったためしはありません。のう。これはどうもなりません」
 と声を細めてしがみつく。豆右衛門は腹を立てた。
「嘘もちと手をかえておっしゃい。後家のときとまったく同じではないか。身を入れてごらんなされ」
 豆右衛門が突きながら女の手を食わずにいると、女ははっとした様子だったが、すぐに打ち消した。
「何をおっしゃる。わたしがいつ後家になりましたか。そんな悪口をおっしゃるなら、わたしは嫌でござんす」
 女が離れようとしたのを豆右衛門は押し付けた。
「鼻も動かさずにぬけぬけと嘘をつく。おれは半四郎芝居で会った北浜の又という者。後家仕立てを腹いっぱい食べて無心ゆえ、手をかえて会いに参った。拙者の変わりようは顔から形から先日のようには見えますまい。そちも模様を変えて動きなされ」
 化けの皮をはがされて女は興を冷まし、言葉もなく両手で顔を隠し、口のなかで「夢になれ、夢になれ」と唱えた。
「こんなたこずれした手管の玉門で大事な腎水を減らすことはない」
 豆右衛門は容赦なく引き抜いた。
「それにお袋というのも年格好を聞くと、先日、恋の邪魔をして金をしこたま貯めた乳母でござろう。こりゃ、そこにいる下女のなつとやら。ここへこい」
 と呼びつけてまじまじと見た。
「そちは腰元に扮して似せ八丈の着物に後ろ帯していた女じゃな。きょうの田舎らしい仕立てで一杯食った。先日、取った金を返せ」
 下女も当惑して「お許し下さいませ」と畳のへりの破れをひねって赤面している。
「もはやこれまで。わがものを遣ったわけでもなし」
 と豆右衛門は懐から飛び出して麻笥(おけ)の陰に隠れた。魂が戻り、先ほどしかけたばかりのつもりでいる唐右衛門が、「こちらへ寄りたまえ」と女の手を取った。
「何ごともお許し下さりませ。わたしは存じませぬ。すべては蔵安が考えたこと」
 女が身を震わせて怖がる。唐右衛門も事情を知っていれば女の様子に合点がいっただろうが、そうとは知らないのでさらに引き寄せようとする。
「これはまた『許してくれ』などとはうぶなこと。わけのわからない小娘なんぞのような怖いことはござらぬ」
「おなぶりなさるのはもっともですが、ただただお許しを」
 そこへお袋が帰ってきた。
「これはもうお帰りになった時分だと思っていたが、まだいらっしゃる」といってお袋は表へ出て行こうとしたが、ここでまた脅して金品を巻き上げようと思い直し、「若い女がいるところに男御(おのこご)が遠慮なく家に上がって何ごとをしやるぞ。そなたはどこの人じゃ。家持ちなら出るところへ出る」と、とげとげしい声で騒ぎたてた。
 下女が困った顔をしながら囁いた。
「これ、おたまどの。黙らっしゃい。化けの皮がはげた」
「どうして」
 おたまと呼ばれたお袋が不審そうな顔をしている。だが、唐右衛門はそれを本当の親だと思い込んでいる。
「お腹立ち、ごもっともながら、若い者の習いでお娘御にほれまして、このような始末。今宵の古手屋からの五両、お役に立とうとわたしが手を回して用立てたものでございます」
 唐右衛門が顔を赤らめた。娘は額から汗を流している。
「おまたどの。決してその口上を本気にしなさるな。あれは先だっての仕返しにおなぶりなさるのじゃ。何ごともおっしゃるな。所詮、わたしどもは何も存じませぬ。申し分があるなら、蔵安どのにおっしゃりませ」
 娘は立ち上がると表へ出ていった。
 唐右衛門はまったく合点がいかず、「とにかく蔵安に会って様子を聞こう」と、宵から骨を折って金まで出したのに無首尾で帰った。
 蔵安は別の家にこの女を抱え置き、鍼を立てる先々で旦那たちが好むように、後家や娘、大名戻り、妾などに女を仕立て、いっぱい食わして金を巻き上げていたのである。これを好色の仕出しかたりという。


魂膽色遊懐男  巻四

目録

太夫をこなす粋の皮枕(たいふをこなすすいのかはまくら)
 じや/\馬にのりならひおつる
 所ハ恋の渕おはまりの女郎
 吉原すゝめの忠が不忠は
 太鞁のでかしだて

おかさまに思出をさし枕(おかさまにおもひでをさしまくら)
 相性ハ木と竹ふし%\のあか
 女夫中床ハ俤の軍場
 兵法の奥の手ハていしゆが
 ちゑふくろ楠もはだし

浮気後家寄合枕(うはきごけよりあひまくら)
 上野の桜色女中の花盛
 下戸も酒にくだを幕の中
 芸ハ身をたすくる乞食の隠道具

花嫁を三人一所に入子枕(はなよめをさんにんいつしよにいれこまくら)
 浅草の観音ちかいのあミに
 かゝつて来るつり物きせん
 ほつしか哥にふり袖を
 三人そろへもつならバ世をうち
 山と人ハいふなり



