春情指人形

古今著聞集に古き上手(じやうず)共の書たるおそくつの絵なとゝ言(いへ)るハ春画(わらひゑ)にて、袋(ふくろ)僧の長々敷(なが/\しき)画譚(ものがたり)、或(あるひ)は感情の巻に、宵の程、男忍びて来し始(はじめ)は庭の朝顔を莟(つぼみ)に画(ゑが)き、種々(さま%\)の交接(とぼし)に労(つか)れて男女(なんによ)とも取乱せし末に至(いたり)て、朝顔の花は残(のこら)ず開(ひらい)てあり。夜の明(あけ)たりし光景(ありさま)に画師(ゑし)の巧(たくミ)の妙なるかな。其(その)情態を写せしハ実に感すべし。古(ふるき)往時(むかし)ハ斯(かく)ありしも、今ハ目前(めさき)に花のミ飾(かざり)て情状あるハ稀也。況(まして)や笑画(わらひゑ)を和印(わじるし)なんぞと洒落て呼(よび)なす冊子(さうし)なんどハ、書肆(ふミや=本屋)が好(このミ)に任すれバ、急案を旨として趣向を鑿(うがつ)遑(いとま)もあらず。東都(えど)の青楼(くるわ)の遊(あそび)の躰を浪花堀江の芸子立に倣ひ、彼の開八(ぼゝはち)が指人形、優美の字音で表題に号(なづけ)しハ侭に、其図の上にせりふを誌(しる)して口画(くちゑ)に換(かゆ)るの類(たぐひ)、曷(なんぞ)巧(たくミ)の縁故(ゆえよし)あらん。夫(それ)是を査したまへと。
白水誌


春情指人形序
色このまざらんをのこハ。玉の盃の底なきがことしとハ。ふたつ枕ならひが岡のしやれ者が詞(ことば)むべなるかな。さりながらをとこのミかは女とても色好ミの道にかハりハなし。されバとて女の身に前をつきだし優しい口からさせたいしたいともいふ時ハ。玉の盃硝子(びいどろ)の湯飲。そこもふたもなかるべし女ハその意(こゝち)の気ざしハありながら。あれさ悪い事あそばすな。およしなされまし。私(わたくし)ハそのよな事ハ嫌ひ。いやでござりますといふこそ益(ます/\)女の情態なるべし。されバ其表むきハかたいやうな貞女だての婦人でも。その機にのぞみ其時に触ては。我を忘れた現(うつゝ)の数々。さうでハない斯(かう)でもない。上下(うへした)左右深く浅くの食(しよく)好ミ。心にもないねだりごと。衣服調度ハまだおろか。伊勢参宮から大和廻(やまとめぐ)り。遠き海山越て行(ゆく)。天地も返す茶臼山。古例かハらずしたがつて。妻(さい)と妾(せふ)との穴ふたつ。人を咒ふ藁人形ハ。ねたむやうでいまハしく。巨燵(こたつ)の中の暖味(あたゝかミ)。かゆき所を掻(かく)よりも実(げ)に快き働きに眼(まなこ)をとぢて眉をよせ顔は上気の桜色。是で題外にさぐり寄(よる)。指人形こそこのましけれ


【口絵書き入れ】

浪花の開発(ぼぼはち)が一興
指人形秘戯(ひげ)物語

 大坂堀江の色里に開発(ぼぼはち)というたいこ持ちあり。居続けのつれづれに座興しつくしたるあとにて指人形という芸あり。女形開談(かいだん)懐中人形ともいえり。ここに遊ぶ客、所望すれども、たやすくはせぬことなり。その言葉にいう。
「わしがことをどこの国の生まれじゃと聞かしゃるのか。さればわしはおなごのない国から、はるばるとこの大坂へ見物にのぼりました。ああ、も、話に聞いたよりはえらいところじゃ。うまいものはたくさん、おなごは美しし、なにひとつ不自由ということがないて。しかし、きのう見かけた船場辺の若後家、惜しいことじゃ。身に不足はないけれど、まだ歳は三十になるやならず、旦那どのに別れさしゃったそうなが、さだめしあまりご馳走が過ぎたものゆえ、おめこのおくびがてら、それがもとになってすぎたものじゃあろう。極楽の東門より若後家さま玉門が好もしいと、だんだんつてを求めて拝見にいったが、その結構さ、なかなか言葉に言い尽されねど、さねがしらをちょっと摘まんで話しましょう。まず緋の山舞縮緬の長襦袢、鼠の紋縮緬の湯具をくくって、そろそろとお見舞い申したらば、旦那どのが命をかけられたも尤も千万。すべすべ、やわやわと天鵞絨(びろうど)へさわるようで、虎屋饅頭のできたてみるようで、なかからむくむく暖こうて、毛は羽二重上の鬘(かずら)のように、一本並びに仰々黒々と生えて、小股の切れ上がった、ふっくりとした上開。まず上のほうから撫で下ろして、指先で下のほうからさねがしらまで撫で上げたらば、もう潤いが吹きあまして、ぬらぬらとわれ知らず滑り込んださかい、こりゃ早々に出でんとしたれば、『ああ、こそば。もそっときつくしいな。おお、心気』という声が聞こえたさかい、『おお、合点』と二本の指を深く入れて、二、三度、四、五度、くじり上げてかき回すうちに、いつか指が四本ながら入るやつさ。やれ、けなるい、けなるい」


