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あかつき日記

 

 

 

10月13日 「さんご恋いしや ホーヤレホー」

 

ついこないだ、大好物のスイカにトウモロコシ、食べ納めをしたかと思ったら、
文明堂「懐中しるこ」が近所のスーパーにお目見えした。

今年も緩衝トレーのまんま、平台にドサリと置かれ、
ああ、この辛いつとめがいつまで続くのか、
年季明けを指折り数える玉ノ井娼婦の風情である。

こうして場末のスーパーにまで身を窶して稼いでいるというのに、
懐中しるこは相変わらず鬼っ子扱いのまま、文明堂ホームページにすら載っていない。
看板娘は、今も昔もカステラ一番、桐箱入りのカステラ嬢なのだ。

だが、あかつき、畏れながら申し上げる。

「カステラに断じて未来はない。」

くどいバターやクリームに麻痺した現代人の舌は、
もはや極上カステラの滋味を味わうことができない。

文明堂イチ押しの吟匠カステラ二本五千円も、
栗をトッピングした紅茶カステラも、
一晩中お茶をひきまくる厚塗りのお化け女郎、
間違っても倉は立たない。

このままでは文明堂、カステラ心中だ。

となれば懐中しるこは、和菓子界の超新星爆発か結核第三期か、
消えゆく命が放つ、つかのまの輝きに違いない。

しるこに浮かぶ白いあられが宇宙のチリに思えて、あかつき、涙がこぼれた。

 

で、ノーベル賞である。

あかつき、小柴博士に万歳したまんま、作業服の田中さんに卒倒した。

しかしノーベル財団、
いかに極秘裏の選考とはいえ、
オフィシャルHPに発表した田中氏のポートレイト=びっくり宇宙人、
いくらなんでもあれは失礼だろう。
田中氏はお笑い芸人ではないのだ。

一方、相方のフェン博士は85歳、
バージニア連邦大学という名前は初めて聞いたが、
元はイエールの名誉教授、
講義免除で研究だけという条件で招聘された、リサーチ・プロフェッサーだった。
理系学者、理想の老後である。

世俗的なこと(=学会制覇)が好きな教授は別だが、
根っからの研究者に充実した老後を送ってもらおうとすると、
理系は設備を整える必要があるため、どうしても文系と比較して金がかかる。

週一お茶をのみにくる相談役に秘書つける金はあるというのに、
企業でも大学でも、引退後の理系人に好きな研究を続けてもらう金が、
どうして回ってこないのだろう。


ともあれ日本人の同時受賞、こんなに嬉しいことはない。

昨年も一昨年も期待して叶わなかった、ストックホルムへの追っかけ取材、
田中氏の「ダンス踊れませんから」発言もあったことだし、
今年はきっとどこぞのマスコミが駆けつけてくれるに違いない。

さてあかつきも、ある方が医学生理学賞を取ったら、
晩餐会で配る祝いの冷酒千本背負って、ストックホルムに飛ぶつもりだ。
その時、一緒に配る肴がカネテツ竹輪100円になるか、キチジ入りの「サカサマボコ」になるか、
すべては今後の蓄財にかかっている。

だもんで今日もまた、
♪よろしく A定〜〜♪  (400円) 

 

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8月29日 「次の次は市川房枝で」

 

あかつきは、五千円札が好きだ。

財布の中が2万円を切ると銀行へ行くのだが、
ATMで4万円おろした後、わざわざ窓口に回り、五千円札に両替してもらうほど好きだ。

窓口に回るヒマがなくて、財布の中が万札だらけになってしまうと、妙に落ち着かない。

一万円、どこで崩すか?

悩む。

悩んだままスーパーに寄ったりすると、お釣りの千円札に泣く羽目になる。

スーパーのディスカウント度と、お釣りのお札のボロボロ度は、比例するのだ。

「エノキダケ 3パックでたったの100円!!」 お兄さんが店頭で叫ぶスーパーのレジで、
大胆にも万札など渡そうものなら、
四つ折りをまた半分、折り畳み皺が縦横に走った千円札を、
最低二枚は覚悟しなければならない。

いや、その言い方は失礼だった。

ほどけたミシン目をカネボウカタン糸30番で丁寧に繕った、
30年物の合皮型押しガマ口から抜き出された千円札である。

二ヶ月にいっぺんの年金支給、全部千円札でおろしてきて、
昨日はタマゴ一パック98円、今日はしょうゆ一リットル138円の日替わり超特売、
しわくちゃの手が差し出した千円札だ。

「おかあちゃん元気ですか? 
 工場が潰れてから三ヶ月、ようやくウチのとうちゃんの働き口が見つかりました。
 内職、これまで三人分もらってて、寝るヒマもなかったけれど、これから少しは楽できます。
 なにかおいしいものでも食べてください。   ヨシ子」の手紙とともに、
仏壇にしばらくあがってた千円札だ。