太夫をこなす粋の皮枕

 京・大坂の女郎をたいてい味わった豆右衛門は、江戸の吉原という色里で名高い高尾、小紫、薄雲などという太夫をすべて食ってみようと思い立ち、三日飛脚の箱に取り付いて江戸を目指し、四日目には早くも江戸の日本橋を渡った。
 初めて見る日本橋は夥しい繁昌ぶりで、芝居が終わったあとのように人で混雑している。上方と違ってさても賑わしいところ、見るものすべてが聞きしにまさり、驚き入るばかりである。
 向こうから少し気の悪いあばれ馬にまたがり、大勢の供を従えて上下をめかしこんだお大名さまのお使者がやってきた。供回りも揃いの羽織を着て大手を振っている。槍持ちや草履取りまでもが立派な風体で物々しい。
 供人を連れて馬に乗るのは一生ありえない経験だろうと、豆右衛門はその使者の肩衣に取り付いた。どこの屋敷の使者だろうかと聞き耳を立てていると、若殿の御立願で浅草の観音への御代参のようだ。だが、武士の作法は堅苦しく、どうでも自堕落な身持ちが自分には似合いだとすぐに飽きた豆右衛門は、間もなく派手な大尽風の町人男に乗り換えた。大尽は茂助という末社(幇間)と歩きながら話をしていた。
「太夫はおまえたちに俺のことをいわぬのか」
 茂助が大尽を見た。
「おまえさまは石町で広く知れ渡った半風さま。広い武蔵野でも評判の美男子で、金銀が満々に溢れていて家はめでたく、お若くて賢く、諸芸に通じられていて、何ひとつ不足のない大尽さまです。太夫さまも殊の外に思いをかけておられ、ほかのお相手には目もくれず、おまえさまのことばかり大切に思いつづけてござります。承りまするところ、逢い初めの初枕より二十四〜二十五度もお会いになった仲なのに、誠の契りは一度もなく、品定めをして帯さえ解かせないとか。総じて江戸の女郎は、三ヶ津の色里でも昔から張りの強いことで知られ、大抵は取って飛ばして振られてしまうのに、『大尽から太夫をお振りになること一度や二度ならず、かといってそんなそぶりをみせないのは、何かわけがあるのだろうか』と内証も気にしておりました。どのようなお考えで女郎を切ながらせるのでしょう。かわいそうです」
「さぞ太夫は苛立っていることであろう。何を隠そう、この鼻の大きさからもわかるように、俺の一物は人一倍大きく、たいていの女とは合わないため、もし取り始めて首尾よくできなかったら太夫は面目を失うだろう。それは気の毒だからここが大事とぐっと我慢して、床を離れてすごすごと帰るのじゃ。また首尾よくできたとしても、そのあと太夫が使い物にならなくなったら一生の難儀だ。と、あれこれ考えて何もしないのだが、太夫はそんなこととは知らないから、さぞ気を揉んで俺を恨んでいることだろうよ。このことは決して誰にもいうでないぞ」
「なるほど。それで納得しました。ところで、これからお出でになりませんか」
「きょうは蔦屋方に出ているはず。定めて『きょう、会ってくれ』といわれると、そのままでは済むまい。いっそ打ち明けてみようか。おまえはどう思う」
「そうなさるのがようございます。結び目の堅い下帯を解いてお見せなさいませ」
 ふたりは話しながら日本堤を過ぎて衣紋坂を下り、大門を通って揚屋の蔦屋に入った。亭主がさっそく出てきた。
「これはおよそうございます。誰か早く太夫さまに使いを出しなさい。さあ、さあ、奥へ」
 亭主はふたりを座敷へ通してさまざまにもてなした。
 しばらくして太夫がやってきた。太夫は立派な伊達姿で、白粉をつけない素顔は照り輝き、粗末な木綿の衣装を着ていても、それとわかる堂々たる姿である。
 太夫が座について酒宴が始まり、やがて大尽を気持ちよく酔わせ、自分も酔ってくると、「ああ、切ない。さあ、お休みになりませんか」と、太夫は自分から床を急いで屏風のうちに入った。
「ふたりの夜具こそ邪魔なるものよ、さても抱かれて寝る身だに」と吟じて太夫は大尽にしがみついた。「女郎の身でありながら堪え忍ぶことのできぬ男さま。お気に召さぬところは許して今宵はぜひとも首尾をして下されませ。わたしは勤めはじめてこのかた、こなたさまにほだされて、こなたさまが引け目をお感じになられぬよう注意して参りました。いつの日からかほかの男に肌を触らせたことすらありませぬ。その肌にせめて身を寄せてお温め下され」
 愚痴をこぼす太夫を大尽は不愍に思った。
「いまは何を包み隠そうぞ。実は俺の一物は図抜けていて、どんな女の玉門であろうと決してかりぎわすら入りきらぬ。まるで古札納めの願人坊主の耳を切り落とした頭ほどの大きさなのだ。この大それた摩羅ゆえ遠慮いたしておった。誠の契りがなくても恋しい心は一緒だから、行く末かけて少しも粗略にはいたさぬ」
「それはいよいよつれないことです。かくも何度も座を重ねてお会い下さるのに、これまで打ち明けて下さらず、わたくしに思いを募らせるとは。たとえ玉門が引き裂け、明日から勤めができぬとも、一度も誠の枕を交わさずに済むものではございません。これまで肌をお合わせにならなかったのは、わたくしの身をいたわって下さったお情け。そのご本心を無下にいたさぬためにも、今宵は肌を合わせなければなりませぬ」
 太夫が大尽の帯に手をかけ、結び目を解こうとした。
「これは太夫、また聞き分けのない。契りを交わそうと交すまいと他人にはわからぬこと。俺は心変わりはせぬが、それほどまでに申すなら、そなたの前をもてあそんであげよう。これで取ったも同然じゃ」
「それならば御意のままに」
 太夫が仰向けになって身を任せてきたので、大尽は太夫の前を押し広げてさし覗いた。肌が白牡丹のように白く、玉門はむっくりとして肉付きよく、上がこんもりと盛り上がっている。うすうすとした細い毛をまさぐると、天鵞絨を触っているような柔らかさだ。その心地好さにそろそろと撫で下ろし、指に唾をつけて玉門へ差し込んで静かにくじっていると、真実慕っている大尽と今宵こそ思いを遂げようと、堅く心に決めたたまり水が動く指に少し驚かされて、腫れ物の膿が出るように、ねばついた淫水となって流れ出てきた。
「ああ、切ない」
 太夫が鼻息を荒らげ、額に皺を寄せた。この音を聞いて忍んでいた豆右衛門は我慢ができなくなった。
〈世間にこれほど忍耐強い男がいるとはな。これはたまらん。たとえ太夫の開(へき)が八つ裂きになろうとも、その後はこちらと関係ないこと。まず一番〉
 と豆右衛門は半風大尽の首筋元からすっと入って魂を入れ替えた。
「太夫、堪忍袋の鈴口が破れそうだ。どうなろうともまず始めてみるぞ」
 ふたりは互いに帯を解いて下帯も外し、豆右衛門はおやしすませた一物を入れようとしてまさぐった。すると先ほどの大尽の自慢話とは裏腹に、吉野榧の実ほどの何ら役に立たない道具がぽつんとあるばかり。太夫が呆れて手にとった。
「さてもさても鼻の見事さとは大違いなこと。わたくしと肌を合わせなかったのは、この小ささを恥じてだったのですね。たしかにこれなら中途半端にするより、しないほうがましというものでしょう」
 太夫が笑い出した。
 さてもへのこまで見栄を張らなければいけないのだから、誠に色里とはむずかしいところである。世のなかの男は摩羅が大きいことを自慢し、女は広いことを恥じるが、思うにこれほど大きな違いがあるものがほかにはなかろう、と揚屋町の末社どもは噂しあったという。


おかさまに思い出をさし枕

 夫婦の縁というものは必ずしも神代の昔から伝わる相性判断と一致するものではない。麹町筋で酒屋を営む身代の裕福な人が、身体に不足のない女を見極めて自分の男ぶりも女に見せてから縁組みをする。互いの顔も知らずに縁組みするどこぞと違って、町人の縁組みほど自由なものはない。
 夫婦の仲は元日から大晦日までの間にいろいろ変わるから、ときには喧嘩もある。しかし、それにしては度が過ぎないかと、目撃した者は気の毒がってしばしば嘆いている。酒屋の夫婦はそんな夫婦だった。旦那の機嫌は悪くなく、いつも内儀から喧嘩を仕向けて始まるので、末々の召し使いどもまでがみな陰口を叩くようになっていた。いわく、
「これほど広いお江戸で女ひでりもあるまい。あんなようなお内儀はどこにもいる。姿が美しいからとて、一生養ってくれる男を何とも思わないあの顔つき。旦那さまもよく辛抱されているものだ。あの舅どのが内緒で相当買い与えているのは、きっと何かあるに違いない」と。
 だが、亭主はこの女房を明け暮れ不愍がって「何か名案はないだろうか」と思案して日を重ねていた。そして物ごとは長い目で見たほうがよいとでもいうのか、五年ほどの間、一門があれこれ意見しても耳を貸さなかったのが突如、旦那の機嫌を取るようになり、別人のように気が変わって隠しだてをしなくなった。そのうえ酒売りの帳簿をつけたり、下仕えに優しく指図し、義母には自分の親より孝を尽すようになった。
 あまりの気の変わりように、一門はもちろん出入りの職人までもが不思議がり、ふたりの仲を知る者に訊ねてみると次のようなわけだという。
「旦那はあのように体格がよいから、随分と強蔵らしく思われるが、どうした前世の報いやら、一義に取りかかって玉門の端へ一物を寄せると、すぐに気をやってしまい、いつも内儀の門口でへなだれてお礼を申すという始末。内儀はついぞ一突きも突かれたことがないため、この家に嫁入りした晩からきょうまで五年の間、一度もよい目をみてないのさ。だから、ふだんから不満がたえず、張り合いもなく亭主に冷たく当たってきた。親一門が意見しても『門口でお礼を申すのが不満で』とはとてもいえないだろ。年々気持ちが高ぶってきても、よい目にあわせてもらえないから、夫婦仲が悪くなっていたのだけれど、最近急に心変わりしたようにみえるのは、旦那に賢い知恵があったからなんだ」
「その知恵とは」
「知ってのとおりあの旦那は随分と倹約家で、びた一文も使わない人だけれど、たまたま若い衆の寄り合いに出たとき、こんな話を聞いたそうだ。『女郎が何人もの男の相手をしても気をやらないのは、床で男と抱き合って尻を持ち上げていても、心のうちでは里にいる親の悲しい暮らしを思い出したり、自分の借金を返す大晦日のことを案じたり、天井の板の節目を数えて、やりくりから気をそらしているからだ』とね。旦那ははたと思ったそうだよ。『自分が女の前を開けて柔らかな股に触るとすぐにきざして、入れる前にがたがたと震えて気をやってしまうのは、取る前から一番しようと思う気持ちが先立っているからだ。何かで気を紛らわせばいいんじゃないか』ってね。
 そこで、太平記の本のとじ目をはずして、一枚一枚寝床の天井に貼り付け、内儀に乗って一物を差し込んだら、すぐ仰向けになって真上の本を中音で読み出すのさ。『さるほどに二階堂出羽入道道雲、六万余騎の勢を引率し、大塔の宮のこもらせたまう吉野の城せめよとする』と、上ばかりを見上げて内儀の顔を見ずに腰を遣うようになって、ようやくしばらく城郭が持ちこたえるようになった。下で内儀が喜悦の声をあげて泣きむずかったら、これを耳へ入れるまいとさらに大声をあげて、『なつび川の川淀より城のほうを見上げたれば、峯には白旗、赤旗、錦の旗、深山颪(みやまおろし)に吹きなびかされて、雲か花かと疑わる。麓には数万の官軍入り乱れて、鬨(とき)の声やたつびの音高く』戦いの間もしばらくすれば、気をやっているだろうと内儀の顔を見ると、『ああ、いい気持ち。いつかこんなめにあうと思っていましたが、ありがたや、気持ちいい』と鼻息荒く、目を細めてよがっている姿をひと目見たら最後、がくがくと討ち死にの始まり。『南無三、女房はまだだった。いま少し持ちこたえなければ』とまた仰向けになって、『楠、この城を構えたること暫時のことなりければ、はかばかしき兵糧なんど用意もせざれば』、合戦が始まってわずかのあいだに城中の兵糧は尽きて、城が持ちこたえられなくなり、もはや気を紛らわしても我慢できず、たたみ提灯のようにくたっと城は落ちてしまったのだが、このやり方だと勝負が長持ちして犬死にすることもなくなったので、内儀の機嫌が直ったというのだ。本人がいうには『こんな計略があろうとはお袋も知るはずがないから、太平記読みの講釈師になるわけでもないのに、寝床へ入って高価な油をともして、毎日、毎日何ごとかと、お袋が老いの寝られぬままにつぶやくのも当然。寝入り時分に声がするから、近所も慰みに読んでいるのだろうと思われているのでしょうが、一義を企てるたびにいつもの太平記が出るので、ともすると夜明け前に赤坂の城が高々と出ます』だってさ」
 仲間同士の話を耳に挟んだ豆右衛門は腹筋をよじった。
〈ならば今宵は俺がこの家の亭主の城中に入って、太平記なしに責めてやろうじゃないか〉
 豆右衛門が日が暮れるのを待っていると、秋の日は釣瓶落としのとおりに暮れ、火をともすより早く夜食を済ませて売り場の酒を持ってきて燗をつけた。
 台所で夫婦差し向かいになって酒を飲んだ後、寝床へ入ると、下々がいうとおり大声で太平記。
「堀一重に一重に塗ったれば、いかなる鬼神がこもりたりとも、何ほどのことかあるべしと、奇手、皆これをあなどり、またよする」
 読みはじめると同時に股のうちからさねがしらの下まで責めつけ、花模様の内衣(ゆぐ)をまくって討ち入ろうとするが、亭主は一物を痛いものに触るようにそっと玉門へ押し込み、天井を見上げてばかりで下に心を移さないようにしている。
 豆右衛門は前に回って亭主の腹に取り付くや否や、たちまちその魂を奪って自分の魂を入れると、こちらは三ヶ津の女房を平らげてきた太平記要らずの楠、開(へき)さばきに長けた床巧者である。いつになく張り切っていきり立った一物を半分ずつゆっくりと押し入れると、はじめのうちこそきしむようだったが、しだいに潤いが流れ出し、やがて濡れ濡れになってしっくりしてきた。
 内儀は太平記なしに今夜のように上手にしてもらったのは、新開以来初めてのことだったので、その気持ちよさを何と例えてよいのだろうか、日本国がすべて臍の下に集まったように感じて、男に噛みつき、吸いつきの夢見心地。節のない音曲を洩らして泣きむずがって取り乱しているところに、坂東摩羅が容赦なく突き立ててくるので、ついにときの声をあげた。
「きょうはどういうよい日なのでしょうか。このように前後もわからなくなるほどよいめにあって。これまで粗略にしましたこと、必ず堪忍して下さんせ。これほどの男は世界にありますまい。いっそもっときつく突いて下さんせ」
 内儀が手を縮め、足を伸ばす。ふたりは人心地もなく戦いつづけ、やがて互いにありたけ気をやった。間もなく思い出をさせ、自分も思い出をした豆右衛門はそっと亭主のからだを抜け出し立ち去った。
 その後、様子を聞くと相変わらず太平記を読んでいるらしい。楠の軍術四十八手にはない方法だと事情を知る者は相変わらず大笑いをしていた。