【本文】

春情指人形上(はじめ)の巻

淫齋白水編

   ○手孕村(てばらみむら)の発端

 万葉集十一に『若草の新手枕(にいたまくら)を蒔きそめて夜をや隔てん憎く不在国(あらなくに)』という人麻呂の歌がある。初めて寝席を人に勧めた水揚げの夫婦婚合(みとのまぐわい)のとき、女神は麗しい男に会ったとお喜びになり、男神も麗しい女に会ったとお祝いになった。人麻呂の歌は、その神代の昔から今日まで、交合(とぼし)の情態、自然の愛しい、可愛いの根源は変わらないという心に寄せて詠じたものであろう。
 それはともかく夫婦婚合という語は、蒔くと生(は)やすという語と関係がある。子種を蒔くのは世継ぎを求めるからであり、わが国でも古くは夫婦を「まく」と言っていた。また、枕を「まくら」と訓ずるのも、夫婦が眠りの席で使う用具だからだとか。娶(めと)るの文字を「まいて」と訓じる例は、日本書紀応神天皇二十五年の細書に出ている。
 さて、色という呼び方は男女和合の道が成就してから生じた。およそ生きとし生けるもので交合に情を動かさぬものはなく、見目美しい女であればいっそう愛するものである。毛詩の序の注釈に、「女、美色あれば男子これを悦ぶ。故に経文に通じて女を色と云ふ」とある。仏教でも「愛欲の甚だしき色より大いなるはなし」と説いている。妻子を持って娯楽の後に四十余年の間、山に分け入り、難行苦行の末に釈迦無二如来と正覚を得て悟りを開いた仏の教えである。唐国の聖賢による色欲を戒める確論の書物は、数十両の車に積んでも積み切れないので、ここで述べるのもくだらない。私的な色と欲に縛られると身を亡ぼすが、それに気づかないのはもっともである。
 ことに女色に耽る者を淫虐という。しかし、教えも道理が明白なのも、夫婦和合が成就した理なのだと屁理屈をこね回すのは、秘戯艶史(まくらぞうし)の深読みのようにはみえないが、初めに堅いことを述べて段々と柔らかくしていくのが文章の発端だと、昨日の冷や飯を粥に炊くような言い訳をするのも、天地万物自然の事情というものだ。気候が冬から春に移るように、青陽の春風に自分から堅い氷のふんどしの下紐を解き、山々も笑顔をつくれば、萌え出ずる若草とともに梅柳も色気づくのが道理。誰が教えるわけでもなく、色という和合の道が備わり、三千世界に生あるものは、そのために色と欲の渕に溺れ、恋慕の闇に執着の雲が起こり、煩悩の霧に覆われてしまう。だから菩提の海に真実の月が澄んで現われているのを、凡夫はたやすく見分けることができないという。これは愛しい、可愛いの情欲により恋路に迷うからである。

 ここに孫助という木細工で渡世をしている者がいた。最近舶来したとかいうのを真似して、木を削って人の手の形に似たものを拵えた。自分でかゆい背中を掻くのも思いのまま、肩を叩けば凝りも和らぐというものだ。これは『列仙伝』にいう麻姑の手だが、孫助が作って売ったので世間では孫の手と称し、珍品だからと多くの老若男女が買い求めた。孫助はこれで思いがけず成功して朝夕の煙の代にゆとりができ、衣類や道具も不要なものまで買い置きしておくようになり、妻もときどき隣人に誘われて芝居見物や物見遊山に出かけられるほどになった。
 夫婦の間に今年、十七の春を迎えた息子がいた。貧しい者の子にしては珍しい柔和な性格で名前は指吉という。両親もたった一人の息子だし、職人の手細工だけでは将来が知れているから相応の商人にでもしようと、小さいうちから手習いや学問を習わせていたが、生まれつき器用で手細工に長け、作業の助けにもなるので、つい一日、一日と思いながら手元においていた。
 隣には腎助という水牛細工に長じた職人が住んでいた。いろんな器物をつくる男だが、とりわけ張形づくりに妙があり、水牛製の胴は薄く、雁首の塩梅や筋だった形といい、湯で温めて使うと本物の陰茎(へのこ)そっくりという代物で、一度、これを使った女中は味わいのよさが忘れられず、屋敷勤めの婦人は誰もがつれづれの慰みに腎助細工をほしがって、出入りの小間物屋に希望のものを注文した。その求めに応じて腎助は、大形、小形、互い形や八寸胴返し、さてまた、生まれつき玉茎(へのこ)の小さな男には大きくする鎧形、子だくさんの者には子種を溜める甲形や海鼠の輪、萎えて門口でお礼を申す役立たずの隠居の玉茎には助け船という器物など、もっぱら閨中戯楽の道具ばかりをつくって、隣の孫助に劣らず日増しに利得をあげていた。
 腎助夫婦の間には女子がいた。今年十六の娘盛りで、器量が人並み外れて優れている。名をお品といった。生まれついてのぼっとり者で、見かけはお転婆育ちのようだが、実は歳に似合わぬ柔和な質(たち)で、朝夕、細工場の女悦の道具を見習っていたので、初花が咲く十三のころより自然と色気がおき、男に会ってみたいと思いつづけてきた。だから、朝から銭湯へ行くと糠袋で二た時ばかりもからだを磨き、湯の中で襟元にぱっちりおしろいをすり込む毎日。誰に見せるあてはないが、紅をさし、歯を磨き、小網町の金袋、小伝馬町の花橘、仙女香、白牡丹など、どの匂いがよいの悪いのと比べては自分をつくり、磨くことに日を暮らしていた。尻を撫でたり、帯を結ぶのに手間取っているからなどと理由をつけるので、最近では近所の買い物すら任せられず、母親が人一倍せわしなく働かなければならなかった。

『小娘と小袋は油断がならぬ』とは足利時代のたとえである。今日、水揚げのときに股を気にして、痛むと身を乗り出すような娘は、賎しい者には一人もいない。初手から気がいくことを知っていて、相当に腰をもじらせ、持ち上げ方をも知っている。
 お品は年ごろなので去年から手習いの師匠様のところへ稽古に行くのをやめていたが、一人でも多いほうが賑やかでよいからと花見と誘い出された。
 その日、突然、にわか雨が降ってきて向島の大七で雨宿りをしていると、隣の指吉がやってきた。傘を持っていたので、入れてもらって相合い傘で歩いていると、「お似合いだねえ」とひやかされ、二人とも兼ねて思いが心にあるから、互いにうれしくなったのが顔に現れて目元が赤らむ。人目があるので肝心のことはできなかったが、そっと口を吸いあったのは当座の花というところだろう。
 それから二人は両親の目を盗んで忍びあうようになり、夫婦になる気があったので、ちょんの間の契りぐらいはたびたびするようになった。だが、それ以上のことはなく、二人とも一夜だけでもしみじみと心置きなく抱き合って寝ることができたならば、いい心持ちでさぞ楽しいに違いないと、気苦労な日々を送っていた。
 そうとは知らない双方の親は、いつまでもねんねだと思って気づかなかったが、年ごろの娘を持つと夫婦の楽しみは意のままになるものではない。水牛細工屋の腎助はまだ五十に一つや二つ足りない歳、妻のお好も四十二、三で、年増盛りは過ぎたが、焼餅焼きの交接(とぼし)好きである。きょうは田舎の伯父がやってきて朝から酒を酌み交わし、夕方に帰ったが、腎助もお好も微酔い機嫌である。
好「これ、お品ぼう。きょう伯父さんがご馳走に教えてくれたお染久松の浄瑠璃は、最近になくよくできたものだったねえ」
腎「そうよ。だから下駄でも買うがいいとお前に一分をくれたのだ。こっちで預かっているが、つまらねえものを買っちゃならねえぜ」
品「おっかあ。それに少し足して唐傘絞りの片側を買っておくれな」
好「それがいい。父親(ちゃん)にそう言って買ってもらいな。そういえば今夜、隣の孫助さんは留守だそうだ。今朝、成田不動さまへ行くと挨拶にきなさった。おばさんが寂しがるだろうから、四ツまではいいから遊んできな」
腎「孫さんは今朝発ったのか。そこらへんまで送ればよかったな」
好「いや、長屋で見送ったのは誰もいなかったよ」
品「それじゃあ遊んでくるよ」
 お品は胸に一物があるので飛び上がるほど嬉しかったが、どきどきする胸を気づかれないような顔をして表へ出ていった。