そんな千円札を嫌うとは何と罰当たりな!と分かっちゃいるが、
人間だれにも苦手はある。

で、シワだらけの千円札を手にしたあかつきは、
そのままコンビニへ一直線、
美容院にいけばタダで読める「オッジ」や「マリー・クレール」と、引き換えざるを得ない。

大いなる資源の無駄遣いだ。

友人の中には、お釣りでボロい千円札が手元にきたら、
すぐさまタバコに換えるというスモーカーがいる。

寿命の無駄遣いだ。

あかつきは最近とみにボロ札との遭遇が多いのだが、
これはもしかしたら、ボロ札を苦手とする一部大衆の消費をそれとなく促すという、
政府の景気振興策かもしれぬ。
さすが小泉首相、元・大蔵族である。

 

で、五千円札に話は戻る。

「新五千円札に樋口一葉」のニュースには、正直驚いた。

いくら文人シリーズに転換とはいえ、
美人薄命、しょっぱなに一葉女史を選ぶなど大胆不敵、
次の新札の選定に窮するのは目に見えている。

そもそも、若くてきれいならいいってモンでもない。
ここは財務省印刷局の腕の見せ所、
やまとなでしこ八十媼の全身チリメン皺に老人斑を彫り込んで、
長寿世界一をアピールしてほしいものだ。

それに、浅草の仲見世あたり、コレハ誰デスカ?と外国人に聞かれた場合、
一葉女史のキーワードは結核・貧困。
「オゥ・・可哀相デスネ・・・」と肩をすくめられるのは、
こちとら経済大国の一員だ、口惜しさは否めない。


戦後はや57年。

山谷の泪橋あたりを自転車で走ってみれば、
「ベッドあります 一泊900円」の看板が下がった、
木賃宿「あかつき」のフロントは、塵一つない清々しさ。
高速道路の高架下、立ち並ぶビニールハウスの前で、
隅田川の風に吹かれつつ談笑する人々が、
ホームレスだとは誰が思おうか。

長寿世界一&金持ちニホンの看板たるべき女性を
今選ぶとすると・・・・・答えはひとつ。

「きんさん&ぎんさん」しか考えられない。

元始、女性は実に太陽であった。

コンコン咳しながら筆一本で一家を支えようとしたか弱き女史より、
メシにみそ汁ぶっかけて五秒でかき込み、
畑仕事に精出しつつ赤んぼボロボロ産み育ててきた、
腰回り一メートルの日本の母こそ、
過去最低1.33の出生率にカツをいれる存在としてふさわしい。

そんなことをつらつら考えつつ、
台東区立一葉記念館の萩の舎集合写真、
令嬢たちの豪華衣装に目を見張るあかつきであった。

 


8月11日  「ダンベルを捨てよ町へ出よう」

 

あかつきの宝物がまたひとつ増えた。

パームツリーやキリン、バンガロー、中国製「紅旗」風の車が、
ほのぼのケン=ドーン・タッチで描かれている、プリント生地のバッグである。

名付けて、「きりんのいるへや」バッグ。

「きりんのいるへや」(エステル作 渡辺茂男訳)は、あかつきが長年探している児童書の名前だ。
挿し絵は、「ぐりとぐら」シリーズ等で中川李枝子さんと最強タッグを組む、山脇百合子さん。

「女の子がキリンを飼う」表題作はもちろんのこと、
「巨人が仰向けに寝た形」の島が、ひょうたん島よろしく旅に出るというお話が、
もうマブタに焼き付いてケロイド状態なのである。

思い返せば、同じく夢まぼろしであった「空中都市008」(小松左京作)を、
駐車違反の罰金+レッカー代あわせて3万円超で、遂に手元まで引き寄せた過去もある。
今回のバッグとの遭遇は神様のお導き、
近々「きりんのいるへや」に巡り会える吉兆にちがいない。

人間苦あれば楽あり。

となれば、今年の初っぱなから出鼻をくじかれた足のケガも、
夏休み前の通信簿というか、スイカに振る塩というか、
甘みを引き立たせる為の天の配剤だったのか!

・・・・・お盆のラスベガス旅行、誘いに乗らなかったのはウカツであった。

 

さて、あかつきはここ数年、
夏も冬も極楽快適温度のスポーツクラブに通い詰めていたが、
最近凝っているのは、街サイクリングだ。

休みになると、自転車の前カゴにペットボトルとタオルを放りこみ、
目指す街をだいたい決めてペダルをこぎ出す。

フツーの軽快車では距離を稼げないので、買い換えた27インチ五段変速、
ギラギラ日射しを断ち切るように、裏道を抜け、川を渡り、ひたすら走る。

高速の高架下にホームレスの小屋が並んでいた。
ダンボールハウスではない、青いビニールシートや板戸を使った本格的な家だ。
シートはガムテープやロープで留めてあるのが大半だが、
大工の心得のある人が作ったのか、板きれを打ち付けて、
皺ひとつなくシートを張った小屋もある。

廃材のドアを取り付けて、内側にスダレをかけた小屋。
鉄棒を使った、正統派物干し。
リヤカーを利用したモービルハウスは、フェリーニの「道」を偲ばせる。見事だ。

 