浮気後家寄り合い枕

 同じ桜であるなら恰好の場所で咲いて、人から愛でてもらうほうが仕合せである。上野の春は花の都である吉野も及ばないほど桜の花が咲き誇っている。その上野で黒門先から末の松陰まで幕を張り、三味線の音も陽気に美を飾って女たちが酒盛りをしていた。
 ひらめいてほの見える裾の紅裏が浮き足立った男の命をむしり、肴や樽を前にして酔いが回ってくだを巻く。糸桜の影に散る前を惜しむ少年が混じって立っている。衆道はこここそが盛り。張りが強く、情けは深いが、一方では見捨てて帰る雁がいる。つてもなく筆の林の墨染桜のもとに縞繻子(しまじゅす)の肩当てをして、紙子の広袖を着て、厚髪の後ろ下がりに金鍔(きんつば)をひとつ挿し、毛氈を敷かせて座り、優しい花は見ずに物語の上巻を開き、朱で頭書きをしている者もいる。家ですればいいのに、せっかく出てきたのだからと非難めくのは、無用の出過ぎと思いながらも、それは千差万別、人それぞれである。
 ことさら天下の町人、思うがままの世に住めるのは有難いもので、時つ風が静かに吹くなか、並木桜の影にいまだ盛りの後家姿があった。髪を切り揃えた三十六人が一緒に寄り集まり、往来の男を見てはこれを肴に酒ごとをしている。事情通がこんな説明をしてくれた。
「あれは東(あずま)に隠れなき歌仙後家という有徳な江戸町人の後家連中。花見にかこつけて暇に任せて集まっているのさ。まずあの上座に座っている五十ほどのは、からだに灸の跡さえなく、血の道の頭痛も知らない素性確かな金平後家という連中の後家大将。その横の少し色が浅黒いのは、顔に似合わず唐にもいないほどの床上手という日本橋筋のもてなし後家。それに左団扇で贅沢に暮らすうずら後家、気の通り町の夜泣き後家、恋の中橋きっかけ上手な押付後家、乗り心地よい伝馬町のうちあけ後家、口も何も広小路の武蔵野後家、頬の先が赤いのは浅草辺の葱(ひともじ)後家さ」
 いずれの後家も盛りの髪を切り、模様のない着物を中幅帯で締めている。
「持っている数珠は見せかけだよ。人の眼玉を抜き、嘘の寺参り、前巾着に入れた一分金は男を釣る餌を買う思案。あの後家連中に見込まれた男は、一時的には長者になるものの、おっつけ頤で蠅を追うよいよいになるのさ。命をふたつ持ってるんだったら試してみな」
 木蔭に立ち寄って様子を伺っていると、三十六人の後家は居並んで硯と紙を取り寄せて、目に入る男をあれこれと書き取っている。
「向こうを通る郡内縞の着物に時ならぬ一重羽織を着たあばた顔の男はどうか。いかにも強そうで頼もしい」
「いやいや。そこへ行く色白の痩せた公家の落とし子と見えるのは、京下りの若息子ではないか。弱々しげだが、粋に見えるところに惚れ込んだ」
 ひとりの後家が立ち膝になって一瞥をくれた。
「あれは威勢だけ。見るからに弱そうだよ」と控え帳には書き込まず、「風体よりあっちの強さこそ大事なのさ。あそこに沓籠持ちがいるだろう。鼻の下に少し髭をはやした、からだの小さいのが。ああいう男は小男の何とかで肝心のところに見込みがある」
 とこちらを書き込み、続いて黒光りしていて艶のある布袋さまのように肥えた出家を「何番も数をこなせそうなところが殊勝だ」と書き込んだ。
 そのほか刀を差した浪人から町屋の手代、下男まで、身なりに構わず鼻の高さや強そうなのを手がかりに記帳している。上方の色男どもが男のいる女を無体に品定めするのと同じような有り様だ。腎水を一石ばかりも持っていそうな随分と好き者の男でも、
〈派手に一夜で二升五合を使ったとして、一ヶ月で七斗五升だから、ここにいる三十六人の後家から一人十両ずつ貰えば、ざっと三百六十両の儲け。ただ、金があっても大黒屋の地黄丸の力ばかりでは、からだが続かない〉
 とこの後家連中には心を動かさなかったが、そのなかに何とか気に入られて私金を肥やしたいとたくらむ勘定高い銭屋の手代がいた。だが、もとより腎水がたっぷりとあり、腰骨が続くほどに夜の働きがなければ金は貰えない。ここが工夫のしどころだとを思案めぐらしていた。
 ある雨の日、浅草の鳥越橋を渡ったとき、橋の南詰めに菰(こも)をひっかぶり、雨に濡れて伏している乞食がいた。菰の丈が短く尻が半分見えていて、見事なへのこもあらわになっているが、この身では立派なものでも役に立たないに違いない。手代ははたと思いついて寝ている非人を揺り起こした。
「卒爾ながら無心したいことがある。世間のはかないことを思うと、人間の一生とはいま降っている雨がいつやんで、晴れ間がいつ出るのがわからないのと同じようなものだ。ことにお前は卑しい身に落とされて、生き長らえても得することはあるまい。どうだ、俺に命をくれぬか。そうしてくれたらどんな願いも聞いてやろう。亡き後までも懇ろに弔ってやるぞ」
 乞食は起き直った。
「ご覧のようにとても春はきそうにない身。雨露に打たれ、ふだんは空腹を悲しみ、一日も早く死んでこの苦患から逃れることだけが望みです。もちろん親類にも疎まれ、いまや再び訪ねてくる人もおりません。わたしをお望みなのは、おそらくお出入りのお屋敷から試し斬りにする者をお連れになるよう頼まれて、この命を所望されてのことなのでしょう。さあ、どこへなりとも連れていって下さい」
「出し抜けに命をくれと請われて、命を嘆かないどころか、かばおうともしないのは、近ごろにない肝が据わった態度。だが、試し物のために命を取るのではない。お前の一物は人に優れて見事なものだが、それを見込んで頼むのだ。実は精分の続くかぎり、腎水が減るのも顧みず、一晩に三十六〜三十七人の女を相手にするという命第一の勝負がある。そのため腎虚になって腰や膝がかがんだり、火動の症を起こして女を見たくもなくなろうとも、養生せずにそのままやり死にする覚悟があるのなら頼みたい」
「これは思いも寄らぬこと。それこそわたくしめの好むところでございます。そもそもこのざまになったのはこの一物が原因。腎水がなくなって血のまま出ようと、一年ぐらいはお請け合い申します」
「では給金は一ヶ月に三両とし、そのほかに後家から何百両貰おうとも、給金のほかは一切欲取りしないという証文を書け」
「いいえ。もとより好きな道ですから給金なしに働きましょう。そして後家たちに気に入られて、貰った金をすべて貯めて献上します」
 それはありがたいと述べて手代は非人を家に連れて帰り、湯行水をさせ、その日から朝夕に鰻、山芋、卵、牛蒡など、精のつくものを食べさせ、生まれつき低い鼻を引き伸ばして高く見せるなどして男を作りはじめた。
 準備が整ったある日、手代は壺口のお鍋という後家連中の男肝煎、あるいは仲人嚊である取り持ちを呼びつけた。男の強さを申し聞かせて、かの後家にかけあうためだ。
 様子を見ていた豆右衛門は、これはよい慰みだと乞食の袖に駆け込んで本所の金平後家の下屋敷についていくと、すでに三十六人は居並んで「男はまだか、遅い」と待ち構えていた。話はすでにお鍋から伝わっていたらしく、着くや否や両方から男に群がり、帯も解いてしまった。
「このように大勢から引っ張られては、床入りの所作もなりませぬ。くじ引きで順番をお決めなされ。お一人ずつ片付けて参らせましょう」
 男はふんどしを解き捨て、筋張ってほこえきった摩羅を振り回した。
「命を鼻紙より軽く思い、腎水のあるかぎり、よもやぬかしの穴め石、堅いへのこ」と自慢するも「お慈悲に一番、取らせて下さりませ」と本性が出てしまった。
 そのとき金平後家はさすが後家の総大将らしく、物おじせずに男へ歩み寄り、一物をひん握った。
「不思議なことだが、そなたはこれまで下帯をつけない裸だった人じゃな」
 と気味悪くも見通して言い当ててしまった。
「慮外ながら乞食などしたものではござらぬが、ふんどしをせずに裸で暮したとは、何をしてそうお見立てになるのですか」
「長いこと陽に当たっていたへのこであろう。皮が堅い」
 恐ろしい目利きである。
 そんなことがあってやがて互いに取り組みが始まり、乞食は寝ている三十六人を順番に取り続けたが、逆にさまざまに責められもするので次第にくたびれてきた。そして巧みな技も続きかねて、挙げ句に血を吐き、目はうつろに宙をさまようばかりとなった。
〈だらしない男め。あと五人で三十六人すべて取り終えるというのに、それならば俺が〉
 端(はた)で見ていた豆右衛門は歯がゆくなり、男の懐に入って魂を取り替えた。そして〈強蔵らしくすべて取ってやるぞ〉と息込んだまではよいが、心は勇んでもすでに多くの女に揉まれた一物である。どうにもこうにも頭を持ち上げず、しょうがなく後家たちの柔らかな手を借りて、いろいろと一物の機嫌をとってみたが、いよいよ隠者気質(かたぎ)になって縮こまるばかり。しかたなく豆右衛門はからだを抜けてそっと立ち去った。
 この乞食はあとになって「ものを食わぬときより苦しかった」と洩らしたそうだ。よくよくのことだったのだろう。後家狂いを目論む男たちは、この話を聞いて興醒めしたという。