好「もし。あの子も油断がなりませんよ。このごろじゃあ『嫌らしい』などと言いながら、尻や頭ばかり気にしててね、当分の間、奉公に出さないと、ろくでもない者とくっつくかもしれない」
腎「それだけれども思いの外、色気がねえぜ」
好「なにさ。湯へ行ってごらん。裸になった形(なり)は尻の大きさといい、大人並みで、おまんこには兎の毛のようなのが生えてるよ」
腎「そりゃいい。ところでさっきの残りの酒があったろう。燗をするがいい。それに夜は長いからお品が帰ってこねえうちに、きのう、拵(こせ)えた新型の張形を試してみてえ。燗をする前(めえ)に土瓶の茶をそれにつぎ込んでおこう」
好「久しいもんだ。ばからしい。お品が帰ると悪いわな」
腎「商売物に骨を折るのは、家業に精を出すということさ」
 甚助は土瓶の茶を張形に注いで脇に置いた。お好は昼のうちから南風にあてられて耳がぽかぽか、少し酔ったので陰門(おんこと)は熱してかゆく、男欲しさの折りだから、話だけで精汁(いんすい)が股のうちをぬらつき、潤んだ目尻を下げて酒の燗をつけている。腎助は品玉使いがするように箱を前に置いて、いろいろな喜悦道具を並べ立て、猪口を受けてはあれこれと弄んでいたが、やがて最前の張形を玉茎(へのこ)にくくりつけて、お好の前へ手をやって湯文字の下へ差し入れた。そこは早くも潤ってぬらついていた。
 腎助がお好を抱え上げて後ろからそろそろと押し込むと、お好はすぐに歯を喰いしめて腎助にしがみつき、鼻息荒く腰をもじりはじめた。
好「ああ、もう、このようなよいことはない。どうも今度の張形は、もう、いつもより百倍もよい塩梅。これならさぞ得意先の女中方が喜ぶだろう。いっそのこと売らないで家(うち)に置いて毎日これでしていたい」
 と、お好は繰り言やら善がり泣きやらで、久しぶりの大善がり。腎助も夢うつつのお好の喜悦にたまりかねて、張形を取り外して捨松の木のような大亀頭(おおへのこ)を、何の会釈もなく根までぐっと押し込んで、子宮(こつぼ)の上へ鈴口をぴったりと押し当てた。玉門(ぼぼ)のなかのいぼいぼが蛸の足のように吸いついてくる。すかりすかりと大腰に突き立てると、湯のような淫水が滝のように溢れ出てきた。
 合戦は数刻に及んで、お好は二十度ばかり気がいき、腎助は竜吐水から水が飛び出すように一度に精汁をほとばしらせた。がっくりとして朦朧とながらしらほの紙を探してお好に拭き取らせた。

 腎助が「ああ、よかった」とため息をついて燗冷ましの酒を一口飲もうとしたとき、裏口から隣の女房が声をかけてきた。
女房「もうお休みなさいましたか。今晩亭主は留守で指吉も店に呼ばれましたが、雨がちらちら降って参りましたから、指吉も泊まってくるだろうと存じます。お品さんをお泊め申して、よろしければ今晩、お貸しなすって下さいまし。わたし一人では寂しゅうございますから」
好「おや、おかみさん。お入りなさいましよ。降って参りましたかえ。お品を心置きなくお泊めなさいまし」
 お好は手も洗わずに腎助の玉茎を握って口を吸い、手に取って汚れた吸い付け煙草を「さあ、一服おあがんなさい」と腎助に差し出した。
女房「おかまいなさいますな。さようなら、お休みなさい。ほんにお前さんのご主人はお留守かえ」
好「いいえ。昼から客があり、少し飲み過ぎました」
 お好が空寝入りしている腎助に目くばせした。
 隣の女房は「さようならば」と戸をぴしゃりと閉めて出ていった。
好「おかみさん、お休みなさい。お品がおやかましゅうございましょう。寝相が悪うございますから、お困りなさいましょう。もう四ツでございますか」
 しっかり鍵のかかる音が聞こえてきた。お好は小声になった。
好「もし。いい塩梅に終いぎわでよかった。しかし、今夜は久しぶりだから、堪能するほどやらかしてえね」
腎「そうよ。こんなことはめったにねえ。また飲み直して楽しもう」
 徳利を耳元にあてて鈴のように振ってみると残り少ない音がしたので、表口を確認するのも兼ねて腎助は酒屋へと権(ごん)の字を取りに出かけた。折りから鐘の音がごんと響き、四ツの見回りの金棒がちりりん、ちりりんと鳴っていた。
 この夜、腎助とお好はともに久しぶりの喜悦の楽しみ。おのれの細工の塩梅はよしと、海鼠の輪やら甲や鎧の道具で責めつけ、勝負はようやく明け方になってついたが、ここにいちいち述べると繁雑になり、紙面にも限りがあるので、あとはよろしくご察しを。これより時刻は少し戻り、隣の麻姑の手屋の話となる。お転婆娘お品のことは中の巻をご覧あれ。