クルマで30分の通い慣れた街でも、自転車でたどりつけば流れる空気が違う。

甘味屋のショーケースに、皿盛りの海苔巻きが並んでいた。
曇りガラスの引き戸を開けると緑の型押しビニール椅子、
一気に時間旅行だ。
ぎんさんによく似た店番のおばあさんに、氷イチゴを注文した。

 

帰り道、幹線道路を避けて走るうちに、どうやら方角を失ったようだ。

次の四つ角、思いきって曲がってみる。

・・・違う。

軌道修正を繰り返すうち、いよいよ迷子になった。

と、目の前が大海原が広がる。

自転車で青い海を漂う。走る。めちゃくちゃに走る。
身体が嘘のように軽い。
ああ、自由だ。


アキレスを切るまで踊りまくったあかつき、
今度は落車して鎖骨を折るまで、ロードレーサーで走るのだろうか。
暑い夏は続く。


6月27日 「御提案: TDL特製プーさんラベルの液キャベ」

 

そよ風と透き通った光がワルツを踊る爽やかな一日、
久しぶりのTDL詣で。

空いていた。

日が落ちれば、ビッグサンダー、スプラッシュで5分待ち、
ピノキオ、白雪姫、ティーパーティー、カルーセルなどは、
軒並み待ち時間ゼロの大安売りだ。
もともとタダの株主パスポートで、朝は10時から夜9時まで、
乗りにぞ乗ったり延べ19アトラクション。

が、どこかむなしい。

行列の最後尾からクライマックス=乗り込む瞬間に至るまでの、
まだかな〜まだかな〜〜のジリジリワクワク感こそ、TDLの真骨頂。
さあさあどうぞどうぞの乗り放題は、どう考えても千円安だ。

とはいえ、そこはさすが遊園地界のエリート、
ガラ空きのアトラクションでも、キャストは笑顔でそつがない。
こう不入りだとダレちゃうよね〜〜ってなそぶりは露ほどもみせず、
緊張感あふれる客さばきは見事である。

ここには日本的遊園地の原風景ともいえる、
ポケットラジオのイヤホンを耳に突っ込んだモギリおじさんや、
七歳以上一人乗り可のジェットコースター、
「聞かれたら七歳って答えなさい」と言い含めた幼稚園児に対して、
「坊や何年生?」と聞いてくる意地悪おばさんはどこにもいない。

にこやかに他人行儀なキャストは、
常に高いテンションをキープしつつ、期待に胸躍らせるゲストを誘う。

どこへ?

時間泥棒の世界へ。(ミヒャエル・エンデ「モモ」)

キャストのテンションの高さ
→常に追い立てられる気分で走り回るゲスト
→「見なきゃ損損 買わなきゃ損損」
→ゆるみきったサイフのひも

爪に点した火でチロチロ豆を煮るケチなあかつきでさえ、
インパした瞬間から、憑かれたように飲み食いし、買い漁る。
そして翌朝、「ただのゴミ」と化した、ストラップ付きポップコーン・バケツ、
霧吹き付きミッキーの扇風機、プーさんのマジカルライトに涙するのだ。もたれた胃と共に。

入り口ゲートをくぐった瞬間から、大のおとなに正気を失わせる。
これぞディズニーの魔力と言わずして何と言おう。

 

しかし園内には一カ所だけ、この魔力の及ばない場所がある。

世界の民族衣装を着た人形たちが歌い踊る、「イッツ・ア・スモール・ワールド」。

これでE券は詐偽だなぁと思いつつ、行列の短さに吸い寄せられた在りし日々、
パスポートに変わった今でも、「ピーターパン空の旅」の次に外せないアトラクションだ。

♪せかいじゅ〜う〜 だれだ〜〜って ほほえ〜め〜ば なかよ〜し〜さ♪
いかに歌声が世界を包もうとも、地上に戦禍は絶えず、ハンガーマップによれば飢餓人口8億。
このせち辛い世の中、他人に微笑みかけるなんぞ、アブナイ人以外に誰がやるだろうか?

どんなに厚塗りを重ねても、そこは開業当時からの大年増アトラクション、
傷んだところから貼り替えた天井パネルは、まだら模様のグラデュエーション。
そして出口に輝く、「世界をあなたに そごう」のレリーフ文字。

ああ諸行無常・・・・・

泣きたいときには、「イッツ・ア・スモール・ワールド」に限る。

 

BBQチキンで痛恨のお手つきをして、スモークターキーで口直し、
久しぶりのTDLを堪能した一日だった。


5月26日  「老後異変」

 

興奮さめやらず科学博物館を出たあかつき、広小路でいきなりカウンターパンチだ。

大好きな上野、甘味処「きりん」に引き続き、玉子パン「ナガフジ」の閉店である。

ショールカラーのブラウスに紺色アクリル・ジャージのスカート、
信玄袋に塩むすび二つ入れて、都バス乗り継ぎ毎日の上野詣で、
めくるめく理想の老後に、
「ナガフジ」無きあと、みやげに何を買えというのか!!