花嫁を三人一緒に入れ子枕

 黄金(こがね)をうずたかく積んで廓へ行こうと勇んでも、若いのに腎水がなく、六月の夏の盛りだというのに皮足袋を履き、二度飯(ふたたびめし=病人の飯)に生魚はもってのほかで、少量でも塩をあてなければ、腹がもたれるような生まれつきでは、この世に何の楽しみがあろうか。「金生水」という相性があるように金と腎とは相性だから、男ぶりだけが恋を成就する条件ではない。大名に生まれても腎気が弱ければ世の栄花は叶わない。
 いつか潤いのある恋の花を咲かせたい、そのためたとえ腎虚して臍の下が枯れたでくの坊になろうとも厭わない、と恋の成就の御誓願を立てるため、霊験あらたかな浅草観音に参詣すると、きょうはたまたま十八日の御縁日、大勢の参拝者で賑わうなかに、屋敷下がりの美しい女がいた。目だけが出る奇特頭巾を被り、三重ねの衣装を一つ前にして、白い二布を打ち広げて男の注目を引くように歩いている。
「あの女に声をかけられる男であったら」
 男はそう思いつつ、房付きの数珠を持ちながら、信心を臍の下に集めていた。都の浮気な男よりもよほど浮気な女だから、釣ろうと思えば釣れるのは明らかだが、男はある程度知られた者だったから世間体を思えば恥ずかしくもある。人の手前をはばかって、それに長けている茶屋に立ち寄って亭主を招いた。
「男に飢えていて、取る前から堤を切っているような屋形女がいたら、一人釣って世話してくれないか」
 男が秘かに頼むと「それこそ身に叶ったこと。まずこちらへ」と亭主は奥へ招こうとした。
「いや、そうではない。ここで参り下向の女どもを見て、そのなかから選びたいのだ」と男は物色を始めた。「亭主、あそこに当世染めの同じものを着た三人の娘がいるだろう。どれも甲乙つけがたい器量だが、あのうちの一人を釣るのはできまいか。きょうの参拝者の器量頭だ。釣ることができたならこれを褒美に」
 男が小判を出して見せた。
「小判は望むところですが、あれは歴々の町人の娘でして、親も相当に堅い者。私より棟の高い男を釣る考えがあるようで、恋は恋でも私などには手が出せません」
「これは武蔵野に住む男とは思えぬ気の小さい奴。町人の身でお大名さまの御息女方に望みをかけることこそ、叶わぬ恋というべきもの。同じ町人の娘を望むのに、手を出せぬことがあろうか。材木町に飛騨山三木ありと聞いたことがあろう。俺がその三木だ。身上は大黒柱のように太い。その危な気ない俺の女房にしようというのだ。嫁にくれたくないという者はあるまい。ぜひともあの三人のうちから一人を所望して参れ」
 男は身代自慢を鼻にかけて、女たちの後を亭主に追いかけさせた。亭主はその乳母らしき者にかくかくしかじかと話をした。
「なるほど。三木さまは隠れもない有徳人。こちらの聟に致しましても不足はなく、親御に聞くまでもなく、わたしの一存で奥さまに申し上げてみましょう。ただ、ご姉妹三人ともでなければ縁づかれず、姉御、妹御とも、互いにお一人だけで嫁入りしませんとの堅いお約束。お望みとあればぜひぜひ三人を一緒にお貰いなされませ」
 と乳母が話すのを亭主は訝しみながら戻って三木に伝えた。
「あのような美人は一人ですら大切なのに、三人一緒にくれようとは、いよいよもって忝い。差し支えなく、また悋気しないのであれば、三人とも嫁にして、三ヶ所に世帯を持たせ、毎夜、代わる代わるに枕を並べて、公平に可愛がってあげよう」
 三木はその言葉を伝えるため、また亭主を使いにやると、先方は、
「そのお合点であれば御祝言は済んだも同然。まず固めのお盃をさせましょう」
 と三人の娘御を伴って茶屋へやってきた。三木は喜んで奥座敷へ通し、亭主と乳母の取り持ちで約束の固めの盃を交し、「幸い明日は吉日。三人一緒に嫁入りを」とにわかに祝言まで決めてしまった。
 翌日、茶屋の亭主は仲人分として鼻高に万事を指図し、嫁御三人を乗り物三挺それぞれに乗せるのは世間の目もあるので、ひとつに三人を乗せて三木方へ寄越させ、玄関から次の間まで手招きして乗り物を入れ、書院で嫁御の衣装直しをさせた。その嫁御の花を飾る姿に、
「同じ染小袖で身なり、振る舞い、面差しまで一緒とは。お姉妹でもあれほど似るものか。ひときわ稀な美人を三人も娶るとは、三木は大いに果報者だ」
 と腎張りの一門たちは一様に羨んだ。
 さて、献々の盃ごとも済んで床入りの段になり、乳母が、
「このように一緒にお嫁入りをされるほどですから、お互いにご遠慮されることはありません。そのままひとつの床に」
 というので、三人一緒に床入りとなった。
 聟は喜びの酒機嫌で下帯を解きかけ、まず中尊から蔵開きをしようと、ともかく真ん中に寝ている嫁の夜着に入って玉門へ手を当ててみた。柔らかな毛が薄々と生えていて、いまだそのことは知らない様子である。だが、心が極まったとみえて自然に潤いが生じ、ぬらぬらとしてくるのが小気味良い。
 内またを広げて取りかかろうとしたとき、企てを心がけてついてきていた豆右衛門、生娘の先陣は俺だと名乗りもせずに、そのまま聟の懐に入り、容易に魂を取り替えて自分のものにすると、唾をつけてぬっと進み入った。
 少し痛むらしく花嫁がずり上がる。すると両側の二人の嫁も同じように目をしかめてずり上がった。不思議なことがあるものだと、そろそろあしらいながらぐっと押し込み、静かに突いていると、だんだん心地好くなってきたとみえて、少し鼻息を鳴らしはじめ、手を自然と男の背中に回してくる。尻もいつになく動きはじめて気持ちよいらしい。だが、ほかの嫁たちも同様に鼻息を荒らげて手を回し、尻を持ち上げているようで、いま取っている真ん中の嫁とまったく同じしぐさをしている。
 これは不思議だと脇に目をやり、淫精を保ちながらさらに深く突いていると、三人一緒に声を揃えて泣きむづがる。
 何とも合点がいかぬと豆右衛門は、そのまま魂を取り替えて聟の懐から這い出し、近くの枕屏風の陰に隠れて様子を伺うことにした。魂が戻った三木は自分が入れたままなのを知り、いかに酔っぱらって記憶がなかったとはいえ、そのことを言い出しては変に思われるに違いないだろうから、承知しているふりをしながら抜くことなくそのまま取り始めた。すでに潤い満ちていた花嫁はさらによくなって、三人一緒に声をあげて気をやりそうにすすり泣いている。三木はどうしたことだと思いながらも、途中でやめてしまうのも残念なので、動きを早めて強く突きつづけると、三人はみな枕から頭を外し、舌を出して喜悦するので、さすがの三木も肝を潰した。
「これは何か訳ありの娘たちだな。それを俺に押し付けるとは何とも憎らしい」と入れ続けながら乳母を呼び寄せた。「この体を見よ。こんなとんでもない娘どもを俺に差し出そうなどとは愛宕八幡勘弁できん。さっさと今夜のうちに連れて帰れ」
 三木は血相を変えていたが、乳母は一向に驚きもしなかった。
「いまご覧になったように、最初から申しましたとおり、別々の縁づきはできませぬ。三人一緒ということでご納得されたのに、いまさら嫌だとはどちらが理不尽か。こちらは影を患ってもとは一人だったのが三人になってしまったのです。ご療治をして下されば、いずれ別々になることもありましょう」
 と、ことの次第を聞かされて、たしかに初めから三人一緒に受け入れる約束を交したのは自分なので、いまさら不始末を憐れんでもどうしようもなかった。
 だが、それから毎夜、床入りすると、三人一緒に気をやって、喜悦のかたまりが腹に宿るのもまた一緒。つわりが始まって酸っぱい青梅を一人五斗ずつ食べつくし、三人同時に平産して赤ん坊の産声もまた同時。しかも子早くて年子で生まれること十二度。たちまち計三十六人の子持ちとなり、三木を子守勝手の大明神とあがめて祝い、産婆が五節句をそれぞれに準備し、干物屋が通いで胞衣桶を持って訪れた。三木方では大勢の子どもの名前が覚えられず、それぞれに名札をつけて育てたそうだ。