春情優美人形中の巻

   ○松葉鏡の昔語

 出雲国の産霊(むすぶ)の神が結びつける妹背の赤縄(えんのいと)は、誰とつながっているのだろうか。いったい、それがわからないから、不満な凡夫は添い遂げて後に初めて知るのだろう。
 麻姑の手屋孫助の女房おめこは、夫の留守の寂しさに隣のお品を今宵泊まらせ、世間話や人の噂をしていると、表から呼ぶ声がした。
下女「孫助さんのおかみさん、お休みなさいましたかえ」
めこ「どなたえ」
下女「わたくしです」
めこ「大屋さんの女中さんか。なんだえ」
下女「わたくしどものおかみさんが宵から産気づきまして、取り上げばあさんを迎えに参りましたが、お屋敷にお伺いしているとかであいにく留守のため、うちの旦那がお前さんを頼み申しましてきて下さいましとさ。すぐお屋敷へも迎えにやりましたが、どうぞご苦労様でもおいでなすって下さいまし」
めこ「そうか。そりゃあ大変だ。うちのもあいにく今朝、成田さまへ行き、指吉は今夜、店に呼ばれたから、お隣のお品さんを頼んで泊まってもらう仕儀さ。何しろ困ったもんだ。それじゃあ、ばあさんもすぐさまくるだろうの」
下女「へい。お屋敷からはすぐに参りましょうけれど、わたくしなんぞには勝手が知れません」
めこ「そんならいまちょっとしたら行くよ。先へ帰(けえ)んな。お品さん、どうしよう。お前一人では寂しかろう。困ったもんだのう」
品「なに、おばさん、怖いことはないわね。早く行っておやりな。わたしは一人でも大丈夫。表も裏も閉めてあるし、誰ぞがきたら大声で呼ぶよ。そして早くお帰り」
めこ「あいにく雨も降ってるし、困ったもんだねえ。うっちゃってもおかれめえ。そんならちょっと行ってくるよ」

 おめこは帯を締め直して出ていった。後に残ったお品は行灯を引き寄せ、蒲団の上で腹這いになって中本を読みはじめた。そのとき表の戸をとんとんと叩く音が聞こえてきた。
品「どなたえ」
男「わたしだ。開けておくれ。たいそう遅くなったよ」
品「おや、指吉っつぁんか」
 お品は跳ね起きて勝手知ったる案内に表を開けた。
品「よくお帰りだね。今夜はお楽しみだと思っていたのに」
指「おや、お品さん。どうして今夜はこんな時分までいなすった」
品「おまえさんが濡れてお帰りだろうと思って、泊まって待っていたのさ。いいえ、嘘。おばさんが一人では寂しいと言って、うちへ断って泊まりにきたら、大屋さんのおばさんが産気づいたと言ってきたので、いま、お見舞いにお出でだわな」
 あたりを見回して指吉は「そうか」とうなずいてにっこり笑った。
指「それじゃあ、いまのうちにちょいと寝ようじゃねえか。おっかあの帰らねえうちによ」
品「そうかね。嬉しいねえ」
 お品が夜着に入る。すぐに指吉も潜り込んできた。
指「こんなに明るいと、おっかあが帰ってきたときに間が悪いから、明かりを消しておこう」
品「そうさ。早くお消しよ」
 お品が急き込みながら帯を解きはじめる。明かりを吹き消して指吉がお品の股ぐらへ手を差し入れてきた。
品「あれ、そんなことはおよしよ」
指「今夜、こういうことがあるかと思って、昼間、爪を切っておいた。そのうえ人差し指と中指には木賊(とくさ)をかけておいたのさ」
品「なんだねえ」
 指吉がまさぐっているそこは、できたての饅頭を二つ合わせたたような、柔らかな羽二重餅の手ざわりだ。毛が薄々としている。撫で下ろすと空割(そらわれ)の下の核頭(さねがしら)がひくひくし、潤いが少し出てきた。指吉は名前が指吉というだけに長けたその手練でそろそろとくじり、奥へと指を差し入れた。子宮にいらいらと当たるたびに、お品は身震いした。
品「ええ、もう、ああ、どうも、指吉さん。まことによくって、よくって、今夜はどうしたんだろうねえ」
 お品は顔をてかてか光らせて、鼻息もせわしく歯をかみしめてしがみついた。二人の肌と肌がぴったり合った。
指「お品さん、おめえ、このごろじゃあ本当にできたもんだのう。そんなに善がるのを誰から教わった」
品「おや、憎らしい。おまえが教(おせ)えておいて」
指「ふだんほかにする者があるんだろう。こないだ、新道の湯屋の前で羽織を着たいい男と話をしているのを見た。怪しい奴だ。あの野郎にもこのようにさせるのか」
品「ああ、もう、憎らしい。ありゃあお師匠さんとこの息子だわな。いい加減にひやかしはおよし。塩が出すぎるとお醤油(したじ)がたんといるわな。そんなことを言うと食いついてやるよ。もう、じれったい。だんだんとよくなるのに」
 お品はいつもなら腹を立ててすねるところだが、からだがとろけてきた折りだから、じれ込んでしがみつき、はらはらと涙を落とした。しかし、真っ暗なため指吉には見えなかった。潤いが十分に出て玉門のなかが湯のようになっている。