ゆゆしき事態である。

「みはし」のあんみつはどうだろう?
持ち帰りなら、店内で食べるよりも安く済む。

いや。
あれはバスのシルバーシートに座ったとき、ひざの上に包みを立たせなきゃならない。

相当ボケが入ってるあかつきのこと、
横に倒してスカートを濡らし、お漏らしと間違われるのがオチである。

それに荷物がふたつになると、
大枚はたいた「あんみつ」に意識が集中して、大事な信玄袋を置き忘れるに違いない。

軽くってかさばらないで、信玄袋に入るもの。
これだけは何があっても譲れない、上野みやげの条件だ。

さらに、あかつき老後の食生活を考えてみれば、
ごはん、味噌汁、漬けもの三点セットに野菜の煮物か豆腐の白和え、
栄養不足は目に見えている。

たかがおやつ、されどおやつ。

何が無くても、年寄りのおやつは「滋養」が第一。
ダイエット中の若い子が、口寂しさに「トライデント」噛みちらかしてるのとは、
ワケが違うのである。

幼少のみぎり、タケダ「タマゴボーロ」をウットリ座卓にならべ、
「カワイ肝油ドロップ」を溶けるまで舐め倒したあかつき、
ナガフジ「玉子パン」をしゃぶらずして、何のための総入れ歯か!!

むなしい。

となると、あかつきの老後を託せるのは、
天の原ふりさけみれば春日なる、文明堂「三笠山」か?

タマゴお砂糖小麦粉のふっくら皮にタップリあんこ、
うん、あれなら歯無しの梅干し口でもイケそうだ。

不二家「ミルキー」に始まり、泉屋「ホームメードクッキー」を経て、文明堂「三笠山」に終わる。
これぞまさしく、おやつの「揺りかごから墓場まで」。

風が吹けば桶屋が儲かり、「ナガフジ」閉まれば文明堂八円高、
なるほど世の中はよくできたものだ、と
ひとり板角「ゆかり」を食しつつ頷くあかつきであった。


5月12日 「♪キミ〜をあ〜い〜す〜〜」

 

長い間、違う世界へ行っていた。

「アキレスの国」である。

ケガした足が生活の中心にどっかり居座り、
あかつきを完璧にマインドコントロールする。

これではイカン。

 

で、久しぶりの上野巡礼である。

国立科学博物館「ノーベル賞100周年記念展」。

ニュートン2002年一月号特別付録「ノーベル三賞受賞者一覧」lカレンダーを
家宝=トイレの友にするあかつき、這ってでも出かけたい企画だ。

会場は新館エスカレーターを降りに降りたB3F&B2F、
入るとまず、日本人受賞者10人のコーナーがあった。

湯川、朝永、江崎、福井、利根川、白川、野依博士群、
プラス佐藤栄作平和賞、
プラス川端康成&大江健三郎文学賞ペア。

いつものくせで、文学賞ペアを谷崎潤一郎&安部公房に置き換える。
ハイ、納得できません。
「アベコウボウ」を一発変換できないパソコンは、集めて調教が必要ではないだろうか。

2001年度各賞受賞者のインタビュー・ビデオを見る。

「えっ? この三人、アメリカズカップ優勝のマチガイじゃない?」と思っていた、
爽やか笑顔のハートウェル、ハント、ナース医学・生理学賞トリオが、
カレンダーの顔写真よりえらく老けていることを発見、胸をなで下ろす。

天下のノーベル賞、
脳味噌の重さがガタイのよさに隠れる事態だけは避けてほしい。
ウドかエノキか雪国まいたけか、もやしっ子風貌こそ受賞者には相応しい気がする。

加えて野依&ノールズ博士と化学賞を分け合ったシャープレス博士、
トイレでお顔を見るたびに、上野動物園のサル山を連想していたが、
ビデオではさすがに知性溢れる語り口、額のテカリ具合も神々しかった。

そしてノーベル賞といえば、
「動く遺伝子」の発見で1983年医学生理学賞を受賞した、
バーバラ・マクリントック博士。

たとえ五十貫の石を抱かされて大腿骨うち砕かれようとも、
ばあてるのすてる、あんめんぞーすまりあ、
サモトラケのニケがミロのビーナスか、
あかつきが生涯拝み奉るお神体である。

ああそれなのに、それなのに・・・

「輝ける女性受賞者コーナー」、
パンフレット写真によれば、ポートレイト展示の16名に選ばれ、
コーナー中央でにっこり微笑んでいるはずの女王マクリントックは、
ずずずーいっと奥の奥に押しやられているのだ。

あまりの仕打ちである。

そりゃ、こないだの先着200名様限りタマゴ1パック98円の行列、先頭に並んでたし(嘘)、
ぶらさげモン的には、ノーベル賞金メダルよりシルバーパスの方が確かに映える風貌だ。

だからといって、栄えある単独受賞、あかつき心の師を、
左すみに追いやるとは・・・ああ無情。

 

気を取り直し、B2Fに上がる。

映像シアターがふたつ、片方の「個人の創造性」は、
32人の受賞者を一人あたり約3分で次々紹介するスグレモノである。

待つこと40分、ようやくマクリントック女史が登場する。

あかつきのハートを射抜いた、あの毛玉だらけのセーター姿だ。

ニュートンカレンダーの白黒ポートレイトでは分からなかったが、
セーターの色は鮮やかな青!
グレーでもピンクでもない、清々しく目の覚めるブルーだったことが、
いかにも女史らしくて嬉しくなった。

細い肩。ハスキーな声。
女性パイオニアゆえのイバラの道に触れ、
「自分に自信があれば、どんな困難でも乗り越えられる」と笑う。

最高だ!マクリントック!!