魂膽色遊懐男  巻五

目録


瞽女と見せたハよい手枕(ごぜとみせたはよいてまくら)
 芸子は男の花一枝をりて
 女中の家づともらハぬさきの
 心づもりおつ取て千両屋しき

腰元が算用はあハぬ算盤枕(こしもとがさんようはあはぬそろばんまくら)
 親に似ぬ子ハ鬼味噌しる
 気のないむまれつき養生の
 地黄丸なづまする内儀の
 いろばなし

太夫をよばす麦藁枕(たいふをよばすむぎわらまくら)
 けいせい買のなれのはておさだ
 まりの一重紙子火打の石の
 かたひ誓紙は二世のかため
 真(まこと)をあける小もんどが心中

奥勤の女中独寐枕(おくづとめのじよちうひとりねのまくら)
 さすがハ家老の妻女発明の
 一言おなじ中間の花軍(いくさ)
 ぐんばひのうちわ破(われ)行
 所のない魂も知行とり



瞽女と見せたハよい手枕

 夜、女を運ぶ乗り物がひっそりと堺町へ入ってきた。付き添いは古い提灯を掲げた中間が一人だけで、そば仕えの女もいない。これはなにか子細があるに違いない、と豆右衛門は乗り物に駆け上がり、わずかに開いていた戸から入ってみると、なかには二十歳ほどの瞽女(ごぜ)が座っていた。綿帽子を深く被り、白綸子に葡萄模様の金糸が入った昔縫いの打掛けを羽織っている。
〈惜しいものだ。目明きならお大名さまの夜のお伽になって、親一門も出世しただろうに、器量がよいのに目が見えないとはな。それにしてもこんな暗い夜にどこへ行くのだ〉
 豆右衛門はいぶかしんで女の打掛けの下にかがみ、乗り物任せに乗っていくことにした。
 乗り物は大門口らしいところでいったん止まり、門番が眠り声で「瞽女の井沢(いさ)一人」と確認して帳面に記すと、再び動き出して大門を過ぎ、並木の真砂路を百間ほど行って中門を通り、さらに進んでいった。左側には手入れの行き届いた木々が並んでいる。枝葉の間から釣り灯籠の明かりが洩れている。その植え込みをさらに進んで、庭の石組に渡された掛け橋を足早に過ぎ、杉戸のこちら側の板敷きの縁の上に乗り物を下ろして、ようやく陸尺は帰っていった。
 奥から雪をいただいたように額口の白い老女が杉戸を開けて出てきた。
「井沢どの、お出でご大儀。ご隠居さまが宵からお待ちかねで、『まだか、まだか』と申しております。さあ、こちらから」
 老女は乗り物の戸を開けて、瞽女の手を取って廊下に上げた。そして長廊下を音を立てないように忍び足で進んでいく。女の笑い声や双六の音、しめやかな琴の音が聞こえてきた。
 鼻をつく伽羅の香に肝を冷やしながら、明かりのない大書院を過ぎて次の一間に入ると、御前さまと思われる女が座っていた。花の盛りはふた昔も前に過ぎたと思われる歳のころだが、いまだに美しさをたたえており、装いは周囲も光り輝くほどだ。髪を髻(もとどり)からわずかに残る程度に切り落としていて、これぞ後家の阿弥陀さまともいうべき気高さがあった。周囲では多くの女中が様子を見守っていた。
「瞽女の姿はつらかったであろう。早く元に姿に戻らせよ」
 という上座の局の仰せに、女中が「もはや苦しいことはない。目を開けて綿帽子も取りなされ」と告げた。
 瞽女が言われるままに目を開けて被っていた帽子を脱ぐと、芝居でよく見かける有名な野郎の役者が現れた。男が瞽女に扮していたのである。
「何かいま流行っているものがあれば歌って聞かせよ」
 との仰せに、野郎はためらいながら紫檀の三味線を受け取り、半太夫節の曽我物を脚色しながら、随分ほっそりと謡いはじめた。だが、少しふざけようとしたのが災いして、晴れがましい座敷の席で声が裏返ってしまい、結局、途中で切り上げた。
 盃が差し出された。
「何ごとも外へは洩らすな」
 局が直接御意を下された。
 野郎はその言葉を有難がりながら、心のうちで自分の将来を想像していた。
〈誠にこのような高貴な方と謁見できるのは、自分が野郎に生まれて、女形の名人と諸見物衆から賞賛される舞台のお蔭、今宵、添い臥し申し上げて腰骨の続くかぎり慰め申し上げよう。首尾よく勤めおおせたなら、生涯安穏に暮せるほど多くの褒美を貰い、本町辺に三千両ほどの長屋つきの屋敷を買い求めて、京から呼び寄せた父親を大家として住まわせ、自分は都に上って知恩院の門前町に家を買い、妾の二〜三人でも囲って江戸の宿代のあがりで悠然と暮すとしよう〉
 野郎が甘ったるく恋をしかけている表情をすれば、ご隠居さまはご機嫌がよくなり、酒の盃をさらにあおる。
 しばらくしてご隠居さまが局を近くに呼び寄せて何やら囁くと、局が答えた。
「お屋形さまが誰に対してはばかる必要がございましょうや。ご側近の女中にも内緒にして、何があっても外へ洩らしてはならぬとの起請文を書かせましたから、面倒なことはありません。わたくしにお任せ下さい。若衆に合点させて、頃合いを見計らってご案内申し上げます。そのときお出で遊ばしませ」
 そういうと局は野郎を伴って部屋を出て、廊下を通って一間離れた座敷へ案内した。御簾を高く並べかけ、名前を聞いたこともない唐絹の夜着布団が敷いてあり、枕もふたつ並んでいる。まるで夢のような心地がして、野郎は胸を少し躍らせながら、銀燭の前にひざまずいた。
「決して外で噂をしなさるな。お気に入られさえすれば、そなたのためになります。しばらくここでお待ちなさい」
 と小声で伝えて局は出ていった。
〈これほどうまく進むとはな。生まれてこの方、見たこともない夜着にくるまれながら、先ほどの光り渡る後家さまと首尾をしたうえに、ご褒美までいただけるとは、一世や二世程度の前世の因果ではあるまい。今年、四十三歳のおれは無卦に入り、向こう五年、凶が続くというが、どうして、どうしてこれほどよいめにあうのだから、運勢など当てにはならないものだ〉
 などと喜んでいると、南の切り戸が開く音がして、金の唐紙が開いた。すわ、お出でかと心をときめかしてその顔を見ると、後家さまにあらずして釣り髭をはやした中間風のいかつい男。黒い着物を裾短く着て、丸腰でぬっと入ってきた。
「太夫、待ち遠しかったでござろう。今宵、ご隠居がおっしゃるには、野郎の床入りというものを見たことがないのでしてみせよとのこと。拙者、その御意を承り、そのほうの尻を破って進ぜん。この御簾の向こうからご覧になっていらっしゃるので、卑怯な真似をするでないぞ。夜着を着ていては床入りの所作をお目にかけにくい。御大儀ながら丸裸になられよ」
 中間は下帯を解いて着物とふんどしも脱ぎ捨て、一物をいきり立たせて「いざ、ござれ」と相撲の立ち会いのように中腰になった。そのへのこの見事さときたら、野郎がまだ駆け出しのとき、衆道仲間のあいだでこの道の玄海灘と呼ばれ、聞くだに恐れられた豆山の甚兵衛の一物に二割増しという図抜けたものだった。
「これはとんだ思惑違い。こうしたことだとわかっていれば」と野郎はつぶやて中間を見た。「わたしはちと面倒なことがあるので、床入りの儀はご免蒙りたい」
「お若衆は痔を患ってござるか。こちらのお屋形さまはそのような無作法には厳しく、御家来衆では役不足なので身共が仰せつかったのだ。身共は貧しく渡世を送る素浪人で、霞ヶ関で明け暮れ人の尻をうがつ、うわばみ蛇平(じゃへい)という男伊達。今夜、役目を仰せつかって参ったからには、痔がござるによって床入りが叶わなんだとは申し上げにくい。各々がたはお若衆のことをよき衆と思し召され、たいそうな金を下されて御不自由ないと承る。命の代わりにもなるのは金銀でござる。長い時間はかけぬ。床の形ばかりを見せれば今宵の首尾は整い申す。若衆方の秘伝である素股であろうと、そこは拙者が合点すればすむことじゃ。何ともさっぱりした男であろうが」