 時分はよし。指吉は玉茎(へのこ)をそろそろと臨ませ、潤いでぬめらしてへのこの頭を半分ほど入れた。お品はなんぼ巧者にみえてもまだ生娘の新鉢同然であるから、額に皺を寄せ、両脚で締めつけながら、身を乗り出した。というのも、指吉の一物は並のものより大きかったからである。
 お品はませた娘だったから、唾をつける苦労もなく、これまで軒下や惣後架でちょんの間を楽しんできた。ただ、玉茎を半分ほど入れただけで指吉が先に気をやってしまうので、鶏や猫のような交接(とぼし)だったが、それだけでも美快を覚えたのみならず、炬燵に当たっているときも指先でくじかれ、くせのついた玉門だったので、指吉はどうにかこうにか根元までぬらぬらと押し込んだ。
 無言のまま鼻息だけがせわしい。舌が抜けるほど口を吸い合って、肩が張るほど四ツに組み合った。玉門が大勢で泥沼を歩いているように、すぽすぽ、ぐつぐつと鳴る。吸い込むような締まりのよさは、蛸とも烏賊ともたとえようがなく、咥えては引くさまに互いに淫水が溢れ出る。入れ続けの指吉は、へその緒を切って以来初めての二つ玉を放って身もだえし、がっくりからだを落とした。
指「ああ、もう、今夜ほどのことは初めてだ。これは本当に嬉しい」
品「もう、どうしてこんなにいいのだねえ。こないだ中は、みんながいう気が行くだの、いい心持ちだのというのが根っからわからず、ただひりひりするだけでつまらないもんだと思って、指でいじるほうがいいようだった。ほら、先度、都住の写し絵へ行って交合(や)ったとき、ちっとばかり気とやらが行ったと思ったが、恥ずかしいねえ。そして今夜という今夜。もう、何ともたとえようがないわな」
指「嫌か」
品「もう、憎らしいねえ」
指「これ、そんなに大きな声を出しちゃあ悪い。もう、おっかあが帰ってくるだろう」
品「明かりをつけておこう」
 お品は袂の紙で後始末をしてから起き直って行灯に火をともした。指吉が帯を締める。互いに顔と顔を見合わせると、お品が抱きついてきた。
品「可愛いねえ」
 また、口と口を合わせ、指吉は手燭をともして二階へ上がり、夜具を取り出して寝るばかりに準備して降りてきた。お品が乱れた髪を掻き上げている。
品「指吉さん、おばさんを呼んでこようじゃないか。『兄さんがお帰りだから、おばさん、帰ってきておくれ。怖いから』といって」
 お品は指吉の頬を指で突きながら、その膝の上に寄り添った。
指「怖いもねえもんだ。人にさんざ骨を折らせておいて」
品「まあ、いいじゃないか。おばさんが帰ってきたら、そばへ寄ることもできないから」
 二人はまた痴話をしはじめた。その様子はまだ初可愛らしい恋の、さかりのついた猫のような一途さである。面白く嬉しい初心のうちこそ、花というものであろう。
 指吉が箱火鉢に炭をついだ。お品は急いで手水場を済ませて裏口から出ていった。

 ところで、麻姑の手屋孫助の父親は得手吉という。西国生まれの得手吉は千人の肌に触れたという、すこぶる色事に長けた男で、挙げ句に玉門塚(ぼぼづか)という塚を建てたという。その因縁をたどってみると、得手吉は若いとき、近隣の金持ちの家の一人娘に見初められた。好いたが因果、好かれたが果報だが、寝ては待てども、会うことはもちろん、人づてがないから言い寄ることもできずに児手柏(このてがしわ)のふた面、恨めしく思っていたという。
 箱入り娘だったこの娘は、朝に夕に表の窓の下を通りすぎる得手吉を見ては、うぶな心に粋(すい)な人だと思っていた。だが、口には出せないし、夜の契りはもちろん思いもよらなかったが、鮑の片思いであろうとも猫の椀になろうとも、思う殿御の床で添い寝をしてみたい、愛しく、可愛く、惚れたの恋心を白紙の手紙にしたためて渡したなら、せめて心根を汲み分けた返事も貰えるだろうと、思いのすべてを筆に書き尽くして、窓の下を眺めては得手吉が通るのを待っていた。
 一方、得手吉にとっても娘はいつも深山の花ではあったけれど、その気があるので色娘の顔を見ようと通りかかったときにふと見上げると、娘は嬉しく顔を赤らめて、お軽のかんざしじゃないが、すだれのすき間より封をそのままぱったり落とした。
 これが深い縁の始まりだった。得手吉は下で受け取ると懐中に入れた。昼間のことだったから、釣灯籠の明かりはいらないし、月影に透かす必要もなく、喜んでわが家へ持ち帰って封を切る間も胸はどきどき、読むと日ごろの思いのたけが真実筆に表れていた。すぐに得手吉は折れた金釘のような悪筆の返事をしたため、折りを見て窓のすだれに挟んだ。手紙は他人が見たら店開きの引き札としか思えないものだったが、娘はこれを浮木の亀とばかりに受け取った。これより二人は文を通じて互いの心を慰めることになった。

 高いも低いも色の道、雁の頼りを楽しみに、といえば、謎かけのようだけれど、長いのもあれば短いのもあるのは、八百屋の店先で塩松茸を売るのに似ている。得手吉と娘の色事は古風で時代遅れのように思われるかもしれないが、これこそ恋慕の真の愛情というべきものである。操を尽した真実が昔も今もどうして変わろうか。交接(とぼし)の道が備わって以来、余れるという陽の玉茎が逆さに生えたことはなく、欠けているという陰の玉門が尻の先にできたこともない。人の形が昔も今も変わらないように心が変わることもない。ただ、生聞きと行き過ぎと食欲というくせ者が和合の道の妨げになる。杓子定規にはいかないのである。
 それはさておき、得手吉は夜ごと娘の窓へ通っては、ただ格子から手を差し入れて娘のふっくりとした玉門を指の先で楽しんでいた。これは天鵞絨張(びろうどば)りの吾妻形をもてあそぶようなものだから、玉茎は怒り木のように勃起しながらも入れる穴はなく、女湯を覗く一人者のように思いは募るばかりだった。娘は娘で指の味だけなので、添い寝をしたらどれほど嬉しいだろうと想像してはみるが、人目の多い家だったから、すっかり鳴ることのない張り子の釣り鐘のようであり、恨みの数々を文にしたためた。得手吉は得手吉で返事といえば気を悪くしたものばかりであった。夏だったら涼みにかこつけて窓へ出ることもあろうが、冬だったので夜ごと指の契りだけで過ごしていた。