(続く)


3月26日 「春のセンバツ開会式」

 

ニッケイの集金兄ちゃんにもらった、「版画家 池田満寿夫の世界展」のチケットが、
冷蔵庫にさびしく貼りついている。

会期は2002/1/26(土)−3/24(日)。
足元不如意のため、みごと逃した。

残念である。

とはいっても、作品に興味はない。

ただ、池田満寿夫&佐藤陽子夫妻は、
日本が誇る、「上等な」割れ鍋&綴じ蓋カップル。
岡本一平&かの子夫妻と並び、
長らくあかつきアコガレの対象であった。

強い個性の持ち主は、
えてして偉大なる常識人を配偶者に選んでバランスを取りがちであるが、
「上等な」割れ鍋&綴じ蓋カップルは、
まさに個性と個性の超新星爆発。

互いをスポイルすることなく、手を取り合って夜空に描くスターマイン、
余人には理解しえぬ魂の交歓は、芸術家カップルの理想型ではないだろうか。

佐藤陽子さんが、満寿夫氏の思い出を書きつづった文章は、
いくら時が経とうと癒されることのない、ナマな喪失感に溢れている。

親が亡き子の歳を数えるように、
きっとこの人は、愛する人との思い出を反すうしながら、
残りの人生を生きていくのだろうなぁ、と。

うらやましいことである。

 

で、話は変わる。

第74回選抜高校野球大会開会式。

この歳になるまで、こんなすばらしいものを見逃していたとは!

何がって、行進だ。

全国から選ばれた32校、総勢512名の凛々しい高校球児たちが、
晴れがましさと緊張の色を若さ輝く顔に浮かべ、
手を振り、モモを引き上げ、甲子園球場を一周するのだ。

確かに歩いている当事者たちは大変だろう。
一校にひとり掛け声係がいるようだが、ビシッと足並みを揃えるのは容易なことではない。

が、一糸乱れぬ行進には、人を酔わせる魔力がある。

さらに大地を踏みしめる迫力は、
紅毛碧眼人の細く長い脚では決して出せぬ、
胴長短足、甲高幅広の大和民族真骨頂だ。

指は伸ばさず握り拳を作り、腕を振り上げる高さは肩から20度、
内股オカマ歩きにならぬよう膝を心持ち外側に向け、
ドスドス地響きを立てて歩いてほしい。

甲子園行進コンテスト、あかつき的一位は岡山県代表関西高校であるが、
広島代表の広島商、広陵高校も見事であった。

行進に関するかぎり、西高東低は明らかだ。
そもそも眉の太い南国顔は、行進によく似合う。

福代まり奈さんの朗々たる君が代斉唱といい、
久しぶりにテレビを堪能したあかつきであった。


3月11日 「愛してもいいですか」

 

あかつきは生来の「動物コワイ」である。

決して「嫌い」ではない。

チョコチョコ小走りに散歩する小型犬を見かけると、
ああ可愛いなぁ、胸がキュンとする。
ただし、リードに繋がれていれば、の話だ。

いや。
リードなしの散歩でも、冬なら許せる。
足元がパンツ&ブーツやジーンズ&スニーカーの寒い季節だったら、
犬がチョロチョロ近寄ってきても、
冷静を保つ自信はある。たぶん。

だが夏場、クリクリおめめのチワワが、
「あ、キレイなおねーさん発見!」としっぽふりふり駆け寄ってきて、
サンダル履きの素足をペロリ、舐めようものなら、
ギャーーーッ!!
蹴り飛ばしてしまう自信も・・・・・・ある。百パーセント。

 

ところが人生何が起きるか分からない。

フナの肛門からチョキチョキ、見てるだけで気分悪くなったあかつきが、
カエルの解剖は保健室にフケたあかつきが、
今、ペットを飼っているのだ。

モルモット(♀、二歳)。

この子と暮らすようになってから、「しあわせ」の基準が変わった。

しあわせとは、「野菜室を埋め尽くすサニーレタス」。
もう、これしか考えられない。

したがって、「しあわせ」の反対、「胃の腑がよじれるほどの悲しみ」は、
スーパー閉店時間に間に合わず帰宅、
キュイキュイ喜んであかつきを見上げるモルモットに、
「ごめんねごめんね」と詫びつつ、干からびたキャベツ、差し出す時である。

愛するものに好物を食べさせてやれない不甲斐なさ・・・

戦時の日本の母も、飢餓に苦しむ東アフリカの母アフガンの母も、思いは同じに違いない。
ペットを飼うようになってから、ユニセフ募金の額が増えたのは、当然のことである。

 