 いかにも場馴れしているという言い分である。このうえぐずぐずしたら、ひねり殺されるかもしれないから、とにかくいまは男の言いなりになってこの場を逃れるのが肝心と、若衆は紙入れより用心のために入れておいた一歩金を五つ出して、そっと中間に手渡し、
「これで用捨を願いたい」
 と小声で頼んだ。
「いかにも、いかにも心得申した」
 中間は若衆を横にして尻を引きまくり、形ばかりしている真似をして若衆を放した。御簾のうちではご覧になったとみえて、「若衆はどうしたのだ、鼻息がせなんだの」という声と笑い声が聞こえてきた。
 若衆は恥ずかしさのあまり、中間が入ってきた金唐紙を開けて外に飛び出し、帰りを待っていた乗り物に飛び乗って逃げていった。
 本町の家を買うつもりが正反対になってよいめにもあわず、かえって自分から一両一歩の花代を出し、尻をまくって這いつくばうとは、まったく寺から里へ芋を贈るようなもの。子ども時分に芝居小屋に勤めて以来、初めてのことだった。


腰元が算用はあわぬ算盤枕

『貧の盗みに恋の歌』というたとえがあるけれど、盗みと恋を合わせるとは、よくよくものを知らない奴の言い伝えであろう。さもなければ盗人贔屓の熊坂の又従兄弟あたりが乗り合い船か、銭湯のあがり場などでつぶやいたのを、石川五右衛門などが小さいころに覚えて、駒取草履隠しの歌の末にでもつけて歌っていたのであろう。
 恋は格別という塩梅を知らないのだろうか。志賀寺のお能化(のうけ)のゆらぐ玉の緒とは、詠んだほうも詠んだほうだが、詠ませて手を握らせたほうも洒落者である。一枚の短冊を清水の舞台から投げて願掛けした者がいたが、いまどき一念で岩をも通そうとするのはまだるっこく、勢いづいた途端、女と見たら姥でもただではおかぬのが当世だ。
 通町で暮らし向き豊かに過ごす町人がいた。息子は嫁を貰い、自分は六十八で法体し、息子に母屋を与えて隠居のつもりでいたが、この嫁は器量が優れているうえに、聡明さが隣町まで聞こえ、物腰や態度も申し分ない。親爺の禅門はすっかり入れ込んで、朝夕の読経にも身が入らず、一心にこの嫁のことばかりを思いわずらい、息子が留守のときはふざけて、たわむれてくるので、嫁は鬱陶しく思いながらも、夫の親なので適当に言葉で喜ばせて、それなりに暮していた。
 嫁は剃刀を当てて月代を剃る名人だった。そこである日、親爺は「法体の頭を剃ってくれられよ」と嫁を一間に伴った。胸は高鳴り、思いに沸き返る湯を金だらいに取り、頭を湿らせて剃らせる。
 嫁は片肌脱いで剃刀を持って剃りかかると、白く肥えて脂づいた銀の盃をふせたような乳房が頭に触るので、親爺は舞い上がって恥もひと目もわきまえず、この乳に食らいつき、口を寄せて吸いつき、余念なくもてあそんだ。たまりかねて息子が障子を開けた。
「親爺さま。これはどうした無作法ですか。他人が見たらいろんな悪口をいって親子ともども世間へ顔を出されますまい。お慎み下さい」
 息子がたいそう立腹しているのに、親爺は平然としていた。
「なんじゃ。おまえの女房の乳を一度や二度吸ったからといって、仰々しそうにとげとげしく目に角を立てていうでないわ。おまえは小さいころ、おれの女房の乳を断りなしに朝晩垂れ飲みしたじゃろうが。そのときおれが一言の恨みもいったか。きょうまで見逃しておいたこの親の心、子知らずとはおまえのことじゃ。黙っておれ」
 と親爺は小才覚の返事。言い争いになれば血で血を洗う問題にもなりかねないので、息子夫婦は「親爺には相応の振袖をあてがうがよかろう」と相談し、年に銀十枚と給金を決めて、十七〜十八の大振袖を奉公人に頼んだ。
「禅門がたわむれてきたら、その心に叶うよう働いてくれ。なにをするかはいわずとも合点せられよ」
 息子夫婦が奉公人に言い聞かせると、女はこのような奉公に慣れているとみえて、さらりと聞いている。だが、心のうちでは、〈そんな年寄りはわたしの扱いひとつ。縁があって歳を重ねたらすきを見て脇に男をこしらえ、腹が難しくなったら親爺さまの子にして、隠居のへそくりを根こそぎにしてやろう〉と分別をして奉公することに決めた。
 その夜、禅門の床を用意して風邪を引かないようにして寝かし、「ようお静まりませ。もし目が覚めてなにかありましたら、ここに伏しておりますので起こし下さい」
 と寝ごしらえをしていると、「こりゃ、ここへこい」と言いつけられた。
〈半分死にかけているような男が取りかけても埒が明くはずないのに、首尾ができないからと気を揉んで目を回さなければよいが〉
 と思いながらも、約束した奉公であるから、親爺の夜着のなかへぐずぐずと入れば、この禅門は思いの外の強蔵で、夜もすがら少しもまどろまずに一物をしっかりとおやしている。
「いまどきの若い奴らも世にないことのように自慢をぬかすが、お笑い種だ。どれほどすれば萎えるものか。そもそもふんどしを締めはじめてから今日まで、おれの一物はおっ立ちどおしで萎えたことがない。おまえは果報者じゃ。何番でも心ゆくまでしようではないか」
 というと女の腹の上に乗ってから降りるということを知らぬ強蔵で、血気盛んな腰元も一夜でころりとなり、ただ色青くなるばかり。そして夜が明けるのを待ちかねて、「命あっての奉公。ただただお許しを」と着替えをする力もなく帰っていった。
 その息子ならばさぞ強いだろうと豆右衛門は取り付いて、夫婦の床の様子をうかがっていると、これが親とは正反対の鬼味噌。嫁のほうから少し心が向くような色話をしかけても、
「そなたのその話は聞き飽きた。それからつけこもうという魂胆であろうが、地黄丸を飲まなければならないから、どんなことがあっても取るようなわけにはいかない」
 と夜着をひっかぶって寝ようとする。
「そんなことが今宵でもう百日になります。せめてひとつ夜着のなかへ入れて抱いて下さい」
 これは慈悲にもなろうと豆右衛門は息子の懐に入ってすぐに魂を取り替えた。
「今宵一夜はそなたに身を任す。好きなようにしなさい」
 と夜着のなかに入って、なにはともあれ取りかかると、嫁は百日ほどの溜り水を堰が切れたようにどっと流して喜悦の姿を現した。玉中の奥から玉のようなものが出てきて一物をもてなす気味はなんともたとえようがない。上開とはこのような味わいをいうのであろうか。おれは三ヶ津を巡ってきたが、これほどの上品(じょうぼん)に出合ったことはない、とその家にしばらく逗留することにした。
 そして段々にわかってきたのだが、この嫁の親たちはもともと都の生まれで、夫婦の間に子どもがないのを嘆き、「その昔の浄瑠璃御前は三河の国の鳳来寺、子が授かるという峰の薬師の申し子だそうな。わたしたちも薬師を頼んでみよう」
 と京の霊仏の蛸薬師に願掛けをして授かった子なので、世に重宝する蛸壺に生まれたのである。少し生臭いけれど、何ともいえない上開なのだから、息子が弱くなるのも道理というもの。
 強い親の子なのだからこれからは元気で励めよと豆右衛門は息子のからだを離れてこの家を出ていった。


