CROWE'S FEAT

 By Christine Sams, The Sun
 Japanese
tracelated By Hirono

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

評論家は『昼間の職を辞めるなよ』と口をそろえて言うが、クリスティーン・サムスはバンドと音楽がラッセル・クロウにとっての本然の住み場所だと言う事実を発見する。そして彼はそんな評論家がどう思おうと、一切無関心だ。

Sydney, Australia(November 4, 2001)--- 彼は音痴、気まぐれで最低な男、その上ジャーナリストが大嫌い。もしこれの全てがラッセル・クロウの真実だとしたら、何故彼は暖かく微笑み、時には冗談を飛ばし、彼のシドニーのホテルの部屋で私に紅茶を勧めてくれているのだろうか?クロウは広報担当とマネージャーを部屋から追い出したら即(そう、彼は『しっし!』と言う言葉を使った)、お茶を注いでくれようとした。その勧めを強く断ったのにも関わらず、彼は『結構俺上手いんだよ、you know』と言ってお茶を注いでくれた。

五分後、クロウは論戦するように腰掛け、スプーンを上等なティーカップに当て、私も『いつ頭のデカいハリウッドのスーパースターが正体を表すのかしら?』と考えながら同じ事をした。でもこれが本当のラッセル・クロウ。拳闘士。世界中の女性達を虜にし、周りの男性ファンを彼に成りたいと思わせる男。彼はこの男らしさで名が知られる俳優。そして億万長者になった今でも決して煙草とビールは忘れない。役者としてのクロウは無敵だ。オーストラリアの歴史上、彼の世界的知名度に値する役者は少数にしかならない。

しかしアカデミー賞受賞作出演の他にクロウはもう一つの芸術を追いかけているが、大半の人はそれに不愉快だと感じている。今日彼はバンド『30 Odd Foot of Grunts』のフロントマンとしてインタビューに応じてくれた。山ほどいるパンターのように、私も彼の言う『音楽のキャリア』の有効性に疑問を抱いた。もしシドニーに『オフィスの「ひやかし度」チェック・システム』があれば、クロウが『30 Odd Foot of Grutns』のシンガーと言う恥ずかしさの度合いは、ニッキー・ウェブスターのちょっと下にランクするだろう。第一に人々は彼のバンド名をちゃんと覚えられない。その上音楽を聞いてもらうなど(神様お許しを)とんでもない。そしてクロウは、ライブ・ステージで更に注目を浴びようとしている数多く映画スターの一人だとの意見で一致している。

 『明確に言えばこれはただの自惚れにしか値しない』、と彼は静かに紅茶を啜りながら語る。『もう一つは、公衆はよく言われているように「彼らが上手い訳がない」と聞かされ続け、自分で好き嫌いを決める以前から既に先入観が生まれている。大半は俺達に同情し可愛そうだとも思ってくれているよ。バンドを組んでいる俺をアホだと思う人さえも沢山いるよ。』

 数日前、私はこのインタビューをクロウが受けてくれる条件としてTOFOGのシドニー・ライブに参加させられた。冷笑的なライブの前半を観察していた時はぼんやりと引き離された心境だった。しかし可笑しい事が起こった。私の体が自然と音楽と共に動き始めたのだ。フロントマンとしてのクロウには信じられない程のカリスマがあった。彼は笑い、観客に冗談を飛ばし、各曲の裏話を情熱的に語り、つぶやく歌詞とマイクの間のクロウは面白い・・・とても面白い。

 『俺は家族といる時のように素顔の自分に一番近いのが、多分バンドの前に立った時の姿だ』とクロウは語る。『俺は可笑しくしようと思ってそうしている訳ではなく、ただ様々な視点を持った人間でいるだけさ。』ステージの外でもクロウの語り好きが解る。彼はすごく喋るが、これまた情熱的に語るので、その邪魔をするのは誰にも出来なしない。

 『もう少し若かった頃は、真剣な役者のように振る舞い、もう少しムーディーな事をしてたね。「Romper Stomper」の頃だったかな。でもそれは自分の暗い過去を隠そうとしていた時期だったっけ』と笑いながらクロウは語る。

 その『暗い過去』とは彼が16歳の時に作り出した、ニュージーランドの1950年代クラブ『キング・クレオールス』で歌っていたキャラクター『ラス・レ・ロック』。

 『「ラッス・レ・ロック」はもうすでに一人の人物だった』とクロウは語る。『仕事に関係する事をしていただけさ。俺の一部にそう言う事に嵌る精神があるかH俺はカメレオンのような様々な視点から自分の周りの色を見る事が出来るか?ああ、出来るよ。でもそれはパフォーマンスの時だけで俺の人生の中でではないよ。』