しかし、世の中は広い。

この世には、あかつきなど想像すらできぬ深い愛情を、
全身全霊でモルモットに注ぐ超弩級の飼い主さんが、
あまた存在するのだ。

モルモットの寿命は短い。
五歳に達すれば立派な長寿モル、
二歳、一歳、ゼロ歳、一ヶ月でも、
ちょっとしたことで、あっというまに亡くなってしまう。

あれほど慈しんで育てればどんな疫病神だって逃げ出すはず、
と思えても、だ。

先日、長く闘病を続けたモルモットが、一匹力つきた。

その飼い主さんが思いを吐露した文を、
あかつき、毎日読んでは泣いている。

注いだ愛情の深さに泣け、
寿命の短い動物を、これほどまで愛してしまった切なさに泣け、
その万分の一の愛情も受けられず、死んでいく難民孤児たちを思って泣けるのだ。

 

かくもモルモットは愛情を教え、人生を変える。

アレルギーっ子向けには毛のないスキニー種もあるし、
箸遣い、物干しに続く、「モルモット飼育」、
総合学習の三本柱として是非推進していただきたく、
よろしく文部科学省さま。


2月27日 「病床極楽」

 

アキレス腱を切った。

で、今、膝下ギプスで自宅療養中である。

松葉杖は一応あるが、
ハイハイで移動し、膝立ちでハタキをかけ、キャスター椅子で台所に立つ。

視線が低いから、ホコリがいやでも目に入る。家中ピカピカ。
ヒマだから、朝ゴハンから煮こごりにナンコツ焼き。肌もピカピカ。

春を思わせるような日だまりの中、
うとうと微睡むノアノア気分のあかつきであった。


2月10日 「おじや大明神」

 

最近の朝食は、「おじや」である。

前日の味噌汁の残りに、軽く一膳分のゴハンを投入し、
弱火で10分、汁碗たっぷり二杯の「おじや」に変身する。

ニッケイ眺めながら、薄緑のお気に入り陶製レンゲでしっかり腹に納めれば、
昼時まで空腹知らずだ。

畏るべし! 米の底力!!

麺やパンでは、こうはいかない。

汁吸って伸びたラーメン、
エノキのからみついた鍋底ふやけウドンを想像してほしい。

「食パン・イン・砂糖入りホットミルク」ならぎりぎり許せるが、
毎朝となるとキツいのは明らかだ。

だが、「おじや」は違う。

じゃがいも&ワカメおじや、大根千六本おじや、
なめこ&豆腐おじや、たまねぎ&ワカメおじや、
味噌汁の具の数だけ、バリエーションが可能だ。

かぐわしい湯気を共にいただく、ふっくらあったかいおじや。
ああ、日本に生まれてきた喜び、今噛みしめずして何とする?

 

ハイ。要するに金欠です。

原因は分かっている。
雪上滑走遊戯の行き過ぎだ。

今年は雪が多い。
だから貧乏性のあかつきは、なんかスキー場通わなきゃ損する気がして、
新幹線に乗り、生ビール&石焼きビビンバに2000円、
ラーメン&海草サラダ&チーズケーキ&コーヒーに2600円、
湯沢の名店街でお土産買いまくり、
「貧乏一直線」である。

シーズンはまだまだ続く。おじや万歳!


1月22日  「♪好きになったひと〜〜」

 

なにごとにも同好の士を見つけると嬉しいものだ。

あかつきが子孫繁栄・武運長久を祈る菓子屋御三家、
文明堂・不二家・泉屋

この三店の前を通りかかって、買い物客を発見すれば、
そのお姿に1万キロワットの後光がさしてみえる。

それにしても、マイ・リトルペコなどの企画物を連発し、
ディープなファンも掴んでる不二家はさておき、
文明堂と泉屋、ほんとうに経営の方は大丈夫なのだろうか? 心配だ。

近所のスーパーで、
文明堂懐中じるこ100円が、
緩衝トレーのまんま、ドサッと置かれているのを目にするたび、
「ああ、おひいさまがここまで・・・」、思わず涙がこぼれそうになる。

世が世ならば、
デパ地下のきらびやかなショーケース、
凝った折り箱をしとねに、ゆっくり長まっていられたものを・・・・、
おいたわしや、創業大正11年、由緒正しき文明堂家の汁粉姫。

野菜屑散り敷くスーパーのカート底、
大男ペットボトルに押し倒されるわ、
優男ポン酢にゴロゴロ迫られるわ、
はたまた、そんなポン酢に片恋の大根嬢から、
嫉妬メラメラ頭突きが入るわ、
受難の日々である。

そんなワケで、
この冬、あかつきの懐中汁粉責めに辟易している方々、
もう少し頑張ってください。ごめん。


で、話は変わる。

昨年末、
あかつきの大好きな「赤目四十八瀧心中未遂」の車谷長吉が、
学生時代からの読書遍歴を語る本を出した。(「文士の魂」 新潮社)