太夫をよばす麦藁枕

 いくら自分の家だからとはいえ、毎日明け方に戸を叩いて家人を起こす者がいた。近所の手前もあろうというのに、少しも恥じようとせず、雨の日も雪の日も寒さを厭わないこの男は、伊勢町の乱舞という大尽。山本長左衛門抱えの小主水という女郎を面白がって、和泉屋半四郎の二階座敷で連日大騒ぎをしていた。
 毎日毎夜通うにつれて誰彼からも見入られ、粋になったつもりになって面白い最中だから、吉原雀が口喧しくあれこれ意見しても、お定まりのように言うことを聞かない。色遊びというものは、物を使わなくてもうまくいくときは必ず金が減る。金があるうちに粋になれるのであれば、勘当される者がいるはずがなかろう。乱舞も世間一般より早く身代を畳んだのは不思議に思われたが、端からの目積もりとは大いに違って、使う身にならなければわかるはずがない。わけもなく段々に散財して本宅を売り払い、大尽という大鳥のふがいない心地で、餌差町の東の外れの裏屋にひっそり住まっていた。
 なにで渡世をしているかと思えば、身を崩した色の道から思いついて、業平秘伝の女悦丹という薬をこしらえ、寺々の出開帳や人通りの多い場所に看板を出して、弁に任せて使い方の口上を述べていた。だが、それでも少しは恥じる気持ちがあるとみえて、編笠を深々と被り、地面に半分入るようにかがんだ姿勢で売っていたから、本人とわかる者は少ないだろう。浅ましい志である。
 生きて同じところにいられるはずがなかろうと、昔の友だちは不愍にも思わず、つまはじきをして通り過ぎていくのは、ほかと了簡が違うからだろう。きのうまで大尽と呼ばれて太夫に足の指のひとつひとつをさすらせ、禿に茶を運ばせて横になりながら飲む栄花が、きょうにはたちまちそのように落ちぶれる。もはや人に会わす顔もないのだが、だからといってすぐ死に果てるものではないが、きょうよりも明日、明日よりもあさってはさらに醜くなって落ちていく。階段を下りるように少しずつ恥をさらしていけば、面の皮が厚くなるにつれて心も醜くなるが、菰を被るようになっても死なないのが人の命である。
「命長ければ恥多し。四十にして死なんこそ、目安かるべけれ」と書き残した兼好法師の徒然草を見て合点しながらも、死なずに恥を忍びながら老いて会稽の恥をすすぐ輩も多いから、めったに死に急ぐものでもない。
 元大尽の乱舞は、夕に明かり取りの油がなく、朝の飯を炊く薪も絶えて、長いことつらく暮らしていたが、さる歴々の大尽が通りがけに女悦丹のことを聞いて一貝買い求めた。そして、
「口上で聞いただけでは少し合点できぬところがある。大儀であろうが、うちへきてすぐ効能が上がるのを見せてもらえないか」
 と無理に自分の家へと連れていき奥座敷へ通した。
「恥ずかしながら自分には物好きで持った女房がいる。これと一年あまり添い臥して、夜ごと戯れてみたが、ついに一度として喜悦の体を見たことがない。心を砕いてあれこれと世間で用いる床道具で責めてみたが、暖かい死人と取っているようで困っておった。貴殿の名方の口上を聞くと、たとえ八十の老女であろうとも、この薬をつければたちまち童女のように潤い満ちて美快の姿を現すという。だから今宵、この薬をつけて喜ぶか、喜ばぬか試してみたい。それにつけて、塗る量の塩梅や薬が行き渡る時間をよくよく聞き届けたいと思ったのだが、人通りが多くて大勢に見られるのが恥ずかしいので、ここまできてもらったのだ。さあ、口伝を残らず教えて下され。女が少しでも喜悦の鼻息を立てたなら、見事な褒美を与えよう」
 大尽が小声で囁くのを聞き、乱舞は口上手に言い回せば少しは金をくれそうな通人だと思った。
「いかにもごもっとも千万。どれほどご器量のよい女中でも、床で真の喜悦を見せなければ、駕籠舁きに肩がないようなもの。乗ってからの面白味がござりません。そうした性が女中にはあるもの。それには女の生まれつきを見て、その性に合わせてさまざまな薬を用いますゆえ、この薬を用いただけで効くというものではござりませぬ。ほかのことは存じませぬが、この道に関してわたしほど鍛錬した者はござりませぬ。その女中をひと目見ましたら、性に合わせて調合します。きっと効きましょう」
 口に任せて述べると大尽は満足した様子だった。
「それなら女房を呼ぼう。いまの話は当人にはせずに薬を調合して下され」
 そういって大尽が勝手から女房を連れてきた。女房が近くへ寄ってじっと顔を見た。
「やあ、そちは小主水か」
「ああ、乱舞さま。そのお姿は」
 女房は乱舞の紙子にすがって前後も知らずに泣き崩れた。大尽がたいそう驚き、
「これは泣きようが違う。様子があろう。隠さずに申せ」
 とひどくむっとしている。小主水が涙を押し拭った。
「こちらは伊勢町の乱舞さまというよく知られたお方。わたしとは久しいお馴染みで、互いに心変わりをせぬよう、七〜八枚も起請を書きまして、それはそれは深い仲でございましたが、おいとわしや、わたしのために醜いお姿になられているうちに、わたしはこなさまに見初められて大分のお金で廓から請け出され、いまや奥さまと仰がれる結構な暮らし。このご厚恩は山々ながら、乱舞さまと取り交わした志は変えまいと心底決めて、たとえどんな男と添い臥して枕を並べようとも、誠の心は動かすまい、せめてこれを乱舞さまへの義理立てにしようと心に誓っておりましたところ、こなたさまはきょうまでわたしを可愛がって下さり、強い風にも当てぬようにと、ひとつ夜着に抱いて寝て下さりますけれど、一度もわたしが気を許さなかったのはご存じでございましょう。かように申すことを憎いとお思いでしたら、お手打ちなりともお心次第になさりませ。お考えには従いますが、真の契りは死ぬまでいたさぬ所存」
 小主水が心の底を打ち震わせて述べると、さすがは情けを知っている大尽である、腹を立てるべきところを立てず、かえって心底の真実に感じ入っていた。
「一年あまりの間、やりとりがあったのだから、ちょっと取り外して本心を動かすこともありそうなものだが、微塵もなかったのは神妙な女である。これを聞いてはうかうか自分の女房にしておく場合ではあるまい。乱舞、そなたに差し上げるぞ。心のままに添いなさい」
 と大尽は支度金として金子百両を揃えて小主水に渡した。これは夢か幻ではあるまいか、小主水は手の差し出すところや足の踏むところもしどろもどろ。乱舞は、
「これも薬の効能のひとつ。人には効かなかったが、自分に的中したのは、よいときに当たったものだ」
 と満足し、「よい鳥が取れた」と喜び勇んで小主水を連れて餌差町に戻った。そして、百両を元手に薬種店を出し、段々、富貴な家になっていった。
 ある夜、豆右衛門は乱舞と魂を入れ替えて小主水に尋ねてみた。
「気に入らない大尽とはいえ、一年あまり取られていたら、一度ぐらいは気移りして兆すこともあるだろうに、どんな手を使えば濡らさずにいられるのだ」
「必ず人に洩らして下さるな。心に合わぬ客と出会ったときは、能狂言の楽屋入りを忘れず心に念じます」
「どうした理由で」
「はて。太郎冠者を追って楽屋へ入るときの台詞がありましょ。『それやるまいぞ、それやるまいぞ』」