 クロウは歌詞をパブでビールのコースターの裏に書き込むような男だ。彼は生まれたアイディアを何時でも、何処でも書き込む。シャワーの中では歌わないが、コフス・ハーバー近くのナナ・グレンにある彼の牧場にバイクをぶっ飛ばす時に大声で歌のが大好きだ。

 『バイクに乗っている時にはよく歌うよ。でも奇妙な事にあんまり聞こえないんだよね』と微笑みながら彼が語る。『ヘルメットの中で素晴らしいファフォーマンスをしているのに気付く時もあるよ。』

 しかし大半の人は彼が歌えないと思っているのが心配か?『気にしてないよ』とクロウは強く語る。『俺が影響を受けたアーティスト達もそう言われていた。エルビス・コステロの事も、ビリー・ブラグの事も、「フーデュー・グールース」のデイブ・フォークナーの事も人はそう言っていた。でも彼らは間違っていた。』

 クロウが20代の前半に友人ディーン・コクラン(TOFOGのギターリストでクロウと共にバンドを生み出した人物)とキングス・クロスの道端で演奏していた時も、ブラグを始めとするパフォーマーのスタイルから影響されたものだった。

 『ビリー・ブラグは俺にとって指導者的存在の一人だ。未だに一回も会った事はないんだけどね』とクロウは語る。『俺を実際に歌わせた一人で、曲に込められる本当のパワーを教えてくれた人物だ。』

 もうオスカー受賞者と言う事で、クロウ自身のヒーローと一緒に演奏も夢ではないのでは?『実際に押し掛けなくても、彼と同じ部屋にいなくっても良いんだ』とクロウは頭を振りながら答える。『彼の作り出す作品がもうすでに教育教材だから。俺は実際に尊敬している人物と会うのはかなり不健康な事だと信じている。だってその人物が自分の作り上げたイマジネーションに値するなんて実際無理な事だから。』

 クロウ自身も偉大なぺデスタルに上げられている。役者として、そしてプライベートな私生活が絶えなく監視されている有名人として。自分の本当の感情を音楽と言う型で表しているのかと言う質問にクロウは、真実の感情を表せるのはそこにしかないと答える。

 『始めたすぐは音楽を使って正直になる事は出来なかった』と彼は言う。『しかしそれは学ぶもの。本当に大切なのは「真実」しかないのだから。俺の書き出す曲の主人公は良い奴らでは決してない。完璧な欠点がある。それが俺にとっての「真実」なんだ。俺は人生で馬鹿な選択を沢山してきた。そしてそんな我侭な選択が物事や人間関係を壊していった事もあった。それは世界共通な経験であって、それに自分の経験を付け加えて行って初めて意味が生まれてくるんだ。』

 9都市で行われた完売の米国ツアーを無事終え、TOFOGは今年最後のライブをシドニーで行った。又バンドが一緒に活動し、この2、3年で新しいアルバムをリリースするかと言う質問にクロウは『ギャップはそんなに長くはならないよ。2、3週間おきには一緒にリーハーサルもするし。でもそれは表に出てではないけどね。』

 クロウは自分の時間を作る為に、仕事も控えめにしていると言う。しかし彼の新作『A Beautiful Mind』(オーストラリアでは2002年の2月公開予定)のプロモーショナル・ツアーが近いうちにスタートする。『まだ骨休み為に飛行機には乗っていないね』とクロウは語る。『俺は仕事で飛行機に乗る。もうマイレージが溜まりまくったけど、休暇はまだ取っていないんだよ。』お休みは必要か?『ああ、「デイドリームの島」で休日だ。「有名」から休みたい・・かな?シドニーで有名になった時は森に逃げていた。でも今は何処に言って良いのか解らないね。』

だからと言ってクロウは自分の知名度に文句をつけているのではない。彼は常に自然体でいるようにしている。ステージに立ち観客の叫びの中で輝いている彼の顔が、何処にでもいる一人としての生活を楽しんでいる事実の全てを物語っている。クロウは、もう人々に自分の音楽の説明をするのに疲れた。しかし彼はバンドでずっと演奏続けるはず。何故なら彼はそれを心から愛しているから。

 『何故人が認めてくれないからって止めなくてはいけないんだ?』と疑問そうにクロウは聞く。『反対にそれがこれをもっと面白くしてくれているんだよ。俺の心は音楽に対しては純粋だ。そしてとってもシンプルだ。そしていつか遅かれ早かれ、どんなに時間が掛かろうと、人は絶対にこの音楽を聴いてくれる。俺を拒否せずにね。』