 やがて娘は酢の物を好むようになって腹が膨らんできた。親は不思議に思ったが、懐妊に間違いないと医者は診立てるし、娘は赤らめた顔を面目なく伏せるばかりである。しかし、門口へ出たことすらないのだから、男に会ったことがないのは明白であり、まして娘の部屋に男がやってきたことなど、放蕩者のへそくりのようにあるはずもなかった。もしや腸満血塊の類いかと親の欲目に思ってみたが、月日が経つとともに乳首が黒ずんできた。人参飲んで首くくるのたとえじゃないが、身の言い訳とおぼこ気が昂じて、もしや何かの拍子に川へざんぶと身投げすることがあってはなるまいと、親は秘かに中條流の女医者、つまり月水流しを呼び寄せた。
 実はかくかくしかじかの次第で、と穏便に療治を頼むと、女医者は即座に請け合った。
「当方へお出でになって、差し薬だけでは何なので加えて血の道をとめる粉薬一服をつけると金一分と二百文。また一回りのご逗留による療治ならば、差し薬と煎薬が一回り分に、雑用のお世話を申す下女のご祝儀と、生まれたお子を寺へやって戒名をつけていただき、からだにも乳にも障りのない元のからだにしてあげるなら一両三分が定値段です。しかし、こちらに参って様子を伺っていると、ふだんのような治療ではちと参りませぬ。なぜなら、お嬢様にとっては初めてのご療治。大切な御身の上、療治のしかたを打ち明けて、ただそのまま薬を差しただけでは、薬の効き方にも高下があるので、果たして効くかどうか。まず二、三日、こちらへお伺いして、お嬢様と世間話をしながら春画(まくらえ)などをお目にかけて、おかしな気持ちになったら指で玉門(おんこと)をくじり、子宮が開いたときに薬を入れなければ効能はありますまい」
 女医者はしゃべり立てて説いた。
 両親は、命につつがなく療治ができれば金に糸目はつけぬ、よろしく頼んでくれと乳母に指図し、その旨を女医者に伝えた。

 女医者がはたして四、五日通って処方のとおりに療治すると、娘はしきりに産気づいて産み落としたが、いかなことか、それは人の子ではなく、握り拳のような手首だけだった。
 乳母も女医者もこれを見て飽きれ果て、両親へもそうと告げて知らせると、驚きながらも二親は親の欲目で娘に限って淫らなことはあるまい、これは何かの病気に違いないと思って、娘の顔を少し起こしてみた。娘は日ごろ得手吉と指でのみ契っていたので、このような手首だけを孕んで生んだことを浅ましく思い、面目ないやら悲しいやら、つらい思いに堪え兼ねるばかりだった。
 産後の肥立ちはつつがなかった。だが、手首を産んだことはすぐ世間の知るところとなり、娘は手孕み娘とあだ名された。さらに、その地を手孕村と呼ぶ者も増えてきたために、娘は気に病んで、ついに空しくなってしまった。
 それを聞き知った得手吉は驚き、恐れ、互いの情に自然と通じてこのような珍事を引き出した自分の指に咎があると、ついに色の迷いを悟り、娘の仏果菩提のため、二本の指を切り落として諸国を行脚する有髪の僧となった。だが、玉茎は達者なため玉門修行して千人の肌に触れ、生まれた手首と自分の二本の指とを合葬し、その傍らに玉門塚を建てて供養し、百六歳でめでたく往生を遂げたという。
 だから、因縁を知る孫助も因果罪障消滅のためと、孫の手をつくって商売し、ひそかに菩提を弔い、自分の子をも指吉と名づけたのである。さても因縁は深いといえよう。


春情優美人形下の巻

   ○手子生(てこき)の里の歓楽

『子宮(こつぼ)へはどうも親指邪魔になり』という狂句は、「奥のほうをの、上のほうをの、きつくの」という女の美快の注文に応じたら、「それさ、それさ」といわれて、手首も入れば押し込んで、掻き回したいほどに男が思う指の楽しみの情態を述べたものである。
 おそよ玉門をもてあそぶことほど快いものはない。これをくじるといい、品良くいえば指人形を使うといい、下卑ていえばえらを抜くという。これは魚売りの通称である。また松葉鏡とも称えられるのは、小児が松葉をもてあそぶ姿に似ているからである。
 手孕村の浮き名を立てた得手吉が、陰茎(まら)を切り落とすべきところを指を切ったのは、その道に精通して妙に至ったためである。子孫の指吉が自然に術を得たのも因縁というべきであろう。
 実に男女の交合(まくばい)は和合の根元、諸道の基いであるから、怒る心もこれのために和らぎ、憂いも悲しみも忘れるのである。富貴ならばほかに苦労はないけれど、色情に労を求め、貧乏に節がなくても、世帯のやりくりに気を揉んでいると、交合だけが憂鬱を紛らわす手段になる。ゆえに五味のほかに味わいがあって、もっとも佳だと舌打ちして賞翫するのは、陰陽和合の道をいうのである。

 閨中の秘術にはいろいろあるが、玉茎だと丈夫で温かく、柔らかく出入りして、緩めたり、急に上下左右に突いて女悦を極める方法がある。玉門は温かで狭いのが第一だ。そして引っ張り、あるいは締める。その体は緩やかに急ぐと悶え、乱れると腰を揉み、ひねる手練があれば、上味をなして男はこれを蛸、巾着などと美称する。だが、もとよりこれは淫楽のなすところである。まことの恋路に入って、恋慕、愛情が深ければ、味の良し悪しはあまり関係がなくなる。互いに淫楽の栄耀には誇らないし、女は新枕の初めよりほかの男と肌は触れまいと操を立てるものだ。その可愛い味は心のまことにして、口で味わうのではなく心で味わい、耳で聞くのではなく心で聞く。その情状を味わえば、道三の『黄素妙論』を投げ打ってでも、契るのがまことというものであろう。
 しかし、男はなびかぬ女に挑み、恋慕執着を遂げるのを楽しみとする。いくら口説いても、「戸板に豆よ」と歌っていたころの例えに、「落ちそうで落ちないのは町芸者と牛の金玉、落ちそうになくて落ちるのは茶屋娘と鹿の角」などとあるのは、顎へふんどしを挟んで締め、帯を前で結んで後ろへ回した時代のことである。当世は箱入り娘も人の女房も、秋の熟柿か栗のいが、すぐにでも落ちるのである。

 さて、お品は指吉と父親の成田詣での留守中にしっぽりと食った味わいが忘れられず、つけつ回しつ、隙あれば、あるいは腹立ち、あるいは浮かれ、つねれば食らいつき、叩けば追っかけというように指吉と痴話を繰り広げていた。指助も何をするにも手につかないので、その両親は目に余って、お品を指助の嫁に貰って、達者なうちは世話にはならないが、ゆくゆくは味噌汁の具ほどの株でも買って世帯を分けようと相談し、孫助は大屋を仲人に立てたらどうかと腎助にかけあった。だが、腎助のほうも一人娘のことなので、こちらこそ聟に貰いたいとできぬ相談に得心しない。また、折りを見て腎助を大屋の家に呼んで一杯飲ませながら、理を尽くし、口を酸くして言い聞かせてみたが、生得、片意地者なのでとりつく島のない返事。小腹を立てて腎助は家へ帰った。