奥勤めの女中独り寝の枕

 やや春が深まった遅桜の散るころ、浅草の御下屋敷の山吹はいまが見ごろと、御前さまのお供を仕って一門中のお内儀たち、衣装に美を尽し、風情をつくってお乗り物の前後を守り、屋敷に入って華奢遊び。それが終わったころ、
「数馬之助の女房の姿が見えぬが」
 と御前さまの仰せ。
「今朝、八重の局どののお使者がご隠居さま方へ参られました。間もなくこのお屋敷へこられるでしょう」
 みなが承って申し上げた。
「それはすぐに帰る使いか。どうすれば遅くなれるのやら」
 その仰せを聞いて上臈頭(じょうろうかしら)の吉岡の局という大口叩きが、
「生野どのの連れ合いの数馬之助どのの一物は、ご一門中一番見事なもので、いにしえの弓削道鏡も及ばぬとか。そのくせ早業の好き者ですから、お使いに出られるついでに、門口あたりで居這われたのでございましょう」
 といったので、御前さまをはじめ一同大笑い。しばらくして菊畠(きくばたけ)葉右衛門の内儀が口を開いた。
「まったく内々では大きいとの噂ですが、生野どのが参られたら、本当かどうか訊ねて嬲ってみましょうか」
「それはよい嬲りもの。大きな道具の話でもして、それにかこつけて嬲るのはいかがでしょう」
「いやいや。祝言の夜はどうでしたか、いまは飽満なさったかなどと嫌がらせをしなければ面白くない」
 などといろいろ言い合っているうちに生野がやってきた。そして、それぞれに挨拶が済んでから、葉右衛門の内儀が嬲り手の大将となって訊ねた。
「生野、そなたの連れ合いの数馬どのの持ち物は、馬のように大きいそうですが、どれほどの大きさですか。嫁入りの晩はさぞ痛かったでしょう。いまはどのようになさっているのか。どれほど大きなものか、話して聞かさんせ」
 佐野という女中が進み出た。
「そんな大きなものを受け止める生野どのは頼もしい生まれつきじゃ」
 などと口々に嬲るので生野はむっとしたが、怒りを胸に収めてにっこりと笑った。
「わたしは親元よりすぐに嫁入りいたしましたので、きょうまで夫以外のものを存じません。どんなのが大きく、どんなのが小さいのか、皆さまのように大小さまざまあることを存じませぬ。世の男のものはこのようなものと思って、ほかのものを知りませんので、ほかと較べてどれほど大きいのかわかりませんが、皆さまはよくさまざまなものをご存じでございますな」
 と切り返されて、皆は口を閉じ、嬲るのをやめて赤面するばかり。しばらく座敷は興醒めしていたが、御前さまはこの一言にたいそう感じ入られて、
「さすがは家老の補佐を務める数馬の妻だけのことはある」
 と殊の外に褒美を与え、嬲るのも収まった。
 それより酒宴となり、殿さまもみえられてその夜は下屋敷の寝間へ一緒にお入り遊ばしたので、付き添いの女中たちもそれぞれの部屋で休むことになった。
 ところで、この屋敷に限らず総じて奥勤めの女奉公人は不自由なものである。振り分け髪の子どものときから二十四、五、あるいは三十二、三歳まで御前を務め、小気味良いことばかり見ながら、生きた男の太ももすら触れたことがなく、京の人置き(奉公人の斡旋屋)を恨み、昼は明り窓の竹格子から男の姿でも見て慰みにしようと覗いていると、長屋住まいの侍に召し使われている中間が朝夕の買い物のついでに、人から見られているのも知らずに決まって紺の着物の裾をまくって立ち小便する。馬の小便のような音が立して地面が掘られて淵ができる。
「ええい、さても惜しいことにあの槍先、開(へき)が原の陣の役にも立たぬ」
 と何の高名もなく、そのまま年を取ることを惜しみ、心が妙になって仲のよい傍輩女中と申し合わせて毎夜の同士軍(どしいくさ)。しかし、これも種がないから実を結ばず、沢辺という女が用足しに町から戻るとき、おあつらえのものを取り揃えてきたことをこっそり話したのでみな喜び、吉岡の局の部屋に集まった。
「何はともあれ早くお見せ」
 と誰かがせかし、沢辺は袋のなかから次々に六寸回りの水牛製の御用のものを取り出してみせる。一座の上臈が上気していた。
「これよ、これ。少しにても太きにあきはないか。さあ、これで始めよう」
 堪え性のない女中は、「まずわたしから」と先を急ぐ。なかでも吉岡の局は口達者で、
「最初にわたしが塩梅をみて、それから皆さんに渡します」
 と相方の龍田という女中にその張形を渡し、枕をとって仰向けになり、誰に恥じらうともせずに前を引きあけ、「さあ、頼む」と吉岡は龍田と取り組みはじめた。
 さて、豆右衛門は屋敷の奥女中が忘れがたく、きょう、木挽町辺でこれらの買い物をしている沢辺の袋のなかに入っていたが、身を隠す場所がなかったので張形のなかに隠れていたところ、いまは出るに出られず、やむを得ず縮こまっていた。だが、女中たちのもみ合いで転げ回り、目を回し、「せめて助かるのならば」と龍田の前に飛び出した。
 豆右衛門が見上げると、そこは開の浪漂う大海原。大海だ、大海だと分け入って、目をこらしてみても岸もわからない開の底、腎水に限りはなくいつ果てるともしらない。ようやく入り口にたどりついて玉中を見ると、その丸いこと。玉粒(ぎょくりゅう)は張形をもてなし、さまざまな音が鳴り、悪風に漂うすさまじい臭いが鼻をもぐように突いてくる。あまりの切なさに豆右衛門はうろたえ回り、うっかり足を踏み外して、吉岡の局の臍のあたりへころげ出てしまった。
 女中たちはこれを見て「奇妙な虫が出てきた」と一様に驚き、起き上がって手に取った。
「これは不思議。人間の形と違わないが、龍田どのの腹から出た虫ではないか」
 とあっちでも取って、こっちでも取って、ためつすがめつ見ているなかに、むごい女中がいて、
「こんな見慣れぬ虫は打ち殺してしまうのがよい」
 と大豆右衛門を敷居のうえに乗せ、親指の腹で押し潰そうとしたとき、豆右衛門は幽かな声で、
「われは開虱(つびしらみ)の総大将である。お殺しになればこの座の女中全員、どれほど湯で身を洗おうとも一夜のうちに数千匹の虱がわき出し、知盛の幽霊のように赤熊(しゃぐま)の頭を振って、玉前を喰い尽そうぞ。ただこのまま命をお助けになり、お庭へお放し下され」
 と涙をこぼしながら訴えた。
 女中たちはさらに驚き入って騒ぎ出したので、ついにこのことが殿さまのお耳にも入り、その虫をご覧になりたいと御前に召し出した。
「さても小さな人間であるな。きさまはどこからきたのだ。在所様子を申せ。嘘を申すと粉微塵にするぞ」
 その御意に豆右衛門は恐れ入った。
「実は山で仙女に出会い、このようになりました」
 と経緯を語り、その仙女から貰った一軸の巻き物を小さな懐から取り出して殿さまに差し上げた。殿さまは最後までご覧になり、
「これは好色人が重宝する一巻。これまでついぞ見たことない秘本であるから、心がけのある好き者はさぞや見たがることであろう。板行して世に広めよ。題は『色道国の笑い顔』じゃ」
 との仰せ。御機嫌は限りなく、一方、豆右衛門には「今後、女の玉中の掃除をせよ」との役儀を仰せつけた。
 豆右衛門は皮を張りつけた紙合羽に水牛の兜をかぶり、怠ることなく毎日掃除をして働きつづけたので、殿さまは知行を与えた。すなわち身体相応にしじみ貝で三百石の知行取りとなり、子々孫々に至るまでかくのごとくに暮したという。