ページをめくれば、
山本周五郎や深沢七郎、尾崎一雄とツボ押されまくり、
嬉しさ酩酊パンチドランカー状態のところへ、
最終章でカキーン、あかつき臨死体験だ。

上林暁である。

1902年高知県大方町生まれ。
筆一本では立ちゆかぬ生活、貧しさ故に精神を病んだ妻を描いた病妻物が有名だが、
60歳で脳内出血に倒れたあとも、半身不随の身で口述筆記を続け、1980年に没した。

上林暁をどれくらい好きか、
これはもう、書き始めたら止まらないのでやめておくが、
どんな困窮のさなかにあっても、土佐のきらめく青い海のように、
明るさを失わない上林暁の作品は、混迷の続く今の時代にこそ、
見直されてしかるべきだと信じている。

従って、上林暁を評価する人は、当然、中宮寺弥勒菩薩である。

宮本輝。
「本をつんだ小舟」(1993年 文藝春秋)で、上林暁に一章割いた。永世聖人である。

小林信彦。
「本をつんだ小舟」を書評に取り上げ、「ボクも上林暁、好き」と言った。聖人。

そして今回、だーい好きな車谷長吉が、シメに上林暁を持ってきたのだ。

あー生きててよかった。

「暁鈍行」のハンドル名は、
1932年ロサンゼルス五輪男子百メートル、
六位入賞した吉岡隆徳選手の「暁の超特急」をもじったものだが、
そんなわけで、上林暁との「暁」つながり、
一人勝手にニンマリするあかつきであった。


1月18日 「ほんまもん・佐藤慶の正ちゃん帽にNHK不払いを考える」

 

あかつきの大好きな「贔屓の引き倒し」、
今年度は前出の俳優・佐藤慶と大食い・赤阪尊子の他に、
あとふたり、確定している。

まず、歌手のSILVA。
ノドが気持ちよく開いた力強い高音は、まさに歌謡界の女パバロッティ。
事務所も移籍して心機一転、今年はビシバシくると思う。

有線大賞やレコ大総なめにして、
年末の紅白はボンデージか「汁婆」パンツか、
全開Hモード、おおいに期待したいところだ。

ちなみに、SILVA「water,flower」は、
井手麻理子「太陽の花びら」と共に、
必ずや22世紀まで歌い継がれるであろう、近年出色の女性ボーカル曲。
ハイ。どちらもあかつきのカラオケ十八番ってことで。


そして、もうひとりは、
昨年秋の第70回日本音楽コンクール、
ピアノ部門で第一位に輝いた、東京芸大付高三年の佐藤卓史さんである。

暮れに何気なくつけた教育テレビ、
アナウンサーの受賞者紹介が、耳に飛び込んできた。

「佐藤さんは秋田県出身。息子さんがピアノの道に進むため、一家で上京されたそうです」

ふーん。
クラシックの、それもピアノを選んだとなれば、レッスン料は万単位。
音大出して、留学させて、湯水のごとくオカネ遣っても、
演奏家になれるという保証は、どこにもない世界だ。
きっと、お金持ちなんだろうなぁ。

佐藤クンのご両親がテレビに映った。

あっ! 

くりんくりんパーマで微笑むおかあさん。
「ありがたいことです」と頭下げまくる小柄なおとうさん。

気合い入ったステージパパ&ママの登場を予想していたあかつきは、
「私ら、音楽のことは分かりませんから」とあくまでも控えめなお二人に、
頭かち割られたような気がした。 

凄いよ。子供の夢に、それだけ賭けられるなんてさ。

と同時に、
昨年来日した第14回ショパンコンクールの覇者ユンディ・リ、
いかに音はスバラシクとも、
思い入れあふれすぎ床下浸水ノクターンに辟易したあかつきは、
格好の応援対象を見いだしたのである。


俳優・佐藤慶。
大食い・赤阪尊子。
歌手・SILVA。
2005年ショパン国際ピアノコンクール優勝(予定)・佐藤卓史。

これで今年の勝手に偏愛路線も決定、
こころおきなく週末に突入するあかつきであった。


1月11日 「赤阪よ永遠なれ」 

 

「大食い」が、変わった。

現在の「大食い界」趨勢は、
日頃から筋トレも含めて、
大食い能力を鍛えている若者たちが中心となっている。

彼らは、ものすごい早さで、ものすごい量を喰らう。
大食いサイボーグだ。

だから、ジャイアント白田が、プリンス小林が、
たとえ10分間に大盛りカレー10皿平らげようと、
「フーンそんなもんかぁ」としか思えない。サイボーグだから。

 

しかし、女王・赤阪が砂糖水片手に鼻水垂らしつつ、
5杯目のチャンポン、
「お代わり!」と叫べば、
ゾクゾクざわざわ全身が総毛立つ。

凄いよ、こりゃ。
あんた化けモンだよ。 

そう、女王・赤阪は、蛇女や火吹き男やろくろ首と同じ、
見せ物小屋でカネ取れる大食い、
本物のフリークスなのだ。

 

真の大食いフリークスは、
その喰らう姿の向こうに、
餓鬼道をさまよう鬼が見えかくれする。

女王・赤阪の大食いは、やめたくてもやめられない「業」。
赤阪はおのが命を縮めつつ、
大食いというすさまじい「業」と、それを背負わされた者の悲しみを、
白日の下にさらけ出しているのだ。