 腎助がわが家の戸を開けようとしたとき、なかからひそひそと話す女房、お好きの声が聞こえてきた。
好「それそれ、そこを。もっときつく、上のほうを強く。おお、そこよ、そこよ。ええ、もう、どうもいい心持ちだ。指先に力があるから、まことにいいよ。ああ、もう、どうも」
 お好はしきりに声を震わせて、美快の真最中の様子である。腎助はむっと咳き込んだ。
腎「こいつらは親子でおれをばかにしやがる。野郎も野郎だ。宵から大それた奴らだ。間男見つけた。そこを動くな」
 腎助は門口から大声を上げて戸を蹴り返して躍り込んだ。びっくりしたのはお好だった。
好「どうした。なんだえ」
 見ると女房は箱火鉢に寄りかかって、娘のお品に背中のかゆいところをかかせていた。勘違いに立つのも立たずに呆れて、腎助は所在なく初めの勢いも消えていた。
腎「門口で赤い雌犬が親子して飛びついてきたので追っ払ったのだ」と頭を掻いた。「忌々しい。大屋から呼びつけやがって面白くもねえ。隣の孫助のところへお品を世話してやるから、指吉にめあわせろとぬかしゃあがる。こないだも断ったのに、こうるせえ。何が同じ二軒間口の職人だ。店賃ひと月欠かしたことはねえ。そりゃあ孫助は身代もよかろうが、お品だっておかめというじゃなし、押しも押されもしねえ。隣へやるぐれえなら妾や手かけに出して、それを元手に浮かび上がってやらあ。お前もそうだ。こないだは指吉の野郎と訳でもあるようにいってたな。そんなことでもしてみろ、叩き売ってしまうぞ」
好「また、お前のお株が始まった。この子に訳があったといって、売るも叩くもあるもんか。割れ鍋にとじ蓋というもんだ。好いた者どうしなら、仲人口でもじん熟しねえ夫婦になって朝晩いじりあった挙げ句に、なけなしの着物を一つや二つなくして帰っても、喧嘩にもならねえ。あれほど向こうじゃ貰いたいというし、当人どうしも承知しているんなら、やってしまうがいいじゃねえか。それで収まらねえで帰されたとて元々だ。老け込んだ者ではなし。それから妾奉公に行こうが、女郎(つとめ)に出ようが、そりゃあてんでんの耳たぶだ」
腎「お前まで贔屓をしやがる。それだから、この餓鬼がふざけやがるのだ」
 腎助は持っていた煙管で女房を叩いた。お品は先ほどから無言でうつ向いていたが、この体を見て腎助を抱き留めて制止しようとした。
好「何だね。外聞の悪い。何だというと立ち騒いで、どうするつもりだ」
 お好も腎助につかみかかって、親子三人は大騒ぎのもみ合いになった。近くにあった張形の箱を踏み返すと、水牛細工の大茎(おおまら)、小茎(こまら)、兜形、互形、そのほかさまざまの喜悦道具があたり一面に転がり出て、踏みつぶすやら滑るやらと、こちらも大騒ぎ。金勢明神(かなまらみょうじん)の神前に雷が落ちたような夫婦喧嘩に、近所の人々も腎助の夫婦喧嘩は久しいと思いながらも、まさか聞き捨てるわけにもいかず、向こう三軒両隣の女房たちが取り押さえにやってきて、やかましくしゃべり立て、女湯のように口やかましく制したので、ようやく腎助は酔いが醒めて収まった。だが、元の鞘へ納まらないのが張形の壊れ物。向こう隣のばあさまが張形を掻き集めて、箱に拾い入れながらも、稲荷山へ茸狩りに行ったような松茸もあり、松露もあり、琳の玉がころころと転がるのを拾っては、ぶつぶつと小言混じりに片付ける姿は、気の毒だが、一興もあった。

 お品は向こう河岸に住む伯母に両親の喧嘩を収めてもらおうと、両親が取っ組み合っている最中に家から駆け出して、思わず指吉と出会った。
品「おや、指吉さんか」
指「お品さん、どこへ行くのだ」
品「今夜、うちのおやじが大怒りでおっかあをぶったり叩いたり、たいへんな騒ぎで、長屋中の者までやってきて乱痴気騒ぎだから、伯母さんを呼んでこようと思って迎えに行くところだわな」
指「何の喧嘩だ」
品「お前のところへわたしをくれてやれというに、大屋さんを仲人に頼んでいるのに、おやじさんばかりが不承知さ。おっかあが好いた者どうしならやってしまえといったのが始まりで、売ってしまえだのなんやかのと叩き合いさ。どうもこれじゃあお前と一緒になるのは難しいよ」
指「じゃあ、今夜、逃げようじゃねえか」
品「それだと親父(ちゃん)やおっかあが案じるだろう」
指「そうでもしなけりゃあ片がつくめえ」
品「ならどこへ行こうかねえ」
指「麻布の叔父さんのところへでも行って、頼んでくれるよう話してもらわあな」
品「いや、麻布はおよし。叔父さんの気が知れないから悪いよ。わたしの伯父さんが本郷にいるから、そこへ行こうか」
指「八百屋お七のようで縁起が悪いぜ」
品「それじゃあどうしよう」
指「そうだ。これからずいと高砂町、爺と婆になるまで二人一緒に住吉町、岸の姫松松島町、それから永久橋の末かけて万年橋や亀島を向こうにわたる永代橋、縁は深川、二人は仲町だ。いい気なようだが土橋の親分のところはどうだ」
品「そこへ行くのかえ。なんぼ縁起がいいからといって、厄払いのような道筋だね。どうせなら年越しになるといいよ」
指「うまくいうぜ」
品「おお、寒」
 真に惚れた者どうし、冗談が混じるのが可愛らしい。