「大食い」は、哀しい芸である。

女王・赤阪の真の姿は、
たとえ身は食いモン底なし沼に呑み込まれようと、
死と裏腹の凄絶な食べっぷりで、
戦後はや半世紀、
ぬるま湯にどっぷり浸かりこんだ日本にカツをいれるため、
天が遣わした大食いエンジェル、
不惜身命の大食い行者なのかもしれない。

「大食い」は、腹に詰め込んだ量の多寡で、単純に測れるものではない。
餓鬼道に堕ちた人間の生き様が、見る者の心を打つかどうか?
こちらの方がはるかに重要なのだ。

従って、「大食い」は断じてスポーツに非ず。
トレーニングされた「大食い」など言語道断、
公衆トイレの落書きよりも、見るに値しない。

 

白田や小林の若い第二世代が、
席巻占領した大食い界、
今後、女王・赤阪がヒロインとして脚光を浴びる日は、二度と訪れないだろう。

コメンテーターとしてのゲスト出演ならアリとはいえ、
ザンコク非情なテレビ界のこと、
赤阪を刺身のツマ=当て馬として、ホネまでしゃぶりつくす可能性も否定できない。

いや。
ごめん赤阪。

赤阪ならきっと、
歯の抜け落ちた口元ニッコリほころばせて、
笑いながらしゃぶりつくされてくれるよね。

ありがとう赤阪。
あかつきはどこまでもついていくよ。


1月7日 「すべての道は佐藤慶に通ず」

 

NHKアーカイブズ放映、
「天城越え」(1978年度芸術祭大賞受賞)で、
佐藤慶にKOされた。

1ラウンド15秒。一目惚れってヤツである。

「天城越え」の原作は松本清張。
こんなあらすじだ。


家出少年(鶴見辰吾)が、売春宿を足抜けしてきた娼婦(大谷直子)と、天城越えで一緒になった。
途中、二人はひとりの土工(佐藤慶)と会う。
文無しの娼婦は、少年を先に行かせ、土工を強引に誘って一商売する。
その場を盗み見た少年は、娼婦と別れた土工をあいくちで刺し殺す。

殺人容疑で逮捕されたのは、娼婦の方だった。
しかし証拠不十分で釈放。
娼婦は、少年の犯行と気付いたが、そのまま胸に秘める。

30数年後。

迷宮入りになった事件を、
当時、娼婦の取り調べに当たった刑事(中村翫右衛門)が振り返り、
少年こそ真犯人だったことに気付く。
刑事は、今は印刷屋の主人になっているかつての少年(宇野重吉)を訪ね、遠回しにそれと告げる。

 

佐藤慶演ずる土工は、皆から低能を疑われるほどの「無口」だが、
「あんた、ひどい傷だねえ」と、娼婦が背中の傷跡に頬寄せたとき、
ポツリと漏らす。

「おれは死んだ人間だから」

母の死後、父が迎えた継母に疎まれ、崖から突き落とされた。
背中の傷はその時のもの、と映像で説明される。

天城越えのトンネル内で、少年に刺された土工は、
外によろめき出ると、青い空を見上げ、
「やっと終わった」と呟いて崩れ落ちる。
その虚ろな目!

名前を聞かれても、ただ「分かんねえ」とだけ、
生涯かけて自らを抹殺し続けた土工の、
なんという圧倒的な存在感!

一度きりしかない人生、自分のチカラ信じて、
ひたすら上昇膨張突進していく、いわゆる個人主義者には、
決して真似できない「存在の重さ」である。

ま、惚れちまったってことです。

振り返ってみれば、
「どんな境遇に陥ってもこのヒトについてけば大丈夫」、
イコール「兵隊やくざの勝新」こそ、あかつき究極の理想。

ISSAだDANくんだと昨年は節操なく騒いでいたが、
2002年の年頭、こうやって佐藤慶に至るのは、
避けられぬ運命だったのかもしれない。ウン。


さて、佐藤慶は現在、
NHK朝の連ドラ「ほんまもん」に、主人公の祖父役で出演している。

野暮なカーディガン姿で、
舌ガン末期の息子、根津甚八のベッド脇に座り、
ヨメの風吹ジュンや孫娘の池脇千鶴から、
「おじいちゃん大丈夫?」と、声を掛けられているのだ。

ゆゆしき事態である。

とくに風吹ジュン。
夫亡きあとの、彼女の貞操の方が、あかつきよっぽど心配だ。
だって、根津甚八よりぜんぜん色っぽいもん、佐藤慶。

そして東映。
アニメフェアでおこちゃまに媚びているヒマはない。
「凍れる硫酸」佐藤慶氏は昭和3年生まれ、
すでに古稀を過ぎていらっしゃるではないか! 

優待券目当てのオリエンタルランド零細株主のあかつきが、
老後の蓄えを御社の株にすべて注ぎ込み、
週一は映画館最前列でウットリ、心おきなくヨダレ流せるよう、
硬派ヤクザもんガツンガツン企画、どうかひとつよろしくお願いします、東映さま。

 

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