 苦労なしで浮気同士(どち)の二人は、肩を震わせながらも手に手を取って、深川へとやってきた。向こうは木場の材木置き場。年中、木のように立ち通しのところである。
 ここに住んでいるのが天狗の面、助兵衛という親分。周囲へは口も効き、筏乗りの親分と呼ばれて子分も大勢おり、流行には遅れたが、今年六十に近くなるまで、色事に老け込むことはなく、若い女房を楽しみにして、貧乏ではないが富貴でもない、侠客(いさ)みな気性の玉門好き親父である。
 いつも大勢の子分に囲まれて酒浸りで暮らすのが好き。きょうも昼から飲みつづけ、うたた寝から覚めてすぐ夜着に着替えたまま、また一寝入りして起きたところである。
助「かかあ。水を一杯くれねえか。いま何時だ」
女「いま八幡様の四ツが鳴りました」
 女房が丼ぶり鉢一杯に水を汲んできたのを助兵衛は一口に飲み干した。
助「さあ、寝直すぞ。何だか今夜はおかしな晩で、玉茎が立って手に余る。おめえ、どうにかしてくれねえか。困り切るわ」
女「けしからないねえ。どれ、お見せなさいな。ほんに木で拵(こせ)えたようだねえ。お前のように達者な人は、世間にそうはあるまいね。それを治すには、まあ、お待ちなさい」
 女房は寝間着になって助兵衛の夜着に入った。そして、つかんでひねくり回すと、たちまち勢い強く筋張り、節くれ立ってきた。女房が空割からぬめらして、そろそろと望むと、助兵衛は下から持ち上げて根まで押し込んだ。女房は目を細め、膝を立てたりついたりして茶臼で腰を遣い、「ああ、どうも、どうも」と息を弾ませ、今夜は三十三度の通し矢のように楽しみたいとよがりはじめた。

 助兵衛は洲崎の弁天にいた年明きの年増盛りを女房にし、蛭子の宮の足腰が立たぬぐらいに毎晩楽しむほどの腎張りで、交合はすこぶる巧者だったから、今夜も五浅六深屈伸の秘術を尽して女房を喜ばせようとした。そのとき表を叩く音がした。二人は耳をすませて頭を上げた。
助「誰かきたぜ」
女「ほんにね。せっかくいいところなのに、どうしよう。下女を起こそうか」
助「いま寝たばかりだ。おめえ、あけてやるがいい」
 裸の女房は着物を着て帯を締め、手燭をかかげて出た。
女「どなたえ。おや、交合町(したまち)の指吉さんか。いま時分何だえ。誰ぞどうかしたかえ」
 表を開けると指吉がお品とずっと入ってきた。
指「おばさん、面目ないことでございますが」
 顔を赤らめているので、女房は火急の知らせではない様子を見て取った。
女「それならとにかく気が落ちついた。さあ、お上がり。そちらの子もお上がりな」
 女房が戸を閉めた。
指「もう寝ておいでの時分だと思いましたが、道に手間取りましたために遅くなりました」
女「それはお気の毒だったね。さあ、お入り。下女も寝たようだから起こさないようにこっちへお出で。もし、交合町の孫さんのところの指吉さんが、どこのかの娘を連れてきなさいましたよ」
 助兵衛は「何だと」と返事をして起き上がり、掻巻を着て火鉢の近くに座った。
助「指吉、どうしたのだ。娘をどうした。むむ。いいや、いいや。よくした、よくした。今夜は何もいわねえで、ゆるりとまあ寝るがいい。明日にしよう。だが、家が案じるだろう」
女「この子はふだん、おとなしいからね。ほんにこの道ばかりは別なものだねえ。さあ、腹が減ったろう。お飯(まんま)でもお上がり」と言って火鉢の土瓶へ手を当てた。「お茶も沸いているよ」
指「いいえ。何もいりません。伯父さん、申し訳ない始末でございますが、どうぞお頼み申します。色の訳がございます。ゆるりとお話し申しましょう
助「なに、気遣いすることはねえ。まあ、奥へ行って寝るがいい。おめえ、床を取ってやるがいい。お娘(むす)、若い者にはありがちなことだ。心置きなく今夜は寝なせえ。はてさて指吉よ、よく連れてきたな。お手柄だ、お手柄だ」
 助兵衛は鼠を捕えた猫を誉めるように、訳も聞かずに誉めそやした。女房が奥で床を取っていた。
女「さあ、夜が更ける。ゆるゆると寝て、話は明日に」
 女房が勧めると指吉もお品も、ともに恥ずかしいのでただ「はい」と返事をするばかり。しょげ返って初めには似ず初心の面持ちでいる。「さようでしたらお休みなさいまし。せっかくご就寝だったのを起こして申し訳ありません」
 二人は屏風を立て回し、床へ入ってほっとため息をついた。
品「やっと落ち着いた。いまごろ、うちではさぞ捜し回っていることだろうね」
指「明日はきっとここにも人がくるぜ。おめえのとっさまが強情だから、それが原因でこんなことになった」
品「わたしが惚れていたのが全体悪かったねえ。惚れていなければこんなに逃げることもなかったよ」
指「詰まらねえことをいう。その代わりに今夜はおめえの好きにできるぜ」
品「わたしばかりがお前も好きにできるだろう」
 二人は小声でひそひそ話しながら、食べるつもりで途中で買ってきた鮨や餅菓子を袂から取り出して、上と下とで食べはじめた。ときどき小声の笑い声が混じっている。
 助兵衛夫婦は先ほどのやりかけの続きを始めた。そのよがり声を漏れ聞いて指吉も玉茎をむくむくと立てて、どきどき勢い切っているのをお品に握らせ、くじって、口を吸って、茶臼、横取り、後ろ取り、若いどうしの入れつづけに、子宮は開き、亀頭を吸い込んだ。
 鶏や烏の鳴き声も八幡社の鐘の音も耳に入らず、指吉とお品が楽しんでいる間に、夜はほのぼのと明け渡り、二人は昼ごろまで熟睡していた。
 これより助兵衛の股引の掛け合い中、指吉とお品はしばらくここにかかり船となり、いかりをおろして昼夜の交合。待てば海路の日和りありである、てこきの里への追い風を得て、この浦船に帆を揚げてと謡い寿く祝言の松は高砂諸白髪、二とせ誓った夫婦となるまでの物語は、紙数ここに限りあって尽しがたく、めでたく察したまえ。